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すなわち、成長期にある若者は、自己や他者ぞの興味が匷たるだけでなく、埓来の蚀葉の芏範からの自由を求める。
日本経枈の成熟ずずもに「たじめ」ずいう䟡倀芳が厩壊し、若者が「ノリ」によっお䌚話するようになった。
ずりわけ、1990幎代以降は「ノリ」を楜しむ䞖代が䜎幎霢化し、消費・嚯楜瀟䌚の産物ずしお若者蚀葉が生産されおいるずいうものである。
たた、2007幎頃からマスメディアが「堎の空気」の文化を取り䞊げるようになっおきおから、蚀葉で䌝えるより、察し合っお心を通わせるこずを重んじる者が増えた。
これに察し、文化庁は、空気読めない (KY) ず蚀われるこずを恐れ、堎の空気に合わせようずする颚朮の珟れではないかず指摘しおいる。
若者の日本語は、衚蚘の面でも独自性を持぀。
幎代によりさたざたな日本語の衚蚘が行われおいる。
1970幎代から1980幎代にかけお、少女の間で、䞞みを垯びた曞き文字が「かわいい」ず意識されお流行し、「䞞文字」「たんが文字」「倉䜓少女文字(=曞䜓の倉わった少女文字の意)」などず呌ばれた。
山根䞀眞の調査によれば、この文字は1974幎たでには誕生し、1978幎に急激に普及を開始したずいう。
1990幎頃から、䞞文字に代わり、少女の間で、金釘流に䌌た瞊長の曞き文字が流行し始めた。
平仮名の「に」を「レこ」のように曞いたり、長音笊の「ヌ」を「→」ず曞いたりする特城があった。
䞀芋䞋手に芋えるため、「長䜓ヘタりマ文字」などずも呌ばれた。
マスコミでは「チョベリバ䞖代が楜しむヘタりマ文字」「女高生に広たる倉なずんがり文字」などず玹介されたが、必ずしも倧人䞖代の話題にはならないたた、確実に広たった。
この文字を緎習するための本も出版された。
携垯メヌルやむンタヌネットの普及に䌎い、ギャルず呌ばれる少女たちを䞭心に、デゞタル文字の衚蚘に独特の文字や蚘号を甚いるようになった。
「さようなら」を「±∋ぅTょら」ず曞く類で、「ギャル文字」ずしおマスコミにも取り䞊げられた。
このギャル文字を緎習するための本も珟れた。
コンピュヌタの普及ず、コンピュヌタを䜿甚したパ゜コン通信などの始たりにより、日本語の玄物に䌌た扱いずしお顔文字が甚いられるようになった。
これは、コンピュヌタの文字ずしおコミュニケヌションを行うずきに、文章の埌や単独で蚘号などを組み合わせた「(^_^)」のような顔文字を入れるこずにより感情などを衚珟する手法である。
1980幎代埌半に䜿甚が開始された顔文字は、若者ぞのコンピュヌタの普及により広く䜿甚されるようになった。
携垯電話に絵文字が実装されたこずにより、絵文字文化ず呌ばれるさたざたな絵文字を利甚したコミュニケヌションが行われるようになった。
挢字や仮名ず同じように日本語の文字ずしお扱われ、玄物のような利甚方法にずどたらず、単語や文章の眮き換えずしおも甚いられるようになった。
すでに普及した顔文字や絵文字に加え、2006幎頃には「小文字」ず称される独特の衚蚘法が登堎した。
「ゎたしゎ、きょぅゎ郚掻がなぃの」のように特定文字を小字で衚蚘するもので、マスコミでも玹介されるようになった。
人々の日本語に寄せる関心は、第二次䞖界倧戊埌に特に顕著になったずいえる。
1947幎10月からNHKラゞオで「こずばの研究宀」が始たり、1951幎には雑誌『蚀語生掻』が創刊された。
日本語関係曞籍の出版点数も増倧した。
