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「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想を傳へるものではない。唯わたしの思想の變化を時々窺はせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すぢの蔓草、――しかもその蔓草は幾すぢも蔓を伸ばしてゐるかも知れない。 芥川龍之介
底本:「芥川龍之介全集 第九卷」岩波書店    1978(昭和53)年4月24日初版発行    1983(昭和58)年1月20日第2刷発行 初出:「侏儒の言葉」文藝春秋社出版部    1927(昭和2)年12月6日初版発行 入力:高柳典子 校正:多羅尾伴内 2003年6月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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       一  近年にない暑さである。どこを見ても、泥で固めた家々の屋根瓦が、鉛のやうに鈍く日の光を反射して、その下に懸けてある燕の巣さへ、この塩梅では中にゐる雛や卵を、そのまゝ蒸殺してしまふかと思はれる。まして、畑と云ふ畑は、麻でも黍でも、皆、土いきれにぐつたりと頭をさげて、何一つ、青いなりに、萎れてゐないものはない。その畑の上に見える空も、この頃の温気に中てられたせいか、地上に近い大気は、晴れながら、どんよりと濁つて、その所々に、霰を炮烙で煎つたやうな、形ばかりの雲の峰が、つぶつぶと浮かんでゐる。――「酒虫」の話は、この陽気に、わざ〳〵炎天の打麦場へ出てゐる、三人の男で始まるのである。  不思議な事に、その中の一人は、素裸で、仰向けに地面へ寝ころんでゐる。おまけに、どう云ふ訳だか、細引で、手も足もぐる〳〵巻にされてゐる。が格別当人は、それを苦に病んでゐる容子もない。背の低い、血色の好い、どことなく鈍重と云ふ感じを起させる、豚のやうに肥つた男である。それから手ごろな素焼の瓶が一つ、この男の枕もとに置いてあるが、これも中に何がはいつてゐるのだか、わからない。  もう一人は、黄色い法衣を着て、耳に小さな青銅の環をさげた、一見、象貌の奇古な沙門である。皮膚の色が並はづれて黒い上に、髪や鬚の縮れてゐる所を見ると、どうも葱嶺の西からでも来た人間らしい。これはさつきから根気よく、朱柄の麈尾をふりふり、裸の男にたからうとする虻や蠅を追つてゐたが、流石に少しくたびれたと見えて、今では、例の素焼の瓶の側へ来て、七面鳥のやうな恰好をしながら、勿体らしくしやがんでゐる。  あとの一人は、この二人からずつと離れて、打麦場の隅にある草房の軒下に立つてゐる。この男は、頤の先に、鼠の尻尾のやうな髯を、申訳だけに生やして、踵が隠れる程長い皁布衫に、結目をだらしなく垂らした茶褐帯と云ふ拵へである。白い鳥の羽で製つた団扇を、時々大事さうに使つてゐる容子では、多分、儒者か何かにちがひない。  この三人が三人とも、云ひ合せたやうに、口を噤んでゐる。その上、碌に身動きさへもしない、何か、これから起らうとする事に、非常な興味でも持つてゐて、その為に、皆、息をひそめてゐるのではないかと思はれる。  日は正に、亭午であらう。犬も午睡をしてゐるせいか、吠える声一つ聞えない。打麦場を囲んでゐる麻や黍も、青い葉を日に光らせて、ひつそりかんと静まつてゐる。それから、その末に見える空も、一面に、熱くるしく、炎靄をたゞよはせて、雲の峰さへもこの旱に、肩息をついてゐるのかと、疑はれる。見渡した所、息が通つてゐるらしいのは、この三人の男の外にない。さうして、その三人が又、関帝廟に安置してある、泥塑の像のやうに沈黙を守つてゐる。……  勿論、日本の話ではない。――支那の長山と云ふ所にある劉氏の打麦場で、或年の夏、起つた出来事である。        二  裸で、炎天に寝ころんでゐるのは、この打麦場の主人で、姓は劉、名は大成と云ふ、長山では、屈指の素封家の一人である。この男の道楽は、酒を飲む一方で、朝から、殆、盃を離したと云ふ事がない。それも、「独酌する毎に輒、一甕を尽す」と云ふのだから、人並をはづれた酒量である。尤も前にも云つたやうに、「負郭の田三百畝、半は黍を種う」と云ふので、飲の為に家産が累はされるやうな惧は、万々ない。  それが、何故、裸で、炎天に寝ころんでゐるかと云ふと、それには、かう云ふ因縁がある。――その日、劉が、同じ飲仲間の孫先生と一しよに(これが、白羽扇を持つてゐた儒者である。)風通しのいゝ室で、竹婦人に靠れながら、棋局を闘はせてゐると、召使ひの丫鬟が来て、「唯今、宝幢寺とかにゐると云ふ、坊さんが御見えになりまして、是非、御主人に御目にかゝりたいと申しますが、いかゞ致しませう。」と云ふ。 「なに、宝幢寺?」かう云つて、劉は小さな眼を、まぶしさうに、しばたたいたが、やがて、暑さうに肥つた体を起しながら、「では、こゝへ御通し申せ。」と云ひつけた。それから、孫先生の顔をちよいと見て「大方あの坊主でせう。」とつけ加へた。  宝幢寺にゐる坊主と云ふのは、西域から来た蛮僧である。これが、医療も加へれば、房術も施すと云ふので、この界隈では、評判が高い。たとへば、張三の黒内障が、忽、快方に向つたとか、李四の病閹が、即座に平癒したとか、殆、奇蹟に近い噂が盛に行はれてゐるのである。――この噂は、二人とも聞いてゐた。その蛮僧が、今、何の用で、わざわざ、劉の所へ出むいて来たのであらう。勿論、劉の方から、迎へにやつた覚えなどは、全然ない。  序に云つて置くが、劉は、一体、来客を悦ぶやうな男ではない。が、他に一人、来客がある場合に、新来の客が来たとなると、大抵ならば、快く会つてやる。客の手前、客のあるのを自慢するとでも云つたらよささうな、小供らしい虚栄心を持つてゐるからである。それに、今日の蛮僧は、この頃、どこででも評判になつてゐる。決して、会つて恥しいやうな客ではない。――劉が会はうと云ひ出した動機は、大体こんな所にあつたのである。 「何の用でせう。」 「まづ、物貰ひですな。信施でもしてくれと云ふのでせう。」  こんな事を、二人で話してゐる内に、やがて、丫鬟の案内で、はいつて来たのを見ると、背の高い、紫石稜のやうな眼をした、異形な沙門である。黄色い法衣を着て、その肩に、縮れた髪の伸びたのを、うるささうに垂らしてゐる。それが、朱柄の麈尾を持つたまゝ、のつそり室のまん中に立つた。挨拶もしなければ、口もきかない。  劉は、しばらく、ためらつてゐたが、その内に、それが何となく、不安になつて来たので「何か御用かな。」と訊いて見た。  すると、蛮僧が云つた。「あなたでせうな、酒が好きなのは。」 「さやう。」劉は、あまり問が唐突なので、曖昧な返事をしながら、救を求めるやうに、孫先生の方を見た。孫先生は、すまして、独りで、盤面に石を下してゐる。まるで、取り合ふ容子はない。 「あなたは、珍しい病に罹つて御出になる。それを御存知ですかな。」蛮僧は念を押すやうに、かう云つた。劉は、病と聞いたので、けげんな顔をして、竹婦人を撫でながら、 「病――ですかな。」 「さうです。」 「いや、幼少の時から……」劉が何か云はうとすると、蛮僧はそれを遮つて、 「酒を飲まれても、酔ひますまいな。」 「……」劉は、ぢろぢろ、相手の顔を見ながら、口を噤んでしまつた。実際この男は、いくら酒を飲んでも、酔つた事がないのである。 「それが、病の証拠ですよ。」蛮僧は、うす笑をしながら、語をついで、「腹中に酒虫がゐる。それを除かないと、この病は癒りません。貧道は、あなたの病を癒しに来たのです。」 「癒りますかな。」劉は思はず覚束なさうな声を出した。さうして、自分でそれを恥ぢた。 「癒ればこそ、来ましたが。」  すると、今まで、黙つて、問答を聞いてゐた孫先生が、急に語を挟んだ。 「何か、薬でも御用ひか。」 「いや、薬なぞは用ひるまでもありません。」蛮僧は不愛想に、かう答へた。  孫先生は、元来、道仏の二教を殆、無理由に軽蔑してゐる。だから、道士とか僧侶とかと一しよになつても、口をきいた事は滅多にない。それが、今ふと口を出す気になつたのは、全く酒虫と云ふ語の興味に動かされたからで、酒の好きな先生は、これを聞くと、自分の腹の中にも、酒虫がゐはしないかと、聊、不安になつて来たのである。所が、蛮僧の不承不承な答を聞くと、急に、自分が莫迦にされたやうな気がしたので、先生はちよいと顔をしかめながら、又元の通り、黙々として棋子を下しはじめた。さうして、それと同時に、内心、こんな横柄な坊主に会つたり何ぞする主人の劉を、莫迦げてゐると思ひ出した。  劉の方では、勿論そんな事には頓着しない。 「では、針でも使ひますかな。」 「なに、もつと造作のない事です。」 「では呪ですかな。」 「いや、呪でもありません。」  かう云ふ会話を繰返した末に、蛮僧は、簡単に、その療法を説明して聞かせた。――それによるに、唯、裸になつて、日向にぢつとしてゐさへすればよいと云ふのである。劉には、それが、甚、容易な事のやうに思はれた。その位の事で癒るなら、癒して貰ふのに越した事はない。その上、意識してはゐなかつたが、蛮僧の治療を受けると云ふ点で、好奇心も少しは動いてゐた。  そこでとうとう、劉も、こつちから頭を下げて、「では、どうか一つ、癒して頂きませう。」と云ふ事になつた。――劉が、裸で、炎天の打麦場にねころんでゐるのには、かう云ふ謂れが、あるのである。  すると蛮僧は、身動きをしてはいけないと云ふので、劉の体を細引で、ぐるぐる巻にした。それから、僮僕の一人に云ひつけて、酒を入れた素焼の瓶を一つ、劉の枕もとへ持つて来させた。当座の行きがかりで、糟邱の良友たる孫先生が、この不思議な療治に立合ふ事になつたのは云ふまでもない。  酒虫と云ふ物が、どんな物だか、それが腹の中にゐなくなると、どうなるのだか、枕もとにある酒の瓶は、何にするつもりなのだか、それを知つてゐるのは、蛮僧の外に一人もない。かう云ふと、何も知らずに、炎天へ裸で出てゐる劉は、甚、迂濶なやうに思はれるが、普通の人間が、学校の教育などをうけるのも、実は大抵、これと同じやうな事をしてゐるのである。        三  暑い。額へ汗がぢりぢりと湧いて来て、それが玉になつたかと思ふと、つうつと生暖く、眼の方へ流れて来る。生憎、細引でしばられてゐるから、手を出して拭ふ訳には、勿論行かない。そこで、首を動かして、汗の進路を変へやうとすると、その途端に、はげしく眩暈がしさうな気がしたので、残念ながら、この計画も亦、見合せる事にした。その中に、汗は遠慮なく、眶をぬらして、鼻の側から口許をまはりながら、頤の下まで流れて行く。気味が悪い事夥しい。  それまでは、眼を開いて、白く焦された空や、葉をたらした麻畑を、まじ〳〵と眺めてゐたが、汗が無暗に流れるやうになつてからは、それさへ断念しなければならなくなつた。劉は、この時、始めて、汗が眼にはいると、しみるものだと云ふ事を、知つたのである。そこで、屠所の羊の様な顔をして、神妙に眼をつぶりながら、ぢつと日に照りつけられてゐると、今度は、顔と云はず体と云はず、上になつてゐる部分の皮膚が、次第に或痛みを感じるやうになつて来た。皮膚の全面に、あらゆる方向へ動かうとする力が働いてゐるが、皮膚自身は、それに対して、毫も弾力を持つてゐない。それでどこもかしこも、ぴり〳〵する――とでも説明したら、よからうと思ふ痛みである。これは、汗所の苦しさではない。劉は、少し蛮僧の治療をうけたのが、忌々しくなつて来た。  しかし、これは、後になつて考へて見ると、まだ苦しくない方の部だつたのである。――そのうちに、喉が渇いて来た。劉も、曹孟徳か誰かが、前路に梅林ありと云つて、軍士の渇を医したと云ふ事は知つてゐる。が、今の場合、いくら、梅子の甘酸を念頭に浮べて見ても、喉の渇く事は、少しも前と変りがない。頤を動かして見たり、舌を噛んで見たりしたが、口の中は依然として熱を持つてゐる。それも、枕もとの素焼の瓶がなかつたら、まだ幾分でも、我慢がし易かつたのに違ひない。所が、瓶の口からは、芬々たる酒香が、間断なく、劉の鼻を襲つて来る。しかも、気のせいか、その酒香が、一分毎に、益々高くなつて来るやうな心もちさへする。劉は、せめて、瓶だけでも見ようと思つて、眼をあけた。上眼を使つて見ると、瓶の口と、応揚にふくれた胴の半分ばかりが、眼にはいる。眼にはいるのは、それだけであるが、同時に、劉の想像には、その瓶のうす暗い内部に、黄金のやうな色をした酒のなみ〳〵と湛へてゐる容子が、浮んで来た。思はず、ひびの出来た唇を、乾いた舌で舐めまはして見たが、唾の湧く気色は、更にない。汗さへ今では、日に干されて、前のやうには、流れなくなつてしまつた。  すると、はげしい眩暈が、つづいて、二三度起つた。頭痛はさつきから、しつきりなしにしてゐる。劉は、心の中で愈、蛮僧を怨めしく思つた。それから又何故、自分ともあるものが、あんな人間の口車に乗つて、こんな莫迦げた苦しみをするのだらうとも思つた。そのうちに、喉は、益々、渇いて来る。胸は妙にむかついて来る。もう我慢にも、ぢつとしてはゐられない。そこで劉はとう〳〵思切つて、枕もとの蛮僧に、療治の中止を申込むつもりで、喘ぎながら、口を開いた。――  すると、その途端である。劉は、何とも知れない塊が、少しづゝ胸から喉へ這ひ上つて来るのを感じ出した。それが或は蚯蚓のやうに、蠕動してゐるかと思ふと、或は守宮のやうに、少しづゝ居ざつてゐるやうでもある。兎に角或柔い物が、柔いなりに、むづりむづりと、食道を上へせり上つて来るのである。さうしてとうとうしまひに、それが、喉仏の下を、無理にすりぬけたと思ふと、今度はいきなり、鰌か何かのやうにぬるりと暗い所をぬけ出して、勢よく外へとんで出た。  と、その拍子に、例の素焼の瓶の方で、ぽちやりと、何か酒の中へ落ちるやうな音がした。  すると、蛮僧が、急に落ちつけてゐた尻を持ち上げて、劉の体にかゝつてゐる、細引を解きはじめた。もう、酒虫が出たから、安心しろと云ふのである。 「出ましたかな。」劉は、呻くやうにかう云つて、ふらふらする頭を起しながら、物珍しさの余り、喉の渇いたのも忘れて、裸のまま、瓶の側へ這ひよつた。それと見ると、孫先生も、白羽扇で日をよけながら、急いで、二人の方へやつて来る。さて、三人揃つて瓶の中を覗きこむと、肉の色が朱泥に似た、小さな山椒魚のやうなものが、酒の中を泳いでゐる。長さは、三寸ばかりであらう。口もあれば、眼もある。どうやら、泳ぎながら、酒を飲んでゐるらしい。劉はこれを見ると、急に胸が悪くなつた。……        四  蛮僧の治療の効は、覿面に現れた。劉大成は、その日から、ぱつたり酒が飲めなくなつたのである。今は、匂を嗅ぐのも、嫌だと云ふ。所が、不思議な事に、劉の健康が、それから、少しづつ、衰へて来た。今年で、酒虫を吐いてから、三年になるが、往年の丸丸と肥つてゐた俤は、何処にもない。色光沢の悪い皮膚が、脂じみたまま、険しい顔の骨を包んで、霜に侵された双髩が、纔に、顳顬の上に、残つてゐるばかり、一年の中に、何度、床につくか、わからない位ださうである。  しかし、それ以来、衰へたのは、劉の健康ばかりではない。劉の家産も亦とんとん拍子に傾いて、今では、三百畝を以て数へた負郭の田も、多くは人の手に渡つた。劉自身も、余儀なく、馴れない手に鋤を執つて、佗しいその日その日を送つてゐるのである。  酒虫を吐いて以来、何故、劉の健康が衰へたか。何故、家産が傾いたか――酒虫を吐いたと云ふ事と、劉のその後の零落とを、因果の関係に並べて見る以上、これは、誰にでも起りやすい疑問である。現にこの疑問は、長山に住んでゐる、あらゆる職業の人人によつて繰返され、且、それらの人人の口から、あらゆる種類の答を与へられた。今、ここに挙げる三つの答も、実はその中から、最、代表的なものを選んだのに過ぎない。  第一の答。酒虫は、劉の福であつて、劉の病ではない。偶、暗愚の蛮僧に遇つた為に、好んで、この天与の福を失ふやうな事になつたのである。  第二の答。酒虫は、劉の病であつて、劉の福ではない。何故と云へば、一飲一甕を尽すなどと云ふ事は、到底、常人の考へられない所だからである。そこで、もし酒虫を除かなかつたなら、劉は必久しからずして、死んだのに相違ない。して見ると、貧病、迭に至るのも、寧劉にとつては、幸福と云ふべきである。  第三の答。酒虫は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。劉は、昔から酒ばかり飲んでゐた。劉の一生から酒を除けば、後には、何も残らない。して見ると、劉は即酒虫、酒虫は即劉である。だから、劉が酒虫を去つたのは自ら己を殺したのも同前である。つまり、酒が飲めなくなつた日から、劉は劉にして、劉ではない。劉自身が既になくなつてゐたとしたら、昔日の劉の健康なり家産なりが、失はれたのも、至極、当然な話であらう。  これらの答の中で、どれが、最よく、当を得てゐるか、それは自分にもわからない。自分は、唯、支那の小説家の Didacticism に倣つて、かう云ふ道徳的な判断を、この話の最後に、列挙して見たまでゝある。 ――五年四月――
底本:「芥川龍之介全集 第一巻」岩波書店    1995(平成7)年11月8日発行 親本:「鼻」春陽堂    1918(大正7)年7月8日発行 入力:earthian 校正:林めぐみ 1998年11月13日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 成瀬君  君に別れてから、もう一月の余になる。早いものだ。この分では、存外容易に、君と僕らとを隔てる五、六年が、すぎ去ってしまうかもしれない。  君が横浜を出帆した日、銅鑼が鳴って、見送りに来た連中が、皆、梯子伝いに、船から波止場へおりると、僕はジョオンズといっしょになった。もっとも、さっき甲板ではちょいと姿を見かけたが、その後、君の船室へもサロンへも顔を出さなかったので、僕はもう帰ったのかと思っていた。ところが、先生、僕をつかまえると、大元気で、ここへ来るといつでも旅がしたくなるとか、己も来年かさ来年はアメリカへ行くとか、いろんなことを言う。僕はいいかげんな返事をしながら、はなはだ、煮切らない態度で、お相手をつとめていた。第一、ばかに暑い。それから、胃がしくしく、痛む。とうてい彼のしゃべる英語を、いちいち理解するほど、神経を緊張する気になれない。  そのうちに、船が動きだした。それも、はなはだ、緩慢な動き方で、船と波止場との間の水が少しずつ幅を広くしていくから、わかるようなものの、さもなければ、ほとんど、動いているとは受取れないくらいである。おまけに、この間の水なるものが、非常にきたない。わらくずやペンキ塗りの木の片が黄緑色に濁った水面を、一面におおっている。どうも、昔、森さんの「桟橋」とかいうもので読んだほど、小説らしくもなんともない。  麦わら帽子をかぶって、茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。それも至極通俗なながめ方である。学校から帰りに、神田をいっしょに散歩して、須田町へ来ると、いつも君は三田行の電車へのり、僕は上野行の電車にのった。そうしてどっちか先へのったほうを、あとにのこされたほうが見送るという習慣があった。今日、船の上にいる君が、波止場をながめるのも、その時とたいした変わりはない。(あるいは僕のほうに、変わりがないせいだろうか)僕は、時々君の方を見ながら、ジョオンズとでたらめな会話をやっていた。彼はクロンプトン・マッケンジイがどうとか言ったかと思うと、ロシアの監獄へは、牢やぶりの器械を売りに来るとかなんとか言う。何をしゃべっているのだか、わからない。ただ、君を見送ってから彼が沼津へ写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。  そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だいぶん遠くなっている。この時、かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成瀬君万歳と言う。君は扇を動かして、それに答えた。が、僕は中学時代から一度も、大きな声で万歳と言ったことがない。そこで、その時も、ただ、かぶっていた麦わら帽子をぬいで、それを高くさし上げて、パセティックな心もちに順応させた。万歳の声は、容易にやまない。僕は君に、いつか、「燃焼しない」(君のことばをそのまま、使えば)と言って非難されたことを思い出した。そうして微笑した。僕の前では君の弟が、ステッキの先へハンケチを結びつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万歳」をくり返している。……  後甲板には、ロシアの役者が大ぜい乗っていた。それが男は、たいてい、うすぎたない日本の浴衣をひっかけている。いつか本郷座へ出た連中であるが、こうして日のかんかん照りつける甲板に、だらしのない浴衣がけで、集っているのを見ると、はなはだ、ふるわない。中には、赤い頭巾をかぶった女役者や半ズボンをはいた子供も、まじっていた。――すると、その連中が、突然声をそろえて、何か歌をうたいだした。やはり浴衣がけの背の高い男が、バトンを持っているような手つきで、拍子をとっているのが見える。ジョオンズは、歌の一節がきれるたびに、うなずいて「グッド」と言った。が何がグッドなのだが、僕にはわからない。  船のほうは、その通り陽気だが、波止場のほうはなかなかそうはいかない。どっちを見ても泣いている人が、大ぜいある。君のおかあさんも、泣いていられた。妹たちも泣いていたらしい。涙は見えなくとも、泣かないばかりの顔は、そこにもここにもある。ことに、フロックコオトに山高帽子をかぶった、年よりの異人が、手をあげて、船の方を招くようなまねをしていたのは、はなはだ小説らしい心もちがした。 「君は泣かないのかい」  僕は、君の弟の肩をたたいて、きいてみた。 「泣くものか。僕は男じゃないか」  さながら、この自明の理を知らない僕をあわれむような調子である。僕はまた、微笑した。  船はだんだん、遠くなった。もう君の顔も見えない。ただ、扇をあげて、時々こっちの万歳に答えるのだけがわかる。 「おい、みんなひなたへ出ようじゃないか。日かげにいると、向こうからこっちが見えない」  久米が、皆をふり返ってこう言った。そこで、皆ひなたへ出た。僕はやはり帽子をあげて立っている。僕のとなりには、ジョオンズが、怪しげなパナマをふっている。その前には、背の高い松岡と背の低い菊池とが、袂を風に翻しながら、並んで立っている。そうして、これも帽子をふっている。時々、久米が、大きな声を出して、「成瀬」と呼ぶ。ジョオンズが、口笛をふく。君の弟が、ステッキをふりまわして「兄さん万歳」を連叫する。――それが、いよいよ、君が全く見えなくなるまで、続いた。  帰りぎわに、ふりむいて見たら、例の年よりの異人は、まだ、ぼんやり船の出て行った方をながめている。すると、僕といっしょにふりむいたジョオンズは、指をぴんと鳴らしながら、その異人の方を顋でしゃくって He is a beggar とかなんとか言った。 「へえ、乞食かね」 「乞食さ。毎日、波止場をうろついているらしい。己はここへよく来るから、知っている」  それから、彼は、日本人のフロックコオトに対する尊敬の愚なるゆえんを、長々と弁じたてた。僕のセンティメンタリズムは、ここでもまたいよいよ「燃焼」せざるべく、新に破壊されたわけである。  そのうちに、久米と松岡とが、日本の文壇の状況を、活字にして、君に報ずるそうだ。僕もまた近々に、何か書くことがあるかもしれない。 (大正五年九月)
底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店    1950(昭和25)年10月20日初版発行    1985(昭和60)年11月10日改版38版発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月12日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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        一  じゅりあの・吉助は、肥前国彼杵郡浦上村の産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙名三郎治と云うものの下男になった。が、性来愚鈍な彼は、始終朋輩の弄り物にされて、牛馬同様な賤役に服さなければならなかった。  その吉助が十八九の時、三郎治の一人娘の兼と云う女に懸想をした。兼は勿論この下男の恋慕の心などは顧みなかった。のみならず人の悪い朋輩は、早くもそれに気がつくと、いよいよ彼を嘲弄した。吉助は愚物ながら、悶々の情に堪えなかったものと見えて、ある夜私に住み慣れた三郎治の家を出奔した。  それから三年の間、吉助の消息は杳として誰も知るものがなかった。  が、その後彼は乞食のような姿になって、再び浦上村へ帰って来た。そうして元の通り三郎治に召使われる事になった。爾来彼は朋輩の軽蔑も意としないで、ただまめまめしく仕えていた。殊に娘の兼に対しては、飼犬よりもさらに忠実だった。娘はこの時すでに婿を迎えて、誰も羨むような夫婦仲であった。  こうして一二年の歳月は、何事もなく過ぎて行った。が、その間に朋輩は吉助の挙動に何となく不審な所のあるのを嗅ぎつけた。そこで彼等は好奇心に駆られて、注意深く彼を監視し始めた。すると果して吉助は、朝夕一度ずつ、額に十字を劃して、祈祷を捧げる事を発見した。彼等はすぐにその旨を三郎治に訴えた。三郎治も後難を恐れたと見えて、即座に彼を浦上村の代官所へ引渡した。  彼は捕手の役人に囲まれて、長崎の牢屋へ送られた時も、さらに悪びれる気色を示さなかった。いや、伝説によれば、愚物の吉助の顔が、その時はまるで天上の光に遍照されたかと思うほど、不思議な威厳に満ちていたと云う事であった。         二  奉行の前に引き出された吉助は、素直に切支丹宗門を奉ずるものだと白状した。それから彼と奉行との間には、こう云う問答が交換された。  奉行「その方どもの宗門神は何と申すぞ。」  吉助「べれんの国の御若君、えす・きりすと様、並に隣国の御息女、さんた・まりや様でござる。」  奉行「そのものどもはいかなる姿を致して居るぞ。」  吉助「われら夢に見奉るえす・きりすと様は、紫の大振袖を召させ給うた、美しい若衆の御姿でござる。まったさんた・まりや姫は、金糸銀糸の繍をされた、襠の御姿と拝み申す。」  奉行「そのものどもが宗門神となったは、いかなる謂れがあるぞ。」  吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」  奉行「その方はいずこの何ものより、さような教を伝授されたぞ。」  吉助「われら三年の間、諸処を経めぐった事がござる。その折さる海辺にて、見知らぬ紅毛人より伝授を受け申した。」  奉行「伝授するには、いかなる儀式を行うたぞ。」  吉助「御水を頂戴致いてから、じゅりあのと申す名を賜ってござる。」  奉行「してその紅毛人は、その後いずこへ赴いたぞ。」  吉助「されば稀有な事でござる。折から荒れ狂うた浪を踏んで、いず方へか姿を隠し申した。」  奉行「この期に及んで、空事を申したら、その分にはさし置くまいぞ。」  吉助「何で偽などを申上ぎょうず。皆紛れない真実でござる。」  奉行は吉助の申し条を不思議に思った。それは今まで調べられた、どの切支丹門徒の申し条とも、全く変ったものであった。が、奉行が何度吟味を重ねても、頑として吉助は、彼の述べた所を飜さなかった。         三  じゅりあの・吉助は、遂に天下の大法通り、磔刑に処せられる事になった。  その日彼は町中を引き廻された上、さんと・もんたにの下の刑場で、無残にも磔に懸けられた。  磔柱は周囲の竹矢来の上に、一際高く十字を描いていた。彼は天を仰ぎながら、何度も高々と祈祷を唱えて、恐れげもなく非人の槍を受けた。その祈祷の声と共に、彼の頭上の天には、一団の油雲が湧き出でて、ほどなく凄じい大雷雨が、沛然として刑場へ降り注いだ。再び天が晴れた時、磔柱の上のじゅりあの・吉助は、すでに息が絶えていた。が、竹矢来の外にいた人々は、今でも彼の祈祷の声が、空中に漂っているような心もちがした。  それは「べれんの国の若君様、今はいずこにましますか、御褒め讃え給え」と云う、簡古素朴な祈祷だった。  彼の死骸を磔柱から下した時、非人は皆それが美妙な香を放っているのに驚いた。見ると、吉助の口の中からは、一本の白い百合の花が、不思議にも水々しく咲き出ていた。  これが長崎著聞集、公教遺事、瓊浦把燭談等に散見する、じゅりあの・吉助の一生である。そうしてまた日本の殉教者中、最も私の愛している、神聖な愚人の一生である。 (大正八年八月)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:earthian 1998年12月28日公開 2004年3月8日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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俊寛云いけるは……神明外になし。唯我等が一念なり。……唯仏法を修行して、今度生死を出で給うべし。源平盛衰記 (俊寛)いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづけける。「見せばやな我を思わぬ友もがな磯のとまやの柴の庵を。」同上 一  俊寛様の話ですか? 俊寛様の話くらい、世間に間違って伝えられた事は、まずほかにはありますまい。いや、俊寛様の話ばかりではありません。このわたし、――有王自身の事さえ、飛でもない嘘が伝わっているのです。現についこの間も、ある琵琶法師が語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、狂い死をなすってしまうし、わたしはその御死骸を肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様はあの島の女と、夫婦の談らいをなすった上、子供も大勢御出来になり、都にいらしった時よりも、楽しい生涯を御送りになったとか、まことしやかに語っていました。前の琵琶法師の語った事が、跡方もない嘘だと云う事は、この有王が生きているのでも、おわかりになるかと思いますが、後の琵琶法師の語った事も、やはり好い加減の出たらめなのです。  一体琵琶法師などと云うものは、どれもこれも我は顔に、嘘ばかりついているものなのです。が、その嘘のうまい事は、わたしでも褒めずにはいられません。わたしはあの笹葺の小屋に、俊寛様が子供たちと、御戯れになる所を聞けば、思わず微笑を浮べましたし、またあの浪音の高い月夜に、狂い死をなさる所を聞けば、つい涙さえ落しました。たとい嘘とは云うものの、ああ云う琵琶法師の語った嘘は、きっと琥珀の中の虫のように、末代までも伝わるでしょう。して見ればそう云う嘘があるだけ、わたしでも今の内ありのままに、俊寛様の事を御話しないと、琵琶法師の嘘はいつのまにか、ほんとうに変ってしまうかも知れない――と、こうあなたはおっしゃるのですか? なるほどそれもごもっともです。ではちょうど夜長を幸い、わたしがはるばる鬼界が島へ、俊寛様を御尋ね申した、その時の事を御話しましょう。しかしわたしは琵琶法師のように、上手にはとても話されません。ただわたしの話の取り柄は、この有王が目のあたりに見た、飾りのない真実と云う事だけです。ではどうかしばらくの間、御退屈でも御聞き下さい。 二  わたしが鬼界が島に渡ったのは、治承三年五月の末、ある曇った午過ぎです。これは琵琶法師も語る事ですが、その日もかれこれ暮れかけた時分、わたしはやっと俊寛様に、めぐり遇う事が出来ました。しかもその場所は人気のない海べ、――ただ灰色の浪ばかりが、砂の上に寄せては倒れる、いかにも寂しい海べだったのです。  俊寛様のその時の御姿は、――そうです。世間に伝わっているのは、「童かとすれば年老いてその貌にあらず、法師かと思えばまた髪は空ざまに生い上りて白髪多し。よろずの塵や藻屑のつきたれども打ち払わず。頸細くして腹大きに脹れ、色黒うして足手細し。人にして人に非ず。」と云うのですが、これも大抵は作り事です。殊に頸が細かったの、腹が脹れていたのと云うのは、地獄変の画からでも思いついたのでしょう。つまり鬼界が島と云う所から、餓鬼の形容を使ったのです。なるほどその時の俊寛様は、髪も延びて御出でになれば、色も日に焼けていらっしゃいましたが、そのほかは昔に変らない、――いや、変らないどころではありません。昔よりも一層丈夫そうな、頼もしい御姿だったのです。それが静かな潮風に、法衣の裾を吹かせながら、浪打際を独り御出でになる、――見れば御手には何と云うのか、笹の枝に貫いた、小さい魚を下げていらっしゃいました。 「僧都の御房! よく御無事でいらっしゃいました。わたしです! 有王です!」  わたしは思わず駈け寄りながら、嬉しまぎれにこう叫びました。 「おお、有王か!」  俊寛様は驚いたように、わたしの顔を御覧になりました。が、もうわたしはその時には、御主人の膝を抱いたまま、嬉し泣きに泣いていたのです。 「よく来たな。有王! おれはもう今生では、お前にも会えぬと思っていた。」  俊寛様もしばらくの間は、涙ぐんでいらっしゃるようでしたが、やがてわたしを御抱き起しになると、 「泣くな。泣くな。せめては今日会っただけでも、仏菩薩の御慈悲と思うが好い。」と、親のように慰めて下さいました。 「はい、もう泣きは致しません。御房は、――御房の御住居は、この界隈でございますか?」 「住居か? 住居はあの山の陰じゃ。」  俊寛様は魚を下げた御手に、間近い磯山を御指しになりました。 「住居と云っても、檜肌葺きではないぞ。」 「はい、それは承知して居ります。何しろこんな離れ島でございますから、――」  わたしはそう云いかけたなり、また涙に咽びそうにしました。すると御主人は昔のように、優しい微笑を御見せになりながら、 「しかし居心は悪くない住居じゃ。寝所もお前には不自由はさせぬ。では一しょに来て見るが好い。」と、気軽に案内をして下さいました。  しばらくの後わたしたちは、浪ばかり騒がしい海べから、寂しい漁村へはいりました。薄白い路の左右には、梢から垂れた榕樹の枝に、肉の厚い葉が光っている、――その木の間に点々と、笹葺きの屋根を並べたのが、この島の土人の家なのです。が、そう云う家の中に、赤々と竈の火が見えたり、珍らしい人影が見えたりすると、とにかく村里へ来たと云う、懐しい気もちだけはして来ました。  御主人は時々振り返りながら、この家にいるのは琉球人だとか、あの檻には豕が飼ってあるとか、いろいろ教えて下さいました。しかしそれよりも嬉しかったのは、烏帽子さえかぶらない土人の男女が、俊寛様の御姿を見ると、必ず頭を下げた事です。殊に一度なぞはある家の前に、鶏を追っていた女の児さえ、御時宜をしたではありませんか? わたしは勿論嬉しいと同時に、不思議にも思ったものですから、何か訳のある事かと、そっと御主人に伺って見ました。 「成経様や康頼様が、御話しになった所では、この島の土人も鬼のように、情を知らぬ事かと存じましたが、――」 「なるほど、都にいるものには、そう思われるに相違あるまい。が、流人とは云うものの、おれたちは皆都人じゃ。辺土の民はいつの世にも、都人と見れば頭を下げる。業平の朝臣、実方の朝臣、――皆大同小異ではないか? ああ云う都人もおれのように、東や陸奥へ下った事は、思いのほか楽しい旅だったかも知れぬ。」 「しかし実方の朝臣などは、御隠れになった後でさえ、都恋しさの一念から、台盤所の雀になったと、云い伝えて居るではありませんか?」 「そう云う噂を立てたものは、お前と同じ都人じゃ。鬼界が島の土人と云えば、鬼のように思う都人じゃ。して見ればこれも当てにはならぬ。」  その時また一人御主人に、頭を下げた女がいました。これはちょうど榕樹の陰に、幼な児を抱いていたのですが、その葉に後を遮られたせいか、紅染めの単衣を着た姿が、夕明りに浮んで見えたものです。すると御主人はこの女に、優しい会釈を返されてから、 「あれが少将の北の方じゃぞ。」と、小声に教えて下さいました。  わたしはさすがに驚きました。 「北の方と申しますと、――成経様はあの女と、夫婦になっていらしったのですか?」  俊寛様は薄笑いと一しょに、ちょいと頷いて御見せになりました。 「抱いていた児も少将の胤じゃよ。」 「なるほど、そう伺って見れば、こう云う辺土にも似合わない、美しい顔をして居りました。」 「何、美しい顔をしていた? 美しい顔とはどう云う顔じゃ?」 「まあ、眼の細い、頬のふくらんだ、鼻の余り高くない、おっとりした顔かと思いますが、――」 「それもやはり都の好みじゃ。この島ではまず眼の大きい、頬のどこかほっそりした、鼻も人よりは心もち高い、きりりした顔が尊まれる。そのために今の女なぞも、ここでは誰も美しいとは云わぬ。」  わたしは思わず笑い出しました。 「やはり土人の悲しさには、美しいと云う事を知らないのですね。そうするとこの島の土人たちは、都の上臈を見せてやっても、皆醜いと笑いますかしら?」 「いや、美しいと云う事は、この島の土人も知らぬではない。ただ好みが違っているのじゃ。しかし好みと云うものも、万代不変とは請合われぬ。その証拠には御寺御寺の、御仏の御姿を拝むが好い。三界六道の教主、十方最勝、光明無量、三学無碍、億億衆生引導の能化、南無大慈大悲釈迦牟尼如来も、三十二相八十種好の御姿は、時代ごとにいろいろ御変りになった。御仏でももしそうとすれば、如何かこれ美人と云う事も、時代ごとにやはり違う筈じゃ。都でもこの後五百年か、あるいはまた一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮北狄の女のように、凄まじい顔がはやるかも知れぬ。」 「まさかそんな事もありますまい。我国ぶりはいつの世にも、我国ぶりでいる筈ですから。」 「所がその我国ぶりも、時と場合では当てにならぬ。たとえば当世の上臈の顔は、唐朝の御仏に活写しじゃ。これは都人の顔の好みが、唐土になずんでいる証拠ではないか? すると人皇何代かの後には、碧眼の胡人の女の顔にも、うつつをぬかす時がないとは云われぬ。」  わたしは自然とほほ笑みました。御主人は以前もこう云う風に、わたしたちへ御教訓なすったのです。「変らぬのは御姿ばかりではない。御心もやはり昔のままだ。」――そう思うと何だかわたしの耳には、遠い都の鐘の声も、通って来るような気がしました。が、御主人は榕樹の陰に、ゆっくり御み足を運びながら、こんな事もまたおっしゃるのです。 「有王。おれはこの島に渡って以来、何が嬉しかったか知っているか? それはあのやかましい女房のやつに、毎日小言を云われずとも、暮されるようになった事じゃよ。」 三  その夜わたしは結い燈台の光に、御主人の御飯を頂きました。本来ならばそんな事は、恐れ多い次第なのですが、御主人の仰せもありましたし、御給仕にはこの頃御召使いの、兎唇の童も居りましたから、御招伴に預った訳なのです。  御部屋は竹縁をめぐらせた、僧庵とも云いたい拵えです。縁先に垂れた簾の外には、前栽の竹むらがあるのですが、椿の油を燃やした光も、さすがにそこまでは届きません。御部屋の中には皮籠ばかりか、廚子もあれば机もある、――皮籠は都を御立ちの時から、御持ちになっていたのですが、廚子や机はこの島の土人が、不束ながらも御拵え申した、琉球赤木とかの細工だそうです。その廚子の上には経文と一しょに、阿弥陀如来の尊像が一体、端然と金色に輝いていました。これは確か康頼様の、都返りの御形見だとか、伺ったように思っています。  俊寛様は円座の上に、楽々と御坐りなすったまま、いろいろ御馳走を下さいました。勿論この島の事ですから、酢や醤油は都ほど、味が好いとは思われません。が、その御馳走の珍しい事は、汁、鱠、煮つけ、果物、――名さえ確かに知っているのは、ほとんど一つもなかったくらいです。御主人はわたしが呆れたように、箸もつけないのを御覧になると、上機嫌に御笑いなさりながら、こう御勧め下さいました。 「どうじゃ、その汁の味は? それはこの島の名産の、臭梧桐と云う物じゃぞ。こちらの魚も食うて見るが好い。これも名産の永良部鰻じゃ。あの皿にある白地鳥、――そうそう、あの焼き肉じゃ。――それも都などでは見た事もあるまい。白地鳥と云う物は、背の青い、腹の白い、形は鸛にそっくりの鳥じゃ。この島の土人はあの肉を食うと、湿気を払うとか称えている。その芋も存外味は好いぞ。名前か? 名前は琉球芋じゃ。梶王などは飯の代りに、毎日その芋を食うている。」  梶王と云うのはさっき申した、兎唇の童の名前なのです。 「どれでも勝手に箸をつけてくれい。粥ばかり啜っていさえすれば、得脱するように考えるのは、沙門にあり勝ちの不量見じゃ。世尊さえ成道される時には、牧牛の女難陀婆羅の、乳糜の供養を受けられたではないか? もしあの時空腹のまま、畢波羅樹下に坐っていられたら、第六天の魔王波旬は、三人の魔女なぞを遣すよりも、六牙象王の味噌漬けだの、天竜八部の粕漬けだの、天竺の珍味を降らせたかも知らぬ。もっとも食足れば淫を思うのは、我々凡夫の慣いじゃから、乳糜を食われた世尊の前へ、三人の魔女を送ったのは、波旬も天っ晴見上げた才子じゃ。が、魔王の浅間しさには、その乳糜を献じたものが、女人じゃと云う事を忘れて居った。牧牛の女難陀婆羅、世尊に乳糜を献じ奉る、――世尊が無上の道へ入られるには、雪山六年の苦行よりも、これが遥かに大事だったのじゃ。『取彼乳糜如意飽食、悉皆浄尽。』――仏本行経七巻の中にも、あれほど難有い所は沢山あるまい。――『爾時菩薩食糜已訖従座而起。安庠漸々向菩提樹。』どうじゃ。『安庠漸々向菩提樹。』女人を見、乳糜に飽かれた、端厳微妙の世尊の御姿が、目のあたりに拝まれるようではないか?」  俊寛様は楽しそうに、晩の御飯をおしまいになると、今度は涼しい竹縁の近くへ、円座を御移しになりながら、 「では空腹が直ったら、都の便りでも聞かせて貰おう。」とわたしの話を御促しになりました。  わたしは思わず眼を伏せました。兼ねて覚悟はしていたものの、いざ申し上げるとなって見ると、今更のように心が怯れたのです。しかし御主人は無頓着に、芭蕉の葉の扇を御手にしたまま、もう一度御催促なさいました。 「どうじゃ、女房は相不変小言ばかり云っているか?」  わたしはやむを得ず俯向いたなり、御留守の間に出来した、いろいろの大変を御話しました。御主人が御捕われなすった後、御近習は皆逃げ去った事、京極の御屋形や鹿ヶ谷の御山荘も、平家の侍に奪われた事、北の方は去年の冬、御隠れになってしまった事、若君も重い疱瘡のために、その跡を御追いなすった事、今ではあなたの御家族の中でも、たった一人姫君だけが、奈良の伯母御前の御住居に、人目を忍んでいらっしゃる事、――そう云う御話をしている内に、わたしの眼にはいつのまにか、燈台の火影が曇って来ました。軒先の簾、廚子の上の御仏、――それももうどうしたかわかりません。わたしはとうとう御話半ばに、その場へ泣き沈んでしまいました。御主人は始終黙然と、御耳を傾けていらしったようです。が、姫君の事を御聞きになると、突然さも御心配そうに、法衣の膝を御寄せになりました。 「姫はどうじゃ? 伯母御前にはようなついているか?」 「はい。御睦しいように存じました。」  わたしは泣く泣く俊寛様へ、姫君の御消息をさし上げました。それはこの島へ渡るものには、門司や赤間が関を船出する時、やかましい詮議があるそうですから、髻に隠して来た御文なのです。御主人は早速燈台の光に、御消息をおひろげなさりながら、ところどころ小声に御読みになりました。 「……世の中かきくらして晴るる心地なく侍り。……さても三人一つ島に流されけるに、……などや御身一人残り止まり給うらんと、……都には草のゆかりも枯れはてて、……当時は奈良の伯母御前の御許に侍り。……おろそかなるべき事にはあらねど、かすかなる住居推し量り給え。……さてもこの三とせまで、いかに御心強く、有とも無とも承わらざるらん。……とくとく御上り候え。恋しとも恋し。ゆかしともゆかし。……あなかしこ、あなかしこ。……」  俊寛様は御文を御置きになると、じっと腕組みをなすったまま、大きい息をおつきになりました。 「姫はもう十二になった筈じゃな。――おれも都には未練はないが、姫にだけは一目会いたい。」  わたしは御心中を思いやりながら、ただ涙ばかり拭っていました。 「しかし会えぬものならば、――泣くな。有王。いや、泣きたければ泣いても好い。しかしこの娑婆世界には、一々泣いては泣き尽せぬほど、悲しい事が沢山あるぞ。」  御主人は後の黒木の柱に、ゆっくり背中を御寄せになってから、寂しそうに御微笑なさいました。 「女房も死ぬ。若も死ぬ。姫には一生会えぬかも知れぬ。屋形や山荘もおれの物ではない。おれは独り離れ島に老の来るのを待っている。――これがおれの今のさまじゃ。が、この苦艱を受けているのは、何もおれ一人に限った事ではない。おれ一人衆苦の大海に、没在していると考えるのは、仏弟子にも似合わぬ増長慢じゃ。『増長驕慢、尚非世俗白衣所宜。』艱難の多いのに誇る心も、やはり邪業には違いあるまい。その心さえ除いてしまえば、この粟散辺土の中にも、おれほどの苦を受けているものは、恒河沙の数より多いかも知れぬ。いや、人界に生れ出たものは、たといこの島に流されずとも、皆おれと同じように、孤独の歎を洩らしているのじゃ。村上の御門第七の王子、二品中務親王、六代の後胤、仁和寺の法印寛雅が子、京極の源大納言雅俊卿の孫に生れたのは、こう云う俊寛一人じゃが、天が下には千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛、百億の俊寛が流されているぞ。――」  俊寛様はこうおっしゃると、たちまちまた御眼のどこかに、陽気な御気色が閃きました。 「一条二条の大路の辻に、盲人が一人さまようているのは、世にも憐れに見えるかも知れぬ。が、広い洛中洛外、無量無数の盲人どもに、充ち満ちた所を眺めたら、――有王。お前はどうすると思う? おれならばまっ先にふき出してしまうぞ。おれの島流しも同じ事じゃ。十方に遍満した俊寛どもが、皆ただ一人流されたように、泣きつ喚きつしていると思えば、涙の中にも笑わずにはいられぬ。有王。三界一心と知った上は、何よりもまず笑う事を学べ。笑う事を学ぶためには、まず増長慢を捨てねばならぬ。世尊の御出世は我々衆生に、笑う事を教えに来られたのじゃ。大般涅槃の御時にさえ、摩訶伽葉は笑ったではないか?」  その時はわたしもいつのまにか、頬の上に涙が乾いていました。すると御主人は簾越しに、遠い星空を御覧になりながら、 「お前が都へ帰ったら、姫にも歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってくれい。」と、何事もないようにおっしゃるのです。 「わたしは都へは帰りません。」  もう一度わたしの眼の中には、新たに涙が浮んで来ました。今度はそう云う御言葉を、御恨みに思った涙なのです。 「わたしは都にいた時の通り、御側勤めをするつもりです。年とった一人の母さえ捨て、兄弟にも仔細は話さずに、はるばるこの島へ渡って来たのは、そのためばかりではありませんか? わたしはそうおっしゃられるほど、命が惜いように見えるでしょうか? わたしはそれほど恩義を知らぬ、人非人のように見えるでしょうか? わたしはそれほど、――」 「それほど愚かとは思わなかった。」  御主人はまた前のように、にこにこ御笑いになりました。 「お前がこの島に止まっていれば、姫の安否を知らせるのは、誰がほかに勤めるのじゃ? おれは一人でも不自由はせぬ。まして梶王と云う童がいる。――と云ってもまさか妬みなぞはすまいな? あれは便りのないみなし児じゃ。幼い島流しの俊寛じゃ。お前は便船のあり次第、早速都へ帰るが好い。その代り今夜は姫への土産に、おれの島住いがどんなだったか、それをお前に話して聞かそう。またお前は泣いているな? よしよし、ではやはり泣きながら、おれの話を聞いてくれい。おれは独り笑いながら、勝手に話を続けるだけじゃ。」  俊寛様は悠々と、芭蕉扇を御使いなさりながら、島住居の御話をなさり始めました。軒先に垂れた簾の上には、ともし火の光を尋ねて来たのでしょう、かすかに虫の這う音が聞えています。わたしは頭を垂れたまま、じっと御話に伺い入りました。 四 「おれがこの島へ流されたのは、治承元年七月の始じゃ。おれは一度も成親の卿と、天下なぞを計った覚えはない。それが西八条へ籠められた後、いきなり、この島へ流されたのじゃから、始はおれも忌々しさの余り、飯を食う気さえ起らなかった。」 「しかし都の噂では、――」  わたしは御言葉を遮りました。 「僧都の御房も宗人の一人に、おなりになったとか云う事ですが、――」 「それはそう思うに違いない。成親の卿さえ宗人の一人に、おれを数えていたそうじゃから、――しかしおれは宗人ではない。浄海入道の天下が好いか、成親の卿の天下が好いか、それさえおれにはわからぬほどじゃ。事によると成親の卿は、浄海入道よりひがんでいるだけ、天下の政治には不向きかも知れぬ。おれはただ平家の天下は、ないに若かぬと云っただけじゃ。源平藤橘、どの天下も結局あるのはないに若かぬ。この島の土人を見るが好い。平家の代でも源氏の代でも、同じように芋を食うては、同じように子を生んでいる。天下の役人は役人がいぬと、天下も亡ぶように思っているが、それは役人のうぬ惚れだけじゃ。」 「が僧都の御房の天下になれば、何御不足にもありますまい。」  俊寛様の御眼の中には、わたしの微笑が映ったように、やはり御微笑が浮びました。 「成親の卿の天下同様、平家の天下より悪いかも知れぬ。何故と云えば俊寛は、浄海入道より物わかりが好い。物わかりが好ければ政治なぞには、夢中になれぬ筈ではないか? 理非曲直も弁えずに、途方もない夢ばかり見続けている、――そこが高平太の強い所じゃ。小松の内府なぞは利巧なだけに、天下を料理するとなれば、浄海入道より数段下じゃ。内府も始終病身じゃと云うが、平家一門のためを計れば、一日も早く死んだが好い。その上またおれにしても、食色の二性を離れぬ事は、浄海入道と似たようなものじゃ。そう云う凡夫の取った天下は、やはり衆生のためにはならぬ。所詮人界が浄土になるには、御仏の御天下を待つほかはあるまい。――おれはそう思っていたから、天下を計る心なぞは、微塵も貯えてはいなかった。」 「しかしあの頃は毎夜のように、中御門高倉の大納言様へ、御通いなすったではありませんか?」  わたしは御不用意を責めるように、俊寛様の御顔を眺めました、ほんとうに当時の御主人は、北の方の御心配も御存知ないのか、夜は京極の御屋形にも、滅多に御休みではなかったのです。しかし御主人は不相変、澄ました御顔をなすったまま、芭蕉扇を使っていらっしゃいました。 「そこが凡夫の浅ましさじゃ。ちょうどあの頃あの屋形には、鶴の前と云う上童があった。これがいかなる天魔の化身か、おれを捉えて離さぬのじゃ。おれの一生の不仕合わせは、皆あの女がいたばかりに、降って湧いたと云うても好い。女房に横面を打たれたのも、鹿ヶ谷の山荘を仮したのも、しまいにこの島へ流されたのも、――しかし有王、喜んでくれい。おれは鶴の前に夢中になっても、謀叛の宗人にはならなかった。女人に愛楽を生じたためしは、古今の聖者にも稀ではない。大幻術の摩登伽女には、阿難尊者さえ迷わせられた。竜樹菩薩も在俗の時には、王宮の美人を偸むために、隠形の術を修せられたそうじゃ。しかし謀叛人になった聖者は、天竺震旦本朝を問わず、ただの一人もあった事は聞かぬ。これは聞かぬのも不思議はない。女人に愛楽を生ずるのは、五根の欲を放つだけの事じゃ。が、謀叛を企てるには、貪嗔癡の三毒を具えねばならぬ。聖者は五欲を放たれても、三毒の害は受けられぬのじゃ。して見ればおれの知慧の光も、五欲のために曇ったと云え、消えはしなかったと云わねばなるまい。――が、それはともかくも、おれはこの島へ渡った当座、毎日忌々しい思いをしていた。」 「それはさぞかし御難儀だったでしょう。御食事は勿論、御召し物さえ、御不自由勝ちに違いありませんから。」 「いや、衣食は春秋二度ずつ、肥前の国鹿瀬の荘から、少将のもとへ送って来た。鹿瀬の荘は少将の舅、平の教盛の所領の地じゃ。その上おれは一年ほどたつと、この島の風土にも慣れてしまった。が、忌々しさを忘れるには、一しょに流された相手が悪い。丹波の少将成経などは、ふさいでいなければ居睡りをしていた。」 「成経様は御年若でもあり、父君の御不運を御思いになっては、御歎きなさるのもごもっともです。」 「何、少将はおれと同様、天下はどうなってもかまわぬ男じゃ。あの男は琵琶でも掻き鳴らしたり、桜の花でも眺めたり、上臈に恋歌でもつけていれば、それが極楽じゃと思うている。じゃからおれに会いさえすれば、謀叛人の父ばかり怨んでいた。」 「しかし康頼様は僧都の御房と、御親しいように伺いましたが。」 「ところがこれが難物なのじゃ。康頼は何でも願さえかければ、天神地神諸仏菩薩、ことごとくあの男の云うなり次第に、利益を垂れると思うている。つまり康頼の考えでは、神仏も商人と同じなのじゃ。ただ神仏は商人のように、金銭では冥護を御売りにならぬ。じゃから祭文を読む。香火を供える。この後の山なぞには、姿の好い松が沢山あったが、皆康頼に伐られてしもうた。伐って何にするかと思えば、千本の卒塔婆を拵えた上、一々それに歌を書いては、海の中へ抛りこむのじゃ。おれはまだ康頼くらい、現金な男は見た事がない。」 「それでも莫迦にはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野にも一本、厳島にも一本、流れ寄ったとか申していました。」 「千本の中には一本や二本、日本の土地へも着きそうなものじゃ。ほんとうに冥護を信ずるならば、たった一本流すが好い。その上康頼は難有そうに、千本の卒塔婆を流す時でも、始終風向きを考えていたぞ。いつかおれはあの男が、海へ卒塔婆を流す時に、帰命頂礼熊野三所の権現、分けては日吉山王、王子の眷属、総じては上は梵天帝釈、下は堅牢地神、殊には内海外海竜神八部、応護の眦を垂れさせ給えと唱えたから、その跡へ並びに西風大明神、黒潮権現も守らせ給え、謹上再拝とつけてやった。」 「悪い御冗談をなさいます。」  わたしもさすがに笑い出しました。 「すると康頼は怒ったぞ。ああ云う大嗔恚を起すようでは、現世利益はともかくも、後生往生は覚束ないものじゃ。――が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野とか王子とか、由緒のある神を拝むのではない。この島の火山には鎮護のためか、岩殿と云う祠がある。その岩殿へ詣でるのじゃ。――火山と云えば思い出したが、お前はまだ火山を見た事はあるまい?」 「はい、たださっき榕樹の梢に、薄赤い煙のたなびいた、禿げ山の姿を眺めただけです。」 「では明日でもおれと一しょに、頂へ登って見るが好い。頂へ行けばこの島ばかりか、大海の景色は手にとるようじゃ。岩殿の祠も途中にある、――その岩殿へ詣でるのに、康頼はおれにも行けと云うたが、おれは容易には行こうとは云わぬ。」 「都では僧都の御房一人、そう云う神詣でもなさらないために、御残されになったと申して居ります。」 「いや、それはそうかも知れぬ。」  俊寛様は真面目そうに、ちょいと御首を御振りになりました。 「もし岩殿に霊があれば、俊寛一人を残したまま、二人の都返りを取り持つくらいは、何とも思わぬ禍津神じゃ。お前はさっきおれが教えた、少将の女房を覚えているか? あの女もやはり岩殿へ、少将がこの島を去らぬように、毎日毎夜詣でたものじゃ。所がその願は少しも通らぬ。すると岩殿と云う神は、天魔にも増した横道者じゃ。天魔には世尊御出世の時から、諸悪を行うと云う戒行がある。もし岩殿の神の代りに、天魔があの祠にいるとすれば、少将は都へ帰る途中、船から落ちるか、熱病になるか、とにかくに死んだのに相違ない。これが少将もあの女も、同時に破滅させる唯一の途じゃ。が、岩殿は人間のように、諸善ばかりも行わねば、諸悪ばかりも行わぬらしい。もっともこれは岩殿には限らぬ。奥州名取郡笠島の道祖は、都の加茂河原の西、一条の北の辺に住ませられる、出雲路の道祖の御娘じゃ。が、この神は父の神が、まだ聟の神も探されぬ内に、若い都の商人と妹背の契を結んだ上、さっさと奥へ落ちて来られた。こうなっては凡夫も同じではないか? あの実方の中将は、この神の前を通られる時、下馬も拝もされなかったばかりに、とうとう蹴殺されておしまいなすった。こう云う人間に近い神は、五塵を離れていぬのじゃから、何を仕出かすか油断はならぬ。このためしでもわかる通り、一体神と云うものは、人間離れをせぬ限り、崇めろと云えた義理ではない。――が、そんな事は話の枝葉じゃ。康頼と少将とは一心に、岩殿詣でを続け出した。それも岩殿を熊野になぞらえ、あの浦は和歌浦、この坂は蕪坂なぞと、一々名をつけてやるのじゃから、まず童たちが鹿狩と云っては、小犬を追いまわすのも同じ事じゃ。ただ音無の滝だけは本物よりもずっと大きかった。」 「それでも都の噂では、奇瑞があったとか申していますが。」 「その奇瑞の一つはこうじゃ。結願の当日岩殿の前に、二人が法施を手向けていると、山風が木々を煽った拍子に、椿の葉が二枚こぼれて来た。その椿の葉には二枚とも、虫の食った跡が残っている。それが一つには帰雁とあり、一つには二とあったそうじゃ。合せて読めば帰雁二となる、――こんな事が嬉しいのか、康頼は翌日得々と、おれにもその葉を見せなぞした。成程二とは読めぬでもない。が、帰雁はいかにも無理じゃ。おれは余り可笑しかったから、次の日山へ行った帰りに、椿の葉を何枚も拾って来てやった。その葉の虫食いを続けて読めば、帰雁二どころの騒ぎではない。『明日帰洛』と云うのもある。『清盛横死』と云うのもある。『康頼往生』と云うのもある。おれはさぞかし康頼も、喜ぶじゃろうと思うたが、――」 「それは御立腹なすったでしょう。」 「康頼は怒るのに妙を得ている。舞も洛中に並びないが、腹を立てるのは一段と巧者じゃ。あの男は謀叛なぞに加わったのも、嗔恚に牽かれたのに相違ない。その嗔恚の源はと云えば、やはり増長慢のなせる業じゃ。平家は高平太以下皆悪人、こちらは大納言以下皆善人、――康頼はこう思うている。そのうぬ惚れがためにならぬ。またさっきも云うた通り、我々凡夫は誰も彼も、皆高平太と同様なのじゃ。が、康頼の腹を立てるのが好いか、少将のため息をするのが好いか、どちらが好いかはおれにもわからぬ。」 「成経様御一人だけは、御妻子もあったそうですから、御紛れになる事もありましたろうに。」 「ところが始終蒼い顔をしては、つまらぬ愚痴ばかりこぼしていた。たとえば谷間の椿を見ると、この島には桜も咲かないと云う。火山の頂の煙を見ると、この島には青い山もないと云う。何でもそこにある物は云わずに、ない物だけ並べ立てているのじゃ。一度なぞはおれと一しょに、磯山へ槖吾を摘みに行ったら、ああ、わたしはどうすれば好いのか、ここには加茂川の流れもないと云うた。おれがあの時吹き出さなかったのは、我立つ杣の地主権現、日吉の御冥護に違いない。が、おれは莫迦莫迦しかったから、ここには福原の獄もない、平相国入道浄海もいない、難有い難有いとこう云うた。」 「そんな事をおっしゃっては、いくら少将でも御腹立ちになりましたろう。」 「いや、怒られれば本望じゃ。が、少将はおれの顔を見ると、悲しそうに首を振りながら、あなたには何もおわかりにならない、あなたは仕合せな方ですと云うた。ああ云う返答は、怒られるよりも難儀じゃ。おれは、――実はおれもその時だけは、妙に気が沈んでしもうた。もし少将の云うように、何もわからぬおれじゃったら、気も沈まずにすんだかも知れぬ。しかしおれにはわかっているのじゃ。おれも一時は少将のように、眼の中の涙を誇ったことがある。その涙に透かして見れば、あの死んだ女房も、どのくらい美しい女に見えたか、――おれはそんな事を考えると、急に少将が気の毒になった。が、気の毒になって見ても、可笑しいものは可笑しいではないか? そこでおれは笑いながら、言葉だけは真面目に慰めようとした。おれが少将に怒られたのは、跡にも先にもあの時だけじゃ。少将はおれが慰めてやると、急に恐しい顔をしながら、嘘をおつきなさい。わたしはあなたに慰められるよりも、笑われる方が本望ですと云うた。その途端に、――妙ではないか? とうとうおれは吹き出してしもうた。」 「少将はどうなさいました?」 「四五日の間はおれに遇うても、挨拶さえ碌にしなかった。が、その後また遇うたら、悲しそうに首を振っては、ああ、都へ返りたい、ここには牛車も通らないと云うた。あの男こそおれより仕合せものじゃ。――が、少将や康頼でも、やはり居らぬよりは、いた方が好い。二人に都へ帰られた当座、おれはまた二年ぶりに、毎日寂しゅうてならなかった。」 「都の噂では御寂しいどころか、御歎き死にもなさり兼ねない、御容子だったとか申していました。」  わたしは出来るだけ細々と、その御噂を御話しました。琵琶法師の語る言葉を借りれば、 「天に仰ぎ地に俯し、悲しみ給えどかいぞなき。……猶も船の纜に取りつき、腰になり脇になり、丈の及ぶほどは、引かれておわしけるが、丈も及ばぬほどにもなりしかば、また空しき渚に泳ぎ返り、……是具して行けや、我乗せて行けやとて、おめき叫び給えども、漕ぎ行く船のならいにて、跡は白浪ばかりなり。」と云う、御狂乱の一段を御話したのです。俊寛様は御珍しそうに、その話を聞いていらっしゃいましたが、まだ船の見える間は、手招ぎをなすっていらしったと云う、今では名高い御話をすると、 「それは満更嘘ではない。何度もおれは手招ぎをした。」と、素直に御頷きなさいました。 「では都の噂通り、あの松浦の佐用姫のように、御別れを御惜しみなすったのですか?」 「二年の間同じ島に、話し合うた友だちと別れるのじゃ。別れを惜しむのは当然ではないか? しかし何度も手招ぎをしたのは、別れを惜しんだばかりではない。――一体あの時おれの所へ、船のはいったのを知らせたのは、この島にいる琉球人じゃ。それが浜べから飛んで来ると、息も切れ切れに船々と云う。船はまずわかったものの、何の船がはいって来たのか、そのほかの言葉はさっぱりわからぬ。あれはあの男もうろたえた余り、日本語と琉球語とを交る交る、饒舌っていたのに違いあるまい。おれはともかくも船と云うから、早速浜べへ出かけて見た。すると浜べにはいつのまにか、土人が大勢集っている。その上に高い帆柱のあるのが、云うまでもない迎いの船じゃ。おれもその船を見た時には、さすがに心が躍るような気がした。少将や康頼はおれより先に、もう船の側へ駈けつけていたが、この喜びようも一通りではない。現にあの琉球人なぞは、二人とも毒蛇に噛まれた揚句、気が狂ったのかと思うたくらいじゃ。その内に六波羅から使に立った、丹左衛門尉基安は、少将に赦免の教書を渡した。が、少将の読むのを聞けば、おれの名前がはいっていない。おれだけは赦免にならぬのじゃ。――そう思ったおれの心の中には、わずか一弾指の間じゃが、いろいろの事が浮んで来た。姫や若の顔、女房の罵る声、京極の屋形の庭の景色、天竺の早利即利兄弟、震旦の一行阿闍梨、本朝の実方の朝臣、――とても一々数えてはいられぬ。ただ今でも可笑しいのは、その中にふと車を引いた、赤牛の尻が見えた事じゃ。しかしおれは一心に、騒がぬ容子をつくっていた。勿論少将や康頼は、気の毒そうにおれを慰めたり、俊寛も一しょに乗せてくれいと、使にも頼んだりしていたようじゃ。が、赦免の下らぬものは、何をどうしても、船へは乗れぬ。おれは不動心を振い起しながら、何故おれ一人赦免に洩れたか、その訳をいろいろ考えて見た。高平太はおれを憎んでいる。――それも確かには違いない。しかし高平太は憎むばかりか、内心おれを恐れている。おれは前の法勝寺の執行じゃ。兵仗の道は知る筈がない。が、天下は思いのほか、おれの議論に応ずるかも知れぬ。――高平太はそこを恐れているのじゃ。おれはこう考えたら、苦笑せずにはいられなかった。山門や源氏の侍どもに、都合の好い議論を拵えるのは、西光法師などの嵌り役じゃ。おれは眇たる一平家に、心を労するほど老耄れはせぬ。さっきもお前に云うた通り、天下は誰でも取っているが好い。おれは一巻の経文のほかに、鶴の前でもいれば安堵している。しかし浄海入道になると、浅学短才の悲しさに、俊寛も無気味に思うているのじゃ。して見れば首でも刎ねられる代りに、この島に一人残されるのは、まだ仕合せの内かも知れぬ。――そんな事を思うている間に、いよいよ船出と云う時になった。すると少将の妻になった女が、あの赤児を抱いたまま、どうかその船に乗せてくれいと云う。おれは気の毒に思うたから、女は咎めるにも及ぶまいと、使の基安に頼んでやった。が、基安は取り合いもせぬ。あの男は勿論役目のほかは、何一つ知らぬ木偶の坊じゃ。おれもあの男は咎めずとも好い。ただ罪の深いのは少将じゃ。――」  俊寛様は御腹立たしそうに、ばたばた芭蕉扇を御使いなさいました。 「あの女は気違いのように、何でも船へ乗ろうとする。舟子たちはそれを乗せまいとする。とうとうしまいにあの女は、少将の直垂の裾を掴んだ。すると少将は蒼い顔をしたまま、邪慳にその手を刎ねのけたではないか? 女は浜べに倒れたが、それぎり二度と乗ろうともせぬ。ただおいおい泣くばかりじゃ。おれはあの一瞬間、康頼にも負けぬ大嗔恚を起した。少将は人畜生じゃ。康頼もそれを見ているのは、仏弟子の所業とも思われぬ。おまけにあの女を乗せる事は、おれのほかに誰も頼まなかった。――おれはそう思うたら、今でも不思議な気がするくらい、ありとあらゆる罵詈讒謗が、口を衝いて溢れて来た。もっともおれの使ったのは、京童の云う悪口ではない。八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだを踏みながら、返せ返せと手招ぎをした。」  御主人の御腹立ちにも関らず、わたしは御話を伺っている内に、自然とほほ笑んでしまいました。すると御主人も御笑いになりながら、 「その手招ぎが伝わっているのじゃ。嗔恚の祟りはそこにもある。あの時おれが怒りさえせねば、俊寛は都へ帰りたさに、狂いまわったなぞと云う事も、口の端へ上らずにすんだかも知れぬ。」と、仕方がなさそうにおっしゃるのです。 「しかしその後は格別に、御歎きなさる事はなかったのですか?」 「歎いても仕方はないではないか? その上時のたつ内には、寂しさも次第に消えて行った。おれは今では己身の中に、本仏を見るより望みはない。自土即浄土と観じさえすれば、大歓喜の笑い声も、火山から炎の迸るように、自然と湧いて来なければならぬ。おれはどこまでも自力の信者じゃ。――おお、まだ一つ忘れていた。あの女は泣き伏したぎり、いつまでたっても動こうとせぬ。その内に土人も散じてしまう。船は青空に紛れるばかりじゃ。おれは余りのいじらしさに、慰めてやりたいと思うたから、そっと後手に抱き起そうとした。するとあの女はどうしたと思う? いきなりおれをはり倒したのじゃ。おれは目が眩らみながら、仰向けにそこへ倒れてしもうた。おれの肉身に宿らせ給う、諸仏諸菩薩諸明王も、あれには驚かれたに相違ない。しかしやっと起き上って見ると、あの女はもう村の方へ、すごすご歩いて行く所じゃった。何、おれをはり倒した訳か? それはあの女に聞いたが好い。が、事によると人気はなし、凌ぜられるとでも思ったかも知れぬ。」 五  わたしは御主人とその翌日、この島の火山へ登りました。それから一月ほど御側にいた後、御名残り惜しい思いをしながら、もう一度都へ帰って来ました。「見せばやなわれを思わむ友もがな磯のとまやの柴の庵を」――これが御形見に頂いた歌です。俊寛様はやはり今でも、あの離れ島の笹葺きの家に、相不変御一人悠々と、御暮らしになっている事でしょう。事によると今夜あたりは、琉球芋を召し上りながら、御仏の事や天下の事を御考えになっているかも知れません。そう云う御話はこのほかにも、まだいろいろ伺ってあるのですが、それはまたいつか申し上げましょう。 (大正十年十二月)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年1月27日第1刷発行    1993(平成5)年12月25日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 初出:「中央公論」    1922(大正11)年1月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月19日公開 2012年3月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 白襷隊  明治三十七年十一月二十六日の未明だった。第×師団第×聯隊の白襷隊は、松樹山の補備砲台を奪取するために、九十三高地の北麓を出発した。  路は山陰に沿うていたから、隊形も今日は特別に、四列側面の行進だった。その草もない薄闇の路に、銃身を並べた一隊の兵が、白襷ばかり仄かせながら、静かに靴を鳴らして行くのは、悲壮な光景に違いなかった。現に指揮官のM大尉なぞは、この隊の先頭に立った時から、別人のように口数の少い、沈んだ顔色をしているのだった。が、兵は皆思いのほか、平生の元気を失わなかった。それは一つには日本魂の力、二つには酒の力だった。  しばらく行進を続けた後、隊は石の多い山陰から、風当りの強い河原へ出た。 「おい、後を見ろ。」  紙屋だったと云う田口一等卒は、同じ中隊から選抜された、これは大工だったと云う、堀尾一等卒に話しかけた。 「みんなこっちへ敬礼しているぜ。」  堀尾一等卒は振り返った。なるほどそう云われて見ると、黒々と盛り上った高地の上には、聯隊長始め何人かの将校たちが、やや赤らんだ空を後に、この死地に向う一隊の士卒へ、最後の敬礼を送っていた。 「どうだい? 大したものじゃないか? 白襷隊になるのも名誉だな。」 「何が名誉だ?」  堀尾一等卒は苦々しそうに、肩の上の銃を揺り上げた。 「こちとらはみんな死に行くのだぜ。して見ればあれは××××××××××××××そうって云うのだ。こんな安上りな事はなかろうじゃねえか?」 「それはいけない。そんな事を云っては×××すまない。」 「べらぼうめ! すむもすまねえもあるものか! 酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」  田口一等卒は口を噤んだ。それは酒気さえ帯びていれば、皮肉な事ばかり並べたがる、相手の癖に慣れているからだった。しかし堀尾一等卒は、執拗にまだ話し続けた。 「それは敬礼で買うとは云わねえ。やれ×××××とか、やれ×××××だとか、いろんな勿体をつけやがるだろう。だがそんな事は嘘っ八だ。なあ、兄弟。そうじゃねえか?」  堀尾一等卒にこう云われたのは、これも同じ中隊にいた、小学校の教師だったと云う、おとなしい江木上等兵だった。が、そのおとなしい上等兵が、この時だけはどう云う訣か、急に噛みつきそうな権幕を見せた。そうして酒臭い相手の顔へ、悪辣な返答を抛りつけた。 「莫迦野郎! おれたちは死ぬのが役目じゃないか?」  その時もう白襷隊は、河原の向うへ上っていた。そこには泥を塗り固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりと暁を迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色に襞をなぞった、寒い茶褐色の松樹山が、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武装したまま、幾条かの交通路に腹這いながら、じりじり敵前へ向う事になった。  勿論江木上等兵も、その中に四つ這いを続けて行った。「酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」――そう云う堀尾一等卒の言葉は、同時にまた彼の腹の底だった。しかし口数の少い彼は、じっとその考えを持ちこたえていた。それだけに、一層戦友の言葉は、ちょうど傷痕にでも触れられたような、腹立たしい悲しみを与えたのだった。彼は凍えついた交通路を、獣のように這い続けながら、戦争と云う事を考えたり、死と云う事を考えたりした。が、そう云う考えからは、寸毫の光明も得られなかった。死は×××××にしても、所詮は呪うべき怪物だった。戦争は、――彼はほとんど戦争は、罪悪と云う気さえしなかった。罪悪は戦争に比べると、個人の情熱に根ざしているだけ、×××××××出来る点があった。しかし×××××××××××××ほかならなかった。しかも彼は、――いや、彼ばかりでもない。各師団から選抜された、二千人余りの白襷隊は、その大なる×××にも、厭でも死ななければならないのだった。…… 「来た。来た。お前はどこの聯隊だ?」  江木上等兵はあたりを見た。隊はいつか松樹山の麓の、集合地へ着いているのだった。そこにはもうカアキイ服に、古めかしい襷をあやどった、各師団の兵が集まっている、――彼に声をかけたのも、そう云う連中の一人だった。その兵は石に腰をかけながら、うっすり流れ出した朝日の光に、片頬の面皰をつぶしていた。 「第×聯隊だ。」 「パン聯隊だな。」  江木上等兵は暗い顔をしたまま、何ともその冗談に答えなかった。  何時間かの後、この歩兵陣地の上には、もう彼我の砲弾が、凄まじい唸りを飛ばせていた。目の前に聳えた松樹山の山腹にも、李家屯の我海軍砲は、幾たびか黄色い土煙を揚げた。その土煙の舞い上る合間に、薄紫の光が迸るのも、昼だけに、一層悲壮だった。しかし二千人の白襷隊は、こう云う砲撃の中に機を待ちながら、やはり平生の元気を失わなかった。また恐怖に挫がれないためには、出来るだけ陽気に振舞うほか、仕様のない事も事実だった。 「べらぼうに撃ちやがるな。」  堀尾一等卒は空を見上げた。その拍子に長い叫び声が、もう一度頭上の空気を裂いた。彼は思わず首を縮めながら、砂埃の立つのを避けるためか、手巾に鼻を掩っていた、田口一等卒に声をかけた。 「今のは二十八珊だぜ。」  田口一等卒は笑って見せた。そうして相手が気のつかないように、そっとポケットへ手巾をおさめた。それは彼が出征する時、馴染の芸者に貰って来た、縁に繍のある手巾だった。 「音が違うな、二十八珊は。――」  田口一等卒はこう云うと、狼狽したように姿勢を正した。同時に大勢の兵たちも、声のない号令でもかかったように、次から次へと立ち直り始めた。それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。 「こら、騒いではいかん。騒ぐではない。」  将軍は陣地を見渡しながら、やや錆のある声を伝えた。 「こう云う狭隘な所だから、敬礼も何もせなくとも好い。お前達は何聯隊の白襷隊じゃ?」  田口一等卒は将軍の眼が、彼の顔へじっと注がれるのを感じた。その眼はほとんど処女のように、彼をはにかませるのに足るものだった。 「はい。歩兵第×聯隊であります。」 「そうか。大元気にやってくれ。」  将軍は彼の手を握った。それから堀尾一等卒へ、じろりとその眼を転ずると、やはり右手をさし伸べながら、もう一度同じ事を繰返した。 「お前も大元気にやってくれ。」  こう云われた堀尾一等卒は、全身の筋肉が硬化したように、直立不動の姿勢になった。幅の広い肩、大きな手、頬骨の高い赭ら顔。――そう云う彼の特色は、少くともこの老将軍には、帝国軍人の模範らしい、好印象を与えた容子だった。将軍はそこに立ち止まったまま、熱心になお話し続けた。 「今打っている砲台があるな。今夜お前たちはあの砲台を、こっちの物にしてしまうのじゃ。そうすると予備隊は、お前たちの行った跡から、あの界隈の砲台をみんな手に入れてしまうのじゃ。何でも一遍にあの砲台へ、飛びつく心にならなければいかん。――」  そう云う内に将軍の声には、いつか多少戯曲的な、感激の調子がはいって来た。 「好いか? 決して途中に立ち止まって、射撃なぞをするじゃないぞ。五尺の体を砲弾だと思って、いきなりあれへ飛びこむのじゃ、頼んだぞ。どうか、しっかりやってくれ。」  将軍は「しっかり」の意味を伝えるように、堀尾一等卒の手を握った。そうしてそこを通り過ぎた。 「嬉しくもねえな。――」  堀尾一等卒は狡猾そうに、将軍の跡を見送りながら、田口一等卒へ目交せをした。 「え、おい。あんな爺さんに手を握られたのじゃ。」  田口一等卒は苦笑した。それを見るとどう云う訣か、堀尾一等卒の心の中には、何かに済まない気が起った。と同時に相手の苦笑が、面憎いような心もちにもなった。そこへ江木上等兵が、突然横合いから声をかけた。 「どうだい、握手で××××のは?」 「いけねえ。いけねえ。人真似をしちゃ。」  今度は堀尾一等卒が、苦笑せずにはいられなかった。 「××れると思うから腹が立つのだ。おれは捨ててやると思っている。」  江木上等兵がこう云うと、田口一等卒も口を出した。 「そうだ。みんな御国のために捨てる命だ。」 「おれは何のためだか知らないが、ただ捨ててやるつもりなのだ。×××××××でも向けられて見ろ。何でも持って行けと云う気になるだろう。」  江木上等兵の眉の間には、薄暗い興奮が動いていた。 「ちょうどあんな心もちだ。強盗は金さえ巻き上げれば、×××××××云いはしまい。が、おれたちはどっち道死ぬのだ。×××××××××××××××××××××たのだ。どうせ死なずにすまないのなら、綺麗に×××やった方が好いじゃないか?」  こう云う言葉を聞いている内に、まだ酒気が消えていない、堀尾一等卒の眼の中には、この温厚な戦友に対する、侮蔑の光が加わって来た。「何だ、命を捨てるくらい?」――彼は内心そう思いながら、うっとり空へ眼をあげた。そうして今夜は人後に落ちず、将軍の握手に報いるため、肉弾になろうと決心した。……  その夜の八時何分か過ぎ、手擲弾に中った江木上等兵は、全身黒焦になったまま、松樹山の山腹に倒れていた。そこへ白襷の兵が一人、何か切れ切れに叫びながら、鉄条網の中を走って来た。彼は戦友の屍骸を見ると、その胸に片足かけるが早いか、突然大声に笑い出した。大声に、――実際その哄笑の声は、烈しい敵味方の銃火の中に、気味の悪い反響を喚び起した。 「万歳! 日本万歳! 悪魔降伏。怨敵退散。第×聯隊万歳! 万歳! 万々歳!」  彼は片手に銃を振り振り、彼の目の前に闇を破った、手擲弾の爆発にも頓着せず、続けざまにこう絶叫していた。その光に透かして見れば、これは頭部銃創のために、突撃の最中発狂したらしい、堀尾一等卒その人だった。      二 間牒  明治三十八年三月五日の午前、当時全勝集に駐屯していた、A騎兵旅団の参謀は、薄暗い司令部の一室に、二人の支那人を取り調べて居た。彼等は間牒の嫌疑のため、臨時この旅団に加わっていた、第×聯隊の歩哨の一人に、今し方捉えられて来たのだった。  この棟の低い支那家の中には、勿論今日も坎の火っ気が、快い温みを漂わせていた。が、物悲しい戦争の空気は、敷瓦に触れる拍車の音にも、卓の上に脱いだ外套の色にも、至る所に窺われるのであった。殊に紅唐紙の聯を貼った、埃臭い白壁の上に、束髪に結った芸者の写真が、ちゃんと鋲で止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。  そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人を囲んでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも明瞭に返事をした。のみならずやや年嵩らしい、顔に短い髯のある男は、通訳がまだ尋ねない事さえ、進んで説明する風があった。が、その答弁は参謀の心に、明瞭ならば明瞭なだけ、一層彼等を間牒にしたい、反感に似たものを与えるらしかった。 「おい歩兵!」  旅団参謀は鼻声に、この支那人を捉えて来た、戸口にいる歩哨を喚びかけた。歩兵、――それは白襷隊に加わっていた、田口一等卒にほかならなかった。――彼は戸の卍字格子を後に、芸者の写真へ目をやっていたが、参謀の声に驚かされると、思い切り大きい答をした。 「はい。」 「お前だな、こいつらを掴まえたのは? 掴まえた時どんなだったか?」  人の好い田口一等卒は、朗読的にしゃべり出した。 「私が歩哨に立っていたのは、この村の土塀の北端、奉天に通ずる街道であります。その支那人は二人とも、奉天の方向から歩いて来ました。すると木の上の中隊長が、――」 「何、木の上の中隊長?」  参謀はちょいと目蓋を挙げた。 「はい。中隊長は展望のため、木の上に登っていられたのであります。――その中隊長が木の上から、掴まえろと私に命令されました。」 「ところが私が捉えようとすると、そちらの男が、――はい。その髯のない男であります。その男が急に逃げようとしました。……」 「それだけか?」 「はい。それだけであります。」 「よし。」  旅団参謀は血肥りの顔に、多少の失望を浮べたまま、通訳に質問の意を伝えた。通訳は退屈を露さないため、わざと声に力を入れた。 「間牒でなければ何故逃げたか?」 「それは逃げるのが当然です。何しろいきなり日本兵が、躍りかかってきたのですから。」  もう一人の支那人、――鴉片の中毒に罹っているらしい、鉛色の皮膚をした男は、少しも怯まずに返答した。 「しかしお前たちが通って来たのは、今にも戦場になる街道じゃないか? 良民ならば用もないのに、――」  支那語の出来る副官は、血色の悪い支那人の顔へ、ちらりと意地の悪い眼を送った。 「いや、用はあるのです。今も申し上げた通り、私たちは新民屯へ、紙幣を取り換えに出かけて来たのです。御覧下さい。ここに紙幣もあります。」  髯のある男は平然と、将校たちの顔を眺め廻した。参謀はちょいと鼻を鳴らした。彼は副官のたじろいだのが、内心好い気味に思われたのだ。…… 「紙幣を取り換える? 命がけでか?」  副官は負惜みの冷笑を洩らした。 「とにかく裸にして見よう。」  参謀の言葉が通訳されると、彼等はやはり悪びれずに、早速赤裸になって見せた。 「まだ腹巻をしているじゃないか? それをこっちへとって見せろ。」  通訳が腹巻を受けとる時、その白木綿に体温のあるのが、何だか不潔に感じられた。腹巻の中には三寸ばかりの、太い針がはいっていた。旅団参謀は窓明りに、何度もその針を検べて見た。が、それも平たい頭に、梅花の模様がついているほか、何も変った所はなかった。 「何か、これは?」 「私は鍼医です。」  髯のある男はためらわずに、悠然と参謀の問に答えた。 「次手に靴も脱いで見ろ。」  彼等はほとんど無表情に、隠すべき所も隠そうとせず、検査の結果を眺めていた。が、ズボンや上着は勿論、靴や靴下を検べて見ても、証拠になる品は見当らなかった。この上は靴を壊して見るよりほかはない。――そう思った副官は、参謀にその旨を話そうとした。  その時突然次の部屋から、軍司令官を先頭に、軍司令部の幕僚や、旅団長などがはいって来た。将軍は副官や軍参謀と、ちょうど何かの打ち合せのため、旅団長を尋ねて来ていたのだった。 「露探か?」  将軍はこう尋ねたまま、支那人の前に足を止めた。そうして彼等の裸姿へ、じっと鋭い眼を注いだ。後にある亜米利加人が、この有名な将軍の眼には、Monomania じみた所があると、無遠慮な批評を下した事がある。――そのモノメニアックな眼の色が、殊にこう云う場合には、気味の悪い輝きを加えるのだった。  旅団参謀は将軍に、ざっと事件の顛末を話した。が、将軍は思い出したように、時々頷いて見せるばかりだった。 「この上はもうぶん擲ってでも、白状させるほかはないのですが、――」  参謀がこう云いかけた時、将軍は地図を持った手に、床の上にある支那靴を指した。 「あの靴を壊して見給え。」  靴は見る見る底をまくられた。するとそこに縫いこまれた、四五枚の地図と秘密書類が、たちまちばらばらと床の上に落ちた。二人の支那人はそれを見ると、さすがに顔の色を失ってしまった。が、やはり押し黙ったまま、剛情に敷瓦を見つめていた。 「そんな事だろうと思っていた。」  将軍は旅団長を顧みながら、得意そうに微笑を洩した。 「しかし靴とはまた考えたものですね。――おい、もうその連中には着物を着せてやれ。――こんな間牒は始めてです。」 「軍司令官閣下の烱眼には驚きました。」  旅団副官は旅団長へ、間牒の証拠品を渡しながら、愛嬌の好い笑顔を見せた。――あたかも靴に目をつけたのは、将軍よりも彼自身が、先だった事も忘れたように。 「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほかに隠せないじゃないか?」  将軍はまだ上機嫌だった。 「わしはすぐに靴と睨んだ。」 「どうもこの辺の住民はいけません。我々がここへ来た時も、日の丸の旗を出したのですが、その癖家の中を検べて見れば、大抵露西亜の旗を持っているのです。」  旅団長も何か浮き浮きしていた。 「つまり奸佞邪智なのじゃね。」 「そうです。煮ても焼いても食えないのです。」  こんな会話が続いている内、旅団参謀はまだ通訳と、二人の支那人を検べていた。それが急に田口一等卒へ、機嫌の悪い顔を向けると、吐き出すようにこう命じた。 「おい歩兵! この間牒はお前が掴まえて来たのだから、次手にお前が殺して来い。」  二十分の後、村の南端の路ばたには、この二人の支那人が、互に辮髪を結ばれたまま、枯柳の根がたに坐っていた。  田口一等卒は銃剣をつけると、まず辮髪を解き放した。それから銃を構えたまま、年下の男の後に立った。が、彼等を突殺す前に、殺すと云う事だけは告げたいと思った。 「儞、――」  彼はそう云って見たが、「殺す」と云う支那語を知らなかった。 「儞、殺すぞ!」  二人の支那人は云い合せたように、じろりと彼を振り返った。しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭を続け出した。「故郷へ別れを告げているのだ。」――田口一等卒は身構えながら、こうその叩頭を解釈した。  叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した。田口一等卒は銃をかざした。が、神妙な彼等を見ると、どうしても銃剣が突き刺せなかった。 「儞、殺すぞ!」  彼はやむを得ず繰返した。するとそこへ村の方から、馬に跨った騎兵が一人、蹄に砂埃を巻き揚げて来た。 「歩兵!」  騎兵は――近づいたのを見れば曹長だった。それが二人の支那人を見ると、馬の歩みを緩めながら、傲然と彼に声をかけた。 「露探か? 露探だろう。おれにも、一人斬らせてくれ。」  田口一等卒は苦笑した。 「何、二人とも上げます。」 「そうか? それは気前が好いな。」  騎兵は身軽に馬を下りた。そうして支那人の後にまわると、腰の日本刀を抜き放した。その時また村の方から、勇しい馬蹄の響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着せず、まっ向に刀を振り上げた。が、まだその刀を下さない内に、三人の将校は悠々と、彼等の側へ通りかかった。軍司令官! 騎兵は田口一等卒と一しょに、馬上の将軍を見上げながら、正しい挙手の礼をした。 「露探だな。」  将軍の眼には一瞬間、モノメニアの光が輝いた。 「斬れ! 斬れ!」  騎兵は言下に刀をかざすと、一打に若い支那人を斬った。支那人の頭は躍るように、枯柳の根もとに転げ落ちた。血は見る見る黄ばんだ土に、大きい斑点を拡げ出した。 「よし。見事だ。」  将軍は愉快そうに頷きながら、それなり馬を歩ませて行った。  騎兵は将軍を見送ると、血に染んだ刀を提げたまま、もう一人の支那人の後に立った。その態度は将軍以上に、殺戮を喜ぶ気色があった。「この×××らばおれにも殺せる。」――田口一等卒はそう思いながら、枯柳の根もとに腰を下した。騎兵はまた刀を振り上げた。が、髯のある支那人は、黙然と首を伸ばしたぎり、睫毛一つ動かさなかった。……  将軍に従った軍参謀の一人、――穂積中佐は鞍の上に、春寒の曠野を眺めて行った。が、遠い枯木立や、路ばたに倒れた石敢当も、中佐の眼には映らなかった。それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。 「私は勲章に埋った人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。……」  ――ふと気がつけば彼の馬は、ずっと将軍に遅れていた。中佐は軽い身震をすると、すぐに馬を急がせ出した。ちょうど当り出した薄日の光に、飾緒の金をきらめかせながら。      三 陣中の芝居  明治三十八年五月四日の午後、阿吉牛堡に駐っていた、第×軍司令部では、午前に招魂祭を行った後、余興の演芸会を催す事になった。会場は支那の村落に多い、野天の戯台を応用した、急拵の舞台の前に、天幕を張り渡したに過ぎなかった。が、その蓆敷の会場には、もう一時の定刻前に、大勢の兵卒が集っていた。この薄汚いカアキイ服に、銃剣を下げた兵卒の群は、ほとんど看客と呼ぶのさえも、皮肉な感じを起させるほど、みじめな看客に違いなかった。が、それだけまた彼等の顔に、晴れ晴れした微笑が漂っているのは、一層可憐な気がするのだった。  将軍を始め軍司令部や、兵站監部の将校たちは、外国の従軍武官たちと、その後の小高い土地に、ずらりと椅子を並べていた。そこには参謀肩章だの、副官の襷だのが見えるだけでも、一般兵卒の看客席より、遥かに空気が花やかだった。殊に外国の従軍武官は、愚物の名の高い一人でさえも、この花やかさを扶けるためには、軍司令官以上の効果があった。  将軍は今日も上機嫌だった。何か副官の一人と話しながら、時々番付を開いて見ている、――その眼にも始終日光のように、人懐こい微笑が浮んでいた。  その内に定刻の一時になった。桜の花や日の出をとり合せた、手際の好い幕の後では、何度か鳴りの悪い拍子木が響いた。と思うとその幕は、余興掛の少尉の手に、するすると一方へ引かれて行った。  舞台は日本の室内だった。それが米屋の店だと云う事は、一隅に積まれた米俵が、わずかに暗示を与えていた。そこへ前垂掛けの米屋の主人が、「お鍋や、お鍋や」と手を打ちながら、彼自身よりも背の高い、銀杏返しの下女を呼び出して来た。それから、――筋は話すにも足りない、一場の俄が始まった。  舞台の悪ふざけが加わる度に、蓆敷の上の看客からは、何度も笑声が立ち昇った。いや、その後の将校たちも、大部分は笑を浮べていた。が、俄はその笑と競うように、ますます滑稽を重ねて行った。そうしてとうとうしまいには、越中褌一つの主人が、赤い湯もじ一つの下女と相撲をとり始める所になった。  笑声はさらに高まった。兵站監部のある大尉なぞは、この滑稽を迎えるため、ほとんど拍手さえしようとした。ちょうどその途端だった。突然烈しい叱咤の声は、湧き返っている笑の上へ、鞭を加えるように響き渡った。 「何だ、その醜態は? 幕を引け! 幕を!」  声の主は将軍だった。将軍は太い軍刀の𣠽に、手袋の両手を重ねたまま、厳然と舞台を睨んで居た。  幕引きの少尉は命令通り、呆気にとられた役者たちの前へ、倉皇とさっきの幕を引いた。同時に蓆敷の看客も、かすかなどよめきの声のほかは、ひっそりと静まり返ってしまった。  外国の従軍武官たちと、一つ席にいた穂積中佐は、この沈黙を気の毒に思った。俄は勿論彼の顔には、微笑さえも浮ばせなかった。しかし彼は看客の興味に、同情を持つだけの余裕はあった。では外国武官たちに、裸の相撲を見せても好いか?――そう云う体面を重ずるには、何年か欧洲に留学した彼は、余りに外国人を知り過ぎていた。 「どうしたのですか?」  仏蘭西の将校は驚いたように、穂積中佐をふりかえった。 「将軍が中止を命じたのです。」 「なぜ?」 「下品ですから、――将軍は下品な事は嫌いなのです。」  そう云う内にもう一度、舞台の拍子木が鳴り始めた。静まり返っていた兵卒たちは、この音に元気を取り直したのか、そこここから拍手を送り出した。穂積中佐もほっとしながら、彼の周囲を眺め廻した。周囲にい並んだ将校たちは、いずれも幾分か気兼そうに、舞台を見たり見なかったりしている、――その中にたった一人、やはり軍刀へ手をのせたまま、ちょうど幕の開き出した舞台へ、じっと眼を注いでいた。  