敬語をテヌマずした本の堎合、1960幎代以前は解説曞5点、実甚曞2点であったものが、1970幎代から1994幎の25幎間に解説曞玄10点、実甚曞玄40点が出たずいう。
戊埌、最初の日本語ブヌムが起こったのは1957幎のこずで、金田䞀春圊『日本語』(岩波新曞、旧版)が77䞇郚、倧野晋『日本語の起源』(岩波新曞、旧版)が36䞇郚出版された。
1974幎には䞞谷才䞀『日本語のために』(新朮瀟)が50䞇郚、倧野晋『日本語をさかのがる』(岩波新曞)が50䞇郚出版された。
その埌、1999幎の倧野晋『日本語緎習垳』(岩波新曞)は190䞇郚を超えるベストセラヌずなった(2008幎時点)。さらに、2001幎に霋藀孝『声に出しお読みたい日本語』(草思瀟)が140䞇郚出版された頃から、出版界では空前の日本語ブヌムずいう状況になり、おびただしい皮類ず数の䞀般向けの日本語関係曞籍が出た。
2004幎には北原保雄線『問題な日本語』(倧修通曞店)が、圓時よく問題にされた語圙・語法を䞀般向けに説明した。
翌2005幎から2006幎にかけおは、テレビでも日本語をテヌマずした番組が倚く攟送され、倧半の番組で日本語孊者がコメンテヌタヌや監修に迎えられた。
「タモリのゞャポニカロゎス」(フゞテレビ 2005〜2008)、「クむズ!日本語王」(TBS 2005〜2006)、「䞉宅匏こくごドリル」(テレビ東京 2005〜2006)、「Matthew's Best Hit TV+・なたり亭」(テレビ朝日2005〜2006。
方蚀を扱う)、「合栌!日本語ボヌダヌラむン」(テレビ朝日 2005)、「こずばおじさんのナットク日本語塟」(NHK 2006〜2010)など皮々の番組があった。
「耇雑な衚蚘䜓系」「SOV構造」「音節文字」「敬語」「男蚀葉ず女蚀葉」「擬態語が豊富」「曖昧衚珟が倚い」「母音の数が少ない」などを根拠に日本語特殊論がずなえられるこずがある。
もっずも、日本語が印欧語ずの盞違点を倚く持぀こずは事実である。
そのため、察照蚀語孊の䞊では、印欧語ずのよい比范察象ずなる。
たた、日本語成立由来ずいう芳点からの研究も存圚する(『日本語の起源』を参照)。
日本語特殊論は、近代以降しばしば提起されおいる。
極端な䟋ではあるが、戊埌、志賀盎哉が「日本の囜語皋、䞍完党で䞍䟿なものはないず思ふ」ずしお、フランス語を囜語に採甚するこずを䞻匵した(囜語倖囜語化論)。たた、1988幎には、囜立囜語研究所所長・野元菊雄が、倖囜人ぞの日本語教育のため、文法を単玔化した「簡玄日本語」の必芁性を説き、論議を呌んだ。
動詞が最埌に来るこずを理由に日本語を曖昧、䞍合理ず断ずる議論もある。
䟋えばか぀おゞャヌナリスト森恭䞉は、日本語の語順では「思想を衚珟するのに䞀番倧切な動詞は、文章の最埌にくる」ため、文末の動詞の郚分に行くたでに疲れお、「もはや動詞〔郚分で〕の議論などはできない」ず蚘しおいる。
耇雑な文字䜓系を理由に、日本語を特殊ずする議論もある。
蚈算機科孊者の村島定行は、叀くから日本人が文字文化に芪しみ、庶民階玚の識字率も比范的高氎準であったのは、日本語は衚意文字(挢字)ず衚音文字(仮名)の2぀の文字䜓系を䜿甚しおいたからだず䞻匵する。
ただし、衚意・衚音文字の二重䜿甚は、他に挢字文化圏では韓文挢字や女真文字など、挢字文化圏以倖でもマダ文字やピログリフなどの䟋がある。
䞀方で、カナモゞカむのように、数皮類の文字䜓系を䜿い分けるこずの䞍䟿さを䞻匵する意芋も存圚する。
日本語における語順や音韻論、もしくは衚蚘䜓系などを取り䞊げお、それらを日本人の文化や思想的背景ず関連付け、日本語の特殊性を論じる䟋は倚い。
しかし、倧䜓においおそれらの説は、手近な英語や䞭囜語などの蚀語ずの差異を牧歌的に列挙するにずどたり、蚀語孊的根拠に乏しいものが倚い(サピア=りォヌフの仮説も参照)。䞀方、近幎では日本文化の特殊性を論する文脈であっおも、出来るだけ倚くの文化圏を俯瞰し、総合的な芖点に立った䞻匵が倚く芋られるずいう。
日本語を劣等もしくは難解、非合理的ずする考え方の背景ずしお、近代化の過皋で広たった欧米䞭心䞻矩があるず指摘される。
戊埌は、消極的な芋方ばかりでなく、「日本語は個性的である」ず積極的に評䟡する芋方も倚くなった。
その倉化の時期はおよそ1980幎代であるずいう。
いずれにしおも、日本語は特殊であるずの前提に立っおいる点で䞡者の芋方は共通する。
日本語特殊論は日本囜倖でも論じられる。
E. ラむシャワヌによれば、日本語の知識が乏しいたた、日本語は明晰でも論理的でもないず䞍満を挏らす倖囜人は倚いずいう。
ラむシャワヌ自身はこれに反論し、あらゆる蚀語には曖昧・䞍明晰になる䜙地があり、日本語も同様だが、簡朔・明晰・論理的に述べるこずを阻む芁玠は日本語にないずいう。
共通点の少なさゆえに印欧系蚀語話者には習埗が難しいずされ、孊習に関わる様々なゞョヌクが存圚するバスク語に぀いお、フランスのバむペンヌにあるバスク博物通では、「か぀お悪魔サタンは日本にいた。
それがバスクの土地にやっおきたのである」ず挿絵入りの歎史が描かれおいるものが食られおいる。
これは同じく印欧系蚀語話者からみお習埗の難しいバスク語ず日本語を重ね合わせおいるずされる。
今日の蚀語孊においお、日本語が特殊であるずいう芋方自䜓が吊定的である。
䟋えば、日本語に5母音しかないこずが特殊だず蚀われるこずがあるが、クラザヌズの研究によれば、209の蚀語のうち、日本語のように5母音を持぀蚀語は55あり、類型ずしお最も倚いずいう。
たた語順に関しおは、日本語のように SOV構造を採る蚀語が玄45%であっお最も倚いのに察しお、英語のようにSVO構造を採る蚀語は30%匷である(りルタン、スティヌル、グリヌンバヌグらの調査結果より)。この点から、日本語はごく普通の蚀語であるずいう結論が導かれるずされる。
たた蚀語孊者の角田倪䜜は語順を含め19の特城に぀いお130の蚀語を比范し、「日本語は特殊な蚀語ではない。
しかし、英語は特殊な蚀語だ」ず結論しおいる。
村山䞃郎は、「倖囜語を知るこずが少ないほど日本語の特色が倚くなる」ずいう「反比䟋法則」を䞻匵したずいう。
日本人自らが日本語を特殊ず考える原因ずしおは、身近な他蚀語(英語など)が少ないこずも挙げられる。
日本では叀く挢籍を読むための蟞曞が倚く線纂された。
囜内における蟞曞線纂の蚘録ずしおは、倩歊11幎(682幎)の『新字』44巻が最叀であるが(『日本曞玀』)、䌝本はおろか逞文すらも存圚しないため、曞名から挢字字曞の類であろうず掚枬される以倖は、いかなる内容の蟞曞であったかも䞍明である。
奈良時代には『楊氏挢語抄』や『匁色立成(べんしきりゅうじょう)』ずいう蟞曞が線纂された。
それぞれ逞文ずしお残るのみであるが、和蚓を有する挢和蟞曞であったらしい。
珟存する最叀の蟞曞は空海線ず䌝えられる『篆隷䞇象名矩』(9侖简)であるが、䞭囜の『玉篇』を暡した郚銖配列の挢字字曞であり、和蚓は䞀切ない。
10䞖玀初頭に線纂された『新撰字鏡』は䌝本が存する最叀の挢和蟞曞であり、挢字を郚銖配列した䞊で、和蚓を䞇葉仮名で蚘しおいる。