次の幕は前と反対に、人情がかった旧劇だった。舞台にはただ屏風のほかに、火のともった行燈が置いてあった。そこに頬骨の高い年増が一人、猪首の町人と酒を飲んでいた。年増は時々金切声に、「若旦那」と相手の町人を呼んだ。そうして、――穂積中佐は舞台を見ずに、彼自身の記憶に浸り出した。柳盛座の二階の手すりには、十二三の少年が倚りかかっている。舞台には桜の釣り枝がある。火影の多い町の書割がある。その中に二銭の団洲と呼ばれた、和光の不破伴左衛門が、編笠を片手に見得をしている。少年は舞台に見入ったまま、ほとんど息さえもつこうとしない。彼にもそんな時代があった。…… 「余興やめ! 幕を引かんか? 幕! 幕!」  将軍の声は爆弾のように、中佐の追憶を打ち砕いた。中佐は舞台へ眼を返した。舞台にはすでに狼狽した少尉が、幕と共に走っていた。その間にちらりと屏風の上へ、男女の帯の懸かっているのが見えた。  中佐は思わず苦笑した。「余興掛も気が利かなすぎる。男女の相撲さえ禁じている将軍が、濡れ場を黙って見ている筈がない。」――そんな事を考えながら、叱声の起った席を見ると、将軍はまだ不機嫌そうに、余興掛の一等主計と、何か問答を重ねていた。  その時ふと中佐の耳は、口の悪い亜米利加の武官が、隣に坐った仏蘭西の武官へ、こう話しかける声を捉えた。 「将軍Nも楽じゃない。軍司令官兼検閲官だから、――」  やっと三幕目が始まったのは、それから十分の後だった。今度は木がはいっても、兵卒たちは拍手を送らなかった。 「可哀そうに。監視されながら、芝居を見ているようだ。」――穂積中佐は憐むように、ほとんど大きな話声も立てない、カアキイ服の群を見渡した。  三幕目の舞台は黒幕の前に、柳の木が二三本立ててあった。それはどこから伐って来たか、生々しい実際の葉柳だった。そこに警部らしい髯だらけの男が、年の若い巡査をいじめていた。穂積中佐は番附の上へ、不審そうに眼を落した。すると番附には「ピストル強盗清水定吉、大川端捕物の場」と書いてあった。  年の若い巡査は警部が去ると、大仰に天を仰ぎながら、長々と浩歎の独白を述べた。何でもその意味は長い間、ピストル強盗をつけ廻しているが、逮捕出来ないとか云うのだった。それから人影でも認めたのか、彼は相手に見つからないため、一まず大川の水の中へ姿を隠そうと決心した。そうして後の黒幕の外へ、頭からさきに這いこんでしまった。その恰好は贔屓眼に見ても、大川の水へ没するよりは、蚊帳へはいるのに適当していた。  空虚の舞台にはしばらくの間、波の音を思わせるらしい、大太鼓の音がするだけだった。と、たちまち一方から、盲人が一人歩いて来た。盲人は杖をつき立てながら、そのまま向うへはいろうとする、――その途端に黒幕の外から、さっきの巡査が飛び出して来た。「ピストル強盗、清水定吉、御用だ!」――彼はそう叫ぶが早いか、いきなり盲人へ躍りかかった。盲人は咄嗟に身構えをした。と思うと眼がぱっちりあいた。「憾むらくは眼が小さ過ぎる。」――中佐は微笑を浮べながら、内心大人気ない批評を下した。  舞台では立ち廻りが始まっていた。ピストル強盗は渾名通り、ちゃんとピストルを用意していた。二発、三発、――ピストルは続けさまに火を吐いた。しかし巡査は勇敢に、とうとう偽目くらに縄をかけた。兵卒たちはさすがにどよめいた。が、彼等の間からは、やはり声一つかからなかった。  中佐は将軍へ眼をやった。将軍は今度も熱心に、じっと舞台を眺めていた。しかしその顔は以前よりも、遥かに柔しみを湛えていた。  そこへ舞台には一方から、署長とその部下とが駈けつけて来た。が、偽目くらと挌闘中、ピストルの弾丸に中った巡査は、もう昏々と倒れていた。署長はすぐに活を入れた。その間に部下はいち早く、ピストル強盗の縄尻を捉えた。その後は署長と巡査との、旧劇めいた愁歎場になった。署長は昔の名奉行のように、何か云い遺す事はないかと云う。巡査は故郷に母がある、と云う。署長はまた母の事は心配するな。何かそのほかにも末期の際に、心遺りはないかと云う。巡査は何も云う事はない、ピストル強盗を捉えたのは、この上もない満足だと云う。  ――その時ひっそりした場内に、三度将軍の声が響いた。が、今度は叱声の代りに、深い感激の嘆声だった。 「偉い奴じゃ。それでこそ日本男児じゃ。」  穂積中佐はもう一度、そっと将軍へ眼を注いだ。すると日に焼けた将軍の頬には、涙の痕が光っていた。「将軍は善人だ。」――中佐は軽い侮蔑の中に、明るい好意をも感じ出した。  その時幕は悠々と、盛んな喝采を浴びながら、舞台の前に引かれて行った。穂積中佐はその機会に、ひとり椅子から立ち上ると、会場の外へ歩み去った。  三十分の後、中佐は紙巻を啣えながら、やはり同参謀の中村少佐と、村はずれの空地を歩いていた。 「第×師団の余興は大成功だね。N閣下は非常に喜んでいられた。」  中村少佐はこう云う間も、カイゼル髭の端をひねっていた。 「第×師団の余興? ああ、あのピストル強盗か?」 「ピストル強盗ばかりじゃない。閣下はあれから余興掛を呼んで、もう一幕臨時にやれと云われた。今度は赤垣源蔵だったがね。何と云うのかな、あれは? 徳利の別れか?」  穂積中佐は微笑した眼に、広い野原を眺めまわした。もう高粱の青んだ土には、かすかに陽炎が動いていた。 「それもまた大成功さ。――」  中村少佐は話し続けた。 「閣下は今夜も七時から、第×師団の余興掛に、寄席的な事をやらせるそうだぜ。」 「寄席的? 落語でもやらせるのかね?」 「何、講談だそうだ。水戸黄門諸国めぐり――」  穂積中佐は苦笑した。が、相手は無頓着に、元気のよい口調を続けて行った。 「閣下は水戸黄門が好きなのだそうだ。わしは人臣としては、水戸黄門と加藤清正とに、最も敬意を払っている。――そんな事を云っていられた。」  穂積中佐は返事をせずに、頭の上の空を見上げた。空には柳の枝の間に、細い雲母雲が吹かれていた。中佐はほっと息を吐いた。 「春だね、いくら満洲でも。」 「内地はもう袷を着ているだろう。」  中村少佐は東京を思った。料理の上手な細君を思った。小学校へ行っている子供を思った。そうして――かすかに憂鬱になった。 「向うに杏が咲いている。」  穂積中佐は嬉しそうに、遠い土塀に簇った、赤い花の塊りを指した。Ecoute-moi, Madeline………――中佐の心にはいつのまにか、ユウゴオの歌が浮んでいた。      四 父と子と  大正七年十月のある夜、中村少将、――当時の軍参謀中村少佐は、西洋風の応接室に、火のついたハヴァナを啣えながら、ぼんやり安楽椅子によりかかっていた。  二十年余りの閑日月は、少将を愛すべき老人にしていた。殊に今夜は和服のせいか、禿げ上った額のあたりや、肉のたるんだ口のまわりには、一層好人物じみた気色があった。少将は椅子の背に靠れたまま、ゆっくり周囲を眺め廻した。それから、――急にため息を洩らした。  室の壁にはどこを見ても、西洋の画の複製らしい、写真版の額が懸けてあった。そのある物は窓に倚った、寂しい少女の肖像だった。またある物は糸杉の間に、太陽の見える風景だった。それらは皆電燈の光に、この古めかしい応接室へ、何か妙に薄ら寒い、厳粛な空気を与えていた。が、その空気はどう云う訣か、少将には愉快でないらしかった。  無言の何分かが過ぎ去った後、突然少将は室外に、かすかなノックの音を聞いた。 「おはいり。」  その声と同時に室の中へは、大学の制服を着た青年が一人、背の高い姿を現した。青年は少将の前に立つと、そこにあった椅子に手をやりながら、ぶっきらぼうにこう云った。 「何か御用ですか? お父さん。」 「うん。まあ、そこにおかけ。」  青年は素直に腰を下した。 「何です?」  少将は返事をするために、青年の胸の金鈕へ、不審らしい眼をやった。 「今日は?」 「今日は河合の――お父さんは御存知ないでしょう。――僕と同じ文科の学生です。河合の追悼会があったものですから、今帰ったばかりなのです。」  少将はちょいと頷いた後、濃いハヴァナの煙を吐いた。それからやっと大儀そうに、肝腎の用向きを話し始めた。 「この壁にある画だね、これはお前が懸け換えたのかい?」 「ええ、まだ申し上げませんでしたが、今朝僕が懸け換えたのです。いけませんか?」 「いけなくはない。いけなくはないがね、N閣下の額だけは懸けて置きたい、と思う。」 「この中へですか?」  青年は思わず微笑した。 「この中へ懸けてはいけないかね?」 「いけないと云う事もありませんが、――しかしそれは可笑しいでしょう。」 「肖像画はあすこにもあるようじゃないか?」  少将は炉の上の壁を指した。その壁には額縁の中に、五十何歳かのレムブラントが、悠々と少将を見下していた。 「あれは別です。N将軍と一しょにはなりません。」 「そうか? じゃ仕方がない。」  少将は容易に断念した。が、また葉巻の煙を吐きながら、静かにこう話を続けた。 「お前は、――と云うよりもお前の年輩のものは、閣下をどう思っているね?」 「別にどうも思ってはいません。まあ、偉い軍人でしょう。」  青年は老いた父の眼に、晩酌の酔を感じていた。 「それは偉い軍人だがね、閣下はまた実に長者らしい、人懐こい性格も持っていられた。……」  少将はほとんど、感傷的に、将軍の逸話を話し出した。それは日露戦役後、少将が那須野の別荘に、将軍を訪れた時の事だった。その日別荘へ行って見ると、将軍夫妻は今し方、裏山へ散歩にお出かけになった、――そう云う別荘番の話だった。少将は案内を知っていたから、早速裏山へ出かける事にした。すると二三町行った所に、綿服を纏った将軍が、夫人と一しょに佇んでいた。少将はこの老夫妻と、しばらくの間立ち話をした。が、将軍はいつまでたっても、そこを立ち去ろうとしなかった。「何かここに用でもおありですか?」――こう少将が尋ねると、将軍は急に笑い出した。「実はね、今妻が憚りへ行きたいと云うものだから、わしたちについて来た学生たちが、場所を探しに行ってくれた所じゃ。」ちょうど今頃、――もう路ばたに毬栗などが、転がっている時分だった。  少将は眼を細くしたまま、嬉しそうに独り微笑した。――そこへ色づいた林の中から、勢の好い中学生が、四五人同時に飛び出して来た。彼等は少将に頓着せず、将軍夫妻をとり囲むと、口々に彼等が夫人のために、見つけて来た場所を報告した。その上それぞれ自分の場所へ、夫人に来て貰うように、無邪気な競争さえ始めるのだった。「じゃあなた方に籤を引いて貰おう。」――将軍はこう云ってから、もう一度少将に笑顔を見せた。…… 「それは罪のない話ですね。だが西洋人には聞かされないな。」  青年も笑わずにはいられなかった。 「まあそんな調子でね、十二三の中学生でも、N閣下と云いさえすれば、叔父さんのように懐いていたものだ。閣下はお前がたの思うように、決して一介の武弁じゃない。」  少将は楽しそうに話し終ると、また炉の上のレムブラントを眺めた。 「あれもやはり人格者かい?」 「ええ、偉い画描きです。」 「N閣下などとはどうだろう?」  青年の顔には当惑の色が浮んだ。 「どうと云っても困りますが、――まあN将軍などよりも、僕等に近い気もちのある人です。」 「閣下のお前がたに遠いと云うのは?」 「何と云えば好いですか?――まあ、こんな点ですね、たとえば今日追悼会のあった、河合と云う男などは、やはり自殺しているのです。が、自殺する前に――」  青年は真面目に父の顔を見た。 「写真をとる余裕はなかったようです。」  今度は機嫌の好い少将の眼に、ちらりと当惑の色が浮んだ。 「写真をとっても好いじゃないか? 最後の記念と云う意味もあるし、――」 「誰のためにですか?」 「誰と云う事もないが、――我々始めN閣下の最後の顔は見たいじゃないか?」 「それは少くともN将軍は、考うべき事ではないと思うのです。僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られる事を、――」  少将はほとんど、憤然と、青年の言葉を遮った。 「それは酷だ。閣下はそんな俗人じゃない。徹頭徹尾至誠の人だ。」  しかし青年は不相変、顔色も声も落着いていた。 「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、なおさら通じるとは思われません。……」  父と子とはしばらくの間、気まずい沈黙を続けていた。 「時代の違いだね。」  少将はやっとつけ加えた。 「ええ、まあ、――」  青年はこう云いかけたなり、ちょいと窓の外のけはいに、耳を傾けるような眼つきになった。 「雨ですね。お父さん。」 「雨?」  少将は足を伸ばしたまま、嬉しそうに話頭を転換した。 「また榲桲が落ちなければ好いが、……」 (大正十年十二月)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年1月27日第1刷発行    1996(平成8)年7月15日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月12日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 天草の原の城の内曲輪。立ち昇る火焔。飛びちがふ矢玉。伏し重なつた男女の死骸。その中に手を負つた一人の老人。老人は石垣の上に懸けた麻利耶の画像を仰ぎながら、高声に「はれるや」を唱へてゐる。  忽ち又一発の銃弾。  老人はのけざまに仆れたぎり、二度と起き上る気色は見えない。白衣の聖母は石垣の上から、黙黙とその姿を見下してゐる。おごそかに、悠悠と。  白衣の聖母? いや、わたしは知つてゐる。それは白衣の聖母ではない。明らかに唯の女人である。一朶の薔薇の花を愛する唯の紅毛の女人である。見給へ。その女人の下にはかう云ふ金色の横文字さへある。ウイルヘルム煙草商会、アムステルダム。阿蘭陀……
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 始皇帝がどう思つたか、本を皆焼いてしまつたので、神田の古本屋が職を失つたと新聞に出てゐるから、ひどい事をしたもんだと思つて、その本の焼けあとを見に丸ノ内へ行かうとすると、銀座尾張町の四つ角で、交番の前に人が山のやうにたかつてゐる。そこで後から背のびをして覗いて見ると、支那人の婆さんが一人巡査の前でおいおい云ひながら泣いてゐた。尤も支那人と云つても、今の支那人ではない。平福百穂さんの予譲の画からぬけ出したやうな、古雅な服装をした婆さんである。巡査はいろいろ説諭をしてゐるが、婆さんの耳には少しもそれがはいらないらしい。何しろあんまり婆さんの泣き方が猛烈だから、どうしたんだらうと思つて見てゐると、側にゐたどこかのメツセンヂア・ボイが二人でこんな事を話してゐる。 「あれは丸善の金どんのお母さんだよ。」 「どうして又金どんのお母さんがあんなに泣いてゐるんだらう。」 「なにね、始皇帝が今日東京中の学者をみんな日比谷公園の池へ抛りこんで、生埋めにしちまつたらう。それで金どんもやつぱり生埋めにされちまつたもんだから、それであんなにお母さんが泣いてゐるのさ。」 「だつて金どんは学者でも何でもないぢやないか。」 「学者ぢやないけれど、金どんはあんまり生物識を振まはすから、丸善ぢや学者つて綽名がついてゐるんだよ。だから警察でも大学教授や何かの同類だと思つて、生埋めにしてしまつたのさ。」  するとその隣の、小倉の袴をはいた書生が、 「怪しからんな。名の為に実を顧みないに至つては閥族の横暴も極れりだ。」と憤慨した。  自分もそれは乱暴だと思つたから、 「実に怪しからんですな。」と書生の憤慨に賛成の意を表した。書生は自分の賛成を得て大に知己を得たやうな気がしたのだらう。彼は自分の方をふりむくと、滔々としてこんな事を辯じ出した。 「万事この調子だから驚くです。かう云ふ事には最も理解がある可き文壇でさへ、イズムで人間を律しようとするんですからな。一度新技巧派と云ふ名が出来ると、その名をどこまでも人に押しかぶせて、それで胡麻をする時は胡麻をするし、退治する時は退治しようとするんですからな。我々青年はまづこの弊風を打破しなければいかんです。僕はこの間博浪沙で始皇帝の車に鉄椎を落させました。不幸にしてそれは失敗しましたが、まだ壮心が衰へた訳ではありません。」  かう云つて書生は、群集を麾きながら、 「諸君、憲政の擁護の為にあの交番を破壊しようではありませんか。」と絶叫した。  それに応じてどこからか石が一つ斜に空を切りながら、かちやりと音を立てて交番の窓硝子へ穴をあけた。その音で気がつくと、自分は依然としてカツフエ・パウリスタのテエブルに坐つてゐる。かちやりと云つたのは、珈琲の匙が手から皿の上へ落ちた音らしい。自分は黒いモオニングを着た容貌魁梧な紳士と向ひ合つた儘、眼を明いて夢を見てゐたのである。紳士は自分が放心から覚めたのを見ると、 「新年の新聞に何か書いてくれませんか。」と云つた。 「この頃は何も書きたくないんだから駄目です。」 「そんな事を云はずに何か書いてくれ給へ。何でもいいのです。たとへば「新技巧派について」と云ふやうなものでも。」  自分はぎよつとした。事によるとこの紳士は自分の夢を知つてゐるのかも知れない。 「それでなければ「旧技巧と新技巧と」はどうです。」 「駄目です。第一新技巧などと云ふ事は考へた事もありやしません。」自分はぶつけるやうに云つた。 「しかし何か書けるでせう。」 「書けば、あなたに頼まれて書くと云ふ事を書くだけです。」 「それでもいいから、書いてくれ給へ。」  紳士はポケツトを探つて、原稿用紙と万年筆とを出した。外では歳暮大売出しの楽隊の音がする。隣のテエブルでは誰かがケレンスキイを論じ出した。珈琲の匀、ボイの註文を通す声、夫からクリスマス樹――さう云ふ賑かな周囲の中に自分は苦い顔をして、いやいやその原稿用紙と万年筆とを受取つた。それで書いたのが、この何枚かの愚にもつかない饒舌である。だから孟浪杜撰の責は寧ろ今自分の前に坐つてゐる、容貌魁梧な紳士にあつて、これを書いた自分にはない。
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003801", "作品名": "饒舌", "作品名読み": "じょうぜつ", "ソート用読み": "しようせつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-07-22T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3801.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3801_ruby_27221.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3801_27309.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 一 小説はあらゆる文芸中、最も非芸術的なるものと心得べし。文芸中の文芸は詩あるのみ。即ち小説は小説中の詩により、文芸の中に列するに過ぎず。従つて歴史乃至伝記と実は少しも異る所なし。  二 小説家は詩人たる以外に歴史家乃至伝記作者なり。従つて人生(一時代に於ける一国の)と相亘らざるべからず。紫式部より井原西鶴に至る日本の小説家の作品はこの事実を証明すべし。  三 詩人は常に自己の衷心を何人かに向つて訴ふるものなり。(女人をくどく為に恋歌の生じたるを見よ。)既に小説家は詩人たる以上に歴史家乃至伝記作者なりとせん乎、伝記の一つなる自叙伝作者も小説家自身の中に存在すべし。従つて小説家は彼自身暗澹たる人生に対することも常人より屡々ならざるべからず。そは小説家自身の中の詩人は実行力乏しきを常とすればなり。若し小説家自身の中の詩人にして歴史家乃至伝記作者よりも力強からん乎、彼の一生は愈出でて愈悲惨なるを免れざるべし。ポオの如きはこの好例なり。(ナポレオン乃至レニンをして詩人たらしめば、不世出の小説家を生ずるは言を俟たず。)  四 小説家的才能は前に挙げたる三条により、詩人的才能、歴史家的乃至伝記作者的才能、処世的才能の三者に帰着すべし。この三者を相剋せしめざることは前人も至難の業としたり。(至難の業とせざりしものは凡庸の才なり。)小説家たらんとするものは自動車学校を卒業せざる運転手の自動車を街頭に駆るがごとし。一生の平穏無事なるを期すべからず。  五 既に一生の平穏無事なるを期すべからずとせば、体力と金銭と単身立命(即ちボヘミアニズム)とに頼まざるべからず。但しこの両者の効ある程度も存外少なるを覚悟すべし。比較的平和なる一生を得んと欲せば、畢に小説家とならざるに若かず。比較的平和なる一生を送れる小説家は常に彼等の伝記の細部に亘りて判然せざる小説家なるを記憶すべし。  六 然れども若し現世にありて比較的平和なる一生を送らんとせば、小説家は如何なる才能よりも処世的才能を錬鍛すべし。但しそは戞々たる独造底の作品を残す所以とは同意義にあらず。(矛盾せざるも亦勿論なり。)処世的才能とは上は運命を支配するより(但し支配し得るや否やを保証せず。)下は如何なる阿呆をも丁寧にとり扱ふに至るものなり。  七 文芸は文章に表現を托する芸術なり。従つて文章を錬鍛するは勿論小説家は怠るべからず。若し一つの言葉の美しさに恍惚たること能はざるものは、小説家たる資格の上に多少の欠点ありと覚悟すべし。西鶴の「阿蘭陀西鶴」の名を得たるは必しも一時代の小説上の約束を破りたる為にあらず。彼の俳諧より悟入したる言葉の美しさを知りゐたる為なり。  八 一時代に於ける一国の小説はおのづから種々の約束のもとにあり。(こは歴史の決定する所による。)小説家たらんとするものは努めてこの約束に従ふべし。この約束に従ふ利益は一に前人の肩の上に乗りて自己の小説を作り得ること、二に真面目に見ゆる為に文壇の犬どもに吼へられざることなり。但しこれ亦独造底の作品を残すことと同意義にあらず。(矛盾せざるは言を俟たず。)天才にはかかる約束を脚下に蹂躙するもの多かるべし。(然れども世人の考ふるほど蹂躙せるや否やは保証せず。)彼等はその為に多少にもせよ、天命即ち文芸の社会的進歩(或は変化)の外に走り、水の溝を流るるが如く能はず。文芸的太陽系の外にある一游星たるにとどまるべし。従つて当代に理解せられざるは勿論、後代にも知己を得れば見つけものなるべし。(こは単に小説の上のみにあらず、あらゆる文芸に通用すべし。)  九 小説家たらんとするものは常に哲学的、自然科学的、経済科学的思想に反応することを警戒すべし。如何なる思想乃至理論も人間獣の依然たる限りは人間獣の一生を支配する能はず。従つてかかる思想に反応するは(少くとも意識的に)人間獣の一生、――即ち人生に相亘るに不便なりと知るべし。ありのままに見、ありのままに描くを写生と言ふ。小説家たる便法は写生するに若かず。但しここに「ありのまま」と言ふは「彼自身の見たるありのまま」なり。「借用証文を入れたるありのまま」にあらず。  十 あらゆる小説作法は黄金律にあらず。この「小説作法十則」の黄金律ならざるも勿論なり。所詮小説家になり得るものはなり、なり得ざるものはなり得ざるべき乎。  附記。僕は何ごとにも懐疑主義者なり。唯如何に懐疑主義者ならんと欲するも、詩の前には未だ嘗懐疑主義者たる能はざりしことを自白す。同時に又詩の前にも常に懐疑主義者たらんと努めしことを自白す。 (大正十五・五・四)
底本:「芥川龍之介全集 第十六巻」岩波書店    1997(平成9)年2月10日発行 初出:「新潮 第二四年第九号」    1927(昭和2)年9月1日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:土屋隆 2008年12月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 売文に関する法律は不備を極めてゐるやうである。たとへば或雑誌社に若干枚の短篇を一つ渡し、若干円を貰つたとする。その時その若干金は小説そのものだけを売つた金か、それとも小説の書いてある若干枚の原稿用紙を売つた金か、法律には何とも規定されてゐない。これは我我の原稿ならば兎も角、夏目先生の原稿にでもなれば当然問題を生ずる筈である。が、まあそんなことはどうでも好い。差当り頗る困ることは或種の著作権侵害である。  たとへばこの間菊池寛は小説「義民甚兵衛」を三幕の戯曲に書直した。あれを菊池自身はやらずに、僕でも戯曲に書直したとする。その場合僕は友誼上、或は慣例上一応菊池の許可を待つた後、戯曲に書直すのに違ひない。のみならずその原稿料乃至上場料の何割かはちやんと菊池にも奉納するであらう。しかし万一許可を受けず、原稿料乃至上場料をすつかり着服してしまつたにしろ、僕は必しも罰金を出したり、監獄へはいつたりしないでも好い。いや、日本の法律にかう云ふ著作権侵害に関する明文の存在しない以上、明日も亦昨日のやうに平然と散歩位は出来さうである。  それも芥川龍之介に著作権侵害を蒙つたのならば、まだしも菊池はあきらめられるであらう。少くとも絶交さへ申渡せば、大抵片はついてしまひさうである。が、何処の馬の骨ともわからぬ君子に素早い仕事をやられた時にも、やはり泣寝入りになり兼ねないと云ふのは、――勿論菊池は身代限りをしても、法廷に権利を争ふかも知れない。しかし訴訟を起したにしろ、敗訴になる可能性を持つてゐると云ふのは明らかに不合理の行止まりである。  尤もこれは日本ばかりではない。英吉利も亦同じことである。少くとも Shaw の Admirable Bashville の始めて書物の形になつた千九百十三年迄は同じことだつた筈である。(これはショオ自身の小説 Cashel Byron's Profession を戯曲に書直したものである。ショオは勿論この戯曲の序文にかう云ふ著作権侵害に関する法律上の不備を論じてゐる。さもなければ法律などに疎い僕は永久にこんなことには気がつかなかつたかも知れない。或は又千九百十年位におのづから気づいてゐたかも知れない。)  この法律上の不備に応ずる途は菊池寛のしたやうに、或は又ショオのしたやうに、戯曲になる小説のあつた時には作者自身戯曲に書直すことである。しかし戯曲を書かない作者は(一例を挙げれば僕の如き)おいそれと書直しの出来るものではない。するとかう云ふ一群の作者は丁度乱世の民のやうに、野武士の切取り強盗にも黙従しなければならない訳である。これは大正の聖代にも似合はぬ物騒さ加減と云はなければならぬ。  その外著作権の所在なども法規大全を覗いた限りでは甚だ曖昧に出来てゐるらしい。兎に角我我売文業者は余り今日の法律の御恩を蒙つてゐないことは確かである。  もう一つ次手に考へられることは作者自身の小説を戯曲に書直す可否である。たとへば菊池は「義民甚兵衛」を小説から戯曲へ書直した。が、「義民甚兵衛」なるものは小説の形式に表現すべきものか、それとも亦戯曲の形式に表現すべきものかと云ふことは予め菊池の考へる、或は考へなければならぬことである。それを前には小説にし、後には戯曲にすると云ふのは、ゆうべの刺身をぬたにしたのと同じ非難を招かないであらうか? 少くともぬたになる筈のものをうつかり刺身につくつたのと同じ不明を示す筈である。――と云ふ考へかたも出来ないことはない。  けれども同一の題材を二つに使はれぬと云ふ道理はない。いや、小説から戯曲にせずとも、小説から小説にもなる訳である。たとへば久米正雄などはたつた一つの失恋を無数の小説にしてゐるではないか?(と云ふのは久米を嘲るのではない。無数の失恋をしてゐる癖にたつた一つの小説も書けぬ新時代の青年に比べれば、数等久米は見上げたものである。)況や小説から戯曲にするのは恥辱でも何でもない筈である。勿論どちらか一方の傑出することもあるかも知れない。しかしそれは同一の作者に傑作もあれば悪作もあると少しも変りはない理窟である。  尤も論者はかう云ふに違ひない。それは小説にした場合と異つた見地に立つた上、戯曲に書直した場合だけである。さもなければ如何に割引きしても、不明の非難だけは免れないであらう。――この説は一応尤もである。成程戯曲にした結果、小説よりも傑出したとすれば、過去の不明は咎められるかも知れない。が、戯曲にしさへすれば当然傑出するものを戯曲にせずに置いたとすれば、現在の不明は過去の不明よりも一層非難に価する筈である。又戯曲にした結果、小説よりも効果を欠いたとしても、小説を読まない読者にも鑑賞される場合を考へれば、一概に非難するのも考へものであらう。たとへばストラットフォオドの子供たちの為にお伽噺を書けと云はれたとすれば、シエクスピイアは多少の効果を欠いても、「テムペスト」をお伽噺に書直しさうである。況や前にも書いた通り、或種の著作権侵害だけは法律の庇護を受けてゐない。すると戯曲の書ける作者は戯曲化し得る小説を持合せる以上、さつさと戯曲に書直すのも当を得た処置と云はれぬであらうか?  勿論過去の不明もいかん、多少の効果を損ずるも怪しからんときめつけられるならば――『爾等のうち罪なきものまづ彼を石にて撃つべし』である。僕は唯さう云ふ論者には微苦笑の一拶を与へる外はない。
底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店    1996(平成8)年9月9日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:松永正敏 2002年5月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 僕の経験するところによれば、今の小説の読者といふものは、大抵はその小説の筋を読んでゐる。その次ぎには、その小説の中に描かれた生活に憧憬を持つてゐる。これには時々不思議な気持がしないことはない。  現に僕の知つてゐる或る人などは随分経済的に苦しい暮らしをしてゐながら、富豪や華族ばかり出て来る通俗小説を愛読してゐる。のみならず、この人の生活に近い生活を書いた小説には全然興味を持つてゐない。  第三には、第二と反対に、その次ぎには読者自身の生活に近いものばかり求めてゐる。  僕はこれらを必ずしも悪いこととは思つてゐない。この三つの心持ちは、同時に僕自身の中にも存在してゐる。僕は筋の面白い小説を愛読してゐる。それから僕自身の生活に遠い生活を書いた小説も愛読しないことはない。最後に、僕自身の生活に近い小説を愛読してゐることは勿論である。  然し、それらの小説を鑑賞する時に、僕の評価を決定するものは必ずしも、それらの気持ではない。若し僕が(読者として)世間の小説の読者と違つてゐるとするならば、かう云ふ点にあると思つてゐる。では何が僕の評価を決定するかと云へば感銘の深さとでも云ふほかはない。それには筋の面白さとか、僕自身の生活に遠いこととか、或はまた僕自身の生活に近いこととか云ふことも勿論、幾分か影響してゐるだらう。然しそれらの影響のほかに未だ何かあることを信じてゐる。  この何かに動かされる読者の一群が、つまり読書階級と呼ばれるのである。或は文芸的知識階級と呼ばれるのである。  かう云ふ階級は存外狭い。おそらくは、西洋よりも一層狭いだらう。僕は今、かう云ふ事実の善悪を論じてゐるのではない。唯事実として一寸話すだけである。 (昭和二年三月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003794", "作品名": "小説の読者", "作品名読み": "しょうせつのどくしゃ", "ソート用読み": "しようせつのとくしや", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-07-22T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3794.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3794_ruby_27222.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3794_27310.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
     一 クリスマス  昨年のクリスマスの午後、堀川保吉は須田町の角から新橋行の乗合自働車に乗った。彼の席だけはあったものの、自働車の中は不相変身動きさえ出来ぬ満員である。のみならず震災後の東京の道路は自働車を躍らすことも一通りではない。保吉はきょうもふだんの通り、ポケットに入れてある本を出した。が、鍛冶町へも来ないうちにとうとう読書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは奇蹟を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。  宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読みつづけている。年はもう五十を越しているのであろう、鉄縁のパンス・ネエをかけた、鶏のように顔の赤い、短い頬鬚のある仏蘭西人である。保吉は横目を使いながら、ちょっとその本を覗きこんだ、Essai sur les ……あとは何だか判然しない。しかし内容はともかくも、紙の黄ばんだ、活字の細かい、とうてい新聞を読むようには読めそうもない代物である。  保吉はこの宣教師に軽い敵意を感じたまま、ぼんやり空想に耽り出した。――大勢の小天使は宣教師のまわりに読書の平安を護っている。勿論異教徒たる乗客の中には一人も小天使の見えるものはいない。しかし五六人の小天使は鍔の広い帽子の上に、逆立ちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ目白押しに並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の常談を云い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエに跨っている。……  自働車の止まったのは大伝馬町である。同時に乗客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本を膝に、きょろきょろ窓の外を眺めている。すると乗客の降り終るが早いか、十一二の少女が一人、まっ先に自働車へはいって来た。褪紅色の洋服に空色の帽子を阿弥陀にかぶった、妙に生意気らしい少女である。少女は自働車のまん中にある真鍮の柱につかまったまま、両側の席を見まわした。が、生憎どちら側にも空いている席は一つもない。 「お嬢さん。ここへおかけなさい。」  宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入った、心もち鼻へかかる日本語である。 「ありがとう。」  少女は宣教師と入れ違いに保吉の隣りへ腰をかけた。そのまた「ありがとう」も顔のように小ましゃくれた抑揚に富んでいる。保吉は思わず顔をしかめた。由来子供は――殊に少女は二千年前の今月今日、ベツレヘムに生まれた赤児のように清浄無垢のものと信じられている。しかし彼の経験によれば、子供でも悪党のない訣ではない。それをことごとく神聖がるのは世界に遍満したセンティメンタリズムである。 「お嬢さんはおいくつですか?」  宣教師は微笑を含んだ眼に少女の顔を覗きこんだ。少女はもう膝の上に毛糸の玉を転がしたなり、さも一かど編めるように二本の編み棒を動かしている。それが眼は油断なしに編み棒の先を追いながら、ほとんど媚を帯びた返事をした。 「あたし? あたしは来年十二。」 「きょうはどちらへいらっしゃるのですか?」 「きょう? きょうはもう家へ帰る所なの。」  自働車はこう云う問答の間に銀座の通りを走っている。走っていると云うよりは跳ねていると云うのかも知れない。ちょうど昔ガリラヤの湖にあらしを迎えたクリストの船にも伯仲するかと思うくらいである。宣教師は後ろへまわした手に真鍮の柱をつかんだまま、何度も自働車の天井へ背の高い頭をぶつけそうになった。しかし一身の安危などは上帝の意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけている。 「きょうは何日だか御存知ですか?」 「十二月二十五日でしょう。」 「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お嬢さん、あなたは御存知ですか?」  保吉はもう一度顔をしかめた。宣教師は巧みにクリスト教の伝道へ移るのに違いない。コオランと共に剣を執ったマホメット教の伝道はまだしも剣を執った所に人間同士の尊敬なり情熱なりを示している。が、クリスト教の伝道は全然相手を尊重しない。あたかも隣りに店を出した洋服屋の存在を教えるように慇懃に神を教えるのである。あるいはそれでも知らぬ顔をすると、今度は外国語の授業料の代りに信仰を売ることを勧めるのである。殊に少年や少女などに画本や玩具を与える傍ら、ひそかに彼等の魂を天国へ誘拐しようとするのは当然犯罪と呼ばれなければならぬ。保吉の隣りにいる少女も、――しかし少女は不相変編みものの手を動かしながら、落ち着き払った返事をした。 「ええ、それは知っているわ。」 「ではきょうは何の日ですか? 御存知ならば云って御覧なさい。」  少女はやっと宣教師の顔へみずみずしい黒眼勝ちの眼を注いだ。 「きょうはあたしのお誕生日。」  保吉は思わず少女を見つめた。少女はもう大真面目に編み棒の先へ目をやっていた。しかしその顔はどう云うものか、前に思ったほど生意気ではない。いや、むしろ可愛い中にも智慧の光りの遍照した、幼いマリアにも劣らぬ顔である。保吉はいつか彼自身の微笑しているのを発見した。 「きょうはあなたのお誕生日!」  宣教師は突然笑い出した。この仏蘭西人の笑う様子はちょうど人の好いお伽噺の中の大男か何かの笑うようである。少女は今度はけげんそうに宣教師の顔へ目を挙げた。これは少女ばかりではない。鼻の先にいる保吉を始め、両側の男女の乗客はたいてい宣教師へ目をあつめた。ただ彼等の目にあるものは疑惑でもなければ好奇心でもない。いずれも宣教師の哄笑の意味をはっきり理解した頬笑みである。 「お嬢さん。あなたは好い日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人になった時にはですね、あなたはきっと……」  宣教師は言葉につかえたまま、自働車の中を見廻した。同時に保吉と眼を合わせた。宣教師の眼はパンス・ネエの奥に笑い涙をかがやかせている。保吉はその幸福に満ちた鼠色の眼の中にあらゆるクリスマスの美しさを感じた。少女は――少女もやっと宣教師の笑い出した理由に気のついたのであろう、今は多少拗ねたようにわざと足などをぶらつかせている。 「あなたはきっと賢い奥さんに――優しいお母さんにおなりなさるでしょう。ではお嬢さん、さようなら。わたしの降りる所へ来ましたから。では――」  宣教師はまた前のように一同の顔を見渡した。自働車はちょうど人通りの烈しい尾張町の辻に止まっている。 「では皆さん、さようなら。」  数時間の後、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あの肥った宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることであろう? クリストと誕生日を共にした少女は夕飯の膳についた父や母にけさの出来事を話しているかも知れない。保吉もまた二十年前には娑婆苦を知らぬ少女のように、あるいは罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のように小さい幸福を所有していた。大徳院の縁日に葡萄餅を買ったのもその頃である。二州楼の大広間に活動写真を見たのもその頃である。 「本所深川はまだ灰の山ですな。」 「へええ、そうですかねえ。時に吉原はどうしたんでしょう?」 「吉原はどうしましたか、――浅草にはこの頃お姫様の婬売が出ると云うことですな。」  隣りのテエブルには商人が二人、こう云う会話をつづけている。が、そんなことはどうでも好い。カフェの中央のクリスマスの木は綿をかけた針葉の枝に玩具のサンタ・クロオスだの銀の星だのをぶら下げている。瓦斯煖炉の炎も赤あかとその木の幹を照らしているらしい。きょうはお目出たいクリスマスである。「世界中のお祝するお誕生日」である。保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり巻煙草をふかしながら、大川の向うに人となった二十年前の幸福を夢みつづけた。……  この数篇の小品は一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。      二 道の上の秘密  保吉の四歳の時である。彼は鶴と云う女中と一しょに大溝の往来へ通りかかった。黒ぐろと湛えた大溝の向うは後に両国の停車場になった、名高い御竹倉の竹藪である。本所七不思議の一つに当る狸の莫迦囃子と云うものはこの藪の中から聞えるらしい。少くとも保吉は誰に聞いたのか、狸の莫迦囃子の聞えるのは勿論、おいてき堀や片葉の葭も御竹倉にあるものと確信していた。が、今はこの気味の悪い藪も狸などはどこかへ逐い払ったように、日の光の澄んだ風の中に黄ばんだ竹の秀をそよがせている。 「坊ちゃん、これを御存知ですか?」  つうや(保吉は彼女をこう呼んでいた)は彼を顧みながら、人通りの少い道の上を指した。土埃の乾いた道の上にはかなり太い線が一すじ、薄うすと向うへ走っている。保吉は前にも道の上にこう云う線を見たような気がした。しかし今もその時のように何かと云うことはわからなかった。 「何でしょう? 坊ちゃん、考えて御覧なさい。」  これはつうやの常套手段である。彼女は何を尋ねても、素直に教えたと云うことはない。必ず一度は厳格に「考えて御覧なさい」を繰り返すのである。厳格に――けれどもつうやは母のように年をとっていた訣でもなんでもない。やっと十五か十六になった、小さい泣黒子のある小娘である。もとより彼女のこう云ったのは少しでも保吉の教育に力を添えたいと思ったのであろう。彼もつうやの親切には感謝したいと思っている。が、彼女もこの言葉の意味をもっとほんとうに知っていたとすれば、きっと昔ほど執拗に何にでも「考えて御覧なさい」を繰り返す愚だけは免れたであろう。保吉は爾来三十年間、いろいろの問題を考えて見た。しかし何もわからないことはあの賢いつうやと一しょに大溝の往来を歩いた時と少しも変ってはいないのである。…… 「ほら、こっちにももう一つあるでしょう? ねえ、坊ちゃん、考えて御覧なさい。このすじは一体何でしょう?」  つうやは前のように道の上を指した。なるほど同じくらい太い線が三尺ばかりの距離を置いたまま、土埃の道を走っている。保吉は厳粛に考えて見た後、とうとうその答を発明した。 「どこかの子がつけたんだろう、棒か何か持って来て?」 「それでも二本並んでいるでしょう?」 「だって二人でつけりゃ二本になるもの。」  つうやはにやにや笑いながら、「いいえ」と云う代りに首を振った。保吉は勿論不平だった。しかし彼女は全知である。云わば Delphi の巫女である。道の上の秘密もとうの昔に看破しているのに違いない。保吉はだんだん不平の代りにこの二すじの線に対する驚異の情を感じ出した。 「じゃ何さ、このすじは?」 「何でしょう? ほら、ずっと向うまで同じように二すじ並んでいるでしょう?」  実際つうやの云う通り、一すじの線のうねっている時には、向うに横たわったもう一すじの線もちゃんと同じようにうねっている。のみならずこの二すじの線は薄白い道のつづいた向うへ、永遠そのもののように通じている。これは一体何のために誰のつけた印であろう? 保吉は幻燈の中に映る蒙古の大沙漠を思い出した。二すじの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいている。……… 「よう、つうや、何だって云えば?」 「まあ、考えて御覧なさい。何か二つ揃っているものですから。――何でしょう、二つ揃っているものは?」  つうやもあらゆる巫女のように漠然と暗示を与えるだけである。保吉はいよいよ熱心に箸とか手袋とか太鼓の棒とか二つあるものを並べ出した。が、彼女はどの答にも容易に満足を表わさない。ただ妙に微笑したぎり、不相変「いいえ」を繰り返している。 「よう、教えておくれよう。ようってば。つうや。莫迦つうやめ!」  保吉はとうとう癇癪を起した。父さえ彼の癇癪には滅多に戦を挑んだことはない。それはずっと守りをつづけたつうやもまた重々承知しているが、彼女はやっとおごそかに道の上の秘密を説明した。 「これは車の輪の跡です。」  これは車の輪の跡です! 保吉は呆気にとられたまま、土埃の中に断続した二すじの線を見まもった。同時に大沙漠の空想などは蜃気楼のように消滅した。今はただ泥だらけの荷車が一台、寂しい彼の心の中におのずから車輪をまわしている。……  保吉は未だにこの時受けた、大きい教訓を服膺している。三十年来考えて見ても、何一つ碌にわからないのはむしろ一生の幸福かも知れない。      三 死  これもその頃の話である。晩酌の膳に向った父は六兵衛の盞を手にしたまま、何かの拍子にこう云った。 「とうとうお目出度なったそうだな、ほら、あの槙町の二弦琴の師匠も。……」  ランプの光は鮮かに黒塗りの膳の上を照らしている。こう云う時の膳の上ほど、美しい色彩に溢れたものはない。保吉は未だに食物の色彩――鮞脯だの焼海苔だの酢蠣だの辣薑だのの色彩を愛している。もっとも当時愛したのはそれほど品の好い色彩ではない。むしろ悪どい刺戟に富んだ、生なましい色彩ばかりである。彼はその晩も膳の前に、一掴みの海髪を枕にしためじの刺身を見守っていた。すると微醺を帯びた父は彼の芸術的感興をも物質的欲望と解釈したのであろう。象牙の箸をとり上げたと思うと、わざと彼の鼻の上へ醤油の匂のする刺身を出した。彼は勿論一口に食った。それから感謝の意を表するため、こう父へ話しかけた。 「さっきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なった!」  父は勿論、母や伯母も一時にどっと笑い出した。が、必ずしもその笑いは機智に富んだ彼の答を了解したためばかりでもないようである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑わせたのはとにかく大手柄には違いない。かつまた家中を陽気にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉はたちまち父と一しょに出来るだけ大声に笑い出した。  すると笑い声の静まった後、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉の頸すじをたたいた。 「お目出度なると云うことはね、死んでしまうと云うことだよ。」  あらゆる答は鋤のように問の根を断ってしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる木鋏の役にしか立たぬものである。三十年前の保吉も三十年後の保吉のように、やっと答を得たと思うと、今度はそのまた答の中に新しい問を発見した。 「死んでしまうって、どうすること?」 「死んでしまうと云うことはね、ほら、お前は蟻を殺すだろう。……」  父は気の毒にも丹念に死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守する彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には石燈籠の下や冬青の木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云う訣か、全然この差別を無視している。…… 「殺された蟻は死んでしまったのさ。」 「殺されたのは殺されただけじゃないの?」 「殺されたのも死んだのも同じことさ。」 「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」 「云っても何でも同じことなんだよ。」 「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」 「莫迦、何と云うわからないやつだ。」  父に叱られた保吉の泣き出してしまったのは勿論である。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその後数箇月の間、ちょうどひとかどの哲学者のように死と云う問題を考えつづけた。死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにも関らず死んだ蟻である。このくらい秘密の魅力に富んだ、掴え所のない問題はない。保吉は死を考える度に、ある日回向院の境内に見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対の方角へ顔を向けたまま、一匹のようにじっとしていた。のみならず妙に厳粛だった。死と云うものもあの二匹の犬と何か似た所を持っているのかも知れない。……  するとある火ともし頃である。保吉は役所から帰った父と、薄暗い風呂にはいっていた。はいっていたとは云うものの、体などを洗っていたのではない。ただ胸ほどある据え風呂の中に恐る恐る立ったなり、白い三角帆を張った帆前船の処女航海をさせていたのである。そこへ客か何か来たのであろう、鶴よりも年上の女中が一人、湯気の立ちこめた硝子障子をあけると、石鹸だらけになっていた父へ旦那様何とかと声をかけた。父は海綿を使ったまま、「よし、今行く」と返事をした。それからまた保吉へ顔を見せながら、「お前はまだはいってお出。今お母さんがはいるから」と云った。勿論父のいないことは格別帆前船の処女航海に差支えを生ずる次第でもない。保吉はちょっと父を見たぎり、「うん」と素直に返事をした。  父は体を拭いてしまうと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どっこいしょ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着せずに帆前船の三角帆を直していた。が、硝子障子のあいた音にもう一度ふと目を挙げると、父はちょうど湯気の中に裸の背中を見せたまま、風呂場の向うへ出る所だった。父の髪はまだ白い訣ではない。腰も若いもののようにまっ直である。しかしそう云う後ろ姿はなぜか四歳の保吉の心にしみじみと寂しさを感じさせた。「お父さん」――一瞬間帆前船を忘れた彼は思わずそう呼びかけようとした。けれども二度目の硝子戸の音は静かに父の姿を隠してしまった。あとにはただ湯の匂に満ちた薄明りの広がっているばかりである。  保吉はひっそりした据え風呂の中に茫然と大きい目を開いた。同時に従来不可解だった死と云うものを発見した。――死とはつまり父の姿の永久に消えてしまうことである!      四 海  保吉の海を知ったのは五歳か六歳の頃である。もっとも海とは云うものの、万里の大洋を知ったのではない。ただ大森の海岸に狭苦しい東京湾を知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「大船の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光りに煙った海の何か妙にもの悲しい神秘を感じさせたのは事実である。彼は海へ張り出した葭簾張りの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めつづけた。海は白じろと赫いた帆かけ船を何艘も浮かべている。長い煙を空へ引いた二本マストの汽船も浮かべている。翼の長い一群の鴎はちょうど猫のように啼きかわしながら、海面を斜めに飛んで行った。あの船や鴎はどこから来、どこへ行ってしまうのであろう? 海はただ幾重かの海苔粗朶の向うに青あおと煙っているばかりである。……  けれども海の不可思議を一層鮮かに感じたのは裸になった父や叔父と遠浅の渚へ下りた時である。保吉は初め砂の上へ静かに寄せて来るさざ波を怖れた。が、それは父や叔父と海の中へはいりかけたほんの二三分の感情だった。その後の彼はさざ波は勿論、あらゆる海の幸を享楽した。茶屋の手すりに眺めていた海はどこか見知らぬ顔のように、珍らしいと同時に無気味だった。――しかし干潟に立って見る海は大きい玩具箱と同じことである。玩具箱! 彼は実際神のように海と云う世界を玩具にした。蟹や寄生貝は眩ゆい干潟を右往左往に歩いている。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。あの喇叭に似ているのもやはり法螺貝と云うのであろうか? この砂の中に隠れているのは浅蜊と云う貝に違いない。……  保吉の享楽は壮大だった。けれどもこう云う享楽の中にも多少の寂しさのなかった訣ではない。彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵をはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも関らず、毒々しいほど青い浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと煙っている。が、渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。しかしまた同時に勇敢にも残酷な現実を承認した。海を青いと考えるのは沖だけ見た大人の誤りである。これは誰でも彼のように海水浴をしさえすれば、異存のない真理に違いない。海は実は代赭色をしている。バケツの錆に似た代赭色をしている。  三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま当嵌る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは所詮徒労に畢るだけである。それよりも代赭色の海の渚に美しい貝を発見しよう。海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来に惝れるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には不相変ひとりこう思っている。  大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔噺」の中にある「浦島太郎」を買って来てくれた。こう云うお伽噺を読んで貰うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々挿絵を彩ることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加えることにした。「浦島太郎」は一冊の中に十ばかりの挿絵を含んでいる。彼はまず浦島太郎の竜宮を去るの図を彩りはじめた。竜宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。乙姫は――彼はちょっと考えた後、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずとも好い、漁夫の着物は濃い藍色、腰蓑は薄い黄色である。ただ細い釣竿にずっと黄色をなするのは存外彼にはむずかしかった。蓑亀も毛だけを緑に塗るのは中々なまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色である。バケツの錆に似た代赭色である。――保吉はこう云う色彩の調和に芸術家らしい満足を感じた。殊に乙姫や浦島太郎の顔へ薄赤い色を加えたのは頗る生動の趣でも伝えたもののように信じていた。  保吉は匇々母のところへ彼の作品を見せに行った。何か縫ものをしていた母は老眼鏡の額越しに挿絵の彩色へ目を移した。彼は当然母の口から褒め言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかった。 「海の色は可笑しいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの?」 「だって海はこう云う色なんだもの。」 「代赭色の海なんぞあるものかね。」 「大森の海は代赭色じゃないの?」 「大森の海だってまっ青だあね。」 「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」  母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を洩らした。が、どんなに説明しても、――いや、癇癪を起して彼の「浦島太郎」を引き裂いた後さえ、この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。……「海」の話はこれだけである。もっとも今日の保吉は話の体裁を整えるために、もっと小説の結末らしい結末をつけることも困難ではない。たとえば話を終る前に、こう云う数行をつけ加えるのである。――「保吉は母との問答の中にもう一つ重大な発見をした。それは誰も代赭色の海には、――人生に横わる代赭色の海にも目をつぶり易いと云うことである。」  けれどもこれは事実ではない。のみならず満潮は大森の海にも青い色の浪を立たせている。すると現実とは代赭色の海か、それともまた青い色の海か? 所詮は我々のリアリズムも甚だ当にならぬと云うほかはない。かたがた保吉は前のような無技巧に話を終ることにした。が、話の体裁は?――芸術は諸君の云うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支えない。      五 幻燈 「このランプへこう火をつけて頂きます。」  玩具屋の主人は金属製のランプへ黄色いマッチの火をともした。それから幻燈の後ろの戸をあけ、そっとそのランプを器械の中へ移した。七歳の保吉は息もつかずに、テエブルの前へ及び腰になった主人の手もとを眺めている。綺麗に髪を左から分けた、妙に色の蒼白い主人の手もとを眺めている。時間はやっと三時頃であろう。玩具屋の外の硝子戸は一ぱいに当った日の光りの中に絶え間のない人通りを映している。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の空箱などを無造作に積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと変りはない。保吉はここへ来た時に何か気味悪さに近いものを感じた。しかし今は幻燈に――幻燈を映して見せる主人にあらゆる感情を忘れている。いや、彼の後ろに立った父の存在さえ忘れている。 「ランプを入れて頂きますと、あちらへああ月が出ますから、――」  やっと腰を起した主人は保吉と云うよりもむしろ父へ向うの白壁を指し示した。幻燈はその白壁の上へちょうど差渡し三尺ばかりの光りの円を描いている。柔かに黄ばんだ光りの円はなるほど月に似ているかも知れない。が、白壁の蜘蛛の巣や埃もそこだけはありありと目に見えている。 「こちらへこう画をさすのですな。」  かたりと云う音の聞えたと思うと、光りの円はいつのまにかぼんやりと何か映している。保吉は金属の熱する匂に一層好奇心を刺戟されながら、じっとその何かへ目を注いだ。何か、――まだそこに映ったものは風景か人物かも判然しない。ただわずかに見分けられるのははかない石鹸玉に似た色彩である。いや、色彩の似たばかりではない。この白壁に映っているのはそれ自身大きい石鹸玉である。夢のようにどこからか漂って来た薄明りの中の石鹸玉である。 「あのぼんやりしているのはレンズのピントを合せさえすれば――この前にあるレンズですな。――直に御覧の通りはっきりなります。」  主人はもう一度及び腰になった。と同時に石鹸玉は見る見る一枚の風景画に変った。もっとも日本の風景画ではない。水路の両側に家々の聳えたどこか西洋の風景画である。時刻はもう日の暮に近い頃であろう。三日月は右手の家々の空にかすかに光りを放っている。その三日月も、家々も、家々の窓の薔薇の花も、ひっそりと湛えた水の上へ鮮かに影を落している。人影は勿論、見渡したところ鴎一羽浮んでいない。水はただ突当りの橋の下へまっ直に一すじつづいている。 「イタリヤのベニスの風景でございます。」  三十年後の保吉にヴェネチアの魅力を教えたのはダンヌンチオの小説である。けれども当時の保吉はこの家々だの水路だのにただたよりのない寂しさを感じた。彼の愛する風景は大きい丹塗りの観音堂の前に無数の鳩の飛ぶ浅草である。あるいはまた高い時計台の下に鉄道馬車の通る銀座である。それらの風景に比べると、この家々だの水路だのは何と云う寂しさに満ちているのであろう。鉄道馬車や鳩は見えずとも好い。せめては向うの橋の上に一列の汽車でも通っていたら、――ちょうどこう思った途端である。大きいリボンをした少女が一人、右手に並んだ窓の一つから突然小さい顔を出した。どの窓かははっきり覚えていない。しかし大体三日月の下の窓だったことだけは確かである。少女は顔を出したと思うと、さらにその顔をこちらへ向けた。それから――遠目にも愛くるしい顔に疑う余地のない頬笑みを浮かべた? が、それは掛け価のない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように人気のない窓かけを垂らしている。…… 「さあ、もう映しかたはわかったろう?」  父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻を啣えたまま、退屈そうに後ろに佇んでいる。玩具屋の外の往来も不相変人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は小手調べをすませた手品師のように、妙な蒼白い頬のあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……  保吉はその晩父と一しょに蝋を引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空の三日月、両側の家々、家々の窓の薔薇の花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけの後に家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願するように話しかけた。 「あの女の子はどうして出ないの?」 「女の子? どこかに女の子がいるのかい?」  父は保吉の問の意味さえ、はっきりわからない様子である。 「ううん、いはしないけれども、顔だけ窓から出したじゃないの?」 「いつさ?」 「玩具屋の壁へ映した時に。」 「あの時も女の子なんぞは出やしないさ。」 「だって顔を出したのが見えたんだもの。」 「何を云っている?」  父は何と思ったか保吉の額へ手のひらをやった。それから急に保吉にもつけ景気とわかる大声を出した。 「さあ、今度は何を映そう?」  けれども保吉は耳にもかけず、ヴェネチアの風景を眺めつづけた。窓は薄明るい水路の水に静かな窓かけを映している。しかしいつかはどこかの窓から、大きいリボンをした少女が一人、突然顔を出さぬものでもない。――彼はこう考えると、名状の出来ぬ懐しさを感じた。同時に従来知らなかったある嬉しい悲しさをも感じた。あの画の幻燈の中にちらりと顔を出した少女は実際何か超自然の霊が彼の目に姿を現わしたのであろうか? あるいはまた少年に起り易い幻覚の一種に過ぎなかったのであろうか? それは勿論彼自身にも解決出来ないのに違いない。が、とにかく保吉は三十年後の今日さえ、しみじみ塵労に疲れた時にはこの永久に帰って来ないヴェネチアの少女を思い出している、ちょうど何年も顔をみない初恋の女人でも思い出すように。      六 お母さん  八歳か九歳の時か、とにかくどちらかの秋である。陸軍大将の川島は回向院の濡れ仏の石壇の前に佇みながら、味かたの軍隊を検閲した。もっとも軍隊とは云うものの、味かたは保吉とも四人しかいない。それも金釦の制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく紺飛白や目くら縞の筒袖を着ているのである。  これは勿論国技館の影の境内に落ちる回向院ではない。まだ野分の朝などには鼠小僧の墓のあたりにも銀杏落葉の山の出来る二昔前の回向院である。妙に鄙びた当時の景色――江戸と云うよりも江戸のはずれの本所と云う当時の景色はとうの昔に消え去ってしまった。しかしただ鳩だけは同じことである。いや、鳩も違っているかも知れない。その日も濡れ仏の石壇のまわりはほとんど鳩で一ぱいだった。が、どの鳩も今日のように小綺麗に見えはしなかったらしい。「門前の土鳩を友や樒売り」――こう云う天保の俳人の作は必ずしも回向院の樒売りをうたったものとは限らないであろう。それとも保吉はこの句さえ見れば、いつも濡れ仏の石壇のまわりにごみごみ群がっていた鳩を、――喉の奥にこもる声に薄日の光りを震わせていた鳩を思い出さずにはいられないのである。  鑢屋の子の川島は悠々と検閲を終った後、目くら縞の懐ろからナイフだのパチンコだのゴム鞠だのと一しょに一束の画札を取り出した。これは駄菓子屋に売っている行軍将棋の画札である。川島は彼等に一枚ずつその画札を渡しながら、四人の部下を任命(?)した。ここにその任命を公表すれば、桶屋の子の平松は陸軍少将、巡査の子の田宮は陸軍大尉、小間物屋の子の小栗はただの工兵、堀川保吉は地雷火である。地雷火は悪い役ではない。ただ工兵にさえ出合わなければ、大将をも俘に出来る役である。保吉は勿論得意だった。が、円まろと肥った小栗は任命の終るか終らないのに、工兵になる不平を訴え出した。 「工兵じゃつまらないなあ。よう、川島さん。あたいも地雷火にしておくれよ、よう。」 「お前はいつだって俘になるじゃないか?」  川島は真顔にたしなめた。けれども小栗はまっ赤になりながら、少しも怯まずに云い返した。 「嘘をついていらあ。この前に大将を俘にしたのだってあたいじゃないか?」 「そうか? じゃこの次には大尉にしてやる。」  川島はにやりと笑ったと思うと、たちまち小栗を懐柔した。保吉は未にこの少年の悪智慧の鋭さに驚いている。川島は小学校も終らないうちに、熱病のために死んでしまった。が、万一死なずにいた上、幸いにも教育を受けなかったとすれば、少くとも今は年少気鋭の市会議員か何かになっていたはずである。…… 「開戦!」  この時こう云う声を挙げたのは表門の前に陣取った、やはり四五人の敵軍である。敵軍はきょうも弁護士の子の松本を大将にしているらしい。紺飛白の胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の合図をするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。 「開戦!」  画札を握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ吶喊した。同時にまた静かに群がっていた鳩は夥しい羽音を立てながら、大まわりに中ぞらへ舞い上った。それから――それからは未曾有の激戦である。硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。しかし味かたは勇敢にじりじり敵陣へ肉薄した。もっとも敵の地雷火は凄まじい火柱をあげるが早いか、味かたの少将を粉微塵にした。が、敵軍も大佐を失い、その次にはまた保吉の恐れる唯一の工兵を失ってしまった。これを見た味かたは今までよりも一層猛烈に攻撃をつづけた。――と云うのは勿論事実ではない。ただ保吉の空想に映じた回向院の激戦の光景である。けれども彼は落葉だけ明るい、もの寂びた境内を駆けまわりながら、ありありと硝煙の匂を感じ、飛び違う砲火の閃きを感じた。いや、ある時は大地の底に爆発の機会を待っている地雷火の心さえ感じたものである。こう云う溌剌とした空想は中学校へはいった後、いつのまにか彼を見離してしまった。今日の彼は戦ごっこの中に旅順港の激戦を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戦の中にも戦ごっこを見ているばかりである。しかし追憶は幸いにも少年時代へ彼を呼び返した。彼はまず何を措いても、当時の空想を再びする無上の快楽を捉えなければならぬ。――  硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。保吉はその中を一文字に敵の大将へ飛びかかった。敵の大将は身を躱すと、一散に陣地へ逃げこもうとした。保吉はそれへ追いすがった。と思うと石に躓いたのか、仰向けにそこへ転んでしまった。同時にまた勇ましい空想も石鹸玉のように消えてしまった。もう彼は光栄に満ちた一瞬間前の地雷火ではない。顔は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、帽子も何もない少年である。彼はやっと立ち上ると、思わず大声に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騒ぎにせっかくの激戦も中止したまま、保吉のまわりへ集まったらしい。「やあ、負傷した」と云うものもある。「仰向けにおなりよ」と云うものもある。「おいらのせいじゃなあい」と云うものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出来ぬ悲しさのために、二の腕に顔を隠したなり、いよいよ懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに嘲笑の声を挙げたのは陸軍大将の川島である。 「やあい、お母さんて泣いていやがる!」  川島の言葉はたちまちのうちに敵味方の言葉を笑い声に変じた。殊に大声に笑い出したのは地雷火になり損った小栗である。 「可笑しいな。お母さんて泣いていやがる!」  けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云った覚えはない。それを云ったように誣いるのはいつもの川島の意地悪である。――こう思った彼は悲しさにも増した口惜しさに一ぱいになったまま、さらにまた震え泣きに泣きはじめた。しかしもう意気地のない彼には誰一人好意を示すものはいない。のみならず彼等は口々に川島の言葉を真似しながら、ちりぢりにどこかへ駈け出して行った。 「やあい、お母さんって泣いていやがる!」  保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間啜り泣きをやめなかった。  保吉は爾来この「お母さん」を全然川島の発明した譃とばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、上海へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいった後も容易に彼を離れなかった。彼は白い寝台の上に朦朧とした目を開いたまま、蒙古の春を運んで来る黄沙の凄じさを眺めたりしていた。するとある蒸暑い午後、小説を読んでいた看護婦は突然椅子を離れると、寝台の側へ歩み寄りながら、不思議そうに彼の顔を覗きこんだ。 「あら、お目覚になっていらっしゃるんですか?」 「どうして?」 「だって今お母さんって仰有ったじゃありませんか?」  保吉はこの言葉を聞くが早いか、回向院の境内を思い出した。川島もあるいは意地の悪い譃をついたのではなかったかも知れない。 (大正十三年四月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年2月24日第1刷発行    1995(平成7)年4月10日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月8日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 貴問に曰、近来娼婦型の女人増加せるを如何思ふ乎と。然れども僕は娼婦型の女人の増加せる事実を信ずる能はず。尤も女人も家庭の外に呼吸する自由を捉へたれば、当代の女人の男子を見ること、猛獣の如くならざるは事実なるべし。こは勿論娼婦型の女人の増加せる結果と言ふこと能はず。又産児を免るべき科学的方法並びに道徳的論も略完全に具りたれば当代の女人の必しも交合を恐れざるは事実なるべし。若し今日の社会制度に若干の変化を生じたる後、あらゆる童子の養育は社会の責任になり了らん乎、この傾向の今日よりも一層増加するは言ふを待たず。然れども畢に交合は必然に産児を伴ふ以上、男子には冒険でも何でもなけれど、女人には常に生死を賭する冒険たるを免れざるべし。若し常に生死を賭する冒険たるを免れずとせば、絶対に交合を恐れざるは常人の善くする所にあらざるなり。よし又天下の女人にして悉交合を恐れざること、入浴を恐れざるが如きに至るも、そは少しも娼婦型の女人の増加せる結果と云ふこと能はず。何となれば娼婦型の女人は啻に交合を恐れざるのみならず、又実に恬然として個人的威厳を顧みざる天才を具へざる可らざればなり。教坊十万の妓は多しと雖も、真に娼婦型の女人を求むれば、恐らくは甚だ多からざる可し。天下も亦教坊と等しきのみ。旦に呉客の夫人となり、暮に越商の小星となるも、豈悉病的なる娼婦型の女人と限る可けんや。この故に僕は娼婦型の婦人の増加せる事実を信ずる能はず。況や貴問に答ふるをや。聊か所思を記して拙答に代ふ。高免を蒙らば幸甚なり。 (大正十三年十一月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 金沢の方言によれば「うまさうな」と云ふのは「肥つた」と云ふことである。例へば肥つた人を見ると、あの人はうまさうな人だなどとも云ふらしい。この方言は一寸食人種の使ふ言葉じみてゐて愉快である。  僕はこの方言を思ひ出すたびに、自然と僕の友達を食物として、見るやうになつてゐる。  里見弴君などは皮造りの刺身にしたらば、きつと、うまいのに違ひない。菊池君も、あの鼻などを椎茸と一緒に煮てくへば、脂ぎつてゐて、うまいだらう。谷崎潤一郎君は西洋酒で煮てくへば飛び切りに、うまいことは確である。  北原白秋君のビフテキも、やはり、うまいのに違ひない。宇野浩二君がロオスト・ビフに適してゐることは、前にも何かの次手に書いておいた。佐佐木茂索君は串に通して、白やきにするのに適してゐる。  室生犀星君はこれは――今僕の前に坐つてゐるから、甚だ相済まない気がするけれども――干物にして食ふより仕方がない。然し、室生君は、さだめしこの室生君自身の干物を珍重して食べることだらう。(昭和二年四月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003795", "作品名": "食物として", "作品名読み": "しょくもつとして", "ソート用読み": "しよくもつとして", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-07-22T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3795.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3795_ruby_27224.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3795_27312.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-23T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
       一  元治元年十一月二十六日、京都守護の任に当つてゐた、加州家の同勢は、折からの長州征伐に加はる為、国家老の長大隅守を大将にして、大阪の安治川口から、船を出した。  小頭は、佃久太夫、山岸三十郎の二人で、佃組の船には白幟、山岸組の船には赤幟が立つてゐる。五百石積の金毘羅船が、皆それぞれ、紅白の幟を風にひるがへして、川口を海へのり出した時の景色は、如何にも勇ましいものだつたさうである。  しかし、その船へ乗組んでゐる連中は、中々勇ましがつてゐる所の騒ぎではない。第一どの船にも、一艘に、主従三十四人、船頭四人、併せて三十八人づつ乗組んでゐる。だから、船の中は、皆、身動きも碌に出来ない程狭い。それから又、胴の間には、沢庵漬を鰌桶へつめたのが、足のふみ所もない位、ならべてある。慣れない内は、その臭気を嗅ぐと、誰でもすぐに、吐き気を催した。最後に旧暦の十一月下旬だから、海上を吹いて来る風が、まるで身を切るやうに冷い。殊に日が暮れてからは、摩耶颪なり水の上なり、流石に北国生れの若侍も、多くは歯の根が合はないと云ふ始末であつた。  その上、船の中には、虱が沢山ゐた。それも、着物の縫目にかくれてゐるなどと云ふ、生やさしい虱ではない。帆にもたかつてゐる。幟にもたかつてゐる。檣にもたかつてゐる。錨にもたかつてゐる。少し誇張して云へば、人間を乗せる為の船だか、虱を乗せる為の船だか、判然しない位である。勿論その位だから、着物には、何十匹となくたかつてゐる。さうして、それが人肌にさへさはれば、すぐに、いい気になつて、ちくちくやる。それも、五匹や十匹なら、どうにでも、せいとうのしやうがあるが、前にも云つた通り、白胡麻をふり撒いたやうに、沢山ゐるのだから、とても、とりつくすなどと云ふ事が出来る筈のものではない。だから、佃組と山岸組とを問はず、船中にゐる侍と云ふ侍の体は、悉く虱に食はれた痕で、まるで麻疹にでも罹つたやうに、胸と云はず腹と云はず、一面に赤く腫れ上がつてゐた。  しかし、いくら手のつけやうがないと云つても、そのまま打遣つて置くわけには、猶行かない。そこで、船中の連中は、暇さへあれば、虱狩をやつた。上は家老から下は草履取まで、悉く裸になつて、随所にゐる虱をてんでに茶呑茶碗の中へ、取つては入れ、取つては入れするのである。大きな帆に内海の冬の日をうけた金毘羅船の中で、三十何人かの侍が、湯もじ一つに茶呑茶碗を持つて、帆綱の下、錨の陰と、一生懸命に虱ばかり、さがして歩いた時の事を想像すると、今日では誰しも滑稽だと云ふ感じが先に立つが、「必要」の前に、一切の事が真面目になるのは、維新以前と雖も、今と別に変りはない。――そこで、一船の裸侍は、それ自身が大きな虱のやうに、寒いのを我慢して、毎日根気よく、そこここと歩きながら、丹念に板の間の虱ばかりつぶしてゐた。        二  所が佃組の船に、妙な男が一人ゐた。これは森権之進と云ふ中老のつむじ曲りで、身分は七十俵五人扶持の御徒士である。この男だけは不思議に、虱をとらない。とらないから、勿論、何処と云はず、たかつてゐる。髷ぶしへのぼつてゐる奴があるかと思ふと、袴腰のふちを渡つてゐる奴がある。それでも別段、気にかける容子がない。  ではこの男だけ、虱に食はれないのかと云ふと、又さうでもない。やはり外の連中のやうに、体中金銭斑々とでも形容したらよからうと思ふ程、所まだらに赤くなつてゐる。その上、当人がそれを掻いてゐる所を見ると、痒くない訳でもないらしい。が、痒くつても何でも、一向平気で、すましてゐる。  すましてゐるだけなら、まだいいが、外の連中が、せつせと虱狩をしてゐるのを見ると、必わきからこんな事を云ふ。―― 「とるなら、殺し召さるな。殺さずに茶碗へ入れて置けば、わしが貰うて進ぜよう。」 「貰うて、どうさつしやる?」同役の一人が、呆れた顔をして、かう尋ねた。 「貰うてか。貰へばわしが飼うておくまでぢや。」  森は、恬然として答へるのである。 「では殺さずにとつて進ぜよう。」  同役は、冗談だと思つたから、二三人の仲間と一しよに半日がかりで、虱を生きたまま、茶呑茶碗へ二三杯とりためた。この男の腹では、かうして置いて「さあ飼へ」と云つたら、いくら依怙地な森でも、閉口するだらうと思つたからである。  すると、こつちからはまだ何とも云はない内に、森が自分の方から声をかけた。 「とれたかな。とれたらわしが貰うて進ぜよう。」  同役の連中は、皆、驚いた。 「ではここへ入れてくれさつしやい。」  森は平然として、着物の襟をくつろげた。 「痩我慢をして、あとでお困りなさるな。」  同役がかう云つたが、当人は耳にもかけない。そこで一人づつ、持つてゐる茶碗を倒にして、米屋が一合枡で米をはかるやうに、ぞろぞろ虱をその襟元へあけてやると、森は、大事さうに外へこぼれた奴を拾ひながら、 「有難い。これで今夜から暖に眠られるて。」といふ独語を云ひながら、にやにや笑つてゐる。 「虱がゐると、暖うこざるかな。」  呆気にとられてゐた同役は、皆互に顔を見合せながら、誰に尋ねるともなく、かう云つた。すると、森は、虱を入れた後の襟を、丁寧に直しながら、一応、皆の顔を莫迦にしたやうに見まはして、それからこんな事を云ひ出した。 「各々は皆、この頃の寒さで、風をひかれるがな、この権之進はどうぢや。嚔もせぬ。洟もたらさぬ。まして、熱が出たの、手足が冷えるのと云うた覚は、嘗てあるまい。各々はこれを、誰のおかげぢやと思はつしやる。――みんな、この虱のおかげぢや。」  何でも森の説によれば、体に虱がゐると、必ちくちく刺す。刺すからどうしても掻きたくなる。そこで、体中万遍なく刺されると、やはり体中万遍なく掻きたくなる。所が人間と云ふものはよくしたもので、痒い痒いと思つて掻いてゐる中に、自然と掻いた所が、熱を持つたやうに温くなつてくる。そこで温くなつてくれば、睡くなつて来る。睡くなつて来れば、痒いのもわからない。――かう云ふ調子で、虱さへ体に沢山ゐれば、睡つきもいいし、風もひかない。だからどうしても、虱飼ふべし、狩るべからずと云ふのである。…… 「成程、そんなものでこざるかな。」同役の二三人は、森の虱論を聞いて、感心したやうに、かう云つた。        三  それから、その船の中では、森の真似をして、虱を飼ふ連中が出来て来た。この連中も、暇さへあれば、茶呑茶碗を持つて虱を追ひかけてゐる事は、外の仲間と別に変りがない。唯、ちがふのは、その取つた虱を、一々刻銘に懐に入れて、大事に飼つて置く事だけである。  しかし、何処の国、何時の世でも、Précurseur の説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論にの説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論に反対する、Pharisien が大勢ゐた。  中でも筆頭第一の Pharisien は井上典蔵と云ふ御徒士である。これも亦妙な男で、虱をとると必ず皆食つてしまふ。夕がた飯をすませると、茶呑茶碗を前に置いて、うまさうに何かぷつりぷつり噛んでんでゐるから、側へよつて茶碗の中を覗いて見ると、それが皆、とりためた虱である。「どんな味でござる?」と訊くと、「左様さ。油臭い、焼米のやうな味でござらう」と云ふ。虱を口でつぶす者は、何処にでもゐるが、この男はさうではない。全く点心を食ふ気で、毎日虱を食つてゐる。――これが先、第一に森に反対した。  井上のやうに、虱を食ふ人間は、外に一人もゐないが、井上の反対説に加担をする者は可成ゐる。この連中の云ひ分によると、虱がゐたからと云つて、人間の体は決して温まるものではない。それのみならず、孝経にも、身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始なりとある。自、好んでその身体を、虱如きに食はせるのは、不孝も亦甚しい。だから、どうしても虱狩るべし。飼ふべからずと云ふのである。……  かう云ふ行きがかりで、森の仲間と井上の仲間との間には、時折口論が持上がる。それも、唯、口論位ですんでゐた内は、差支へない。が、とうとう、しまひには、それが素で、思ひもよらない刃傷沙汰さへ、始まるやうな事になつた。  それと云ふのは、或日、森が、又大事に飼はうと思つて、人から貰つた虱を茶碗へ入れてとつて置くと、油断を見すまして井上が、何時の間にかそれを食つてしまつた。森が来て見ると、もう一匹もない。そこで、この Précurseur の説が、そのまま何人にも容れられると云ふ事は滅多にない。船中にも、森の虱論にが腹を立てた。 「何故、人の虱を食はしつた。」  張肘をしながら、眼の色を変へて、かうつめよると、井上は、 「自体、虱を飼ふと云ふのが、たはけぢやての。」と、空嘯いて、まるで取合ふけしきがない。 「食ふ方がたはけぢや。」  森は、躍起となつて、板の間をたたきながら、 「これ、この船中に、一人として虱の恩を蒙らぬ者がござるか。その虱を取つて食ふなどとは、恩を仇でかへすのも同前ぢや。」 「身共は、虱の恩を着た覚えなどは、毛頭ござらぬ。」 「いや、たとひ恩を着ぬにもせよ、妄に生類の命を断つなどとは、言語道断でござらう。」  二言三言云ひつのつたと思ふと、森がいきなり眼の色を変へて、蝦鞘巻の柄に手をかけた。勿論、井上も負けてはゐない。すぐに、朱鞘の長物をひきよせて、立上る。――裸で虱をとつてゐた連中が、慌てて両人を取押へなかつたなら、或はどちらか一方の命にも関る所であつた。  この騒ぎを実見した人の話によると、二人は、一同に抱きすくめられながら、それでもまだ口角に泡を飛ばせて、「虱。虱。」と叫んでゐたさうである。        四  かう云ふ具合に、船中の侍たちが、虱の為に刃傷沙汰を引起してゐる間でも、五百石積の金毘羅船だけは、まるでそんな事には頓着しないやうに、紅白の幟を寒風にひるがへしながら、遙々として長州征伐の途に上るべく、雪もよひの空の下を、西へ西へと走つて行つた。 (大正五年三月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:野口英司 1998年3月16日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 久保田万太郎君の「しるこ」のことを書いてゐるのを見、僕も亦「しるこ」のことを書いて見たい欲望を感じた。震災以來の東京は梅園や松村以外には「しるこ」屋らしい「しるこ」屋は跡を絶つてしまつた。その代りにどこもカツフエだらけである。僕等はもう廣小路の「常盤」にあの椀になみなみと盛つた「おきな」を味ふことは出來ない。これは僕等下戸仲間の爲には少からぬ損失である。のみならず僕等の東京の爲にもやはり少からぬ損失である。  それも「常盤」の「しるこ」に匹敵するほどの珈琲を飮ませるカツフエでもあれば、まだ僕等は仕合せであらう。が、かう云ふ珈琲を飮むことも現在ではちよつと不可能である。僕はその爲にも「しるこ」屋のないことを情けないことの一つに數へざるを得ない。 「しるこ」は西洋料理や支那料理と一しよに東京の「しるこ」を第一としてゐる。(或は「してゐた」と言はなければならぬ。)しかもまだ紅毛人たちは「しるこ」の味を知つてゐない。若し一度知つたとすれば、「しるこ」も亦或は麻雀戲のやうに世界を風靡しないとも限らないのである。帝國ホテルや精養軒のマネエヂヤア諸君は何かの機會に紅毛人たちにも一椀の「しるこ」をすすめて見るが善い。彼等は天ぷらを愛するやうに「しるこ」をも必ず――愛するかどうかは多少の疑問はあるにもせよ、兎に角一應はすすめて見る價値のあることだけは確かであらう。  僕は今もペンを持つたまま、はるかにニユウヨオクの或クラブに紅毛人の男女が七八人、一椀の「しるこ」を啜りながら、チヤアリ、チヤプリンの離婚問題か何かを話してゐる光景を想像してゐる。それから又パリの或カツフエにやはり紅毛人の畫家が一人、一椀の「しるこ」を啜りながら、――こんな想像をすることは閑人の仕事に相違ない。しかしあの逞しいムツソリニも一椀の「しるこ」を啜りながら、天下の大勢を考へてゐるのは兎に角想像するだけでも愉快であらう。 (二、五、七)