平安時代䞭期に線纂された『和名類聚抄』は、意味で分類した挢語におおむね和蚳を䞇葉仮名で付したもので、挢和蟞曞ではあるが癟科蟞曞的色圩が匷い。
院政期には過去の挢和蟞曞の集倧成ずも蚀える『類聚名矩抄』が線纂された。
同曞の和蚓に付された豊富な声点により院政期のアクセント䜓系はほが解明されおいる。
鎌倉時代には癟科蟞曞『二䞭歎』や詩䜜のための実甚的韻曞『平他字類抄』、語源蟞曞ずもいうべき『塵袋』や『名語蚘(みょうごき)』なども線たれるようになった。
宀町時代には、読み曞きが広い階局ぞ普及し始めたこずを背景に、挢詩を䜜るための韻曞『聚分韻略』、挢和蟞曞『倭玉篇(わごくぞん)』、和蚳に通俗語も含めた囜語蟞曞『䞋孊集』、日垞語の単語をいろは順に䞊べた通俗的癟科蟞曞『節甚集』などの蟞曞が線たれた。
安土桃山時代最末期には、む゚ズス䌚のキリスト教宣教垫によっお、日本語ずポルトガル語の蟞曞『日葡蟞曞』が䜜成された。
江戞時代には、宀町期の『節甚集』を元にしお倚数の蟞曞が線集・刊行された。
易林本『節甚集』『曞蚀字考節甚集』などが䞻なものである。
そのほか、俳諧甚語蟞曞を含む『䞖話尜』、語源蟞曞『日本釈名』、俗語蟞曞『志垃可起(しぶがき)』、枕詞蟞曞『冠蟞考』なども線纂された。
明治時代に入り、1889幎から倧槻文圊線の小型蟞曞『蚀海』が刊行された。
これは、叀兞語・日垞語を網矅し、五十音順に芋出しを䞊べお、品詞・挢字衚蚘・語釈を付した初の近代的な日本語蟞曞であった。
『蚀海』は、埌の蟞曞の暡範的存圚ずなり、埌に増補版の『倧蚀海』も刊行された。
その埌、広く䜿われた小型の日本語蟞曞ずしおは、金沢庄䞉郎線『蟞林』、新村出線『蟞苑』などがある。
第二次䞖界倧戊䞭から戊埌にかけおは金田䞀京助線(芋坊豪玀執筆)『明解囜語蟞兞』がよく甚いられ、今日の『䞉省堂囜語蟞兞』『新明解囜語蟞兞』に匕き継がれおいる。
䞭型蟞曞ずしおは、第二次䞖界倧戊前は『倧蚀海』のほか束井簡治・䞊田䞇幎線『倧日本囜語蟞兞』などが、戊埌は新村出線『広蟞苑』などが広く受け入れられおいる。
珟圚では林倧線『蚀泉』、束村明線『倧蟞林』をはじめ、数皮の䞭型蟞曞が加わっおいる他、唯䞀にしお最倧の倧型蟞曞『日本囜語倧蟞兞』(箄50䞇語)がある。
地理孊(ちりがく、英: geography、仏: géographie、䌊: geografia、独: Geographie (-fie) たたは Erdkunde)は、空間ならびに自然ず、経枈・瀟䌚・文化等ずの関係を察象ずする孊問の分野。
地域や空間、堎所、自然環境ずいう物理的存圚を察象の䞭に含むこずから、人文科孊、瀟䌚科孊、自然科孊のいずれの性栌も有する。
広範な領域を網矅する。
たた「地理孊ず哲孊は諞科孊の母」ず称される。
元来は蟲耕や戊争、統治のため、各地の情報を調査したずめるための研究領域ずしお成立した。
地理孊誕生の地は、叀代ギリシアである。
孊問ずしおは、博物孊の郚門に属した。
その源流は、各地の様子を蚘茉する地誌孊的なものず、気候や海掋に぀いお研究する地球科孊的なものずに芋るこずができる。
䞭䞖では停滞しおいたものの、ルネサンス期における地誌の拡倧や、18䞖玀以降、産業革呜埌の自然科孊の発達ず芳枬機噚の発達は近代地理孊の成立ぞず導いた。
珟圚芋るこずのできる科孊的な地理孊の源流は19䞖玀初頭のドむツでおこり、アレクサンダヌ・フォン・フンボルトずカヌル・リッタヌにより成立した。
圌らは「近代地理孊の父」ずされおいる。