底本:「芥川龍之介全集 第九卷」岩波書店    1978(昭和53)年4月24日初版発行    1983(昭和58)年1月20日第2刷発行 初出:「スヰート 第二卷第三號」明治製菓株式會社    1927(昭和2)年6月15日 入力:高柳典子 校正:多羅尾伴内 2003年6月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  ある春の午過ぎです。白と云う犬は土を嗅ぎ嗅ぎ、静かな往来を歩いていました。狭い往来の両側にはずっと芽をふいた生垣が続き、そのまた生垣の間にはちらほら桜なども咲いています。白は生垣に沿いながら、ふとある横町へ曲りました。が、そちらへ曲ったと思うと、さもびっくりしたように、突然立ち止ってしまいました。  それも無理はありません。その横町の七八間先には印半纏を着た犬殺しが一人、罠を後に隠したまま、一匹の黒犬を狙っているのです。しかも黒犬は何も知らずに、犬殺しの投げてくれたパンか何かを食べているのです。けれども白が驚いたのはそのせいばかりではありません。見知らぬ犬ならばともかくも、今犬殺しに狙われているのはお隣の飼犬の黒なのです。毎朝顔を合せる度にお互の鼻の匂を嗅ぎ合う、大の仲よしの黒なのです。  白は思わず大声に「黒君! あぶない!」と叫ぼうとしました。が、その拍子に犬殺しはじろりと白へ目をやりました。「教えて見ろ! 貴様から先へ罠にかけるぞ。」――犬殺しの目にはありありとそう云う嚇しが浮んでいます。白は余りの恐ろしさに、思わず吠えるのを忘れました。いや、忘れたばかりではありません。一刻もじっとしてはいられぬほど、臆病風が立ち出したのです。白は犬殺しに目を配りながら、じりじり後すざりを始めました。そうしてまた生垣の蔭に犬殺しの姿が隠れるが早いか、可哀そうな黒を残したまま、一目散に逃げ出しました。  その途端に罠が飛んだのでしょう。続けさまにけたたましい黒の鳴き声が聞えました。しかし白は引き返すどころか、足を止めるけしきもありません。ぬかるみを飛び越え、石ころを蹴散らし、往来どめの縄を擦り抜け、五味ための箱を引っくり返し、振り向きもせずに逃げ続けました。御覧なさい。坂を駈けおりるのを! そら、自動車に轢かれそうになりました! 白はもう命の助かりたさに夢中になっているのかも知れません。いや、白の耳の底にはいまだに黒の鳴き声が虻のように唸っているのです。 「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」 二  白はやっと喘ぎ喘ぎ、主人の家へ帰って来ました。黒塀の下の犬くぐりを抜け、物置小屋を廻りさえすれば、犬小屋のある裏庭です。白はほとんど風のように、裏庭の芝生へ駈けこみました。もうここまで逃げて来れば、罠にかかる心配はありません。おまけに青あおした芝生には、幸いお嬢さんや坊ちゃんもボオル投げをして遊んでいます。それを見た白の嬉しさは何と云えば好いのでしょう? 白は尻尾を振りながら、一足飛びにそこへ飛んで行きました。 「お嬢さん! 坊ちゃん! 今日は犬殺しに遇いましたよ。」  白は二人を見上げると、息もつかずにこう云いました。(もっともお嬢さんや坊ちゃんには犬の言葉はわかりませんから、わんわんと聞えるだけなのです。)しかし今日はどうしたのか、お嬢さんも坊ちゃんもただ呆気にとられたように、頭さえ撫でてはくれません。白は不思議に思いながら、もう一度二人に話しかけました。 「お嬢さん! あなたは犬殺しを御存じですか? それは恐ろしいやつですよ。坊ちゃん! わたしは助かりましたが、お隣の黒君は掴まりましたぜ。」  それでもお嬢さんや坊ちゃんは顔を見合せているばかりです。おまけに二人はしばらくすると、こんな妙なことさえ云い出すのです。 「どこの犬でしょう? 春夫さん。」 「どこの犬だろう? 姉さん。」  どこの犬? 今度は白の方が呆気にとられました。(白にはお嬢さんや坊ちゃんの言葉もちゃんと聞きわけることが出来るのです。我々は犬の言葉がわからないものですから、犬もやはり我々の言葉はわからないように考えていますが、実際はそうではありません。犬が芸を覚えるのは我々の言葉がわかるからです。しかし我々は犬の言葉を聞きわけることが出来ませんから、闇の中を見通すことだの、かすかな匂を嗅ぎ当てることだの、犬の教えてくれる芸は一つも覚えることが出来ません。) 「どこの犬とはどうしたのです? わたしですよ! 白ですよ!」  けれどもお嬢さんは不相変気味悪そうに白を眺めています。 「お隣の黒の兄弟かしら?」 「黒の兄弟かも知れないね。」坊ちゃんもバットをおもちゃにしながら、考え深そうに答えました。 「こいつも体中まっ黒だから。」  白は急に背中の毛が逆立つように感じました。まっ黒! そんなはずはありません。白はまだ子犬の時から、牛乳のように白かったのですから。しかし今前足を見ると、いや、――前足ばかりではありません。胸も、腹も、後足も、すらりと上品に延びた尻尾も、みんな鍋底のようにまっ黒なのです。まっ黒! まっ黒! 白は気でも違ったように、飛び上ったり、跳ね廻ったりしながら、一生懸命に吠え立てました。 「あら、どうしましょう? 春夫さん。この犬はきっと狂犬だわよ。」  お嬢さんはそこに立ちすくんだなり、今にも泣きそうな声を出しました。しかし坊ちゃんは勇敢です。白はたちまち左の肩をぽかりとバットに打たれました。と思うと二度目のバットも頭の上へ飛んで来ます。白はその下をくぐるが早いか、元来た方へ逃げ出しました。けれども今度はさっきのように、一町も二町も逃げ出しはしません。芝生のはずれには棕櫚の木のかげに、クリイム色に塗った犬小屋があります。白は犬小屋の前へ来ると、小さい主人たちを振り返りました。 「お嬢さん! 坊ちゃん! わたしはあの白なのですよ。いくらまっ黒になっていても、やっぱりあの白なのですよ。」  白の声は何とも云われぬ悲しさと怒りとに震えていました。けれどもお嬢さんや坊ちゃんにはそう云う白の心もちも呑みこめるはずはありません。現にお嬢さんは憎らしそうに、 「まだあすこに吠えているわ。ほんとうに図々しい野良犬ね。」などと、地だんだを踏んでいるのです。坊ちゃんも、――坊ちゃんは小径の砂利を拾うと、力一ぱい白へ投げつけました。 「畜生! まだ愚図愚図しているな。これでもか? これでもか?」砂利は続けさまに飛んで来ました。中には白の耳のつけ根へ、血の滲むくらい当ったのもあります。白はとうとう尻尾を巻き、黒塀の外へぬけ出しました。黒塀の外には春の日の光に銀の粉を浴びた紋白蝶が一羽、気楽そうにひらひら飛んでいます。 「ああ、きょうから宿無し犬になるのか?」  白はため息を洩らしたまま、しばらくはただ電柱の下にぼんやり空を眺めていました。 三  お嬢さんや坊ちゃんに逐い出された白は東京中をうろうろ歩きました。しかしどこへどうしても、忘れることの出来ないのはまっ黒になった姿のことです。白は客の顔を映している理髪店の鏡を恐れました。雨上りの空を映している往来の水たまりを恐れました。往来の若葉を映している飾窓の硝子を恐れました。いや、カフェのテエブルに黒ビイルを湛えているコップさえ、――けれどもそれが何になりましょう? あの自動車を御覧なさい。ええ、あの公園の外にとまった、大きい黒塗りの自動車です。漆を光らせた自動車の車体は今こちらへ歩いて来る白の姿を映しました。――はっきりと、鏡のように。白の姿を映すものはあの客待の自動車のように、到るところにある訣なのです。もしあれを見たとすれば、どんなに白は恐れるでしょう。それ、白の顔を御覧なさい。白は苦しそうに唸ったと思うと、たちまち公園の中へ駈けこみました。  公園の中には鈴懸の若葉にかすかな風が渡っています。白は頭を垂れたなり、木々の間を歩いて行きました。ここには幸い池のほかには、姿を映すものも見当りません。物音はただ白薔薇に群がる蜂の声が聞えるばかりです。白は平和な公園の空気に、しばらくは醜い黒犬になった日ごろの悲しさも忘れていました。  しかしそう云う幸福さえ五分と続いたかどうかわかりません。白はただ夢のように、ベンチの並んでいる路ばたへ出ました。するとその路の曲り角の向うにけたたましい犬の声が起ったのです。 「きゃん。きゃん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」  白は思わず身震いをしました。この声は白の心の中へ、あの恐ろしい黒の最後をもう一度はっきり浮ばせたのです。白は目をつぶったまま、元来た方へ逃げ出そうとしました。けれどもそれは言葉通り、ほんの一瞬の間のことです。白は凄じい唸り声を洩らすと、きりりとまた振り返りました。 「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」  この声はまた白の耳にはこう云う言葉にも聞えるのです。 「きゃあん。きゃあん。臆病ものになるな! きゃあん。臆病ものになるな!」  白は頭を低めるが早いか、声のする方へ駈け出しました。  けれどもそこへ来て見ると、白の目の前へ現れたのは犬殺しなどではありません。ただ学校の帰りらしい、洋服を着た子供が二三人、頸のまわりへ縄をつけた茶色の子犬を引きずりながら、何かわいわい騒いでいるのです。子犬は一生懸命に引きずられまいともがきもがき、「助けてくれえ。」と繰り返していました。しかし子供たちはそんな声に耳を借すけしきもありません。ただ笑ったり、怒鳴ったり、あるいはまた子犬の腹を靴で蹴ったりするばかりです。  白は少しもためらわずに、子供たちを目がけて吠えかかりました。不意を打たれた子供たちは驚いたの驚かないのではありません。また実際白の容子は火のように燃えた眼の色と云い、刃物のようにむき出した牙の列と云い、今にも噛みつくかと思うくらい、恐ろしいけんまくを見せているのです。子供たちは四方へ逃げ散りました。中には余り狼狽したはずみに、路ばたの花壇へ飛びこんだのもあります。白は二三間追いかけた後、くるりと子犬を振り返ると、叱るようにこう声をかけました。 「さあ、おれと一しょに来い。お前の家まで送ってやるから。」  白は元来た木々の間へ、まっしぐらにまた駈けこみました。茶色の子犬も嬉しそうに、ベンチをくぐり、薔薇を蹴散らし、白に負けまいと走って来ます。まだ頸にぶら下った、長い縄をひきずりながら。        ×          ×          ×  二三時間たった後、白は貧しいカフェの前に茶色の子犬と佇んでいました。昼も薄暗いカフェの中にはもう赤あかと電燈がともり、音のかすれた蓄音機は浪花節か何かやっているようです。子犬は得意そうに尾を振りながら、こう白へ話しかけました。 「僕はここに住んでいるのです。この大正軒と云うカフェの中に。――おじさんはどこに住んでいるのです?」 「おじさんかい?――おじさんはずっと遠い町にいる。」  白は寂しそうにため息をしました。 「じゃもうおじさんは家へ帰ろう。」 「まあお待ちなさい。おじさんの御主人はやかましいのですか?」 「御主人? なぜまたそんなことを尋ねるのだい?」 「もし御主人がやかましくなければ、今夜はここに泊って行って下さい。それから僕のお母さんにも命拾いの御礼を云わせて下さい。僕の家には牛乳だの、カレエ・ライスだの、ビフテキだの、いろいろな御馳走があるのです。」 「ありがとう。ありがとう。だがおじさんは用があるから、御馳走になるのはこの次にしよう。――じゃお前のお母さんによろしく。」  白はちょいと空を見てから、静かに敷石の上を歩き出しました。空にはカフェの屋根のはずれに、三日月もそろそろ光り出しています。 「おじさん。おじさん。おじさんと云えば!」  子犬は悲しそうに鼻を鳴らしました。 「じゃ名前だけ聞かして下さい。僕の名前はナポレオンと云うのです。ナポちゃんだのナポ公だのとも云われますけれども。――おじさんの名前は何と云うのです?」 「おじさんの名前は白と云うのだよ。」 「白――ですか? 白と云うのは不思議ですね。おじさんはどこも黒いじゃありませんか?」  白は胸が一ぱいになりました。 「それでも白と云うのだよ。」 「じゃ白のおじさんと云いましょう。白のおじさん。ぜひまた近い内に一度来て下さい。」 「じゃナポ公、さよなら!」 「御機嫌好う、白のおじさん! さようなら、さようなら!」 四  その後の白はどうなったか?――それは一々話さずとも、いろいろの新聞に伝えられています。大かたどなたも御存じでしょう。度々危い人命を救った、勇ましい一匹の黒犬のあるのを。また一時『義犬』と云う活動写真の流行したことを。あの黒犬こそ白だったのです。しかしまだ不幸にも御存じのない方があれば、どうか下に引用した新聞の記事を読んで下さい。  東京日日新聞。昨十八日(五月)午前八時四十分、奥羽線上り急行列車が田端駅附近の踏切を通過する際、踏切番人の過失に依り、田端一二三会社員柴山鉄太郎の長男実彦(四歳)が列車の通る線路内に立ち入り、危く轢死を遂げようとした。その時逞しい黒犬が一匹、稲妻のように踏切へ飛びこみ、目前に迫った列車の車輪から、見事に実彦を救い出した。この勇敢なる黒犬は人々の立騒いでいる間にどこかへ姿を隠したため、表彰したいにもすることが出来ず、当局は大いに困っている。  東京朝日新聞。軽井沢に避暑中のアメリカ富豪エドワアド・バアクレエ氏の夫人はペルシア産の猫を寵愛している。すると最近同氏の別荘へ七尺余りの大蛇が現れ、ヴェランダにいる猫を呑もうとした。そこへ見慣れぬ黒犬が一匹、突然猫を救いに駈けつけ、二十分に亘る奮闘の後、とうとうその大蛇を噛み殺した。しかしこのけなげな犬はどこかへ姿を隠したため、夫人は五千弗の賞金を懸け、犬の行方を求めている。  国民新聞。日本アルプス横断中、一時行方不明になった第一高等学校の生徒三名は七日(八月)上高地の温泉へ着した。一行は穂高山と槍ヶ岳との間に途を失い、かつ過日の暴風雨に天幕糧食等を奪われたため、ほとんど死を覚悟していた。然るにどこからか黒犬が一匹、一行のさまよっていた渓谷に現れ、あたかも案内をするように、先へ立って歩き出した。一行はこの犬の後に従い、一日余り歩いた後、やっと上高地へ着することが出来た。しかし犬は目の下に温泉宿の屋根が見えると、一声嬉しそうに吠えたきり、もう一度もと来た熊笹の中へ姿を隠してしまったと云う。一行は皆この犬が来たのは神明の加護だと信じている。  時事新報。十三日(九月)名古屋市の大火は焼死者十余名に及んだが、横関名古屋市長なども愛児を失おうとした一人である。令息武矩(三歳)はいかなる家族の手落からか、猛火の中の二階に残され、すでに灰燼となろうとしたところを、一匹の黒犬のために啣え出された。市長は今後名古屋市に限り、野犬撲殺を禁ずると云っている。  読売新聞。小田原町城内公園に連日の人気を集めていた宮城巡回動物園のシベリヤ産大狼は二十五日(十月)午後二時ごろ、突然巌乗な檻を破り、木戸番二名を負傷させた後、箱根方面へ逸走した。小田原署はそのために非常動員を行い、全町に亘る警戒線を布いた。すると午後四時半ごろ右の狼は十字町に現れ、一匹の黒犬と噛み合いを初めた。黒犬は悪戦頗る努め、ついに敵を噛み伏せるに至った。そこへ警戒中の巡査も駈けつけ、直ちに狼を銃殺した。この狼はルプス・ジガンティクスと称し、最も兇猛な種属であると云う。なお宮城動物園主は狼の銃殺を不当とし、小田原署長を相手どった告訴を起すといきまいている。等、等、等。 五  ある秋の真夜中です。体も心も疲れ切った白は主人の家へ帰って来ました。勿論お嬢さんや坊ちゃんはとうに床へはいっています。いや、今は誰一人起きているものもありますまい。ひっそりした裏庭の芝生の上にも、ただ高い棕櫚の木の梢に白い月が一輪浮んでいるだけです。白は昔の犬小屋の前に、露に濡れた体を休めました。それから寂しい月を相手に、こういう独語を始めました。 「お月様! お月様! わたしは黒君を見殺しにしました。わたしの体のまっ黒になったのも、大かたそのせいかと思っています。しかしわたしはお嬢さんや坊ちゃんにお別れ申してから、あらゆる危険と戦って来ました。それは一つには何かの拍子に煤よりも黒い体を見ると、臆病を恥じる気が起ったからです。けれどもしまいには黒いのがいやさに、――この黒いわたしを殺したさに、あるいは火の中へ飛びこんだり、あるいはまた狼と戦ったりしました。が、不思議にもわたしの命はどんな強敵にも奪われません。死もわたしの顔を見ると、どこかへ逃げ去ってしまうのです。わたしはとうとう苦しさの余り、自殺しようと決心しました。ただ自殺をするにつけても、ただ一目会いたいのは可愛がって下すった御主人です。勿論お嬢さんや坊ちゃんはあしたにもわたしの姿を見ると、きっとまた野良犬と思うでしょう。ことによれば坊ちゃんのバットに打ち殺されてしまうかも知れません。しかしそれでも本望です。お月様! お月様! わたしは御主人の顔を見るほかに、何も願うことはありません。そのため今夜ははるばるともう一度ここへ帰って来ました。どうか夜の明け次第、お嬢さんや坊ちゃんに会わして下さい。」  白は独語を云い終ると、芝生に腭をさしのべたなり、いつかぐっすり寝入ってしまいました。        ×          ×          × 「驚いたわねえ、春夫さん。」 「どうしたんだろう? 姉さん。」  白は小さい主人の声に、はっきりと目を開きました。見ればお嬢さんや坊ちゃんは犬小屋の前に佇んだまま、不思議そうに顔を見合せています。白は一度挙げた目をまた芝生の上へ伏せてしまいました。お嬢さんや坊ちゃんは白がまっ黒に変った時にも、やはり今のように驚いたものです。あの時の悲しさを考えると、――白は今では帰って来たことを後悔する気さえ起りました。するとその途端です。坊ちゃんは突然飛び上ると、大声にこう叫びました。 「お父さん! お母さん! 白がまた帰って来ましたよ!」  白が! 白は思わず飛び起きました。すると逃げるとでも思ったのでしょう。お嬢さんは両手を延ばしながら、しっかり白の頸を押えました。同時に白はお嬢さんの目へ、じっと彼の目を移しました。お嬢さんの目には黒い瞳にありありと犬小屋が映っています。高い棕櫚の木のかげになったクリイム色の犬小屋が、――そんなことは当然に違いありません。しかしその犬小屋の前には米粒ほどの小ささに、白い犬が一匹坐っているのです。清らかに、ほっそりと。――白はただ恍惚とこの犬の姿に見入りました。 「あら、白は泣いているわよ。」  お嬢さんは白を抱きしめたまま、坊ちゃんの顔を見上げました。坊ちゃんは――御覧なさい、坊ちゃんの威張っているのを! 「へっ、姉さんだって泣いている癖に!」 (大正十二年七月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年2月24日第1刷発行    1995(平成7)年4月10日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 初出:「女性改造」    1923(大正12)年8月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:もりみつじゅんじ 1999年3月1日公開 2012年3月22日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。鵠沼の海岸に蜃気楼の見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家の女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ。」などと感心していた。  僕等は東家の横を曲り、次手にO君も誘うことにした。不相変赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は秦皮樹のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。 「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」  O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。 「僕等は蜃気楼を見に出て来たんだよ。君も一しょに行かないか?」 「蜃気楼か? ――」  O君は急に笑い出した。 「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな。」  五分ばかりたった後、僕等はもうO君と一しょに砂の深い路を歩いて行った。路の左は砂原だった。そこに牛車の轍が二すじ、黒ぐろと斜めに通っていた。僕はこの深い轍に何か圧迫に近いものを感じた。逞しい天才の仕事の痕、――そんな気も迫って来ないのではなかった。 「まだ僕は健全じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから。」  O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答えなかった。が、僕の心もちはO君にははっきり通じたらしかった。  そのうちに僕等は松の間を、――疎らに低い松の間を通り、引地川の岸を歩いて行った。海は広い砂浜の向うに深い藍色に晴れ渡っていた。が、絵の島は家々や樹木も何か憂鬱に曇っていた。 「新時代ですね?」  K君の言葉は唐突だった。のみならず微笑を含んでいた。新時代? ――しかも僕は咄嗟の間にK君の「新時代」を発見した。それは砂止めの笹垣を後ろに海を眺めている男女だった。尤も薄いインバネスに中折帽をかぶった男は新時代と呼ぶには当らなかった。しかし女の断髪は勿論、パラソルや踵の低い靴さえ確に新時代に出来上っていた。 「幸福らしいね。」 「君なんぞは羨しい仲間だろう。」  O君はK君をからかったりした。  蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある船の影も何も見えなかった。 「あれを蜃気楼と云うんですかね?」  K君は顋を砂だらけにしたなり、失望したようにこう言っていた。そこへどこからか鴉が一羽、二三町隔った砂浜の上を、藍色にゆらめいたものの上をかすめ、更に又向うへ舞い下った。と同時に鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った。 「これでもきょうは上等の部だな。」  僕等はO君の言葉と一しょに砂の上から立ち上った。するといつか僕等の前には僕等の残して来た「新時代」が二人、こちらへ向いて歩いていた。  僕はちょっとびっくりし、僕等の後ろをふり返った。しかし彼等は不相変一町ほど向うの笹垣を後ろに何か話しているらしかった。僕等は、――殊にO君は拍子抜けのしたように笑い出した。 「この方が反って蜃気楼じゃないか?」  僕等の前にいる「新時代」は勿論彼等とは別人だった。が、女の断髪や男の中折帽をかぶった姿は彼等と殆ど変らなかった。 「僕は何だか気味が悪かった。」 「僕もいつの間に来たのかと思いましたよ。」  僕等はこんなことを話しながら、今度は引地川の岸に沿わずに低い砂山を越えて行った。砂山は砂止めの笹垣の裾にやはり低い松を黄ばませていた。O君はそこを通る時に「どっこいしょ」と云うように腰をかがめ、砂の上の何かを拾い上げた。それは瀝青らしい黒枠の中に横文字を並べた木札だった。 「何だい、それは? Sr. H. Tsuji …… Unua …… Aprilo …… Jaro ……1906……」 「何かしら? dua …… Majesta ……ですか? 1926としてありますね。」 「これは、ほれ、水葬した死骸についていたんじゃないか?」  O君はこう云う推測を下した。 「だって死骸を水葬する時には帆布か何かに包むだけだろう?」 「だからそれへこの札をつけてさ。――ほれ、ここに釘が打ってある。これはもとは十字架の形をしていたんだな。」  僕等はもうその時には別荘らしい篠垣や松林の間を歩いていた。木札はどうもO君の推測に近いものらしかった。僕は又何か日の光の中に感じる筈のない無気味さを感じた。 「縁起でもないものを拾ったな。」 「何、僕はマスコットにするよ。……しかし1906から1926とすると、二十位で死んだんだな。二十位と――」 「男ですかしら? 女ですかしら?」 「さあね。……しかし兎に角この人は混血児だったかも知れないね。」  僕はK君に返事をしながら、船の中に死んで行った混血児の青年を想像した。彼は僕の想像によれば、日本人の母のある筈だった。 「蜃気楼か。」  O君はまっ直に前を見たまま、急にこう独り語を言った。それは或は何げなしに言った言葉かも知れなかった。が、僕の心もちには何か幽かに触れるものだった。 「ちょっと紅茶でも飲んで行くかな。」  僕等はいつか家の多い本通りの角に佇んでいた。家の多い? ――しかし砂の乾いた道には殆ど人通りは見えなかった。 「K君はどうするの?」 「僕はどうでも、………」  そこへ真白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて来た。 二  K君の東京へ帰った後、僕は又O君や妻と一しょに引地川の橋を渡って行った。今度は午後の七時頃、――夕飯をすませたばかりだった。  その晩は星も見えなかった。僕等は余り話もせずに人げのない砂浜を歩いて行った。砂浜には引地川の川口のあたりに火かげが一つ動いていた。それは沖へ漁に行った船の目じるしになるものらしかった。  浪の音は勿論絶えなかった。が、浪打ち際へ近づくにつれ、だんだん磯臭さも強まり出した。それは海そのものよりも僕等の足もとに打ち上げられた海艸や汐木の匂らしかった。僕はなぜかこの匂を鼻の外にも皮膚の上に感じた。  僕等は暫く浪打ち際に立ち、浪がしらの仄くのを眺めていた。海はどこを見てもまっ暗だった。僕は彼是十年前、上総の或海岸に滞在していたことを思い出した。同時に又そこに一しょにいた或友だちのことを思い出した。彼は彼自身の勉強の外にも「芋粥」と云う僕の短篇の校正刷を読んでくれたりした。………  そのうちにいつかO君は浪打ち際にしゃがんだまま、一本のマッチをともしていた。 「何をしているの?」 「何ってことはないけれど、………ちょっとこう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでしょう?」  O君は肩越しに僕等を見上げ、半ばは妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は海松ふさや心太艸の散らかった中にさまざまの貝殻を照らし出していた。O君はその火が消えてしまうと、又新たにマッチを摺り、そろそろ浪打ち際を歩いて行った。 「やあ、気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った。」  それは半ば砂に埋まった遊泳靴の片っぽだった。そこには又海艸の中に大きい海綿もころがっていた。しかしその火も消えてしまうと、あたりは前よりも暗くなってしまった。 「昼間ほどの獲物はなかった訣だね。」 「獲物? ああ、あの札か? あんなものはざらにありはしない。」  僕等は絶え間ない浪の音を後に広い砂浜を引き返すことにした。僕等の足は砂の外にも時々海艸を踏んだりした。 「ここいらにもいろんなものがあるんだろうなあ。」 「もう一度マッチをつけて見ようか?」 「好いよ。………おや、鈴の音がするね。」  僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際鈴の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。 「あたしの木履の鈴が鳴るでしょう。――」  しかし妻は振り返らずとも、草履をはいているのに違いなかった。 「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」 「奥さんの袂の中で鳴っているんだから、――ああ、Yちゃんのおもちゃだよ。鈴のついたセルロイドのおもちゃだよ。」  O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の常談を機会に前よりも元気に話し出した。  僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の醒めた後もわからなかった。 「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」 「じゃ女の運転手だったの?」 「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」 「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」 「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って気味が悪いんだ。何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして、………」 「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」  僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顔だけははっきり見えるのを発見した。しかし星明りさえ見えないことは前と少しも変らなかった。僕は又何か無気味になり、何度も空を仰いで見たりした。すると妻も気づいたと見え、まだ何とも言わないうちに僕の疑問に返事をした。 「砂のせいですね。そうでしょう?」  妻は両袖を合せるようにし、広い砂浜をふり返っていた。 「そうらしいね。」 「砂と云うやつは悪戯ものだな。蜃気楼もこいつが拵えるんだから。………奥さんはまだ蜃気楼を見ないの?」 「いいえ、この間一度、――何だか青いものが見えたばかりですけれども。………」 「それだけですよ。きょう僕たちの見たのも。」  僕等は引地川の橋を渡り、東家の土手の外を歩いて行った。松は皆いつか起り出した風にこうこうと梢を鳴らしていた。そこへ背の低い男が一人、足早にこちらへ来るらしかった。僕はふとこの夏見た或錯覚を思い出した。それはやはりこう云う晩にポプラアの枝にかかった紙がヘルメット帽のように見えたのだった。が、その男は錯覚ではなかった。のみならず互に近づくのにつれ、ワイシャツの胸なども見えるようになった。 「何だろう、あのネクタイ・ピンは?」  僕は小声にこう言った後、忽ちピンだと思ったのは巻煙草の火だったのを発見した。すると妻は袂を銜え、誰よりも先に忍び笑いをし出した。が、その男はわき目もふらずにさっさと僕等とすれ違って行った。 「じゃおやすみなさい。」 「おやすみなさいまし。」  僕等は気軽にO君に別れ、松風の音の中を歩いて行った。その又松風の音の中には虫の声もかすかにまじっていた。 「おじいさんの金婚式はいつになるんでしょう?」 「おじいさん」と云うのは父のことだった。 「いつになるかな。………東京からバタはとどいているね?」 「バタはまだ。とどいているのはソウセェジだけ。」  そのうちに僕等は門の前へ――半開きになった門の前へ来ていた。
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館    1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店    1978(昭和53)年3月22日発行 初出:「婦人公論 第十二年第三号」    1927(昭和2)年3月1日発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月24日公開 2016年2月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 桜 さつぱりした雨上りです。尤も花の萼は赤いなりについてゐますが。  椎 わたしもそろそろ芽をほごしませう。このちよいと鼠がかつた芽をね。  竹 わたしは未だに黄疸ですよ。…………  芭蕉 おつと、この緑のランプの火屋を風に吹き折られる所だつた。  梅 何だか寒気がすると思つたら、もう毛虫がたかつてゐるんだよ。  八つ手 痒いなあ、この茶色の産毛のあるうちは。  百日紅 何、まだ早うござんさあね。わたしなどは御覧の通り枯枝ばかりさ。  霧島躑躅 常――常談云つちやいけない。わたしなどはあんまり忙しいもんだから、今年だけはつい何時にもない薄紫に咲いてしまつた。  覇王樹 どうでも勝手にするが好いや。おれの知つたことぢやなし。  石榴 ちよいと枝一面に蚤のたかつたやうでせう。  苔 起きないこと?  石 うんもう少し。  楓 「若楓茶色になるも一盛り」――ほんたうにひと盛りですね。もう今は世間並みに唯水々しい鶸色です。おや、障子に灯がともりました。
底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店    1996(平成8)年9月9日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:松永正敏 2002年5月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 或春の午後であつた。私は知人の田崎に面会する為に彼が勤めてゐる出版書肆の狭い応接室の椅子に倚つてゐた。 「やあ、珍しいな。」  間もなく田崎は忙しさうに、万年筆を耳に挟んだ儘、如何はしい背広姿を現した。 「ちと君に頼みたい事があつてね、――実は二三日保養旁、修善寺か湯河原へ小説を書きに行きたいんだが、……」  私は早速用談に取りかかつた。近々私の小説集が、この書肆から出版される。その印税の前借が出来るやうに、一つ骨を折つて見てはくれまいか。――これがその用談の要点であつた。 「そりや出来ない事もないが、――しかし温泉へ行くなぞは贅沢だな。僕はまだ臍の緒切つて以来、旅行らしい旅行はした事がない。」  田崎は「朝日」へ火をつけると、その生活に疲れた顔へ、無邪気な羨望の色を漲らせた。 「何処へでも旅行すれば好いぢやないか。君なぞは独身なんだし。」 「所が貧乏暇なしでね。」  私はこの旧友の前に、聊か私の結城の着物を恥ぢたいやうな心もちになつた。 「だが君も随分長い間、この店に勤めてゐるぢやないか。一体今は何をしてゐるんだ。」 「僕か。」  田崎は「朝日」の灰を落しながら、始めて得意さうな返事をした。 「僕は今旅行案内の編纂をしてゐるんだ。まづ今までに類のない、大規模な旅行案内を拵へて見ようと思つてね。」
底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行 入力校正:j.utiyama 1999年2月15日公開 2003年10月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002322", "作品名": "塵労", "作品名読み": "じんろう", "ソート用読み": "しんろう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-02-15T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card2322.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集 第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1971(昭和46)年10月5日初版第5刷", "校正に使用した版1": "1971(昭和46)年10月5日初版第5刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "j.utiyama", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2322_ruby_1511.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2322_13459.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一  高天原の国も春になった。  今は四方の山々を見渡しても、雪の残っている峰は一つもなかった。牛馬の遊んでいる草原は一面に仄かな緑をなすって、その裾を流れて行く天の安河の水の光も、いつか何となく人懐しい暖みを湛えているようであった。ましてその河下にある部落には、もう燕も帰って来れば、女たちが瓶を頭に載せて、水を汲みに行く噴き井の椿も、とうに点々と白い花を濡れ石の上に落していた。――  そう云う長閑な春の日の午後、天の安河の河原には大勢の若者が集まって、余念もなく力競べに耽っていた。  始、彼等は手ん手に弓矢を執って、頭上の大空へ矢を飛ばせた。彼等の弓の林の中からは、勇ましい弦の鳴る音が風のように起ったり止んだりした。そうしてその音の起る度に、矢は無数の蝗のごとく、日の光に羽根を光らせながら、折から空に懸っている霞の中へ飛んで行った。が、その中でも白い隼の羽根の矢ばかりは、必ずほかの矢よりも高く――ほとんど影も見えなくなるほど高く揚った。それは黒と白と市松模様の倭衣を着た、容貌の醜い一人の若者が、太い白檀木の弓を握って、時々切って放す利り矢であった。  その白羽の矢が舞い上る度に、ほかの若者たちは空を仰いで、口々に彼の技倆を褒めそやした。が、その矢がいつも彼等のより高く揚る事を知ると、彼等は次第に彼の征矢に冷淡な態度を装い出した。のみならず彼等の中の何者かが、彼には到底及ばなくとも、かなり高い所まで矢を飛ばすと、反ってその方へ賛辞を与えたりした。  容貌の醜い若者は、それでも快活に矢を飛ばせ続けた。するとほかの若者たちは、誰からともなく弓を引かなくなった。だから今まで紛々と乱れ飛んでいた矢の雨も、見る見る数が少くなって来た。そうしてとうとうしまいには、彼の射る白羽の矢ばかりが、まるで昼見える流星のように、たった一筋空へ上るようになった。  その内に彼も弓を止めて、得意らしい色を浮べながら、仲間の若者たちの方を振返った。が、彼の近所にはその満足を共にすべく、一人の若者も見当らなかった。彼等はもうその時には、みんな河原の水際により集まって、美しい天の安河の流れを飛び越えるのに熱中していた。  彼等は互に競い合って、同じ河の流れにしても、幅の広い所を飛び越えようとした。時によると不運な若者は、焼太刀のように日を照り返した河の中へ転げ落ちて、眩ゆい水煙を揚げる事もあった。が、大抵は向うの汀へ、ちょうど谷を渡る鹿のように、ひらりひらりと飛び移って行った。そうして今まで立っていたこちらの汀を振返っては声々に笑ったり話したりしていた。  容貌の醜い若者はこの新しい遊戯を見ると、すぐに弓矢を砂の上に捨てて、身軽く河の流れを躍り越えた。そこは彼等が飛んだ中でも、最も幅の広い所であった。けれどもほかの若者たちはさらに彼には頓着しなかった。彼等には彼の後で飛んだ――彼よりも幅の狭い所を彼よりも楽に飛び越えた、背の高い美貌の若者の方が、遥に人気があるらしかった。その若者は彼と同じ市松の倭衣を着ていたが、頸に懸けた勾玉や腕に嵌めた釧などは、誰よりも精巧な物であった。彼は腕を組んだまま、ちょいと羨しそうな眼を挙げて、その若者を眺めたが、やがて彼等の群を離れて、たった一人陽炎の中を河下の方へ歩き出した。 二  河下の方へ歩き出した彼は、やがて誰一人飛んだ事のない、三丈ほども幅のある流れの汀へ足を止めた。そこは一旦湍った水が今までの勢いを失いながら、両岸の石と砂との間に青々と澱んでいる所であった。彼はしばらくその水面を目測しているらしかったが、急に二三歩汀を去ると、まるで石投げを離れた石のように、勢いよくそこを飛び越えようとした。が、今度はとうとう飛び損じて、凄じい水煙を立てながら、まっさかさまに深みへ落ちこんでしまった。  彼の河へ落ちた所は、ほかの若者たちがいる所と大して離れていなかった。だから彼の失敗はすぐに彼等の目にもはいった。彼等のある者はこれを見ると、「ざまを見ろ」と云うように腹を抱えて笑い出した。と同時にまたある者は、やはり囃し立てながらも、以前よりは遥に同情のある声援の言葉を与えたりした。そう云う好意のある連中の中には、あの精巧な勾玉や釧の美しさを誇っている若者なども交っていた。彼等は彼の失敗のために、世間一般の弱者のごとく、始めて彼に幾分の親しみを持つ事が出来たのであった。が、彼等も一瞬の後には、また以前の沈黙に――敵意を蔵した沈黙に還らなければならない事が出来た。  と云うのは河に落ちた彼が、濡れ鼠のようになったまま、向うの汀へ這い上ったと思うと、執念深くもう一度その幅の広い流れの上を飛び越えようとしたからであった。いや、飛び越えようとしたばかりではない。彼は足を縮めながら、明礬色の水の上へ踊り上ったと思う内に、難なくそこを飛び越えた。そうしてこちらの水際へ、雲のような砂煙を舞い上げながら、どさりと大きな尻餅をついた。それは彼等の笑を買うべく、余りに壮厳すぎる滑稽であった。勿論彼等の間からは、喝采も歓呼も起らなかった。  彼は手足の砂を払うと、やっとずぶ濡れになった体を起して、仲間の若者たちの方を眺めやった。が、彼等はもうその時には、流れを飛び越えるのにも飽きたと見えて、また何か新しい力競べを試むべく、面白そうに笑い興じながら、河上の方へ急ぐ所であった。それでもまだ容貌の醜い若者は、快活な心もちを失わなかった。と云うよりも失う筈がなかった。何故と云えば彼等の不快は未に彼には通じなかった。彼はこう云う点になると、実際どこまでも御目出度く出来上った人間の一人であった。しかしまたその御目出度さがあらゆる強者に特有な烙印である事も事実であった。だから仲間の若者たちが河上の方へ行くのを見ると、彼はまだ滴を垂らしたまま、麗らかな春の日に目かげをして、のそのそ砂の上を歩き出した。  その間にほかの若者たちは、河原に散在する巌石を持上げ合う遊戯を始めていた。岩は牛ほどの大きさのも、羊ほどの小ささのも、いろいろ陽炎の中に転がっていた。彼等はみんな腕まくりをして、なるべく大きい岩を抱き起そうとした。が、手ごろな巌石のほかは、中でも膂力の逞しい五六人の若者たちでないと、容易に砂から離れなかった。そこでこの力競べは、自然と彼等五六人の独占する遊戯に変ってしまった。彼等はいずれも大きな岩を軽々と擡げたり投げたりした。殊に赤と白と三角模様の倭衣の袖をまくり上げた、顔中鬚に埋まっている、背の低い猪首の若者は、誰も持ち上げない巌石を自由に動かして見せた。周囲に佇んだ若者たちは、彼の非凡な力業に賞讃の声を惜まなかった。彼もまたその賞讃の声に報ゆべく、次第に大きな巌石に力を試みようとするらしかった。  あの容貌の醜い若者は、ちょうどこの五六人の力競の真最中へ来合せたのであった。 三  あの容貌の醜い若者は、両腕を胸に組んだまま、しばらくは力自慢の五六人が勝負を争うのを眺めていた。が、やがて技癢に堪え兼ねたのか、自分も水だらけな袖をまくると、幅の広い肩を聳かせて、まるで洞穴を出る熊のように、のそのそとその連中の中へはいって行った。そうしてまだ誰も持ち上げない巌石の一つを抱くが早いか、何の苦もなくその岩を肩の上までさし上げて見せた。  しかし大勢の若者たちは、依然として彼には冷淡であった。ただ、その中でもさっきから賞讃の声を浴びていた、背の低い猪首の若者だけは、容易ならない競争者が現れた事を知ったと見えて、さすがに妬ましそうな流し眼をじろじろ彼の方へ注いでいた。その内に彼は担いだ岩を肩の上で一揺り揺ってから、人のいない向うの砂の上へ勢いよくどうと投げ落した。するとあの猪首の若者はちょうど餌に饑えた虎のように、猛然と身を躍らせながら、その巌石へ飛びかかったと思うと、咄嗟の間に抱え上げて、彼にも劣らず楽々と肩よりも高くかざして見せた。  それはこの二人の腕力が、ほかの力自慢の連中よりも数段上にあると云う事を雄弁に語っている証拠であった。そこで今まで臆面も無く力競べをしていた若者たちはいずれも興のさめた顔を見合せながら、周囲に佇んでいる見物仲間へ嫌でも加わらずにはいられなかった。その代りまた後に残った二人は、本来さほど敵意のある間柄でもなかったが、騎虎の勢いで已むを得ず、どちらか一方が降参するまで雌雄を争わずにはいられなくなった。この形勢を見た多勢の若者たちは、あの猪首の若者がさし上げた岩を投げると同時に、これまでよりは一層熱心にどっとどよみを作りながら、今度はずぶ濡れになった彼の方へいつになく一斉に眼を注いだ。が、彼等がただ勝負にのみ興味を持っていると云う事は、――彼自身に対してはやはり好意を持っていないと云う事は、彼等の意地悪るそうな眼の中にも、明かによめる事実であった。  それでも彼は相不変悠々と手に唾など吐きながら、さっきのよりさらに一嵩大きい巌石の側へ歩み寄った。それから両手に岩を抑えて、しばらく呼吸を計っていたが、たちまちうんと力を入れると、一気に腹まで抱え上げた。最後にその手をさし換えてから、見る見る内にまた肩まで物も見事に担いで見せた。が、今度は投げ出さずに、眼で猪首の若者を招くと、人の好さそうな微笑を浮べながら、 「さあ、受取るのだ。」と声をかけた。  猪首の若者は数歩を隔てて、時々髭を噛みながら、嘲るように彼を眺めていたが、 「よし。」と一言答えると、つかつかと彼の側へ進み寄って、すぐにその巌石を小山のような肩へ抱き取った。そうして二三歩歩いてから、一度眼の上までさし上げて置いて、力の限り向うへ抛り投げた。岩は凄じい地響きをさせながら、見物の若者たちの近くへ落ちて、銀粉のような砂煙を揚げた。  大勢の若者たちはまた以前のようにどよめき立った。が、その声がまだ消えない内に、もうあの猪首の若者は、さらに勝敗を争うべく、前にも増して大きい岩を水際の砂から抱き起していた。 四  二人はこう云う力競べを何回となく闘わせた。その内に追い追い二人とも、疲労の気色を現して来た。彼等の顔や手足には、玉のような汗が滴っていた。のみならず彼等の着ている倭衣は、模様の赤黒も見えないほど、一面に砂にまみれていた。それでも彼等は息を切らせながら、必死に巌石を擡げ合って、最後の勝敗が決するまでは容易に止めそうな容子もなかった。  彼等を取り巻いた若者たちの興味は、二人の疲労が加わるのにつれて、益々強くなるらしかった。この点ではこの若者たちも闘鶏や闘犬の見物同様、残忍でもあれば冷酷でもあった。彼等はもう猪首の若者に特別な好意を持たなかった。それにはすでに勝負の興味が、余りに強く彼等の心を興奮の網に捉えていた。だから彼等は二人の力者に、代る代る声援を与えた。古来そのために無数の鶏、無数の犬、無数の人間が徒らに尊い血を流した、――宿命的にあらゆる物を狂気にさせる声援を与えた。  勿論この声援は二人の若者にも作用した。彼等は互に血走った眼の中に、恐るべき憎悪を感じ合った。殊に背の低い猪首の若者は、露骨にその憎悪を示して憚らなかった。彼の投げ捨てる巌石は、しばしば偶然とは解釈し難いほど、あの容貌の醜い若者の足もとに近く転げ落ちた。が、彼はそう云う危険に全然無頓着でいるらしかった。あるいは無頓着に見えるくらい、刻々近づいて来る勝敗に心を奪われているのかも知れなかった。  彼は今も相手の投げた巌石を危く躱しながら、とうとうしまいには勇を鼓して、これも水際に横わっている牛ほどの岩を引起しにかかった。岩は斜に流れを裂いて、淙々とたぎる春の水に千年の苔を洗わせていた。この大岩を擡げる事は、高天原第一の強力と云われた手力雄命でさえ、たやすく出来ようとは思われなかった。が、彼はそれを両手に抱くと、片膝砂へついたまま、渾身の力を揮い起して、ともかくも岩の根を埋めた砂の中からは抱え上げた。  この人間以上の膂力は、周囲に佇んだ若者たちから、ほとんど声援を与うべき余裕さえ奪った観があった。彼等は皆息を呑んで千曳の大岩を抱えながら、砂に片膝ついた彼の姿を眼も離さずに眺めていた。彼はしばらくの間動かなかった。しかし彼が懸命の力を尽している事だけは、その手足から滴り落ちる汗の絶えないのにも明かであった。それがやや久しく続いた後、声をひそめていた若者たちは、誰からともなくまたどよみを挙げた。ただそのどよみは前のような、勢いの好い声援の叫びではなく、思わず彼等の口を洩れた驚歎の呻きにほかならなかった。何故と云えばこの時彼は、大岩の下に肩を入れて、今までついていた片膝を少しずつ擡げ出したからであった。岩は彼が身を起すと共に、一寸ずつ、一分ずつ、じりじり砂を離れて行った。そうして再び彼等の間から一種のどよみが起った時には、彼はすでに突兀たる巌石を肩に支えながら、みずらの髪を額に乱して、あたかも大地を裂いて出た土雷の神のごとく、河原に横わる乱石の中に雄々しくも立ち上っていた。 五  千曳の大岩を担いだ彼は、二足三足蹌踉と流れの汀から歩みを運ぶと、必死と食いしばった歯の間から、ほとんど呻吟する様な声で、「好いか渡すぞ。」と相手を呼んだ。  猪首の若者は逡巡した。少くとも一瞬間は、凄壮そのもののような彼の姿に一種の威圧を感じたらしかった。が、これもすぐにまた絶望的な勇気を振い起して、 「よし。」と噛みつくように答えたと思うと、奮然と大手を拡げながら、やにわにあの大岩を抱き取ろうとした。  岩はほどなく彼の肩から、猪首の若者の肩へ移り出した。それはあたかも雲の堰が押し移るがごとく緩漫であった。と同時にまた雲の峰が堰き止め難いごとく刻薄であった。猪首の若者はまっ赤になって、狼のように牙を噛みながら、次第にのしかかって来る千曳の岩を逞しい肩に支えようとした。しかし岩が相手の肩から全く彼の肩へ移った時、彼の体は刹那の間、大風の中の旗竿のごとく揺れ動いたように思われた。するとたちまち彼の顔も半面を埋めた鬚を除いて、見る見る色を失い出した。そうしてその青ざめた額から、足もとの眩い砂の上へ頻に汗の玉が落ち始めた。――と思う間もなく今度は肩の岩が、ちょうどさっきとは反対に一寸ずつ、一分ずつ、じりじり彼を圧して行った。彼はそれでも死力を尽して、両手に岩を支えながら、最後まで悪闘を続けようとしたが、岩は依然として運命のごとく下って来た。彼の体は曲り出した。彼の頭も垂れるようになった。今の彼はどこから見ても、石塊の下にもがいている蟹とさらに変りはなかった。  周囲に集まった若者たちは、余りの事に気を奪われて、茫然とこの悲劇を見守っていた。また実際彼等の手では、到底千曳の大岩の下から彼を救い出す事はむずかしかった。いや、あの容貌の醜い若者でさえ、今となっては相手の背からさっき擡げた大盤石を取りのける事が出来るかどうか、疑わしいのは勿論であった。だから彼もしばらくの間は、恐怖と驚愕とを代る代る醜い顔に表しながら、ただ、漫然と自失した眼を相手に注ぐよりほかはなかった。  その内に猪首の若者は、とうとう大岩に背を圧されて、崩折れるように砂へ膝をついた。その拍子に彼の口からは、叫ぶとも呻くとも形容出来ない、苦しそうな声が一声溢れて来た。あの容貌の醜い若者は、その声が耳にはいるが早いか、急に悪夢から覚めたごとく、猛然と身を飜して、相手の上に蔽いかぶさった大岩を向うへ押しのけようとした。が、彼がまだ手さえかけない内に、猪首の若者は多愛もなく砂の上にのめりながら、岩にひしがれる骨の音と共に、眼からも口からも夥しく鮮な血を迸らせた。それがこの憐むべき強力の若者の最期であった。  あの容貌の醜い若者は、ぼんやり手を束ねたまま、陽炎の中に倒れている相手の屍骸を見下した。それから苦しそうな視線を挙げて、無言の答を求めるように、おずおず周囲に立っている若者たちを見廻した。が、大勢の若者たちは麗らかな日の光を浴びて、いずれも黙念と眼を伏せながら、一人も彼の醜い顔を仰ぎ見ようとするものはなかった。 六  高天原の国の若者たちは、それ以来この容貌の醜い若者に冷淡を装う事が出来なくなった。彼等のある一団は彼の非凡な腕力に露骨な嫉妬を示し出した。他の一団はまた犬のごとく盲目的に彼を崇拝した。さらにまた他の一団は彼の野性と御目出度さとに残酷な嘲笑を浴せかけた。最後に数人の若者たちは心から彼に信服した。が、敵味方の差別なく彼等がいずれも彼に対して、一種の威圧を感じ始めた事は、打ち消しようのない事実であった。  こう云う彼等の感情の変化は、勿論彼自身も見逃さなかった。が、彼のために悲惨な死を招いた、あの猪首の若者の記憶は、未だに彼の心の底に傷ましい痕跡を残していた。この記憶を抱いている彼は、彼等の好意と反感との前に、いずれも当惑に似た感じを味わないではいられなかった。殊に彼を尊敬する一団の若者たちに接する時は、ほとんど童女にでも似つかわしい羞恥の情さえ感じ勝ちであった。これが彼の味方には、今までよりまた一層、彼に好意の目なざしを向けさせることになるらしかった。と同時に彼の敵には、それだけ彼に反感を加えさせる事にもなるらしかった。  彼はなるべく人を避けた。そうして多くはたった一人、その部落を繞る山間の自然の中に時を過ごした。自然は彼に優しかった。森は木の芽を煙らせながら、孤独に苦しんでいる彼の耳へも、人懐しい山鳩の声を送って来る事を忘れなかった。沢も芽ぐんだ蘆と共に、彼の寂寥を慰むべく、仄かに暖い春の雲を物静な水に映していた。藪木の交る針金雀花、熊笹の中から飛び立つ雉子、それから深い谷川の水光りを乱す鮎の群、――彼はほとんど至る所に、仲間の若者たちの間には感じられない、安息と平和とを見出した。そこには愛憎の差別はなかった、すべて平等に日の光と微風との幸福に浴していた。しかし――しかし彼は人間であった。  時々彼が谷川の石の上に、水を掠めて去来する岩燕を眺めていると、あるいは山峡の辛夷の下に、蜜に酔って飛びも出来ない虻の羽音を聞いていると、何とも云いようのない寂しさが突然彼を襲う事があった。彼はその寂しさが、どこから来るのだかわからなかった。ただ、それが何年か前に、母を失った時の悲しみと似ているような気もちだけがした。彼はその当座どこへ行っても、当然そこにいるべき母のいない事を見せられると、必ず落莫たる空虚の感じに圧倒されるのが常であった。その悲しみに比べると、今の彼の寂しさが、より強いものとは思われなかった。が、一人の母を恋い歎くより、より大きいと云う心もちはあった。だから彼は山間の春の中に、鳥や獣のごとくさまよいながら、幸福と共に不可解な不幸をも味わずにはいられなかった。  彼はこの寂しさに悩まされると、しばしば山腹に枝を張った、高い柏の梢に上って、遥か目の下の谷間の景色にぼんやりと眺め入る事があった。谷間にはいつも彼の部落が、天の安河の河原に近く、碁石のように点々と茅葺き屋根を並べていた。どうかするとまたその屋根の上には、火食の煙が幾すじもかすかに立ち昇っている様も見えた。彼は太い柏の枝へ馬乗りに跨がりながら、長い間その部落の空を渡って来る風に吹かれていた。風は柏の小枝を揺って、折々枝頭の若芽の匀を日の光の中に煽り立てた。が、彼にはその風が、彼の耳元を流れる度に、こう云う言葉を細々と囁いて行くように思われた。 「素戔嗚よ。お前は何を探しているのだ。お前の探しているものは、この山の上にもなければ、あの部落の中にもないではないか。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。お前は何をためらっているのだ。素戔嗚よ。……」 七  しかし素戔嗚は風と一しょに、さまよって歩こうとは思わなかった。では何が孤独な彼を高天原の国に繋いでいたか。――彼は自らそう尋ねると、必ず恥かしさに顔が赤くなった。それはこの容貌の醜い若者にも、私かに彼が愛している部落の娘がいたからであった。そうしてその娘に彼のような野人が恋をすると云う事は、彼自身にも何となく不似合の感じがしたからであった。  彼が始めてこの娘に遇ったのは、やはりあの山腹の柏の梢に、たった一人上っていた時であった。彼はその日も茫然と、目の下に白くうねっている天の安河を眺めていると、意外にも柏の枝の下から晴れ晴れした女の笑い声が起った。その声はまるで氷の上へばらばらと礫を投げたように、彼の寂しい真昼の夢を突嗟の間に打ち砕いてしまった。彼は眠を破られた人の腹立たしさを感じながら、柏の下に草を敷いた林間の空き地へ眼を落した。するとそこには三人の女が、麗らかな日の光を浴びて、木の上の彼には気がつかないのか、頻に何か笑い興じていた。  彼等は皆竹籠を臂にかけている所を見ると、花か木の芽か山独活を摘みに来た娘らしかった。素戔嗚はその女たちを一人も見知って居なかった。が、彼等があの部落の中でも、卑しいものの娘でない事は、彼等の肩に懸っている、美しい領巾を見ても明かであった。彼等はその領巾を微風に飜しながら、若草の上に飛び悩んでいる一羽の山鳩を追いまわしていた。鳩は女たちの手の間を縫って、時々一生懸命に痛めた羽根をばたつかせたが、どうしても地上三尺とは飛び上る事が出来ないようであった。  素戔嗚は高い柏の上から、しばらくこの騒ぎを見下していた。するとその内に女たちの一人は臂に懸けた竹籠もそこへ捨てて、危く鳩を捕えようとした。鳩はまた一しきり飛び立ちながら、柔かい羽根を雪のように紛々とあたりへ撒き散らした。彼はそれを見るが早いか、今まで跨っていた太枝を掴んで、だらりと宙に吊り下った。と思うと一つ弾みをつけて、柏の根元の草の上へ、勢いよくどさりと飛び下りた。が、その拍子に足を辷らせて、呆気にとられた女たちの中へ、仰向けさまに転がってしまった。  女たちは一瞬間、唖のように顔を見合せていたが、やがて誰から笑うともなく、愉快そうに皆笑い出した。すぐに草の上から飛び起きた彼は、さすがに間の悪そうな顔をしながら、それでもわざと傲然と、女たちの顔を睨めまわした。鳩はその間に羽根を引き引き、木の芽に煙っている林の奥へ、ばたばた逃げて行ってしまった。 「あなたは一体どこにいらしったの?」  やっと笑い止んだ女たちの一人は蔑むようにこう云いながら、じろじろ彼の姿を眺めた。が、その声には、まだ抑え切れない可笑しさが残っているようであった。 「あすこにいた。あの柏の枝の上に。」  素戔嗚は両腕を胸に組んで、やはり傲然と返事をした。 八  女たちは彼の答を聞くと、もう一度顔を見合せて笑い出した。それが素戔嗚尊には腹も立てば同時にまた何となく嬉しいような心もちもした。彼は醜い顔をしかめながら、故に彼等を脅すべく、一層不機嫌らしい眼つきを見せた。 「何が可笑しい?」  が、彼等には彼の威嚇も、一向効果がないらしかった。彼等はさんざん笑ってから、ようやく彼の方を向くと、今度はもう一人がやや恥しそうに、美しい領巾を弄びながら、 「じゃどうしてまた、あすこから下りていらしったの?」と云った。 「鳩を助けてやろうと思ったのだ。」 「私たちだって助けてやる心算でしたわ。」  三番目の娘は笑いながら、活き活きと横合いから口を出した。彼女はまだ童女の年輩から、いくらも出てはいないらしかった。が、二人の友だちに比べると、顔も一番美しければ、容子もすぐれて溌溂としていた。さっき竹籠を投げ捨てながら、危く鳩を捕えようとしたのも、この利発らしい娘に違いなかった。彼は彼女と眼を合わすと、何故と云う事もなく狼狽した。が、それだけに、また一方では、彼女の前にその慌て方を見せたくないと云う心もちもあった。 「嘘をつけ。」  彼は一生懸命に、乱暴な返事を抛りつけた。が、その嘘でない事は、誰よりもよく彼自身が承知していそうな気もちがしていた。 「あら、嘘なんぞつくものですか。ほんとうに助けてやる心算でしたわ。」  彼女がこう彼をたしなめると、面白そうに彼の当惑を見守っていた二人の女たちも、一度に小鳥のごとくしゃべり出した。 「ほんとうですわ。」 「どうして嘘だと御思い?」 「あなたばかり鳩が可愛いのじゃございません。」  彼はしばらく返答も忘れて、まるで巣を壊された蜜蜂のごとく、三方から彼の耳を襲って来る女たちの声に驚嘆していた。が、やがて勇気を振い起すと、胸に組んでいた腕を解いて、今にも彼等を片っ端から薙倒しそうな擬勢を示しながら、雷のように怒鳴りつけた。 「うるさい。嘘でなければ、早く向うへ行け。行かないと、――」  女たちはさすがに驚いたらしく、慌てて彼の側を飛びのいた。が、すぐにまた声を立てて笑いながら、ちょうど足もとに咲いていた嫁菜の花を摘み取っては、一斉に彼へ抛りつけた。薄紫の嫁菜の花は所嫌わず紛々と、素戔嗚尊の体に降りかかった。彼はこの匀の好い雨を浴びたまま、呆気にとられて立ちすくんでいた。が、たちまち今怒鳴りつけた事を思い出して、両腕を大きく開くや否や、猛然と悪戯な女たちの方へ、二足三足突進した。  彼等はしかしその瞬間に、素早く林の外へ逃げて行った。彼は茫然と立ち止ったなり、次第に遠くなる領巾の色を、見送るともなく見送った。それからあたりの草の上に、点々と優しくこぼれている嫁菜の花へ眼をやった。すると何故か薄笑いが、自然と唇に上って来た。彼はごろりとそこへ横になって、芽をふいた梢の向うにある、麗らかな春の空を眺めた。林の外ではかすかながら、まだ女たちの笑い声が聞えた。が、間もなくそれも消えて、後にはただ草木の栄を孕んだ、明るい沈黙があるばかりになった。……  何分か後、あの羽根を傷けた山鳩は、怯ず怯ずまたそこへ還って来た。その時もう草の上の彼は、静な寝息を洩らしていた。が、仰向いた彼の顔には、梢から落ちる日の光と一しょに、未だに微笑の影があった。鳩は嫁莱の花を踏みながら、そっと彼の近くへ来た。そうして彼の寝顔を覗くと、仔細らしく首を傾けた。あたかもその微笑の意味を考えようとでもするように。―― 九  その日以来、彼の心の中には、あの快活な娘の姿が、時々鮮かに浮ぶようになった。彼は前にも云ったごとく、彼自身にもこう云う事実を認める事が恥しかった。まして仲間の若者たちには、一言もこの事情を打ち明けなかった。また実際仲間の若者たちも彼の秘密を嗅ぎつけるには、余りに平生の素戔嗚が、恋愛とは遥に縁の遠い、野蛮な生活を送り過ぎていた。  彼は相不変人を避けて、山間の自然に親しみ勝ちであった。どうかすると一夜中、森林の奥を歩き廻って、冒険を探す事もないではなかった。その間に彼は大きな熊や猪などを仕止めたことがあった。また時にはいつになっても春を知らない峰を越えて、岩石の間に棲んでいる大鷲を射殺しにも行ったりした。が、彼は未嘗、その非凡な膂力を尽すべき、手強い相手を見出さなかった。山の向うに穴居している、慓悍の名を得た侏儒でさえ彼に出合う度毎に、必ず一人ずつは屍骸になった。彼はその屍骸から奪った武器や、矢先にかけた鳥獣を時々部落へ持って帰った。  その内に彼の武勇の名は、益々多くの敵味方を部落の中につくって行った。従って彼等は機会さえあると、公然と啀み合う事を憚らなかった。彼は勿論出来るだけ、こう云う争いを起させまいとした。が、彼等は彼等自身のために、彼の意嚮には頓着なく、ほとんど何事にも軋轢し合った。そこには何か宿命的な、必然の力も動いていた。彼は敵味方の反目に不快な感じを抱きながら、しかもその反目のただ中へ、我知らず次第に引き込まれて行った。――  現に一度はこう云うことがあった。  ある麗かな春の日暮、彼は弓矢をたばさみながら、部落の後に拡がっている草山を独り下って来た。その時の彼の心の中には、さっき射損じた一頭の牡鹿が、まだ折々は未練がましく、鮮かな姿を浮べていた。ところが草山がやや平になって、一本の楡の若葉の下に、夕日を浴びた部落の屋根が一目に見えるあたりまで来ると、そこには四五人の若者たちが、一人の若者を相手にして、頻に何か云い争っていた。彼等が皆この草山へ、牛馬を飼いに来るものたちだと云う事は、彼等のまわりに草を食んでいる家畜を見ても明らかであった。殊にその一人の若者は、彼を崇拝する若者たちの中でも、ほとんど奴僕のごとく彼に仕えるために、反って彼の反感を買った事がある男に違いなかった。  彼は彼等の姿を見ると、咄嗟に何事か起りそうな、忌わしい予感に襲われた。しかしここへ来かかった以上、元より彼等の口論を見て過ぎる訳にも行かなかった。そこで彼はまず見覚えのある、その一人の若者に、 「どうしたのだ。」と声をかけた。  その男は彼の顔を見ると、まるで百万の味方にでも遭ったように、嬉しそうに眼を輝かせながら、相手の若者たちの理不尽な事を滔々と早口にしゃべり出した。何でもその言葉によると、彼等はその男を憎むあまり、彼の飼っている牛馬をも傷けたり虐めたりするらしかった。彼はそう云う不平を鳴す間も、時々相手を睨みつけて、 「逃げるなよ。今に返報をしてやるから。」などと、素戔嗚の勇力を笠に着た、横柄な文句を並べたりした。 十  素戔嗚は彼の不平を聞き流してから、相手の若者たちの方を向いて、野蛮な彼にも似合わない、調停の言葉を述べようとした。するとその刹那に彼の崇拝者は、よくよく口惜しさに堪え兼ねたのか、いきなり近くにいた若者に飛びかかると、したたかその頬を打ちのめした。打たれた若者はよろめきながら、すぐにまた相手へ掴みかかった。 「待て。こら、待てと云ったら待たないか。」  こう叱りながら素戔嗚は、無理に二人を引き離そうとした。ところが打たれた若者は、彼に腕を掴まれると、血迷った眼を嗔らせながら、今度は彼へ獅噛みついて来た。と同時に彼の崇拝者は、腰にさした鞭をふりかざして、まるで気でも違ったように、やはり口論の相手だった若者たちの中へ飛びこんだ。若者たちも勿論この男に、おめおめ打たれるようなものばかりではなかった。彼等は咄嗟に二組に分れて、一方はこの男を囲むが早いか、一方は不慮の出来事に度を失った素戔嗚へ、紛々と拳を加えに来た。ここに立ち至ってはもう素戔嗚にも、喧嘩に加わるよりほかに途はなかった。のみならずついに相手の拳が、彼の頭に下った時、彼は理非も忘れるほど真底から一時に腹が立った。  たちまち彼等は入り乱れて、互に打ったり打たれたりし出した。あたりに草を食んでいた牛や馬も、この騒ぎに驚いて、四方へ一度に逃げて行った。が、それらの飼い主たちは拳を揮うのに夢中になって、しばらくは誰も家畜の行方に気をとめる容子は見えなかった。  が、その内に素戔嗚と争ったものは、手を折られたり、足を挫かれたりして、だんだん浮き足が立つようになった。そうしてとうとうしまいには、誰からともなく算を乱して、意気地なく草山を逃げ下って行った。  素戔嗚は相手を追い払うと、今度は彼の崇拝者が、まだ彼等に未練があるのを押し止めなければならなかった。 「騒ぐな。騒ぐな。逃げるものは逃がしてやるのが好いのだ。」  若者はやっと彼の手を離れると、べたりと草の上へ坐ってしまった。彼が手ひどく殴られた事は、一面に地腫のした彼の顔が、明白に語っている事実であった。素戔嗚は彼の顔を見ると、腹立たしい心のどん底から、急に可笑しさがこみ上げて来た。 「どうした? 怪我はしなかったか?」 「何、したってかまいはしません。今日と云う今日こそあいつらに、一泡吹かせてやったのですから。――それよりあなたこそ、御怪我はありませんか。」 「うん、瘤が一つ出来ただけだった。」  素戔嗚はこう云う一言に忌々しさを吐き出しながら、そこにあった一本の楡の根本に腰を下した。彼の眼の前には部落の屋根が、草山の腹にさす夕日の光の中に、やはり赤々と浮き上っていた。その景色が素戔嗚には、不思議に感じるくらい平和に見えた。それだけまた今までの格闘が、夢のような気さえしないではなかった。  二人は草を敷いたまま、しばらくは黙って物静な部落の日暮を見下していた。 「どうです。瘤は痛みますか。」 「大して痛まない。」 「米を噛んでつけて置くと好いそうですよ。」 「そうか。それは好い事を聞いた。」 十一  ちょうどこの喧嘩と同じように、素戔嗚は次第にある一団の若者たちを嫌でも敵にしなければならなくなった。しかしそれが数の上から云うと、ほとんどこの部落の若者たちの三分の二以上の多数であった。この連中は彼の味方が、彼を首領と仰ぐように、思兼尊だの手力雄尊だのと云う年長者に敬意を払っていた。しかしそれらの尊たちは、格別彼に敵意らしい何物も持っていないらしかった。  殊に思兼尊などは、むしろ彼の野蛮な性質に好意を持っているようであった。現にあの草山の喧嘩から、二三日経ったある日の午後、彼が例のごとくたった一人、山の中の古沼へ魚を釣りに行っていると、偶然そこへ思兼尊が、これも独り分け入って来た。そうして隔意なく彼と一しょに、朽木の幹へ腰を下して、思いのほか打融けた世間話などをし始めた。  尊はもう髪も髯も白くなった老人ではあるが、部落第一の学者でもあり、予ねてまた部落第一の詩人と云う名誉も担っていた。その上部落の女たちの中には、尊を非凡な呪物師のように思っているものもないではなかった。これは尊が暇さえあると、山谷の間をさまよい歩いて、薬草などを探して来るからであった。  彼は勿論思兼尊に、反感を抱くべき理由がなかった。だから糸を垂れたまま、喜んで尊の話相手になった。二人はそこで長い間、古沼に臨んだ柳の枝が、銀のような花をつけた下に、いろいろな事を話し合った。 「近頃はあなたの剛力が、大分評判のようじゃありませんか。」  しばらくしてから思兼尊は、こう云って、片頬に笑を浮べた。 「評判だけ大きいのです。」 「それだけでも結構ですよ。すべての事は評判があって、始めてあり甲斐があるのですから。」  素戔嗚にはこの答が、一向腑に落ちなかった。 「そうでしょうか。じゃ評判がなかったら、いくら私が剛力でも――」 「さらに剛力ではなくなるのです。」 「しかし人が掬わなくっても、砂金は始から砂金でしょう。」 「さあ、砂金だとわかるのは、人に掬われてからの上じゃありませんか。」 「すると人が、ただの砂を砂金だと思って掬ったら――」 「やはりただの砂でも砂金になるでしょう。」  素戔嗚は何だか思兼尊に、調戯われているような心もちがした。が、そうかと思って相手を見ても、尊の皺だらけな目尻には、ただ微笑が宿っているばかりで、人の悪そうな気色は少しもなかった。 「何だかそれじゃ砂金になっても、つまらないような気がしますが。」 「勿論つまらないものなのですよ。それ以上に考えるのは、考える方が間違っているのです。」  思兼尊はこう云うと、実際つまらなそうな顔をしながら、どこかで摘んで来たらしい蕗の薹の匀を嗅ぎ始めた。 十二  素戔嗚はしばらく黙っていた。するとまた思兼尊が彼の非凡な腕力へ途切れた話頭を持って行った。 「いつぞや力競べがあった時、あなたと岩を擡げ合って、死んだ男がいたじゃありませんか。」 「気の毒な事をしたものです。」  素戔嗚は何となく、非難でもされたような心もちになって、思わず眼を薄日がさした古沼の上へ漂わせた。古沼の水は底深そうに、まわりに芽ぐんだ春の木々をひっそりと仄明るく映していた。しかし思兼尊は無頓着に、時々蕗の薹へ鼻をやって、 「気の毒ですが、莫迦げていますよ。第一私に云わせると、競争する事がすでによろしくない。第二に到底勝てそうもない競争をするのが論外です。第三に命まで捨てるに至っては、それこそ愚の骨頂じゃありませんか。」 「しかし私は何となく気が咎めてならないのですが。」 「何、あれはあなたが殺したのじゃありません。力競べを面白がっていた、ほかの若者たちが殺したのです。」 「けれども私はあの連中に、反って憎まれているようです。」 「それは勿論憎まれますよ。その代りもしあなたが死んで、あなたの相手が勝負に勝ったら、あの連中はきっとあなたの相手を憎んだのに違いないでしょう。」 「世の中はそう云うものでしょうか。」  その時尊は返事をする代りに、「引いていますよ」と注意した。  素戔嗚はすぐに糸を上げた。糸の先には山目が一尾、溌溂と銀のように躍っていた。 「魚は人間より幸福ですね。」  尊は彼が竹の枝を山目の顎へ通すのを見ると、またにやにや笑いながら、彼にはほとんど通じない一種の理窟を並べ出した。 「人間が鉤を恐れている内に、魚は遠慮なく鉤を呑んで、楽々と一思いに死んでしまう。私は魚が羨しいような気がしますよ。」  彼は黙ってもう一度、古沼へ糸を抛りこんだ。が、やがて当惑らしい眼を尊へ向けて、 「どうもあなたのおっしゃる事は、私にはよく分りませんが。」と云った。  尊は彼の言葉を聞くと、思いのほか真面目な調子になって、白い顎髯を捻りながら、 「わからない方が結構ですよ。さもないとあなたも私のように、何もする事が出来なくなります。」 「どうしてですか。」  彼はわからないと云う口の下から、すぐまたこう尋ねずにはいられなかった。実際思兼尊の言葉は、真面目とも不真面目ともつかない内に、蜜か毒薬か、不思議なほど心を惹くものが潜んでいたのであった。 「鉤が呑めるのは魚だけです。しかし私も若い時には――」  思兼尊の皺だらけな顔には、一瞬間いつにない寂しそうな色が去来した。 「しかし私も若い時には、いろいろ夢を見た事がありましたよ。」  二人はそれから久しい間、互に別々な事を考えながら、静に春の木々を映している、古沼の上を眺めていた。沼の上には翡翠が、時々水を掠めながら、礫を打つように飛んで行った。 十三  その間もあの快活な娘の姿は、絶えず素戔嗚の心を領していた。殊に時たま部落の内外で、偶然彼女と顔を合わせると、ほとんどあの山腹の柏の下で、始めて彼女と遇った時のように、訳もなく顔が熱くなったり、胸がはずんだりするのが常であった。が、彼女はいつも取澄まして、全然彼を見知らないかのごとく、頭を下げる容子も見せなかった。――  ある朝彼は山へ行く途中、ちょうど部落のはずれにある噴き井の前を通りかかると、あの娘が三四人の女たちと一しょに、水甕へ水を汲んでいるのに遇った。噴き井の上には白椿が、まだ疎に咲き残って、絶えず湧きこぼれる水の水沫は、その花と葉とを洩れる日の光に、かすかな虹を描いていた。娘は身をかがめながら、苔蒸した井筒に溢れる水を素焼の甕へ落していたが、ほかの女たちはもう水を汲み了えたのか、皆甕を頭に載せて、しっきりなく飛び交う燕の中を、家々へ帰ろうとする所であった。が、彼がそこへ来た途端に、彼女は品良く身を起すと、一ぱいになった水甕を重そうに片手に下げたまま、ちらりと彼の顔へ眼をやった、そうしていつになく、人懐しげに口元へ微笑を浮べて見せた。  彼は例の通り当惑しながら、ちょいと挨拶の点頭を送った。娘は水甕を頭へ載せながら、眼でその挨拶に答えると、仲間の女たちの後を追って、やはり釘を撒くような燕の中を歩き出した。彼は娘と入れ違いに噴井の側へ歩み寄って、大きな掌へ掬った水に、二口三口喉を沾した。沽しながら彼女の眼つきや唇の微笑を思い浮べて、何か嬉しいような、恥かしいような心もちに顔を赤めていた。と同時にまた己自身を嘲りたいような気もしないではなかった。  その間に女たちはそよ風に領巾を飜しながら、頭の上の素焼の甕にさわやかな朝日の光を浴びて次第に噴き井から遠ざかって行った。が、間もなく彼等の中からは一度に愉快そうな笑い声が起った。それにつれて彼等のある者は、笑顔を後へ振り向けながら、足も止めずに素戔嗚の方へ、嘲るような視線を送りなぞした。  噴き井の水を飲んでいた彼は、幸その視線に煩わされなかった。しかし彼等の笑い声を聞くと、いよいよ妙に間が悪くなって、今更飲みたくもない水を、もう一杯手で掬って飲んだ。すると中高になった噴き井の水に、意外にも誰か人の姿が、咄嗟に覚束ない影を落した。素戔嗚は慌てた眼を挙げて、噴き井の向うの白椿の下へ、鞭を持った一人の若者が、のそのそと歩み寄ったのと顔を合せた。それは先日草山の喧嘩に、とうとう彼まで巻添えにした、あの牛飼の崇拝者であった。 「お早うございます。」  若者は愛想笑いを見せながら、恭しく彼に会釈をした。 「お早う。」  彼はこの若者にまで、狼狽した所を見られたかと思うと、思わず顔をしかめずにはいられなかった。 十四  が、若者はさり気ない調子で、噴き井の上に枝垂れかかった白椿の花を毮りながら、 「もう瘤は御癒りですか。」 「うん、とうに癒った。」  彼は真面目にこんな返事をした。 「生米を御つけになりましたか。」 「つけた。あれは思ったより利き目があるらしかった。」  若者は毮った椿の花を噴き井の中へ抛りこむと、急にまたにやにや笑いながら、 「じゃもう一つ、好い事を御教えしましょうか。」 「何だ。その好い事と云うのは。」  彼が不審そうにこう問返すと、若者はまだ意味ありげな笑を頬に浮べたまま、 「あなたの頸にかけて御出でになる、勾玉を一つ頂かせて下さい。」と云った。 「勾玉をくれ? くれと云えばやらないものでもないが、勾玉を貰ってどうするのだ?」 「まあ、黙って頂かせて下さい。悪いようにはしませんから。」 「嫌だ。どうするのだか聞かない内は、勾玉なぞをやる訳には行かない。」  素戔嗚はそろそろ焦れ出しながら、突慳貪に若者の請を却けた。すると相手は狡猾そうに、じろりと彼の顔へ眼をやって、 「じゃ云いますよ。あなたは今ここへ水を汲みに来ていた、十五六の娘が御好きでしょう。」  彼は苦い顔をして、相手の眉の間を睨みつけた。が、内心は少からず、狼狽に狼狽を重ねていた。 「御好きじゃありませんか、あの思兼尊の姪を。」 「そうか。あれは思兼尊の姪か。」  彼は際どい声を出した。若者はその容子を見ると、凱歌を挙げるように笑い出した。 「そら、御覧なさい。隠したってすぐに露われます。」  彼はまた口を噤んで、じっと足もとの石を見つめていた。水沫を浴びた石の間には、疎に羊歯の葉が芽ぐんでいた。 「ですから私に勾玉を一つ、御よこしなさいと云うのです。御好きならまた御好きなように、取計らいようもあるじゃありませんか。」  若者は鞭を弄びながら、透かさず彼を追窮した。彼の記憶には二三日前に、思兼尊と話し合った、あの古沼のほとりの柳の花が、たちまち鮮に浮んで来た。もしあの娘が尊の姪なら――彼は眼を足もとの石から挙げると、やはり顔をしかめたなり、 「そうして勾玉をどうするのだ?」と云った。  しかし彼の眼の中には、明かに今まで見えなかった希望の色が動いていた。 十五  若者の答えは無造作であった。 「何、その勾玉をあの娘に渡して、あなたの思召しを伝えるのです。」  素戔嗚はちょいとためらった。この男の弁舌を弄する事は、何となく彼には不快であった。と云って彼自身、彼の心を相手に訴えるだけの勇気もなかった。若者は彼の醜い顔に躊躇の色が動くのを見ると、わざと冷やかに言葉を継いだ。 「御嫌なら仕方はありませんが。」  二人はしばらくの間黙っていた。が、やがて素戔嗚は頸に懸けた勾玉の中から、美しい琅玕の玉を抜いて、無言のまま若者の手に渡した。それは彼が何よりも、大事にかけて持っている、歿くなった母の遺物であった。  若者はその琅玕に物欲しそうな眼を落しながら、 「これは立派な勾玉ですね、こんな性の好い琅玕は、そう沢山はありますまい。」 「この国の物じゃない。海の向うにいる玉造が、七日七晩磨いたと云う玉だ。」  彼は腹立たしそうにこう云うと、くるりと若者に背を向けて、大股に噴き井から歩み去った。若者はしかし勾玉を掌の上に載せながら、慌てて後を追いかけて来た。 「待っていて下さい。必ず二三日中には、吉左右を御聞かせしますから。」 「うん、急がなくって好いが。」  彼等は倭衣の肩を並べて、絶え間なく飛び交う燕の中を山の方へ歩いて行った。後には若者の投げた椿の花が、中高になった噴き井の水に、まだくるくる廻りながら、流れもせず浮んでいた。  その日の暮方、若者は例の草山の楡の根がたに腰を下して、また素戔嗚に預けられた勾玉を掌へ載せて見ながら、あの娘に云い寄るべき手段をいろいろ考えていた。するとそこへもう一人の若者が、斑竹の笛を帯へさして、ぶらりと山を下って来た。それは部落の若者たちの中でも、最も精巧な勾玉や釧の所有者として知られている、背の高い美貌の若者であった。彼はそこを通りかかると、どう思ったかふと足を止めて、楡の下の若者に「おい、君。」と声をかけた。若者は慌てて、顔を挙げた。が、彼はこの風流な若者が、彼の崇拝する素戔嗚の敵の一人だと云う事を承知していた。そこでいかにも無愛想に、 「何か御用ですか。」と返事をした。 「ちょいとその勾玉を見せてくれないか。」  若者は苦い顔をしながら、琅玕を相手の手に渡した。 「君の玉かい。」 「いいえ、素戔嗚尊の玉です。」  今度は相手の若者の方が、苦い顔をしずにはいられなかった。 「じゃいつもあの男が、自慢そうに下げている玉だ。もっともこのほかに下げているのは、石塊同様の玉ばかりだが。」  若者は毒口を利きながら、しばらくその勾玉を弄んでいたが、自分もその楡の根がたへ楽々と腰を下すと、 「どうだろう。物は相談と云うが、一つ君の計らいで、この玉を僕に売ってくれまいか。」と、大胆な事を云い出した。 十六  牛飼いの若者は否と返事をする代りに、頬を脹らせたまま黙っていた。すると相手は流し眼に彼の顔を覗きこんで、 「その代り君には御礼をするよ。刀が欲しければ刀を進上するし、玉が欲しければ玉も進上するし、――」 「駄目ですよ。その勾玉は素戔嗚尊が、ある人に渡してくれと云って、私に預けた品なのですから。」 「へええ、ある人へ渡してくれ? ある人と云うのは、ある女と云う事かい。」  相手は好奇心を動かしたと見えて、急に気ごんだ調子になった。 「女でも男でも好いじゃありませんか。」  若者は余計なおしゃべりを後悔しながら面倒臭そうにこう答を避けた。が、相手は腹を立てた気色もなく、反って薄気昧が悪いほど、優しい微笑を漏らしながら、 「そりゃどっちでも好いさ。どっちでも好いが、その人へ渡す品だったら、そこは君の働き一つで、ほかの勾玉を持って行っても、大した差支はなさそうじゃないか。」  若者はまた口を噤んで、草の上へ眼を反らせていた。 「勿論多少は面倒が起るかも知れないさ。しかしそのくらいな事はあっても、刀なり、玉なり、鎧なり、乃至はまた馬の一匹なり、君の手にはいった方が――」 「ですがね、もし先方が受け取らないと云ったら、私はこの玉を素戔嗚尊へ返さなければならないのですよ。」 「受け取らないと云ったら?」  相手はちょいと顔をしかめたが、すぐに優しい口調に返って、 「もし先方が女だったら、そりゃ素戔嗚の玉なぞは受け取らないね。その上こんな琅玕は、若い女には似合わないよ。だから反ってこの代りに、もっと派手な玉を持って行けば、案外すぐに受け取るかも知れない。」  若者は相手の云う事も、一理ありそうな気がし出した。実際いかに高貴な物でも、部落の若い女たちが、こう云う色の玉を好むかどうか、疑わしいには違いなかったのであった。 「それからだね――」  相手は唇を舐めながら、いよいよもっともらしく言葉を継いだ。 「それからだね、たとい玉が違ったにしても、受け取って貰った方が、受け取らずに返されるよりは、素戔嗚も喜ぶだろうじゃないか。して見れば玉は取り換えた方が、反って素戔嗚のためになるよ。素戔嗚のためになって、おまけに君が刀でも、馬でも手に入れるとなれば、もう文句はない筈だがね。」  若者の心の中には、両方に刃のついた剣やら、水晶を削った勾玉やら、逞ましい月毛の馬やらが、はっきりと浮び上って来た。彼は誘惑を避けるように、思わず眼をつぶりながら、二三度頭を強く振った。が、眼を開けると彼の前には、依然として微笑を含んでいる、美しい相手の顔があった。 「どうだろう。それでもまだ不服かい。不服なら――まあ、何とか云うよりも、僕の所まで来てくれ給え。刀も鎧もちょうど君に御誂えなのがある筈だ。厩には馬も五六匹いる。」  相手は飽くまでも滑な舌を弄しながら気軽く楡の根がたを立ち上った。若者はやはり黙念と、煮え切らない考えに沈んでいた。しかし相手が歩き出すと、彼もまたその後から、重そうな足を運び始めた。――  彼等の姿が草山の下に、全く隠れてしまった時、さらに一人の若者が、のそのそそこへ下って来た。夕日の光はとうに薄れて、あたりにはもう靄さえ動いていたが、その若者が素戔嗚だと云う事は、一目見てさえ知れる事であった。彼は今日射止めたらしい山鳥を二三羽肩にかけて、悠々と楡の下まで来ると、しばらく疲れた足を休めて、暮色の中に横たわっている部落の屋根を見下した。そうして独り唇に幸福な微笑を漂わせた。  何も知らない素戔嗚は、あの快活な娘の姿を心に思い浮べたのであった。 十七  素戔嗚は一日一日と、若者の返事を待ち暮した。が、若者はいつになっても、容易に消息を齋さなかった。のみならず故意か偶然か、ほとんどその後素戔嗚とは顔も合さないぐらいであった。彼は若者の計画が失敗したのではないかと思った。そのために彼と会う事が恥しいのではないかと思った。が、そのまた一方では、やはりまだあの快活な娘に、近づく機会がないのかも知れないと思い返さずにはいられなかった。  その間に彼はあの娘と、朝早く同じ噴き井の前で、たった一度落合った事があった。娘は例のごとく素焼の甕を頭の上に載せながら、四五人の部落の女たちと一しょに、ちょうど白椿の下を去ろうとしていた。が、彼の顔を見ると、彼女は急に唇を歪めて、蔑むような表情を水々しい眼に浮べたまま、昂然と一人先に立って、彼の傍を通り過ぎた。彼はいつもの通り顔を赤めた上に、その日は何とも名状し難い不快な感じまで味わされた。「おれは莫迦だ。あの娘はたとい生まれ変っても、おれの妻になるような女ではない。」――そう云う絶望に近い心もちも、しばらくは彼を離れなかった。しかし牛飼の若者が、否やの返事を持って来ない事は、人の好い彼に多少ながら、希望を抱かせる力になった。彼はそれ以来すべてをこの未知の答えに懸けて、二度と苦しい思いをしないために、当分はあの噴き井の近くへも立ち寄るまいと私かに決心した。  ところが彼はある日の日暮、天の安河の河原を歩いていると、折からその若者が馬を洗っているのに出会った。若者は彼に見つかった事が、明かに気まずいようであった。同時に彼も何となく口が利き悪い気もちになって、しばらくは入日の光に煙った河原蓬の中へ佇みながら、艶々と水をかぶっている黒馬の毛並を眺めていた。が、追い追いその沈黙が、妙に苦しくなり始めたので、とり敢えず話題を開拓すべく、目前の馬を指さしながら、 「好い馬だな。持主は誰だい。」と、まず声をかけた。すると意外にも若者は得意らしい眼を挙げて、 「私です。」と返事をした。 「そうか。そりゃ――」  彼は感嘆の言葉を呑みこむと、また元の通り口を噤んでしまった。が、さすがに若者は素知らぬ顔も出来ないと見えて、 「先達あの勾玉を御預りしましたが――」と、ためらい勝ちに切り出した。 「うん、渡してくれたかい。」  彼の眼は子供のように、純粋な感情を湛えていた、若者は彼と眼を合わすと、慌ててその視線を避けながら、故に馬の足掻くのを叱って、 「ええ、渡しました。」 「そうか。それでおれも安心した。」 「ですが――」 「ですが? 何だい。」 「急には御返事が出来ないと云う事でした。」 「何、急がなくっても好い。」  彼は元気よくこう答えると、もう若者には用がないと云ったように、夕霞のたなびいた春の河原を元来た方へ歩き出した。彼の心の中には、今までにない幸福の意識が波立っていた。河原蓬も、空も、その空に一羽啼いている雲雀も、ことごとく彼には嬉しそうであった。彼は頭を挙げて歩きながら、危く霞に紛れそうな雲雀と時々話をした。 「おい、雲雀。お前はおれが羨ましそうだな。羨ましくないと? 嘘をつけ。それなら何故そんなに啼き立てるのだ。雲雀。おい、雲雀。返事をしないか。雲雀。……」 十八  素戔嗚はそれから五六日の間、幸福そのもののような日を送った。ところがその頃から部落には、作者は誰とも判然しない、新しい歌が流行り出した。それは醜い山鴉が美しい白鳥に恋をして、ありとあらゆる空の鳥の哂い物になったと云う歌であった。彼はその歌が唱われるのを聞くと、今まで照していた幸福の太陽に、雲が懸ったような心もちがした。  しかし彼は多少の不安を感じながら、まだ幸福の夢から覚めずにいた。すでに美しい白鳥は、醜い山鴉の恋を容れてくれた。ありとあらゆる空の鳥は、愚な彼を哂うのではなく、反って仕合せな彼を羨んだり妬んだりしているのであった。――そう彼は信じていた。少くともそう信ぜずにはいられないような気がしていた。  だから彼はその後また、あの牛飼の若者に遇った時も、ただ同じ答を聞きたいばかりに、 「あの勾玉は確かに渡してくれたのだろうな。」と、軽く念を押しただけであった。若者はやはり間の悪るそうな顔をしながら、 「ええ、確かに渡しました。しかし御返事の所は――」とか何とか、曖昧に言葉を濁していた。それでも彼は渡したと云う言葉に満足して、その上立ち入った事情なぞは尋ねようとも思わなかった。  すると三四日経ったある夜の事、彼が山へ寝鳥でも捕えに行こうと思って、月明りを幸、部落の往来を独りぶらぶら歩いていると、誰か笛を吹きすさびながら、薄い靄の下りた中を、これも悠々と来かかるものがあった。野蛮な彼は幼い時から、歌とか音楽とか云うものにはさらに興味を感じなかった。が、藪木の花の匀のする春の月夜に包まれながら、だんだんこちらへやって来る笛の声に耳を傾けるのは、彼にとっても何となく、心憎い気のするものであった。  その内に彼とその男とは、顔を合せるばかりに近くなって来た。しかし相手は鼻の先へ来ても、相不変笛を吹き止めなかった。彼は路を譲りながら、天心に近い月を負って、相手の顔を透かして見た。美しい顔、燦びやかな勾玉、それから口に当てた斑竹の笛――相手はあの背の高い、風流な若者に違いなかった。彼は勿論この若者が、彼の野性を軽蔑する敵の一人だと云うことを承知していた。そこで始は昂然と肩を挙げて、挨拶もせずに通り過ぎようとした。が、いよいよ二人がすれ違おうとした時、何かがもう一度彼の眼を若者の体へ惹きつけた。と、相手の胸の上には、彼の母が遺物に残した、あの琅玕の勾玉が、曇りない月の光に濡れて、水々しく輝いていたではないか。 「待て。」  彼は咄嗟に腕を伸ばすと、若者の襟をしっかり掴んだ。 「何をする。」  若者は思わずよろめきながら、さすがに懸命の力を絞って、とられた襟を振り離そうとした。が、彼の手はさながら万力にかけたごとく、いくらもがいても離れなかった。 十九 「貴様はこの勾玉を誰に貰った?」  素戔嗚は相手の喉をしめ上げながら噛みつくようにこう尋ねた。 「離せ。こら、何をする。離さないか。」 「貴様が白状するまでは離さない。」 「離さないと――」  若者は襟を取られたまま、斑竹の笛をふり上げて、横払いに相手を打とうとした。が、素戔嗚は手もとを緩めるまでもなく、遊んでいた片手を動かして、苦もなくその笛を扭じ取ってしまった。 「さあ、白状しろ。さもないと、貴様を絞殺すぞ。」  実際素戔嗚の心の中には、狂暴な怒が燃え立っていた。 「この勾玉は――おれが――おれが馬と取換えたのだ。」 「嘘をつけ。これはおれが――」 「あの娘に」と云う言葉が、何故か素戔嗚の舌を硬ばらせた。彼は相手の蒼ざめた顔に熱い息を吹きかけながら、もう一度唸るような声を出した。 「嘘をつけ。」 「離さないか。貴様こそ、――ああ、喉が絞まる。――あれほど離すと云った癖に、貴様こそ嘘をつく奴だ。」 「証拠があるか、証拠が。」  すると若者はまだ必死に、もがきながら、 「あいつに聞いて見るが好い。」と、吐き出すような、一言を洩らした。「あいつ」があの牛飼いの若者であると云う事は、怒り狂った素戔嗚にさえ、問うまでもなく明かであった。 「よし。じゃ、あいつに聞いて見よう。」  素戔嗚は言下に意を決すると、いきなり相手を引っ立てながら、あの牛飼いの若者がたった一人住んでいる、そこを余り離れていない小家の方へ歩き出した。その途中も時々相手は、襟にかかった素戔嗚の手を一生懸命に振り離そうとした。しかし彼の手は相不変、鉄のようにしっかり相手を捉えて、打っても、叩いても離れなかった。  空には依然として、春の月があった。往来にも藪木の花の匀が、やはりうす甘く立ち罩めていた。が、素戔嗚の心の中には、まるで大暴風雨の天のように、渦巻く疑惑の雲を裂いて、憤怒と嫉妬との稲妻が、絶え間なく閃き飛んでいた。彼を欺いたのはあの娘であろうか。それとも牛飼いの若者であろうか。それともまたこの相手が何か狡猾な手段を弄して、娘から勾玉を巻き上げたのであろうか。……  彼はずるずる若者を引きずりながら、とうとう目ざす小家まで来た。見ると幸小家の主人は、まだ眠らずにいると見えて、仄かな一盞の燈火の光が、戸口に下げた簾の隙から、軒先の月明と鬩いでいた。襟をつかまれた若者は、ちょうどこの戸口の前へ来た時、始めて彼の手から自由になろうとする、最後の努力に成功した、と思うと時ならない風が、さっと若者の顔を払って、足さえ宙に浮くが早いか、あたりが俄に暗くなって、ただ一しきり火花のような物が、四方へ散乱するような心もちがした。――彼は戸口へ来ると同時に、犬の子よりも造作なく、月の光を堰いた簾の内へ、まっさかさまに投げこまれたのであった。 二十  家の中にはあの牛飼の若者が、土器にともした油火の下に、夜なべの藁沓を造っていた。彼は戸口に思いがけない人のけはいが聞えた時、一瞬間忙しい手を止めて、用心深く耳を澄ませたが、その途端に軒の簾が、大きく夜を煽ったと思うと、突然一人の若者が、取り乱した藁のまん中へ、仰向けざまに転げ落ちた。  彼はさすがに胆を消して、うっかりあぐらを組んだまま、半ば引きちぎられた簾の外へ、思わず狼狽の視線を飛ばせた。するとそこには素戔嗚が、油火の光を全身に浴びて、顔中に怒りを漲らせながら、小山のごとく戸口を塞いでいた。若者はその姿を見るや否や、死人のような色になって、しばらくただ狭い家の中をきょろきょろ見廻すよりほかはなかった。素戔嗚は荒々しく若者の前へ歩み寄ると、じっと彼の顔を睨み据えて、 「おい、貴様は確かにあの娘へ、おれの勾玉を渡したと云ったな。」と忌々しそうな声をかけた。  若者は答えなかった。 「それがこの男の頸に懸っているのは一体どうした始末なのだ?」  素戔嗚はあの美貌の若者へ、燃えるような瞳を移した。が、彼はやはり藁の中に、気を失ったのか、仮死か、眼を閉じたまま倒れていた。 「渡したと云うのは嘘か?」 「いえ、嘘じゃありません。ほんとうです。ほんとうです。」  牛飼いの若者は、始めて必死の声を出した。 「ほんとうですが、――ですが、実はあの琅玕の代りに、珊瑚の――その管玉を……」 「どうしてまたそんな真似をしたのだ?」  素戔嗚の声は雷のごとく、度を失った若者の心を一言毎に打ち砕いた。彼はとうとうしどろもどろに、美貌の若者が勧める通り、琅玕と珊瑚と取り換えた上、礼には黒馬を貰った事まで残りなく白状してしまった。その話を聞いている内に、刻々素戔嗚の心の中には、泣きたいような、叫びたいような息苦しい羞憤の念が、大風のごとく昂まって来た。 「そうしてその玉は渡したのだな。」 「渡しました。渡しましたが――」  若者は逡巡した。 「渡しましたが――あの娘は――何しろああ云う娘ですし、――白鳥は山鴉になどと――、失礼な口上ですが、――受け取らないと申し――」  若者は皆まで云わない内に、仰向けにどうと蹴倒された。蹴倒されたと思うと、大きな拳がしたたか彼の頭を打った。その拍子に燈火の盞が落ちて、あたりの床に乱れた藁は、たちまち、一面の炎になった。牛飼いの若者はその火に毛脛を焼かれながら、悲鳴を挙げて飛び起きると、無我夢中に高這いをして、裏手の方へ逃げ出そうとした。  怒り狂った素戔嗚は、まるで傷いた猪のように、猛然とその後から飛びかかった。いや、将に飛びかかろうとした時、今度は足もとに倒れていた、美貌の若者が身を起すと、これも死物狂に剣を抜いて、火の中に片膝ついたまま、いきなり彼の足を払おうとした。 二十一  その剣の光を見ると、突然素戔嗚の心の中には、長い間眠っていた、流血に憧れる野性が目ざめた。彼は素早く足を縮めて、相手の武器を飛び越えると、咄嗟に腰の剣を抜いて、牛の吼えるような声を挙げた。そうしてその声を挙げるが早いか、無二無三に相手へ斬ってかかった。彼等の剣は凄じい音を立てて、濛々と渦巻く煙の中に、二三度眼に痛い火花を飛ばせた。  しかし美貌の若者は、勿論彼の敵ではなかった。彼の振り廻す幅広の剣は、一太刀毎にこの若者を容赦なく死地へ追いこんで行った。いや、彼は数合の内に、ほとんど一気に相手の頭を斬り割る所まで肉薄していた。するとその途端に甕が一つ、どこからか彼の頭を目がけて、勢い好く宙を飛んで来た。が、幸それは狙いが外れて、彼の足もとへ落ちると共に、粉微塵に砕けてしまった。彼は太刀打を続けながら、猛り立った眼を挙げて、忙わしく家の中を見廻した。見廻すと、裏手の蓆戸の前には、さっき彼に後を見せた、あの牛飼いの若者が、これも眼を血走らせたまま、相手の危急を救うべく、今度は大きな桶を一つ、持ち上げている所であった。  彼は再び牛のような叫び声を挙げながら、若者が桶を投げるより先に、渾身の力を剣にこめて、相手の脳天へ打ち下そうとした。が、その時すでに大きな桶は、炎の空に風を切って、がんと彼の頭に中った。彼はさすがに眼が眩んだのか、大風に吹かれた旗竿のように思わずよろよろ足を乱して、危くそこへ倒れようとした。その暇に相手の若者は、奮然と身を躍らせると、――もう火の移った簾を衝いて、片手に剣を提げながら、静な外の春の月夜へ、一目散に逃げて行った。  彼は歯を喰いしばったまま、ようやく足を踏み固めた。しかし眼を開いて見ると、火と煙とに溢れた家の中には、とうに誰もいなくなっていた。 「逃げたな、何、逃げようと云っても、逃がしはしないぞ。」  彼は髪も着物も焼かれながら、戸口の簾を切り払って、蹌踉と家の外へ出た。月明に照らされた往来は、屋根を燃え抜いた火の光を得て、真昼のように明るかった。そうしてその明るい往来には、部落の家々から出て来た人の姿が、黒々と何人も立ち並んでいた。のみならずその人影は、剣を下げた彼を見ると、誰からともなく騒ぎ立って、「素戔嗚だ。素戔嗚だ。」と呼び交す声が、たちまち高くなり始めた。彼はそう云う声を浴びて、しばらくはぼんやり佇んで居た。また実際それよりほかに、何の分別もつかないほど、殺気立った彼の心の中には、気も狂いそうな混乱が、益々烈しくなって居たのであった。  その内に往来の人影は、見る見る数を加え出した。と同時に騒がしい叫び声も、いつか憎悪を孕んで居る険悪な調子を帯び始めた。 「火つけを殺せ。」 「盗人を殺せ。」 「素戔嗚を殺せ。」 二十二  この時部落の後にある、草山の楡の木の下には、髯の長い一人の老人が天心の月を眺めながら、悠々と腰を下していた。物静な春の夜は、藪木の花のかすかな匀を柔かく靄に包んだまま、ここでもただ梟の声が、ちょうど山その物の吐息のように、一天の疎な星の光を時々曇らせているばかりであった。  が、その内に眼の下の部落からは、思いもよらない火事の煙が、風の断えた中空へ一すじまっ直に上り始めた。老人はその煙の中に立ち昇る火の粉を眺めても、やはり膝を抱きながら、気楽そうに小声の歌を唱って、一向驚くらしい気色も見せなかった。しかし間もなく部落からは、まるで蜂の巣を壊したような人どよめきの音が聞えて来た。のみならずその音は次第に高くざわめき立って、とうとう戦でも起ったかと思う、烈しい喊声さえ伝わり出した。これにはさすがの老人も、いささか意外な気がしたと見えて、白い眉をひそめながら、おもむろに腰を擡げると、両手を耳へ当てがって、時ならない部落の騒動をじっと聞き澄まそうとするらしかった。 「はてな。剣の音なぞもするようだが。」  老人はこう呟きながら、しばらくはそこに伸び上って、絶えず金粉を煽っている火事の煙に見入っていた。  するとほどなく部落から、逃げて来たらしい七八人の男女が、喘ぎ喘ぎ草山へ上って来た。彼等のある者は髪を垂れた、十には足りない童児であった。ある者は肌も見えるくらい、襟や裳紐を取り乱した、寝起きらしい娘であった。そうしてまたある者は弓よりも猶腰の曲った、立居さえ苦しそうな老婆であった。彼等は草山の上まで来ると、云い合せたように皆足を止めて、月夜の空を焦している部落の火事へ眼を返した。が、やがてその中の一人が、楡の根がたに佇んだ老人の姿を見るや否や、気づかわしそうに寄り添った。この足弱の一群からは、「思兼尊、思兼尊。」と云う言葉が、ため息と一しょに溢れて来た。と同時に胸も露わな、夜目にも美しい娘が一人、「伯父様。」と声をかけながら、こちらを振り向いた老人の方へ、小鳥のように身軽く走り寄った。 「どうしたのだ、あの騒ぎは。」  思兼尊はまだ眉をひそめながら、取りすがった娘を片手に抱いて、誰にともなくこう尋ねた。 「素戔嗚尊がどうした事か、急に乱暴を始めたとか申す事でございますよ。」  答えたのはあの快活な娘でなくて、彼等の中に交っていた、眼鼻も見えないような老婆であった。 「何、素戔嗚尊が乱暴を始めた?」 「はい、それ故大勢の若者たちが、尊を搦めようと致しますと、平生尊の味方をする若者たちが承知致しませんで、とうとうあのように何年にもない、大騒動が始まったそうでございますよ。」  思兼尊は考え深い目つきをして、部落に上っている火事の煙と、尊の胸にすがっている娘の顔とを見比べた。娘は月に照らされたせいか、鬢の乱れた頬の色が、透き徹るかと思うほど青ざめていた。 「火を弄ぶものは、気をつけないと、――素戔嗚尊ばかりではない。火を弄ぶものは、気をつけないと――」  尊は皺だらけな顔に苦笑を浮べて、今はさらに拡がったらしい火の手を遥に眺めながら、黙って震えている姪の髪を劬るように撫でてやった。 二十三  部落の戦いは翌朝まで続いた。が、寡はついに衆の敵ではなかった。素戔嗚は味方の若者たちと共に、とうとう敵の手に生捉られた。日頃彼に悪意を抱いていた若者たちは、鞠のように彼を縛めた上、いろいろ乱暴な凌辱を加えた。彼は打たれたり蹴られたりする度毎に、ごろごろ地上を転がりまわって、牛の吼えるような怒声を挙げた。  部落の老若はことごとく、律通り彼を殺して、騒動の罪を贖わせようとした。が、思兼尊と手力雄尊と、この二人の勢力家だけは、容易に賛同の意を示さなかった。手力雄尊は素戔嗚の罪を憎みながらも、彼の非凡な膂力には愛惜の情を感じていた。これは同時にまた思兼尊が、むざむざ彼ほどの若者を殺したくない理由でもあった。のみならず尊は彼ばかりでなく、すべて人間を殺すと云う事に、極端な嫌悪を抱いていた。――  部落の老若は彼の罪を定めるために、三日の間議論を重ねた。が、二人の尊たちはどうしても意見を改めなかった。彼等はそこで死刑の代りに、彼を追放に処する事にした。しかしこのまま、彼の縄を解いて、彼に広い国外の自由の天地を与えるのは、到底彼等の忍び難い、寛大に過ぎた処置であった。彼等はまず彼の鬚を、一本残らずむしり取った。それから彼の手足の爪を、まるで貝でも剥がすように、未練未釈なく抜いてしまった。その上彼の縄を解くと、ほとんど手足も利かない彼へ、手ん手に石を投げつけたり、慓悍な狩犬をけしかけたりした。彼は血にまみれながら、ほとんど高這いをしないばかりに、蹌踉と部落を逃れて行った。  彼が高天原の国をめぐる山々の峰を越えたのは、ちょうどその後二日経った、空模様の怪しい午後であった。彼は山の頂きへ来た時、嶮しい岩むらの上へ登って、住み慣れた部落の横わっている、盆地の方を眺めて見た。が、彼の眼の下には、ただうす白い霧の海が、それらしい平地をぼんやりと、透かして見せるばかりであった。彼はしかし岩の上に、朝焼の空を負いながら、長い間じっと坐っていた。すると谷間から吹き上げる風が、昔の通り彼の耳へ、聞き慣れた囁きを送って来た。「素戔嗚よ。お前は何をさがしているのだ。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。素戔嗚よ。……」  彼はようやく立ち上った。そうしてまだ知らない国の方へ、おもむろに山を下り出した。  その内に朝焼の火照りが消えると、ぽつぽつ雨が落ちはじめた。彼は一枚の衣のほかに、何もまとってはいなかった。頸珠や剣は云うまでもなく、生捉りになった時に奪われていた。雨はこの追放人の上に、おいおい烈しくなり始めた。風も横なぐりに落して来ては、時々ずぶ濡れになった衣の裾を裸の脚へたたきつけた。彼は歯を食いしばりながら、足もとばかり見つめて歩いた。  実際眼に見えるものは、足もとに重なる岩だけであった。そのほかは一面に暗い霧が、山や谷を封じていた。霧の中では風雨の音か、それとも谷川の水の音か、凄じくざっと遠近に煮えくり返る音があった。が、彼の心の中には、それよりもさらに凄じく、寂しい怒が荒れ狂っていた。 二十四  やがて足もとの岩は、湿った苔になった。苔はまた間もなく、深い羊歯の茂みになった。それから丈の高い熊笹に、――いつの間にか素戔嗚は、山の中腹を埋めている森林の中へはいったのであった。  森林は容易に尽きなかった。風雨も依然として止まなかった。空には樅や栂の枝が、暗い霧を払いながら、悩ましい悲鳴を挙げていた。彼は熊笹を押し分けて、遮二無二その中を下って行った。熊笹は彼の頭を埋めて、絶えず濡れた葉を飛ばせていた。まるで森全体が、彼の行手を遮るべく、生きて動いているようであった。  彼は休みなく進み続けた。彼の心の内には相不変鬱勃として怒が燃え上っていた。が、それにも関らず、この荒れ模様の森林には、何か狂暴な喜びを眼ざまさせる力があるらしかった。彼は草木や蔦蘿を腕一ぱいに掻きのけながら、時々大きな声を出して、吼って行く風雨に答えたりした。  午もやや過ぎた頃、彼はとうとう一すじの谷川に、がむしゃらな進路を遮られた。谷川の水のたぎる向うは、削ったような絶壁であった。彼はその流れに沿って、再び熊笹を掻き分けて行った。するとしばらくして向うの岸へ、藤蔓を編んだ桟橋が、水煙と雨のしぶきとの中に、危く懸っている所へ出た。  桟橋を隔てた絶壁には、火食の煙が靡いている、大きな洞穴が幾つか見えた。彼はためらわずに桟橋を渡って、その穴の一つを覗いて見た。穴の中には二人の女が、炉の火を前に坐っていた。二人とも火の光を浴びて、描いたように赤く見えた。一人は猿のような老婆であったが、一人はまだ年も若いらしかった。それが彼の姿を見ると、同時に声を挙げながら、洞穴の奥へ逃げこもうとした。が、彼は彼等のほかに男手のないのを見るが早いか、猛然と穴の中へ突き進んだ。そうしてまず造作もなく、老婆をそこへ扭じ伏せてしまった。  若い女は壁に懸けた刀子へ手をかけるや否や、素早く彼の胸を刺そうとした。が、彼は片手を揮って、一打にその刀子を打ち落した。女はさらに剣を抜いて、執念く彼を襲って来た。しかし剣は一瞬の後、やはり鏘然と床に落ちた。彼はその剣を拾い取ると、切先を歯に啣えながら苦もなく二つに折って見せた。そうして冷笑を浮べたまま、戦いを挑むように女を見た。  女はすでに斧を執って、三度彼に手向おうとしていた。が、彼が剣を折ったのを見ると、すぐに斧を投げ捨てて、彼の憐に訴うべく、床の上にひれ伏してしまった。 「おれは腹が減っているのだ。食事の仕度をしれい。」  彼は捉えていた手を緩めて、猿のような老婆をも自由にした。それから炉の火の前へ行って、楽々とあぐらをかいた。二人の女は彼の命令通り、黙々と食事の仕度を始めた。 二十五  洞穴の中は広かった。壁にはいろいろな武器が懸けてあった。それが炉の火の光を浴びて、いずれも美々しく輝いていた。床にはまた鹿や熊の皮が、何枚もそこここに敷いてあった。その上何から起るのか、うす甘い匀が快く暖な空気に漂っていた。  その内に食事の仕度が出来た。野獣の肉、谷川の魚、森の木の実、干した貝、――そう云う物が盤や坏に堆く盛られたまま、彼の前に並べられた。若い女は瓶を執って、彼に酒を勧むべく、炉のほとりへ坐りに来た。目近に坐っているのを見れば、色の白い、髪の豊な、愛嬌のある女であった。  彼は獣のように、飮んだり食ったりした。盤や坏は見る見る内に、一つ残らず空になった。女は健啖な彼を眺めながら子供のように微笑していた。彼に刀子を加えようとした、以前の慓悍な気色などは、どこを探しても見えなかった。 「さあ、これで腹は出来た。今度は着る物を一枚くれい。」  彼は食事をすませると、こう云って、大きな欠伸をした。女は洞穴の奥へ行って、絹の着物を持って来た。それは今まで彼の見た事のない、精巧な織模様のある着物であった。彼は身仕度をすませると、壁の上の武器の中から、頭椎の剣を一振とって、左の腰に結び下げた。それからまた炉の火の前へ行って、さっきのようにあぐらを掻いた。 「何かまだ御用がございますか。」  しばらくの後、女はまた側へ来て、ためらうような尋ね方をした。 「おれは主人の帰るのを待っているのだ。」 「待って、――どうなさるのでございますか。」 「太刀打をしようと思うのだ。おれは女を劫して、盗人を働いたなどとは云われたくない。」  女は顔にかかる髪を掻き上げながら、鮮な微笑を浮べて見せた。「それでは御待ちになるがものはございません。私がこの洞穴の主人なのでございますから。」  素戔嗚は意外の感に打たれて、思わず眼を大きくした。 「男は一人もいないのか。」 「一人も居りません。」 「この近くの洞穴には?」 「皆私の妹たちが、二三人ずつ住んで居ります。」  彼は顔をしかめたまま二三度頭を強く振った。火の光、床の毛皮、それから壁上の太刀や剣、――すべてが彼には、怪しげな幻のような心もちがした。殊にこの若い女は、きらびやかな頸珠や剣を飾っているだけに、余計人間離れのした、山媛のような気がするのであった。しかし風雨の森林を長い間さまよった後この危害の惧のない、暖な洞穴に坐っているのは、とにかく快いには違いなかった。 「妹たちは大勢いるのか。」 「十六人居ります。――ただ今姥が知らせに参りましたから、その内に皆御眼にかかりに、出て参るでございましょう。」  成程そう云われて見れば、あの猿のような老婆の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。 二十六  素戔嗚は膝を抱えたまま、洞外をどよもす風雨の音にぼんやり耳を傾けていた。すると女は炉の中へ、新に焚き木を加えながら、 「あの――御名前は何とおっしゃいますか。私は大気都姫と申しますが。」と云った。 「おれは素戔嗚だ。」  彼がこう名乗った時、大気都姫は驚いた眼を挙げて、今更のようにこの無様な若者を眺めた。素戔嗚の名は彼女の耳にも、明かに熟しているようであった。 「では今まではあの山の向うの、高天原の国にいらしったのでございますか。」  彼は黙って頷いた。 「高天原の国は、好い所だと申すではございませんか。」  この言葉を聞くと共に、一時静まっていた心頭の怒火が、また彼の眼の中に燃えあがった。 「高天原の国か。高天原の国は、鼠が猪よりも強い所だ。」  大気都姫は微笑した。その拍子に美しい歯が、鮮に火の光に映って見えた。 「ここは何と云う所だ?」  彼は強いて冷かに、こう話頭を転換した。が、彼女は微笑を含んで、彼の逞しい肩のあたりへじっと眼を注いだまま、何ともその問に答えなかった。彼は苛立たしい眉を動かして、もう一度同じ事を繰返した。大気都姫は始めて我に返ったように、滴るような媚を眼に浮べて、 「ここでございますか。ここは――ここは猪が鼠より強い所でございます。」と答えた。  その時俄に人のけはいがして、あの老婆を先頭に、十五人の若い女たちが、風雨にめげた気色もなく、ぞろぞろ洞穴の中へはいって来た。彼等は皆頬に紅をさして、高々と黒髪を束ねていた。それが順々に大気都姫と、親しそうな挨拶を交換すると、呆気にとられた彼のまわりへ、馴れ馴れしく手ん手に席を占めた。頸珠の色、耳環の光、それから着物の絹ずれの音、――洞穴の内はそう云う物が、榾明りの中に充ち満ちたせいか、急に狭くなったような心もちがした。  十六人の女たちは、すぐに彼を取りまいて、こう云う山の中にも似合わない、陽気な酒盛を開き始めた。彼は始は唖のように、ただ勧められる盃を一息にぐいぐい飲み干していた。が、酔がまわって来ると、追いおい大きな声を挙げて、笑ったり話したりする様になった。女たちのある者は、玉を飾って琴を弾いた。またある者は、盃を控えて、艶かしい恋の歌を唱った。洞穴は彼等のえらぐ声に、鳴りどよむばかりであった。  その内に夜になった。老婆は炉に焚き木を加えると共に、幾つも油火の燈台をともした。その昼のような光の中に、彼は泥のように酔い痴れながら、前後左右に周旋する女たちの自由になっていた。十六人の女たちは、時々彼を奪い合って、互に嬌嗔を帯びた声を立てた。が、大抵は大気都姫が、妹たちの怒には頓着なく、酒に中った彼を壟断していた。彼は風雨も、山々も、あるいはまた高天原の国も忘れて、洞穴を罩めた脂粉の気の中に、全く沈湎しているようであった。ただその大騒ぎの最中にも、あの猿のような老婆だけは、静に片隅に蹲って、十六人の女たちの、人目を憚らない酔態に皮肉な流し目を送っていた。 二十七  夜は次第に更けて行った。空になった盤や瓶は、時々けたたましい音を立てて、床の上にころげ落ちた。床の上に敷いた毛皮も、絶えず机から滴る酒に、いつかぐっしょり濡らされていた。十六人の女たちは、ほとんど正体もないらしかった。彼等の口から洩れるものは、ただ意味のない笑い声か、苦しそうな吐息の音ばかりであった。  やがて老婆は立ち上って、明るい油火の燈台を一つ一つ消して行った。後には炉に消えかかった、煤臭い榾の火だけが残った。そのかすかな火の光は、十六人の女に虐まれている、小山のような彼の姿を朦朧といつまでも照していた。……  翌日彼は眼をさますと、洞穴の奥にしつらえた、絹や毛皮の寝床の中に、たった一人横になっていた。寝床には菅畳を延べる代りに、堆く桃の花が敷いてあった。昨日から洞中に溢れていた、あのうす甘い、不思議な匀は、この桃の花の匀に違いなかった。彼は鼻を鳴らしながら、しばらくはただぼんやりと岩の天井を眺めていた。すると気違いじみた昨夜の記憶が、夢のごとく眼に浮んで来た。と同時にまた妙な腹立たしさが、むらむらと心頭を襲い出した。 「畜生。」  素戔嗚はこう呻きながら、勢いよく寝床を飛び出した。その拍子に桃の花が、煽ったように空へ舞い上った。  洞穴の中には例の老婆が、余念なく朝飯の仕度をしていた。大気都姫はどこへ行ったか、全く姿を見せなかった。彼は手早く靴を穿いて、頭椎の太刀を腰に帯びると、老婆の挨拶には頓着なく、大股に洞外へ歩を運んだ。  微風は彼の頭から、すぐさま宿酔を吹き払った。彼は両腕を胸に組んで、谷川の向うに戦いでいる、さわやかな森林の梢を眺めた。森林の空には高い山々が、中腹に懸った靄の上に、巑岏たる肌を曝していた。しかもその巨大な山々の峰は、すでに朝日の光を受けて、まるで彼を見下しながら、声もなく昨夜の狂態を嘲笑っているように見えるのであった。  この山々と森林とを眺めていると、彼は急に洞穴の空気が、嘔吐を催すほど不快になった。今は炉の火も、瓶の酒も、乃至寝床の桃の花も、ことごとく忌わしい腐敗の匀に充満しているとしか思われなかった。殊にあの十六人の女たちは、いずれも死穢を隠すために、巧な紅粉を装っている、屍骨のような心もちさえした。彼はそこで山々の前に、思わず深い息をつくと、悄然と頭を低れながら、洞穴の前に懸っている藤蔓の橋を渡ろうとした。  が、その時賑かな笑い声が、静な谷間に谺しながら、活き活きと彼の耳にはいった。彼は我知らず足を止めて、声のする方を振り返った。と、洞穴の前に通っている、細い岨路の向うから、十五人の妹をつれた、昨日よりも美しい大気都姫が、眼早く彼の姿を見つけて、眩い絹の裳を飜しながら、こちらへ急いで来る所であった。 「素戔嗚尊。素戔嗚尊。」  彼等は小鳥の囀るように、口々に彼を呼びかけた。その声はほとんど宿命的に、折角橋を渡りかけた素戔嗚の心を蕩漾させた。彼は彼自身の腑甲斐なさに驚きながら、いつか顔中に笑を浮べて、彼等の近づくのを待ちうけていた。 二十八  それ以来素戔嗚は、この春のような洞穴の中に、十六人の女たちと放縦な生活を送るようになった。  一月ばかりは、瞬く暇に過ぎた。  彼は毎日酒を飮んだり、谷川の魚を釣ったりして暮らした。谷川の上流には瀑があって、そのまた瀑のあたりには年中桃の花が開いていた。十六人の女たちは、朝毎にこの瀑壺へ行って、桃花の匀を浸した水に肌を洗うのが常であった。彼はまだ朝日のささない内に、女たちと一しょに水を浴ぶべく、遠い上流まで熊笹の中を、分け上る事も稀ではなかった。  その内に偉大な山々も、谷川を隔てた森林も、おいおい彼と交渉のない、死んだ自然に変って行った。彼は朝夕静寂な谷間の空気を呼吸しても、寸毫の感動さえ受けなくなった。のみならずそう云う心の変化が、全然彼には気にならなかった。だから彼は安んじて、酒びたりな日毎を迎えながら、幻のような幸福を楽んでいた。  しかしある夜夢の中に、彼は山上の岩むらに立って、再び高天原の国を眺めやった。高天原の国には日が当って、天の安河の大きな水が焼太刀のごとく光っていた。彼は勁い風に吹かれながら、眼の下の景色を見つめていると、急に云いようのない寂しさが、胸一ぱいに漲って来た、そうして思わず、声を立てて泣いた。その声にふと眼がさめた時、涙は実際彼の煩に、冷たい痕を止めていた。彼はそれから身を起して、かすかな榾明りに照らされた、洞穴の中を見廻した。彼と同じ桃花の寝床には、酒の匀のする大気都姫が、安らかな寝息を立てていた。これは勿論彼にとって、珍しい事でも何でもなかった。が、その姿に眼をやると、彼女の顔は不思議にも、眉目の形こそ変らないが、垂死の老婆と同じ事であった。  彼は恐怖と嫌悪とに、わななく歯を噛みしめながら、そっと生暖い寝床を辷り脱けた。そうして素早く身仕度をすると、あの猿のような老婆も感づかないほど、こっそり洞穴の外へ忍んで出た。  外には暗い夜の底に、谷川の音ばかりが聞えていた。彼は藤蔓の橋を渡るが早いか、獣のように熊笹を潜って、木の葉一つ動かない森林を、奥へ奥へと分けて行った。星の光、冷かな露、苔の匀、梟の眼――すべてが彼には今までにない、爽かな力に溢れているようであった。  彼は後も振返らずに、夜が明けるまで歩み続けた。森林の夜明けは美しかった。暗い栂や樅の空が燃えるように赤く染まった時、彼は何度も声を挙げて、あの洞穴を逃れ出した彼自身の幸福を祝したりした。  やがて太陽が、森の真上へ来た。彼は梢の山鳩を眺めながら、弓矢を忘れて来た事を後悔した。が、空腹を充すべき木の実は、どこにでも沢山あった。  日の暮は瞼しい崖の上に、寂しそうな彼を見出した。森はその崖の下にも、針葉樹の鋒を並べていた。彼は岩かどに腰を下して、谷に沈む日輪を眺めながら、うす暗い洞穴の壁に懸っている、剣や斧を思いやった。すると何故か、山々の向うから、十六人の女の笑い声が、かすかに伝わって来るような心もちがした。それは想像も出来ないくらい、怪しい誘惑に富んだ幻であった。彼は暮れかかる岩と森とを、食い入るように見据えたまま、必死にその誘惑を禦ごうとした。が、あの洞穴の榾火の思い出は、まるで眼に見えない網のように、じりじり彼の心を捉えて行った。 二十九  素戔嗚は一日の後、またあの洞中に帰って来た。十六人の女たちは、皆彼の逃げた事も知らないような顔をしていた。それはどう考えても、無関心を装っているとは思われなかった。むしろ彼等は始めから、ある不思議な無感受性を持っているような気がするのであった。  この彼等の無感受性は、当座の間彼を苦しませた。が、さらに一月ばかり経って見ると、反って彼はそのために、前よりも猶安々と、いつまでも醒めない酔のような、怪しい幸福に浸る事が出来た。  一年ばかりの月日は、再び夢のように通り過ぎた。  するとある日女たちは、どこから洞穴へつれて来たか、一頭の犬を飼うようになった。犬は全身まっ黒な、犢ほどもある牡であった。彼等は、殊に大気都姫は、人間のようにこの犬を可愛がった。彼も始は彼等と一しょに、盤の魚や獣の肉を投げてやる事を嫌わなかった。あるいはまた酒後の戯れに、相撲をとる事も度々あった。犬は時々前足を飛ばせて、酔い痴れた彼を投げ倒した。彼等はその度に手を叩いて、賑かに笑い興じながら、意気地のない彼を嘲り合った。  ところが犬は一日毎に、益々彼等に愛されて行った。大気都姫はとうとう食事の度に、彼と同じ盤や瓶を、犬の前にも並べるようになった。彼は苦い顔をして、一度は犬を逐い払おうとした。が、彼女はいつになく、美しい眼の色を変えて、彼の我儘を咎め立てた。その怒を犯してまでも、犬を成敗しようと云う勇気は、すでに彼には失われていた。彼はそこで犬と共に、肉を食ったり酒を飲んだりした。犬は彼の不快を知っているように、いつも盤を舐め廻しながら、彼の方へ牙を剥いて見せた。  しかしその間は、まだ好かった。ある朝彼は女たちに遅れて、例の通り瀑を浴びに行った。季節は夏に近かったが、そのあたりの桃は相不変、谷間の霧の中に開いていた。彼は熊笹を押し分けながら、桃の落花を湛えている、すぐ下の瀑壺へ下りようとした。その時彼の眼は思いがけなく、水を浴びている××××××黒い獣が動いているのを見た。××××××××××××××××××××××××××××××。彼はすぐに腰の剣を抜いて、一刺しに犬を刺そうとした。が、女たちはいずれも犬をかばって、自由に剣を揮わせなかった。その暇に犬は水を垂らしながら、瀑壺の外へ躍り上って、洞穴の方へ逃げて行ってしまった。  それ以来夜毎の酒盛りにも、十六人の女たちが、一生懸命に奪い合うのは、素戔嗚ではなくて、黒犬であった。彼は酒に中りながら、洞穴の奥に蹲って、一夜中酔泣きの涙を落していた。彼の心は犬に対する、燃えるような嫉妬で一ぱいであった。が、その嫉妬の浅間しさなどは、寸毫も念頭には上らなかった。  ある夜彼がまた洞穴の奥に、泣き顔を両手へ埋めていると、突然誰かが忍びよって、両手に彼を抱きながら艶めかしい言葉を囁いた。彼は意外な眼を挙げて、油火には遠い薄暗がりに、じっと相手の顔を透かして見た。と同時に怒声を発して、いきなり相手を突き放した。相手は一たまりもなく床に倒れて、苦しそうな呻吟の声を洩らした。――それはあの腰も碌に立たない、猿のような老婆の声であった。 三十  老婆を投げ倒した素戔嗚は、涙に濡れた顔をしかめたまま、虎のように身を起した。彼の心はその瞬間、嫉妬と憤怒と屈辱との煮え返っている坩堝であった。彼は眼前に犬と戯れている、十六人の女たちを見るが早いか、頭椎の太刀を引き抜きながら、この女たちの群った中へ、我を忘れて突進した。  犬は咄嗟に身を飜して、危く彼の太刀を避けた。と同時に女たちは、哮り立った彼を引き止むべく、右からも左からもからみついた。が、彼はその腕を振り離して、切先下りにもう一度狂いまわる犬を刺そうとした。  しかし大刀は犬の代りに、彼の武器を奪おうとした、大気都姫の胸を刺した。彼女は苦痛の声を洩らして、のけざまに床の上へ倒れた。それを見た女たちは、皆悲鳴を挙げながら、糅然と四方へ逃げのいた。燈台の倒れる音、けたたましく犬の吠える声、それから盤だの瓶だのが粉微塵に砕ける音、――今まで笑い声に満ちていた洞穴の中も、一しきりはまるで嵐のような、混乱の底に投げこまれてしまった。  彼は彼自身の眼を疑うように、一刹那は茫然と佇んでいた。が、たちまち大刀を捨てて、両手に頭を抑えたと思うと、息苦しそうな呻き声を発して、弦を離れた矢よりも早く、洞穴の外へ走り出した。  空には暈のかかった月が、無気味なくらいぼんやり蒼ざめていた。森の木々もその空に、暗枝をさし交せて、ひっそり谷を封じたまま、何か凶事が起るのを待ち構えているようであった。が、彼は何も見ず、何も聞かずに走り続けた。熊笹は露を振いながら、あたかも彼を埋めようとするごとく、どこまで行っても浪を立てていた。時々夜鳥がその中から、翼に薄い燐光を帯びて、風もない梢へ昇って行った。……  明け方彼は彼自身を、大きな湖の岸に見出した。湖は曇った空の下にちょうど鉛の板かと思うほど、波一つ揚げていなかった。周囲に聳えた山々も重苦しい夏の緑の色が、わずかに人心地のついた彼には、ほとんど永久に癒やす事を知らない、憂鬱そのもののごとくに見えた。彼は岸の熊笹を分けて、乾いた砂の上に下りた。それからそこに腰を下して、寂しい水面へ眼を送った。湖には遠く一二点、かいつぶりの姿が浮んでいた。  すると彼の心には、急に悲しさがこみ上げて来た。彼は高天原の国にいた時、無数の若者を敵にしていた。それが今では、一匹の犬が、彼の死敵のすべてであった。――彼は両手に顔を埋めて、長い間大声に泣いていた。  その間に空模様が変った。対岸を塞いだ山の空には、二三度鍵の手の稲妻が飛んだ。続いて殷々と雷が鳴った。彼はそれでも泣きながら、じっと砂の上に坐っていた。やがて雨を孕んだ風が、大うねりに岸の熊笹を渡った。と、俄に湖が暗くなって、ざわざわ波が騒ぎ始めた。  雷が猶鳴り続けた。その内に対岸の山が煙り出すと、どこともなくざっと木々が鳴って、一旦暗くなった湖が、見る見る向うからまた白くなった。彼は始めて顔を挙げた。その途端に天を傾けて、瀑のような大雨が、沛然と彼を襲って来た。 三十一  対岸の山はすでに見えなくなった。湖も立ち罩めた雲煙の中に、ややともすると紛れそうであった。ただ、稲妻の閃く度に、波の逆立った水面が、一瞬間遠くまで見渡された。と思うと雷の音が、必ず空を掻きむしるように、続けさまに轟々と爆発した。  素戔嗚はずぶ濡れになりながら、未に汀の砂を去らなかった。彼の心は頭上の空より、さらに晦濛の底へ沈んでいた。そこには穢れ果てた自己に対する、憤懣よりほかに何もなかった。しかし今はその憤懣を恣に洩らす力さえ、――大樹の幹に頭を打ちつけるか、湖の底に身を投ずるか、一気に自己を亡すべき、最後の力さえ涸れ尽きていた。だから彼は心身とも、まるで破れた船のように、空しく騒ぎ立つ波に臨んだまま、まっ白に落す豪雨を浴びて、黙然と坐っているよりほかはなかった。  天はいよいよ暗くなった。風雨も一層力を加えた。そうして――突然彼の眼の前が、ぎらぎらと凄まじい薄紫になった。山が、雲が、湖が皆半空に浮んで見えた。同時に地軸も砕けたような、落雷の音が耳を裂いた。彼は思わず飛び立とうとした。が、すぐにまた前へ倒れた。雨は俯伏せになった彼の上へ未練未釈なく降り濺いだ。しかし彼は砂の中に半ば顔を埋めたまま、身動きをする気色も見えなかった。……  何時間か過ぎた後、失神した彼はおもむろに、砂の上から起き上った。彼の前には静な湖が、油のように開いていた。空にはまだ雲が立ち迷ってただ一幅の日の光が、ちょうど対岸の山の頂へ帯のように長く落ちていた。そうしてその光のさした所が、そこだけほかより鮮かな黄ばんだ緑に仄めいていた。  彼は茫然と眼を挙げて、この平和な自然を眺めた。空も、木々も、雨後の空気も、すべてが彼には、昔見た夢の中の景色のような、懐しい寂莫に溢れていた。 「何かおれの忘れていた物が、あの山々の間に潜んでいる。」――彼はそう思いながら、貪るように湖を眺め続けた。しかしそれが何だったかは、遠い記憶を辿って見ても、容易に彼には思い出せなかった。  その内に雲の影が移って、彼を囲む真夏の山々へ、一時に日の光が照り渡った。山々を埋める森の緑は、それと共に美しく湖の空に燃え上った。この時彼の心には異様な戦慄が伝わるのを感じた。彼は息を呑みながら、熱心に耳を傾けた。すると重なり合った山々の奥から、今まで忘れていた自然の言葉が声のない雷のように轟いて来た。  彼は喜びに戦いた。戦きながらその言葉の威力の前に圧倒された。彼はしまいには砂に伏して、必死に耳を塞ごうとした。が、自然は語り続けた。彼は嫌でもその言葉に、じっと聞き入るより途はなかった。  湖は日に輝きながら、溌溂とその言葉に応じた。彼は――その汀にひれ伏している、小さな一人の人間は、代る代る泣いたり笑ったりしていた。が、山々の中から湧き上る声は、彼の悲喜には頓着なく、あたかも目に見えない波濤のように、絶えまなく彼の上へ漲って来た。 三十二  素戔嗚はその湖の水を浴びて、全身の穢れを洗い落した。それから岸に臨んでいる、大きな樅の木の陰へ行って、久しぶりに健な眠に沈んだ。が、夢はその間も、深い真夏の空の奥から、鳥の羽根が一すじ落ちるように、静に彼の上へ舞い下って来た。――  夢の中は薄暗かった。そうして大きな枯木が一本、彼の前に枝を伸していた。  そこへ一人の大男が、どこからともなく歩いて来た。顔ははっきり見えなかったが、柄に竜の飾のある高麗剣を佩いている事は、その竜の首が朦朧と金色に光っているせいか、一目にもすぐに見分けられた。  大男は腰の剣を抜くと、無造作にそれを鍔元まで、大木の根本へ突き通した。  素戔嗚はその非凡な膂力に、驚嘆しずにはいられなかった。すると誰か彼の耳に、 「あれは火雷命だ。」と、囁いてくれるものがあった。 大男は静に手を挙げて、彼に何か相図をした。それが彼には何となく、その高麗剣を抜けと云う相図のように感じられた。そうして急に夢が覚めた。  彼は茫然と身を起した。微風に動いている樅の梢には、すでに星が撒かれていた。周囲にも薄白い湖のほかは、熊笹の戦ぎや苔の匀が、かすかに動いている夕闇があった。彼は今見た夢を思い出しながら、そう云うあたりへ何気なく、懶い視線を漂わせた。  と、十歩と離れていない所に、夢の中のそれと変りのない、一本の枯木のあるのが見えた。彼は考える暇もなく、その枯木の側へ足を運んだ。  枯木はさっきの落雷に、裂かれたものに違いなかった。だから根元には何かの針葉が、枝ごと一面に散らばっていた。彼はその針葉を踏むと同時に、夢が夢でなかった事を知った。――枯木の根本には一振の高麗剣が竜の飾のある柄を上にほとんど鍔も見えないほど、深く突き立っていたのであった。  彼は両手に柄を掴んで、渾身の力をこめながら、一気にその剣を引き抜いた。剣は今し方磨いだように鍔元から切先まで冷やかな光を放っていた。「神々はおれを守って居て下さる。」――そう思うと彼の心には、新しい勇気が湧くような気がした。彼は枯木の下に跪いて天上の神々に祈りを捧げた。  その後彼はまた樅の木陰へ帰って、しっかり剣を抱きながら、もう一度深い眠に落ちた。そうして三日三晩の間、死んだように眠り続けた。  眠から覚めた素戔嗚は再び体を清むべく、湖の汀へ下りて行った。風の凪ぎ尽した湖は、小波さえ砂を揺すらなかった。その水が彼の足もとへ、汀に立った彼の顔を、鏡のごとく鮮かに映して見せた。それは高天原の国にいた時の通り、心も体も逞しい、醜い神のような顔であった。が、彼の眼の下には、今までにない一筋の皺が、いつの間にか一年間の悲しみの痕を刻んでいた。 三十三  それ以来彼はたった一人、ある時は海を渡り、ある時はまた山を越えて、いろいろな国をさまよって歩いた。しかしどの国のどの部落も、未嘗て彼の足を止めさせるには足らなかった。それらは皆名こそ変っていたが、そこに住んでいる民の心は、高天原の国と同じ事であった。彼は――高天原の国に未練のなかった彼は、それらの民に一臂の労を借してやった事はあっても、それらの民の一人となって、老いようと思った事は一度もなかった。「素戔嗚よ。お前は何を探しているのだ。おれと一しょに来い。おれと一しょに来い。……」  彼は風が囁くままに、あの湖を後にしてから、ちょうど満七年の間、はてしない漂泊を続けて来た。そうしてその七年目の夏、彼は出雲の簸の川を遡って行く、一艘の独木舟の帆の下に、蘆の深い両岸を眺めている、退屈な彼自身を見出したのであった。  蘆の向うには一面に、高い松の木が茂っていた。この松の枝が、むらむらと、互に鬩ぎ合った上には、夏霞に煙っている、陰鬱な山々の頂があった。そうしてそのまた山々の空には、時々鷺が両三羽、眩く翼を閃かせながら、斜に渡って行く影が見えた。が、この鷺の影を除いては、川筋一帯どこを見ても、ほとんど人を脅すような、明い寂寞が支配していた。  彼は舷に身を凭せて、日に蒸された松脂の匀を胸一ぱいに吸いこみながら、長い間独木舟を風の吹きやるのに任せていた。実際この寂しい川筋の景色も、幾多の冒険に慣れた素戔嗚には、まるで高天原の八衢のように、今では寸分の刺戟さえない、平凡な往来に過ぎないのであった。  夕暮が近くなった時、川幅が狭くなると共に、両岸には蘆が稀になって、節くれ立った松の根ばかりが、水と泥との交る所を、荒涼と絡っているようになった。彼は今夜の泊りを考えながら、前よりはやや注意深く、両岸に眼を配って行った。松は水の上まで枝垂れた枝を、鉄網のように纏め合せて、林の奥の神秘な世界を、執念く人目から隠していた。それでも時たまその松が、鹿でも水を飲みに来るせいか、疎に透いている所には不気味なほど赤い大茸が、薄暗い中に簇々と群っている朽木も見えた。  益々夕暮が迫って来た。その時、彼は遥か向うの、水に臨んでいる一枚岩の上に、人間らしい姿が一つ、坐っているのを発見した。勿論この川筋には、さっきから全然人煙の挙っている容子は見えなかった。だからこの姿を発見した時も、彼は始は眼を疑って、高麗剣の柄にこそ手をかけて見たが、まだ体は悠々と独木舟の舷に凭せていた。  その内に舟は水脈を引いて、次第にそこへ近づいて来た。すると一枚岩の上にいるのも、いよいよ人間に紛れなくなった。のみならずほどなくその姿は、白衣の据を長く引いた、女だと云う事まで明らかになった。彼は好奇心に眼を輝かせながら、思わず独木舟の舳に立ち上った。舟はその間も帆に微風を孕んで、小暗く空に蔓った松の下を、刻々一枚岩の方へ近づきつつあった。 三十四  舟はとうとう一枚岩の前へ来た。岩の上には松の枝が、やはり長々と枝垂れていた。素戔嗚は素早く帆を下すと、その松の枝を片手に掴んで、両足へうんと力を入れた。と同時に舟は大きく揺れながら、舳に岩角の苔をかすって、たちまちそこへ横づけになった。  女は彼の近づくのも知らず、岩の上へ独り泣き伏していた。が、人のけはいに驚いたのか、この時ふと顔を擡げて、舟の中の彼を見たと思うと、やにわに悲鳴を挙げながら、半ば岩を抱いている、太い松の蔭に隠れようとした。しかし彼はその途端に、片手に岩角を掴んだまま、「御待ちなさい。」と云うより早く、後へ引き残した女の裳を、片手にしっかり握りとめた。女は思わずそこへ倒れて、もう一度短い悲鳴を漏らした。が、それぎり身を起す気色もなく、また前のように泣き入ってしまった。  彼は纜を松の枝に結ぶと、身軽く岩の上へ飛び上った。そうして女の肩へ手をかけながら、 「御安心なさい。私は何もあなたの体に、害を加えようと云うのじゃありません。ただ、あなたがこんな所に、泣いているのが不審でしたから、どうしたのかと思って、舟を止めたのです。」と云った。  女はやっと顔を挙げて、水の上を罩めた暮色の中に、怯ず怯ず彼の姿を見上げた。彼はその刹那にこの女が、夢の中にのみ見る事が出来る、例えばこの夏の夕明りのような、どことなくもの悲しい美しさに溢れている事を知ったのであった。 「どうしたのです。あなたは路でも迷ったのですか。それとも悪者にでも浚われたのですか。」  女は黙って、首を振った。その拍子に頸珠の琅玕が、かすかに触れ合う音を立てた。彼はこの子供のような、否と云う返事の身ぶりを見ると、我知らず微笑が唇に上って来ずにはいられなかった。が、女はその次の瞬間には、見る見る恥しそうな色に頬を染めて、また涙に沾んだ眼を、もう一度膝へ落してしまった。 「では、――ではどうしたのです。何か難儀な事でもあったら、遠慮なく話して御覧なさい。私に出来る事でさえあれば、どんな事でもして上げます。」  彼がこう優しく慰めると、女は始めて勇気を得たように、時々まだ口ごもりながら、とにかく一切の事情を話して聞かせた。それによると女の父は、この川上の部落の長をしている、足名椎と云うものであった。ところが近頃部落の男女が、続々と疫病に仆れるため、足名椎は早速巫女に命じて、神々の心を尋ねさせた。すると意外にも、ここにいる、櫛名田姫と云う一人娘を、高志の大蛇の犠にしなければ、部落全体が一月の内に、死に絶えるであろうと云う託宣があった。そこで足名椎は已むを得ず、部落の若者たちと共に舟を艤して、遠い部落からこの岩の上まで、櫛名田姫を運んで来た後、彼女一人を後に残して、帰って行ったと云う事であった。 三十五  櫛名田姫の話を聞き終ると、素戔嗚は項を反らせながら、愉快そうに黄昏の川を見廻した。 「その高志の大蛇と云うのは、一体どんな怪物なのです。」「人の噂を聞きますと、頭と尾とが八つある、八つの谷にも亘るくらい、大きな蛇だとか申す事でございます。」 「そうですか。それは好い事を聞きました。そんな怪物には何年にも、出合った事がありませんから、話を聞いたばかりでも、力瘤の動くような気がします。」  櫛名田姫は心配そうに、そっと涼しい眼を挙げて、無頓着な彼を見守った。 「こう申す内にもいつ何時、大蛇が参るかわかりませんが、あなたは――」 「大蛇を退治する心算です。」  彼はきっぱりこう答えると、両腕を胸に組んだまま、静に一枚岩の上を歩き出した。 「退治すると仰有っても、大蛇は只今申し上げた通り、一方ならない神でございますから――」 「そうです。」 「万一あなたがそのために、御怪我をなさらないとも限りませんし、――」 「そうです。」 「どうせ私は犠になるものと、覚悟をきめた体でございます。たといこのまま、――」 「御待ちなさい。」  彼は歩みを続けながら、何か眼に見えない物を払いのけるような手真似をした。 「私はあなたをおめおめと大蛇の犠にはしたくないのです。」 「それでも大蛇が強ければ――」 「仕方がないと云うのですか。たとい仕方がないにしても、私はやはり戦うのです。」  櫛名田姫はまた顔を赤めて、帯に下げた鏡をまさぐりながら、かすかに彼の言葉を押し返した。 「私が大蛇の犠になるのは、神々の思召しでございます。」 「そうかも知れません。しかし犠になると云う事がなかったら、あなたは今時分たった一人、こんな所に来てはいないでしょう。して見ると神々の思召しは、あなたを大蛇の犠にするより、反って私に大蛇の命を断たせようと云うのかも知れません。」  彼は櫛名田姫の前に足を止めた。と同時に一瞬間、厳な権威の閃きが彼の醜い眉目の間に磅礴したように思われた。 「けれども巫女が申しますには――」  櫛名田姫の声はほとんど聞えなかった。 「巫女は神々の言葉を伝えるものです。神々の謎を解くものではありません。」  この時突然二頭の鹿が、もう暗くなった向うの松の下から、わずかに薄白んだ川の中へ、水煙を立てて跳りこんだ。そうして角を並べたまま、必死にこちらへ泳ぎ出した。 「あの鹿の慌てようは――もしや来るのではございますまいか。あれが、――あの恐ろしい神が、――」  櫛名田姫はまるで狂気のように、素戔嗚の腰へ縋りついた。 「そうです。とうとう来たようです。神々の謎の解ける時が。」  彼は対岸に眼を配りながら、おもむろに高麗剣の柄へ手をかけた。するとその言葉がまだ終らない内に、驟雨の襲いかかるような音が、対岸の松林を震わせながら、その上に疎な星を撒いた、山々の空へ上り出した。 (大正九年五月)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 初出:「大阪毎日新聞 夕刊」    1920(大正9)年3月~6月 入力:j.utiyama 校正:湯地光弘 1999年8月27日公開 2012年3月17日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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「浅草の永住町に、信行寺と云う寺がありますが、――いえ、大きな寺じゃありません。ただ日朗上人の御木像があるとか云う、相応に由緒のある寺だそうです。その寺の門前に、明治二十二年の秋、男の子が一人捨ててありました。それがまた生れ年は勿論、名前を書いた紙もついていない。――何でも古い黄八丈の一つ身にくるんだまま、緒の切れた女の草履を枕に、捨ててあったと云う事です。 「当時信行寺の住職は、田村日錚と云う老人でしたが、ちょうど朝の御勤めをしていると、これも好い年をした門番が、捨児のあった事を知らせに来たそうです。すると仏前に向っていた和尚は、ほとんど門番の方も振り返らずに、「そうか。ではこちらへ抱いて来るが好い。」と、さも事もなげに答えました。のみならず門番が、怖わ怖わその子を抱いて来ると、すぐに自分が受け取りながら、「おお、これは可愛い子だ。泣くな。泣くな。今日からおれが養ってやるわ。」と、気軽そうにあやし始めるのです。――この時の事は後になっても、和尚贔屓の門番が、樒や線香を売る片手間に、よく参詣人へ話しました。御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、でんぼう肌の畸人だったのです。 「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のように育て始めました。が、何しろ御維新以来、女気のない寺ですから、育てると云ったにした所が、容易な事じゃありません。守りをするのから牛乳の世話まで、和尚自身が看経の暇には、面倒を見ると云う始末なのです。何でも一度なぞは勇之助が、風か何か引いていた時、折悪く河岸の西辰と云う大檀家の法事があったそうですが、日錚和尚は法衣の胸に、熱の高い子供を抱いたまま、水晶の念珠を片手にかけて、いつもの通り平然と、読経をすませたとか云う事でした。 「しかしその間も出来る事なら、生みの親に会わせてやりたいと云うのが、豪傑じみていても情に脆い日錚和尚の腹だったのでしょう。和尚は説教の座へ登る事があると、――今でも行って御覧になれば、信行寺の前の柱には「説教、毎月十六日」と云う、古い札が下っていますが、――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる所以だ、と懇に話して聞かせたそうです。が、説教日は度々めぐって来ても、誰一人進んで捨児の親だと名乗って出るものは見当りません。――いや勇之助が三歳の時、たった一遍、親だと云う白粉焼けのした女が、尋ねて来た事がありました。しかしこれは捨児を種に、悪事でもたくらむつもりだったのでしょう。よくよく問い質して見ると、疑わしい事ばかりでしたから、癇癖の強い日錚和尚は、ほとんど腕力を振わないばかりに、さんざん毒舌を加えた揚句、即座に追い払ってしまいました。 「すると明治二十七年の冬、世間は日清戦争の噂に湧き返っている時でしたが、やはり十六日の説教日に、和尚が庫裡から帰って来ると、品の好い三十四五の女が、しとやかに後を追って来ました。庫裡には釜をかけた囲炉裡の側に、勇之助が蜜柑を剥いている。――その姿を一目見るが早いか、女は何の取付きもなく、和尚の前へ手をついて、震える声を抑えながら、「私はこの子の母親でございますが、」と、思い切ったように云ったそうです。これにはさすがの日錚和尚も、しばらくは呆気にとられたまま、挨拶の言葉さえ出ませんでした。が、女は和尚に頓着なく、じっと畳を見つめながら、ほとんど暗誦でもしているように――と云って心の激動は、体中に露われているのですが――今日までの養育の礼を一々叮嚀に述べ出すのです。 「それがややしばらく続いた後、和尚は朱骨の中啓を挙げて、女の言葉を遮りながら、まずこの子を捨てた訳を話して聞かすように促しました。すると女は不相変畳へ眼を落したまま、こう云う話を始めたそうです―― 「ちょうど今から五年以前、女の夫は浅草田原町に米屋の店を開いていましたが、株に手を出したばっかりに、とうとう家産を蕩尽して、夜逃げ同様横浜へ落ちて行く事になりました。が、こうなると足手まといなのは、生まれたばかりの男の子です。しかも生憎女には乳がまるでなかったものですから、いよいよ東京を立ち退こうと云う晩、夫婦は信行寺の門前へ、泣く泣くその赤子を捨てて行きました。 「それからわずかの知るべを便りに、汽車にも乗らず横浜へ行くと、夫はある運送屋へ奉公をし、女はある糸屋の下女になって、二年ばかり二人とも一生懸命に働いたそうです。その内に運が向いて来たのか、三年目の夏には運送屋の主人が、夫の正直に働くのを見こんで、その頃ようやく開け出した本牧辺の表通りへ、小さな支店を出させてくれました。同時に女も奉公をやめて、夫と一しょになった事は元より云うまでもありますまい。 「支店は相当に繁昌しました。その上また年が変ると、今度も丈夫そうな男の子が、夫婦の間に生まれました。勿論悲惨な捨子の記憶は、この間も夫婦の心の底に、蟠っていたのに違いありません。殊に女は赤子の口へ乏しい乳を注ぐ度に、必ず東京を立ち退いた晩がはっきりと思い出されたそうです。しかし店は忙しい。子供も日に増し大きくなる。銀行にも多少は預金が出来た。――と云うような始末でしたから、ともかくも夫婦は久しぶりに、幸福な家庭の生活を送る事だけは出来たのです。 「が、そう云う幸運が続いたのも、長い間の事じゃありません。やっと笑う事もあるようになったと思うと、二十七年の春匇々、夫はチブスに罹ったなり、一週間とは床につかず、ころりと死んでしまいました。それだけならばまだ女も、諦めようがあったのでしょうが、どうしても思い切れない事には、せっかく生まれた子供までが、夫の百ヶ日も明けない内に、突然疫痢で歿くなった事です。女はその当座昼も夜も気違いのように泣き続けました。いや、当座ばかりじゃありません。それ以来かれこれ半年ばかりは、ほとんど放心同様な月日さえ送らなければならなかったのです。 「その悲しみが薄らいだ時、まず女の心に浮んだのは、捨てた長男に会う事です。「もしあの子が達者だったら、どんなに苦しい事があっても、手もとへ引き取って養育したい。」――そう思うと矢も楯もたまらないような気がしたのでしょう。女はすぐさま汽車に乗って、懐しい東京へ着くが早いか、懐しい信行寺の門前へやって来ました。それがまたちょうど十六日の説教日の午前だったのです。 「女は早速庫裡へ行って、誰かに子供の消息を尋ねたいと思いました。しかし説教がすまない内は、勿論和尚にも会われますまい。そこで女はいら立たしいながらも、本堂一ぱいにつめかけた大勢の善男善女に交って、日錚和尚の説教に上の空の耳を貸していました。――と云うよりも実際は、その説教が終るのを待っていたのに過ぎないのです。 「所が和尚はその日もまた、蓮華夫人が五百人の子とめぐり遇った話を引いて、親子の恩愛が尊い事を親切に説いて聞かせました。蓮華夫人が五百の卵を生む。その卵が川に流されて、隣国の王に育てられる。卵から生れた五百人の力士は、母とも知らない蓮華夫人の城を攻めに向って来る。蓮華夫人はそれを聞くと、城の上の楼に登って、「私はお前たち五百人の母だ。その証拠はここにある。」と云う。そうして乳を出しながら、美しい手に絞って見せる。乳は五百条の泉のように、高い楼上の夫人の胸から、五百人の力士の口へ一人も洩れず注がれる。――そう云う天竺の寓意譚は、聞くともなく説教を聞いていた、この不幸な女の心に異常な感動を与えました。だからこそ女は説教がすむと、眼に涙をためたまま、廊下伝いに本堂から、すぐに庫裡へ急いで来たのです。 「委細を聞き終った日錚和尚は、囲炉裡の側にいた勇之助を招いで、顔も知らない母親に五年ぶりの対面をさせました。女の言葉が嘘でない事は、自然と和尚にもわかったのでしょう。女が勇之助を抱き上げて、しばらく泣き声を堪えていた時には、豪放濶達な和尚の眼にも、いつか微笑を伴った涙が、睫毛の下に輝いていました。 「その後の事は云わずとも、大抵御察しがつくでしょう。勇之助は母親につれられて、横浜の家へ帰りました。女は夫や子供の死後、情深い運送屋主人夫婦の勧め通り、達者な針仕事を人に教えて、つつましいながらも苦しくない生計を立てていたのです。」  客は長い話を終ると、膝の前の茶碗をとり上げた。が、それに唇は当てず、私の顔へ眼をやって、静にこうつけ加えた。 「その捨児が私です。」  私は黙って頷きながら、湯ざましの湯を急須に注いだ。この可憐な捨児の話が、客松原勇之助君の幼年時代の身の上話だと云う事は、初対面の私にもとうに推測がついていたのであった。  しばらく沈黙が続いた後、私は客に言葉をかけた。 「阿母さんは今でも丈夫ですか。」  すると意外な答があった。 「いえ、一昨年歿くなりました。――しかし今御話した女は、私の母じゃなかったのです。」  客は私の驚きを見ると、眼だけにちらりと微笑を浮べた。 「夫が浅草田原町に米屋を出していたと云う事や、横浜へ行って苦労したと云う事は勿論嘘じゃありません。が、捨児をしたと云う事は、嘘だった事が後に知れました。ちょうど母が歿くなる前年、店の商用を抱えた私は、――御承知の通り私の店は綿糸の方をやっていますから、新潟界隈を廻って歩きましたが、その時田原町の母の家の隣に住んでいた袋物屋と、一つ汽車に乗り合せたのです。それが問わず語りに話した所では、母は当時女の子を生んで、その子がまた店をしまう前に、死んでしまったとか云う事でした。それから横浜へ帰って後、早速母に知れないように戸籍謄本をとって見ると、なるほど袋物屋の言葉通り、田原町にいた時に生まれたのは、女の子に違いありません。しかも生後三月目に死んでしまっているのです。母はどう云う量見か、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。 「どう云う量見か、――それは私も今日までには、何度考えて見たかわかりません。が、事実は知れないまでも、一番もっともらしく思われる理由は、日錚和尚の説教が、夫や子に遅れた母の心へ異常な感動を与えた事です。母はその説教を聞いている内に、私の知らない母の役を勤める気になったのじゃありますまいか。私が寺に拾われている事は、当時説教を聞きに来ていた参詣人からでも教わったのでしょう。あるいは寺の門番が、話して聞かせたかも知れません。」  客はちょいと口を噤むと、考え深そうな眼をしながら、思い出したように茶を啜った。 「そうしてあなたが子でないと云う事は、――子でない事を知ったと云う事は、阿母さんにも話したのですか。」  私は尋ねずにはいられなかった。 「いえ、それは話しません。私の方から云い出すのは、余り母に残酷ですから。母も死ぬまでその事は一言も私に話しませんでした。やはり話す事は私にも、残酷だと思っていたのでしょう。実際私の母に対する情も、子でない事を知った後、一転化を来したのは事実です。」 「と云うのはどう云う意味ですか。」  私はじっと客の目を見た。 「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、母以上の人間になりましたから。」  客はしんみりと返事をした。あたかも彼自身子以上の人間だった事も知らないように。 (大正九年七月)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年1月27日第1刷発行    1993(平成5)年12月25日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 初出:「新潮」    1920(大正9)年7月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月19日公開 2012年3月22日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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        × すべて背景を用いない。宦官が二人話しながら出て来る。  ――今月も生み月になっている妃が六人いるのですからね。身重になっているのを勘定したら何十人いるかわかりませんよ。  ――それは皆、相手がわからないのですか。  ――一人もわからないのです。一体妃たちは私たちよりほかに男の足ぶみの出来ない後宮にいるのですからそんな事の出来る訣はないのですがね。それでも月々子を生む妃があるのだから驚きます。  ――誰か忍んで来る男があるのじゃありませんか。  ――私も始めはそう思ったのです。所がいくら番の兵士の数をふやしても、妃たちの子を生むのは止りません。  ――妃たちに訊いてもわかりませんか。  ――それが妙なのです。色々訊いて見ると、忍んで来る男があるにはある。けれども、それは声ばかりで姿は見えないと云うのです。  ――成程、それは不思議ですね。  ――まるで嘘のような話です。しかし何しろこれだけの事がその不思議な忍び男に関する唯一の知識なのですからね、何とかこれから予防策を考えなければなりません。あなたはどう御思いです。  ――別にこれと云って名案もありませんがとにかくその男が来るのは事実なのでしょう。  ――それはそうです。  ――それじゃあ砂を撒いて置いたらどうでしょう。その男が空でも飛んで来れば別ですが、歩いて来るのなら足跡はのこる筈ですからね。  ――成程、それは妙案ですね。その足跡を印に追いかければきっと捕まるでしょう。  ――物は試しですからまあやって見るのですね。  ――早速そうしましょう。(二人とも去る)         ×  腰元が大ぜいで砂をまいている。  ――さあすっかりまいてしまいました。  ――まだその隅がのこっているわ。(砂をまく)  ――今度は廊下をまきましょう。(皆去る)         ×  青年が二人蝋燭の灯の下に坐っている。 B あすこへ行くようになってからもう一年になるぜ。 A 早いものさ。一年前までは唯一実在だの最高善だのと云う語に食傷していたのだから。 B 今じゃあアートマンと云う語さえ忘れかけているぜ。 A 僕もとうに「ウパニシャッドの哲学よ、さようなら」さ。 B あの時分はよく生だの死だのと云う事を真面目になって考えたものだっけな。 A なあにあの時分は唯考えるような事を云っていただけさ。考える事ならこの頃の方がどのくらい考えているかわからない。 B そうかな。僕はあれ以来一度も死なんぞと云う事を考えた事はないぜ。 A そうしていられるならそれでもいいさ。 B だがいくら考えても分らない事を考えるのは愚じゃあないか。 A しかし御互に死ぬ時があるのだからな。 B まだ一年や二年じゃあ死なないね。 A どうだか。 B それは明日にも死ぬかもわからないさ。けれどもそんな事を心配していたら、何一つ面白い事は出来なくなってしまうぜ。 A それは間違っているだろう。死を予想しない快楽ぐらい、無意味なものはないじゃあないか。 B 僕は無意味でも何でも死なんぞを予想する必要はないと思うが。 A しかしそれでは好んで欺罔に生きているようなものじゃないか。 B それはそうかもしれない。 A それなら何も今のような生活をしなくたってすむぜ。君だって欺罔を破るためにこう云う生活をしているのだろう。 B とにかく今の僕にはまるで思索する気がなくなってしまったのだからね、君が何と云ってもこうしているより外に仕方がないよ。 A (気の毒そうに)それならそれでいいさ。 B くだらない議論をしている中に夜がふけたようだ。そろそろ出かけようか。 A うん。 B じゃあその着ると姿の見えなくなるマントルを取ってくれ給え。(Aとって渡す。Bマントルを着ると姿が消えてしまう。声ばかりがのこる。)さあ、行こう。 A (マントルを着る。同じく消える。声ばかり。) 夜霧が下りているぜ。         × 声ばかりきこえる。暗黒。 Aの声 暗いな。 Bの声 もう少しで君のマントルの裾をふむ所だった。 Aの声 ふきあげの音がしているぜ。 Bの声 うん。もう露台の下へ来たのだよ。         × 女が大勢裸ですわったり、立ったり、ねころんだりしている。薄明り。  ――まだ今夜は来ないのね。  ――もう月もかくれてしまったわ。  ――早く来ればいいのにさ。  ――もう声がきこえてもいい時分だわね。  ――声ばかりなのがもの足りなかった。  ――ええ、それでも肌ざわりはするわ。  ――はじめは怖かったわね。  ――私なんか一晩中ふるえていたわ。  ――私もよ。  ――そうすると「おふるえでない」って云うのでしょう。  ――ええ、ええ。  ――なお怖かったわ。  ――あの方のお産はすんで?  ――とうにすんだわ。  ――うれしがっていらっしゃるでしょうね。  ――可哀いいお子さんよ。  ――私も母親になりたいわ。  ――おおいやだ、私はちっともそんな気はしないわ。  ――そう?  ――ええ、いやじゃありませんか。私はただ男に可哀がられるのが好き。  ――まあ。 Aの声 今夜はまだ灯がついてるね。お前たちの肌が、青い紗の中でうごいているのはきれいだよ。  ――あらもういらしったの。  ――こっちへいらっしゃいよ。  ――今夜はこっちへいらっしゃいましな。 Aの声 お前は金の腕環なんぞはめているね。  ――ええ、何故? Bの声 何でもないのさ。お前の髪は、素馨のにおいがするじゃないか。  ――ええ。 Aの声 お前はまだふるえているね。  ――うれしいのだわ。  ――こっちへいらっしゃいな。  ――まだ、そこにいらっしゃるの。 Bの声 お前の手は柔らかいね。  ――いつでも可哀がって頂戴な。  ――今夜は外へいらしっちゃあいやよ。  ――きっとよ。よくって。  ――ああ、ああ。   女の声がだんだん微な呻吟になってしまいに聞えなくなる。   沈黙。急に大勢の兵卒が槍を持ってどこからか出て来る。兵卒の声。  ――ここに足あとがあるぞ。  ――ここにもある。  ――そら、そこへ逃げた。  ――逃がすな。逃がすな。 騒擾。女はみな悲鳴をあげてにげる。兵卒は足跡をたずねて、そこここを追いまわる。灯が消えて舞台が暗くなる。         × AとBとマントルを着て出てくる。反対の方向から黒い覆面をした男が来る。うす暗がり。 AとB そこにいるのは誰だ。 男 お前たちだって己の声をきき忘れはしないだろう。 AとB 誰だ。 男 己は死だ。 AとB 死? 男 そんなに驚くことはない。己は昔もいた。今もいる。これからもいるだろう。事によると「いる」と云えるのは己ばかりかも知れない。 A お前は何の用があって来たのだ。 男 己の用はいつも一つしかない筈だが。 B その用で来たのか。ああその用で来たのか。 A うんその用で来たのか。己はお前を待っていた。今こそお前の顔が見られるだろう。さあ己の命をとってくれ。 男 (Bに)お前も己の来るのを待っていたか。 B いや、己はお前なぞ待ってはいない。己は生きたいのだ。どうか己にもう少し生を味わせてくれ。己はまだ若い。己の脈管にはまだ暖い血が流れている。どうか己にもう少し己の生活を楽ませてくれ。 男 お前も己が一度も歎願に動かされた事のないのを知っているだろう。 B (絶望して)どうしても己は死ななければならないのか。ああどうしても己は死ななければならないのか。 男 お前は物心がつくと死んでいたのも同じ事だ。今まで太陽を仰ぐことが出来たのは己の慈悲だと思うがいい。 B それは己ばかりではない。生まれる時に死を負って来るのはすべての人間の運命だ。 男 己はそんな意味でそう云ったのではない。お前は今日まで己を忘れていたろう。己の呼吸を聞かずにいたろう。お前はすべての欺罔を破ろうとして快楽を求めながら、お前の求めた快楽その物がやはり欺罔にすぎないのを知らなかった。お前が己を忘れた時、お前の霊魂は飢えていた。飢えた霊魂は常に己を求める。お前は己を避けようとしてかえって己を招いたのだ。 B ああ。 男 己はすべてを亡ぼすものではない。すべてを生むものだ。お前はすべての母なる己を忘れていた。己を忘れるのは生を忘れるのだ。生を忘れた者は亡びなければならないぞ。 B ああ。(仆れて死ぬ。) 男 (笑う)莫迦な奴だ。(Aに)怖がることはない。もっと此方へ来るがいい。 A 己は待っている。己は怖がるような臆病者ではない。 男 お前は己の顔をみたがっていたな。もう夜もあけるだろう。よく己の顔を見るがいい。 A その顔がお前か? 己はお前の顔がそんなに美しいとは思わなかった。 男 己はお前の命をとりに来たのではない。 A いや己は待っている。己はお前のほかに何も知らない人間だ。己は命を持っていても仕方ない人間だ。己の命をとってくれ。そして己の苦しみを助けてくれ。 第三の声 莫迦な事を云うな。よく己の顔をみろ。お前の命をたすけたのはお前が己を忘れなかったからだ。しかし己はすべてのお前の行為を是認してはいない。よく己の顔を見ろ。お前の誤りがわかったか。これからも生きられるかどうかはお前の努力次第だ。 Aの声 己にはお前の顔がだんだん若くなってゆくのが見える。 第三の声 (静に)夜明だ。己と一緒に大きな世界へ来るがいい。 黎明の光の中に黒い覆面をした男とAとが出て行くのが見える。         × 兵卒が五六人でBの死骸を引ずって来る。死骸は裸、所々に創がある。 ――竜樹菩薩に関する俗伝より―― (大正三年八月十四日)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1995(平成7)年10月5日第13刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:野口英司 1998年3月10日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 中央美術社の展覧会へ行つた。  行つて見ると三つの室に、七十何点かの画が並んでゐる。それが皆日本画である。しかし唯の日本画ぢやない。いづれも経営惨憺の余になつた、西洋画のやうな日本画である。まづ第一に絹や紙へ、日本絵具をなすりつけて、よくこれ程油絵じみた効果を与へる事が出来たものだと、その点に聊敬意を表した。  そこで素人考へに考へて見ると、かう云ふ画を描く以上、かう云ふ画の作者には、自然がかう云ふ風に見えるのに違ひない。逆に云へばかう云ふ風に自然が見えればこそ、かう云ふ画が此処に出来上つたのだから、一応は至極御尤もである。が、素人はかう云ふ画を見ると、何故これらの画の作家は、絵具皿の代りにパレツトを、紙や絹の代りにカンヴアスを用ひないかと尋ねたくなる。その方が作者にも便利なら、僕等素人の見物にも難有くはないかと尋ねたくなる。  しかしこれらの画の作者は、「我々には自然がかう見えるのだ。かう見えると云ふ意味は、西洋画風にと云ふ意味ぢやない。我々の日本画風にと云ふ意味だ」と、立派な返答をするかも知れない。よろしい。それも心得た。が、これらの画の中には、どう考へても西洋画と選ぶ所のない画が沢山ある。たとへば吉田白流氏の「奥州路」の如き、遠藤教三氏の「嫩葉の森」の如き、乃至穴山義平氏の「盛夏」の如きは、皆この類の作品である。もし「我々の日本画風」が、かう云ふものであるとすれば、それは遺憾ながら僕なぞには、余り結構なものとは思はれない。まづ冷酷に批評すると、本来剃刀で剃るべき髭を、薙刀で剃つて見せたと云ふ御手柄に感服するだけである。さうして一応感服した後では、或は剃刀を使つた方が、もつとよく剃れはしなかつたらうかと尋ねたくなるだけである。  尤も七十何点かの画が、悉くこの種類だと云ふ次第ぢやない。たとへば畠山錦成氏の「貴美子」の如きは、少くともかう云ふ西洋かぶれの幣は受けてゐない作品である。如何に奇抜がつた所が、せめて此処までは漕ぎつけてゐないと、どうも僕等素人には、ちと新しい日本画としてのレエゾン・デエトルが覚束ないかと思ふ。もつと書きたい事もないではないが、何しろ原稿を受け取りに来た人が、玄関に待つてゐる始末だから、今度はまづこの辺で御免を蒙る事にする。悪口は岡目八目の然らしむる所以だと大目に見て頂きたい。(九・七・十八)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この「仙人」は琵琶湖に近いO町の裁判官を勤めてゐた。彼の道楽は何よりも先に古い瓢箪を集めることだつた。従つて彼の借りてゐた家には二階の戸棚の中は勿論、柱や鴨居に打つた釘にも瓢箪が幾つもぶら下つてゐた。  三年ばかりたつた後、この「仙人」はO町からH市へ転任することになつた。家具家財を運ぶのは勿論彼には何でもなかつた。が、彼是二百余りの瓢箪を運ぶことだけはどうすることも出来なかつた。 「汽車に積んでも、馬車に積んでも、無事には着かないのに違ひない。」  この仙人はいろいろ考へた揚句、とうとう瓢箪を皆括り合はせ、それを琵琶湖の上へ浮かせて舟の代りにすることにした。(その又瓢箪舟の中心になつたのはやはり彼の「掘り出して来た」遊行柳の根つこだつた。)天気は丁度晴れ渡つた上、幸ひ風も吹かなかつた。彼はかういふ瓢箪舟に乗り、彼自身棹を使ひながら、静かに湖の上を渡つて行つた。  昔の仙人は誰も皆不老不死の道に達してゐる。しかしこの「仙人」だけは世間並みにだんだん年をとり、最後に胃癌になつてしまつた。何でも死ぬ前夜には細り切つた両手をあげ、「あしたあたりはお目出度になるだらう。万歳!」と言つたと云ふことである。しかし彼の遺言状は生死を超越しない俗人よりも更に綿密だつたと云ふことである。尤も彼の遺族たちはこの「仙人」の遺言状を一々忠実には守らなかつたらしい。のみならず彼の瓢箪を目当てに彼の南画を習つてゐた年少の才子もない訣ではなかつた。従つて彼の愛してゐた彼是二百余りの瓢箪は彼の一周忌をすまないうちにいつかどこかへ流れ出してしまつた。
底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行 入力校正:j.utiyama 1999年2月15日公開 2003年10月20日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 皆さん。  私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。  昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云ったかわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、権助とだけ伝わっています。  権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭に、こう口の世話を頼みました。 「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」  番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずにいました。 「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」 「まことに御気の毒様ですが、――」  番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱすぱ吸い始めました。 「手前の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けた事はありませんから、どうかほかへ御出でなすって下さい。」  すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、こんな理窟を云い出しました。 「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入れ所と書いてあるじゃありませんか? 万と云うからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上に、嘘を書いて置いたつもりなのですか?」  なるほどこう云われて見ると、権助が怒るのももっともです。 「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。何でも仙人になれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日また御出で下さい。今日中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」  番頭はとにかく一時逃れに、権助の頼みを引き受けてやりました。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですから一まず権助を返すと、早速番頭は近所にある医者の所へ出かけて行きました。そうして権助の事を話してから、 「いかがでしょう? 先生。仙人になる修業をするには、どこへ奉公するのが近路でしょう?」と、心配そうに尋ねました。  これには医者も困ったのでしょう。しばらくはぼんやり腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う渾名のある、狡猾な医者の女房です。 「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中には、きっと仙人にして見せるから。」 「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願います。どうも仙人と御医者様とは、どこか縁が近いような心もちが致して居りましたよ。」  何も知らない番頭は、しきりに御時宜を重ねながら、大喜びで帰りました。  医者は苦い顔をしたまま、その後を見送っていましたが、やがて女房に向いながら、 「お前は何と云う莫迦な事を云うのだ? もしその田舎者が何年いても、一向仙術を教えてくれぬなぞと、不平でも云い出したら、どうする気だ?」と忌々しそうに小言を云いました。  しかし女房はあやまる所か、鼻の先でふふんと笑いながら、 「まあ、あなたは黙っていらっしゃい。あなたのように莫迦正直では、このせち辛い世の中に、御飯を食べる事も出来はしません。」と、あべこべに医者をやりこめるのです。  さて明くる日になると約束通り、田舎者の権助は番頭と一しょにやって来ました。今日はさすがに権助も、初の御目見えだと思ったせいか、紋附の羽織を着ていますが、見た所はただの百姓と少しも違った容子はありません。それが返って案外だったのでしょう。医者はまるで天竺から来た麝香獣でも見る時のように、じろじろその顔を眺めながら、 「お前は仙人になりたいのだそうだが、一体どう云う所から、そんな望みを起したのだ?」と、不審そうに尋ねました。すると権助が答えるには、 「別にこれと云う訣もございませんが、ただあの大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、いつか一度は死んでしまう。して見れば人間と云うものは、いくら栄耀栄華をしても、果ないものだと思ったのです。」 「では仙人になれさえすれば、どんな仕事でもするだろうね?」  狡猾な医者の女房は、隙かさず口を入れました。 「はい。仙人になれさえすれば、どんな仕事でもいたします。」 「それでは今日から私の所に、二十年の間奉公おし。そうすればきっと二十年目に、仙人になる術を教えてやるから。」 「左様でございますか? それは何より難有うございます。」 「その代り向う二十年の間は、一文も御給金はやらないからね。」 「はい。はい。承知いたしました。」  それから権助は二十年間、その医者の家に使われていました。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬箱を背負って伴をする。――その上給金は一文でも、くれと云った事がないのですから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもありますまい。  が、とうとう二十年たつと、権助はまた来た時のように、紋附の羽織をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。そうして慇懃に二十年間、世話になった礼を述べました。 「ついては兼ね兼ね御約束の通り、今日は一つ私にも、不老不死になる仙人の術を教えて貰いたいと思いますが。」  権助にこう云われると、閉口したのは主人の医者です。何しろ一文も給金をやらずに、二十年間も使った後ですから、いまさら仙術は知らぬなぞとは、云えた義理ではありません。医者はそこで仕方なしに、 「仙人になる術を知っているのは、おれの女房の方だから、女房に教えて貰うが好い。」と、素っ気なく横を向いてしまいました。  しかし女房は平気なものです。 「では仙術を教えてやるから、その代りどんなむずかしい事でも、私の云う通りにするのだよ。さもないと仙人になれないばかりか、また向う二十年の間、御給金なしに奉公しないと、すぐに罰が当って死んでしまうからね。」 「はい。どんなむずかしい事でも、きっと仕遂げて御覧に入れます。」  権助はほくほく喜びながら、女房の云いつけを待っていました。 「それではあの庭の松に御登り。」  女房はこう云いつけました。もとより仙人になる術なぞは、知っているはずがありませんから、何でも権助に出来そうもない、むずかしい事を云いつけて、もしそれが出来ない時には、また向う二十年の間、ただで使おうと思ったのでしょう。しかし権助はその言葉を聞くとすぐに庭の松へ登りました。 「もっと高く。もっとずっと高く御登り。」  女房は縁先に佇みながら、松の上の権助を見上げました。権助の着た紋附の羽織は、もうその大きな庭の松でも、一番高い梢にひらめいています。 「今度は右の手を御放し。」  権助は左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を放しました。 「それから左の手も放しておしまい。」 「おい。おい。左の手を放そうものなら、あの田舎者は落ちてしまうぜ。落ちれば下には石があるし、とても命はありゃしない。」  医者もとうとう縁先へ、心配そうな顔を出しました。 「あなたの出る幕ではありませんよ。まあ、私に任せて御置きなさい。――さあ、左の手を放すのだよ。」  権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操り人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか? 「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」  権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。  医者夫婦はどうしたか、それは誰も知っていません。ただその医者の庭の松は、ずっと後までも残っていました。何でも淀屋辰五郎は、この松の雪景色を眺めるために、四抱えにも余る大木をわざわざ庭へ引かせたそうです。 (大正十一年三月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年2月24日第1刷発行    1995(平成7)年4月10日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月5日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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          上  いつごろの話だか、わからない。北支那の市から市を渡って歩く野天の見世物師に、李小二と云う男があった。鼠に芝居をさせるのを商売にしている男である。鼠を入れて置く嚢が一つ、衣装や仮面をしまって置く笥が一つ、それから、舞台の役をする小さな屋台のような物が一つ――そのほかには、何も持っていない。  天気がいいと、四つ辻の人通りの多い所に立って、まず、その屋台のような物を肩へのせる、それから、鼓板を叩いて、人よせに、謡を唱う。物見高い街中の事だから、大人でも子供でも、それを聞いて、足を止めない者はほとんどない。さて、まわりに人の墻が出来ると、李は嚢の中から鼠を一匹出して、それに衣装を着せたり、仮面をかぶらせたりして、屋台の鬼門道から、場へ上らせてやる。鼠は慣れていると見えて、ちょこちょこ、舞台の上を歩きながら、絹糸のように光沢のある尻尾を、二三度ものものしく動かして、ちょいと後足だけで立って見せる。更紗の衣裳の下から見える前足の蹠がうす赤い。――この鼠が、これから雑劇の所謂楔子を演じようと云う役者なのである。  すると、見物の方では、子供だと、始から手を拍って、面白がるが、大人は、容易に感心したような顔を見せない。むしろ、冷然として、煙管を啣えたり、鼻毛をぬいたりしながら、莫迦にしたような眼で、舞台の上に周旋する鼠の役者を眺めている。けれども、曲が進むのに従って、錦切れの衣裳をつけた正旦の鼠や、黒い仮面をかぶった浄の鼠が、続々、鬼門道から這い出して来るようになると、そうして、それが、飛んだり跳ねたりしながら、李の唱う曲やその間へはいる白につれて、いろいろ所作をするようになると、見物もさすがに冷淡を装っていられなくなると見えて、追々まわりの人だかりの中から、※(口+桑)子大などと云う声が、かかり始める。すると、李小二も、いよいよ、あぶらがのって、忙しく鼓板を叩きながら、巧に一座の鼠を使いわける。そうして「沈黒江明妃青塚恨、耐幽夢孤雁漢宮秋」とか何とか、題目正名を唱う頃になると、屋台の前へ出してある盆の中に、いつの間にか、銅銭の山が出来る。………  が、こう云う商売をして、口を糊してゆくのは、決して容易なものではない。第一、十日と天気が悪いと口が干上ってしまう。夏は、麦が熟す時分から、例の雨期へはいるので、小さな衣裳や仮面にも、知らないうちに黴がはえる。冬もまた、風が吹くやら、雪がふるやらするので、とかく、商売がすたり易い。そう云う時には、ほかに仕方もないから、うす暗い客舎の片すみで、鼠を相手に退屈をまぎらせながら、いつもなら慌しい日の暮を、待ちかねるようにして、暮してしまう。鼠の数は、皆で、五匹で、それに李の父の名と母の名と妻の名と、それから行方の知れない二人の子の名とがつけてある。それが、嚢の口から順々に這い出して火の気のない部屋の中を、寒そうにおずおず歩いたり、履の先から膝の上へ、あぶない軽業をして這い上りながら、南豆玉のような黒い眼で、じっと、主人の顔を見つめたりすると、世故のつらさに馴れている李小二でも、さすがに時々は涙が出る。が、それは、文字通り時々で、どちらかと云えば、明日の暮しを考える屈託と、そう云う屈託を抑圧しようとする、あてどのない不愉快な感情とに心を奪われて、いじらしい鼠の姿も眼にはいらない事が多い。  その上、この頃は、年の加減と、体の具合が悪いのとで、余計、商売に身が入らない。節廻しの長い所を唱うと、息が切れる。喉も昔のようには、冴えなくなった。この分では、いつ、どんな事が起らないとも限らない。――こう云う不安は、丁度、北支那の冬のように、このみじめな見世物師の心から、一切の日光と空気とを遮断して、しまいには、人並に生きてゆこうと云う気さえ、未練未釈なく枯らしてしまう。何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか。勿論、李は一度もそう云う問題を考えて見た事がない。が、その苦しみを、不当だとは、思っている。そうして、その苦しみを与えるものを――それが何だか、李にはわからないが――無意識ながら憎んでいる。事によると、李が何にでも持っている、漠然とした反抗的な心もちは、この無意識の憎しみが、原因になっているのかも知れない。  しかし、そうは云うものの、李も、すべての東洋人のように、運命の前には、比較的屈従を意としていない。風雪の一日を、客舎の一室で、暮らす時に、彼は、よく空腹をかかえながら、五匹の鼠に向って、こんな事を云った。「辛抱しろよ。己だって、腹がへるのや、寒いのを辛抱しているのだからな。どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。それも、鼠よりは、いくら人間の方が、苦しいか知れないぞ………」           中  雪曇りの空が、いつの間にか、霙まじりの雨をふらせて、狭い往来を文字通り、脛を没する泥濘に満そうとしている、ある寒い日の午後の事であった。李小二は丁度、商売から帰る所で、例の通り、鼠を入れた嚢を肩にかけながら、傘を忘れた悲しさに、ずぶぬれになって、市はずれの、人通りのない路を歩いて来る――と、路傍に、小さな廟が見えた。折から、降りが、前よりもひどくなって、肩をすぼめて歩いていると、鼻の先からは、滴が垂れる。襟からは、水がはいる。途方に暮れていた際だから、李は、廟を見ると、慌てて、その軒下へかけこんだ。まず、顔の滴をはらう。それから、袖をしぼる。やっと、人心地がついた所で頭の上の扁額を見ると、それには、山神廟と云う三字があった。  入口の石段を、二三級上ると、扉が開いているので、中が見える。中は思ったよりも、まだ狭い。正面には、一尊の金甲山神が、蜘蛛の巣にとざされながら、ぼんやり日の暮を待っている。その右には、判官が一体、これは、誰に悪戯をされたのだか、首がない。左には、小鬼が一体、緑面朱髪で、猙獰な顔をしているが、これも生憎、鼻が虧けている。その前の、埃のつもった床に、積重ねてあるのは、紙銭であろう。これは、うす暗い中に、金紙や銀紙が、覚束なく光っているので、知れたのである。  李は、これだけ、見定めた所で、視線を、廟の中から外へ、転じようとした。すると丁度その途端に、紙銭の積んである中から、人間が一人出て来た。実際は、前からそこに蹲っていたのが、その時、始めて、うす暗いのに慣れた李の眼に、見えて来たのであろう。が、彼には、まるで、それが、紙銭の中から、忽然として、姿を現したように思われた。そこで、彼は、いささか、ぎょっとしながら、恐る恐る、見るような、見ないような顔をして、そっとその人間を窺って見た。  垢じみた道服を着て、鳥が巣をくいそうな頭をした、見苦しい老人である。(ははあ、乞丐をして歩く道士だな――李はこう思った。)瘠せた膝を、両腕で抱くようにして、その膝の上へ、髯の長い頤をのせている。眼は開いているが、どこを見ているのかわからない。やはり、この雨に遇ったと云う事は、道服の肩がぐっしょり濡れているので、知れた。  李は、この老人を見た時に、何とか語をかけなければ、ならないような気がした。一つには、濡鼠になった老人の姿が、幾分の同情を動かしたからで、また一つには、世故がこう云う場合に、こっちから口を切る習慣を、いつかつけてしまったからである。あるいは、また、そのほかに、始めの無気味な心もちを忘れようとする努力が、少しは加わっていたかも知れない。そこで李が云った。 「どうも、困ったお天気ですな。」 「さようさ。」老人は、膝の上から、頤を離して、始めて、李の方を見た。鳥の嘴のように曲った、鍵鼻を、二三度大仰にうごめかしながら、眉の間を狭くして、見たのである。 「私のような商売をしている人間には、雨位、人泣かせのものはありません。」 「ははあ、何御商売かな。」 「鼠を使って、芝居をさせるのです。」 「それはまたお珍しい。」  こんな具合で、二人の間には、少しずつ、会話が、交換されるようになった。その中に、老人も紙銭の中から出て来て、李と一しょに、入口の石段の上に腰を下したから、今では顔貌も、はっきり見える。形容の枯槁している事は、さっき見た時の比ではない。李はそれでも、いい話相手を見つけたつもりで、嚢や笥を石段の上に置いたまま、対等な語づかいで、いろいろな話をした。  道士は、無口な方だと見えて、捗々しくは返事もしない。「成程な」とか「さようさ」とか云う度に、歯のない口が、空気を噛むような、運動をする。根の所で、きたない黄いろになっている髯も、それにつれて上下へ動く、――それが如何にも、見すぼらしい。  李は、この老道士に比べれば、あらゆる点で、自分の方が、生活上の優者だと考えた。そう云う自覚が、愉快でない事は、勿論ない。が、李は、それと同時に、優者であると云う事が、何となくこの老人に対して済まないような心もちがした。彼は、談柄を、生活難に落して、自分の暮しの苦しさを、わざわざ誇張して、話したのは、完く、この済まないような心もちに、煩わされた結果である。 「まったく、それは泣きたくなるくらいなものですよ。食わずに、一日すごした事だって、度々あります。この間も、しみじみこう思いました。『己は鼠に芝居をさせて、飯を食っていると思っている。が、事によるとほんとうは、鼠が己にこんな商売をさせて、食っているのかも知れない。』実際、そんなものですよ。」  李は撫然として、こんな事さえ云った。が、道士の無口な事は、前と一向、変りがない。それが、李の神経には、前よりも一層、甚しくなったように思われた。(先生、己の云った事を、妙にひがんで取ったのだろう。余計な事は云わずに、黙っていればよかった。)――李は、心の中でこう自分を叱った。そうして、そっと横目を使って、老人の容子を見た。道士は、顔を李と反対の方に向けて、雨にたたかれている廟外の枯柳をながめながら、片手で、しきりに髪を掻いている。顔は見えないが、どうやら李の心もちを見透かして、相手にならずにいるらしい。そう思うと、多少不快な気がしたが、自分の同情の徹しないと云う不満の方が、それよりも大きいので、今度は話題を、今年の秋の蝗災へ持って行った。この地方の蒙った惨害の話から農家一般の困窮で、老人の窮状をジャスティファイしてやりたいと思ったのである。  すると、その話の途中で、老道士は、李の方へ、顔をむけた。皺の重なり合った中に、可笑しさをこらえているような、筋肉の緊張がある。 「あなたは私に同情して下さるらしいが、」こう云って、老人は堪えきれなくなったように、声をあげて笑った。烏が鳴くような、鋭い、しわがれた声で笑ったのである。「私は、金には不自由をしない人間でね、お望みなら、あなたのお暮し位はお助け申しても、よろしい。」  李は、話の腰を折られたまま、呆然として、ただ、道士の顔を見つめていた。(こいつは、気違いだ。)――やっとこう云う反省が起って来たのは、暫くの間瞪目して、黙っていた後の事である。が、その反省は、すぐにまた老道士の次の話によって、打壊された。「千鎰や二千鎰でよろしければ、今でもさし上げよう。実は、私は、ただの人間ではない。」老人は、それから、手短に、自分の経歴を話した。元は、何とか云う市の屠者だったが、偶々、呂祖に遇って、道を学んだと云うのである。それがすむと、道士は、徐に立って、廟の中へはいった。そうして、片手で李をさしまねきながら、片手で、床の上の紙銭をかき集めた。  李は五感を失った人のように、茫然として、廟の中へ這いこんだ。両手を鼠の糞と埃との多い床の上について、平伏するような形をしながら、首だけ上げて、下から道士の顔を眺めているのである。  道士は、曲った腰を、苦しそうに、伸ばして、かき集めた紙銭を両手で床からすくい上げた。それから、それを掌でもみ合せながら、忙しく足下へ撒きちらし始めた。鏘々然として、床に落ちる黄白の音が、にわかに、廟外の寒雨の声を圧して、起った。――撒かれた紙銭は、手を離れると共に、忽ち、無数の金銭や銀銭に、変ったのである。………  李小二は、この雨銭の中に、いつまでも、床に這ったまま、ぼんやり老道士の顔を見上げていた。           下  李小二は、陶朱の富を得た。偶、その仙人に遇ったと云う事を疑う者があれば、彼は、その時、老人に書いて貰った、四句の語を出して示すのである。この話を、久しい以前に、何かの本で見た作者は、遺憾ながら、それを、文字通りに記憶していない。そこで、大意を支那のものを翻訳したらしい日本文で書いて、この話の完りに附して置こうと思う。但し、これは、李小二が、何故、仙にして、乞丐をして歩くかと云う事を訊ねた、答なのだそうである。 「人生苦あり、以て楽むべし。人間死するあり、以て生くるを知る。死苦共に脱し得て甚だ、無聊なり。仙人は若かず、凡人の死苦あるに。」  恐らく、仙人は、人間の生活がなつかしくなって、わざわざ、苦しい事を、探してあるいていたのであろう。 (大正四年七月二十三日)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1995(平成7)年10月5日第13刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月6日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 離れで電話をかけて、皺くちゃになったフロックの袖を気にしながら、玄関へ来ると、誰もいない。客間をのぞいたら、奥さんが誰だか黒の紋付を着た人と話していた。が、そこと書斎との堺には、さっきまで柩の後ろに立ててあった、白い屏風が立っている。どうしたのかと思って、書斎の方へ行くと、入口の所に和辻さんや何かが二、三人かたまっていた。中にももちろん大ぜいいる。ちょうど皆が、先生の死顔に、最後の別れを惜んでいる時だったのである。  僕は、岡田君のあとについて、自分の番が来るのを待っていた。もう明るくなったガラス戸の外には、霜よけの藁を着た芭蕉が、何本も軒近くならんでいる。書斎でお通夜をしていると、いつもこの芭蕉がいちばん早く、うす暗い中からうき上がってきた。――そんなことをぼんやり考えているうちに、やがて人が減って書斎の中へはいれた。  書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。  柩のそばには、松根さんが立っている。そうして右の手を平にして、それを臼でも挽く時のように動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図だろう。  柩は寝棺である。のせてある台は三尺ばかりしかない。そばに立つと、眼と鼻の間に、中が見下された。中には、細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頬をその紙の中にうずめながら、静かに眼をつぶっていた。ちょうど蝋ででもつくった、面型のような感じである。輪廓は、生前と少しもちがわない。が、どこかようすがちがう。脣の色が黒んでいたり、顔色が変わっていたりする以外に、どこかちがっているところがある。僕はその前で、ほとんど無感動に礼をした。「これは先生じゃない」そんな気が、強くした。(これは始めから、そうであった。現に今でも僕は誇張なしに先生が生きているような気がしてしかたがない)僕は、柩の前に一、二分立っていた。それから、松根さんの合図通り、あとの人に代わって、書斎の外へ出た。  ところが、外へ出ると、急にまた先生の顔が見たくなった。なんだかよく見て来るのを忘れたような心もちがする。そうして、それが取り返しのつかない、ばかな事だったような心もちがする。僕はよっぽど、もう一度行こうかと思った。が、なんだかそれが恥しかった。それに感情を誇張しているような気も、少しはした。「もうしかたがない」――そう、思ってとうとうやめにした。そうしたら、いやに悲しくなった。  外へ出ると、松岡が「よく見て来たか」と言う。僕は、「うん」と答えながら、うそをついたような気がして、不快だった。  青山の斎場へ行ったら、靄がまったく晴れて、葉のない桜のこずえにもう朝日がさしていた。下から見ると、その桜の枝が、ちょうど鉄網のように細く空をかがっている。僕たちはその下に敷いた新しいむしろの上を歩きながら、みんな、体をそらせて、「やっと眼がさめたような気がする」と言った。  斎場は、小学校の教室とお寺の本堂とを、一つにしたような建築である。丸い柱や、両方のガラス窓が、はなはだみすぼらしい。正面には一段高い所があって、その上に朱塗の曲禄が三つすえてある。それが、その下に、一面に並べてある安直な椅子と、妙な対照をつくっていた。「この曲禄を、書斎の椅子にしたら、おもしろいぜ」――僕は久米にこんなことを言った。久米は、曲禄の足をなでながら、うんとかなんとかいいかげんな返事をしていた。  斎場を出て、入口の休所へかえって来ると、もう森田さん、鈴木さん、安倍さん、などが、かんかん火を起した炉のまわりに集って、新聞を読んだり、駄弁をふるったりしていた。新聞に出ている先生の逸話や、内外の人の追憶が時々問題になる。僕は、和辻さんにもらった「朝日」を吸いながら、炉のふちへ足をかけて、ぬれたくつから煙が出るのをぼんやり、遠い所のものを見るようにながめていた。なんだか、みんなの心もちに、どこか穴のあいている所でもあるような気がして、しかたがない。  そのうちに、葬儀の始まる時間が近くなってきた。「そろそろ受付へ行こうじゃないか」――気の早い赤木君が、新聞をほうり出しながら、「行」の所へ独特のアクセントをつけて言う。そこでみんな、ぞろぞろ、休所を出て、入口の両側にある受付へ分れ分れに、行くことになった。松浦君、江口君、岡君が、こっちの受付をやってくれる。向こうは、和辻さん、赤木君、久米という顔ぶれである。そのほか、朝日新聞社の人が、一人ずつ両方へ手伝いに来てくれた。  やがて、霊柩車が来る。続いて、一般の会葬者が、ぽつぽつ来はじめた。休所の方を見ると、人影がだいぶんふえて、その中に小宮さんや野上さんの顔が見える。中幅の白木綿を薬屋のように、フロックの上からかけた人がいると思ったら、それは宮崎虎之助氏だった。  始めは、時刻が時刻だから、それに前日の新聞に葬儀の時間がまちがって出たから、会葬者は存外少かろうと思ったが、実際はそれと全く反対だった。ぐずぐずしていると、会葬者の宿所を、帳面につけるのもまにあわない。僕はいろんな人の名刺をうけとるのに忙殺された。  すると、どこかで「死は厳粛である」と言う声がした。僕は驚いた。この場合、こんな芝居じみたことを言う人が、僕たちの中にいるわけはない。そこで、休所の方をのぞくと、宮崎虎之助氏が、椅子の上へのって、伝道演説をやっていた。僕はちょいと不快になった。が、あまり宮崎虎之助らしいので、それ以上には腹もたたなかった。接待係の人が止めたが、やめないらしい。やっぱり右手で盛なジェステュアをしながら、死は厳粛であるとかなんとか言っている。  が、それもほどなくやめになった。会葬者は皆、接待係の案内で、斎場の中へはいって行く。葬儀の始まる時刻がきたのであろう。もう受付へ来る人も、あまりない。そこで、帳面や香奠をしまつしていると、向こうの受付にいた連中が、そろってぞろぞろ出て来た。そうして、その先に立って、赤木君が、しきりに何か憤慨している。聞いてみると、誰かが、受付係は葬儀のすむまで、受付に残っていなければならんと言ったのだそうである。至極もっともな憤慨だから、僕もさっそくこれに雷同した。そうして皆で、受付を閉じて、斎場へはいった。  正面の高い所にあった曲彔は、いつの間にか一つになって、それへ向こうをむいた宗演老師が腰をかけている。その両側にはいろいろな楽器を持った坊さんが、一列にずっと並んでいる。奥の方には、柩があるのであろう。夏目金之助之柩と書いた幡が、下のほうだけ見えている。うす暗いのと香の煙とで、そのほかは何があるのだかはっきりしない。ただ花輪の菊が、その中でうずたかく、白いものを重ねている。――式はもう誦経がはじまっていた。  僕は、式に臨んでも、悲しくなる気づかいはないと思っていた。そういう心もちになるには、あまり形式が勝っていて、万事がおおぎょうにできすぎている。――そう思って、平気で、宗演老師の秉炬法語を聞いていた。だから、松浦君の泣き声を聞いた時も、始めは誰かが笑っているのではないかと疑ったくらいである。  ところが、式がだんだん進んで、小宮さんが伸六さんといっしょに、弔辞を持って、柩の前へ行くのを見たら、急に眶の裏が熱くなってきた。僕の左には、後藤末雄君が立っている。僕の右には、高等学校の村田先生がすわっている。僕は、なんだか泣くのが外聞の悪いような気がした。けれども、涙はだんだん流れそうになってくる。僕の後ろに久米がいるのを、僕は前から知っていた。だからその方を見たら、どうかなるかもしれない。――こんなあいまいな、救助を請うような心もちで、僕は後ろをふりむいた。すると、久米の眼が見えた。が、その眼にも、涙がいっぱいにたまっていた。僕はとうとうやりきれなくなって、泣いてしまった。隣にいた後藤君が、けげんな顔をして、僕の方を見たのは、いまだによく覚えている。  それから、何がどうしたか、それは少しも判然しない。ただ久米が僕の肘をつかまえて、「おい、あっちへ行こう」とかなんとか言ったことだけは、記憶している。そのあとで、涙をふいて、眼をあいたら、僕の前に掃きだめがあった。なんでも、斎場とどこかの家との間らしい。掃きだめには、卵のからが三つ四つすててあった。  少したって、久米と斎場へ行ってみると、もう会葬者がおおかた出て行ったあとで、広い建物の中はどこを見ても、がらんとしている。そうして、その中で、ほこりのにおいと香のにおいとが、むせっぽくいっしょになっている。僕たちは、安倍さんのあとで、お焼香をした。すると、また、涙が出た。  外へ出ると、ふてくされた日が一面に霜どけの土を照らしている。その日の中を向こうへ突きって、休所へはいったら、誰かが蕎麦饅頭を食えと言ってくれた。僕は、腹がへっていたから、すぐに一つとって口へ入れた。そこへ大学の松浦先生が来て、骨上げのことか何か僕に話しかけられたように思う。僕は、天とうも蕎麦饅頭もしゃくにさわっていた時だから、はなはだ無礼な答をしたのに相違ない。先生は手がつけられないという顔をして、帰られたようだった。あの時のことを今思うと、少からず恐縮する。  涙のかわいたのちには、なんだか張合ない疲労ばかりが残った。会葬者の名刺を束にする。弔電や宿所書きを一つにする。それから、葬儀式場の外の往来で、柩車の火葬場へ行くのを見送った。  その後は、ただ、頭がぼんやりして、眠いということよりほかに、何も考えられなかった。 (大正五年十二月)
底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店    1950(昭和25)年10月20日初版発行    1985(昭和60)年11月10日改版38版発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月12日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 僕に小説をかけと云ふのかね。書けるのなら、とうに書いてゐるさ。が、書けない。遺憾ながら、職業に逐はれてペンをとる暇がない。そこで、人に話す、その人が、それを小説に書く。僕が材料を提供した小説が、これで十や二十はあるだらう。勿論、有名なる作家の作品でね。唯、君に注意して置きたいのは、僕の提供する材料が、大部分は、僕の創作だと云ふ事だよ。勿論、これは、今まで、人に話した事はない。さう云ふと、誰も、僕の話を聞いて、小説にする奴がないからね。僕は、何時でも、小説らしい事実を想像でつくり上げて、それを僕の友だちの小説家に、ほんたうらしく話してやる。すると、それが旬日ならずして、小説になる。自分が小説を書くのも、同じ事さ。唯、技巧が、多くの場合、全然僕の気に入らないがね、それは、まあ仕方がないさ。  尤も、ほんたうらしく見せかけるのには、いろんな条件が必要だよ。僕自身、僕の小説の主人公になる事もある。或は、僕の友だちの夫婦関係を粉本に、ちよいと借用する事もある。が、決して、モデル問題は起らない。起らない筈さ。モデル自身は、実際、僕の提供する材料のやうな事をしてはゐないんだし、僕の友だちの小説家も、それが姦通とか、竊盗とか、シリアスな事になればなる程、徳義上、モデルの名は出さないからね。そこで、その小説が活字になる。作家は原稿料を貰ふ。どうかすると、僕をよんで、一杯やらうと云ふやうな事になる。実は、僕の方が、作家に礼をすべき筈なのだが、向ふで、嬉しがつて、するのだからさせて置くのさ。  所が、この間、弱つた事があつた。なに、Kの奴を、小説の主人公にして見たのさ。何しろ先生あの通り、トルストイヤンだから、あいつが、芸者に関係してゐる事にしたら、面白からうと思つて、さう云ふ情話を、創作してしまつたのだね。すると、その小説が出て、五六日すると、Kが僕の所へやつて来て、恨がましい事を並べてるぢやあないか。いくら、あれは君の事を書いたのではないと云つても、承知しない。始めから、僕の手から出た材料ではないと云つてしまへば、よかつたのだが、それをしなかつたのが、こつちの落度さ。が、僕がKの話をした小説家と云ふのは、気の小さい、大学を出たての男で、K君の名誉に関る事だから位、おどかして置けば、決して、モデルが誰だなぞと云ふ事を、吹聴する男ぢやあない。そこで、怪しいと思つたから、Kに、何故君がモデルだと云ふ事がわかつたと、追窮したら、驚いたね、実際Kの奴が、かくれて芸者遊びをしてゐたのだ。それも、箒なのだらうぢやあないか。仕方がないから、僕は、表面上、Kの私行を発いたと云ふ罪を甘受して、Kに謝罪したがね。まるで、寃罪に伏した事になるのだから、僕もいい迷惑さ。しかし、それ以来、僕の提供する材料が、嘘ではないと云ふ事が、僕の友だちの小説家仲間に、確証されたからね。満更、莫迦を見たわけでもないと云ふものさ。  だが、たまには、面白い事もあるよ。僕は、いつかMが、他人の細君に恋してゐると云ふ話を創作した。尤も一切の社会的覊絆を蹂躙して、その女と結婚する事が男らしい如く、自分の恋を打明けずにおくのも男らしいと云ふ信念から、依然として、童貞を守りながら、その女ときれいな交際をしてゐると云ふ筋なのだがね。すると、それを聞いた僕の友だちの小説家は、それ以来、大にMに推服してしまつたぢやあないか。実は、M位、誘惑に負け易い、男らしくない人間はないのだがね。それを見てゐると、いくら僕でも、笑はずにはゐられないよ。  君は、いやな顔をするね。僕を、罪な事をする男だとでも、思つてゐるのだらう。隠したつて、駄目だよ、商売がら、僕の診察に間違ひはない。医者と云ふものは、病状の診断を、患者の顔色からも、拵へるものだからね。それは、君のモラアルも、僕にはよくわかつてゐるさ。しかしだね、僕が、さう云ふ事をしたからと云つて、どれだけ他人に迷惑を与へるだらう。唯、甲が乙に対して持つてゐる考へを、少し変更するだけの事だ。善くか、悪くかは、場合場合でちがふがね。え、偽を真に代へる惧がある? 冗談云つちやあいけない。甲が乙に対して持つてゐる考へに、真偽の別なんぞ、あり得ないぢやあないか。自分を知つてゐる者は、自分だけさ。もう一つあれば、自分を造つた、自分の上の実在だけさ。  尤も、その為に、甲と乙との間に、不和でも起れば、僕の責任だが、そんな事は、絶対にないと云つても、まあいいね。それだけの注意は、僕でも、ちやんとしてゐるのだから。  第一僕のやうな真似をした人間は、昔から沢山ゐたらうと思ふね。それは、僕程、明白な自覚を以て、した奴はないかも知れないさ。が、ゐた事は、確にゐたよ。たとへばだね、僕が、実際、何か経験して、それを、僕の友だちに話したとする。君は、その時、厳密な意味で、僕が嘘をつかずに、ありのままを話せると思ふかね。よし、出来るにしても、むづかしい事には、ちがひなからう。さうすると、嘘の材料を提供すると云ふ事と、実際のそれを提供すると云ふ事との差が、一般に考へてゐるよりも、少なくなつてくる。それなら、昔から、出たらめを、小説家や詩人に話した奴が、沢山ゐたらうぢやあないか。出たらめと云ふと、人聞きが悪いがね。実は、立派な想像の産物さ。  まあ、そんなむづかしい顔をするのは、よし給へ。それよりその珈琲でものんで、一しよに出かけよう。さうして、あの電燈の下で、ベエトオフエンでも聞かう。ヘルデン・レエベンは、自動車の音に似てゐるから、好きだと云ふ男が、ジアン・クリストフの中に、出て来るぢやあないか。僕のベエトオフエンの聞き方も、あの男と同じかも知れない。事によると、人生と云ふものの観方もね。…… (大正五年八月十九日)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 大学生の中村は薄い春のオヴァ・コオトの下に彼自身の体温を感じながら、仄暗い石の階段を博物館の二階へ登っていった。階段を登りつめた左にあるのは爬虫類の標本室である。中村はそこへはいる前に、ちょっと金の腕時計を眺めた。腕時計の針は幸いにもまだ二時になっていない。存外遅れずにすんだものだ、――中村はこう思ううちにも、ほっとすると言うよりは損をした気もちに近いものを感じた。  爬虫類の標本室はひっそりしている。看守さえ今日は歩いていない。その中にただ薄ら寒い防虫剤の臭いばかり漂っている。中村は室内を見渡した後、深呼吸をするように体を伸ばした。それから大きい硝子戸棚の中に太い枯れ木をまいている南洋の大蛇の前に立った。この爬虫類の標本室はちょうど去年の夏以来、三重子と出合う場所に定められている。これは何も彼等の好みの病的だったためではない。ただ人目を避けるためにやむを得ずここを選んだのである。公園、カフェ、ステエション――それ等はいずれも気の弱い彼等に当惑を与えるばかりだった。殊に肩上げをおろしたばかりの三重子は当惑以上に思ったかも知れない。彼等は無数の人々の視線の彼等の背中に集まるのを感じた。いや、彼等の心臓さえはっきりと人目に映ずるのを感じた。しかしこの標本室へ来れば、剥製の蛇や蜥蝪のほかに誰一人彼等を見るものはない。たまに看守や観覧人に遇っても、じろじろ顔を見られるのはほんの数秒の間だけである。……  落ち合う時間は二時である。腕時計の針もいつのまにかちょうど二時を示していた。きょうも十分と待たせるはずはない。――中村はこう考えながら、爬虫類の標本を眺めて行った。しかし生憎彼の心は少しも喜びに躍っていない。むしろ何か義務に対する諦らめに似たものに充たされている。彼もあらゆる男性のように三重子に倦怠を感じ出したのであろうか? けれども捲怠を生ずるためには同一のものに面しなければならぬ。今日の三重子は幸か不幸か全然昨日の三重子ではない。昨日の三重子は、――山手線の電車の中に彼と目礼だけ交換した三重子はいかにもしとやかな女学生だった。いや、最初に彼と一しょに井の頭公園へ出かけた三重子もまだどこかもの優しい寂しさを帯びていたものである。……  中村はもう一度腕時計を眺めた。腕時計は二時五分過ぎである。彼はちょっとためらった後、隣り合った鳥類の標本室へはいった。カナリヤ、錦鶏鳥、蜂雀、――美しい大小の剥製の鳥は硝子越しに彼を眺めている。三重子もこう言う鳥のように形骸だけを残したまま、魂の美しさを失ってしまった。彼ははっきり覚えている。三重子はこの前会った時にはチュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。そのまた前に会った時にもオペラの唄ばかり歌っていた。殊に彼を驚かせたのは一月ほど前に会った三重子である。三重子はさんざんにふざけた揚句、フット・ボオルと称しながら、枕を天井へ蹴上げたりした。……  腕時計は二時十五分である。中村はため息を洩らしながら、爬虫類の標本室へ引返した。が、三重子はどこにも見えない。彼は何か気軽になり、目の前の大蜥蜴に「失敬」をした。大蜥蜴は明治何年か以来、永久に小蛇を啣えている。永久に――しかし彼は永久にではない。腕時計の二時半になったが最後、さっさと博物館を出るつもりである。桜はまださいていない。が、両大師前にある木などは曇天を透かせた枝々に赤い蕾を綴っている。こういう公園を散歩するのは三重子とどこかへ出かけるよりも数等幸福といわなければならぬ。……  二時二十分! もう十分待ちさえすれば好い。彼は帰りたさをこらえたまま、標本室の中を歩きまわった。熱帯の森林を失った蜥蜴や蛇の標本は妙にはかなさを漂わせている。これはあるいは象徴かも知れない。いつか情熱を失った彼の恋愛の象徴かも知れない。彼は三重子に忠実だった。が、三重子は半年の間に少しも見知らぬ不良少女になった。彼の熱情を失ったのは全然三重子の責任である。少くとも幻滅の結果である。決して倦怠の結果などではない。……  中村は二時半になるが早いか、爬虫類の標本室を出ようとした。しかし戸口へ来ないうちにくるりと靴の踵を返した。三重子はあるいはひと足違いにこの都屋へはいって来るかも知れない。それでは三重子に気の毒である。気の毒?――いや気の毒ではない。彼は三重子に同情するよりも彼自身の義務感に悩まされている。この義務感を安んずるためにはもう十分ばかり待たなければならぬ。なに、三重子は必ず来ない。待っても待たなくてもきょうの午後は愉快に独り暮らせるはずである。……  爬虫類の標本室は今も不相変ひっそりしている。看守さえ未だにまわって来ない。その中にただ薄ら寒い防虫剤の臭いばかり漂っている。中村はだんだん彼自身にある苛立たしさを感じ出した。三重子は畢竟不良少女である。が、彼の恋愛は全然冷え切っていないのかも知れない。さもなければ彼はとうの昔に博物館の外を歩いていたのであろう。もっとも情熱は失ったにもせよ、欲望は残っているはずである。欲望?――しかし欲望ではない。彼は今になって見ると、確かに三重子を愛している。三重子は枕を蹴上げたりした。けれどもその足は色の白いばかりか、しなやかに指を反らせている。殊にあの時の笑い声は――彼は小首を傾けた三重子の笑い声を思い出した。  二時四十分。  二時四十五分。  三時。  三時五分。  三時十分になった時である。中村は春のオヴァ・コオトの下にしみじみと寒さを感じながら、人気のない爬虫類の標本室を後ろに石の階段を下りて行った。いつもちょうど日の暮のように仄暗い石の階段を。        ×          ×          ×  その日も電燈のともり出した時分、中村はあるカフェの隅に彼の友だちと話していた。彼の友だちは堀川という小説家志望の大学生である。彼等は一杯の紅茶を前に自動車の美的価値を論じたり、セザンヌの経済的価値を論じたりした。が、それ等にも疲れた後、中村は金口に火をつけながら、ほとんど他人の身の上のようにきょうの出来事を話し出した。 「莫迦だね、俺は。」  話しを終った中村はつまらなそうにこうつけ加えた。 「ふん、莫迦がるのが一番莫迦だね。」  堀川は無造作に冷笑した。それからまたたちまち朗読するようにこんなことをしゃべり出した。 「君はもう帰ってしまう。爬虫類の標本室はがらんとしている。そこへ、――時間はいくらもたたない。やっと三時十五分くらいだね、そこへ顔の青白い女学生が一人はいって来る。勿論看守も誰もいない。女学生は蛇や蜥蜴の中にいつまでもじっと佇んでいる。あすこは存外暮れ易いだろう。そのうちに光は薄れて来る。閉館の時刻もせまって来る。けれども女学生は同じようにいつまでもじっと佇んでいる。――と考えれば小説だがね。もっとも気の利いた小説じゃない。三重子なるものは好いとしても、君を主人公にしていた日には……」  中村はにやにや笑い出した。 「三重子も生憎肥っているのだよ。」 「君よりもか?」 「莫迦を言え。俺は二十三貫五百目さ。三重子は確か十七貫くらいだろう。」  十年はいつか流れ去った。中村は今ベルリンの三井か何かに勤めている。三重子もとうに結婚したらしい。小説家堀川保吉はある婦人雑誌の新年号の口絵に偶然三重子を発見した。三重子はその写真の中に大きいピアノを後ろにしながら、男女三人の子供と一しょにいずれも幸福そうに頬笑んでいる。容色はまだ十年前と大した変りも見えないのであろう。目かたも、――保吉はひそかに惧れている、目かただけはことによると、二十貫を少し越えたかも知れない。…… (大正十四年一月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年2月24日第1刷発行    1995(平成7)年4月10日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:奥西久美 1998年12月11日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000152", "作品名": "早春", "作品名読み": "そうしゅん", "ソート用読み": "そうしゆん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「東京日日新聞」1925(大正14)年1月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1998-12-11T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card152.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集5", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1987(昭和62)年2月24日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年4月10日第6刷", "校正に使用した版1": "1996(平成8)年7月15日第7刷", "底本の親本名1": "筑摩全集類聚版芥川龍之介全集", "底本の親本出版社名1": "筑摩書房", "底本の親本初版発行年1": "1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "奥西久美", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/152_ruby_908.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/152_15211.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 夜寒の細い往来を爪先上りに上つて行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門には電灯がともつてゐるが、柱に掲げた標札の如きは、殆ど有無さへも判然しない。門をくぐると砂利が敷いてあつて、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々として乱れてゐる。  砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると、これも亦古ぼけた格子戸の外は、壁と云はず壁板と云はず、悉く蔦に蔽はれてゐる。だから案内を請はうと思つたら、まづその蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴の鈕を探さねばならぬ。それでもやつと呼鈴を押すと、明りのさしてゐる障子が開いて、束髪に結つた女中が一人、すぐに格子戸の掛け金を外してくれる。玄関の東側には廊下があり、その廊下の欄干の外には、冬を知らない木賊の色が一面に庭を埋めてゐるが、客間の硝子戸を洩れる電灯の光も、今は其処までは照らしてゐない。いや、その光がさしてゐるだけに、向うの軒先に吊した風鐸の影も、反つて濃くなつた宵闇の中に隠されてゐる位である。  硝子戸から客間を覗いて見ると、雨漏りの痕と鼠の食つた穴とが、白い紙張りの天井に斑々とまだ残つてゐる。が、十畳の座敷には、赤い五羽鶴の毯が敷いてあるから、畳の古びだけは分明ではない。この客間の西側(玄関寄り)には、更紗の唐紙が二枚あつて、その一枚の上に古色を帯びた壁懸けが一つ下つてゐる。麻の地に黄色に百合のやうな花を繍つたのは、津田青楓氏か何かの図案らしい。この唐紙の左右の壁際には、余り上等でない硝子戸の本箱があつて、その何段かの棚の上にはぎつしり洋書が詰まつてゐる。それから廊下に接した南側には、殺風景な鉄格子の西洋窓の前に大きな紫檀の机を据ゑて、その上に硯や筆立てが、紙絹の類や法帖と一しよに、存外行儀よく並べてある。その窓を剰した南側の壁と向うの北側の壁とには、殆ど軸の挂かつてゐなかつた事がない。蔵沢の墨竹が黄興の「文章千古事」と挨拶をしてゐる事もある。木庵の「花開万国春」が呉昌蹟の木蓮と鉢合せをしてゐる事もある。が、客間を飾つてゐる書画は独りこれらの軸ばかりではない。西側の壁には安井曽太郎の油絵の風景画が、東側の壁には斎藤与里氏の油絵の艸花が、さうして又北側の壁には明月禅師の無絃琴と云ふ艸書の横物が、いづれも額になつて挂かつてゐる。その額の下や軸の前に、或は銅瓶に梅もどきが、或は青磁に菊の花がその時々で投げこんであるのは、無論奥さんの風流に相違あるまい。  もし先客がなかつたなら、この客間を覗いた眼を更に次の間へ転じなければならぬ。次の間と云つても客間の東側には、唐紙も何もないのだから、実は一つ座敷も同じ事である。唯此処は板敷で、中央に拡げた方一間あまりの古絨毯の外には、一枚の畳も敷いてはない。さうして東と北の二方の壁には、新古和漢洋の書物を詰めた、無暗に大きな書棚が並んでゐる。書物はそれでも詰まり切らないのか、ぢかに下の床の上へ積んである数も少くない。その上やはり南側の窓際に置いた机の上にも、軸だの法帖だの画集だのが雑然と堆く盛り上つてゐる。だから中央に敷いた古絨毯も、四方に並べてある書物のおかげで、派手なるべき赤い色が僅ばかりしか見えてゐない。しかもそのまん中には小さい紫檀の机があつて、その又机の向うには座蒲団が二枚重ねてある。銅印が一つ、石印が二つ三つ、ペン皿に代へた竹の茶箕、その中の万年筆、それから玉の文鎮を置いた一綴りの原稿用紙――机の上にはこの外に老眼鏡が載せてある事も珍しくない。その真上には電灯が煌々と光を放つてゐる。傍には瀬戸火鉢の鉄瓶が虫の啼くやうに沸つてゐる。もし夜寒が甚しければ、少し離れた瓦斯煖炉にも赤々と火が動いてゐる。さうしてその机の後、二枚重ねた座蒲団の上には、何処か獅子を想はせる、脊の低い半白の老人が、或は手紙の筆を走らせたり、或は唐本の詩集を飜したりしながら、端然と独り坐つてゐる。……  漱石山房の秋の夜は、かう云ふ蕭條たるものであつた。
底本:「芥川龍之介作品集第三巻」昭和出版社    1965(昭和40)年12月20日発行 ※底本の「軒光《のきさき》」「殆《ほと》ど」「飜《ひるが》したり」はそれぞれ、「軒先《のきさき》」「殆《ほとん》ど」「飜《ひるがえ》したり」にあらためました。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月26日公開 2003年10月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 わたしは年少のW君と、旧友のMに案内されながら、久しぶりに先生の書斎へはひつた。  書斎は此処へ建て直つた後、すつかり日当りが悪くなつた。それから支那の五羽鶴の毯も何時の間にか大分色がさめた。最後にもとの茶の間との境、更紗の唐紙のあつた所も、今は先生の写真のある仏壇に形を変へてゐた。  しかしその外は不相変である。洋書のつまつた書棚もある。「無絃琴」の額もある。先生が毎日原稿を書いた、小さい紫檀の机もある。瓦斯煖炉もある。屏風もある。縁の外には芭蕉もある。芭蕉の軒を払つた葉うらに、大きい花さへ腐らせてゐる。銅印もある。瀬戸の火鉢もある。天井には鼠の食ひ破つた穴も、……  わたしは天井を見上げながら、独り言のやうにかう云つた。 「天井は張り換へなかつたのかな。」 「張り換へたんだがね。鼠のやつにはかなはないよ。」  Mは元気さうに笑つてゐた。  十一月の或夜である。この書斎に客が三人あつた。客の一人はO君である。O君は綿抜瓢一郎と云ふ筆名のある大学生であつた。あとの二人も大学生である。しかしこれはO君が今夜先生に紹介したのである。その一人は袴をはき、他の一人は制服を着てゐる。先生はこの三人の客にこんなことを話してゐた。「自分はまだ生涯に三度しか万歳を唱へたことはない。最初は、……二度目は、……三度目は、……」制服を着た大学生は膝の辺りの寒い為に、始終ぶるぶる震へてゐた。  それが当時のわたしだつた。もう一人の大学生、――袴をはいたのはKである。Kは或事件の為に、先生の歿後来ないやうになつた。同時に又旧友のMとも絶交の形になつてしまつた。これは世間も周知のことであらう。  又十月の或夜である。わたしはひとりこの書斎に、先生と膝をつき合せてゐた。話題はわたしの身の上だつた。文を売つて口を餬するのも好い。しかし買ふ方は商売である。それを一々註文通り、引き受けてゐてはたまるものではない。貧の為ならば兎に角も、慎むべきものは濫作である。先生はそんな話をした後、「君はまだ年が若いから、さう云ふ危険などは考へてゐまい。それを僕が君の代りに考へて見るとすればだね」と云つた。わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる。いや、暗い軒先の芭蕉の戦ぎも覚えてゐる。しかし先生の訓戒には忠だつたと云ひ切る自信を持たない。  更に又十二月の或夜である。わたしはやはりこの書斎に瓦斯煖炉の火を守つてゐた。わたしと一しよに坐つてゐたのは先生の奥さんとMとである。先生はもう物故してゐた。Mとわたしとは奥さんにいろいろ先生の話を聞いた。先生はあの小さい机に原稿のペンを動かしながら、床板を洩れる風の為に悩まされたと云ふことである。しかし先生は傲語してゐた。「京都あたりの茶人の家と比べて見給へ。天井は穴だらけになつてゐるが、兎に角僕の書斎は雄大だからね。」穴は今でも明いた儘である。先生の歿後七年の今でも……  その時若いW君の言葉はわたしの追憶を打ち破つた。 「和本は虫が食ひはしませんか?」 「食ひますよ。そいつにも弱つてゐるんです。」  Mは高い書棚の前へW君を案内した。      ×   ×   ×  三十分の後、わたしは埃風に吹かれながら、W君と町を歩いてゐた。 「あの書斎は冬は寒かつたでせうね。」  W君は太い杖を振り振り、かうわたしに話しかけた。同時にわたしは心の中にありありと其処を思ひ浮べた。あの蕭条とした先生の書斎を。 「寒かつたらう。」  わたしは何か興奮の湧き上つて来るのを意識した。が、何分かの沈黙の後、W君は又話しかけた。 「あの末次平蔵ですね、異国御朱印帳を検べて見ると、慶長九年八月二十六日、又朱印を貰つてゐますが、……」  わたしは黙然と歩き続けた。まともに吹きつける埃風の中にW君の軽薄を憎みながら。 (大正十一年十二月)
底本:「芥川龍之介作品集第三巻」昭和出版社    1965(昭和40)年12月20日発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月26日公開 2003年10月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002321", "作品名": "漱石山房の冬", "作品名読み": "そうせきさんぼうのふゆ", "ソート用読み": "そうせきさんほうのふゆ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「サンデー毎日」1923(大正12)年1月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-01-26T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card2321.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介作品集 第三巻", "底本出版社名1": "昭和出版社", "底本初版発行年1": "1965(昭和40)年12月20日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2321_ruby_1353.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2321_13452.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 日本のやうに機械の利用出来ぬ処では十分な事は出来ないでせうが、兎に角もつと美しい装幀の本が出て好いと思ひます。装幀者、印刷工、出版書肆に人を得れば、必しも通常の装幀費以上に多分の金を使はずとも、現在行はれてゐる装幀よりもずつと美しい装幀が出来る筈です。小生はその点では装幀者に小穴隆一君を得てゐる事を頗る幸福に思つてゐるものです。右とりあへず御返事まで。
底本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店    1996(平成8)年10月8日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:松永正敏 2002年5月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     1 再びこの人を見よ  クリストは「万人の鏡」である。「万人の鏡」と云ふ意味は万人のクリストに傚へと云ふのではない。たつた一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。わたしはわたしのクリストを描き、雑誌の締め切日の迫つた為にペンを抛たなければならなかつた。今は多少の閑のある為にもう一度わたしのクリストを描き加へたいと思つてゐる。誰もわたしの書いたものなどに、――殊にクリストを描いたものなどに興味を感ずるものはないであらう。しかしわたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけてゐるクリストの姿を感じてゐる。わたしのクリストを描き加へるのもわたし自身にはやめることは出来ない。      2 彼の伝記作者  ヨハネはクリストの伝記作者中、最も彼自身に媚びてゐるものである。野蛮な美しさにかがやいたマタイやマコに比べれば、――いや、巧みにクリストの一生を話してくれるルカに比べてさへ、近代に生まれた我々には人工の甘露味を味はさずには措かない。しかしヨハネもクリストの一生の意味の多い事実を伝へてゐる。我々は、ヨハネのクリストの伝記に或苛立たしさを感じるであらう。けれども三人の伝記作者たちに或魅力も感じられるであらう。人生に失敗したクリストは独特の色彩を加へない限り、容易に「神の子」となることは出来ない。ヨハネはこの色彩を加へるのに少くとも最も当代には、up to date の手段をとつてゐる。ヨハネの伝へたクリストはマコやマタイの伝へたクリストのやうに天才的飛躍を具へてゐない。が、荘厳にも優しいことは確かである。クリストの一生を伝へるのに何よりも簡古を重んじたマコは恐らく彼の伝記作者中、最もクリストを知つてゐたであらう。マコの伝へたクリストは現実主義的に生き生きしてゐる。我々はそこにクリストと握手し、クリストを抱き、――更に多少の誇張さへすれば、クリストの髯の匂を感じるであらう。しかし荘厳にも劬りの深いヨハネのクリストも斥けることは出来ない。兎に角彼等の伝へたクリストに比べれば、後代の伝へたクリストは、――殊に彼をデカダンとした或ロシア人のクリストは徒らに彼を傷けるだけである。クリストは一時代の社会的約束を蹂躙することを顧みなかつた。(売笑婦や税吏や癩病人はいつも彼の話し相手である。)しかし天国を見なかつたのではない。クリストを l'enfant に描いた画家たちはおのづからかう云ふクリストに憐みに近いものを感じてゐたであらう。(それは母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼をした仏陀よりもはるかに手よりのないものである。)けれども幼児だつたクリストに対する彼等の憐みは多少にもしろ、デカダンだつたクリストに対する彼の同情よりも勝つてゐる。クリストは如何に葡萄酒に酔つても、何か彼自身の中にあるものは天国を見せずには措かなかつた。彼の悲劇はその為に、――単にその為に起つてゐる。或ロシア人は或時のクリストの如何に神に近かつたかを知つてゐない。が、四人の伝記作者たちはいづれもこの事実に注目してゐた。      3 共産主義者  クリストはあらゆるクリストたちのやうに共産主義的精神を持つてゐる。若し共産主義者の目から見るとすれば、クリストの言葉は悉く共産主義的宣言に変るであらう。彼に先立つたヨハネさへ「二つの衣服を持てる者は持たぬ者に分け与へよ」と叫んでゐる。しかしクリストは無政府主義者ではない。我々人間は彼の前におのづから本体を露してゐる。(尤も彼は我々人間を操縦することは出来なかつた、――或は我々人間に操縦されることは出来なかつた。それは彼のヨセフではない、聖霊の子供だつた所以である。)しかしクリストの中にあつた共産主義者を論ずることはスヰツルに遠い日本では少くとも不便を伴つてゐる。少くともクリスト教徒たちの為に。      4 無抵抗主義者  クリストは又無抵抗主義者だつた。それは彼の同志さへ信用しなかつた為である。近代では丁度トルストイの他人の真実を疑つたやうに。――しかしクリストの無抵抗主義は何か更に柔かである。静かに眠つてゐる雪のやうに冷かではあつても柔かである。……      5 生活者  クリストは最速度の生活者である。仏陀は成道する為に何年かを雪山の中に暮らした。しかしクリストは洗礼を受けると、四十日の断食の後、忽ち古代のジヤアナリストになつた。彼はみづから燃え尽きようとする一本の蝋燭にそつくりである。彼の所業やジヤアナリズムは即ちこの蝋燭の蝋涙だつた。      6 ジヤアナリズム至上主義者  クリストの最も愛したのは目ざましい彼のジャアナリズムである。若し他のものを愛したとすれば、彼は大きい無花果のかげに年とつた予言者になつてゐたであらう。平和はその時にはクリストの上にも下つて来たのに相違ない。彼はもうその時には丁度古代の賢人のやうにあらゆる妥協のもとに微笑してゐたであらう。しかし運命は幸か不幸か彼にかう云ふ安らかな晩年を与へてくれなかつた。それは受難の名を与へられてゐても、正に彼の悲劇だつたであらう。けれどもクリストはこの悲劇の為に永久に若々しい顔をしてゐるのである。      7 クリストの財布  かう云ふクリストの収入は恐らくはジヤアナリズムによつてゐたのであらう。が、彼は「明日のことを考へるな」と云ふほどのボヘミアンだつた。ボヘミアン?――我々はここにもクリストの中の共産主義者を見ることは困難ではない。しかし彼は兎も角も彼の天才の飛躍するまま、明日のことを顧みなかつた。「ヨブ記」を書いたジヤアナリストは或は彼よりも雄大だつたかも知れない。しかし彼は「ヨブ記」にない優しさを忍びこます手腕を持つてゐた。この手腕は少からず彼の収入を扶けたことであらう。彼のジヤアナリズムは十字架にかかる前に正に最高の市価を占めてゐた。しかし彼の死後に比べれば、――現にアメリカ聖書会社は神聖にも年々に利益を占めてゐる。……      8 或時のマリア  クリストはもう十二歳の時に彼の天才を示してゐた。彼の伝記作者の一人、――ルカの語る所によれば、「其子イエルサレムに留りぬ。然るにヨセフと母これを知らず、三日の後殿にて遇ふ。彼教師の中に坐し、聴き且問ひゐたり。聞者其知慧と其応対とを奇しとせり。」それは論理学を学ばずに論理に長じた学生時代のスウイフトと同じことである。かう云ふ早熟の天才の例は勿論世界中に稀ではない。クリストの父母は彼を見つけ、「さんざんお前を探してゐた」と言つた。すると彼は存外平気に「どうしてわたしを尋ねるのです。わたしはわたしのお父さんのことを務めなければなりません」と答へた。「されど両親は其語れる事を暁らず」と云ふのも恐らくは事実に近かつたであらう。けれども我々を動かすのは「其母これらの凡の事を心に蔵めぬ」と云ふ一節である。美しいマリアはクリストの聖霊の子供であることを承知してゐた。この時のマリアの心もちはいぢらしいと共に哀れである。マリアはクリストの言葉の為にヨセフに恥ぢなければならなかつたであらう。それから彼女自身の過去も考へなければならなかつたであらう。最後に――或は人気のない夜中に突然彼女を驚かした聖霊の姿も思ひ出したかも知れない。「人の皆無、仕事は全部」と云ふフロオベルの気もちは幼いクリストの中にも漲つてゐる。しかし大工の妻だつたマリアはこの時も薄暗い「涙の谷」に向かひ合はなければならなかつたであらう。      9 クリストの確信  クリストは彼のジヤアナリズムのいつか大勢の読者の為に持て囃されることを確信してゐた。彼のジヤアナリズムに威力のあつたのはかう云ふ確信のあつた為である。従つて彼は又最期の審判の、――即ち彼のジヤアナリズムの勝ち誇ることも確信してゐた。尤もかう云ふ確信も時々は動かずにゐなかつたであらう。しかし大体はこの確信のもとに自由に彼のジヤアナリズムを公けにした。「一人の外に善者はなし、即ち神なり」――それは彼の心の中を正直に語つたものだつたであらう。しかしクリストは彼自身も「善き者」でないことを知りながら、詩的正義の為に戦ひつづけた。この確信は事実となつたものの、勿論彼の虚栄心である。クリストも亦あらゆるクリストたちのやうにいつも未来を夢みてゐた超阿呆の一人だつた。若し超人と云ふ言葉に対して超阿呆と云ふ言葉を造るとすれば。……      10 ヨハネの言葉 「世の罪を負ふ神の仔羊を観よ。我に後れ来らん者は我よりも優れる者なり。」――バプテズマのヨハネはクリストを見、彼のまはりにゐた人々にかう話したと伝へられてゐる。壁の上にストリントベリイの肖像を掲げ、「ここにわたしよりも優れたものがゐる」と言つた、逞しいイブセンの心もちはヨハネの心もちに近かつたであらう。そこに茨に近い嫉妬よりも寧ろ薔薇の花に似た理解の美しさを感じるばかりである。かう云ふ年少のクリストのどの位天才的だつたかは言はずとも善い。しかしヨハネもこの時にはやはり最も天才的だつたであらう。丁度丈の高いヨルダンの蘆のゆららかに星を撫でてゐるやうに。……      11 或時のクリスト  クリストは十字架にかかる前に彼の弟子たちの足を洗つてやつた。「ソロモンよりも大いなるもの」を以てみづから任じてゐたクリストのかう云ふ謙遜を示したのは我々を動かさずには措かないのである。それは彼の弟子たちに教訓を与へる為ではない。彼も彼等と変らない「人の子」だつたことを感じた為におのづからかう云ふ所業をしたのであらう。それはヨハネのクリストを見て「神の仔羊を観よ」と言つたのよりも荘厳である。平和に至る道は何びともクリストよりもマリアに学ばなければならぬ。マリアは唯この現世を忍耐して歩いて行つた女人である。(カトリツク教はクリストに達する為にマリアを通じるのを常としてゐる。それは必しも偶然ではない。直ちにクリストに達しようとするのは人生ではいつも危険である。)或はクリストの母だつたと云ふ以外に所謂ニウス・ヴアリユウのない女人である。弟子たちの足さへ洗つてやつたクリストは勿論マリアの足もとにひれ伏したかつたことであらう。しかし彼の弟子たちはこの時も彼を理解しなかつた。 「お前たちはもう綺麗になつた。」  それは彼の謙遜の中に死後に勝ち誇る彼の希望(或は彼の虚栄心)の一つに溶け合つた言葉である。クリストは事実上逆説的にも正にこの瞬間には彼等に劣つてゐると同時に彼等に百倍するほどまさつてゐた。      12 最大の矛盾  クリストの一生の最大の矛盾は彼の我々人間を理解してゐたにも関らず彼自身を理解出来なかつたことである。彼は庭鳥の啼く前にペテロさへ三度クリストを知らないと云ふことを承知してゐた。彼の言葉はその外にも如何に我々人間の弱いかと云ふことを教へてゐる。しかも彼は彼自身もやはり弱いことを忘れてゐた。クリストの一生を背景にしたクリスト教を理解することはこの為に一々彼の所業を「予言者X・Y・Zの言葉に応はせん為なり」と云ふ詭弁を用ひなければならなかつた。のみならず畢にかう云ふ詭弁の古い貨幣になつた後はあらゆる哲学や自然科学の力を借りなければならなかつた。クリスト教は畢竟クリストの作つた教訓主義的な文芸に過ぎない。若し彼の(クリストの)ロマン主義的な色彩を除けば、トルストイの晩年の作品はこの古代の教訓主義的な作品に最も近い文芸であらう。      13 クリストの言葉  クリストは彼の弟子たちに「わたしは誰か?」と問ひかけてゐる。この問に答へることは困難ではない。彼はジヤアナリストであると共にジヤアナリズムの中の人物――或は「譬喩」と呼ばれてゐる短篇小説の作者だつたと共に、「新約全書」と呼ばれてゐる小説的伝記の主人公だつたのである。我々は大勢のクリストたちの中にもかう云ふ事実を発見するであらう。クリストも彼の一生を彼の作品の索引につけずにはゐられない一人だつた。      14 孤身 「イエス……家に入りて人に知られざらん事を願ひしが隠れ得ざりき。」――かう云ふマコの言葉は又他の伝記作者の言葉である。クリストは度たび隠れようとした。が、彼のジヤアナリズムや奇蹟は彼に人々を集まらせてゐた。彼のイエルサレムへ赴いたのもペテロの彼を「メシア」と呼んだ影響も全然ないことはない。しかしクリストは十二の弟子たちよりも或は橄欖の林だの岩の山などを愛したであらう。しかもジヤアナリズムや奇蹟を行つたのは彼の性格の力である。彼はここでも我々のやうに矛盾せずにはゐられなかつた。けれどもジヤアナリストとなつた後、彼の孤身を愛したのは疑ひのない事実である。トルストイは彼の死ぬ時に「世界中に苦しんでゐる人々は沢山ある。それをなぜわたしばかり大騒ぎをするのか?」と言つた。この名声の高まると共に自ら安じない心もちは我々にも決してない訣ではない。クリストは名高いジヤアナリストになつた。しかし時々大工の子だつた昔を懐がつてゐたかも知れない。ゲエテはかう云ふ心もちをフアウスト自身に語らせてゐる。フアウストの第二部の第一幕は実にこの吐息の作つたものと言つても善い。が、フアウストは幸ひにも艸花の咲いた山の上に佇んでゐた。……      15 クリストの歎声  クリストは比喩を話した後、「どうしてお前たちはわからないか?」と言つた。この歎声も亦度たび繰り返されてゐる。それは彼ほど我々人間を知り、彼ほどボヘミア的生活をつづけたものには或は滑稽に見えるであらう。しかし彼はヒステリツクに時々かう叫ばずにはゐられなかつた。阿呆たちは彼を殺した後、世界中に大きい寺院を建ててゐる。が、我々はそれ等の寺院にやはり彼の歎声を感ずるであらう。 「どうしてお前たちはわからないか?」――それはクリストひとりの歎声ではない。後代にも見じめに死んで行つた、あらゆるクリストたちの歎声である。      16 サドカイの徒やパリサイの徒  サドカイの徒やパリサイの徒はクリストよりも事実上不滅である。この事実を指摘したのは「進化論」の著者ダアウインだつた。彼等は今後も地衣類のやうにいつまでも地上に生存するであらう。「適者生存」は彼等には正に当嵌まる言葉である。彼等ほど地上の適者はない。彼等は何の感激もなしに油断のない処世術を講じてゐる。マリアは恐らくクリストの彼等の一人でなかつたことを悲しんだであらう。ゲエテをベエトホオヴエンの罵つたのは正にゲエテ自身の中にゐるサドカイの徒やパリサイの徒を罵つたのだつた。      17 カヤパ  祭司の長だつたカヤパにも後代の憎しみは集つてゐる。彼はクリストを憎んでゐたであらう。が、必しもこの憎しみは彼一人にあつた訣ではない。唯彼を推し立てることのクリストを憎み或は妬んだ大勢の人々に便利だつたからである。カヤパはきららに袍を着下し、冷かにクリストを眺めてゐたであらう。現世はそこにピラトと共に意気地のない聖霊の子供を嘲つてゐる。燃えさかる松明の光りの中に。……      18 二人の盗人たち  クリストの死の不評判だつたことは彼の十字架にかかる時にも盗人たちと一しよだつたのに明らかである。盗人たちの一人はクリストを罵ることを憚らなかつた。彼の言葉は彼自身の中にやはり人生の為に打ち倒されたクリストを見出したことを示してゐる。しかしもう一人の盗人は彼よりも更に妄想を持つてゐた。クリストはこの盗人の言葉に彼の心を動かしたであらう。この盗人を慰めた彼の言葉は同時に又彼自身を慰めてゐる。 「お前はお前の信仰の為に必ず天国にはひるであらう。」  後代はこの盗人に彼等の同情を示してゐる。が、もう一人の盗人には、――クリストを罵つた盗人には軽蔑を示してゐるのに過きない。それは正にクリストの教へた詩的正義の勝利を示すものであらう。が、彼等は、――サドカイの徒やパリサイの徒は今日でも私かにこの盗人に賛成してゐる。事実上天国にはひることは彼等には無花果や真桑瓜の汁を啜るほど重大ではない。      19 兵卒たち  兵卒たちは十字架の下にクリストの衣を分ち合つた。彼等には彼の衣の外に彼の持つてゐたものは見えなかつたのである。彼等は定めし肩幅の広い模範的兵卒たちだつたのに違ひない。クリストは定めし彼等を見おろし、彼等の所業を軽蔑したであらう。しかし又同時に是認したであらう。クリストはクリスト自身の外には我々人間を理解してゐる。彼の教へた言葉によれば、感傷主義的詠嘆は最もクリストの嫌つたものだつた。      20 受難  十字架にかかつたクリストは多少の虚栄心を持つてゐたものの、彼の肉体的苦痛と共に精神的苦痛にも襲はれたであらう。殊に十字架を見守つてゐたマリアを眺めることは苦しかつた訣である。が、彼は「エリ、エリ、ラマサバクタニ」と云ふ必死の声を挙げた後も(たとひそれは彼の愛する讃美歌の一節だつたにもせよ)彼の息の絶える前には何かおほ声を発してゐた。我々はこのおほ声の中に或は唯死に迫つた力を感ずるばかりであらう。しかしマタイの言葉によれば、「殿の幔上より下まで裂けて二つになり、又地震ひて岩裂け、墓ひらけて既に寝ねたる聖徒の身多く甦」つた。彼の死は確かに大勢の人々にかう云ふシヨツクを与へたであらう。(マリアの脳貧血を起したことを記してゐないのは新約聖書の威厳を尊んだからである。)クリストの一言一行に永遠の註釈を与へてゐるパピニさへこの事実はマタイを引いてゐるのに過ぎない。彼自身を欺いてゐるパピニの詩的情熱はそこにも亦馬脚を露してゐる。クリストの死は事実上彼の予言者的天才を妄信した人々には――彼自身の中にエリヤを見た人々には余りに我々に近いものだつた。従つて又炎の車に乗つて天上に去るよりも恐しかつた。彼等は唯その為にシヨツクを受けずにはゐなかつたのである。しかし年をとつた祭司たちはこのシヨツクに欺かれはしなかつたであらう。 「それ見たことか!」  彼等の言葉はイエルサレムからニウヨウクや東京へも伝はつてゐる。イエルサレムを囲んだ橄欖の山々を最も散文的に飛び超えながら。      21 文化的なクリスト  クリストの弟子たちに理解されなかつたのは彼の余りに文化人だつた為である。(彼の天才を別にしても。)彼等は大体は少くとも彼に奇蹟を求めてゐた。哲学の盛んだつた摩伽陀国の王子はクリストよりも奇蹟を行はなかつた。それはクリストの罪よりも寧ろユダヤの罪である。彼はロオマの詩人たちにも遜らない第一流のジヤアナリストだつた。同時に又彼の愛国的精神さへ抛つて顧みない文化人だつた。(マコはクリスト伝第七章二五以下にこの事実を記してゐる。)バプテズマのヨハネは彼の前には駱駝の毛衣や蝗や野蜜に野人の面目を露してゐる。クリストはヨハネの言つたやうに洗礼に唯聖霊を用ひてゐた。のみならず彼の洗礼(?)を受けたのは十二人の弟子たちの外にも売笑婦や税吏や罪人だつた。我々はかう云ふ事実にもおのづから彼に柔い心臓のあつたのを見出すであらう。彼は又彼の行つた奇蹟の中に度たび細かい神経を示してゐる。文化的なクリストは十字架の上に最も野蛮な死を遂げるやうになつた。しかし野蛮なバプテズマのヨハネは文化的なサロメの為に盆の上に頭をのせられてゐる。運命はここにも彼等の為に逆説的な悪戯を忘れなかつた。……      22 貧しい人たちに  クリストのジヤアナリズムは貧しい人たちや奴隷を慰めることになつた。それは勿論天国などに行かうと思はない貴族や金持ちに都合の善かつた為もあるであらう。しかし彼の天才は彼等を動かさずにはゐなかつたのである。いや、彼等ばかりではない。我々も彼のジヤアナリズムの中に何か美しいものを見出してゐる。何度叩いても開かれない門のあることは我々も亦知らないわけではない。狭い門からはひることもやはり我々には必しも幸福ではないことを示してゐる。しかし彼のジヤアナリズムはいつも無花果のやうに甘みを持つてゐる。彼は実にイスラエルの民の生んだ、古今に珍らしいジヤアナリストだつた。同時に又我々人間の生んだ、古今に珍らしい天才だつた。「予言者」は彼以後には流行してゐない。しかし彼の一生はいつも我々を動かすであらう。彼は十字架にかかる為に、――ジヤアナリズム至上主義を推し立てる為にあらゆるものを犠牲にした。ゲエテは婉曲にクリストに対する彼の軽蔑を示してゐる。丁度後代のクリストたちの多少はゲエテを嫉妬してゐるやうに。――我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。 (昭和二年七月二十三日、遺稿)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:野口英司 1998年6月1日公開 2004年3月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 夏目先生の書  僕にも時々夏目先生の書を鑑定してくれろと言ふ人がある。が、僕の眼光ではどうも判然とは鑑定出来ない、唯まつ赤な贋せものだけはおのづから正体を現はしてくれる。僕は近頃その贋せものの中に決して贋にものとは思はれぬ一本の扇に遭遇した。成程この扇に書いてある句は漱石と言ふ名はついてゐても、確かに夏目先生の書いたものではない。しかし又句がらや書体から見れば、夏目先生の贋せものを作る為に書いたのではないことも確かである。この漱石とは何ものであらうか? 太白堂三世村田桃鄰も始めの名はやはり漱石である。けれども僕の見た扇はさほど古いものとも思はれない。僕はこの贋せものならざるに贋せものと呼ばれる扇の筆者を如何にも気の毒に思つてゐる。因に言ふ、夏目先生の書にも近年はめつきり贋せものが殖えたらしい。(大正十四年十月二十日)      二 霜の来る前  毎日庭を眺めてゐると、苔の最も美しいのは霜の来る前、――まづ十月一ぱいである。それから霜の来る前に「カナメモチ」や「モツコク」などの赤々と芽をふいてゐるのは美しいよりも寧ろもの哀れでならぬ。(同年十一月十日)      三 澄江堂  僕になぜ澄江堂などと号するかと尋ねる人がある。なぜと言ふほどの因縁はない。唯いつか漫然と澄江堂と号してしまつたのである。いつか佐佐木茂索君は「スミエと言ふ芸者に惚れたんですか?」と言つた。が、勿論そんな訣でもない。僕は時々本名の外に入らざる名などをつけることはよせば好かつたと思つてゐる。(十一月十二日)      四 雅号  しかし雅号と言ふものはやはり作品と同じやうにその人の個性を示すものである。菱田春草は年少時代には駿走の号を用ひてゐた。年少時代の春草は定めし駿走らしかつたであらう。さう言へば正宗白鳥氏も昔は白塚と号してゐたかと思ふ。これは僕の記憶違ひかも知れない。が、若し違つてゐないとすれば、この号も兎に角年少時代の正宗氏を想はせるのに足るものであらう。僕は昔の文人たちの雅号を幾つも持つてゐたのは必しも道楽に拵へたのではない。彼等の趣味の進歩に応じておのづから出来たものと思つてゐる。(同前)      五 シルレルの頭蓋骨  シルレルの遺骸は彼の歿年、――千八百五年以来、ちやんとワイマアルの大公爵家の霊廟の中に収められてゐた。が、二十年ばかりたつた後、その霊廟を再建する際に頭蓋骨だけゲエテに贈ることになつた。ゲエテは彼の机の上にこの旧友の頭蓋骨を置き、「シルレル」と題する詩を作つた。そればかりではない。エエベルラインなどは御苦労にも「シルレルの頭蓋骨を見守れるゲエテ」とか何とか言ふ半身像を作つた。けれどもこれはシルレルではない、誰か他の人の頭蓋骨だつた。(ほんたうのシルレルの頭蓋骨はやつと近年テユウビンゲンの解剖学の教授に発見された。)僕はかう言ふ話を読み、悪魔のいたづらを見たやうに感じた。他人の頭蓋骨に感激したゲエテは勿論滑稽に見えるであらう。しかしその頭蓋骨がなかつたとしたらば、ゲエテ詩集は少くとも「シルレル」の一篇を欠いてゐたのである。(十一月二十日)      六 美人禍  ゲエテをワイマアルの宮廷から退かせたのはフオン・ハイゲンドルフ夫人である。しかも又シヨオペンハウエルに一世一代の恋歌を作らせたのもやはりこのフオン・ハイゲンドルフ夫人である。前者に反感を抱いた女性は彼女の外になかつたらしい。後者に好感を与へたのは勿論彼女一人である。兎に角両天才を悩ませただけでも、ただの女ではなかつたのであらう。現に写真に徴すると、目の大きい、鼻の尖つた、如何にも一癖ありげな美人である。(二十一日)      七 放心  僕は教師をしてゐた頃、ネクタイをするのを忘れたまま、澄まして往来を歩いてゐた。それを幸ひにも見つけてくれたのは当年の菅忠雄君である。しかしその後学校へ行つたら、今度は物理の教官が一人、カラアをつけるのを忘れたと見え、ネクタイだけシヤツにぶら下げてゐた。どちらがはた目には可笑しかつたかしら。(二十二日)      八 同上  僕は菊池と長崎へ行つた時、汽車中大いに文芸論をした。そのうちにふと気がついて見ると、菊池はいつか両手の間にパラソルを一本まはしてゐる。僕は勿論「おい、君」と言つた。すると菊池は苦笑しながら、鄰にゐた奥さんにパラソルを返した。僕は早速文芸論の代りに菊池の放心を攻撃した。菊池の降参したのはこの時だけである。が、長崎を立つ段になると、僕自身うつかり上野屋へ雨外套を忘れて来てしまつた。菊池の嬉しがるまいことか、忌々しくも大笑ひをして曰、「君も亦細心は誇れないね。」(同上)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003746", "作品名": "続澄江堂雑記", "作品名読み": "ぞくちょうこうどうざっき", "ソート用読み": "そくちようこうとうさつき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-07-22T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3746.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3746_ruby_27226.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3746_27314.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
     一 人  僕は芭蕉の漢語にも新しい命を吹き込んだと書いてゐる。「蟻は六本の足を持つ」と云ふ文章は或は正硬であるかも知れない。しかし芭蕉の俳諧は度たびこの翻訳に近い冒険に功を奏してゐるのである。日本の文芸では少くとも「光は常に西方から来てゐた。」芭蕉も亦やはりこの例に洩れない。芭蕉の俳諧は当代の人々には如何に所謂モダアンだつたであらう。 ひやひやと壁をふまへて昼寝かな 「壁をふまへて」と云ふ成語は漢語から奪つて来たものである。「踏壁眠」と云ふ成語を用ひた漢語は勿論少くないことであらう。僕は室生犀星君と一しよにこの芭蕉の近代的趣味(当代の)を一世を風靡した所以に数へてゐる。が、詩人芭蕉は又一面には「世渡り」にも長じてゐた。芭蕉の塁を摩した諸俳人、凡兆、丈艸、惟然等はいづれもこの点では芭蕉に若かない。芭蕉は彼等のやうに天才的だつたと共に彼等よりも一層苦労人だつた。其角、許六、支考等を彼に心服させたものは彼の俳諧の群を抜いてゐたことも決して少くはなかつたであらう。(世人の所謂「徳望」などは少くとも、彼等を御する上に何の役に立つものではない。)しかし又彼の世渡り上手も、――或は彼の英雄的手腕も巧みに彼等を籠絡した筈である。芭蕉の世故人情に通じてゐたことは彼の談林時代の俳諧を一瞥すれば善い。或は彼の書簡の裏にも東西の門弟を操縦した彼の機鋒は窺はれるのであらう。最後に彼は元禄二年にも――「奥の細道」の旅に登つた時にもかう云ふ句を作る「したたか者」だつた。 夏山に足駄を拝む首途かな 「夏山」と言ひ、「足駄」と言ひ、更に「カドデ」と言つた勢にはこれも亦「したたか者」だつた一茶も顔色はないかも知れない。彼は実に「人」としても文芸的英雄の一人だつた。芭蕉の住した無常観は芭蕉崇拝者の信ずるやうに弱々しい感傷主義を含んだものではない。寧ろやぶれかぶれの勇に富んだ不具退転の一本道である。芭蕉の度たび、俳諧さへ「一生の道の草」と呼んだのは必しも偶然ではなかつたであらう。兎に角彼は後代には勿論、当代にも滅多に理解されなかつた、(崇拝を受けたことはないとは言はない。)恐しい糞やけになつた詩人である。      二 伝記  芭蕉の伝記は細部に亘れば、未だに判然とはわからないらしい。が、僕は大体だけは下に尽きてゐると信じてゐる。――彼は不義をして伊賀を出奔し、江戸へ来て遊里などへ出入しながら、いつか近代的(当代の)大詩人になつた。なほ又念の為につけ加へれば、文覚さへ恐れさせた西行ほどの肉体的エネルギイのなかつたことは確かであり、やはりわが子を縁から蹴落した西行ほどの神経的エネルギイもなかつたことは確かであらう。芭蕉の伝記もあらゆる伝記のやうに彼の作品を除外すれば格別神秘的でも何でもない。いや、西鶴の「置土産」にある蕩児の一生と大差ないのである。唯彼は彼の俳諧を、――彼の「一生の道の草」を残した。……  最後に彼を生んだ伊賀の国は「伊賀焼」の陶器を生んだ国だつた。かう云ふ一国の芸術的空気も封建時代には彼を生ずるのに或は力のあつたことであらう。僕はいつか伊賀の香合に図々しくも枯淡な芭蕉を感じた。禅坊主は度たび褒める代りに貶す言葉を使ふものである。ああ云ふ心もちは芭蕉に対すると、僕等にもあることを感ぜざるを得ない。彼は実に日本の生んだ三百年前の大山師だつた。      三 芭蕉の衣鉢  芭蕉の衣鉢は詩的には丈艸などにも伝はつてゐる。それから、――この世紀の詩人たちにも或は伝はつてゐるかも知れない。が、生活的には伊賀のやうに山の多い信濃の大詩人、一茶に伝はつたばかりだつた。一時代の文明は勿論或詩人の作品を支配してゐる。一茶の作品は芭蕉の作品とその為にも同じ峰に達してゐない。が、彼等は肚の底ではどちらも「糞やけ道」を通つてゐた。芭蕉の門弟だつた惟然も亦或はかう云ふ一人だつたかも知れない。しかし彼は一茶のやうに図太い根性を持つてゐなかつた。その代りに一茶よりも可憐だつた。彼の風狂は芝居に見るやうに洒脱とか趣味とか云ふものではない。彼には彼の家族は勿論、彼の命をも賭した風狂である。 秋晴れたあら鬼貫の夕べやな  僕はこの句を惟然の作品中でも決して名句とは思つてゐない。しかし彼の風狂はこの句の中にも見えると思つてゐる。惟然の風狂を喜ぶものは、――就中軽妙を喜ぶものは何とでも勝手に感服して善い。けれども僕の信ずる所によれば、そこに僕等を動かすものは畢に芭蕉に及ばなかつた、芭蕉に近い或詩人の慟哭である。若し彼の風狂を「とり乱してゐる」と言ふ批評家でもあれば、僕はこの批評家に敬意を表することを吝まないであらう。 追記。これは「芭蕉雑記」の一部になるものである。 (昭和二年七月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月14日公開 2004年3月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 「死者生者」 「文章倶楽部」が大正時代の作品中、諸家の記憶に残つたものを尋ねた時、僕も返事をしようと思つてゐるうちについその機会を失つてしまつた。僕の記憶に残つてゐるものはまづ正宗白鳥氏の「死者生者」である。これは僕の「芋粥」と同じ月に発表された為、特に深い印象を残した。「芋粥」は「死者生者」ほど完成してゐない。唯幾分か新しかつただけである。が、「死者生者」は不評判だつた。「芋粥」は――「芋粥」の不評判だつたのは吹聴せずとも善い。「読後感とでも云ふのかな。さう云ふものの深い短篇だね。」――僕は当時久米正雄君の「死者生者」を読んだ後、かう言つたことを覚えてゐる。が、「文章倶楽部」の問に応じた諸家は誰も「死者生者」を挙げてゐなかつたらしい。しかも「芋粥」は幸か不幸か諸家の答への中にはいつてゐる。  この事実の証明する通り、世人は新らしいものに注目し易い。従つて新らしいものに手をつけさへすれば、兎に角作家にはなれるのである。しかしそれは必ずしも一爪痕を残すことではない、僕は未だに「死者生者」は「芋粥」などの比ではないと思つてゐる、のみならず又正宗氏自身も短篇作家としては、「死者生者」を書いた前後に最も芸術的ではなかつたかと思つてゐる。が、当時の正宗氏は必ずしも人気はなかつたらしい。      二 時代  僕は時々かう考へてゐる。――僕の書いた文章はたとひ僕が生まれなかつたにしても、誰かきつと書いたに違ひない。従つて僕自身の作品よりも寧ろ一時代の土の上に生えた何本かの艸の一本である。すると僕自身の自慢にはならない。(現に彼等は彼等を待たなければ、書かれなかつた作品を書いてゐる。勿論そこに一時代は影を落してゐるにしても。)僕はかう考へる度に必ず妙にがつかりしてしまふ。      三 日本の文芸の特色  日本の文芸の特色、――何よりも読者に親密(intime)であること。この特色の善悪は特に今は問題にしない。      四 アナトオル・フランス  Nicolas Ségur の「アナトオル・フランスとの対話」によれば、この微笑した懐疑主義者は実に徹底した厭世主義者である。かう云ふ一面は Paul Gsell の「アナトオル・フランスとの対話」(?)にも現はれてゐない。彼は「あなたの作中人物は皆微笑してゐるではないか?」といふ問に対し、野蛮にもかう返事をしてゐる。――「彼等は憐憫の為に微笑してゐる。それは文芸上の技巧に過ぎない。」  このアナトオル・フランスの説によれば人生は唯意志する力と行為する力との上に安定してゐる。しかし我々は意志する為には一点に目を注がなければならぬ。それは何びとにも出来ることではない。殊に理智と感受性との呪ひを受けた我々には。 「エピキユウルの園」の思想家、ドレフイイユ事件のチヤンピオン、「ペングインの島」の作家だつた彼もここでは面目を新たにしてゐる。尤も唯物主義的に解釈すれば、彼の頽齢や病なども或は彼の人生観を暗いものにしてゐたかも知れない。しかしこれは彼の作品中、比較的等閑に附せられたものを、――或は事実上出来の悪いものを(たとへば「赤い卵」の如き)彼の一生の文芸的体系に結びつける綱を与へてゐる。病的な「赤い卵」なども彼には必然な作品だつたのであらう。僕はこの対話や書簡集から更に新らしい「アナトオル・フランス論」の書かれることを信じてゐる。  このアナトオル・フランスは十字架を背負つた牧羊神である。尤も新時代は彼の中に唯前世紀から今世紀に渡る橋を見出すばかりかも知れない。が、世紀末に人となつた僕はやはりかう云ふ彼の中に有史以来の僕等を見出してゐる。      五 自然主義  自然は僕等が一定の年齢に達した時、僕等に「春の目ざめ」を与へてゐる。それから僕等が餓ゑた時、烈しい食慾を与へてゐる。それから僕等が戦場に立つた時、弾丸を避ける本能を与へてゐる。それから何年か(或は何箇月か)同棲生活の後、その女人と交ることに対する嫌悪の情を与へてゐる。それから、……  しかし社会の命令は自然の命令と一致してゐない。のみならず屡反対してゐる。そればかりならば差支へない(?)。しかし僕等は僕等自身の中に自然の命令を否定する何か不思議なるものを持ち合せてゐる。従つてあらゆる自然主義者は理論上最左翼に立たなければならぬ。或は最左翼の向うにある暗黒の中に立たなければならぬ。 「地球の外へ!」と云ふボオドレエルの散文詩は決して机の上の産物ではない。      六 ハムズン  性慾の中に詩のあることは前人もとうに発見してゐた。が、食慾の中にも詩のあることはハムズンを待たなければならなかつたのである。何と云ふ僕等の間抜けさ加減!      七 語彙 「夜明け」と云ふ意味の「平明」はいつか「手のこまない」と云ふ意味に変り、「死んだ父」と云ふ意味の「先人」はいつか「古人」と云ふ意味に変つてゐる。僕自身も「姿」とか「形」とか云ふ意味に「ものごし」と云ふ言葉を使ひ、凄まじい火災の形容に「大紅蓮」と云ふ言葉を使つた。僕等の語彙はこの通り可也混乱を生じてゐる。「随一人」と云ふ言葉などは誰も「第一人」と云ふ意味に使はないものはない。が、誰も皆間違つてしまへば、勿論間違ひは消滅するのである。従つてこの混乱を救ふ為には、――一人残らず間違つてしまへ。      八 コクトオの言葉 「芸術は科学の肉化したものである」と云ふコクトオの言葉は中つてゐる。尤も僕の解釈によれば「科学の肉化したもの」と云ふ意味は「科学に肉をつけた」と云ふ意味ではない。科学に肉をつけることなどは職人でも容易に出来るであらう。芸術はおのづから血肉の中に科学を具へてゐる筈である。いろいろの科学者は芸術の中から彼等の科学を見つけるのに過ぎない。芸術の――或は直観の尊さはそこに存してゐるのである。  僕はこのコクトオの言葉の新時代の芸術家たちに方向を錯らせることを惧れてゐる。あらゆる芸術上の傑作は「二二が四」に終つてゐるかも知れない。しかし決して「二二が四」から始まつてゐるとは限らないのである。僕は必ずしも科学的精神を抛つてしまへと云ふのではない。が、科学的精神は詩的精神を重んずる所に逆説的にも潜んでゐると云ふ事実だけを指摘したいのである。      九 「若し王者たりせば」 「我若し王者たりせば」と云ふ映画によれば、あらゆる犯罪に通じてゐた抒情詩人フランソア・ヴイヨンは立派な愛国者に変じてゐる。それから又シヤロツト姫に対する純一無雑の恋人に変じてゐる。最後に市民の人気を集めた所謂「民衆の味かた」になつてゐる。が、若しチヤプリンさへ非難してやまない今日のアメリカにヴイヨンを生じたとすれば、――そんなことは今更のやうに言はずとも善い。歴史上の人物はこの映画の中のヴイヨンのやうに何度も転身を重ねるのであらう。「我若し王者たりせば」は実にアメリカの生んだ映画だつた。  僕はこの映画を見ながら、ヴイヨンの次第に大詩人になつた三百年の星霜を数へ、「蓋棺の後」などと云ふ言葉の怪しいことを考へずにはゐられなかつた。「蓋棺の後」に起るものは神化か獣化(?)かの外にある筈はない。しかし何世紀かの流れ去つた後には、――その時にも香を焚かれるのは唯「幸福なる少数」だけである。のみならずヴイヨンなどは一面には愛国者兼「民衆の味かた」兼模範的恋人として香を焚かれてゐるではないか?  しかし僕の感情は僕のかう考へるうちにもやはりはつきりと口を利いてゐる。――「ヴイヨンは兎に角大詩人だつた。」      十 二人の紅毛画家  ピカソはいつも城を攻めてゐる。ジアン・ダアクでなければ破れない城を。彼は或はこの城の破れないことを知つてゐるかも知れない。が、ひとり石火矢の下に剛情にもひとり城を攻めてゐる。かう云ふピカソを去つてマテイスを見る時、何か気易さを感じるのは必しも僕一人ではあるまい。マテイスは海にヨツトを走らせてゐる。武器の音や煙硝の匂はそこからは少しも起つて来ない。唯桃色の白の縞のある三角の帆だけ風を孕んである。僕は偶然この二人の画を見、ピカソに同情を感ずると同時にマテイスには親しみや羨ましさを感じた。マテイスは僕等素人の目にもリアリズムに叩きこんだ腕を持つてゐる。その又リアリズムに叩きこんだ腕はマテイスの画に精彩を与へてゐるものの、時々画面の装飾的効果に多少の破綻を生じてゐるかも知れない。若しどちらをとるかと言へば、僕のとりたいのはピカソである。兜の毛は炎に焼け、槍の柄は折れたピカソである。…… (昭和二年五月六日)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年2月2日公開 2004年3月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 放屁  アンドレエフに百姓が鼻糞をほじる描写がある。フランスに婆さんが小便をする描写がある。しかし屁をする描写のある小説にはまだ一度も出あつたことはない。  出あつたことのないといふのは、西洋の小説にはと云ふ意味である。日本の小説にはない訣ではない。その一つは青木健作氏の何とかいふ女工の小説である。駈落ちをした女工が二人、干藁か何かの中に野宿する。夜明に二人とも目がさめる。一人がぷうとおならをする。もう一人がくすくす笑ひ出す――たしかそんな筋だつたと思ふ。その女工の屁をする描写は予の記憶に誤りがなければ、甚だ上品に出来上つてゐた。予は此の一段を読んだ為に、今日もなほ青木氏の手腕に敬意を感じてゐる位なものである。  もう一つは中戸川吉二氏の何とか云ふ不良少年の小説である。これはつい三四箇月以前、サンデイ毎日に出てゐたのだから、知つてゐる読者も多いかも知れない。不良少年に口説かれた女が際どい瞬間におならをする、その為に折角醸されたエロチツクな空気が消滅する、女は妙につんとしてしまふ、不良少年も手が出せなくなる――大体かう云ふ小説だつた。この小説も巧みに書きこなしてある。  青木氏の小説に出て来る女工は必しもおならをしないでも好い。しかし中戸川氏の小説に出て来る女は嫌でもおならをする必要がある。しなければ成り立たない。だから屁は中戸川氏を得た後始めて或重大な役目を勤めるやうになつたと云ふべきである。  しかしこれは近世のことである。宇治拾遺物語によれば、藤大納言忠家も、「いまだ殿上人におはしける時、びびしき色好みなりける女房ともの云ひて、夜更くるほどに月は昼よりもあかかりけるに」たへ兼ねてひき寄せたら、女は「あなあさまし」と云ふ拍子に大きいおならを一つした。忠家はこの屁を聞いた時に「心うきことにも逢ひぬるかな。世にありて何かはせん。出家せん」と思ひ立つた。けれども、つらつら考へて見れば、何も女が屁をしたからと云つて、坊主にまでなるには当りさうもない。忠家は其処に気がついたから、出家することだけは見合せたが、匇匇その場は逃げ出したさうである。すると中戸川氏の小説も文学史的に批評すれば、前人未発と云ふことは出来ない。しかし断えたるを継いだ功は当然同氏に属すべきである。この功は多分中戸川氏自身の予想しなかつたところであらう。しかし功には違ひないから、序に此処に吹聴することにした。      二 女と影  紋服を着た西洋人は滑稽に見えるものである。或は滑稽に見える余り、西洋人自身の男振などは滅多に問題にならないものである。クロオデル大使の「女と影」も、云はば紋服を着た西洋人だつたから、一笑に付せられてしまつたのであらう。しかし当人の男ぶりは紋服たると燕尾服たるとを問はず独立に美醜を論ぜらるべきである。「女と影」に対する世評は存外この点に無頓着だつたらしい。さう男ぶりを閑却するのは仏蘭西人たる大使にも気の毒である。  試みにあの作品の舞台をペルシアか印度かへ移して見るが好い。桃の花の代りに蓮の花を咲かせ、古風な侍の女房の代りに王女か何か舞はせたとすれば、毒舌に富んだ批評家と雖も、今日のやうに敢然とは鼎の軽重を問はなかつたであらう。況やあの作品にさへ三歎の声を惜まなかつた鑑賞上の神秘主義者などは勿論無上の法悦の為に即死を遂げたのに相違あるまい。クロオデル大使は紋服の為にこの位損な目を見てゐるのである。  しかし男ぶりは姑く問はず、紋服そのものの感じにしても、全然面白味のない訣ではない。成程「女と影」なるものは日本のやうな西洋のやうな、妙にとんちんかんな作品である。けれどもあのとんちんかんのところは手腕の鈍い為に起つたものではない。日本とか我我日本人の芸術とかに理解のない為に起つたものである。虎を描かうと思つたのが猫になつてしまつたのではない。猫も虎も見わけられないから、同じやうに描いてすましてゐるのである。思ふに虎になり損なつた彼は小説家になり損なつた批評家のやうに、義理にも面白いとは云はれたものではない。けれども猫とも虎ともつかない、何か怪しげな動物になれば、古来野師の儲けたのはかう云ふ動物恩恵である。我我は面白いと思はないものに一銭の木戸銭をも抛つ筈はない。  これは「女と影」ばかりではない。「サムラヒ」とか「ダイミヤウ」とか云ふエレデイアの詩でも同じことである。ああ云ふ作品は可笑しいかも知れない。しかしその可笑しいところに、善く云へば阿蘭陀の花瓶に似た、悪く云へばサムラヒ商会の輸出品に似た一種のシヤルムがひそんでゐる。このシヤルムさへ認めないのは偏狭の譏を免れないであらう。予は野口米次郎氏の如き、或は郡虎彦氏の如き、西洋に名を馳せた日本人の作品も、その名を馳せた一半の理由はこのシヤルムにあつたことを信じてゐる。と云ふのは勿論両氏の作品に非難を加へようと云ふのではない。寛大な西洋人に迎へられたことを両氏の為に欣幸とし、偏狭な日本人に却けられたことをクロオデル大使の為に遺憾とするのである。  仄聞するところによれば、クロオデル大使はどう云ふ訣か、西洋輓近の芸術に対する日本人の鑑賞力に疑惑を抱いてゐるさうである。まことに「女と影」の如きも、予などの批評を許さないかも知れない。しかし時の古今を問はず、わが日本の芸術に対する西洋人の鑑賞力は――予は先夜細川侯の舞台に桜間金太郎氏の「すみだ川」を見ながら欠伸をしてゐたクロオデル大使に同情の微笑を禁じ得なかつた。すると半可通をふりまはすことは大使も予もお互ひ様である。仏蘭西の大使クロオデル閣下、どうか悪しからずお読み下さい。      三 ピエル・ロテイの死  ピエル・ロテイが死んださうである。ロテイが「お菊夫人」「日本の秋」等の作者たることは今更辯じ立てる必要はあるまい。小泉八雲一人を除けば、兎に角ロテイは不二山や椿やベベ・ニツポンを着た女と最も因縁の深い西洋人である。そのロテイを失つたことは我我日本人の身になるとまんざら人ごとのやうに思はれない。  ロテイは偉い作家ではない。同時代の作家と比べたところが、余り背の高い方ではなささうである。ロテイは新らしい感覚描写を与へた。或は新らしい抒情詩を与へた。しかし新らしい人生の見かたや新らしい道徳は与へなかつた。勿論これは芸術家たるロテイには致命傷でも何でもないのに違ひない。提燈は火さへともせれば、敬意を表して然るべきである。合羽のやうに雨が凌げぬにしろ、軽蔑して好いと云ふものではない。しかし雨が降つてゐるから、まづ提燈は持たずとも合羽の御厄介にならうと云ふのはもとより人情の自然である。かう云ふ人情の矢面には如何なる芸術至上主義も、提燈におしなさいと云ふ忠告と同様、利き目のないものと覚悟せねばならぬ。我我は土砂降りの往来に似た人生を辿る人足である。けれどもロテイは我我に一枚の合羽をも与へなかつた。だから我我はロテイの上に「偉い」と云ふ言葉を加へないのである。古来偉い芸術家と云ふのは、――勿論合羽の施行をする人に過ぎない。  又ロテイはこの数年間、仏蘭西文壇の「人物」だつたにせよ、仏蘭西文壇の「力」ではなかつた。だから彼の死も実際的には格別影響を及ぼさないであらう。唯我我日本人は前にもちよいと云つた通り、美しい日本の小説を書いた、当年の仏蘭西の海軍将校ジユリアン・ヴイオオの長逝に哀悼の念を抱いてゐる。ロテイの描いた日本はヘルンの描いた日本よりも、真を伝へない画図かも知れない。しかし兎に角好画図たることは異論を許さない事実である。我我の姉妹たるお菊さんだの或は又お梅さんだのは、ロテイの小説を待つた後、巴里の敷石の上をも歩むやうになつた。我我は其処にロテイに対する日本の感謝を捧げたいと思ふ。なほロテイの生涯は大体左に示す通りである。  千八百五十年一月十四日、ロテイはロシユフオオルで生れ、十七歳の時、海軍に入り、千九百六年大佐になつた。大佐になつたのは数へ年で五十七の時である。  最初の作は千八百七十九年、即三十歳の時公にした Aziyadé である。後ち一年、千八百八十年に Rarahu を出して一躍流行児になつた。これは二年の後「ロテイの結婚」と改題再刊されたものである。  かの「お菊さん」は千八百八十七年に、「日本の秋」は八十九年に公にされた。  アカデミイの会員に選まれたのは九十一年、数へて四十二歳の時である。  彼は、国際電報の伝ふるところによると、十日アンダイエで死んだのである。時に歳七十三。      四 新緑の庭  桜 さつぱりした雨上りです。尤も花の萼は赤いなりについてゐますが。  椎 わたしもそろそろ芽をほごしませう。このちよいと鼠がかつた芽をね。  竹 わたしは未だに黄疸ですよ。……  芭蕉 おつと、この緑のランプの火屋を風に吹き折られる所だつた。  梅 何だか寒気がすると思つたら、もう毛虫がたかつてゐるんだよ。  八つ手 痒いなあ、この茶色の産毛のあるうちは。  百日紅 何、まだ早うござんさあね。わたしなどは御覧の通り枯枝ばかりさ。  霧島躑躅 常――常談云つちやいけない。わたしなどはあまり忙しいものだから、今年だけはつい何時にもない薄紫に咲いてしまつた。  覇王樹 どうでも勝手にするが好いや。おれの知つたことぢやなし。  石榴 ちよいと枝一面に蚤のたかつたやうでせう。  苔 起きないこと?  石 うんもう少し。  楓 「若楓茶色になるも一盛り」――ほんたうにひと盛りですね。もう今は世間並みに唯水水しい鶸色です。おや、障子に灯がともりました。      五 春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる  春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる。向うから来るのは屋根屋の親かた。屋根屋の親かたもこの節は紺の背広に中折帽をかぶり、ゴムか何かの長靴をはいてゐる。それにしても大きい長靴だなあ。膝――どころではない。腿も半分がたは隠れてゐる。ああ云ふ長靴をはいた時には、長靴をはいたと云ふよりも、何かの拍子に長靴の中へ落つこつたやうな気がするだらうなあ。  顔馴染の道具屋を覗いて見る。正面の紅木の棚の上に虫明けらしい徳利が一本。あの徳利の口などは妙に猥褻に出来上つてゐる。さうさう、いつか見た古備前の徳利の口もちよいと接吻位したかつたつけ。鼻の先に染めつけの皿が一枚。藍色の柳の枝垂れた下にやはり藍色の人が一人、莫迦に長い釣竿を伸ばしてゐる。誰かと思つて覗きこんで見たら、金沢にゐる室生犀星!  又ぶらぶら歩きはじめる。八百屋の店に慈姑がすこし。慈姑の皮の色は上品だなあ。古い泥七宝の青に似てゐる。あの慈姑を買はうかしら。譃をつけ。買ふ気のないことは知つてゐる癖に。だが一体どう云ふものだらう、自分にも譃をつきたい気のするのは。今度は小鳥屋。どこもかしこも鳥籠だらけだなあ。おや、御亭主も気楽さうに山雀の籠の中に坐つてゐる! 「つまり馬に乗つた時と同じなのさ。」 「カントの論文に崇られたんだね。」  後ろからさつさと通りぬける制服制帽の大学生が二人。ちよいと聞いた他人の会話と云ふものは気違ひの会話に似てゐるなあ。この辺そろそろ上り坂。もうあの家の椿などは落ちて茶色に変つてゐる。尤も崖側の竹藪は不相変黄ばんだままなのだが……おつと向うから馬が来たぞ。馬の目玉は大きいなあ。竹藪も椿も己の顔もみんな目玉の中に映つてゐる。馬のあとからはモンシロ蝶。 「生ミタテ玉子アリマス。」  アア、サウデスカ? ワタシハ玉子ハ入リマセン。――春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる。      六 霜夜  霜夜の記憶の一つ。  いつものやうに机に向つてゐると、いつか十二時を打つ音がする。十二時には必ず寝ることにしてゐる。今夜もまづ本を閉じ、それからあした坐り次第、直に仕事にかかれるやうに机の上を片づける。片づけると云つても大したことはない。原稿用紙と入用の書物とを一まとめに重ねるばかりである。最後に火鉢の火の始末をする。はんねらの瓶に鉄瓶の湯をつぎ、その中へ火を一つづつ入れる。火は見る見る黒くなる。炭の鳴る音も盛んにする。水蒸気ももやもや立ち昇る。何か楽しい心もちがする。何か又はかない心もちもする。床は次の間にとつてある。次の間も書斎も二階である。寝る前には必ず下へおり、のびのびと一人小便をする。今夜もそつと二階を下りる。家族の眼をさまさせないやうに、出来るだけそつと二階を下りる。座敷の次の間に電燈がついてゐる。まだ誰か起きてゐるなと思ふ。誰が起きてゐるのかしらとも思ふ。その部屋の外を通りかかると、六十八になる伯母が一人、古い綿をのばしてゐる。かすかに光る絹の綿である。 「伯母さん」と云ふ。「まだ起きてゐたの?」と云ふ。「ああ、今これだけしてしまはうと思つて。お前ももう寝るのだらう?」と云ふ。後架の電燈はどうしてもつかない。やむを得ず暗いまま小便をする。後架の窓の外には竹が生えてゐる、風のある晩は葉のすれる音がする。今夜は音も何もしない。唯寒い夜に封じられてゐる。 薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな      七 蒐集  僕は如何なる時代でも、蒐集癖と云ふものを持つたことはない。もし持つたことがあるとすれば、年少時代に昆虫類の標本を集めたこと位であらう。現在は成程書物だけは幾らか集まつてゐるかも知れない。しかしそれも集まつたのである。落葉の風だまりへ集まるやうに自然と書棚へ集まつたのである。何も苦心して集めた訣ではない。  書物さへ既にさうである。況や書画とか骨董とかは一度も集めたいと思つたことはない。尤もこれはと思つたにしろ、到底我我売文の徒には手の出ぬせゐでもありさうである。しかし僕の集めたがらぬのは必しもその為ばかりではない。寧ろ集めたいと云ふ気持に余り快哉を感ぜぬのである。或は集めんとする気組みに倦怠を感じてしまふのである。  これは智識も同じことである。僕はまだ如何なる智識も集めようと思つて集めたことはない。尤も集めたと思はれるほど、智識のないことも事実である。しかし多少でもあるとすれば、兎に角集まつたと云はなければならぬ。  蒐集家は情熱に富んだものである。殊にたつた一枚のマツチの商標を手に入れる為に、世界を周遊する蒐集家などは殆ど情熱そのものである。だから情熱を軽蔑しない限り、蒐集家も一笑に付することは出来ない。しかし僕は蒐集家とは別の鋳型に属してゐる。同時に又革命家や予言者とも別の鋳型に属してゐる。  僕はマツチの商標に対する情熱にも同情を感じてゐる。いや、同情と云ふ代りに敬意と云つても差支へない。しかしマツチの商標の価値にはどちらかと云へば懐疑的である。僕は以前かう云ふ気質を羞づかしいと思つたことがあつた。けれども面皮の厚くなつた今はさほど卑下する気もちにもなれない。――      八 知己料  僕等は当時「新思潮」といふ同人雑誌に楯こもつてゐた。「新思潮」以外の雑誌にも時時作品を発表するのは久米正雄一人ぎりだつた。そこへ「希望」といふ雑誌社から、突然僕へ宛てた手紙が来た。手紙には、五月号に間に合ふやうに短篇を一つお願ひしたい。御都合は如何と書いてあつた。僕は勿論快諾した。  僕は一週間たたない内に、「虱」といふ短篇を希望社へおくつた。それから――原稿料の届くのを待つた。最初の原稿料を待つ気もちは売文の経験のない人には、ちよいと想像が出来ないかも知れない。僕も少し誇張すれば、直侍を待つ三千歳のやうに、振替の来る日を待ちくらしたのである。  原稿料は容易に届かなかつた。僕はたびたび久米正雄と、希望社は僕の短篇にいくら払ふかを論じ合つた。 「一円は払ふね。一円ならば十二枚十二円か。そんなことはない。一円五十銭は大丈夫払ふよ。」  久米はかういふ予測を下した。何だかさう云はれて見れば、僕も一円五十銭は払つてもらはれさうな心もちになつた。 「一円五十銭払つたら、八円だけおごれよ。」  僕はおごると約束した。 「一円でも、五円はおごる義務があるな。」  久米はまたかういつた。僕はその義務を認めなかつた。しかし五円だけ割愛することには、格別異存も持たなかつた。  その内に「希望」の五月号が出、同時に原稿料も手にはひつた。僕はそれをふところにしたまま、久米の下宿へ出かけて行つた。 「いくら来た? 一円か? 一円五十銭か?」  久米は僕の顔を見ると、彼自身のことのやうに熱心にたづねた。僕は何ともこたへずに、振替の紙を出して見せた。振替の紙には残酷にも三円六十銭と書いてあつた。 「三十銭か。三十銭はひどいな。」  久米もさすがになさけない顔をした。僕はなほ更仏頂づらをしてゐた。が、僕等はしばらくすると、同時ににやにや笑ひ出した。久米はいはゆる微苦笑をうかべ、僕は手がるに苦笑したのである。 「三十銭は知己料をさしひいたんだらう。一円五十銭マイナス三十銭――一円二十銭の知己料は高いな。」  久米はこんなことをいひながら、振替の紙を僕にかへした。しかしもうこの間のやうに、おごれとか何とかはいはなかつた。      九 妄問妄答  客 菊池寛氏の説によると、我我は今度の大地震のやうに命も危いと云ふ場合は芸術も何もあつたものぢやない。まづ命あつての物種と尻端折りをするのに忙しさうだ。しかし実際さう云ふものだらうか?  主人 そりや実際さう云ふものだよ。  客 芸術上の玄人もかね? たとへば小説家とか、画家とか云ふ、――  主人 玄人はまあ素人より芸術のことを考へさうだね。しかしそれも考へて見れば、実は五十歩百歩なんだらう。現在頭に火がついてゐるのに、この火焔をどう描写しようなどと考へる豪傑はゐまいからね。  客 しかし昔の侍などは横腹を槍に貫かれながら、辞世の歌を咏んでゐるからね。  主人 あれは唯名誉の為だね。意識した芸術的衝動などは別のものだね。  客 ぢや我我の芸術的衝動はああ云ふ大変に出合つたが最後、全部なくなつてしまふと云ふのかね?  主人 そりや全部はなくならないね。現に遭難民の話を聞いて見給へ。思ひの外芸術的なものも沢山あるから。――元来芸術的に表現される為にはまづ一応芸術的に印象されてゐなければならない筈だらう。するとさう云ふ連中は知らず識らず芸術的に心を働かせて来た訣だね。  客 (反語的に)しかしさう云ふ連中も頭に火でもついた日にや、やつぱり芸術的衝動を失うことになるだらうね?  主人 さあ、さうとも限らないね。無意識の芸術的衝動だけは案外生死の瀬戸際にも最後の飛躍をするものだからね? 辞世の歌で思ひ出したが、昔の侍の討死などは大抵戯曲的或は俳優的衝動の――つまり俗に云ふ芝居気の表はれたものとも見られさうぢやないか?  客 ぢや芸術的衝動はどう云ふ時にもあり得ると云ふんだね?  主人 無意識の芸術的衝動はね。しかし意識した芸術的衝動はどうもあり得るとは思はれないね。現在頭に火がついてゐるのに、………  客 それはもう前にも聞かされたよ。ぢや君も菊池寛氏に全然賛成してゐるのかね?  主人 あり得ないと云ふことだけはね。しかし菊池氏はあり得ないのを寂しいと云つてゐるのだらう? 僕は寂しいとも思はないね、当り前だとしか思はないね。  客 なぜ?  主人 なぜも何もありやしないさ。命あつての物種と云ふ時にや、何も彼も忘れてゐるんだからね。芸術も勿論忘れる筈ぢやないか? 僕などは大地震どころぢやないね。小便のつまつた時にさへレムブラントもゲエテも忘れてしまふがね。格別その為に芸術を軽んずる気などは起らないね。  客 ぢや芸術は人生にさ程痛切なものぢやないと云ふのかね。  主人 莫迦を云ひ給へ。芸術的衝動は無意識の裡にも我我を動かしてゐると云つたぢやないか? さうすりや芸術は人生の底へ一面深い根を張つてゐるんだ。――と云ふよりも寧ろ人生は芸術の芽に満ちた苗床なんだ。  客 すると「玉は砕けず」かね?  主人 玉は――さうさね。玉は或は砕けるかも知れない。しかし石は砕けないね。芸術家は或は亡びるかも知れない。しかしいつか知らず識らず芸術的衝動に支配される熊さんや八さんは亡びないね。  客 ぢや君は問題になつた里見氏の説にも菊池氏の説にも部分的には反対だと云ふのかね。  主人 部分的には賛成だと云ふことにしたいね。何しろ両雄の挾み打ちを受けるのはいくら僕でも難渋だからね。ああ、それからまだ菊池氏の説には信用出来ぬ部分もあるね。  客 信用の出来ぬ部分がある?  主人 菊池氏は今度大向うからやんやと喝采される為には譃が必要だと云ふことを痛感したと云つてゐるだらう。あれは余り信用出来ないね。恐らくはちよつと感じた位だね。まあ、もう少し見てゐ給へ。今に又何かほんたうのことをむきになつて云ひ出すから。      十 梅花に対する感情 このジヤアナリズムの一篇を謹厳なる西川英次郎君に献ず  予等は芸術の士なるが故に、如実に万象を観ざる可らず。少くとも万人の眼光を借らず、予等の眼光を以て見ざる可らず。古来偉大なる芸術の士は皆この独自の眼光を有し、おのづから独自の表現を成せり。ゴツホの向日葵の写真版の今日もなほ愛翫せらるる、豈偶然の結果ならんや。(幸ひにGOGHをゴッホと呼ぶ発音の誤りを咎むること勿れ。予はANDERSENをアナアセンと呼ばず、アンデルゼンと呼ぶを恥ぢざるものなり。)  こは芸術を使命とするものには白日よりも明らかなる事実なり。然れども独自の眼を以てするは必しも容易の業にあらず。(否、絶対に独自の眼を以てするは不可能と云ふも妨げざる可し。)殊に万人の詩に入ること屡なりし景物を見るに独自の眼光を以てするは予等の最も難しとする所なり。試みに「暮春」の句を成すを思へ。蕪村の「暮春」を詠ぜし後、誰か又独自の眼光を以て「暮春」を詠じ得るの確信あらんや。梅花の如きもその一のみ。否、正にその最たるものなり。  梅花は予に伊勢物語の歌より春信の画に至る柔媚の情を想起せしむることなきにあらず。然れども梅花を見る毎に、まづ予の心を捉ふるものは支那に生じたる文人趣味なり。こは啻に予のみにあらず、大方の君子も亦然るが如し。(是に於て乎、中央公論記者も「梅花の賦」なる語を用ゐるならん。)梅花を唯愛すべきジエヌス・プリヌスの花と做すは紅毛碧眼の詩人のことのみ。予等は梅花の一瓣にも、鶴を想ひ、初月を想ひ、空山を想ひ、野水を想ひ、断角を想ひ、書燈を想ひ、脩竹を想ひ、清霜を想ひ、羅浮を想ひ、仙妃を想ひ、林処士の風流を想はざる能はず。既に斯くの如しとせば、予等独自の眼光を以て万象を観んとする芸術の士の、梅花に好意を感ぜざるは必しも怪しむを要せざるべし。(こは夙に永井荷風氏の「日本の庭」の一章たる「梅」の中に道破せる真理なり。文壇は詩人も心臓以外に脳髄を有するの事実を認めず。是予に今日この真理を盗用せしむる所以なり。)  予の梅花を見る毎に、文人趣味を喚び起さるるは既に述べし所の如し。然れども妄に予を以て所謂文人と做すこと勿れ。予を以て詐偽師と做すは可なり。謀殺犯人と做すは可なり。やむを得ずんば大学教授の適任者と做すも忍ばざるにあらず。唯幸ひに予を以て所謂文人と做すこと勿れ。十便十宜帖あるが故に、大雅と蕪村とを並称するは所謂文人の為す所なり。予はたとひ宮せらるると雖も、この種の狂人と伍することを願はず。  ひとり是のみに止らず、予は文人趣味を軽蔑するものなり。殊に化政度に風行せる文人趣味を軽蔑するものなり。文人趣味は道楽のみ。道楽に終始すと云はば則ち已まん。然れどももし道楽以上の貼札を貼らんとするものあらば、山陽の画を観せしむるに若かず。日本外史は兎も角も一部の歴史小説なり。画に至つては呉か越か、畢につくね芋の山水のみ。更に又竹田の百活矣は如何。これをしも芸術と云ふ可くんば、安来節も芸術たらざらんや。予は勿論彼等の道楽を排斥せんとするものにあらず。予をして当時に生まれしめば、戯れに河童晩帰の図を作り、山紫水明楼上の一粲を博せしやも亦知る可からず。且又彼等も聰明の人なり。豈彼等の道楽を彼等の芸術と混同せんや。予は常に確信す、大正の流俗、芸術を知らず、無邪気なる彼等の常談を大真面目に随喜し渇仰するの時、まづ噴飯に堪へざるものは彼等両人に外ならざるを。  梅花は予の軽蔑する文人趣味を強ひんとするものなり、下劣詩魔に魅せしめんとするものなり。予は孑然たる征旅の客の深山大沢を恐るるが如く、この梅花を恐れざる可からず。然れども思へ、征旅の客の踏破の快を想見するものも常に亦深山大沢なることを。予は梅花を見る毎に、峨眉の雪を望める徐霞客の如く、南極の星を仰げるシヤツクルトンの如く、鬱勃たる雄心をも禁ずること能はず。 灰捨てて白梅うるむ垣根かな  加ふるに凡兆の予等の為に夙に津頭を教ふるものあり。予の渡江に急ならんとする、何ぞ少年の客気のみならんや。  予は独自の眼光を以て容易に梅花を観難きが故に、愈独自の眼光を以て梅花を観んと欲するものなり。聊かパラドツクスを弄すれば、梅花に冷淡なること甚しきが故に、梅花に熱中すること甚しきものなり。高青邱の詩に云ふ。「瓊姿只合在瑤台 誰向江辺処処栽」又云ふ。「自去何郎無好詠 東風愁寂幾回開」真に梅花は仙人の令嬢か、金持の隠居の囲ひものに似たり。(後者は永井荷風氏の比喩なり。必しも前者と矛盾するものにあらず)予の文に至らずとせば、斯る美人に対する感慨を想へ。更に又汝の感慨にして唯ほれぼれとするのみなりとせば、已んぬるかな、汝も流俗のみ、済度す可からざる乾屎橛のみ。      十一 暗合 「お富の貞操」と云ふ小説を書いた時、お富は某氏夫人ではないかと尋ねられた人が三人ある。又あの小説の中に村上新三郎と云ふ乞食が出て来る。幕末に村上新五郎と云ふ奇傑がゐたが同一人かと尋ねられた人もある。しかしあの小説は架空の談だから、謂ふ所のモデルを用ゐたのではない。「お富の貞操」の登場人物はお富と乞食と二人だけである。その二人とも実在の人物に似てゐると云ふのは珍らしい暗合に違ひない。僕は以前藤野古白の句に「傀儡師日暮れて帰る羅生門」と云ふのを見、「傀儡師」「羅生門」共に僕の小説集の名だから、暗合の妙に驚いたことがある。然るに今又この暗合に出合つた。僕には暗合が祟つてゐるらしい。      十二 コレラ  コレラが流行るので思ひ出すのは、漱石先生の話である。先生の子供の時分にも、コレラが流行つたことがある。その時、先生は豆を沢山食つて、水を沢山飲んで、それから先生のお父さんと一緒に、蚊帳の中に寝てゐたさうである。さうして、その明け方に、蚊帳の中で、いきなり吐瀉を始めたさうである。すると、先生のお父さんは「そら、コレラだ」と言つて、蚊帳を飛び出したさうである。蚊帳を飛び出して、どうするかと思ふと、何もすることがないものだから、まだ星が出てゐるのに庭を箒で掃き始めたさうである。勿論、先生の吐瀉したのは、豆と水とに祟られたので、コレラではなかつたが、この事があつたために、先生は人間の父たるもののエゴイズムを知つたと話してゐた。  コレラの小説では何があるか。紅葉の「青葡萄」とかいふのが、多分、コレラの話だつたらう。La Motte といふ人の短篇に、日本のコレラを書いたのがある。何も際立つた事件はないが、魚河岸の暇になつたり、何かするところをなかなか器用に書いてある。  僕はコレラでは死にたくはない。へどを吐いたり下痢をしたりする不風流な往生は厭やである。シヨウペンハウエルがコレラを恐がつて、逃げて歩いたことを読んだ時は、甚だ彼に同情した。ことに依ると、彼の哲学よりも、もつと、同情したかも知れない。  しかし、シヨウペンハウエル時代には、まだコレラは食物から伝染するといふことがわからなかつたのである。が、僕は現代に生れた難有さに、それをちやんと心得てゐるから、煮たものばかり食つたり、塩酸レモナアデを服んだり、悠悠と予防を講じてゐる。この間、臆病すぎると言つて笑はれたが、臆病は文明人のみの持つてゐる美徳である。臆病でない人間が偉ければ、ホツテントツトの王様に三拝九拝するがいい。      十三 長崎  菱形の凧。サント・モンタニの空に揚つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。  路ばたに商ふ夏蜜柑やバナナ。敷石の日ざしに火照るけはひ。町一ぱいに飛ぶ燕。  丸山の廓の見返り柳。  運河には石の眼鏡橋。橋には往来の麦稈帽子。――忽ち泳いで来る家鴨の一むれ。白白と日に照つた家鴨の一むれ。  南京寺の石段の蜥蜴。  中華民国の旗。煙を揚げる英吉利の船。「港をよろふ山の若葉に光さし……」顱頂の禿げそめた斎藤茂吉。ロテイ。沈南蘋。永井荷風。  最後に「日本の聖母の寺」その内陣のおん母マリア。穂麦に交じつた矢車の花。光のない真昼の蝋燭の火。窓の外には遠いサント・モンタニ。  山の空にはやはり菱形の凧。北原白秋の歌つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。      十四 東京田端  時雨に濡れた木木の梢。時雨に光ってゐる家家の屋根。犬は炭俵を積んだ上に眠り、鶏は一籠に何羽もぢつとしてゐる。  庭木に烏瓜の下つたのは鋳物師香取秀真の家。  竹の葉の垣に垂れたのは、画家小杉未醒の家。  門内に広い芝生のあるのは、長者鹿島龍蔵の家。  ぬかるみの路を前にしたのは、俳人滝井折柴の家。  踏石に小笹をあしらつたのは、詩人室生犀星の家。  椎の木や銀杏の中にあるのは、――夕ぐれ燈籠に火のともるのは、茶屋天然自笑軒。  時雨の庭を塞いだ障子。時雨の寒さを避ける火鉢。わたしは紫檀の机の前に、一本八銭の葉巻を啣へながら、一游亭の鶏の画を眺めている。 (大正十一年―十三年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一  僕の二十六歳の時なりしと覚ゆ。大学院学生となりをりしが、当時東京に住せざりしため、退学届を出す期限に遅れ、期限後数日を経て事務所に退学届を出したりしに、事務の人は規則を厳守して受けつけず「既に期限に遅れし故、三十円の金を収めよ」といふ。大正五六年の三十円は大金なり。僕はこの大金を出し難き事情ありしが故に「然らばやむを得ず除名処分を受くべし」といへり。事務の人は僕の将来を気づかひ「君にして除名処分を受けん乎、今後の就職口を如何せん」といひしが、畢に除名処分を受くることとなれり。  僕の同級の哲学科の学生、僕の為に感激して曰、「君もシエリングの如く除名処分を受けしか」と! シエリングも亦僕の如く三十円の金を出し渋りしや否や、僕は未だ寡聞にしてこれを知らざるを遺憾とするものなり。      二  僕達のイギリス文学科の先生は、故ロオレンス先生なり、先生は一日僕を路上に捉へ、娓々数千言を述べられてやまず。然れども僕は先生の言を少しも解すること能はざりし故、唯雷に打たれたる唖の如く瞠目して先生の顔を見守り居たり。先生も亦僕の容子に多少の疑惑を感ぜられしなるべし。突如として僕に問うて曰く、“Are you Mr. K. ?”僕、答へて曰く、“No, Sir.”先生は――先生もまた雷に打たれたる唖の如く瞠目せらるること少時の後、僕を後にして立ち去られたり。僕の親しく先生に接したるは実にこの路上の数分間なるのみ。      三  僕等「新思潮社」同人の列したるは大正天皇の行幸し給へる最後の卒業式なりしなるべし。僕等は久米正雄と共に夏の制服を持たざりし為、裸の上に冬の制服を着、恐る恐る大勢の中にまじり居たり。      四  僕はケエベル先生を知れり。先生はいつもフランネルのシヤツを着られ、シヨオペンハウエルを講ぜられしが、そのシヨオペンハウエルの本の上等なりしことは今に至つて忘るること能はず。      五  僕は確か二年生の時独逸語の出来のよかりし為、独乙大使グラアフ・レツクスよりアルントの詩集を四冊貰へり。然れどもこは真に出来のよかりしにあらず、一つには喜多床に髪を刈りに行きし時、独乙語の先生に順を譲り、先に刈らせたる為なるべし。こは謙遜にあらず、今なほかく信じて疑はざる所なり。  僕はこのアルントを郁文堂に売り金六円にかへたるを記憶す、時来星霜を閲すること十余、僕のアルントを知らざることは少しも当時に異ることなし。知らず、天涯のグラアフ・レツクスは今果赭顔旧の如くなりや否や。      六  僕は二年生か三年生かの時、矢代幸雄、久米正雄の二人と共にイギリス文学科の教授方針を攻撃したり。場所は一つ橋の学士会館なりしと覚ゆ。僕等は寡を以て衆にあたり、大いに凱歌を奏したり。然れども久米は勝誇りたる為、忽ち心臓に異状を呈し、本郷まで歩きて帰ること能ず。僕は矢代と共に久米を担ぎ、人跡絶えたる電車通りをやつと本郷の下宿へ帰れり。(昭和二・二・一七)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003793", "作品名": "その頃の赤門生活", "作品名読み": "そのころのあかもんせいかつ", "ソート用読み": "そのころのあかもんせいかつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-07-22T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3793.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3793_ruby_27227.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3793_27315.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
     一 お宗さん  お宗さんは髪の毛の薄いためにどこへも縁づかない覚悟をしてゐた。が、髪の毛の薄いことはそれ自身お宗さんには愉快ではなかつた。お宗さんは地肌の透いた頭へいろいろの毛生え薬をなすつたりした。 「どれも広告ほどのことはないんですよ。」  かういふお宗さんも声だけは善かつた。そこで賃仕事の片手間に一中節の稽古をし、もし上達するものとすれば師匠になるのも善いと思ひ出した。しかし一中節はむづかしかつた。のみならず酒癖の悪い師匠は、時々お宗さんをつかまへては小言以上の小言を言つたりした。 「お前なんどは肥たご桶を叩いて甚句でもうたつてお出でなさりや善いのに。」  師匠は酒の醒めてゐる時には決してお宗さんにも粗略ではなかつた。しかし一度言はれた小言はお宗さんをひがませずには措かなかつた。「どうせあたしは檀那衆のやうによくする訣には行かないんだから。」――お宗さんは時々兄さんにもそんな愚痴などをこぼしてゐた。 「曾我の五郎と十郎とは一体どつちが兄さんです?」  四十を越したお宗さんは「形見おくり」を習つてゐるうちに真面目にかういふことを尋ねたりした。この返事には誰も当惑した。誰も? ――いや「誰も」ではない。やつと小学校へはひつた僕はすぐに「十郎が兄さんですよ」といひ、反つてみんなに笑はれたのを羞しがらずにはゐられなかつた。 「何しろああいふお師匠さんぢやね。」  一中節の師匠になることはとうとうお宗さんには出来なかつた。お宗さんはあの震災のために家も何も焼かれたとかいふことだつた。のみならず一時は頭の具合も妙になつたとかいふことだつた。僕はお宗さんの髪の毛も何か頭の病気のために薄いのではないかと思つてゐる。お宗さんの使つた毛生え薬は何も売薬ばかりではない。お宗さんはいつか蝙蝠の生き血を一面に頭に塗りつけてゐた。 「鼠の子の生き血も善いといふんですけれども。」  お宗さんは円い目をくるくるさせながら、きよとんとしてこんなことも言つたものだつた。      二 裏畠  それはKさんの家の後ろにある二百坪ばかりの畠だつた。Kさんはそこに野菜のほかにもポンポン・ダリアを作つてゐた。その畠を塞いでゐるのは一日に五、六度汽車の通る一間ばかりの堤だつた。  或夏も暮れかかつた午後、Kさんはこの畠へ出、もう花もまれになつたポンポン・ダリアに鋏を入れてゐた。すると汽車は堤の上をどつと一息に通りすぎながら、何度も鋭い非常警笛を鳴らした。同時に何か黒いものが一つ畠の隅へころげ落ちた。Kさんはそちらを見る拍子に「又庭鳥がやられたな」と思つた。それは実際黒い羽根に青い光沢を持つてゐるミノルカ種の庭鳥にそつくりだつた。のみならず何か雞冠らしいものもちらりと見えたのに違ひなかつた。  しかし庭鳥と思つたのはKさんにはほんの一瞬間だつた。Kさんはそこに佇んだまま、あつけにとられずにはゐられなかつた。その畠へころげこんだものは実は今汽車に轢かれた二十四五の男の頭だつた。      三 武さん  武さんは二十八歳の時に何かにすがりたい慾望を感じ、(この慾望を生じた原因は特にここに言はずともよい。)当時名高い小説家だつたK先生を尋ねることにした。が、K先生はどう思つたか、武さんを玄関の中へ入れずに格子戸越しにかう言ふのだつた。 「御用向きは何ですか?」  武さんはそこに佇んだまま、一部始終をK先生に話した。 「その問題を解決するのはわたしの任ではありません。Tさんのところへお出でなさい。」  T先生は基督教的色彩を帯びた、やはり名高い小説家だつた。武さんは早速その日のうちにT先生を訪問した。T先生は玄関へ顔を出すと、「わたしがTです。ではさやうなら」と言つたぎり、さつさと奥へ引きこまうとした。武さんは慌ててT先生を呼びとめ、もう一度あらゆる事情を話した。 「さあ、それはむづかしい。……どうです、Uさんのところへ行つて見ては?」  武さんはやつと三度目にU先生に辿り着いた。U先生は小説家ではない。名高い基督教的思想家だつた。武さんはこのU先生により、次第に信仰へはひつて行つた。同時に又次第に現世には珍らしい生活へはひつて行つた。  それは唯はた目には石鹸や歯磨きを売る行商だつた。しかし武さんは飯さへ食へれば、滅多に荷を背負つて出かけたことはなかつた。その代りにトルストイを読んだり、蕪村句集講義を読んだり、就中聖書を筆写したりした。武さんの筆写した新旧約聖書は何千枚かにのぼつてゐるであらう。兎に角武さんは昔の坊さんの法華経などを筆写したやうに勇猛に聖書を筆写したのである。  或夏の近づいた月夜、武さんは荷物を背負つたまま、ぶらぶら行商から帰つて来た。すると家の近くへ来た時、何か柔かいものを踏みつぶした。それは月の光に透かして見ると、一匹の蟇がへるに違ひなかつた。武さんは「俺は悪いことをした」と思つた。それから家へ帰つて来ると、寝床の前に跪き、「神様、どうかあの蟇がへるをお助け下さい」と十分ほど熱心に祈祷をした。(武さんは立ち小便をする時にも草木のない所にしたことはない。尤もその為に一本の若木の枯れてしまつたことは確かである。)  武さんを翌朝起したのはいつも早い牛乳配達だつた。牛乳配達は武さんの顔を見ると、紫がかつた壜をさし出しながら、晴れやかに武さんに話しかけた。 「今あすこを通つて来ると、踏みつぶされた蟇がへるが一匹向うの草の中へはひつて行きましたよ。蟇がへるなどといふやつは強いものですね。」  武さんは牛乳配達の帰つた後、早速感謝の祈祷をした。――これは武さんの直話である。僕は現世にもかういふ奇蹟の行はれるといふことを語りたいのではない。唯現世にもかういふ人のゐるといふことを語りたいのである。僕の考へは武さんの考へとは、――僕にこの話をした武さんの考へとは或は反対になるであらう。しかし僕は不幸にも武さんのやうに信仰にはひつてゐない。従つて考への喰ひ違ふのはやむを得ないことと思つてゐる。 (昭和二・五・六)
底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行 入力:j.utiyama 校正:j.utiyama 1999年2月15日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000157", "作品名": "素描三題", "作品名読み": "そびょうさんだい", "ソート用読み": "そひようさんたい", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-02-15T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card157.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集 第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1971(昭和46)年10月5日初版第5刷", "校正に使用した版1": "1971(昭和46)年10月5日初版第5刷", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "j.utiyama", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/157_ruby_1508.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "4", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/157_15212.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
     一 大震雑記       一  大正十二年八月、僕は一游亭と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となつた。僕等の座敷の軒先はずつと藤棚になつてゐる。その又藤棚の葉の間にはちらほら紫の花が見えた。八月の藤の花は年代記ものである。そればかりではない。後架の窓から裏庭を見ると、八重の山吹も花をつけてゐる。   山吹を指すや日向の撞木杖    一游亭    (註に曰、一游亭は撞木杖をついてゐる。)  その上又珍らしいことは小町園の庭の池に菖蒲も蓮と咲き競つてゐる。   葉を枯れて蓮と咲ける花あやめ  一游亭  藤、山吹、菖蒲と数へてくると、どうもこれは唯事ではない。「自然」に発狂の気味のあるのは疑ひ難い事実である。僕は爾来人の顔さへ見れば、「天変地異が起りさうだ」と云つた。しかし誰も真に受けない。久米正雄の如きはにやにやしながら、「菊池寛が弱気になつてね」などと大いに僕を嘲弄したものである。  僕等の東京に帰つたのは八月二十五日である。大地震はそれから八日目に起つた。 「あの時は義理にも反対したかつたけれど、実際君の予言は中つたね。」  久米も今は僕の予言に大いに敬意を表してゐる。さう云ふことならば白状しても好い。――実は僕も僕の予言を余り信用しなかつたのだよ。       二 「浜町河岸の舟の中に居ります。桜川三孝。」  これは吉原の焼け跡にあつた無数の貼り紙の一つである。「舟の中に居ります」と云ふのは真面目に書いた文句かも知れない。しかし哀れにも風流である。僕はこの一行の中に秋風の舟を家と頼んだ幇間の姿を髣髴した。江戸作者の写した吉原は永久に還つては来ないであらう。が、兎に角今日と雖も、かう云ふ貼り紙に洒脱の気を示した幇間のゐたことは確かである。       三  大地震のやつと静まつた後、屋外に避難した人人は急に人懐しさを感じ出したらしい。向う三軒両隣を問はず、親しさうに話し合つたり、煙草や梨をすすめ合つたり、互に子供の守りをしたりする景色は、渡辺町、田端、神明町、――殆ど至る処に見受けられたものである。殊に田端のポプラア倶楽部の芝生に難を避けてゐた人人などは、背景にポプラアの戦いでゐるせゐか、ピクニツクに集まつたのかと思ふ位、如何にも楽しさうに打ち解けてゐた。  これは夙にクライストが「地震」の中に描いた現象である。いや、クライストはその上に地震後の興奮が静まるが早いか、もう一度平生の恩怨が徐ろに目ざめて来る恐しささへ描いた。するとポプラア倶楽部の芝生に難を避けてゐた人人もいつ何時隣の肺病患者を駆逐しようと試みたり、或は又向うの奥さんの私行を吹聴して歩かうとするかも知れない。それは僕でも心得てゐる。しかし大勢の人人の中にいつにない親しさの湧いてゐるのは兎に角美しい景色だつた。僕は永久にあの記憶だけは大事にして置きたいと思つてゐる。       四  僕も今度は御多分に洩れず、焼死した死骸を沢山見た。その沢山の死骸のうち最も記憶に残つてゐるのは、浅草仲店の収容所にあつた病人らしい死骸である。この死骸も炎に焼かれた顔は目鼻もわからぬほどまつ黒だつた。が、湯帷子を着た体や痩せ細つた手足などには少しも焼け爛れた痕はなかつた。しかし僕の忘れられぬのは何もさう云ふ為ばかりではない。焼死した死骸は誰も云ふやうに大抵手足を縮めてゐる。けれどもこの死骸はどう云ふ訣か、焼け残つたメリンスの布団の上にちやんと足を伸ばしてゐた。手も亦覚悟を極めたやうに湯帷子の胸の上に組み合はせてあつた。これは苦しみ悶えた死骸ではない。静かに宿命を迎へた死骸である。もし顔さへ焦げずにゐたら、きつと蒼ざめた脣には微笑に似たものが浮んでゐたであらう。  僕はこの死骸をもの哀れに感じた。しかし妻にその話をしたら、「それはきつと地震の前に死んでゐた人の焼けたのでせう」と云つた。成程さう云はれて見れば、案外そんなものだつたかも知れない。唯僕は妻の為に小説じみた僕の気もちの破壊されたことを憎むばかりである。       五  僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。  戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草を啣へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「譃だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや譃だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「譃さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも譃か」と忽ち自説(?)を撤回した。  再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。  尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。       六  僕は丸の内の焼け跡を通つた。此処を通るのは二度目である。この前来た時には馬場先の濠に何人も泳いでゐる人があつた。けふは――僕は見覚えのある濠の向うを眺めた。堀の向うには薬研なりに石垣の崩れた処がある。崩れた土は丹のやうに赤い。崩れぬ土手は青芝の上に不相変松をうねらせてゐる。其処にけふも三四人、裸の人人が動いてゐた。何もさう云ふ人人は酔興に泳いでゐる訣ではあるまい。しかし行人たる僕の目にはこの前も丁度西洋人の描いた水浴の油画か何かのやうに見えた、今日もそれは同じである。いや、この前はこちらの岸に小便をしてゐる土工があつた。けふはそんなものを見かけぬだけ、一層平和に見えた位である。  僕はかう云ふ景色を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起つた。歌は「懐しのケンタツキイ」である。歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。けれども歌は一瞬の間にいつか僕を捉へてゐた否定の精神を打ち破つたのである。  芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。  僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだつた。      二 大震日録  八月二十五日。  一游亭と鎌倉より帰る。久米、田中、菅、成瀬、武川など停車場へ見送りに来る。一時ごろ新橋着。直ちに一游亭とタクシイを駆り、聖路加病院に入院中の遠藤古原草を見舞ふ。古原草は病殆ど癒え、油画具など弄び居たり。風間直得と落ち合ふ。聖路加病院は病室の設備、看護婦の服装等、清楚甚だ愛すべきものあり。一時間の後、再びタクシイを駆りて一游亭を送り、三時ごろやつと田端へ帰る。  八月二十九日  暑気甚し。再び鎌倉に遊ばんかなどとも思ふ。薄暮より悪寒。検温器を用ふれば八度六分の熱あり。下島先生の来診を乞ふ。流行性感冒のよし。母、伯母、妻、児等、皆多少風邪の気味あり。  八月三十一日。  病聊か快きを覚ゆ。床上「澀江抽斎」を読む。嘗て小説「芋粥」を艸せし時、「殆ど全く」なる語を用ひ、久米に笑はれたる記憶あり。今「抽斎」を読めば、鴎外先生も亦「殆ど全く」の語を用ふ。一笑を禁ずる能はず。  九月一日。  午ごろ茶の間にパンと牛乳を喫し了り、将に茶を飲まんとすれば、忽ち大震の来るあり。母と共に屋外に出づ。妻は二階に眠れる多加志を救ひに去り、伯母は又梯子段のもとに立ちつつ、妻と多加志とを呼んでやまず、既にして妻と伯母と多加志を抱いて屋外に出づれば、更に又父と比呂志とのあらざるを知る。婢しづを、再び屋内に入り、倉皇比呂志を抱いて出づ。父亦庭を回つて出づ。この間家大いに動き、歩行甚だ自由ならず。屋瓦の乱墜するもの十余。大震漸く静まれば、風あり、面を吹いて過ぐ。土臭殆ど噎ばんと欲す。父と屋の内外を見れば、被害は屋瓦の墜ちたると石燈籠の倒れたるのみ。  円月堂、見舞ひに来る。泰然自若たる如き顔をしてゐれども、多少は驚いたのに違ひなし。病を力めて円月堂と近鄰に住する諸君を見舞ふ。途上、神明町の狭斜を過ぐれば、人家の倒壊せるもの数軒を数ふ。また月見橋のほとりに立ち、遙かに東京の天を望めば、天、泥土の色を帯び、焔煙の四方に飛騰する見る。帰宅後、電燈の点じ難く、食糧の乏しきを告げんことを惧れ、蝋燭米穀蔬菜罐詰の類を買ひ集めしむ。  夜また円月堂の月見橋のほとりに至れば、東京の火災愈猛に、一望大いなる熔鉱炉を見るが如し。田端、日暮里、渡辺町等の人人、路上に椅子を据ゑ畳を敷き、屋外に眠らとするもの少からず。帰宅後、大震の再び至らざるべきを説き、家人を皆屋内に眠らしむ。電燈、瓦斯共に用をなさず、時に二階の戸を開けば、天色常に燃ゆるが如く紅なり。  この日、下島先生の夫人、単身大震中の薬局に入り、薬剤の棚の倒れんとするを支ふ。為めに出火の患なきを得たり。胆勇、僕などの及ぶところにあらず。夫人は澀江抽斎の夫人いほ女の生れ変りか何かなるべし。  九月二日。  東京の天、未だ煙に蔽はれ、灰燼の時に庭前に墜つるを見る。円月堂に請ひ、牛込、芝等の親戚を見舞はしむ。東京全滅の報あり。又横浜並びに湘南地方全滅の報あり。鎌倉に止まれる知友を思ひ、心頻りに安からず。薄暮円月堂の帰り報ずるを聞けば、牛込は無事、芝、焦土と化せりと云ふ。姉の家、弟の家、共に全焼し去れるならん。彼等の生死だに明らかならざるを憂ふ。  この日、避難民の田端を経て飛鳥山に向ふもの、陸続として絶えず。田端も亦延焼せんことを惧れ、妻は児等の衣をバスケツトに収め、僕は漱石先生の書一軸を風呂敷に包む。家具家財の荷づくりをなすも、運び難からんことを察すればなり。人慾素より窮まりなしとは云へ、存外又あきらめることも容易なるが如し。夜に入りて発熱三十九度。時に○○○○○○○○あり。僕は頭重うして立つ能はず。円月堂、僕の代りに徹宵警戒の任に当る。脇差を横たへ、木刀を提げたる状、彼自身宛然たる○○○○なり。      三 大震に際せる感想  地震のことを書けと云ふ雑誌一つならず。何をどう書き飛ばすにせよ、さうは註文に応じ難ければ、思ひつきたること二三を記してやむべし。幸ひに孟浪を咎むること勿れ。  この大震を天譴と思へとは渋沢子爵の云ふところなり。誰か自ら省れば脚に疵なきものあらんや。脚に疵あるは天譴を蒙る所以、或は天譴を蒙れりと思ひ得る所以なるべし、されど我は妻子を殺し、彼は家すら焼かれざるを見れば、誰か又所謂天譴の不公平なるに驚かざらんや。不公平なる天譴を信ずるは天譴を信ぜざるに若かざるべし。否、天の蒼生に、――当世に行はるる言葉を使へば、自然の我我人間に冷淡なることを知らざるべからず。  自然は人間に冷淡なり。大震はブウルジヨアとプロレタリアとを分たず。猛火は仁人と溌皮とを分たず。自然の眼には人間も蚤も選ぶところなしと云へるトウルゲネフの散文詩は真実なり。のみならず人間の中なる自然も、人間の中なる人間に愛憐を有するものにあらず。大震と猛火とは東京市民に日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食はしめたり。もし救護にして至らざりとせば、東京市民は野獣の如く人肉を食ひしやも知るべからず。  日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食はしめし境遇の惨は恐るべし。されど鶴と家鴨とを――否、人肉を食ひしにもせよ、食ひしことは恐るるに足らず。自然は人間に冷淡なればなり。人間の中なる自然も又人間の中なる人間に愛憐を垂るることなければなり。鶴と家鴨とを食へるが故に、東京市民を獣心なりと云ふは、――惹いては一切人間を禽獣と選ぶことなしと云ふは、畢竟意気地なきセンテイメンタリズムのみ。  自然は人間に冷淡なり。されど人間なるが故に、人間たる事実を軽蔑すべからず。人間たる尊厳を抛棄すべからず。人肉を食はずんば生き難しとせよ。汝とともに人肉を食はん。人肉を食うて腹鼓然たらば、汝の父母妻子を始め、隣人を愛するに躊躇することなかれ。その後に尚余力あらば、風景を愛し、芸術を愛し、万般の学問を愛すべし。  誰か自ら省れば脚に疵なきものあらんや。僕の如きは両脚の疵、殆ど両脚を中断せんとす。されど幸ひにこの大震を天譴なりと思ふ能はず。況んや天譴の不公平なるにも呪詛の声を挙ぐる能はず。唯姉弟の家を焼かれ、数人の知友を死せしめしが故に、已み難き遺憾を感ずるのみ。我等は皆歎くべし、歎きたりと雖も絶望すべからず。絶望は死と暗黒とへの門なり。  同胞よ。面皮を厚くせよ。「カンニング」を見つけられし中学生の如く、天譴なりなどと信ずること勿れ。僕のこの言を倣す所以は、渋沢子爵の一言より、滔滔と何でもしやべり得る僕の才力を示さんが為なり。されどかならずしもその為のみにはあらず。同胞よ。冷淡なる自然の前に、アダム以来の人間を樹立せよ。否定的精神の奴隷となること勿れ。      四 東京人  東京に生まれ、東京に育ち、東京に住んでゐる僕は未だ嘗て愛郷心なるものに同情を感じた覚えはない。又同情を感じないことを得意としてゐたのも確かである。  元来愛郷心なるものは、県人会の世話にもならず、旧藩主の厄介にもならない限り、云はば無用の長物である。東京を愛するのもこの例に洩れない。兎角東京東京と難有さうに騒ぎまはるのはまだ東京の珍らしい田舎者に限つたことである。――さう僕は確信してゐた。  すると大地震のあつた翌日、大彦の野口君に遇つた時である。僕は一本のサイダアを中に、野口君といろいろ話をした。一本のサイダアを中になどと云ふと、或は気楽さうに聞えるかも知れない。しかし東京の大火の煙は田端の空さへ濁らせてゐる。野口君もけふは元禄袖の紗の羽織などは着用してゐない。何だか火事頭巾の如きものに雲龍の刺つ子と云ふ出立ちである。僕はその時話の次手にもう続続罹災民は東京を去つてゐると云ふ話をした。 「そりやあなた、お国者はみんな帰つてしまふでせう。――」  野口君は言下にかう云つた。 「その代りに江戸つ児だけは残りますよ。」  僕はこの言葉を聞いた時に、ちよいと或心強さを感じた。それは君の服装の為か、空を濁らせた煙の為か、或は又僕自身も大地震に悸えてゐた為か、その辺の消息ははつきりしない。しかし兎に角その瞬間、僕も何か愛郷心に似た、勇ましい気のしたのは事実である。やはり僕の心の底には幾分か僕の軽蔑してゐた江戸つ児の感情が残つてゐるらしい。      五 廃都東京  加藤武雄様。東京を弔ふの文を作れと云ふ仰せは正に拝承しました。又おひきうけしたことも事実であります。しかしいざ書かうとなると、匇忙の際でもあり、どうも気乗りがしませんから、この手紙で御免を蒙りたいと思ひます。  応仁の乱か何かに遇つた人の歌に、「汝も知るや都は野べの夕雲雀揚るを見ても落つる涙は」と云ふのがあります。丸の内の焼け跡を歩いた時にはざつとああ云ふ気がしました。水木京太氏などは銀座を通ると、ぽろぽろ涙が出たさうであります。(尤も全然センテイメンタルな気もちなしにと云ふ断り書があるのですが)けれども僕は「落つる涙は」と云ふ気がしたきり、実際は涙を落さずにすみました。その外不謹慎の言葉かも知れませんが、ちよいともの珍しかつたことも事実であります。 「落つる涙は」と云ふ気のしたのは、勿論こんなにならぬ前の東京を思ひ出した為であります。しかし大いに東京を惜しんだと云ふ訣ぢやありません。僕はこんなにならぬ前の東京に余り愛惜を持たずにゐました。と云つても僕を江戸趣味の徒と速断してはいけません、僕は知りもせぬ江戸の昔に依依恋恋とする為には余りに散文的に出来てゐるのですから。僕の愛する東京は僕自身の見た東京、僕自身の歩いた東京なのです。銀座に柳の植つてゐた、汁粉屋の代りにカフエの殖えない、もつと一体に落ち着いてゐた、――あなたもきつと知つてゐるでせう、云はば麦稈帽はかぶつてゐても、薄羽織を着てゐた東京なのです。その東京はもう消え失せたのですから、同じ東京とは云ふものの、何処か折り合へない感じを与へられてゐました。それが今焦土に変つたのです。僕はこの急劇な変化の前に俗悪な東京を思ひ出しました。が、俗悪な東京を惜しむ気もちは、――いや、丸の内の焼け跡を歩いた時には惜しむ気もちにならなかつたにしろ、今は惜しんでゐるのかも知れません。どうもその辺はぼんやりしてゐます。僕はもう俗悪な東京にいつか追憶の美しさをつけ加へてゐるやうな気がしますから。つまり一番確かなのは「落つる涙は」と云ふ気のしたことです。僕の東京を弔ふ気もちもこの一語を出ないことになるのでせう。「落つる涙は」、――これだけではいけないでせうか?  何だかとりとめもない事ばかり書きましたが、どうか悪しからず御赦し下さい。僕はこの手紙を書いて了ふと、僕の家に充満した焼け出されの親戚故旧と玄米の夕飯を食ふのです。それから堤燈に蝋燭をともして、夜警の詰所へ出かけるのです。以上。      六 震災の文芸に与ふる影響  大地震の災害は戦争や何かのやうに、必然に人間のうみ出したものではない。ただ大地の動いた結果、火事が起つたり、人が死んだりしたのにすぎない。それだけに震災の我我作家に与へる影響はさほど根深くはないであらう。すくなくとも、作家の人生観を一変することなどはないであらう。もし、何か影響があるとすれば、かういふことはいはれるかも知れぬ。  災害の大きかつただけにこんどの大地震は、我我作家の心にも大きな動揺を与へた。我我ははげしい愛や、憎しみや、憐みや、不安を経験した。在来、我我のとりあつかつた人間の心理は、どちらかといへばデリケエトなものである。それへ今度はもつと線の太い感情の曲線をゑがいたものが新に加はるやうになるかも知れない。勿論その感情の波を起伏させる段取りには大地震や火事を使ふのである。事実はどうなるかわからぬが、さういふ可能性はありさうである。  また大地震後の東京は、よし復興するにせよ、さしあたり殺風景をきはめるだらう。そのために我我は在来のやうに、外界に興味を求めがたい。すると我我自身の内部に、何か楽みを求めるだらう。すくなくとも、さういふ傾向の人は更にそれを強めるであらう。つまり、乱世に出合つた支那の詩人などの隠棲の風流を楽しんだと似たことが起りさうに思ふのである。これも事実として予言は出来ぬが、可能性はずゐぶんありさうに思ふ。  前の傾向は多数へ訴へる小説をうむことになりさうだし、後の傾向は少数に訴へる小説をうむことになる筈である。即ち両者の傾向は相反してゐるけれども、どちらも起らぬと断言しがたい。      七 古書の焼失を惜しむ  今度の地震で古美術品と古書との滅びたのは非常に残念に思ふ。表慶館に陳列されてゐた陶器類は殆ど破損したといふことであるが、その他にも損害は多いにちがひない。然し古美術品のことは暫らく措き古書のことを考へると黒川家の蔵書も焼け、安田家の蔵書も焼け大学の図書館の蔵書も焼けたのは取り返しのつかない損害だらう。商売人でも村幸とか浅倉屋とか吉吉だとかいふのが焼けたからその方の罹害も多いにちがひない。個人の蔵書は兎も角も大学図書館の蔵書の焼かれたことは何んといつても大学の手落ちである。図書館の位置が火災の原因になりやすい医科大学の薬品のあるところと接近してゐるのも宜敷くない。休日などには図書館に小使位しか居ないのも宜しくない、(その為めに今度のやうな火災にもどういふ本が貴重かがわからず、従って貴重な本を出すことも出来なかつたらしい。)書庫そのものの構造のゾンザイなのも宜敷くない。それよりももつと突き詰めたことをいへば、大学が古書を高閣に束ねるばかりで古書の覆刻を盛んにしなかつたのも宜敷くない。徒らに材料を他に示すことを惜んで竟にその材料を烏有に帰せしめた学者の罪は鼓を鳴らして攻むべきである。大野洒竹の一生の苦心に成つた洒竹文庫の焼け失せた丈けでも残念で堪らぬ。「八九間雨柳」といふ士朗の編んだ俳書などは勝峯晉風氏の文庫と天下に二冊しかなかつたやうに記憶してゐるが、それも今は一冊になつてしまつた訣だ。 (大正十二年九月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003762", "作品名": "大正十二年九月一日の大震に際して", "作品名読み": "たいしょうじゅうにねんくがつついたちのだいしんにさいして", "ソート用読み": "たいしようしゆうにねんくかつついたちのたいしんにさいして", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914 915", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3762.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_ruby_27273.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_27361.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
一 本所  大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。殊に彼の家のまわりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかった。おまけに又その道の突き当りはお竹倉の大溝だった。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。彼は勿論こう言う町々に憂欝を感ぜずにはいられなかった。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小綺麗な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網を、割り下水を、榛の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。それは或は愛よりも憐みに近いものだったかも知れない。が、憐みだったにもせよ、三十年後の今日さえ時々彼の夢に入るものは未だにそれ等の場所ばかりである…………  信輔はもの心を覚えてから、絶えず本所の町々を愛した。並み木もない本所の町々はいつも砂埃りにまみれていた。が、幼い信輔に自然の美しさを教えたのはやはり本所の町々だった。彼はごみごみした往来に駄菓子を食って育った少年だった。田舎は――殊に水田の多い、本所の東に開いた田舎はこう言う育ちかたをした彼には少しも興味を与えなかった。それは自然の美しさよりも寧ろ自然の醜さを目のあたりに見せるばかりだった。けれども本所の町々はたとい自然には乏しかったにもせよ、花をつけた屋根の草や水たまりに映った春の雲に何かいじらしい美しさを示した。彼はそれ等の美しさの為にいつか自然を愛し出した。尤も自然の美しさに次第に彼の目を開かせたものは本所の町々には限らなかった。本も、――彼の小学時代に何度も熱心に読み返した蘆花の「自然と人生」やラボックの翻訳「自然美論」も勿論彼を啓発した。しかし彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは確かに本所の町々だった。家々も樹木も往来も妙に見すぼらしい町々だった。  実際彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは見すぼらしい本所の町々だった。彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。が、荒あらしい木曾の自然は常に彼を不安にした。又優しい瀬戸内の自然も常に彼を退屈にした。彼はそれ等の自然よりも遥かに見すぼらしい自然を愛した。殊に人工の文明の中にかすかに息づいている自然を愛した。三十年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、――こう言う自然の美しさをまだ至る所に残していた。彼は彼の友だちのように日光や鎌倉へ行かれなかった。けれども毎朝父と一しょに彼の家の近所へ散歩に行った。それは当時の信輔には確かに大きい幸福だった。しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける幸福だった。  或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭へ散歩に行った。百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だった。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。広い河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣を尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちに忽ちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸が一人、磯臭い水草や五味のからんだ乱杭の間に漂っていた。――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。 二 牛乳  信輔は全然母の乳を吸ったことのない少年だった。元来体の弱かった母は一粒種の彼を産んだ後さえ、一滴の乳も与えなかった。のみならず乳母を養うことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだった。彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育って来た。それは当時の信輔には憎まずにはいられぬ運命だった。彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜を軽蔑した。又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知っている彼の友だちを羨望した。現に小学へはいった頃、年の若い彼の叔母は年始か何かに来ているうちに乳の張ったのを苦にし出した。乳は真鍮の嗽い茶碗へいくら絞っても出て来なかった。叔母は眉をひそめたまま、半ば彼をからかうように「信ちゃんに吸って貰おうか?」と言った。けれども牛乳に育った彼は勿論吸いかたを知る筈はなかった。叔母はとうとう隣の子に――穴蔵大工の女の子に固い乳房を吸って貰った。乳房は盛り上った半球の上へ青い静脈をかがっていた。はにかみ易い信輔はたとい吸うことは出来たにもせよ、到底叔母の乳などを吸うことは出来ないのに違いなかった。が、それにも関らずやはり隣の女の子を憎んだ。同時に又隣の女の子に乳を吸わせる叔母を憎んだ。この小事件は彼の記憶に重苦しい嫉妬ばかり残している。が、或はその外にも彼の Vita sexualis は当時にはじまっていたのかも知れない。………  信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥じた。これは彼の秘密だった。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だった。この秘密は又当時の彼には或迷信をも伴っていた。彼は只頭ばかり大きい、無気味なほど痩せた少年だった。のみならずはにかみ易い上にも、磨ぎ澄ました肉屋の庖丁にさえ動悸の高まる少年だった。その点は――殊にその点は伏見鳥羽の役に銃火をくぐった、日頃胆勇自慢の父とは似ても似つかぬのに違いなかった。彼は一体何歳からか、又どう言う論理からか、この父に似つかぬことを牛乳の為と確信していた。いや、体の弱いことをも牛乳の為と確信していた。若し牛乳の為とすれば、少しでも弱みを見せたが最後、彼の友だちは彼の秘密を看破してしまうのに違いなかった。彼はその為にどう言う時でも彼の友だちの挑戦に応じた。挑戦は勿論一つではなかった。或時はお竹倉の大溝を棹も使わずに飛ぶことだった。或時は回向院の大銀杏へ梯子もかけずに登ることだった。或時は又彼等の一人と殴り合いの喧嘩をすることだった。信輔は大溝を前にすると、もう膝頭の震えるのを感じた。けれどもしっかり目をつぶったまま、南京藻の浮かんだ水面を一生懸命に跳り越えた。この恐怖や逡巡は回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だった。このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷痕を残した。恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になった父の小言を覚えている。――「貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。」  しかし彼の迷信は幸にも次第に消えて行った。のみならず彼は西洋史の中に少くとも彼の迷信には反証に近いものを発見した。それは羅馬の建国者ロミュルスに乳を与えたものは狼であると言う一節だった。彼は母の乳を知らぬことに爾来一層冷淡になった。いや、牛乳に育ったことは寧ろ彼の誇りになった。信輔は中学へはいった春、年とった彼の叔父と一しょに、当時叔父が経営していた牧場へ行ったことを覚えている。殊にやっと柵の上へ制服の胸をのしかけたまま、目の前へ歩み寄った白牛に干し草をやったことを覚えている。牛は彼の顔を見上げながら、静かに干し草へ鼻を出した。彼はその顔を眺めた時、ふとこの牛の瞳の中に何にか人間に近いものを感じた。空想?――或は空想かも知れない。が、彼の記憶の中には未だに大きい白牛が一頭、花を盛った杏の枝の下の柵によった彼を見上げている。しみじみと、懐しそうに。……… 三 貧困  信輔の家庭は貧しかった。尤も彼等の貧困は棟割長屋に雑居する下流階級の貧困ではなかった。が、体裁を繕う為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級の貧困だった。退職官吏だった、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬して行かなければならなかった。その為には勿論節倹の上にも節倹を加えなければならなかった。彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構えの家に住んでいた。けれども新らしい着物などは誰一人滅多に造らなかった。父は常に客にも出されぬ悪酒の晩酌に甘んじていた。母もやはり羽織の下にはぎだらけの帯を隠していた。信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えている。机は古いのを買ったものの、上へ張った緑色の羅紗も、銀色に光った抽斗の金具も一見小綺麗に出来上っていた。が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかった。これは彼の机よりも彼の家の象徴だった。体裁だけはいつも繕わなければならぬ彼の家の生活の象徴だった。………  信輔はこの貧困を憎んだ。いや、今もなお当時の憎悪は彼の心の奥底に消し難い反響を残している。彼は本を買われなかった。夏期学校へも行かれなかった。新らしい外套も着られなかった。が、彼の友だちはいずれもそれ等を受用していた。彼は彼等を羨んだ。時には彼等を妬みさえした。しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯じなかった。それは彼等の才能を軽蔑している為だった。けれども貧困に対する憎悪は少しもその為に変らなかった。彼は古畳を、薄暗いランプを、蔦の画の剥げかかった唐紙を、――あらゆる家庭の見すぼらしさを憎んだ。が、それはまだ好かった。彼は只見すぼらしさの為に彼を生んだ両親を憎んだ。殊に彼よりも背の低い、頭の禿げた父を憎んだ。父は度たび学校の保証人会議に出席した。信輔は彼の友だちの前にこう言う父を見ることを恥じた。同時にまた肉身の父を恥じる彼自身の心の卑しさを恥じた。国木田独歩を模倣した彼の「自ら欺かざるの記」はその黄ばんだ罫紙の一枚にこう言う一節を残している。―― 「予は父母を愛する能はず。否、愛する能はざるに非ず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。貌を以て人を取るは君子の恥づる所也。況や父母の貌を云々するをや。然れども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。……」  けれどもこう言う見すぼらしさよりも更に彼の憎んだのは貧困に発した偽りだった。母は「風月」の菓子折につめたカステラを親戚に進物にした。が、その中味は「風月」所か、近所の菓子屋のカステラだった。父も、――如何に父は真事しやかに「勤倹尚武」を教えたであろう。父の教えた所によれば、古い一冊の玉篇の外に漢和辞典を買うことさえ、やはり「奢侈文弱」だった! のみならず信輔自身も亦嘘に嘘を重ねることは必しも父母に劣らなかった。それは一月五十銭の小遣いを一銭でも余計に貰った上、何よりも彼の餓えていた本や雑誌を買う為だった。彼はつり銭を落したことにしたり、ノオト・ブックを買うことにしたり、学友会の会費を出すことにしたり、――あらゆる都合の好い口実のもとに父母の金銭を盗もうとした。それでもまだ金の足りない時には巧みに両親の歓心を買い、翌月の小遣いを捲き上げようとした。就中彼に甘かった老年の母に媚びようとした。勿論彼には彼自身の嘘も両親の嘘のように不快だった。しかし彼は嘘をついた。大胆に狡猾に嘘をついた。それは彼には何よりも先に必要だったのに違いなかった。が、同時に又病的な愉快を、――何か神を殺すのに似た愉快を与えたのにも違いなかった。彼は確かにこの点だけは不良少年に接近していた。彼の「自ら欺かざるの記」はその最後の一枚にこう言う数行を残している。―― 「独歩は恋を恋すと言へり。予は憎悪を憎悪せんとす。貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。……」  これは信輔の衷情だった。彼はいつか貧困に対する憎悪そのものをも憎んでいた。こう言う二重に輪を描いた憎悪は二十前の彼を苦しめつづけた。尤も多少の幸福は彼にも全然ない訣ではなかった。彼は試験の度ごとに三番か四番の成績を占めた。又或下級の美少年は求めずとも彼に愛を示した。しかしそれ等も信輔には曇天を洩れる日の光だった。憎悪はどう言う感情よりも彼の心を圧していた。のみならずいつか彼の心へ消し難い痕跡を残していた。彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはいられなかった。同時に又貧困と同じように豪奢をも憎まずにはいられなかった。豪奢をも、――この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与える烙印だった。或は中流下層階級の貧困だけの与える烙印だった。彼は今日も彼自身の中にこの憎悪を感じている。この貧困と闘わなければならぬ Petty Bourgeois の道徳的恐怖を。……  丁度大学を卒業した秋、信輔は法科に在学中の或友だちを訪問した。彼等は壁も唐紙も古びた八畳の座敷に話していた。其後へ顔を出したのは六十前後の老人だった。信輔はこの老人の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。 「僕の父。」  彼の友だちは簡単にこうその老人を紹介した。老人は寧ろ傲然と信輔の挨拶を聞き流した。それから奥へはいる前に、「どうぞ御ゆっくり。あすこに椅子もありますから」と言った。成程二脚の肘かけ椅子は黒ずんだ縁側に並んでいた。が、それ等は腰の高い、赤いクッションの色の褪めた半世紀前の古椅子だった。信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。同時に又彼の友だちも彼のように父を恥じているのを感じた。こう言う小事件も彼の記憶に苦しいほどはっきりと残っている。思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与えるかも知れない。しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だった。下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だった。 四 学校  学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅かに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。尤も信輔は中学時代にはこう言う事実を認めなかった。少くともはっきりとは認めなかった。しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のように信輔の心を圧しはじめた。彼は大学や高等学校にいる時、何度も廃学を計画した。けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇叭の音は刻薄な響を伝えたであろう。如何に又グラウンドのポプラアは憂欝な色に茂っていたであろう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さえすれば、必しも苦しい仕事ではなかった。が、無用の小智識と言う事実をも忘れるのは困難だった。ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとえば第一のバケツの水をまず第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言うように、無用の労役を強いられた囚徒の自殺することを語っている。信輔は鼠色の校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦ぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――  のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。現に彼等の或ものは、――達磨と言う諢名のある英語の教師は「生意気である」と言う為に度たび信輔に体刑を課した。が、その「生意気である」所以は畢竟信輔の独歩や花袋を読んでいることに外ならなかった。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑した。信輔は或時赫とした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜に厳罰を課せずには措かなかった。その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙ったことは枚挙し難い位だった。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもこう言う屈辱を反撥しなければならなかった。さもなければあらゆる不良少年のように彼自身を軽んずるのに了るだけだった。彼はその自彊術の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。―― 「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。 「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。 「その二は軽佻浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。 「その三は傲慢也。傲慢とは妄に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。  しかし教師も悉く彼を迫害した訣ではなかった。彼等の或ものは家族を加えた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交える妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでいる為だった。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでいる為だった。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞われなかった。のみならず時には不自然に巻煙草の箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。解釈するのも亦尤もだった。彼は元来人好きのする生徒ではないのに違いなかった。彼の筺底の古写真は体と不吊合に頭の大きい、徒らに目ばかり赫かせた、病弱らしい少年を映している。しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持った質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としているのだった!  信輔は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、所謂操行点だけは一度も六点を上らなかった。彼は6と言うアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を楯に彼を嘲っているのは事実だった。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかった。彼はこう言う復讐を憎んだ。こう言う復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れている。中学は彼には悪夢だった。けれども悪夢だったことは必しも不幸とは限らなかった。彼はその為に少くとも孤独に堪える性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももっと苦しかったであろう。彼は彼の夢みていたように何冊かの本の著者になった。しかし彼に与えられたものは畢竟落寞とした孤独だった。この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずるより外に仕かたのないことを知った今日、二十年の昔をふり返って見れば、彼を苦しめた中学の校舎は寧ろ美しい薔薇色をした薄明りの中に横わっている。尤もグラウンドのポプラアだけは不相変欝々と茂った梢に寂しい風の音を宿しながら。……… 五 本  本に対する信輔の情熱は小学時代から始まっていた。この情熱を彼に教えたものは父の本箱の底にあった帝国文庫本の水滸伝だった。頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のもとに何度も「水滸伝」を読み返した。のみならず本を開かぬ時にも替天行道の旗や景陽岡の大虎や菜園子張青の梁に吊った人間の腿を想像した。想像?――しかしその想像は現実よりも一層現実的だった。彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に「水滸伝」中の人物と、――一丈青扈三娘や花和尚魯智深と格闘した。この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えている。いや、几上、車上、厠上、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えている。木剣は勿論「水滸伝」以来二度と彼の手に取られなかった。が、彼は本の上に何度も笑ったり泣いたりした。それは言わば転身だった。本の中の人物に変ることだった。彼は天竺の仏のように無数の過去生を通り抜けた。イヴァン・カラマゾフを、ハムレットを、公爵アンドレエを、ドン・ジュアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかった。現に或晩秋の午後、彼は小遣いを貰う為に年とった叔父を訪問した。叔父は長州萩の人だった。彼はことさらに叔父の前に滔々と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山県有朋に至る長州の人材を讃嘆した。が、この虚偽の感激に充ちた、顔色の蒼白い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジュリアン・ソレル――「赤と黒」の主人公だった。  こう言う信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だったのかも知れなかった。が、街頭の行人は彼には只行人だった。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。本を、――殊に世紀末の欧羅巴の産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやっと彼の前に展開する人間喜劇を発見した。いや、或は善悪を分たぬ彼自身の魂をも発見した。それは人生には限らなかった。彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加えたのはやはり何冊かの愛読書、――就中元禄の俳諧だった。彼はそれ等を読んだ為に「都に近き山の形」を、「欝金畠の秋の風」を、「沖の時雨の真帆片帆」を、「闇のかた行く五位の声」を、――本所の町々の教えなかった自然の美しさをも発見した。この「本から現実」へは常に信輔には真理だった。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教えなかった。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教えなかった。彼は日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影をゴオティエやバルザックやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝えている。若しそれ等に学ばなかったとすれば、彼は或は女の代りに牝ばかり発見していたかも知れない。…………  尤も貧しい信輔は到底彼の読むだけの本を自由に買うことは出来なかった。彼のこう言う困難をどうにかこうにか脱したのは第一に図書館のおかげだった。第二に貸本屋のおかげだった。第三に吝嗇の譏さえ招いだ彼の節倹のおかげだった。彼ははっきりと覚えている――大溝に面した貸本屋を、人の好い貸本屋の婆さんを、婆さんの内職にする花簪を。婆さんはやっと小学へ入った「坊ちゃん」の無邪気を信じていた。が、その「坊ちゃん」はいつの間にか本を探がす風を装いながら、偸み読みをすることを発明していた。彼は又はっきりと覚えている。――古本屋ばかりごみごみ並んだ二十年前の神保町通りを、その古本屋の屋根の上に日の光を受けた九段坂の斜面を。勿論当時の神保町通りは電車も馬車も通じなかった。彼は――十二歳の小学生は弁当やノオト・ブックを小脇にしたまま、大橋図書館へ通う為に何度もこの通りを往復した。道のりは往復一里半だった。大橋図書館から帝国図書館へ。彼は帝国図書館の与えた第一の感銘をも覚えている。――高い天井に対する恐怖を、大きい窓に対する恐怖を、無数の椅子を埋め尽した無数の人々に対する恐怖を。が、恐怖は幸いにも二三度通ううちに消滅した。彼は忽ち閲覧室に、鉄の階段に、カタロオグの箱に、地下の食堂に親しみ出した。それから大学の図書館や高等学校の図書館へ。彼はそれ等の図書館に何百冊とも知れぬ本を借りた。又それ等の本の中に何十冊とも知れぬ本を愛した。しかし――  しかし彼の愛したのは――殆ど内容の如何を問わずに本そのものを愛したのはやはり彼の買った本だった。信輔は本を買う為めにカフエへも足を入れなかった。が、彼の小遣いは勿論常に不足だった。彼はその為めに一週に三度、親戚の中学生に数学(!)を教えた。それでもまだ金の足りぬ時はやむを得ず本を売りに行った。けれども売り価は新らしい本でも買い価の半ば以上になったことはなかった。のみならず永年持っていた本を古本屋の手に渡すことは常に彼には悲劇だった。彼は或薄雪の夜、神保町通りの古本屋を一軒一軒覗いて行った。その内に或古本屋に「ツアラトストラ」を一冊発見した。それも只の「ツアラトストラ」ではなかった。二月ほど前に彼の売った手垢だらけの「ツアラトストラ」だった。彼は店先きに佇んだまま、この古い「ツアラトストラ」を所どころ読み返した。すると読み返せば読み返すほど、だんだん懐しさを感じだした。 「これはいくらですか?」  十分ばかり立った後、彼は古本屋の女主人にもう「ツアラトストラ」を示していた。 「一円六十銭、――御愛嬌に一円五十銭にして置きましょう。」  信輔はたった七十銭にこの本を売ったことを思い出した。が、やっと売り価の二倍、――一円四十銭に価切った末、とうとうもう一度買うことにした。雪の夜の往来は家々も電車も何か微妙に静かだった。彼はこう言う往来をはるばる本郷へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした「ツアラトストラ」を感じていた。しかし又同時に口の中には何度も彼自身を嘲笑していた。…… 六 友だち  信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たといどう言う君子にもせよ、素行以外に取り柄のない青年は彼には用のない行人だった。いや、寧ろ顔を見る度に揶揄せずにはいられぬ道化者だった。それは操行点六点の彼には当然の態度に違いなかった。彼は中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通りぬける間に絶えず彼等を嘲笑した。勿論彼等の或ものは彼の嘲笑を憤った。しかし又彼等の或ものは彼の嘲笑を感ずる為にも余りに模範的君子だった。彼は「厭な奴」と呼ばれることには常に多少の愉快を感じた。が、如何なる嘲笑も更に手答えを与えないことには彼自身憤らずにはいられなかった。現にこう言う君子の一人――或高等学校の文科の生徒はリヴィングストンの崇拝者だった。同じ寄宿舎にいた信輔は或時彼に真事しやかにバイロンも亦リヴィングストン伝を読み、泣いてやまなかったと言う出たらめを話した。爾来二十年を閲した今日、このリヴィングストンの崇拝者は或基督教会の機関雑誌に不相変リヴィングストンを讃美している。のみならず彼の文章はこう言う一行に始まっている。――「悪魔的詩人バイロンさえ、リヴィングストンの伝記を読んで涙を流したと言うことは何を我々に教えるであろうか?」!  信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たとい君子ではないにもせよ、智的貪慾を知らない青年はやはり彼には路傍の人だった。彼は彼の友だちに優しい感情を求めなかった。彼の友だちは青年らしい心臓を持たぬ青年でも好かった。いや、所謂親友は寧ろ彼には恐怖だった。その代りに彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。頭脳を、――がっしりと出来上った頭脳を。彼はどう言う美少年よりもこう言う頭脳の持ち主を愛した。同時に又どう言う君子よりもこう言う頭脳の持ち主を憎んだ。実際彼の友情はいつも幾分か愛の中に憎悪を孕んだ情熱だった。信輔は今日もこの情熱以外に友情のないことを信じている。少くともこの情熱以外に Herr und Knecht の臭味を帯びない友情のないことを信じている。況んや当時の友だちは一面には相容れぬ死敵だった。彼は彼の頭脳を武器に、絶えず彼等と格闘した。ホイットマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあった。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行われたものに違いなかった。しかしおのずからその間に新しい観念や新しい美の姿を現したことも事実だった。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしていたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配していたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集って来た、大きい灯取虫を覚えている。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のようにぱたぱたと死んで行った。これは何も今更のように珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなおこの小事件を思い出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思い出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………  信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。標準は只それだけだった。しかしやはりこの標準にも全然例外のない訣ではなかった。それは彼の友だちと彼との間を截断する社会的階級の差別だった。信輔は彼と育ちの似寄った中流階級の青年には何のこだわりも感じなかった。が、纔かに彼の知った上流階級の青年には、――時には中流上層階級の青年にも妙に他人らしい憎悪を感じた。彼等の或ものは怠惰だった。彼等の或ものは臆病だった。又彼等の或ものは官能主義の奴隷だった。けれども彼の憎んだのは必しもそれ等の為ばかりではなかった。いや、寧ろそれ等よりも何か漠然としたものの為だった。尤も彼等の或ものも彼等自身意識せずにこの「何か」を憎んでいた。その為に又下流階級に、――彼等の社会的対蹠点に病的な惝怳を感じていた。彼は彼等に同情した。しかし彼の同情も畢竟役には立たなかった。この「何か」は握手する前にいつも針のように彼の手を刺した。或風の寒い四月の午後、高等学校の生徒だった彼は彼等の一人、――或男爵の長男と江の島の崖の上に佇んでいた。目の下はすぐに荒磯だった。彼等は「潜り」の少年たちの為に何枚かの銅貨を投げてやった。少年たちは銅貨の落ちる度にぽんぽん海の中へ跳りこんだ。しかし一人海女だけは崖の下に焚いた芥火の前に笑って眺めているばかりだった。 「今度はあいつも飛びこませてやる。」  彼の友だちは一枚の銅貨を巻煙草の箱の銀紙に包んだ。それから体を反らせたと思うと、精一ぱい銅貨を投げ飛ばした。銅貨はきらきら光りながら、風の高い浪の向うへ落ちた。するともう海女はその時にはまっ先に海へ飛びこんでいた。信輔は未だにありありと口もとに残酷な微笑を浮べた彼の友だちを覚えている。彼の友だちは人並み以上に語学の才能を具えていた。しかし又確かに人並み以上に鋭い犬歯をも具えていた。………… (以下続出)  附記 この小説はもうこの三四倍続けるつもりである。今度掲げるだけに「大導寺信輔の半生」と言う題は相当しないのに違いないが、他に替る題もない為にやむを得ず用いることにした。「大導寺信輔の半生」の第一篇と思って頂けば幸甚である。大正十三年十二月九日、作者記。
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館    1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第七卷」岩波書店    1978(昭和53)年2月22日発行 初出:「中央公論 第四十年第一号」    1925(大正14)年1月1日発行 入力:j.utiyama 校正:もりみつじゅんじ 1998年10月11日公開 2016年2月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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       一 本所  大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だつた。彼の記憶に残つてゐるものに美しい町は一つもなかつた。美しい家も一つもなかつた。殊に彼の家のまはりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだつた。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかつた。おまけに又その道の突き当たりはお竹倉の大溝だつた。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放つてゐた。彼は勿論かう言ふ町々に憂鬱を感ぜずにはゐられなかつた。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だつた。しもた家の多い山の手を始め小綺麗な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網を、割り下水を、榛の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。それは或は愛よりも憐みに近いものだつたかも知れない。が、憐みだつたにもせよ、三十年後の今日さへ時々彼の夢に入るものは未だにそれ等の場所ばかりである…………  信輔はもの心を覚えてから、絶えず本所の町々を愛した。並み木もない本所の町々はいつも砂埃りにまみれてゐた。が、幼い信輔に自然の美しさを教へたのはやはり本所の町々だつた。彼はごみごみした往来に駄菓子を食つて育つた少年だつた。田舎は――殊に水田の多い、本所の東に開いた田舎はかう言ふ育ちかたをした彼には少しも興味を与へなかつた。それは自然の美しさよりも寧ろ自然の醜さを目のあたりに見せるばかりだつた。けれども本所の町々はたとひ自然には乏しかつたにもせよ、花をつけた屋根の草や水たまりに映つた春の雲に何かいぢらしい美しさを示した。彼はそれ等の美しさの為にいつか自然を愛し出した。尤も自然の美しさに次第に彼の目を開かせたものは本所の町町には限らなかつた。本も、――彼の小学時代に何度も熱心に読み返した蘆花の「自然と人生」やラボツクの翻訳「自然美論」も勿論彼を啓発した。しかし彼の自然を見る目に最も影響を与へたのは確かに本所の町々だつた。家々も樹木も往来も妙に見すぼらしい町々だつた。  実際彼の自然を見る目に最も影響を与へたのは見すぼらしい本所の町々だつた。彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。が、荒あらしい木曾の自然は常に彼を不安にした。又優しい瀬戸内の自然も常に彼を退屈にした。彼はそれ等の自然よりも遥かに見すぼらしい自然を愛した。殊に人工の文明の中にかすかに息づいてゐる自然を愛した。三十年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、――かう言ふ自然の美しさをまだ至る所に残してゐた。彼は彼の友だちのやうに日光や鎌倉へ行かれなかつた。けれども毎朝父と一しよに彼の家の近所へ散歩に行つた。それは当時の信輔には確かに大きい幸福だつた。しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける幸福だつた。  或朝焼けの消えかかつた朝、父と彼とはいつものやうに百本杭へ散歩に行つた。百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だつた。しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかつた。広い河岸には石垣の間に舟虫の動いてゐるばかりだつた。彼は父に今朝に限つて釣り師の見えぬ訣を尋ねようとした。が、まだ口を開かぬうちに忽ちその答を発見した。朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸が一人、磯臭い水草や五味のからんだ乱杭の間に漂つてゐた。――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えてゐる。三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だつた。        二 牛乳  信輔は全然母の乳を吸つたことのない少年だつた。元来体の弱かつた母は一粒種の彼を産んだ後さへ、一滴の乳も与へなかつた。のみならず乳母を養ふことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだつた。彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育つて来た。それは当時の信輔には憎まずにはゐられぬ運命だつた。彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜を軽蔑した。又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知つてゐる彼の友だちを羨望した。現に小学へはひつた頃、年の若い彼の叔母は年始か何かに来てゐるうちに乳の張つたのを苦にし出した。乳は真鍮の嗽ひ茶碗へいくら絞つても出て来なかつた。叔母は眉をひそめたまま、半ば彼をからかふやうに「信ちやんに吸つて貰はうか?」と言つた。けれども牛乳に育つた彼は勿論吸ひかたを知る筈はなかつた。叔母はとうとう隣の子に――穴蔵大工の女の子に固い乳房を吸つて貰つた。乳房は盛り上つた半球の上へ青い静脈をうかがつてゐた。はにかみ易い信輔はたとひ吸ふことは出来たにもせよ、到底叔母の乳などを吸ふことは出来ないのに違ひなかつた。が、それにも関らずやはり隣の女の子を憎んだ。同時に又隣の女の子に乳を吸はせる叔母を憎んだ。この小事件は彼の記憶に重苦しい嫉妬ばかり残してゐる。が、或はその外にも彼の Vita sexualis は当時にはじまつてゐたのかも知れない。………  信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥ぢた。これは彼の秘密だつた。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だつた。この秘密は又当時の彼には或迷信をも伴つてゐた。彼は只頭ばかり大きい、無気味なほど痩せた少年だつた。のみならずはにかみ易い上にも、磨ぎ澄ました肉屋の包丁にさへ動悸の高まる少年だつた。その点は――殊にその点は伏見鳥羽の役に銃火をくぐつた、日頃胆勇自慢の父とは似ても似つかぬのに違ひなかつた。彼は一体何歳からか、又どう言ふ論理からか、この父に似つかぬことを牛乳の為と確信してゐた。いや、体の弱いことをも牛乳の為と確信してゐた。若し牛乳の為とすれば、少しでも弱みを見せたが最後、彼の友だちは彼の秘密を看破してしまふのに違ひなかつた。彼はその為にどう言ふ時でも彼の友だちの挑戦に応じた。挑戦は勿論一つではなかつた。或時はお竹倉の大溝を棹も使はずに飛ぶことだつた。或時は回向院の大銀杏へ梯子もかけずに登ることだつた。或時に又彼等の一人と殴り合ひの喧嘩をすることだつた。信輔は大溝を前にすると、もう膝頭の震へるのを感じた。けれどもしつかり目をつぶつたまま、南京藻の浮かんだ水面を一生懸命に跳り越えた。この恐怖や逡巡は回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だつた。このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷痕を残した。恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になつた父の小言を覚えてゐる。――「貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。」  しかし彼の迷信は幸にも次第に消えて行つた。のみならず彼は西洋史の中に少くとも彼の迷信には反証に近いものを発見した。それは羅馬の建国者ロミユルスに乳を与へたものは狼であると言ふ一節だつた。彼は母の乳を知らぬことに爾来一層冷淡になつた。いや、牛乳に育つたことは寧ろ彼の誇りになつた。信輔は中学へはひつた春、年とつた彼の叔父と一しよに、当時叔父が経営してゐた牧場へ行つたことを覚えてゐる。殊にやつと柵の上へ制服の胸をのしかけたまゝ、目の前へ歩み寄つた白牛に干し草をやつたことを覚えてゐる。牛は彼の顔を見上げながら、静かに干し草へ鼻を出した。彼はその顔を眺めた時、ふとこの牛の瞳の中に何にか人間に近いものを感じた。空想?――或は空想かも知れない。が、彼の記憶の中には未だに大きい白牛が一頭、花を盛つた杏の枝の下に柵によつた彼を見上げてゐる。しみじみと、懐しさうに。………        三 貧困  信輔の家庭は貧しかつた。尤も彼等の貧困は棟割長屋に雑居する下流階級の貧困ではなかつた。が、体裁を繕ふ為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級の貧困だつた。退職官吏だつた、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬して行かなければならなかつた。その為には勿論節倹の上にも節倹を加へなければならなかつた。彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構への家に住んでゐた。けれども新らしい着物などは誰一人滅多に造らなかつた。父は常に客にも出されぬ悪酒の晩酌に甘んじてゐた。母もやはり羽織の下にはぎだらけの帯を隠してゐた。信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えてゐる。机は古いのを買つたものの、上へ張つた緑色の羅紗も、銀色に光つた抽斗の金具も一見小綺麗に出来上がつてゐた。が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかつた。これは彼の机よりも彼の家の象徴だつた。体裁だけはいつも繕はなければならぬ彼の家の生活の象徴だつた。………  信輔はこの貧困を憎んだ。いや、今もなほ当時の憎悪は彼の心の奥底に消し難い反響を残してゐる。彼は本を買はれなかつた。夏期学校へも行かれなかつた。新らしい外套も着られなかつた。が、彼の友だちはいづれもそれ等を受用してゐた。彼は彼等を羨んだ。時には彼等を妬みさへした。しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯じなかつた。それは彼等の才能を軽蔑してゐる為だつた。けれども貧困に対する憎悪は少しもその為に変らなかつた。彼は古畳を、薄暗いランプを、蔦の画の剥げかかつた唐紙を、――あらゆる家庭の見すぼらしさを憎んだ。が、それはまだ好かつた。彼は只見すぼらしさの為に彼を生んだ両親を憎んだ。殊に彼よりも背の低い、頭の禿げた父を憎んだ。父は度たび学校の保証人会議に出席した。信輔は彼の友だちの前にかう言ふ父を見ることを恥ぢた。同時にまた肉身の父を恥ぢる彼自身の心の卑しさを恥ぢた。国木田独歩を模倣した彼の「自ら欺かざるの記」はその黄ばんだ罫紙の一枚にかう言ふ一節を残してゐる。―― 「予は父母を愛する能はず。否、愛する能はざるに非ず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。貌を以て人を取るは君子の恥づる所也。況や父母の貌を云々するをや。然れども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。……」  けれどもかう言ふ見すぼらしさよりも更に彼の憎んだのは貧困に発した偽りだつた。母は「風月」の菓子折につめたカステラを親戚に進物にした。が、その中味は「風月」所か、近所の菓子屋のカステラだつた。父も、――如何に父は真事しやかに「勤倹尚武」を教へたであらう。父の教へた所によれば、古い一冊の玉篇の外に漢和辞典を買ふことさへ、やはり「奢侈文弱」だつた! のみならず信輔自身も亦嘘に嘘を重ねることは必しも父母に劣らなかつた。それは一月五十銭の小遣ひを一銭でも余計に貰つた上、何よりも彼の餓ゑてゐた本や雑誌を買ふ為だつた。彼はつり銭を落したことにしたり、ノオト・ブツクを買ふことにしたり、学友会の会費を出すことにしたり、――あらゆる都合の好い口実のもとに父母の金銭を盗まうとした。それでもまだ金の足りない時には巧みに両親の歓心を買ひ、翌月の小遣ひを捲き上げようとした。就中彼に甘かつた老年の母に媚びようとした。勿論彼には彼自身の嘘も両親の嘘のやうに不快だつた。しかし彼は嘘をついた。大胆に狡猾に嘘をついた。それは彼には何よりも先に必要だつたのに違ひなかつた。が、同時に又病的な愉快を、――何か神を殺すのに似た愉快を与へたのにも違ひなかつた。彼は確かにこの点だけは不良少年に接近してゐた。彼の「自ら欺かざるの記」はその最後の一枚にかう言ふ数行を残してゐる。―― 「独歩は恋を恋すと言へり。予は憎悪を憎悪せんとす。貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。……」  これは信輔の衷情だつた。彼はいつか貧困に対する憎悪そのものをも憎んでゐた。かう言ふ二重に輪を描いた憎悪は二十前の彼を苦しめつづけた。尤も多少の幸福は彼にも全然ない訣ではなかつた。彼は試験の度ごとに三番か四番の成績を占めた。又或下級の美少年は求めずとも彼に愛を示した。しかしそれ等も信輔には曇天を洩れる日の光だつた。憎悪はどう言ふ感情よりも彼の心を圧してゐた。のみならずいつか彼の心へ消し難い痕跡を残してゐた。彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはゐられなかつた。同時に又貧困と同じやうに豪奢をも憎まずにはゐられなかつた。豪奢をも、――この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与へる烙印だつた。或は中流下層階級の貧困だけの与へる烙印だつた。彼は今日も彼自身の中にこの憎悪を感じてゐる。この貧困と闘はなければならぬ Petty Bourgeois の道徳的恐怖を。……  丁度大学を卒業した秋、信輔は法科に在学中の或友だちを訪問した。彼等は壁も唐紙も古びた八畳の座敷に話してゐた。其後へ顔を出したのは六十前後の老人だつた。信輔はこの老人の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。 「僕の父。」  彼の友だちは簡単にかうその老人を紹介した。老人は寧ろ傲然と信輔の挨拶を聞き流した。それから奥へはひる前に、「どうぞ御ゆつくり。あすこに椅子もありますから」と言つた。成程二脚の肘かけ椅子は黒ずんだ椽側に並んでゐた。が、それ等は腰の高い、赤いクツシヨンの色の褪めた半世紀前の古椅子だつた。信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。同時に又彼の友だちも彼のやうに父を恥ぢてゐるのを感じた。かう言ふ小事件も彼の記憶に苦しいほどはつきりと残つてゐる。思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与へるかも知れない。しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だつた。下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だつた。        四 学校  学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残してゐる。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさへすれば、どう言ふ学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかつた。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅かに貧困を脱出するたつた一つの救命袋だつた。尤も信輔は中学時代にはかう言ふ事実を認めなかつた。少くともはつきりとは認めなかつた。しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のやうに信輔の心を圧しはじめた。彼は大学や高等学校にゐる時、何度も廃学を計画した。けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇叭の音は刻薄な響を伝へたであらう。如何に又グラウンドのポプラアは憂鬱な色に茂つてゐたであらう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さへすれば、必しも苦しい仕事ではなかつた。が、無用の小智識と言ふ事実をも忘れるのは困難だつた。ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとへば第一のバケツの水をまづ第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言ふやうに、無用の労役を強ひられた囚徒の自殺することを語つてゐる。信輔は鼠色の校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦ぎの中にかう言ふ囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――  のみならず彼の教師と言ふものを最も憎んだのも中学だつた。教師は皆個人としては悪人ではなかつたに違ひなかつた。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのづから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかつた。現に彼等の或ものは、――達磨と言ふ諢名のある英語の教師は「生意気である」と言ふ為に度たび信輔に体刑を課した。が、その「生意気である」所以は畢竟信輔の独歩や花袋を読んでゐることに外ならなかつた。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だつた。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかつた。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑した。信輔は或時赫とした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜に厳罰を課せずには措かなかつた。その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙つたことは枚挙し難い位だつた。自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもかう言ふ屈辱を反撥しなければならなかつた。さもなければあらゆる不良少年のやうに彼自身を軽んずるのに了るだけだつた。彼はその自彊術の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。―― 「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。 「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。 「その二は軽佻浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。 「その三は傲慢也。傲慢とは妄に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。  しかし教師も悉く彼を迫害した訣ではなかつた。彼等の或ものは家族を加へた茶話会に彼を招待した。又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、かう言ふ借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えてゐる。が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交へる妨害をした。それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでゐる為だつた。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでゐる為だつた。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞はれなかつた。のみならず時には不自然に巻煙草の箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。解釈するのも亦尤もだつた。彼は元来人好きのする生徒ではないのに違ひなかつた。彼の筐底の古写真は体と不吊合に頭の大きい、徒らに目ばかり赫かせた、病弱らしい少年を映してゐる。しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持つた質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としてゐるのだつた!  信輔は試験のある度に学業はいつも高点だつた。が、所謂操行点だけは一度も六点を上らなかつた。彼は6と言ふアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を楯に彼を嘲つてゐるのは事実だつた。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかつた。彼はかう言ふ復讐を憎んだ。かう言ふ復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れてゐる。中学は彼には悪夢だつた。けれども悪夢だつたことは必しも不幸とは限らなかつた。彼はその為に少くとも孤独に堪へる性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももつと苦しかつたであらう。彼は彼の夢みてゐたやうに何冊かの本の著者になつた。しかし彼に与へられたものは畢竟落寞とした孤独だつた。この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずる外に仕かたのないことを知つた今日、二十年の昔をふり返つて見れば、彼を苦しめた中学の校舎は寧ろ美しい薔薇色をした薄明りの中に横はつてゐる。尤もグラウンドのポプラアだけは不相変鬱々と茂つた梢に寂しい風の音を宿しながら。………        五 本  本に対する信輔の情熱は小学時代から始まつてゐた。この情熱を彼に教へたものは父の本箱の底にあつた帝国文庫本の水滸伝だつた。頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のもとに何度も「水滸伝」を読み返した。のみならず本を開かぬ時にも替天行道の旗や景陽岡の大虎や菜園子張青の梁に吊つた人間の腿を想像した。想像?――しかしその想像は現実よりも一層現実的だつた。彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に「水滸伝」中の人物と、――一丈青扈三娘や花和尚魯智深と格闘した。この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えてゐる。いや、几上、車上、厠上、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えてゐる。木剣は勿論「水滸伝」以来二度と彼の手に取られなかつた。が、彼は本の上に何度も笑つたり泣いたりした。それは言はば転身だつた。本の中の人物に変ることだつた。彼は天竺の仏のやうに無数の過去生を通り抜けた。イヴアン・カラマゾフを、ハムレツトを、公爵アンドレエを、ドン・ジユアンを、メフイストフエレスを、ライネツケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかつた。現に或晩秋の午後、彼は小遣ひを貰ふ為に年とつた叔父を訪問した。叔父は長州萩の人だつた。彼はことさらに叔父の前に滔々と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山県有朋に至る長州の人材を讃嘆した。が、この虚偽の感激に充ちた、顔色の蒼白い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジユリアン・ソレル――「赤と黒」の主人公だつた。  かう言ふ信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負ふ所の全然ないものは一つもなかつた。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかつた。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知らうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だつたのかも知れなかつた。が、街頭の行人は彼には只行人だつた。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかつた。本を、――殊に世紀末の欧羅巴の産んだ小説や戯曲を。彼はその冷たい光の中にやつと彼の前に展開する人間喜劇を発見した。いや、或は善悪を分たぬ彼自身の魂をも発見した。それは人生には限らなかつた。彼は本所の町々に自然の美しさを発見した。しかし彼の自然を見る目に多少の鋭さを加へたのはやはり何冊かの愛読書、――就中元禄の俳諧だつた。彼はそれ等を読んだ為に「都に近き山の形」を、「鬱金畠の秋の風」を、「沖の時雨の真帆片帆」を、「闇のかた行く五位の声」を、――本所の町々の教へなかつた自然の美しさをも発見した。この「本から現実」へは常に信輔には真理だつた。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教へなかつた。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教へなかつた。彼は日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影をゴオテイエやバルザツクやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝へてゐる。若しそれ等に学ばなかつたとすれば、彼は或は女の代りに牝ばかり発見してゐたかも知れない。…………  尤も貧しい信輔は到底彼の読むだけの本を自由に買ふことは出来なかつた。彼のかう言ふ困難をどうにかかうにか脱したのは第一に図書館のおかげだつた。第二に貸本屋のおかげだつた。第三に吝嗇の譏さへ招いだ彼の節倹のおかげだつた。彼ははつきりと覚えてゐる――大溝に面した貸本屋を、人の好い貸本屋の婆さんを、婆さんの内職にする花簪を。婆さんはやつと小学へ入つた「坊ちやん」の無邪気を信じてゐた。その「坊ちやん」はいつの間にか本を探がす風を装ひながら、偸み読みをすることを発明してゐた。彼は又はつきりと覚えてゐる。――古本屋ばかりごみごみ並んだ二十年前の神保町通りを、その古本屋の屋根の上に日の光を受けた九段坂の傾斜を。勿論当時の神保町通りは電車も馬車も通じなかつた。彼は――十二歳の小学生は弁当やノオト・ブツクを小脇にしたまま、大橋図書館へ通ふ為に何度もこの通りを往復した。道のりは往復一里半だつた。大橋図書館から帝国図書館へ。彼は帝国図書館の与へた第一の感銘をも覚えてゐる。――高い天井に対する恐怖を、大きい窓に対する恐怖を、無数の椅子を埋め尽した無数の人々に対する恐怖を。が、恐怖は幸ひにも二三度通ふうちに消滅した。彼は忽ち閲覧室に、鉄の階段に、カタロオグの箱に、地下の食堂に親しみ出した。それから大学の図書館や高等学校の図書館へ。彼はそれ等の図書館に何百冊とも知れぬ本を借りた。又それ等の本の中に何十冊とも知れぬ本を愛した。しかし――  しかし彼の愛したのは――殆ど内容の如何を問はずに本そのものを愛したのはやはり彼の買つた本だつた。信輔は本を買ふ為めにカフエへも足を入れなかつた。が、彼の小遣ひは勿論常に不足だつた。彼はその為めに一週に三度、親戚の中学生に数学(!)を教へた。それでもまだ金の足りぬ時はやむを得ず本を売りに行つた。けれども売り価は新らしい本でも買ひ価の半ば以上になつたことはなかつた。のみならず永年持つてゐた本を古本屋の手に渡すことは常に彼には悲劇だつた。彼は或薄雪の夜、神保町通りの古本屋を一軒々々覗いて行つた。その内に或古本屋に「ツアラトストラ」を一冊発見した。それも只の「ツアラトストラ」ではなかつた。二月ほど前に彼の売つた手垢だらけの「ツアラトストラ」だつた。彼は店先きに佇んだまゝ、この古い「ツアラトストラ」を所どころ読み返した。すると読み返せば読み返すほど、だんだん懐かしさを感じだした。 「これはいくらですか?」  十分ばかりたつた後、彼は古本屋の女主人にもう「ツアラトストラ」を示してゐた。 「一円六十銭、――御愛嬌に一円五十銭にして置きませう。」  信輔はたつた七十銭にこの本を売つたことを思ひ出した。が、やつと売り価の二倍、――一円四十銭に価切つた末、とうとうもう一度買ふことにした。雪の夜の往来は家々も電車も何か微妙に静かだつた。彼はかう言ふ往来をはるばる本郷へ帰る途中、絶えず彼の懐ろの中に鋼鉄色の表紙をした「ツアラトストラ」を感じてゐた。しかし又同時に口の中には何度も彼自身を嘲笑してゐた。……        六 友だち  信輔は才能の多少を問はずに友だちを作ることは出来なかつた。たとひどう言ふ君子にもせよ、素行以外に取り柄のない青年は彼には用のない行人だつた。いや、寧ろ顔を見る度に揶揄せずにはゐられぬ道化者だつた。それは操行点六点の彼には当然の態度に違ひなかつた。彼は中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通りぬける間に絶えず彼等を嘲笑した。勿論彼等の或ものは彼の嘲笑を憤つた。しかし又彼等の或ものは彼の嘲笑を感ずる為にも余りに模範的君子だつた。彼は「厭な奴」と呼ばれることには常に多少の愉快を感じた。が、如何なる嘲笑も更に手答へを与へないことには彼自身憤らずにはゐられなかつた。現にかう言ふ君子の一人――或高等学校の文科の生徒はリヴイングストンの崇拝者だつた。同じ寄宿舎にゐた信輔は或時彼に真事しやかにバイロンも亦リヴイングストン伝を読み、泣いてやまなかつたと言ふ出たらめを話した。爾来二十年を閲した今日、このリヴイングストンの崇拝者は或基督教会の機関雑誌に不相変リヴイングストンを讃美してゐる。のみならず彼の文章はかう言ふ一行に始まつてゐる。――「悪魔的詩人バイロンさへ、リヴイングストンの伝記を読んで涙を流したと言ふことは何を我々に教へるであらうか?」!  信輔は才能の多少を問はずに友だちを作ることは出来なかつた。たとひ君子ではないにもせよ、智的貪慾を知らない青年はやはり彼には路傍の人だつた。彼は彼の友だちに優しい感情を求めなかつた。彼の友だちは青年らしい心臓を持たぬ青年でも好かつた。いや、所謂親友は寧ろ彼には恐怖だつた。その代りに彼の友だちは頭脳を持たなければならなかつた。頭脳を、――がつしりと出来上つた頭脳を。彼はどう言ふ美少年よりもかう言ふ頭脳の持ち主を愛した。同時に又どう言ふ君子よりもかう言ふ頭脳の持ち主を憎んだ。実際彼の友情はいつも幾分か愛の中に憎悪を孕んだ情熱だつた。信輔は今日もこの情熱以外に友情のないことを信じてゐる。少くともこの情熱以外に Herr und Knecht の臭味を帯びない友情のないことを信じてゐる。況んや当時の友だちは一面には相容れぬ死敵だつた。彼は彼の頭脳を武器に、絶えず彼等と格闘した。ホイツトマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあつた。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行はれたものに違ひなかつた。しかしおのづからその間に新しい観念や新らしい美の姿を現したことも事実だつた。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしてゐたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配してゐたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集つて来た、大きい灯取虫を覚えてゐる。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のやうにぱたぱたと死んで行つた。これは何も今更のやうに珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなほこの小事件を思ひ出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思ひ出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………  信輔は才能の多少を問はずに友だちを作ることは出来なかつた。標準は只それだけだつた。しかしやはりこの標準にも全然例外のない訳ではなかつた。それは彼の友だちと彼との間を截断する社会的階級の差別だつた。信輔は彼と育ちの似寄つた中流階級の青年には何のこだわりも感じなかつた。が、纔かに彼の知つた上流階級の青年には、――時には中流上層階級の青年にも妙に他人らしい憎悪を感じた。彼等の或ものは怠惰だつた。彼等の或ものは臆病だつた。又彼等の或ものは官能主義の奴隷だつた。けれども彼の憎んだのは必しもそれ等の為ばかりではなかつた。いや、寧ろそれ等よりも何か漠然としたものの為だつた。尤も彼等の或ものも彼等自身意識せずにこの「何か」を憎んでゐた。その為に又下流階級に、――彼等の社会的対蹠点に病的な惝怳を感じてゐた。彼は彼等に同情した。しかし彼の同情も畢竟役には立たなかつた。この「何か」は握手する前にいつも針のやうに彼の手を刺した。或風の寒い四月の午後、高等学校の生徒だつた彼は彼等の一人、――或男爵の長男と江の島の崖の上に佇んでゐた。目の下はすぐに荒磯だつた。彼等は「潜り」の少年たちの為に何枚かの銅貨を投げてやつた。少年たちは銅貨の落ちる度にぽんぽん海の中へ跳りこんだ。しかし一人の海女だけは崖の下に焚いた芥火の前に笑つて眺めてゐるばかりだつた。 「今度はあいつも飛びこませてやる。」  彼の友だちは一枚の銅貨を巻煙草の箱の銀紙に包んだ。それから体を反らせたと思ふと、精一ぱい銅貨を投げ飛ばした。銅貨はきらきら光りながら、風の高い浪の向うへ落ちた。するともう海女はその時にはまつ先に海へ飛びこんでゐた。信輔は未だにありありと口もとに残酷な微笑を浮べた彼の友だちを覚えてゐる。彼の友だちは人並み以上に語学の才能を具へてゐた。しかし又確かに人並み以上に鋭い犬歯をも具へてゐた。………… (以下続出)  附記 この小説はもうこの三四倍続けるつもりである。今度掲げるだけに「大導寺信輔の半生」と言ふ題は相当しないのに違ひないが、他に替る題もない為にやむを得ず用ひることにした。「大導寺信輔の半生」の第一篇と思つて頂けば幸甚である。大正十三年十二月九日、作者記。
底本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店    1996(平成8)年10月8日発行 底本の親本:「中央公論 第四〇年第一号」    1925(大正14)年1月1日 初出:「中央公論 第四〇年第一号」    1925(大正14)年1月1日 入力:五十嵐仁 校正:noriko saito 2009年4月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この手紙は印度のダアジリンのラアマ・チャブズン氏へ出す手紙の中に封入し、氏から日本へ送って貰うはずである。無事に君の手へ渡るかどうか、多少の心配もない訣ではない。しかし万一渡らなかったにしろ、君は格別僕の手紙を予想しているとも思われないからその点だけは甚だ安心している。が、もしこの手紙を受け取ったとすれば、君は必ず僕の運命に一驚を喫せずにはいられないであろう。第一に僕はチベットに住んでいる。第二に僕は支那人になっている。第三に僕は三人の夫と一人の妻を共有している。  この前君へ手紙を出したのはダアジリンに住んでいた頃である。僕はもうあの頃から支那人にだけはなりすましていた。元来天下に国籍くらい、面倒臭いお荷物はない。ただ支那と云う国籍だけはほとんど有無を問われないだけに、頗る好都合に出来上っている。君はまだ高等学校にいた時、僕に「さまよえる猶太人」と云う渾名をつけたのを覚えているであろう。実際僕は君のいった通り、「さまよえる猶太人」に生れついたらしい。が、このチベットのラッサだけは甚だ僕の気に入っている。というのは何も風景だの、気候だのに愛着のある訣ではない。実は怠惰を悪徳としない美風を徳としているのである。  博学なる君はパンデン・アアジシャのラッサに与えた名を知っているであろう。しかしラッサは必ずしも食糞餓鬼の都ではない。町はむしろ東京よりも住み心の好いくらいである。ただラッサの市民の怠惰は天国の壮観といわなければならぬ。きょうも妻は不相変麦藁の散らばった門口にじっと膝をかかえたまま静かに午睡を貪っている。これは僕の家ばかりではない。どの家の門口にも二三人ずつは必ずまた誰か居睡りをしている。こういう平和に満ちた景色は世界のどこにも見られないであろう。しかも彼等の頭の上には、――ラマ教の寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪をぼんやりかがやかせているのである。  僕は少くとも数年はラッサに住もうと思っている。それには怠惰の美風のほかにも、多少は妻の容色に心を惹かれているのかも知れない。妻は名はダアワといい、近隣でも美人と評されている。背は人並みよりは高いくらいであろう。顔はダアワという名前の通り、(ダアワは月の意味である。)垢の下にも色の白い、始終糸のように目を細めた、妙にもの優しい女である。夫の僕とも四人あることは前にもちょっと書いて置いた。第一の夫は行商人、第二の夫は歩兵の伍長、第三の夫はラマ教の仏画師、第四の夫は僕である。僕もまたこの頃は無職業ではない。とにかく器用を看板とした一かどの理髪師になり了せている。  謹厳なる君は僕のように、一妻多夫に甘んずるものを軽蔑せずにはいられないであろう。が、僕にいわせれば、あらゆる結婚の形式はただ便宜に拠ったものである。一夫一妻の基督教徒は必ずしも異教徒たる僕等よりも道徳の高い人間ではない。のみならず事実上の一妻多夫は事実上の一夫多妻と共に、いかなる国にもあるはずである。実際また一夫一妻はチベットにも全然ない訣ではない。ただルクソオ・ミンズの名のもとに(ルクソオ・ミンズは破格の意味である。)軽蔑されているだけである。ちょうど僕等の一妻多夫も文明国の軽蔑を買っているように。  僕は三人の夫と共に、一人の妻を共有することに少しも不便を感じていない。他の三人もまた同様であろう。妻はこの四人の夫をいずれも過不足なしに愛している。僕はまだ日本にいた時、やはり三人の檀那と共に、一人の芸者を共有したことがあった。その芸者に比べれば、ダアワは何という女菩薩であろう。現に仏画師はダアワのことを蓮華夫人と渾名している。実際川ばたの枝垂れ柳の下に乳のみ児を抱いている妻の姿は円光を負っているといわなければならぬ。子供はもう六歳をかしらに、乳のみ児とも三人出来ている。勿論誰はどの夫を父にするなどということはない。第一の夫はお父さんと呼ばれ、僕等三人は同じように皆叔父さんと呼ばれている。  しかしダアワも女である。まだ一度も過ちを犯さなかったという訣ではない。もう今では二年ばかり前、珊瑚珠などを売る商人の手代と僕等を欺いていたこともある。それを発見した第一の夫はダアワの耳へはいらないように僕等に善後策を相談した。すると一番憤ったのは第二の夫の伍長である。彼は直ちに二人の鼻を削ぎ落してしまえと主張し出した。温厚なる君はこの言葉の残酷を咎めるのに違いない。が、鼻を削ぎ落すのはチベットの私刑の一つである。(たとえば文明国の新聞攻撃のように。)第三の夫の仏画師は、ただいかにも当惑したように涙を流しているばかりだった。僕はその時三人の夫に手代の鼻を削ぎ落した後、ダアワの処置は悔恨の情のいかんに任せるという提議をした。勿論誰もダアワの鼻を削ぎ落してしまいたいと思うものはない。第一の夫の行商人はたちまち僕の説に賛成した。仏画師は不幸なる手代の鼻にも多少の憐憫を感じていたらしい。しかし伍長を怒らせないためにやはり僕に同意を表した。伍長も――伍長はしばらく考えた揚げ句、太い息を一つすると「子供のためもあるものだから」と、しぶしぶ僕等に従うことにした。  僕等四人はその翌日、容易に手代を縛り上げた。それから伍長は僕等の代理に、僕の剃刀を受け取るなり、無造作に彼の鼻を削ぎ落した。手代は勿論悪態をついたり、伍長の手へ噛みついたり、悲鳴を挙げたりしたのに違いない。しかし鼻を削ぎ落した後、血止めの薬をつけてやった行商人や僕などには泣いて感謝したことも事実である。  賢明なる君はその後のこともおのずから推察出来るであろう。ダアワは爾来貞淑に僕等四人を愛している。僕等も、――それは言わないでも好い。現にきのうは伍長さえしみじみと僕にこう言っていた。――「今になって考えて見ると、ダアワの鼻を削ぎ落さなかったのは実際不幸中の幸福だったね。」  ちょうど今午睡から覚めたダアワは僕を散歩につれ出そうとしている。では万里の海彼にいる君の幸福を祈ると共に、一まずこの手紙も終ることにしよう。ラッサは今家々の庭に桃の花のまっ盛りである。きょうは幸い埃風も吹かない。僕等はこれから監獄の前へ、従兄妹同志結婚した不倫の男女の曝しものを見物に出かけるつもりである。…… (大正十三年三月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年2月24日第1刷発行    1995(平成7)年4月10日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月5日公開 2004年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000033", "作品名": "第四の夫から", "作品名読み": "だいよんのおっとから", "ソート用読み": "たいよんのおつとから", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「サンデー毎日」1924(大正13)年4月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-01-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card33.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集5", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1987(昭和62)年2月24日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年4月10日第6刷", "校正に使用した版1": "1996(平成8)年7月15日第7刷", "底本の親本名1": "筑摩全集類聚版芥川龍之介全集", "底本の親本出版社名1": "筑摩書房", "底本の親本初版発行年1": "1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/33_ruby_1079.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/33_15213.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
        ◇  滝田君に初めて会ったのは夏目先生のお宅だったであろう。が、生憎その時のことは何も記憶に残っていない。  滝田君の初めて僕の家へ来たのは僕の大学を出た年の秋、――僕の初めて「中央公論」へ「手巾」という小説を書いた時である。滝田君は僕にその小説のことを「ちょっと皮肉なものですな」といった。  それから滝田君は二三ヵ月おきに僕の家へ来るようになった。         ◇  或年の春、僕は原稿の出来ぬことに少からず屈託していた。滝田君はその時僕のために谷崎潤一郎君の原稿を示し、(それは実際苦心の痕の歴々と見える原稿だった。)大いに僕を激励した。僕はこのために勇気を得てどうにかこうにか書き上げる事が出来た。  僕の方からはあまり滝田君を尋ねていない。いつも年末に催されるという滝田君の招宴にも一度席末に列しただけである。それは確震災の前年、――大正十一年の年末だったであろう。僕はその夜田山花袋、高島米峰、大町桂月の諸氏に初めてお目にかかることが出来た。         ◇  僕は又滝田君の病中にも一度しか見舞うことが出来なかった。滝田君は昔夏目先生が「金太郎」とあだ名した滝田君とは別人かと思うほど憔悴していた。が、僕や僕と一しょに行った室生犀生君に画帖などを示し、相変らず元気に話をした。  滝田君に最後に会ったのは今年の初夏、丁度ドラマ・リイグの見物日に新橋演舞場へ行った時である。小康を得た滝田君は三人のお嬢さんたちと見物に来ていた。僕はその顔を眺めた時、思わず「ずいぶんやせましたね」といった。この言葉はもちろん滝田君に不快を与えたのに違いなかった。滝田君は僕と一しょにいた佐佐木茂索君を顧みながら、「芥川さんよりも痩せていますか?」といった。         ◇  滝田君の訃に接したのは、十月二十七日の夕刻である。僕は室生犀生君と一しょに滝田君の家へ悔みに行った。滝田君は庭に面した座敷に北を枕に横たわっていた。死顔は前に会った時より昔の滝田君に近いものだった。僕はそのことを奥さんに話した。「これは水気が来ておりますから、……綿を含ませたせいもあるのでございましょう。」――奥さんは僕にこういった。  滝田君についてはこの外に語りたいこともない訳ではない。しかし匆卒の間にも語ることの出来るのはこれだけである。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店    1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行 入力:向井樹里 校正:門田裕志 2005年2月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 滝田君はいつも肥っていた。のみならずいつも赤い顔をしていた。夏目先生の滝田君を金太郎と呼ばれたのも当らぬことはない。しかしあの目の細い所などは寧ろ菊慈童にそっくりだった。  僕は大学に在学中、滝田君に初対面の挨拶をしてから、ざっと十年ばかりの間可也親密につき合っていた。滝田君に鮭鮓の御馳走になり、烈しい胃痙攣を起したこともある。又雲坪を論じ合った後、蘭竹を一幅貰ったこともある。実際あらゆる編輯者中、僕の最も懇意にしたのは正に滝田君に違いなかった。しかし僕はどういう訳か、未だ嘗て滝田君とお茶屋へ行ったことは一度もなかった。滝田君は恐らくは僕などは話せぬ人間と思っていたのであろう。  滝田君は熱心な編輯者だった。殊に作家を煽動して小説や戯曲を書かせることには独特の妙を具えていた。僕なども始終滝田君に僕の作品を褒められたり、或は又苦心の余になった先輩の作品を見せられたり、いろいろ鞭撻を受けた為にいつの間にかざっと百ばかりの短篇小説を書いてしまった。これは僕の滝田君に何よりも感謝したいと思うことである。  僕は又中央公論社から原稿料を前借する為に時々滝田君を煩わした。何でも始めに前借したのは十円前後の金だったであろう。僕はその金にも困った揚句、確か夜の八時頃に滝田君の旧宅を尋ねて行った。滝田君の旧居は西片町から菊坂へ下りる横町にあった。僕はこの家を尋ねたことは前後にたった一度しかない。が、未だに門内か庭かに何か白い草花の沢山咲いていたのを覚えている。  滝田君は本職の文芸の外にも書画や骨董を愛していた。僕は今人の作品の外にも、椿岳や雲坪の出来の善いものを幾つか滝田君に見せて貰った。勿論僕の見なかったものにもまだ逸品は多いであろう。が、僕の見た限りでは滝田コレクションは何と言っても今人の作品に優れていた。尤も僕の鑑賞眼は頗る滝田君には不評判だった。「どうも芥川さんの美術論は文学論ほど信用出来ないからなあ。」――滝田君はいつもこう言って僕のあき盲を嗤っていた。  滝田君が日本の文芸に貢献する所の多かったことは僕の贅するのを待たないであろう。しかし当代の文士を挙げて滝田君の世話になったと言うならば、それは故人に佞するとも、故人に信なる言葉ではあるまい。成程僕等年少の徒は度たび滝田君に厄介をかけた。けれども滝田君自身も亦恐らくは徳田秋声氏の如き、或は田山花袋氏の如き、僕等の先輩に負う所の少しもない訳ではなかったであろう。  僕は滝田君の訃を聞いた夜、室生君と一しょに悔みに行った。滝田君は所謂観魚亭に北を枕に横わっていた。僕はその顔を見た時に何とも言われぬ落莫を感じた。それは僕に親切だった友人の死んだ為と言うよりも、況や僕に寛大だった編輯者の死んだ為と言うよりも、寧ろ唯あの滝田君と言う、大きい情熱家の死んだ為だった。僕は中陰を過ごした今でも滝田君のことを思い出す度にまだこの落莫を感じている。滝田君ほど熱烈に生活した人は日本には滅多にいないのかも知れない。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店    1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行 入力:向井樹里 校正:砂場清隆 2007年2月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 現代はせち辛い世の中である。このせち辛い世の中に、龍村平蔵さんの如く一本二千円も三千円もする女帯を織つてゐると云ふ事は或は時代の大勢に風馬牛だと云ふ非難を得るかも知れない。いや、中には斯る贅沢品の為に、生産能力の費される事を憤慨する向きもありさうである。  が、その女帯が単なる女帯に止まらなかつたら――工芸品よりも寧ろ芸術品として鑑賞せらるべき性質のものだつたら、如何に現代が明日の日にも、米の飯さへ食へなくなりさうな、せち辛い世の中であるにもせよ、一概に贅沢品退治の鼓を鳴らして、龍村さんの事業と作品とを責める訳には行くまいと思ふ。この意味に於て私は、悪辣無双に切迫した時勢の手前も遠慮なく、堂々と龍村さんの女帯を天下に推称出来る事を、この上もなく喜ばしく思はない訳には行かないのである。  と云つて勿論私は、特に織物の鑑賞に長じてゐる次第でも何でもない。ましてその方面の歴史的或は科学的知識に至つては、猶更不案内な人間である。だから龍村さんの女帯が、滔々たる当世の西陣織と比較して、――と云ふよりは呉織綾織から川島甚兵衛に至るまで、上下二千年の織工史を通じて、如何なる地歩を占むべきものか、その辺の消息に至つては、毫もわからぬと云ふ外はない。従つて私の推称が其影の薄いものになる事は、龍村さんの為にも、私自身の為にも遺憾千万な次第であるが、同時に又それだからこそ、私は御同業の芸術家諸君を妄に貶しめる無礼もなく、安んじて龍村さんの女帯を天下に推称する事が出来るのである。これは御同業の芸術家諸君の為にも、惹いては私自身の為にも、御同慶の至りと云はざるを得ない。  龍村さんの帯地の多くは、その独特な経緯の組織を文字通り縦横に活かした結果、蒔絵の如き、堆朱の如き、螺鈿の如き、金唐革の如き、七宝の如き、陶器の如き、乃至は竹刻金石刻の如き、種々雑多な芸術品の特色を自由自在に捉へてゐる。が、私の感服したのは、単にそれらの芸術品を模し得た面白さばかりではない。もしその以外に何もなかつたなら、近来諸方に頻出する、油絵具を使はない洋画同様な日本画の如く、私は唯好奇心を動かすだけに止まつたであらう。けれども龍村さんの帯地の中には、それらの芸術品の特色を巧に捉へ得たが為に、織物本来の特色がより豊富な調和を得た、殆ど甚深微妙とも形容したい、恐るべき芸術的完成があつた。私は何よりもこの芸術的完成の為に、頭を下げざるを得なかつたのである。遠慮なく云へば、鉅万の市価を得た足利時代の能衣裳の前よりも、この前には更に潔く、頭を下げざるを得なかつたのである。  私が龍村さんを推称する理由は、この感服の外に何もない。が、この感服は私にとつて厳乎として厳たる事実である。だから私は以上述べた私の経験を提げて、広く我東京日々新聞の読者諸君に龍村さんの芸術へ注目されん事を希望したい。殊に「日々文芸」と縁の深い文壇の諸君子には、諸君子と同じく芸術の為に、焦慮し、悪闘し、絶望し、最後に一新生面を打開し得た、その尊敬すべきコンフレエルの事業に、一層の留意を請ひたいと思ふ。何故と云へば私の知つてゐる限りで、屡諸君子の間に論議される天才の名に価するものには、まづ第一に龍村平蔵さんを数へなければならないからである。
底本:「芥川龍之介全集 第五巻」岩波書店    1996(平成8)年3月8日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:松永正敏 2002年5月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001132", "作品名": "竜村平蔵氏の芸術", "作品名読み": "たつむらへいぞうしのげいじゅつ", "ソート用読み": "たつむらへいそうしのけいしゆつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「東京日日新聞」1919(大正8)年11月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2002-10-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card1132.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集 第五巻", "底本出版社名1": "岩波書店", "底本初版発行年1": "1996(平成8)年3月8日発行", "入力に使用した版1": "1996(平成8)年3月8日発行", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "もりみつじゅんじ", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1132_ruby_5439.zip", "テキストファイル最終更新日": "2002-09-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1132_6754.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2002-09-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。しかし谷崎氏は何と云つてもさう云ふ事実を認めなかつた。 「ありや君を見るんだよ。そんな道行きなんぞ着てゐるから。」  僕は成程夏外套の代りに親父の道行きを借用してゐた。が、道行きは茶の湯の師匠も菩提寺の和尚も着るものである。衆俗の目を駭かすことは到底一輪の紅薔薇に似た、非凡なる襟飾りに及ぶ筈はない。けれども谷崎氏は僕のやうにロヂックを尊敬しない詩人だから、僕も亦強ひてこの真理を呑みこませようとも思はなかつた。  その内に僕等は裏神保町の或カッフエへ腰を下した。何でも喉の渇いたため、炭酸水か何か飲みにはひつたのである。僕は飲みものを註文した後も、つらつら谷崎氏の喉もとに燃えたロマンティシズムの烽火を眺めてゐた。すると白粉の剥げた女給が一人、両手にコツプを持ちながら、僕等のテエブルへ近づいて来た。コツプは真理のやうに澄んだ水に細かい泡を躍らせてゐた。女給はそのコツプを一つづつ、僕等の前へ立て並べた。それから、――僕はまだ鮮かにあの女給の言葉を覚えてゐる! 女給は立ち去り難いやうにテエブルへ片手を残したなり、しけじけと谷崎氏の胸を覗きこんだ。 「まあ、好い色のネクタイをしていらつしやるわねえ。」  十分の後、僕はテエブルを離れる時に五十銭のティップを渡さうとした。谷崎氏はあらゆる東京人のやうに無用のティップをやることに軽蔑を感ずる一人である。この時も勿論五十銭のティップは谷崎氏の冷笑を免れなかつた。 「何にも君、世話にはならないぢやないか?」  僕はこの先輩の冷笑にも羞ぢず、皺だらけの札を女給へ渡した。女給は何も僕等の為に炭酸水を運んだばかりではない。又実に僕の為には赤い襟飾りに関する真理を天下に挙揚してくれたのである。僕はまだこの時の五十銭位誠意のあるティップをやつたことはない。
底本:「芥川龍之介全集 第十巻」岩波書店    1996(平成8)年8月8日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:松永正敏 2002年5月17日作成 2012年5月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "004276", "作品名": "谷崎潤一郎氏", "作品名読み": "たにざきじゅんいちろうし", "ソート用読み": "たにさきしゆんいちろうし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2002-10-05T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card4276.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集 第十巻", "底本出版社名1": "岩波書店", "底本初版発行年1": "1996(平成8)年8月8日発行", "入力に使用した版1": "1996(平成8)年8月8日発行", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "もりみつじゅんじ", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4276_txt_6756.zip", "テキストファイル最終更新日": "2012-05-06T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "1", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/4276_6757.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-06T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
 たね子は夫の先輩に当るある実業家の令嬢の結婚披露式の通知を貰った時、ちょうど勤め先へ出かかった夫にこう熱心に話しかけた。 「あたしも出なければ悪いでしょうか?」 「それは悪いさ。」  夫はタイを結びながら、鏡の中のたね子に返事をした。もっともそれは箪笥の上に立てた鏡に映っていた関係上、たね子よりもむしろたね子の眉に返事をした――のに近いものだった。 「だって帝国ホテルでやるんでしょう?」 「帝国ホテル――か?」 「あら、御存知なかったの?」 「うん、……おい、チョッキ!」  たね子は急いでチョッキをとり上げ、もう一度この披露式の話をし出した。 「帝国ホテルじゃ洋食でしょう?」 「当り前なことを言っている。」 「それだからあたしは困ってしまう。」 「なぜ?」 「なぜって……あたしは洋食の食べかたを一度も教わったことはないんですもの。」 「誰でも教わったり何かするものか!……」  夫は上着をひっかけるが早いか、無造作に春の中折帽をかぶった。それからちょっと箪笥の上の披露式の通知に目を通し「何だ、四月の十六日じゃないか?」と言った。 「そりゃ十六日だって十七日だって……」 「だからさ、まだ三日もある。そのうちに稽古をしろと言うんだ。」 「じゃあなた、あしたの日曜にでもきっとどこかへつれて行って下さる!」  しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子は夫を見送りながら、ちょっと憂鬱にならずにはいられなかった。それは彼女の体の具合も手伝っていたことは確かだった。子供のない彼女はひとりになると、長火鉢の前の新聞をとり上げ、何かそう云う記事はないかと一々欄外へも目を通した。が、「今日の献立て」はあっても、洋食の食べかたなどと云うものはなかった。洋食の食べかたなどと云うものは?――彼女はふと女学校の教科書にそんなことも書いてあったように感じ、早速用箪笥の抽斗から古い家政読本を二冊出した。それ等の本はいつの間にか手ずれの痕さえ煤けていた。のみならずまた争われない過去の匂を放っていた。たね子は細い膝の上にそれ等の本を開いたまま、どう云う小説を読む時よりも一生懸命に目次を辿って行った。 「木綿及び麻織物洗濯。ハンケチ、前掛、足袋、食卓掛、ナプキン、レエス、…… 「敷物。畳、絨毯、リノリウム、コオクカアペト…… 「台所用具。陶磁器類、硝子器類、金銀製器具……」  一冊の本に失望したたね子はもう一冊の本を検べ出した。 「繃帯法。巻軸帯、繃帯巾、…… 「出産。生児の衣服、産室、産具…… 「収入及び支出。労銀、利子、企業所得…… 「一家の管理。家風、主婦の心得、勤勉と節倹、交際、趣味、……」  たね子はがっかりして本を投げ出し、大きい樅の鏡台の前へ髪を結いに立って行った。が、洋食の食べかただけはどうしても気にかかってならなかった。……  その次の午後、夫はたね子の心配を見かね、わざわざ彼女を銀座の裏のあるレストオランへつれて行った。たね子はテエブルに向かいながら、まずそこには彼等以外に誰もいないのに安心した。しかしこの店もはやらないのかと思うと、夫のボオナスにも影響した不景気を感ぜずにはいられなかった。 「気の毒だわね、こんなにお客がなくっては。」 「常談言っちゃいけない。こっちはお客のない時間を選って来たんだ。」  それから夫はナイフやフォオクをとり上げ、洋食の食べかたを教え出した。それもまた実は必ずしも確かではないのに違いなかった。が、彼はアスパラガスに一々ナイフを入れながら、とにかくたね子を教えるのに彼の全智識を傾けていた。彼女も勿論熱心だった。しかし最後にオレンジだのバナナだのの出て来た時にはおのずからこう云う果物の値段を考えない訣には行かなかった。  彼等はこのレストオランをあとに銀座の裏を歩いて行った。夫はやっと義務を果した満足を感じているらしかった。が、たね子は心の中に何度もフォオクの使いかただのカッフェの飲みかただのと思い返していた。のみならず万一間違った時には――と云う病的な不安も感じていた。銀座の裏は静かだった。アスファルトの上へ落ちた日あしもやはり静かに春めかしかった。しかしたね子は夫の言葉に好い加減な返事を与えながら、遅れ勝ちに足を運んでいた。……  帝国ホテルの中へはいるのは勿論彼女には始めてだった。たね子は紋服を着た夫を前に狭い階段を登りながら、大谷石や煉瓦を用いた内部に何か無気味に近いものを感じた。のみならず壁を伝わって走る、大きい一匹の鼠さえ感じた。感じた?――それは実際「感じた」だった。彼女は夫の袂を引き、「あら、あなた、鼠が」と言った。が、夫はふり返ると、ちょっと当惑らしい表情を浮べ、「どこに?……気のせいだよ」と答えたばかりだった。たね子は夫にこう言われない前にも彼女の錯覚に気づいていた。しかし気づいていればいるだけますます彼女の神経にこだわらない訣には行かなかった。  彼等はテエブルの隅に坐り、ナイフやフォオクを動かし出した。たね子は角隠しをかけた花嫁にも時々目を注いでいた。が、それよりも気がかりだったのは勿論皿の上の料理だった。彼女はパンを口へ入れるのにも体中の神経の震えるのを感じた。ましてナイフを落した時には途方に暮れるよりほかはなかった。けれども晩餐は幸いにも徐ろに最後に近づいて行った。たね子は皿の上のサラドを見た時、「サラドのついたものの出て来た時には食事もおしまいになったと思え」と云う夫の言葉を思い出した。しかしやっとひと息ついたと思うと、今度は三鞭酒の杯を挙げて立ち上らなければならなかった。それはこの晩餐の中でも最も苦しい何分かだった。彼女は怯ず怯ず椅子を離れ、目八分に杯をさし上げたまま、いつか背骨さえ震え出したのを感じた。  彼等はある電車の終点から細い横町を曲って行った。夫はかなり酔っているらしかった。たね子は夫の足もとに気をつけながらはしゃぎ気味に何かと口を利いたりした。そのうちに彼等は電燈の明るい「食堂」の前へ通りかかった。そこにはシャツ一枚の男が一人「食堂」の女中とふざけながら、章魚を肴に酒を飲んでいた。それは勿論彼女の目にはちらりと見えたばかりだった。が、彼女はこの男を、――この無精髭を伸ばした男を軽蔑しない訣には行かなかった。同時にまた自然と彼の自由を羨まない訣にも行かなかった。この「食堂」を通り越した後はじきにしもた家ばかりになった。従ってあたりも暗くなりはじめた。たね子はこう云う夜の中に何か木の芽の匂うのを感じ、いつかしみじみと彼女の生まれた田舎のことを思い出していた。五十円の債券を二三枚買って「これでも不動産(!)が殖えたのだからね」などと得意になっていた母親のことも。……  次の日の朝、妙に元気のない顔をしたたね子はこう夫に話しかけた。夫はやはり鏡の前にタイを結んでいるところだった。 「あなた、けさの新聞を読んで?」 「うん。」 「本所かどこかのお弁当屋の娘の気違いになったと云う記事を読んで?」 「発狂した? 何で?」  夫はチョッキへ腕を通しながら、鏡の中のたね子へ目を移した。たね子と云うよりもたね子の眉へ。―― 「職工か何かにキスされたからですって。」 「そんなことくらいでも発狂するものかな。」 「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」 「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」 「何か大へんな間違いをしてね、――何をしたのだかわからないのよ。何か大へんな間違いをして汽車の線路へとびこんだ夢なの。そこへ汽車が来たものだから、――」 「轢かれたと思ったら、目を醒ましたのだろう。」  夫はもう上衣をひっかけ、春の中折帽をかぶっていた。が、まだ鏡に向ったまま、タイの結びかたを気にしていた。 「いいえ、轢かれてしまってからも、夢の中ではちゃんと生きているの。ただ体は滅茶滅茶になって眉毛だけ線路に残っているのだけれども、……やっぱりこの二三日洋食の食べかたばかり気にしていたせいね。」 「そうかも知れない。」  たね子は夫を見送りながら、半ば独り言のように話しつづけた。 「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」  しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見ながら、もう一度番茶を飲もうとした。すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。 「…………」  たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。 (昭和二年三月二十八日)
底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年3月24日第1刷発行    1993(平成5)年2月25日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年2月3日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000164", "作品名": "たね子の憂鬱", "作品名読み": "たねこのゆううつ", "ソート用読み": "たねこのゆううつ", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新潮」1927(昭和2)年5月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-02-03T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card164.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集6", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1987(昭和62)年3月24日", "入力に使用した版1": "1993(平成5)年2月25日第6刷", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第8刷", "底本の親本名1": "筑摩全集類聚版芥川龍之介全集", "底本の親本出版社名1": "筑摩書房", "底本の親本初版発行年1": "1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/164_ruby_1455.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/164_15214.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 煙草は、本来、日本になかつた植物である。では、何時頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――  そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙人とか、西班牙人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たのださうである。  かう云ふと、切支丹宗門の信者は、彼等のパアテルを誣ひるものとして、自分を咎めようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。  しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤もアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草の花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。         *      *      *  天文十八年、悪魔は、フランシス・ザヴイエルに伴いてゐる伊留満の一人に化けて、長い海路を恙なく、日本へやつて来た。この伊留満の一人に化けられたと云ふのは、正物のその男が、阿媽港か何処かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁へ尻尾をまきつけて、倒にぶら下りながら、私に船中の容子を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた。勿論、ドクトル・フアウストを尋ねる時には、赤い外套を着た立派な騎士に化ける位な先生の事だから、こんな芸当なぞは、何でもない。  所が、日本へ来て見ると、西洋にゐた時に、マルコ・ポオロの旅行記で読んだのとは、大分、容子がちがふ。第一、あの旅行記によると、国中至る処、黄金がみちみちてゐるやうであるが、どこを見廻しても、そんな景色はない。これなら、ちよいと磔を爪でこすつて、金にすれば、それでも可成、誘惑が出来さうである。それから、日本人は、真珠か何かの力で、起死回生の法を、心得てゐるさうであるが、それもマルコ・ポオロの嘘らしい。嘘なら、方々の井戸へ唾を吐いて、悪い病さへ流行らせれば、大抵の人間は、苦しまぎれに当来の波羅葦僧なぞは、忘れてしまふ。――フランシス上人の後へついて、殊勝らしく、そこいらを見物して歩きながら、悪魔は、私にこんな事を考へて、独り会心の微笑をもらしてゐた。  が、たつた一つ、ここに困つた事がある。こればかりは、流石の悪魔が、どうする訳にも行かない。と云ふのは、まだフランシス・ザヴイエルが、日本へ来たばかりで、伝道も盛にならなければ、切支丹の信者も出来ないので、肝腎の誘惑する相手が、一人もゐないと云ふ事である。これには、いくら悪魔でも、少からず、当惑した。第一、さしあたり退屈な時間を、どうして暮していいか、わからない。――  そこで、悪魔は、いろいろ思案した末に、先園芸でもやつて、暇をつぶさうと考へた。それには、西洋を出る時から、種々雑多な植物の種を、耳の穴の中へ入れて持つてゐる。地面は、近所の畠でも借りれば、造作はない。その上、フランシス上人さへ、それは至極よからうと、賛成した。勿論、上人は、自分についてゐる伊留満の一人が、西洋の薬用植物か何かを、日本へ移植しようとしてゐるのだと、思つたのである。  悪魔は、早速、鋤鍬を借りて来て、路ばたの畠を、根気よく、耕しはじめた。  丁度水蒸気の多い春の始で、たなびいた霞の底からは、遠くの寺の鐘が、ぼうんと、眠むさうに、響いて来る、その鐘の音が、如何にも又のどかで、聞きなれた西洋の寺の鐘のやうに、いやに冴えて、かんと脳天へひびく所がない。――が、かう云ふ太平な風物の中にゐたのでは、さぞ悪魔も、気が楽だらうと思ふと、決してさうではない。  彼は、一度この梵鐘の音を聞くと、聖保羅の寺の鐘を聞いたよりも、一層、不快さうに、顔をしかめて、むしやうに畑を打ち始めた。何故かと云ふと、こののんびりした鐘の音を聞いて、この曖々たる日光に浴してゐると、不思議に、心がゆるんで来る。善をしようと云ふ気にもならないと同時に、悪を行はうと云ふ気にもならずにしまふ。これでは、折角、海を渡つて、日本人を誘惑に来た甲斐がない。――掌に肉豆がないので、イワンの妹に叱られた程、労働の嫌な悪魔が、こんなに精を出して、鍬を使ふ気になつたのは、全く、このややもすれば、体にはひかかる道徳的の眠けを払はうとして、一生懸命になつたせゐである。  悪魔は、とうとう、数日の中に、畑打ちを完つて、耳の中の種を、その畦に播いた。         *      *      *  それから、幾月かたつ中に、悪魔の播いた種は、芽を出し、茎をのばして、その年の夏の末には、幅の広い緑の葉が、もう残りなく、畑の土を隠してしまつた。が、その植物の名を知つてゐる者は、一人もない。フランシス上人が、尋ねてさへ、悪魔は、にやにや笑ふばかりで、何とも答へずに、黙つてゐる。  その中に、この植物は、茎の先に、簇々として、花をつけた。漏斗のやうな形をした、うす紫の花である。悪魔には、この花のさいたのが、骨を折つただけに、大へん嬉しいらしい。そこで、彼は、朝夕の勤行をすましてしまふと、何時でも、その畑へ来て、余念なく培養につとめてゐた。  すると、或日の事、(それは、フランシス上人が伝道の為に、数日間、旅行をした、その留守中の出来事である。)一人の牛商人が、一頭の黄牛をひいて、その畑の側を通りかかつた。見ると、紫の花のむらがつた畑の柵の中で、黒い僧服に、つばの広い帽子をかぶつた、南蛮の伊留満が、しきりに葉へついた虫をとつてゐる。牛商人は、その花があまり、珍しいので、思はず足を止めながら、笠をぬいで、丁寧にその伊留満へ声をかけた。  ――もし、お上人様、その花は何でございます。  伊留満は、ふりむいた。鼻の低い、眼の小さな、如何にも、人の好ささうな紅毛である。  ――これですか。  ――さやうでございます。  紅毛は、畑の柵によりかかりながら、頭をふつた。さうして、なれない日本語で云つた。  ――この名だけは、御気の毒ですが、人には教へられません。  ――はてな、すると、フランシス様が、云つてはならないとでも、仰有つたのでございますか。  ――いいえ、さうではありません。  ――では、一つお教へ下さいませんか、手前も、近ごろはフランシス様の御教化をうけて、この通り御宗旨に、帰依して居りますのですから。  牛商人は、得意さうに自分の胸を指さした。見ると、成る程、小さな真鍮の十字架が、日に輝きながら、頸にかかつてゐる。すると、それが眩しかつたのか、伊留満はちよいと顔をしかめて、下を見たが、すぐに又、前よりも、人なつこい調子で、冗談ともほんとうともつかずに、こんな事を云つた。  ――それでも、いけませんよ。これは、私の国の掟で、人に話してはならない事になつてゐるのですから。それより、あなたが、自分で一つ、あててごらんなさい。日本の人は賢いから、きつとあたります。あたつたら、この畑にはえてゐるものを、みんな、あなたにあげませう。  牛商人は、伊留満が、自分をからかつてゐるとでも思つたのであらう。彼は、日にやけた顔に、微笑を浮べながら、わざと大仰に、小首を傾けた。  ――何でございますかな。どうも、殺急には、わかり兼ねますが。  ――なに今日でなくつても、いいのです。三日の間に、よく考へてお出でなさい。誰かに聞いて来ても、かまひません。あたつたら、これをみんなあげます。この外にも、珍陀の酒をあげませう。それとも、波羅葦僧垤利阿利の絵をあげますか。  牛商人は、相手があまり、熱心なのに、驚いたらしい。  ――では、あたらなかつたら、どう致しませう。  伊留満は帽子をあみだに、かぶり直しながら、手を振つて、笑つた。牛商人が、聊、意外に思つた位、鋭い、鴉のやうな声で、笑つたのである。  ――あたらなかつたら、私があなたに、何かもらひませう。賭です。あたるか、あたらないかの賭です。あたつたら、これをみんな、あなたにあげますから。  かう云ふ中に紅毛は、何時か又、人なつこい声に、帰つてゐた。  ――よろしうございます。では、私も奮発して、何でもあなたの仰有るものを、差上げませう。  ――何でもくれますか、その牛でも。  ――これでよろしければ、今でも差上げます。  牛商人は、笑ひながら、黄牛の額を、撫でた。彼はどこまでも、これを、人の好い伊留満の、冗談だと思つてゐるらしい。  ――その代り、私が勝つたら、その花のさく草を頂きますよ。  ――よろしい。よろしい。では、確に約束しましたね。  ――確に、御約定致しました。御主エス・クリストの御名にお誓ひ申しまして。  伊留満は、これを聞くと、小さな眼を輝かせて、二三度、満足さうに、鼻を鳴らした。それから、左手を腰にあてて、少し反り身になりながら、右手で紫の花にさはつて見て、  ――では、あたらなかつたら――あなたの体と魂とを、貰ひますよ。  かう云つて、紅毛は、大きく右の手をまはしながら、帽子をぬいだ。もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊のやうな角が二本、はえてゐる。牛商人は、思はず顔の色を変へて、持つてゐた笠を、地に落した。日のかげつたせゐであらう、畑の花や葉が、一時に、あざやかな光を失つた。牛さへ、何におびえたのか、角を低くしながら、地鳴りのやうな声で、唸つてゐる。……  ――私にした約束でも、約束は、約束ですよ。私が名を云へないものを指して、あなたは、誓つたでせう。忘れてはいけません。期限は、三日ですから。では、さやうなら。  人を莫迦にしたやうな、慇懃な調子で、かう云ひながら、悪魔は、わざと、牛商人に丁寧なおじぎをした。         *      *      *  牛商人は、うつかり、悪魔の手にのつたのを、後悔した。このままで行けば、結局、あの「ぢやぼ」につかまつて、体も魂も、「亡ぶることなき猛火」に、焼かれなければ、ならない。それでは、今までの宗旨をすてて、波宇寸低茂をうけた甲斐が、なくなつてしまふ。  が、御主耶蘇基督の名で、誓つた以上、一度した約束は、破る事が出来ない。勿論、フランシス上人でも、ゐたのなら、またどうにかなる所だが、生憎、それも今は留守である。そこで、彼は、三日の間、夜の眼もねずに、悪魔の巧みの裏をかく手だてを考へた。それには、どうしても、あの植物の名を、知るより外に、仕方がない。しかし、フランシス上人でさへ、知らない名を、どこに知つてゐるものが、ゐるであらう。……  牛商人は、とうとう、約束の期限の切れる晩に、又あの黄牛をひつぱつて、そつと、伊留満の住んでゐる家の側へ、忍んで行つた。家は畑とならんで、往来に向つてゐる。行つて見ると、もう伊留満も寝しづまつたと見えて、窓からもる灯さへない。丁度、月はあるが、ぼんやりと曇つた夜で、ひつそりした畑のそこここには、あの紫の花が、心ぼそくうす暗い中に、ほのめいてゐる。元来、牛商人は、覚束ないながら、一策を思ひついて、やつとここまで、忍んで来たのであるが、このしんとした景色を見ると、何となく恐しくなつて、いつそ、このまま帰つてしまはうかと云ふ気にもなつた。殊に、あの戸の後では、山羊のやうな角のある先生が、因辺留濃の夢でも見てゐるのだと思ふと、折角、はりつめた勇気も、意気地なく、くじけてしまふ。が、体と魂とを、「ぢやぼ」の手に、渡す事を思へば、勿論、弱い音なぞを吐いてゐるべき場合ではない。  そこで、牛商人は、毘留善麻利耶の加護を願ひながら、思ひ切つて、予、もくろんで置いた計画を、実行した。計画と云ふのは、別でもない。――ひいて来た黄牛の綱を解いて、尻をつよく打ちながら、例の畑へ勢よく追ひこんでやつたのである。  牛は、打たれた尻の痛さに、跳ね上りながら、柵を破つて、畑をふみ荒らした。角を家の板目につきかけた事も、一度や二度ではない。その上、蹄の音と、鳴く声とは、うすい夜の霧をうごかして、ものものしく、四方に響き渡つた。すると、窓の戸をあけて、顔を出したものがある。暗いので、顔はわからないが、伊留満に化けた悪魔には、相違ない。気のせゐか、頭の角は、夜目ながら、はつきり見えた。  ――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。  悪魔は、手をふりながら、睡むさうな声で、かう怒鳴つた。寝入りばなの邪魔をされたのが、よくよく癪にさはつたらしい。  が、畑の後へかくれて、容子を窺つてゐた牛商人の耳へは、悪魔のこの語が、泥烏須の声のやうに、響いた。……  ――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。         *      *      *  それから、先の事は、あらゆるこの種類の話のやうに、至極、円満に完つてゐる。即、牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、悪魔に鼻をあかさせた。さうして、その畑にはえてゐる煙草を、悉く自分のものにした。と云ふやうな次第である。  が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つてゐる。何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、その代に、煙草は、洽く日本全国に、普及させる事が出来た。して見ると牛商人の救抜が、一面堕落を伴つてゐるやうに、悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはしないだらうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる事がありはしないだらうか。  それから序に、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置かう。彼は、フランシス上人が、帰つて来ると共に、神聖なペンタグラマの威力によつて、とうとう、その土地から、逐払はれた。が、その後も、やはり伊留満のなりをして、方々をさまよつて、歩いたものらしい。或記録によると、彼は、南蛮寺の建立前後、京都にも、屡々出没したさうである。松永弾正を飜弄した例の果心居士と云ふ男は、この悪魔だと云ふ説もあるが、これはラフカデイオ・ヘルン先生が書いてゐるから、ここには、御免を蒙る事にしよう。それから、豊臣徳川両氏の外教禁遏に会つて、始の中こそ、まだ、姿を現はしてゐたが、とうとう、しまひには、完く日本にゐなくなつた。――記録は、大体ここまでしか、悪魔の消息を語つてゐない。唯、明治以後、再、渡来した彼の動静を知る事が出来ないのは、返へす返へすも、遺憾である。…… (大正五年十月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:吉田亜津美 1998年9月11日公開 2004年3月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この度は田端の人々を書かん。こは必ずしも交友ならず。寧ろ僕の師友なりと言ふべし。  下島勲 下島先生はお医者なり。僕の一家は常に先生の御厄介になる。又空谷山人と号し、乞食俳人井月の句を集めたる井月句集の編者なり。僕とは親子ほど違ふ年なれども、老来トルストイでも何でも読み、論戦に勇なるは敬服すべし。僕の書画を愛する心は先生に負ふ所少からず。なほ次手に吹聴すれば、先生は時々夢の中に化けものなどに追ひかけられても、逃げたことは一度もなきよし。先生の胆、恐らくは駝鳥の卵よりも大ならん乎。  香取秀真 香取先生は通称「お隣の先生」なり。先生の鋳金家にして、根岸派の歌よみたることは断る必要もあらざるべし。僕は先生と隣り住みたる為、形の美しさを学びたり。勿論学んで悉したりとは言はず。且又先生に学ぶ所はまだ沢山あるやうなれば、何ごとも僕に盗めるだけは盗み置かん心がまへなり。その為にも「お隣の先生」の御寿命のいや長に長からんことを祈り奉る。香取先生にも何かと御厄介になること多し。時には叔父を一人持ちたる気になり、甘つたれることもなきにあらず。  小杉未醒 これも勿論年長者なり。本職の油画や南画以外にも詩を作り、句を作り、歌を作る。呆れはてたる器用人と言ふべし。和漢の武芸に興味を持つたり、テニスや野球をやつたりする所は豪傑肌のやうなれども、荒木又右衛門や何かのやうに精悍一点張りの野蛮人にはあらず。僕などは何か災難に出合ひ、誰かに同情して貰ひたき時には、まづ未醒老人に綿々と愚痴を述べるつもりなり。尤も実際述べたことは幸ひにもまだ一度もなし。  鹿島龍蔵 これも親子ほど年の違ふ実業家なり。少年西洋に在りし為、三味線や御神燈を見ても遊蕩を想はず、その代りに艶きたるランプ・シエエドなどを見れば、忽ち遊蕩を想ふよし。書、篆刻、謡、舞、長唄、常盤津、歌沢、狂言、テニス、氷辷り等通ぜざるものなしと言ふに至つては、誰か唖然として驚かざらんや。然れども鹿島さんの多芸なるは僕の尊敬するところにあらず。僕の尊敬する所は鹿島さんの「人となり」なり。鹿島さんの如く、熟して敗れざる底の東京人は今日既に見るべからず。明日は更に稀なるべし。僕は東京と田舎とを兼ねたる文明的混血児なれども、東京人たる鹿島さんには聖賢相親しむの情――或は狐狸相親しむの情を懐抱せざる能はざるものなり。鹿島さんの再び西洋に遊ばんとするに当り、活字を以て一言を餞す。あんまりランプ・シエエドなどに感心して来てはいけません。  室生犀星 これは何度も書いたことあれば、今更言を加へずともよし。只僕を僕とも思はずして、「ほら、芥川龍之介、もう好い加減に猿股をはきかへなさい」とか、「そのステッキはよしなさい」とか、入らざる世話を焼く男は余り外にはあらざらん乎。但し僕をその小言の前に降参するものと思ふべからず。僕には室生の苦手なる議論を吹つかける妙計あり。  久保田万太郎 これも多言を加ふるを待たず。やはり僕が議論を吹つかければ、忽ち敬して遠ざくる所は室生と同工異曲なり。なほ次手に吹聴すれば、久保田君は酒客なれども、(室生を呼ぶ時は呼び捨てにすれども、久保田君は未だに呼び捨てに出来ず。)海鼠腸を食はず。からすみを食はず、況や烏賊の黒作り(これは僕も四五日前に始めて食ひしものなれども)を食はず。酒客たらざる僕よりも味覚の進歩せざるは気の毒なり。  北原大輔 これは僕よりも二三歳の年長者なれども、如何にも小面の憎い人物なり。幸にも僕と同業ならず。若し僕と同業ならん乎、僕はこの人の模倣ばかりするか、或はこの人を殺したくなるべし。本職は美術学校出の画家なれども、なほ僕の苦手たるを失はず。只僕は捉へ次第、北原君の蔵家庭を盗み得るに反し、北原君は僕より盗むものなければ、畢竟得をするは僕なるが如し。これだけは聊か快とするに足る。なほ又次手につけ加へれば、北原君は底抜けの酒客なれども、座さへ酔うて崩したるを見ず。纔に平生の北原君よりも手軽に正体を露すだけなり。かかる時の北原君の眼はその俊爽の色あること、画中の人も及ばざるが如し。北原君の作品は後代恐らくは論ずるものあらん。然れども眼は必ずしも論ずるものありと言ふべからず、即ち北原君の小面憎さを説いて酔眼に至る所以なり。 (大正十四年二月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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〔八月〕二十七日  朝床の中でぐずついていたら、六時になった。何か夢を見たと思って考え出そうとしたが思いつかない。  起きて顔を洗って、にぎり飯を食って、書斎の机に向ったが、一向ものを書く気にもならない。そこで読みかけの本をよんだ。何だかへんな議論が綿々と書いてある。面倒臭くなったから、それもやめにして腹んばいになって、小説を読んだ。土左衛門になりかかった男の心もちを、多少空想的に誇張して、面白く書いてある。こいつは話せると思ったら、こないだから頭に持っている小説が、急に早く書きたくなった。  バルザックか、誰かが小説の構想をする事を「魔法の巻煙草を吸う」と形容した事がある。僕はそれから魔法の巻煙草とほんものの巻煙草とを、ちゃんぽんに吸った。そうしたらじきに午になった。  午飯を食ったら、更に気が重くなった。こう云う時に誰か来ればいいと思うが、生憎誰も来ない。そうかと云ってこっちから出向くのも厄介である。そこで仕方がないから、籐の枕をして、また小説を読んだ。そうして読みながら、いつか午睡をしてしまった。  眼がさめると、階下に大野さんが来ている。起きて顔を洗って、大野さんの所へ行って、骨相学の話を少しした。骨相学の起源は動物学の起源と関係があると云うような事を聞いている中にアリストテレスがどうとかと云うむずかしい話になったから、話の方は御免を蒙って、一つ僕の顔を見て貰う事にした。すると僕は、直覚力も推理力も甚円満に発達していると云うのだから大したものである。もっともこれは、あとで「動物性も大分あります。」とか何か云われたので、結局帳消しになってしまったらしい。  大野さんが帰ったあとで湯にはいって、飯を食って、それから十時頃まで、調べ物をした。  二十八日  涼しいから、こう云う日に出なければ出る日はないと思って、八時頃うちを飛び出した。動坂から電車に乗って、上野で乗換えて、序に琳琅閣へよって、古本をひやかして、やっと本郷の久米の所へ行った。すると南町へ行って、留守だと云うから本郷通りの古本屋を根気よく一軒一軒まわって歩いて、横文字の本を二三冊買って、それから南町へ行くつもりで三丁目から電車に乗った。  ところが電車に乗っている間に、また気が変ったから今度は須田町で乗換えて、丸善へ行った。行って見ると狆を引張った妙な異人の女が、ジェコブの小説はないかと云って、探している。その女の顔をどこかで見たようだと思ったら、四五日前に鎌倉で泳いでいるのを見かけたのである。あんな崔嵬たる段鼻は日本人にもめったにない。それでも小僧さんは、レディ・オヴ・ザ・バアジならございますとか何とか、丁寧に挨拶していた。大方この段鼻も涼しいので東京へ出て来たのだろう。  丸善に一時間ばかりいて、久しぶりで日吉町へ行ったら、清がたった一人で、留守番をしていた。入学試験はどうしたいと尋いて見たら、「ええ、まあ。」と云いながら、坊主頭を撫でて、にやにやしている。それから暇つぶしに清を相手にして、五目ならべをしたら、五番の中四番ともまかされた。  その中に皆帰って来たから、一しょに飯を食って、世間話をしていると、八重子が買いたての夏帯を、いいでしょうと云って見せに来た。面倒臭いから、「うんいいよ、いいよ。」と云っていると、わざわざしめていた帯をしめかえて、「ああしめにくい。」と顔をしかめている。「しめにくければ、買わなければいいのに。」と云ったら、すぐに「大きなお世話だわ。」とへこまされた。  日暮方に、南町へ電話をかけて置いて、帰ろうとしたら、清が「今夜皆で金春館へ行こうって云うんですがね。一しょに行きませんか。」と云った。八重子も是非一しょに行けと云う、これは僕が新橋の芸者なるものを見た事がないから、その序に見せてやろうと云う厚意なのだそうである。僕は八重子に、「お前と一しょに行くと、御夫婦だと思われるからいやだよ。」と云って外へ出た。そうしたら、うしろで「いやあだ。」と云う声と、猪口の糸底ほどの唇を、反らせて見せるらしいけはいがした。  外濠線へ乗って、さっき買った本をいい加減にあけて見ていたら、その中に春信論が出て来て、ワットオと比較した所が面白かったから、いい気になって読んでいると、うっかりしている間に、飯田橋の乗換えを乗越して新見附まで行ってしまった。車掌にそう云うのも業腹だから、下りて、万世橋行へ乗って、七時すぎにやっと満足に南町へ行った。  南町で晩飯の御馳走になって、久米と謎々論をやっていたら、たちまち九時になった。帰りに矢来から江戸川の終点へ出ると、明き地にアセチリン瓦斯をともして、催眠術の本を売っている男がある。そいつが中々踔厲風発しているから、面白がって前の方へ出て聞いていると、あなたを一つかけて上げましょうと云われたので、匇々退却した。こっちの興味に感ちがいをする人間ほど、人迷惑なものはない。  家へ帰ったら、留守に来た手紙の中に成瀬のがまじっている。紐育は暑いから、加奈陀へ行くと書いてある。それを読んでいると久しぶりで成瀬と一しょにあげ足のとりっくらでもしたくなった。  二十九日  朝から午少し前まで、仕事をしたら、へとへとになったから、飯を食って、水風呂へはいって、漫然と四角な字ばかり並んだ古本をあけて読んでいると、赤木桁平が、帷子の上に縞絽の羽織か何かひっかけてやって来た。  赤木は昔から李太白が贔屓で、将進酒にはウェルトシュメルツがあると云うような事を云う男だから、僕の読んでいる本に李太白の名がないと、大に僕を軽蔑した。そこで僕も黙っていると負けた事にされるから暑いのを我慢して、少し議論をした。どうせ暇つぶしにやる議論だから勝っても負けても、どちらでも差支えない。その中に赤木は、「一体支那人は本へ朱で圏点をつけるのが皆うまい。日本人にやとてもああ円くは出来ないから、不思議だ。」と、つまらない事を感心し出した。朱でまるを描くくらいなら、己だって出来ると思ったが、うっかりそんな事を云うと、すぐ「じゃ、やって見ろ。」ぐらいな事になり兼ねないから、「成程そうかね。」とまず敬して遠ざけて置いた。  日の暮れ方に、二人で湯にはいって、それから、自笑軒へ飯を食いに行った。僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に大倉喜八郎と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う、大へんな小唄である。文句も話した時は覚えていたが、もうすっかり忘れてしまった。赤木は、これも二三杯の酒で赤くなって、へええ、聞けば聞くほど愚劣だねと、大にその作者を罵倒していた。  かえりに、女中が妙な行燈に火を入れて、門まで送って来たら、その行燈に白い蛾が何匹もとんで来た。それが甚、うつくしかった。  外へ出たら、このまま家へかえるのが惜しいような気がしたから、二人で電車へ乗って、桜木町の赤木の家へ行った。見ると石の門があって、中に大きな松の木があって、赤木には少し勿体ないような家だから、おい家賃はいくらすると訊いて見たが、なに存外安いよとか何とか、大に金のありそうな事を云ってすましている。それから、籐椅子に尻を据えて、勝手な気焔をあげていると、奥さんが三つ指で挨拶に出て来られたのには、少からず恐縮した。  すると、向うの家の二階で、何だか楽器を弾き出した。始はマンドリンかと思ったが、中ごろから、赤木があれは琴だと道破した。僕は琴にしたくなかったから、いや二絃琴だよと異を樹てた。しばらくは琴だ二絃琴だと云って、喧嘩していたが、その中に楽器の音がぴったりしなくなった。今になって考えて見ると、どうもあれはこっちの議論が、向うの人に聞えたのに相違ない。そう思うと、僕はいいが、赤木は向う同志と云う関係上、もっと恐縮して然るべき筈である。  帰りに池の端から電車へ乗ったら、左の奥歯が少し痛み出した。舌をやってみると、ぐらぐら動くやつが一本ある。どうも赤木の雄弁に少し祟られたらしい。  三十日  朝起きたら、歯の痛みが昨夜よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。いびつになった顔は、確にあまり体裁の好いものじゃない。そこで右の頬をふくらせたら、平均がとれるだろうと思って、そっちへ舌をやって見たが、やっぱり顔は左の方へゆがんでいる。少くとも今日一日、こんな顔をしているのかと思ったら、甚不平な気がして来た。  ところが飯を食って、本郷の歯医者へ行ったら、いきなり奥歯を一本ぬかれたのには驚いた。聞いて見ると、この歯医者の先生は、いまだかつて歯痛の経験がないのだそうである。それでなければ、とてもこんなに顔のゆがんでいる僕をつかまえて辣腕をふるえる筈がない。  かえりに区役所前の古道具屋で、青磁の香炉を一つ見つけて、いくらだと云ったら、色眼鏡をかけた亭主が開闢以来のふくれっ面をして、こちらは十円と云った。誰がそんなふくれっ面の香炉を買うものか。  それから広小路で、煙草と桃とを買ってうちへ帰った。歯の痛みは、それでも前とほとんど変りがない。  午飯の代りに、アイスクリイムと桃とを食って、二階へ床をとらせて、横になった。どうも気分がよくないから、検温器を入れて見ると、熱が八度ばかりある。そこで枕を氷枕に換えて、上からもう一つ氷嚢をぶら下げさせた。  すると二時頃になって、藤岡蔵六が遊びに来た。到底起きる気がしないから、横になったまま、いろいろ話していると、彼が三分ばかりのびた髭の先をつまみながら、僕は明日か明後日御嶽へ論文を書きに行くよと云った。どうせ蔵六の事だから僕がよんだってわかるようなものは書くまいと思って、またカントかとか何とかひやかしたら、そんなものじゃないと答えた。それから、じゃデカルトだろう。君はデカルトが船の中で泥棒に遇った話を知っているかと、自分でも訳のわからない事をえらそうにしゃべったら、そんな事は知らないさと、あべこべに軽蔑された。大方僕が熱に浮かされているとでも思ったのだろう。このあとで僕の写真を見せたら、一体君の顔は三角定規を倒にしたような顔だのに、こう髪の毛を長くしちゃ、いよいよエステティッシュな趣を損うよ。と、入らざる忠告を聞かされた。  蔵六が帰った後で夕飯に粥を食ったが、更にうまくなかった。体中がいやにだるくって、本を読んでも欠伸ばかり出る。その中にいつか、うとうと眠ってしまった。  眼がさめて見ると、知らない間に、蚊帳が釣ってあった。そうして、それにあけて置いた窓から月がさしていた。無論電燈もちゃんと消してある。僕は氷枕の位置を直しながら、蚊帳ごしに明るい空を見た。そうしたらこの三年ばかり逢った事のない人の事が頭に浮んだ。どこか遠い所へ行っておそらくは幸福にくらしている人の事である。  僕は起きて、戸をしめて電燈をつけて、眠くなるまで枕もとの本を読んだ。 (大正六年)
底本:「芥川龍之介全集8」ちくま文庫、筑摩書房    1989(平成元)年8月29日第1刷発行    1998(平成10)年2月17日第3刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」    1971(昭和46)年3月~11月刊行 入力:土屋隆 校正:noriko saito 2007年7月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 西洋の幽霊――西洋と云つても英米だけだが、その英米の小説に出て来る、近頃の幽霊の話でも少ししませう。少し古い所から勘定すると、英吉利には名高い「オトラントの城」を書いたウオルポオル、ラドクリツフ夫人、マテユリン(この人の「メルモス」は、バルザツクやゲエテにも影響を与へたので有名だが)、「僧」を書いて僧ルイズの渾名をとつたルイズ、スコツト、リツトン、ボツグなどがあるし、亜米利加にはポオやホウソオンがあるが、幽霊――或は一般に妖怪を書いた作品は今でも存外少くない。殊に欧洲の戦役以来、宗教的感情が瀰漫すると同時に、いろいろ戦争に関係した幽霊の話も出て来たやうです。戦争文学に怪談が多いなどは、面白い現象に違ひないでせう。何しろ仏蘭西のやうな国でさへ、丁度昔のジアン・ダアクのやうに、クレエル・フエルシヨオと云ふ女が出て、基督や天使を目のあたりに見る。ポアンカレエやクレマンソオがその女を接見する。フオツシユ将軍が信者になる。――と云ふやうな次第だから、小説の方へも超自然の出来事が盛にはひつて来たのは当然です。この種の小説を読んで見ると、中々奇抜な怪談がある。これは亜米利加が欧洲の戦役へ参加した後に出来た話ですが、ワシントンの幽霊が亜米利加独立軍の幽霊と一しよに大西洋を横断して祖国の出征軍に一臂の労を貸しに行くと云ふ小説がある。(Harrison Rhodes: Extra Men)ワシントンの幽霊は振つてゐませう。さうかと思ふと、仏蘭西の女の兵隊と独逸の兵隊とが対峙してゐる、独逸の兵隊は虜にした幼児を楯にして控へてゐる。其時戦死した仏蘭西の男の兵隊が、――女の兵隊の御亭主達の幽霊が、霧のやうに殺到して独逸の兵隊を逐ひ散らしてしまふ、と云つた筋の話もある。(Frances Gilchrist Wood: The White Battalion)兎に角種類の上から云ふと、近頃の幽霊を書いた小説の中では、既にこの方面専門の小説家さへ出てゐる位、(Arthur Machen など)戦争物が目立つてゐるやうです。  種類の上の話はこの位にするが、一般に近頃の小説では、幽霊――或は妖怪の書き方が、余程科学的になつてゐる。決してゴシツク式の怪談のやうに、無暗に血だらけな幽霊が出たり骸骨が踊りを踊つたりしない。殊に輓近の心霊学の進歩は、小説の中の幽霊に驚くべき変化を与へたやうです。キツプリング、ブラツクウツド、ビイアスと数へて来ると、どうも皆其机の抽斗には心霊学会の研究報告がはひつてゐさうな心持がする。殊にブラツクウツドなどは(Algernon Blackwood)御当人が既にセオソフイストだから、どの小説も悉く心霊学的に出来上つてゐる。この人の小説に「ジヨン・サイレンス」と云ふのがあるが、そのサイレンス先生なるものは、云はば心霊学のシヤアロツク・ホオムス氏で、化物屋敷へ探険に行つたり悪霊に憑かれたのを癒してやつたりする、それを一々書き並べたのが一篇の結構になつてゐる訣です。それから又「双子」と云ふ小説がある。これは極短い物ですが、双子が一人になつてしまふ。――と云つたのでは通じないでせう、双子が体は二つあつても、魂は一つになつてしまふ。――一人に二人分の性格が出来ると同時に、他の一人は白痴になつてしまふ。その径路を書いたものですが、外界には何も起らずに、内界に不思議な変化の起る所が、頗る巧妙に書いてある。これなどはルイズやマテユリンには、到底見られない離れ業です。序にもう一つ例を挙げると、ウエルスが始めて書いたとか云ふ第四の空間があつて、何かの拍子に其処へはひると、当人はちやんと生きてゐても、この世界の人間には姿が見えない。云はば日本の神隠しに、新解釈を加へたやうなものです。これはその後ビイアスが、第四の空間へはひる刹那までも、簡勁に二三書いてゐる。殊に或少年が行方知れずになる。尤も或る所までは雪の中に、はつきり足跡が残つてゐる。が、それぎりどうしたか、後にも先にも行つた容子がない。唯、母親が其処へ行くと、声だけ聞えたと云ふなどは、一二枚の小品だがあはれな気がする。ビイアスは無気味な物を書くと、少くとも英米の文壇では、ポオ以後第一人の観のある男ですが、(Amborose Bierce)御当人も第四の空間へでも飛びこんだのか、メキシコか何処かへ行く途中、杳として行方を失つた儘、わからずしまひになつてゐるさうです。  幽霊――或は妖怪の書き方が変つて来ると同時に、その幽霊――或は妖怪にも、いろいろ変り種が殖えて来る。一例を挙げるとブラツクウツドなどには、エレメンタルスと云ふやつが、時々小説の中へ飛び出して来る。これは火とか水とか土とか云ふ、古い意味の元素の霊です。エレメンタルスの名は元よりあつたでせうが、その活動が小説に現れ出したのは、近頃の事に違ひありますまい。ブラツクウツドの「柳」と云ふ小説を読むと、ダニウブ河へボオト旅行に出かけた二人の青年が、河の中の洲に茂つてゐる柳のエレメンタルスに悩まされる。――エレメンタルスの描写は兎も角も、夜営の所は器用に書いてあります。この柳の霊なるものは、かすかな銅鑼のやうな声を立てる所までは好いが、三十三間堂のお柳などとは違つて、人間を殺しに来るのださうだから、中々油断はなりません。その外にまだ何とも得体の知れない妙な物の出て来る小説がある。妙な物と云ふのは、声も姿もない、その癖触覚には触れると云ふ、要するにまあ妙な物です。これはド・モウパツサンのオオラあたりが粉本かも知れないが、私の思ひ出す限りでは、英米の小説中、この種の怪物の出て来るのが、まづ二つばかりある。一つはビイアスの小説だが、この怪物が通ることは、唯草が動くので知れる。尤も動物には見えると見えて、犬が吠えたり、鳥が逃げたりする、しまひに人間が絞め殺される。その時居合せた男が見ると、その怪物と組み合つた人間は、怪物の体に隠れた所だけ、全然形が消えたやうに見えた、――と云つたやうな工合です。(The Damned Thing)もう一つはこれも月の光に見ると、顔は皺くちやの敷布か何かだつたと云ふのだから、新工夫には違ひありません。  この位で御免蒙りますが、西洋の幽霊は一体に、骸骨でなければ着物を着てゐる。裸の幽霊と云ふのは、近頃になつても一つも類がないやうです。尤も怪物には裸も少くない。今のオオブリエンの怪物も、確毛むくぢやらな裸でした。その点では幽霊は、人間より余程行儀が好い。だから誰か今の内に裸の幽霊の小説を書いたら、少くともこの意味では前人未発の新天地を打開した事になる筈です。 (大正十一年一月) 〔談話〕
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 自分が中学の四年生だった時の話である。  その年の秋、日光から足尾へかけて、三泊の修学旅行があった。「午前六時三十分上野停車場前集合、同五十分発車……」こう云う箇条が、学校から渡す謄写版の刷物に書いてある。  当日になると自分は、碌に朝飯も食わずに家をとび出した。電車でゆけば停車場まで二十分とはかからない。――そう思いながらも、何となく心がせく。停車場の赤い柱の前に立って、電車を待っているうちも、気が気でない。  生憎、空は曇っている。方々の工場で鳴らす汽笛の音が、鼠色の水蒸気をふるわせたら、それが皆霧雨になって、降って来はしないかとも思われる。その退屈な空の下で、高架鉄道を汽車が通る。被服廠へ通う荷馬車が通る。店の戸が一つずつ開く。自分のいる停車場にも、もう二三人、人が立った。それが皆、眠の足りなそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。――そこへ割引の電車が来た。  こみ合っている中を、やっと吊皮にぶらさがると、誰か後から、自分の肩をたたく者がある。自分は慌ててふり向いた。 「お早う。」  見ると、能勢五十雄であった。やはり、自分のように、紺のヘルの制服を着て、外套を巻いて左の肩からかけて、麻のゲエトルをはいて、腰に弁当の包やら水筒やらをぶらさげている。  能勢は、自分と同じ小学校を出て、同じ中学校へはいった男である。これと云って、得意な学科もなかったが、その代りに、これと云って、不得意なものもない。その癖、ちょいとした事には、器用な性質で、流行唄と云うようなものは、一度聞くと、すぐに節を覚えてしまう。そうして、修学旅行で宿屋へでも泊る晩なぞには、それを得意になって披露する。詩吟、薩摩琵琶、落語、講談、声色、手品、何でも出来た。その上また、身ぶりとか、顔つきとかで、人を笑わせるのに独特な妙を得ている。従って級の気うけも、教員間の評判も悪くはない。もっとも自分とは、互に往来はしていながら、さして親しいと云う間柄でもなかった。 「早いね、君も。」 「僕はいつも早いさ。」能勢はこう云いながら、ちょいと小鼻をうごめかした。 「でもこの間は遅刻したぜ。」 「この間?」 「国語の時間にさ。」 「ああ、馬場に叱られた時か。あいつは弘法にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前をよびすてにする癖があった。 「あの先生には、僕も叱られた。」 「遅刻で?」 「いいえ、本を忘れて。」 「仁丹は、いやにやかましいからな。」「仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭につけた渾名である。――こんな話をしている中に、停車場前へ来た。  乗った時と同じように、こみあっている中をやっと電車から下りて停車場へはいると、時刻が早いので、まだ級の連中は二三人しか集っていない。互に「お早う」の挨拶を交換する。先を争って、待合室の木のベンチに、腰をかける。それから、いつものように、勢よく饒舌り出した。皆「僕」と云う代りに、「己」と云うのを得意にする年輩である。その自ら「己」と称する連中の口から、旅行の予想、生徒同志の品隲、教員の悪評などが盛んに出た。 「泉はちゃくいぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」 「平野はもっとちゃくいぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな爪へ書いて行くんだって。」 「そう云えば先生だってちゃくいからな。」 「ちゃくいとも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ碌に知らない癖に、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」  どこまでも、ちゃくいで持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。すると、その中に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴を、パッキンレイだと批評した。これは当時、マッキンレイと云う新形の靴が流行ったのに、この男の靴は、一体に光沢を失って、その上先の方がぱっくり口を開いていたからである。 「パッキンレイはよかった。」こう云って、皆一時に、失笑した。  それから、自分たちは、いい気になって、この待合室に出入するいろいろな人間を物色しはじめた。そうして一々、それに、東京の中学生でなければ云えないような、生意気な悪口を加え出した。そう云う事にかけて、ひけをとるような、おとなしい生徒は、自分たちの中に一人もいない。中でも能勢の形容が、一番辛辣で、かつ一番諧謔に富んでいた。 「能勢、能勢、あのお上さんを見ろよ。」 「あいつは河豚が孕んだような顔をしているぜ。」 「こっちの赤帽も、何かに似ているぜ。ねえ能勢。」 「あいつはカロロ五世さ。」  しまいには、能勢が一人で、悪口を云う役目をひきうけるような事になった。  すると、その時、自分たちの一人は、時間表の前に立って、細い数字をしらべている妙な男を発見した。その男は羊羹色の背広を着て、体操に使う球竿のような細い脚を、鼠の粗い縞のズボンに通している。縁の広い昔風の黒い中折れの下から、半白の毛がはみ出している所を見ると、もうかなりな年配らしい。その癖頸のまわりには、白と黒と格子縞の派手なハンケチをまきつけて、鞭かと思うような、寒竹の長い杖をちょいと脇の下へはさんでいる。服装と云い、態度と云い、すべてが、パンチの挿絵を切抜いて、そのままそれを、この停車場の人ごみの中へ、立たせたとしか思われない。――自分たちの一人は、また新しく悪口の材料が出来たのをよろこぶように、肩でおかしそうに笑いながら、能勢の手をひっぱって、 「おい、あいつはどうだい。」とこう云った。  そこで、自分たちは、皆その妙な男を見た。男は少し反り身になりながら、チョッキのポケットから、紫の打紐のついた大きなニッケルの懐中時計を出して、丹念にそれと時間表の数字とを見くらべている。横顔だけ見て、自分はすぐに、それが能勢の父親だと云う事を知った。  しかし、そこにいた自分たちの連中には、一人もそれを知っている者がない。だから皆、能勢の口から、この滑稽な人物を、適当に形容する語を聞こうとして、聞いた後の笑いを用意しながら、面白そうに能勢の顔をながめていた。中学の四年生には、その時の能勢の心もちを推測する明がない。自分は危く「あれは能勢の父だぜ。」と云おうとした。  するとその時、 「あいつかい。あいつはロンドン乞食さ。」  こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の姿を真似て見る者さえある。自分は、思わず下を向いた。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。 「そいつは適評だな。」 「見ろ。見ろ。あの帽子を。」 「日かげ町か。」 「日かげ町にだってあるものか。」 「じゃあ博物館だ。」  皆がまた、面白そうに笑った。  曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。  すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取りから、茫と斜めにさしている。能勢の父親は、丁度その光の帯の中にいた。――周囲では、すべての物が動いている。眼のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその運動が、声とも音ともつかないものになって、この大きな建物の中を霧のように蔽っている。しかし能勢の父親だけは動かない。この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立しているのである……  あとで、それとなく聞くと、その頃大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちと一しょに修学旅行に行く所を、出勤の途すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。  能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核に罹って、物故した。その追悼式を、中学の図書室で挙げた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞を読んだのは、自分である。「君、父母に孝に、」――自分はその悼辞の中に、こう云う句を入れた。 (大正五年三月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1995(平成7)年10月5日第13刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:earthian 1998年11月11日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 前島林右衛門  板倉修理は、病後の疲労が稍恢復すると同時に、はげしい神経衰弱に襲われた。――   肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。廊下を通る人の足音とか、家中の者の話声とかが聞えただけで、すぐ注意が擾されてしまう。それがだんだん嵩じて来ると、今度は極些細な刺戟からも、絶えず神経を虐まれるような姿になった。  第一、莨盆の蒔絵などが、黒地に金の唐草を這わせていると、その細い蔓や葉がどうも気になって仕方がない。そのほか象牙の箸とか、青銅の火箸とか云う先の尖った物を見ても、やはり不安になって来る。しまいには、畳の縁の交叉した角や、天井の四隅までが、丁度刃物を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。  修理は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、ささくれた神経の方で、許さない。彼は、蟻地獄に落ちた蟻のような、いら立たしい心で、彼の周囲を見まわした。しかも、そこにあるのは、彼の心もちに何の理解もない、徒に万一を惧れている「譜代の臣」ばかりである。「己は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみを察してくれるものがない。」――そう思う事が、既に彼には一倍の苦痛であった。  修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、事毎に興奮した。隣屋敷まで聞えそうな声で、わめき立てた事も一再ではない。刀架の刀に手のかかった事も、度々ある。そう云う時の彼はほとんど誰の眼にも、別人のようになってしまう。ふだん黄いろく肉の落ちた顔が、どこと云う事なく痙攣して眼の色まで妙に殺気立って来る。そうして、発作が甚しくなると、必ず左右の鬢の毛を、ふるえる両手で、かきむしり始める。――近習の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した索引にした。そう云う時には、互に警め合って、誰も彼の側へ近づくものがない。  発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の持っている怖れには反感を抱いている。しかし彼自身の感ずる怖れには、始めから反抗のしようがない。彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、己を脅かすのを意識した。そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、不吉な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうする。」  ――そう思うと、彼は、俄に眼の前が、暗くなるような心もちがした。  勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟から来るいら立たしさに、かき消された。が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。        ―――――――――――――――――――――――――  修理のこの逆上は、少からず一家中の憂慮する所となった。中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島林右衛門である。  林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部から、附人として来ているので、修理も彼には、日頃から一目置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭ら顔の大男で、文武の両道に秀でている点では、家中の侍で、彼の右に出るものは、幾人もない。そう云う関係上、彼はこれまで、始終修理に対して、意見番の役を勤めていた。彼が「板倉家の大久保彦左」などと呼ばれていたのも、完くこの忠諫を進める所から来た渾名である。  林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩の御礼として、登城しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから刃傷沙汰にでもなった日には、板倉家七千石は、そのまま「お取りつぶし」になってしまう。殷鑑は遠からず、堀田稲葉の喧嘩にあるではないか。  林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、放肆を諫めたり、奢侈を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。  だから、林右衛門は、爾来、機会さえあれば修理に苦諫を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧ろ、諫めれば諫めるほど、焦れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「主を主とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを。」――そう云う修理の眼の中にあったものは、既に怒りばかりではない。林右衛門は、そこに、また消し難い憎しみの色をも、読んだのである。  その中に、主従の間に纏綿する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく荒んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を云うのである。勿論、彼は、この憎しみを意識してはいなかった。少くとも、最後の一刻を除いて、修理に対する彼の忠心は、終始変らないものと信じていた。「君君為らざれば、臣臣為らず」――これは孟子の「道」だったばかりではない。その後には、人間の自然の「道」がある。しかし、林右衛門は、それを認めようとしなかった。……  彼は、飽くまでも、臣節を尽そうとした。が、苦諫の効がない事は、既に苦い経験を嘗めている。そこで、彼は、今まで胸中に秘していた、最後の手段に訴える覚悟をした。最後の手段と云うのは、ほかでもない。修理を押込め隠居にして、板倉一族の中から養子をむかえようと云うのである。――  何よりもまず、「家」である。(林右衛門はこう思った。)当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、乃祖板倉四郎左衛門勝重以来、未嘗、瑕瑾を受けた事のない名家である。二代又左衛門重宗が、父の跡をうけて、所司代として令聞があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾ぜられた時に、判元見届の重任を辱くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国の軍に将として、将軍家御名代の旗を、天草征伐の陣中に飜した。その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。臣子の分として、九原の下、板倉家累代の父祖に見ゆべき顔は、どこにもない。  こう思った林右衛門は、私に一族の中を物色した。すると幸い、当時若年寄を勤めている板倉佐渡守には、部屋住の子息が三人ある。その子息の一人を跡目にして、養子願さえすれば、公辺の首尾は、どうにでもなろう。もっともこれは、事件の性質上修理や修理の内室には、密々で行わなければならない。彼は、ここまで思案をめぐらした時に、始めて、明るみへ出たような心もちがした。そうして、それと同時に今までに覚えなかったある悲しみが、おのずからその心もちを曇らせようとするのが、感じられた。「皆御家のためじゃ。」――そう云う彼の決心の中には、彼自身朧げにしか意識しない、何ものかを弁護しようとするある努力が、月の暈のようにそれとなく、つきまとっていたからである。        ―――――――――――――――――――――――――  病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、本家の附人として、彼が陰に持っている権柄を憎んだ。最後に、彼の「家」を中心とする忠義を憎んだ。「主を主とも思わぬ奴じゃ。」――こう云う修理の語の中には、これらの憎しみが、燻りながら燃える火のように、暗い焔を蔵していたのである。  そこへ、突然、思いがけない非謀が、内室の口によって伝えられた。林右衛門は修理を押込め隠居にして、板倉佐渡守の子息を養子に迎えようとする。それが、偶然、内室の耳へ洩れた。――これを聞いた修理が、眦を裂いて憤ったのは無理もない。  成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在仕えている主人を蔑にしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」を憂えるのは、杞憂と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義呼わりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな酷刑でも、この不臣の行を罰するには、軽すぎるように思われた。  彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の乳人を勤めていた、田中宇左衛門という老人を呼んで、こう言った。 「林右衛門めを縛り首にせい。」  宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層皺を増している。――林右衛門の企ては、彼も快くは思っていない。が、何と云っても相手は本家からの附人である。 「縛り首は穏便でございますまい。武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。」  修理はこれを聞くと、嘲笑うような眼で、宇左衛門を見た。そうして、二三度強く頭を振った。 「いや人でなし奴に、切腹を申しつける廉はない。縛り首にせい。縛り首にじゃ。」  が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のない頬へ、はらはらと涙を落した。そうして、それから――いつものように両手で、鬢の毛をかきむしり始めた。        ―――――――――――――――――――――――――  縛り首にしろと云う命が出た事は、直に腹心の近習から、林右衛門に伝えられた。 「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手を拱いて縛り首もうたれまい。」  彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた得体の知れない不安が、この沙汰を聞くと同時に、跡方なく消えてしまうのを意識した。今の彼の心にあるものは、修理に対するあからさまな憎しみである。もう修理は、彼にとって、主人ではない。その修理を憎むのに、何の憚る所があろう。――彼の心の明るくなったのは、無意識ながら、全く彼がこう云う論理を、刹那の間に認めたからである。  そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち退いた。作法通り、立ち退き先の所書きは、座敷の壁に貼ってある。槍も、林右衛門自ら、小腋にして、先に立った。武具を担ったり、足弱を扶けたりしている若党草履取を加えても、一行の人数は、漸く十人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。  延享四年三月の末である。門の外では、生暖い風が、桜の花と砂埃とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。      二 田中宇左衛門  林右衛門の立ち退いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人をしていた関係上、修理を見る眼が、自らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の逆上をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥に滑になって来た。  宇左衛門は、修理の発作が、夏が来ると共に、漸く怠り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、惧れない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」に関る大事として、惧れた。併し、彼は、それを「主」に関る大事として惧れたのである。  勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には上っていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「主」をして、「家」を亡さしむるが故に――「主」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を未然に防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。  その年の八月一日、徳川幕府では、所謂八朔の儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕をした。そうして、その序に、当時西丸にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗匇をしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉を開く事が出来るような心もちがした。  しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。夜になると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、凶兆のように彼を脅したからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、不吉な予感に襲われながら、慌しく佐渡守の屋敷へ参候した。  すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子に長上下のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子もない。そこで安心して、暫く世間話をしている中に、偶然、佐渡守が、いつものように前島林右衛門の安否を訊ねた。すると、修理は急に額を暗くして、「林右衛門めは、先頃、手前屋敷を駈落ち致してござる。」と云う。林右衛門が、どう云う人間かと云う事は、佐渡守もよく知っている。何か仔細がなくては、妄に主家を駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの附人にどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、穏でない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の柄へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを贔屓にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時出頭の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事に呆れ返って、御用繁多を幸に、早速その場を外してしまった。―― 「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。  ――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような雑言を、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、忽ち、改易になってしまう。―― 「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」  佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。 「唯だ主につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」  宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。 「よろしゅうござりまする、しかと向後は慎むでございましょう。」 「おお、二度と過をせぬのが、何よりじゃ。」  佐渡守は、吐き出すように、こう云った。 「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」  彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、哀憐を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。  佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。        ――――――――――――――――――――――――― 「主」の意に従えば、「家」が危い。「家」を立てようとすれば、「主」の意に悖る事になる。嘗は、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。と云うよりは、むしろ、始からそれほど「主」を大事に思っていない。だから、彼は、容易く、「家」のために「主」を犠牲にした。  しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「主」に親しみすぎている。「家」のために、ただ、「家」と云う名のために、どうして、現在の「主」を無理に隠居などさせられよう。自分の眼から見れば、今の修理も、破魔弓こそ持たないものの、幼少の修理と変りがない。自分が絵解きをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津の歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……  そうかと云って、「主」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自身にも凶事が起りそうである。利害の打算から云えば、林右衛門のとった策は、唯一の、そうしてまた、最も賢明なものに相違ない。自分も、それは認めている。その癖、それが、自分には、どうしても実行する事が出来ないのである。  遠くで稲妻のする空の下を、修理の屋敷へ帰りながら、宇左衛門は悄然と腕を組んで、こんな事を何度となく胸の中で繰り返えした。        ―――――――――――――――――――――――――  修理は、翌日、宇左衛門から、佐渡守の云い渡した一部始終を聞くと、忽ち顔を曇らせた。が、それぎりで、格別いつものように、とり上せる気色もない。宇左衛門は、気づかいながら、幾分か安堵して、その日はそのまま、下って来た。  それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を利かない。いや、ただ一度、小雨のふる日に、時鳥の啼く声を聞いて、「あれは鶯の巣をぬすむそうじゃな。」とつぶやいた事がある。その時でさえ、宇左衛門が、それを潮に、話しかけたが、彼は、また黙って、うす暗い空へ眼をやってしまった。そのほかは、勿論、唖のように口をつぐんで、じっと襖障子を見つめている。顔には、何の感情も浮んでいない。  所が、ある夜、十五日の総出仕が二三日の中に迫った時の事である。修理は突然宇左衛門をよびよせて、人払いの上、陰気な顔をしながら、こんな事を云った。 「先達、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は覚束ないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」  宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲る気になれたのであろう。―― 「御尤もでございます。佐渡守様もあのように、仰せられますからは、残念ながら、そうなさるよりほかはございますまい。が、まず一応は、御一門衆へも……」 「いや、いや、隠居の儀なら、林右衛門の成敗とは変って、相談せずとも、一門衆は同意の筈じゃ。」  修理、こう云って、苦々しげに、微笑した。 「さようでもございますまい。」  宇左衛門は、傷しそうな顔をして、修理を見た。が、相手は、さらに耳へ入れる容子もない。 「さて、隠居すれば、出仕しようと思うても出仕する事は出来ぬ。されば、」修理はじっと宇左衛門の顔を見ながら、一句一句、重みを量るように、「その前に、今一度出仕して、西丸の大御所様(吉宗)へ、御目通りがしたい。どうじゃ。十五日に、登城させてはくれまいか。」  宇左衛門は、黙って、眉をひそめた。 「それも、たった一度じゃ。」 「恐れながら、その儀ばかりは。」 「いかぬか。」  二人は、顔を見合せながら、黙った。しんとした部屋の中には、油を吸う燈心の音よりほかに、聞えるものはない。――宇左衛門は、この暫くの間を、一年のように長く感じた。佐渡守へ云い切った手前、それを修理に許しては自分の武士がたたないからである。 「佐渡殿の云われた事は、承知の上での頼みじゃ。」  ほどを経て、修理が云った。 「登城を許せば、その方が、一門衆の不興をうける事も、修理は、よう存じているが、思うて見い。修理は一門衆はもとより、家来にも見離された乱心者じゃ。」  そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。 「世の嘲りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇左衛門を親とも思う。兄弟とも思う。親兄弟よりも、猶更なつかしいものと思う。広い世界に、修理がたのみに思うのは、ただその方一人きりじゃ。さればこそ、無理な頼みもする。が、これも決して、一生に二度とは云わぬ。ただ、今度一度だけじゃ。宇左衛門、どうかこの心を察してくれい。どうかこの無理を許してくれい。これ、この通りじゃ。」  彼は、家老の前へ両手をついて、涙を落しながら、額を畳へつけようとした。宇左衛門は、感動した。 「御手をおあげ下さいまし。御手をおあげ下さいまし。勿体のうございます。」  彼は、修理の手をとって、無理に畳から離させた。そうして泣いた。すると、泣くに従って、彼の心には次第にある安心が、溢れるともなく、溢れて来る。――彼は涙の中に、佐渡守の前で云い切った語を、再びありありと思い浮べた。 「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門皺腹を仕れば、すむ事でございまする。私一人の粗忽にして、きっと御登城おさせ申しましょう。」  これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の外れた笑い声を洩らした。 「おお、許してくれるか。忝い。忝いぞよ。」  そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。 「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」  人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに膝を進めて、行燈の火影に恐る恐る、修理の眼の中を窺った。      三 刃傷  延享四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理は、殿中で、何の恩怨もない。肥後国熊本の城主、細川越中守宗教を殺害した。その顛末は、こうである。        ―――――――――――――――――――――――――  細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。元姫君と云われた宗教の内室さえ、武芸の道には明かった。まして宗教の嗜みに、疎な所などのあるべき筈はない。それが、「三斎の末なればこそ細川は、二歳に斬られ、五歳ごとなる。」と諷われるような死を遂げたのは、完く時の運であろう。  そう云えば、細川家には、この凶変の起る前兆が、後になって考えれば、幾つもあった。――第一に、その年三月中旬、品川伊佐羅子の上屋敷が、火事で焼けた。これは、邸内に妙見大菩薩があって、その神前の水吹石と云う石が、火災のある毎に水を吹くので、未嘗、焼けたと云う事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃の愛染院から奉ったのを見ると、御武運長久御息災とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野宿坊の院代へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。  そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の才木茂右衛門と云う男が目付へ来て、「明十五日は、殿の御身に大変があるかも知れませぬ。昨夜天文を見ますと、将星が落ちそうになって居ります。どうか御慎み第一に、御他出なぞなさいませんよう。」と、こう云った。目付は、元来余り天文なぞに信を措いていない。が、日頃この男の予言は、主人が尊敬しているので、取あえず近習の者に話して、その旨を越中守の耳へ入れた。そこで、十五日に催す能狂言とか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云う廉で、出仕だけは止めにならなかったらしい。  それが、翌日になると、また不吉な前兆が、加わった。――十五日には、いつも越中守自身、麻上下に着換えてから、八幡大菩薩に、神酒を備えるのが慣例になっている。ところが、その日は、小姓の手から神酒を入れた瓶子を二つ、三宝へのせたまま受取って、それを神前へ備えようとすると、どうした拍子か瓶子は二つとも倒れて、神酒が外へこぼれてしまった。その時は、さすがに一同、思わず顔色を変えたと云う事である。        ―――――――――――――――――――――――――  翌日、越中守は登城すると、御坊主田代祐悦が供をして、まず、大広間へ通った。が、やがて、大便を催したので、今度は御坊主黒木閑斎をつれて、湯呑み所際の厠へはいって、用を足した。さて、厠を出て、うすぐらい手水所で手を洗っていると突然後から、誰とも知れず、声をかけて、斬りつけたものがある。驚いて、振り返ると、その拍子にまた二の太刀が、すかさず眉間へ閃いた。そのために血が眼へはいって、越中守は、相手の顔も見定める事が出来ない。相手は、そこへつけこんで、たたみかけ、たたみかけ、幾太刀となく浴せかけた。そうして、越中守がよろめきながら、とうとう、四の間の縁に仆れてしまうと、脇差をそこへ捨てたなり、慌ててどこか見えなくなってしまった。  ところが、伴をしていた黒木閑斎が、不意の大変に狼狽して、大広間の方へ逃げて行ったなり、これもどこかへ隠れてしまったので、誰もこの刃傷を知るものがない。それを、暫くしてから、漸く本間定五郎と云う小拾人が、御番所から下部屋へ来る途中で発見した。そこで、すぐに御徒目付へ知らせる。御徒目付からは、御徒組頭久下善兵衛、御徒目付土田半右衛門、菰田仁右衛門、などが駈けつける。――殿中では忽ち、蜂の巣を破ったような騒動が出来した。  それから、一同集って、手負いを抱きあげて見ると、顔も体も血まみれで誰とも更に見分ける事が出来ない。が、耳へ口をつけて呼ぶと、漸く微な声で、「細川越中」と答えた。続いて、「相手はどなたでござる」と尋ねたが、「上下を着た男」と云う答えがあっただけで、その後は、もうこちらの声も通じないらしい。創は「首構七寸程、左肩六七寸ばかり、右肩五寸ばかり、左右手四五ヶ所、鼻上耳脇また頭に疵二三ヶ所、背中右の脇腹まで筋違に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本阿波守は勿論、大目付河野豊前守も立ち合って、一まず手負いを、焚火の間へ舁ぎこんだ。そうしてそのまわりを小屏風で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱した。中でも松平兵部少輔は、ここへ舁ぎこむ途中から、最も親切に劬ったので、わき眼にも、情誼の篤さが忍ばれたそうである。  その間に、一方では老中若年寄衆へこの急変を届けた上で、万一のために、玄関先から大手まで、厳しく門々を打たせてしまった。これを見た大手先の大小名の家来は、驚破、殿中に椿事があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、海嘯のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、御徒目付、火の番などを召し連れて、番所番所から勝手まで、根気よく刃傷の相手を探して歩いたが、どうしても、その「上下を着た男」を見つける事が出来なかったからである。  すると、意外にも、相手は、これらの人々の眼にはかからないで、かえって宝井宗賀と云う御坊主のために、発見された。――宗賀は大胆な男で、これより先、一同のさがさないような場所場所を、独りでしらべて歩いていた。それがふと焚火の間の近くの厠の中を見ると、鬢の毛をかき乱した男が一人、影のように蹲っている。うす暗いので、はっきりわからないが、どうやら鼻紙嚢から鋏を出して、そのかき乱した鬢の毛を鋏んででもいるらしい。そこで宗賀は、側へよって声をかけた。 「どなたでござる。」 「これは、人を殺したで、髪を切っているものでござる。」  男は、しわがれた声で、こう答えた。  もう疑う所はない。宗賀は、すぐに人を呼んで、この男を厠の中から、ひきずり出した。そうして、とりあえず、それを御徒目付の手に渡した。  御徒目付はまた、それを蘇鉄の間へつれて行って、大目付始め御目付衆立ち合いの上で、刃傷の仔細を問い質した。が、男は、物々しい殿中の騒ぎを、茫然と眺めるばかりで、更に答えらしい答えをしない。偶々口を開けば、ただ時鳥の事を云う。そうして、そのあい間には、血に染まった手で、何度となく、鬢の毛をかきむしった。――修理は既に、発狂していたのである。        ―――――――――――――――――――――――――  細川越中守は、焚火の間で、息をひきとった。が、大御所吉宗の内意を受けて、手負いと披露したまま駕籠で中の口から、平川口へ出て引きとらせた。公に死去の届が出たのは、二十一日の事である。  修理は、越中守が引きとった後で、すぐに水野監物に預けられた。これも中の口から、平川口へ、青網をかけた駕籠で出たのである。駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固した。――この行列は、監物の日頃不意に備える手配が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。  それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、上使に立った。上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守手疵養生不相叶致死去候に付、水野監物宅にて切腹被申付者也」と云うのである。  修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色もない。そこで、介錯に立った水野の家来吉田弥三左衛門が、止むを得ず後からその首をうち落した。うち落したと云っても、喉の皮一重はのこっている。弥三左衛門は、その首を手にとって、下から検使の役人に見せた。頬骨の高い、皮膚の黄ばんだ、いたいたしい首である。眼は勿論つぶっていない。  検使は、これを見ると、血のにおいを嗅ぎながら、満足そうに、「見事」と声をかけた。        ―――――――――――――――――――――――――  同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと屹度、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる凶事出来、七千石断絶に及び候段、言語道断の不届者」という罪状である。  板倉周防守、同式部、同佐渡守、酒井左衛門尉、松平右近将監等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木閑斎は、扶持を召上げられた上、追放になった。        ―――――――――――――――――――――――――  修理の刃傷は、恐らく過失であろう。細川家の九曜の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の紋所が似ているために、修理は、佐渡守を刺そうとして、誤って越中守を害したのである。以前、毛利主水正を、水野隼人正が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、手水所のような、うす暗い所では、こう云う間違いも、起りやすい。――これが当時の定評であった。  が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。 「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、毛頭ない。まして、あの乱心者のした事じゃ。大方、何と云う事もなく、肥後侯を斬ったのであろう。人違などとは、迷惑至極な臆測じゃ。その証拠には、大目付の前へ出ても、修理は、時鳥がどうやら云うていたそうではないか。されば、時鳥じゃと思って、斬ったのかも知れぬ。」 (大正六年二月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1995(平成7)年10月5日第13刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月6日公開 2004年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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       一 「おばば、猪熊のおばば。」  朱雀綾小路の辻で、じみな紺の水干に揉烏帽子をかけた、二十ばかりの、醜い、片目の侍が、平骨の扇を上げて、通りかかりの老婆を呼びとめた。――  むし暑く夏霞のたなびいた空が、息をひそめたように、家々の上をおおいかぶさった、七月のある日ざかりである。男の足をとめた辻には、枝のまばらな、ひょろ長い葉柳が一本、このごろはやる疫病にでもかかったかと思う姿で、形ばかりの影を地の上に落としているが、ここにさえ、その日にかわいた葉を動かそうという風はない。まして、日の光に照りつけられた大路には、あまりの暑さにめげたせいか、人通りも今はひとしきりとだえて、たださっき通った牛車のわだちが長々とうねっているばかり、その車の輪にひかれた、小さな蛇も、切れ口の肉を青ませながら、始めは尾をぴくぴくやっていたが、いつか脂ぎった腹を上へ向けて、もう鱗一つ動かさないようになってしまった。どこもかしこも、炎天のほこりを浴びたこの町の辻で、わずかに一滴の湿りを点じたものがあるとすれば、それはこの蛇の切れ口から出た、なまぐさい腐れ水ばかりであろう。 「おばば。」 「……」  老婆は、あわただしくふり返った。見ると、年は六十ばかりであろう。垢じみた檜皮色の帷子に、黄ばんだ髪の毛をたらして、尻の切れた藁草履をひきずりながら、長い蛙股の杖をついた、目の丸い、口の大きな、どこか蟇の顔を思わせる、卑しげな女である。 「おや、太郎さんか。」  日の光にむせるような声で、こう言うと、老婆は、杖をひきずりながら、二足三足あとへ帰って、まず口を切る前に、上くちびるをべろりとなめて見せた。 「何か用でもおありか。」 「いや、別に用じゃない。」  片目は、うすいあばたのある顔に、しいて作ったらしい微笑をうかべながら、どこか無理のある声で、快活にこう言った。 「ただ、沙金がこのごろは、どこにいるかと思ってな。」 「用のあるは、いつも娘ばかりさね。鳶が鷹を生んだおかげには。」  猪熊のばばは、いやみらしく、くちびるをそらせながら、にやついた。 「用と言うほどの用じゃないが、今夜の手はずも、まだ聞かないからな。」 「なに、手はずに変わりがあるものかね。集まるのは羅生門、刻限は亥の上刻――みんな昔から、きまっているとおりさ。」  老婆は、こう言って、わるがしこそうに、じろじろ、左右をみまわしたが、人通りのないのに安心したのかまた、厚いくちびるをちょいとなめて、 「家内の様子は、たいてい娘が探って来たそうだよ。それも、侍たちの中には、手のきくやつがいるまいという事さ。詳しい話は、今夜娘がするだろうがね。」  これを聞くと、太郎と言われた男は、日をよけた黄紙の扇の下で、あざけるように、口をゆがめた。 「じゃ沙金はまた、たれかあすこの侍とでも、懇意になったのだな。」 「なに、やっぱり販婦か何かになって、行ったらしいよ。」 「なんになって行ったって、あいつの事だ。当てになるものか。」 「お前さんは、相変わらずうたぐり深いね。だから、娘にきらわれるのさ。やきもちにも、ほどがあるよ。」  老婆は、鼻の先で笑いながら、杖を上げて、道ばたの蛇の死骸を突っついた。いつのまにかたかっていた青蝿が、むらむらと立ったかと思うと、また元のように止まってしまう。 「そんな事じゃ、しっかりしないと、次郎さんに取られてしまうよ。取られてもいいが、どうせそうなれば、ただじゃすまないからね。おじいさんでさえ、それじゃ時々、目の色を変えるんだから、お前さんならなおさらだろうじゃないか。」 「わかっているわな。」  相手は、顔をしかめながら、いまいましそうに、柳の根へつばを吐いた。 「それがなかなか、わからないんだよ。今でこそお前さんだって、そうやって、すましているが、娘とおじいさんとの仲をかぎつけた時には、まるで、気がふれたようだったじゃないか。おじいさんだって、そうさ、あれで、もう少し気が強かろうものなら、すぐにお前さんと刃物三昧だわね。」 「そりゃもう一年前の事だ。」 「何年前でも、同じ事だよ。一度した事は、三度するって言うじゃないか。三度だけなら、まだいいほうさ。わたしなんぞは、この年まで、同じばかを、何度したか、わかりゃしないよ。」  こう言って、老婆は、まばらな齒を出して、笑った。 「冗談じゃない。――それより、今夜の相手は、曲がりなりにも、藤判官だ、手くばりはもうついたのか。」  太郎は、日にやけた顔に、いらだたしい色を浮かべながら、話頭を転じた。おりから、雲の峰が一つ、太陽の道に当たったのであろう。あたりが翛然と、暗くなった。その中に、ただ、蛇の死骸だけが、前よりもいっそう腹の脂を、ぎらつかせているのが見える。 「なんの、藤判官だといって、高が青侍の四人や五人、わたしだって、昔とったきねづかさ。」 「ふん、おばばは、えらい勢いだな。そうして、こっちの人数は?」 「いつものとおり、男が二十三人。それにわたしと娘だけさ。阿濃は、あのからだだから、朱雀門に待っていて、もらう事にしようよ。」 「そう言えば、阿濃も、かれこれ臨月だったな。」  太郎はまた、あざけるように口をゆがめた。それとほとんど同時に、雲の影が消えて、往来はたちまち、元のように、目が痛むほど、明るくなる。――猪熊のばばも、腰をそらせて、ひとしきり東鴉のような笑い声を立てた。 「あの阿呆をね。たれがまあ手をつけたんだか――もっとも、阿濃は次郎さんに、執心だったが、まさかあの人でもなかろうよ。」 「親のせんぎはともかく、あのからだじゃ何かにつけて不便だろう。」 「そりゃ、どうにでもしかたはあるのだけれど、あれが不承知なのだから、困るわね。おかげで、仲間の者へ沙汰をするのも、わたし一人という始末さ。真木島の十郎、関山の平六、高市の多襄丸と、まだこれから、三軒まわらなくっちゃ――おや、そう言えば、油を売っているうちに、もうかれこれ未になる。お前さんも、もうわたしのおしゃべりには、聞き飽きたろう。」  蛙股の杖は、こういうことばと共に動いた。 「が、沙金は?」  この時、太郎のくちびるは、目に見えぬほど、かすかにひきつった。が、老婆は、これに気がつかなかったらしい。 「おおかた、きょうあたりは、猪熊のわたしの家で、昼寝でもしているだろうよ。きのうまでは、家にいなかったがね。」  片目は、じっと老婆を見た。そうして、それから、静かな声で、 「じゃ、いずれまた、日が暮れてから、会おう。」 「あいさ。それまでは、お前さんも、ゆっくり昼寝でもする事だよ。」  猪熊のばばは、口達者に答えながら、杖をひいて、歩きだした。綾小路を東へ、猿のような帷子姿が、藁草履の尻にほこりをあげて、日ざしにも恐れず、歩いてゆく。――それを見送った侍は、汗のにじんだ額に、険しい色を動かしながら、もう一度、柳の根につばを吐くと、それからおもむろに、くびすをめぐらした。  二人の別れたあとには、例の蛇の死骸にたかった青蝿が、相変わらず日の光の中に、かすかな羽音を伝えながら、立つかと思うと、止まっている。……        二  猪熊のばばは、黄ばんだ髪の根に、じっとりと汗をにじませながら、足にかかる夏のほこりも払わずに、杖をつきつき歩いてゆく。――  通い慣れた道ではあるが、自分が若かった昔にくらべれば、どこもかしこも、うそのような変わり方である。自分が、まだ台盤所の婢女をしていたころの事を思えば、――いや、思いがけない身分ちがいの男に、いどまれて、とうとう沙金を生んだころの事を思えば、今の都は、名ばかりで、そのころのおもかげはほとんどない。昔は、牛車の行きかいのしげかった道も、今はいたずらにあざみの花が、さびしく日だまりに、咲いているばかり、倒れかかった板垣の中には、無花果が青い実をつけて、人を恐れない鴉の群れは、昼も水のない池につどっている。そうして、自分もいつか、髪が白みしわがよって、ついには腰のまがるような、老いの身になってしまった。都も昔の都でなければ、自分も昔の自分でない。  その上、貌も変われば、心も変わった。始めて娘と今の夫との関係を知った時、自分は、泣いて騒いだ覚えがある。が、こうなって見れば、それも、当たりまえの事としか思われない。盗みをする事も、人を殺す事も、慣れれば、家業と同じである。言わば京の大路小路に、雑草がはえたように、自分の心も、もうすさんだ事を、苦にしないほど、すさんでしまった。が、一方から見ればまた、すべてが変わったようで、変わっていない。娘の今している事と、自分の昔した事とは、存外似よったところがある。あの太郎と次郎とにしても、やはり今の夫の若かったころと、やる事にたいした変わりはない。こうして人間は、いつまでも同じ事を繰り返してゆくのであろう。そう思えば、都も昔の都なら、自分も昔の自分である。……  猪熊のばばの心の中には、こういう考えが、漠然とながら、浮かんで来た。そのさびしい心もちに、つまされたのであろう、丸い目がやさしくなって、蟇のような顔の肉が、いつのまにか、ゆるんで来る。――と、また急に、老婆は、生き生きと、しわだらけの顔をにやつかせて、蛙股の杖のはこびを、前よりも急がせ始めた。  それも、そのはずである。四五間先に、道とすすき原とを(これも、元はたれかの広庭であったのかもしれない。)隔てる、くずれかかった築土があって、その中に、盛りをすぎた合歓の木が二三本、こけの色の日に焼けた瓦の上に、ほほけた、赤い花をたらしている。それを空に、枯れ竹の柱を四すみへ立てて、古むしろの壁を下げた、怪しげな小屋が一つ、しょんぼりとかけてある。――場所と言い、様子と言い、中には、こじきでも住んでいるらしい。  別して、老婆の目をひいたのは、その小屋の前に、腕を組んでたたずんだ、十七八の若侍で、これは、朽ち葉色の水干に黒鞘の太刀を横たえたのが、どういうわけか、しさいらしく、小屋の中をのぞいている。そのういういしい眉のあたりから、まだ子供らしさのぬけない頬のやつれが、一目で老婆に、そのたれという事を知らせてくれた。 「何をしているのだえ。次郎さん。」  猪熊のばばは、そのそばへ歩みよると、蛙股の杖を止めて、あごをしゃくりながら、呼びかけた。  相手は、驚いて、ふり返ったが、つくも髪の、蟇の面の、厚いくちびるをなめる舌を見ると、白い齒を見せて微笑しながら、黙って、小屋の中を指さした。  小屋の中には、破れ畳を一枚、じかに地面へ敷いた上に、四十格好の小柄な女が、石を枕にして、横になっている。それも、肌をおおうものは、腰のあたりにかけてある、麻の汗衫一つぎりで、ほとんど裸と変わりがない。見ると、その胸や腹は、指で押しても、血膿にまじった、水がどろりと流れそうに、黄いろくなめらかに、むくんでいる。ことに、むしろの裂け目から、天日のさしこんだ所で見ると、わきの下や首のつけ根に、ちょうど腐った杏のような、どす黒い斑があって、そこからなんとも言いようのない、異様な臭気が、もれるらしい。  枕もとには、縁の欠けた土器がたった一つ(底に飯粒がへばりついているところを見ると、元は粥でも入れたものであろう。)捨てたように置いてあって、たれがしたいたずらか、その中に五つ六つ、泥だらけの石ころが行儀よく積んである。しかも、そのまん中に、花も葉もひからびた、合歓を一枝立てたのは、おおかた高坏へ添える色紙の、心葉をまねたものであろう。  それを見ると、気丈な猪熊のばばも、さすがに顔をしかめて、あとへさがった。そうして、その刹那に、突然さっきの蛇の死骸を思い浮かべた。 「なんだえ。これは。疫病にかかっている人じゃないか。」 「そうさ。とてもいけないというので、どこかこの近所の家で、捨てたのだろう。これじゃ、どこでも持てあつかうよ。」  次郎はまた、白い齒を見せて、微笑した。 「それを、お前さんはまた、なんだって、見てなんぞいるのさ。」 「なに、今ここを通りかかったら、野ら犬が二三匹、いい餌食を見つけた気で、食いそうにしていたから、石をぶつけて、追い払ってやったところさ。わたしが来なかったら、今ごろはもう、腕の一つも食われてしまったかもしれない。」  老婆は、蛙股の杖にあごをのせて、もう一度しみじみ、女のからだを見た。さっき、犬が食いかかったというのは、これであろう。――破れ畳の上から、往来の砂の中へ、斜めにのばした二の腕には、水気を持った、土け色の皮膚に、鋭い齒の跡が三つ四つ、紫がかって残っている。が、女は、じっと目をつぶったなり、息さえ通っているかどうかわからない。老婆は、再び、はげしい嫌悪の感に、面を打たれるような心もちがした。 「いったい、生きているのかえ。それとも、死んでいるのかえ。」 「どうだかね。」 「気らくだよ、この人は。死んだものなら、犬が食ったって、いいじゃないか。」  老婆は、こう言うと、蛙股の杖をのべて、遠くから、ぐいと女の頭を突いてみた。頭はまくらの石をはずれて、砂に髪をひきながら、たわいなく畳の上へぐたりとなる。が、病人は、依然として、目をつぶったまま、顔の筋肉一つ動かさない。 「そんな事をしたって、だめだよ。さっきなんぞは、犬に食いつかれてさえ、やっぱりじっとしていたんだから。」 「それじゃ、死んでいるのさ。」  次郎は、三たび白い齒を見せて、笑った。 「死んでいたって、犬に食わせるのは、ひどいやね。」 「何がひどいものかね。死んでしまえば、犬に食われたって、痛くはなしさ。」  老婆は、杖の上でのび上がりながら、ぎょろり目を大きくして、あざわらうように、こう言った。 「死ななくったって、ひくひくしているよりは、いっそ一思いに、のど笛でも犬に食いつかれたほうが、ましかもしれないわね。どうせこれじゃ、生きていたって、長い事はありゃせずさ。」 「だって、人間が犬に食われるのを、黙って見てもいられないじゃないか。」  すると、猪熊のばばは、上くちびるをべろりとやって、ふてぶてしく空うそぶいた。 「そのくせ、人間が人間を殺すのは、お互いに平気で、見ているじゃないか。」 「そう言えば、そうさ。」  次郎は、ちょいと鬢をかいて、四たび白い齒を見せながら、微笑した。そうして、やさしく老婆の顔をながめながら、 「どこへ行くのだい、おばばは。」と問いかけた。 「真木島の十郎と、高市の多襄丸と、――ああ、そうだ。関山の平六へは、お前さんに、言づけを頼もうかね。」  こう言ううちに、猪熊のばばは、杖にすがって、もう二足三足歩いている。 「ああ、行ってもいい。」  次郎もようやく、病人の小屋をあとにして、老婆と肩を並べながら、ぶらぶら炎天の往来を歩きだした。 「あんなものを見たんで、すっかり気色がわるくなってしまったよ。」  老婆は、大仰に顔をしかめながら、 「――ええと、平六の家は、お前さんも知っているだろう。これをまっすぐに行って、立本寺の門を左へ切れると、藤判官の屋敷がある。あの一町ばかり先さ。ついでだから、屋敷のまわりでもまわって、今夜の下見をしておおきよ。」 「なにわたしも、始めからそのつもりで、こっちへ出て来たのさ。」 「そうかえ、それはお前さんにしては、気がきいたね。お前さんのにいさんの御面相じゃ、一つ間違うと、向こうにけどられそうで、下見に行っても、もらえないが、お前さんなら、大丈夫だよ。」 「かわいそうに、兄きもおばばの口にかかっちゃ、かなわないね。」 「なに、わたしなんぞはいちばん、あの人の事をよく言っているほうさ。おじいさんなんぞと来たら、お前さんにも話せないような事を、言っているわね。」 「それは、あの事があるからさ。」 「あったって、お前さんの悪口は、言わないじゃないか。」 「じゃおおかた、わたしは子供扱いにされているんだろう。」  二人は、こんな閑談をかわしながら、狭い往来をぶらぶら歩いて行った。歩くごとに、京の町の荒廃は、いよいよ、まのあたりに開けて来る。家と家との間に、草いきれを立てている蓬原、そのところどころに続いている古築土、それから、昔のまま、わずかに残っている松や柳――どれを見ても、かすかに漂う死人のにおいと共に、滅びてゆくこの大きな町を、思わせないものはない。途中では、ただ一人、手に足駄をはいている、いざりのこじきに行きちがった。―― 「だが、次郎さん、お気をつけよ。」  猪熊のばばは、ふと太郎の顔を思い浮かべたので、ひとり苦笑を浮かべながら、こう言った。 「娘の事じゃ、ずいぶんにいさんも、夢中になりかねないからね。」  が、これは、次郎の心に、思ったよりも大きな影響を与えたらしい。彼は、ひいでた眉の間を、にわかに曇らせながら、不快らしく目を伏せた。 「そりゃわたしも、気をつけている。」 「気をつけていてもさ。」  老婆は、いささか、相手の感情の、この急激な変化に驚きながら、例のごとくくちびるをなめなめ、つぶやいた。 「気をつけていてもだわね。」 「しかし、兄きの思わくは兄きの思わくで、わたしには、どうにもできないじゃないか。」 「そう言えば、実もふたもなくなるがさ。実はわたしは、きのう娘に会ったのだよ。すると、きょう未の下刻に、お前さんと寺の門の前で、会う事になっていると言うじゃないか。それで、お前さんのにいさんには半月近くも、顔は合わせないようにしているとね、太郎さんがこんな事を知ってごらん。また、お前さん、一悶着だろう。」  次郎は、老婆の娓々として説くことばをさえぎるように、黙って、いらだたしく何度もうなずいた。が、猪熊のばばは、容易に口を閉ざしそうなけしきもない。 「さっき、向こうの辻で、太郎さんに会った時にも、わたしはよくそう言って来たけれどね、そうなりゃ、わたしたちの仲間だもの、すぐに刃物三昧だろうじゃないか。万一、その時のはずみで、娘にけがでもあったら、とわたしは、ただ、それが心配なのさ。娘は、なにしろあのとおりの気質だし、太郎さんにしても、一徹人だから、わたしは、お前さんによく頼んでおこうと思ってね。お前さんは、死人が犬に食われるのさえ、見ていられないほど、やさしいんだから。」  こう言って、老婆は、いつか自分にも起こって来た不安を、しいて消そうとするように、わざとしわがれた声で、笑って見せた。が、次郎は依然として、顔を暗くしながら、何か物思いにふけるように、目を伏せて歩いている。…… 「大事にならなければいいが。」  猪熊のばばは、蛙股の杖を早めながら、この時始めて心の底で、しみじみこう、祈ったのである。  かれこれその時分の事である。楚の先に蛇の死骸をひっかけた、町の子供が三四人、病人の小屋の外を通りかかると、中でもいたずらな一人が、遠くから及び腰になって、その蛇を女の顔の上へほうり上げた。青く脂の浮いた腹がぺたり、女の頬に落ちて、それから、腐れ水にぬれた尾が、ずるずるあごの下へたれる――と思うと、子供たちは、一度にわっとわめきながら、おびえたように、四方へ散った。  今まで死んだようになっていた女が、その時急に、黄いろくたるんだまぶたをあけて、腐った卵の白味のような目を、どんより空に据えながら、砂まぶれの指を一つびくりとやると、声とも息ともわからないものが、干割れたくちびるの奥のほうから、かすかにもれて来たからである。        三  猪熊のばばに別れた太郎は、時々扇で風を入れながら、日陰も選ばず、朱雀の大路を北へ、進まない歩みをはこんだ。――  日中の往来は、人通りもきわめて少ない。栗毛の馬に平文の鞍を置いてまたがった武士が一人、鎧櫃を荷なった調度掛けを従えながら、綾藺笠に日をよけて、悠々と通ったあとには、ただ、せわしない燕が、白い腹をひらめかせて、時々、往来の砂をかすめるばかり、板葺、檜皮葺の屋根の向こうに、むらがっているひでり雲も、さっきから、凝然と、金銀銅鉄を熔かしたまま、小ゆるぎをするけしきはない。まして、両側に建て続いた家々は、いずれもしんと静まり返って、その板蔀や蒲簾の後ろでは、町じゅうの人がことごとく、死に絶えてしまったかとさえ疑われる。――  猪熊のばばの言ったように、沙金を次郎に奪われるという恐れは、ようやく目の前に迫って来た。あの女が、――現在養父にさえ、身を任せたあの女が、あばたのある、片目の、醜いおれを、日にこそ焼けているが目鼻立ちの整った、若い弟に見かえるのは、もとよりなんの不思議もない。おれは、ただ、次郎が、――子供の時から、おれを慕ってくれたあの次郎が、おれの心もちを察してくれて、よしや沙金のほうから手を出してもその誘惑に乗らないだけの、慎みを持ってくれる事と、いちずに信じ切っていた。が、今になって考えれば、それは、弟を買いかぶった、虫のいい量見に過ぎなかった。いや、弟を見上げすぎたというよりも、沙金のみだらな媚びのたくみを、見下げすぎた誤りだった。ひとり次郎ばかりではない。あの女のまなざし一つで、身を滅ぼした男の数は、この炎天にひるがえる燕の数よりも、たくさんある。現にこう言うおれでさえ、ただ一度、あの女を見たばかりで、とうとう今のように、身をおとした。……  すると四条坊門の辻を、南へやる赤糸毛の女車が、静かに太郎の行く手を通りすぎる。車の中の人は見えないが、紅の裾濃に染めた、すずしの下簾が、町すじの荒涼としているだけに、ひときわ目に立ってなまめかしい。それにつき添った牛飼いの童と雑色とは、うさんらしく太郎のほうへ目をやったが、牛だけは、角をたれて、漆のように黒い背を鷹揚にうねらしながら、わき見もせずに、のっそりと歩いてゆく。しかしとりとめのない考えに沈んでいる太郎には、車の金具の、まばゆく日に光ったのが、わずかに目にはいっただけである。  彼は、しばらく足をとめて、車を通りこさせてから、また片目を地に伏せて、黙々と歩きはじめた。―― (おれが右の獄の放免をしていた時の事を思えば、今では、遠い昔のような、心もちがする。あの時のおれと今のおれとを比べれば、おれ自身にさえ、同じ人間のような気はしない。あのころのおれは、三宝を敬う事も忘れなければ、王法にしたがう事も怠らなかった。それが、今では、盗みもする。時によっては、火つけもする。人を殺した事も、二度や三度ではない。ああ、昔のおれは――仲間の放免といっしょになって、いつもの七半を打ちながら、笑い興じていた、あの昔のおれは、今のおれの目から見ると、どのくらいしあわせだったかわからない。  考えれば、まだきのうのように思われるが、実はもう一年前になった。――あの女が、盗みの咎で、検非違使の手から、右の獄へ送られる。おれがそれと、ふとした事から、牢格子を隔てて、話し合うような仲になる。それから、その話が、だんだんたび重なって、いつか互いに身の上の事まで、打ち明け始める。とうとう、しまいには、猪熊のばばや同類の盗人が、牢を破ってあの女を救い出すのを、見ないふりをして、通してやった。  その晩から、おれは何度となく、猪熊のばばの家へ出はいりをした。沙金は、おれの行く時刻を見はからって、あの半蔀の間から、雀色時の往来をのぞいている。そうしておれの姿が見えると、鼠鳴きをして、はいれと言う。家の中には、下衆女の阿濃のほかに、たれもいない。やがて、蔀をおろす。結び燈台へ火をつける。そうして、あの何畳かの畳の上に、折敷や高坏を、所狭く置きならべて、二人ぎりの小酒盛をする。そのあげくが、笑ったり、泣いたり、けんかをしたり、仲直りをしたり――言わば、世間並みの恋人どうしが、するような事をして、いつでも夜を明かした。  日の暮れに来て、夜のひき明け方に帰る。――あれが、それでも一月は続いたろう。そのうちに、おれには沙金が猪熊のばばのつれ子である事、今では二十何人かの盗人の頭になって、時々洛中をさわがせている事、そうしてまた、日ごろは容色を売って、傀儡同様な暮らしをしている事――そういう事が、だんだんわかって来た。が、それは、かえってあの女に、双紙の中の人間めいた、不思議な円光をかけるばかりで、少しも卑しいなどという気は起こさせない。無論、あの女は、時々おれに、いっそ仲間へはいれと言う。が、おれはいつも、承知しない。すると、あの女は、おれの事を臆病だと言って、ばかにする。おれはよくそれで、腹を立てた。………) 「はい、はい」と馬をしかる声がする。太郎は、あわてて、道をよけた。  米俵を二俵ずつ、左右へ積んだ馬をひいて、汗衫一つの下衆が、三条坊門の辻を曲がりながら、汗もふかずに、炎天の大路を南へ下って来る。その馬の影が、黒く地面に焼きついた上を、燕が一羽、ひらり羽根を光らせて、すじかいに、空へ舞い上がった。と思うと、それがまた礫を投げるように、落として来て、太郎の鼻の先を一文字に、向こうの板庇の下へはいる。  太郎は、歩きながら、思い出したように、はたはたと、黄紙の扇を使った。―― (そういう月日が、続くともなく続くうちに、おれは、偶然あの女と養父との関係に、気がついた。もっともおれ一人が、沙金を自由にする男でないという事も、知っていなかったわけではない。沙金自身さえ、関係した公卿の名や法師の名を、何度も自慢らしくおれに話した事がある。が、おれはこう思った。あの女の肌は、おおぜいの男を知っているかもしれない。けれども、あの女の心は、おれだけが占有している。そうだ、女の操は、からだにはない。――おれは、こう信じて、おれの嫉妬をおさえていた。もちろんこれも、あの女から、知らず知らずおれが教わった、考え方にすぎないかもしれない。が、ともかくもそう思うと、おれの苦しい心はいくぶんか楽になった。しかし、あの女と養父との関係は、それとちがう。  おれは、それを感づいた時に、なんとも言えず、不快だった。そういう事をする親子なら、殺して飽きたらない。それを黙って見る実の母の、猪熊のばばもまた、畜生より、無残なやつだ。こう思ったおれは、あの酔いどれのおやじの顔を見るたびに、何度太刀へ手をかけたか、わからない。が、沙金はそのたびに、おれの前で、ことさら、手ひどく養父をばかにした。そうしてその見え透いた手くだがまた、不思議におれの心を鈍らせた。「わたしはおとうさんがいやでいやでしかたがないんです」と言われれば、養父をにくむ気にはなっても、沙金をにくむ気には、どうしてもなれない。そこで、おれと養父とは、きょうがきょうまで、互いににらみ合いながら、何事もなくすぎて来た。もしあのおじじにもう少し、勇気があったなら、――いや、おれにもう少し、勇気があったなら、おれたちはとうの昔、どちらか死んでいた事であろう。……)  頭を上げると、太郎はいつか二条を折れて、耳敏川にまたがっている、小さい橋にかかっていた。水のかれた川は、細いながらも、焼き太刀のように、日を反射して、絶えてはつづく葉柳と家々との間に、かすかなせせらぎの音を立てている。その川のはるか下に、黒いものが二つ三つ、鵜の鳥かと思うように、流れの光を乱しているのは、おおかた町の子供たちが、水でも浴びているのであろう。  太郎の心には、一瞬の間、幼かった昔の記憶が、――弟といっしょに、五条の橋の下で、鮠を釣った昔の記憶が、この炎天に通う微風のように、かなしく、なつかしく、返って来た。が、彼も弟も、今は昔の彼らではない。  太郎は、橋を渡りながら、うすいあばたのある顔に、また険しい色をひらめかせた。―― (すると、突然ある日、そのころ筑後の前司の小舎人になっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左の獄へ入れられたという知らせが来た。放免をしているおれには、獄中の苦しさが、たれよりもよく、わかっている。おれは、まだ筋骨のかたまらない弟の身の上を、自分の事のように、心配した。そこで、沙金に相談すると、あの女はさもわけがなさそうに、「牢を破ればいいじゃないの」と言う。かたわらにいた猪熊のばばも、しきりにそれをすすめてくれる。おれは、とうとう覚悟をきめて、沙金といっしょに、五六人の盗人を語り集めた。そうして、その夜のうちに、獄をさわがして、難なく弟を救い出した。その時、受けた傷の跡は、今でもおれの胸に残っている。が、それよりも忘れられないのは、おれがその時始めて、放免の一人を切り殺した事であった。あの男の鋭い叫び声と、それから、あの血のにおいとは、いまだにおれの記憶を離れない。こう言う今でも、おれはそれを、この蒸し暑い空気の中に、感じるような心もちがする。  その翌日から、おれと弟とは、猪熊の沙金の家で、人目を忍ぶ身になった。一度罪を犯したからは、正直に暮らすのも、あぶない世渡りをしてゆくのも、検非違使の目には、変わりがない。どうせ死ぬくらいなら、一日も長く生きていよう。そう思ったおれは、とうとう沙金の言うなりになって、弟といっしょに盗人の仲間入りをした。それからのおれは、火もつける。人も殺す。悪事という悪事で、なに一つしなかったものはない。もちろん、それも始めは、いやいやした。が、してみると、意外に造作がない。おれはいつのまにか、悪事を働くのが、人間の自然かもしれないと思いだした。……)  太郎は、半ば無意識に辻をまがった。辻には、石でまわりを積んだ一囲いの土饅頭があって、その上に石塔婆が二本、並んで、午後の日にかっと、照りつけられている。その根元にはまた、何匹かのとかげが、煤のように黒いからだを、気味悪くへばりつかせていたが、太郎の足音に驚いたのであろう、彼の影の落ちるよりも早く、一度にざわめきながら、四方へ散った。が、太郎は、それに目をやるけしきもない。―― 「おれは、悪事をつむに従って、ますます沙金に愛着を感じて来た。人を殺すのも、盗みをするのも、みんなあの女ゆえである。――現に牢を破ったのさえ、次郎を助けようと思うほかに、一人の弟を見殺しにすると、沙金にわらわれるのを、おそれたからであった。――そう思うと、なおさらおれは、何に換えても、あの女を失いたくない。  その沙金を、おれは今、肉身の弟に奪われようとしている。おれが命を賭けて助けてやった、あの次郎に奪われようとしている。奪われようとしているのか、あるいは、もう奪われているのか、それさえも、はっきりはわからない。沙金の心を疑わなかったおれは、あの女がほかの男をひっぱりこむのも、よくない仕事の方便として、許していた。それから、養父との関係も、あのおじじが親の威光で、何も知らないうちに、誘惑したと思えば、目をつぶって、すごせない事はない。が、次郎との仲は、別である。  おれと弟とは、気だてが変わっているようで、実は見かけほど、変わっていない。もっとも顔かたちは、七八年前の痘瘡が、おれには重く、弟には軽かったので、次郎は、生まれついた眉目をそのままに、うつくしい男になったが、おれはそのために片目つぶれた、生まれもつかない不具になった。その醜い、片目のおれが、今まで沙金の心を捕えていたとすれば、(これも、おれのうぬぼれだろうか。)それはおれの魂の力に相違ない。そうして、その魂は、同じ親から生まれた弟も、おれに変わりなく持っている。しかも、弟は、たれの目にもおれよりはうつくしい。そういう次郎に、沙金が心をひかれるのは、もとより理の当然である。その上また、次郎のほうでも、おれにひきくらべて考えれば、到底あの女の誘惑に、勝てようとは思われない。いや、おれは、始終おれの醜い顔を恥じている。そうして、たいていの情事には、おのずからひかえ目になっている。それでさえ、沙金には、気違いのように、恋をした。まして、自分の美しさを知っている次郎が、どうして、あの女の見せる媚びを、返さずにいられよう。――  こう思えば、次郎と沙金とが、近づくようになるのは、無理もない。が、無理がないだけ、それだけ、おれには苦痛である。弟は、沙金をおれから奪おうとする。――それも、沙金の全部を、おれから奪おうとする。いつかは、そうして必ず。ああ、おれの失うのは、ひとり沙金ばかりではない。弟もいっしょに失うのだ。そうして、そのかわりに、次郎と言う名の敵ができる。――おれは、敵には用捨しない。敵も、おれに用捨はしないだろう。そうなれば、落ち着くところは、今からあらかじめわかっている。弟を殺すか、おれが殺されるか。……)  太郎は、死人のにおいが、鋭く鼻を打ったのに、驚いた。が、彼の心の中の死が、におったというわけではない。見ると、猪熊の小路のあたり、とある網代の塀の下に腐爛した子供の死骸が二つ、裸のまま、積み重ねて捨ててある。はげしい天日に、照りつけられたせいか、変色した皮膚のところどころが、べっとりと紫がかった肉を出して、その上にはまた青蝿が、何匹となく止まっている。そればかりではない。一人の子供のうつむけた顔の下には、もう足の早い蟻がついた。――  太郎は、まのあたりに、自分の行く末を見せつけられたような心もちがした。そうして、思わず下くちびるを堅くかんだ。―― 「ことに、このごろは、沙金もおれを避けている。たまに会っても、いい顔をした事は、一度もない。時々はおれに面と向かって、悪口さえきく事がある。おれはそのたびに腹を立てた。打った事もある。蹴った事もある。が、打っているうちに、蹴っているうちに、おれはいつでも、おれ自身を折檻しているような心もちがした。それも無理はない。おれの二十年の生涯は、沙金のあの目の中に宿っている。だから沙金を失うのは、今までのおれを失うのと、変わりはない。  沙金を失い、弟を失い、そうしてそれとともにおれ自身を失ってしまう。おれはすべてを失う時が来たのかもしれない。……)  そう思ううちに、彼は、もう猪熊のばばの家の、白い布をぶら下げた戸口へ来た。まだここまでも、死人のにおいは、伝わって来るが、戸口のかたわらに、暗い緑の葉をたれた枇杷があって、その影がわずかながら、涼しく窓に落ちている。この木の下を、この戸口へはいった事は、何度あるかわからない。が、これからは?  太郎は、急にある気づかれを感じて、一味の感傷にひたりながら、その目に涙をうかべて、そっと戸口へ立ちよった。すると、その時である。家の中から、たちまちけたたましい女の声が、猪熊の爺の声に交じって、彼の耳を貫ぬいた。沙金なら、捨ててはおけない。  彼は、入り口の布をあげて、うすぐらい家の中へ、せわしく一足ふみ入れた。        四  猪熊のばばに別れると、次郎は、重い心をいだきながら、立本寺の門の石段を、一つずつ数えるように上がって、そのところどころ剥落した朱塗りの丸柱の下へ来て、疲れたように腰をおろした。さすがの夏の日も、斜めにつき出した、高い瓦にさえぎられて、ここまではさして来ない。後ろを見ると、うす暗い中に、一体の金剛力士が青蓮花を踏みながら、左手の杵を高くあげて、胸のあたりに燕の糞をつけたまま、寂然と境内の昼を守っている。――次郎は、ここへ来て、始めて落ち着いて、自分の心もちが考えられるような気になった。  日の光は、相変わらず目の前の往来を、照り白ませて、その中にとびかう燕の羽を、さながら黒繻子か何かのように、光らせている。大きな日傘をさして、白い水干を着た男が一人、青竹の文挾にはさんだ文を持って、暑そうにゆっくり通ったあとは、向こうに続いた築土の上へ、影を落とす犬もない。  次郎は、腰にさした扇をぬいて、その黒柿の骨を、一つずつ指で送ったり、もどしたりしながら、兄と自分との関係を、それからそれへ、思い出した。――  なんで自分は、こう苦しまなければ、ならないのであろう。たった一人の兄は、自分を敵のように思っている。顔を合わせるごとに、こちらから口をきいても、浮かない返事をして、話の腰を折ってしまう。それも、自分と沙金とが、今のような事になってみれば、無理のない事に相違ない。が、自分は、あの女に会うたびに、始終兄にすまないと思っている。別して、会ったのちのさびしい心もちでは、よく兄がいとしくなって、人知れない涙もこぼしこぼしした。現に、一度なぞは、このまま、兄にも沙金にも別れて、東国へでも下ろうとさえ、思った事がある。そうしたら、兄も自分を憎まなくなるだろうし、自分も沙金を忘れられるだろう。そう思って、よそながら暇ごいをするつもりで、兄の所へ会いにゆくと、兄はいつも、そっけなく、自分をあしらった。そうして、沙金に会うと、――今度は自分が、せっかくの決心を忘れてしまう。が、そのたびに、自分はどのくらい、自分自身を責めた事であろう。  しかし、兄には、自分のこの苦しみがわからない。ただいちずに、自分を、恋の敵だと思っている。自分は、兄にののしられてもいい。顔につばきされてもいい。あるいは場合によっては、殺されてもいい。が、自分が、どのくらい自分の不義を憎んでいるか、どのくらい兄に同情しているか、それだけは、察していてもらいたい。その上でならば、どんな死にざまをするにしても、兄の手にかかれば、本望だ。いや、むしろ、このごろの苦しみよりは、一思いに死んだほうが、どのくらいしあわせだかわからない。  自分は、沙金に恋をしている。が、同時に憎んでもいる。あの女の多情な性質は、考えただけでも、腹立たしい。その上に、絶えずうそをつく。それから、兄や自分でさえためらうような、ひどい人殺しも、平気でする。時々、自分は、あの女のみだらな寝姿をながめながら、どうして、自分がこんな女に、ひかされるのだろうと思ったりした。ことに、見ず知らずの男にも、なれなれしく肌を任せるのを見た時には、いっそ自分の手で、殺してやろうかという気にさえなった。それほど、自分は、沙金を憎んでいる。が、あの女の目を見ると、自分はやっぱり、誘惑に陥ってしまう。あの女のように、醜い魂と、美しい肉身とを持った人間は、ほかにいない。  この自分の憎しみも、兄にはわかっていないようだ。いや、元来兄は、自分のように、あの女の獣のような心を、憎んではいないらしい。たとえば、沙金とほかの男との関係を見るにしても、兄と自分とは全く目がちがう。兄は、あの女がたれといっしょにいるのを見ても、黙っている。あの女の一時の気まぐれは、気まぐれとして、許しているらしい。が、自分は、そういかない。自分にとっては、沙金が肌身を汚す事は、同時に沙金が心を汚す事だ。あるいは心を汚すより、以上の事のように思われる。もちろん自分には、あの女の心が、ほかの男に移るのも許されない。が、肌身をほかの男に任せるのは、それよりもなお、苦痛である。それだからこそ、自分は兄に対しても、嫉妬をする。すまないとは思いながら、嫉妬をする。してみると、兄と自分との恋は、まるでちがう考えが、元になっているのではあるまいか。そうしてそのちがいが、よけい二人の仲を、悪くするのではあるまいか。………  次郎は、ぼんやり往来をながめながら、こんな事をしみじみと考えた。すると、ちょうどその時である。突然、けたたましい笑い声が、まばゆい日の光を動かして、往来のどちらかから聞こえて来た。と思うと、かん高い女の声が、舌のまわらない男の声といっしょになって、人もなげに、みだらな冗談を言いかわして来る。次郎は、思わず扇を腰にさして、立ち上がった。  が、柱の下をはなれて、まだ石段へ足をおろすかおろさないうちに、小路を南へ歩いて来た二人の男女が、彼の前を通りかかった。  男は、樺桜の直垂に梨打の烏帽子をかけて、打ち出しの太刀を濶達に佩いた、三十ばかりの年配で、どうやら酒に酔っているらしい。女は、白地にうす紫の模様のある衣を着て、市女笠に被衣をかけているが、声と言い、物ごしと言い、紛れもない沙金である。――次郎は、石段をおりながら、じっとくちびるをかんで、目をそらせた。が、二人とも、次郎には、目をかける様子がない。 「じゃよくって。きっと忘れちゃいやよ。」 「大丈夫だよ。おれがひきうけたからは、大船に乗った気でいるがいい」 「だって、わたしのほうじゃ命がけなんですもの。このくらい、念を押さなくちゃしようがないわ。」  男は赤ひげの少しある口を、咽まで見えるほど、あけて笑いながら、指で、ちょいと沙金の頬を突っついた。 「おれのほうも、これで命がけさ。」 「うまく言っているわ。」  二人は、寺の門の前を通りすぎて、さっき次郎が猪熊のばばと別れた辻まで行くと、そこに足をとめたまましばらくは、人目も恥じず、ふざけ合っていたが、やがて、男は、振りかえり振りかえり、何かしきりにからかいながら、辻を東へ折れてしまう。女は、くびすをめぐらして、まだくすくす笑いながら、またこっちへ帰って来る。――次郎は、石段の下にたたずんで、うれしいのか情けないのか、わからないような感情に動かされながら、子供らしく顔を赤らめて、被衣の中からのぞいている、沙金の大きな黒い目を迎えた。 「今のやつを見た?」  沙金は、被衣を開いて、汗ばんだ顔を見せながら、笑い笑い、問いかけた。 「見なくってさ。」 「あれはね。――まあここへかけましょう。」  二人は、石段の下の段に、肩をならべて、腰をおろした。幸い、ここには門の外に、ただ一本、細い幹をくねらした、赤松の影が落ちている。 「あれは、藤判官の所の侍なの。」  沙金は、石段の上に腰をおろすかおろさないのに、市女笠をぬいで、こう言った。小柄な、手足の動かし方に猫のような敏捷さがある、中肉の、二十五六の女である。顔は、恐ろしい野性と異常な美しさとが、一つになったとでもいうのであろう。狭い額とゆたかな頬と、あざやかな歯とみだらなくちびると、鋭い目と鷹揚な眉と、――すべて、一つになり得そうもないものが、不思議にも一つになって、しかもそこに、爪ばかりの無理もない。が、中でもみごとなのは、肩にかけた髪で、これは、日の光のかげんによると、黒い上につややかな青みが浮く。さながら、烏の羽根と違いがない。次郎は、いつ見ても変わらない女のなまめかしさを、むしろ憎いように感じたのである。 「そうして、お前さんの情人なんだろう。」  沙金は、目を細くして笑いながら、無邪気らしく、首をふった。 「あいつのばかと言ったら、ないのよ。わたしの言う事なら、なんでも、犬のようにきくじゃないの。おかげで、何もかも、すっかりわかってしまった。」 「何がさ。」 「何がって、藤判官の屋敷の様子がよ。そりゃひとかたならないおしゃべりなんでしょう。さっきなんぞは、このごろ、あすこで買った馬の話まで、話して聞かしたわ。――そうそう、あの馬は太郎さんに頼んで盗ませようかしら。陸奥出の三才駒だっていうから、まんざらでもないわね。」 「そうだ。兄きなら、なんでもお前の御意次第だから。」 「いやだわ。やきもちをやかれるのは、わたし大きらい。それも、太郎さんなんぞ、――そりゃはじめは、わたしのほうでも、少しはどうとか思ったけれど、今じゃもうなんでもないわ。」 「そのうちに、わたしの事もそう言う時が来やしないか。」 「それは、どうだかわかりゃしない。」  沙金は、またかん高い声で、笑った。 「おこったの? じゃ、来ないって言いましょうか。」 「内心女夜叉さね。お前は。」  次郎は、顔をしかめながら、足もとの石を拾って、向こうへ投げた。 「そりゃ、女夜叉かもしれないわ。ただ、こんな女夜叉にほれられたのが、あなたの因果だわね。――まだうたぐっているの。じゃわたし、もう知らないからいい。」  沙金は、こう言って、しばらくじっと、往来を見つめていたが、急に鋭い目を、次郎の上に転じると、たちまち冷ややかな微笑が、くちびるをかすめて、一過した。 「そんなに疑うのなら、いい事を教えてあげましょうか。」 「いい事?」 「ええ」  女は、顔を次郎のそばへ持って来た。うす化粧のにおいが、汗にまじって、むんと鼻をつく。――次郎は、身のうちがむずがゆいほど、はげしい衝動を感じて、思わず顔をわきへむけた。 「わたしね、あいつにすっかり、話してしまったの。」 「何を?」 「今夜、みんなで藤判官の屋敷へ、行くという事を。」  次郎は、耳を信じなかった。息苦しい官能の刺激も、一瞬の間に消えてしまう。――彼はただ、疑わしげに、むなしく女の顔を見返した。 「そんなに驚かなくたっていいわ。なんでもない事なのよ。」  沙金は、やや声を低めて、あざわらうような調子を出した。 「わたしこう言ったの。わたしの寝る部屋は、あの大路面の檜垣のすぐそばなんですが、ゆうべその檜垣の外で、きっと盗人でしょう、五六人の男が、あなたの所へはいる相談をしているのが聞こえました。それがしかも、今夜なんです。おなじみがいに、教えてあげましたから、それ相当の用心をしないと、あぶのうござんすよって。だから、今夜は、きっと向こうにも、手くばりがあるわ。あいつも、今人を集めに行ったところなの。二十人や三十人の侍は、くるにちがいなくってよ。」 「どうしてまた、そんなよけいな事をしたのさ。」  次郎は、まだ落ち着かない様子で、当惑したらしく、沙金の目をうかがった。 「よけいじゃないわ。」  沙金は、気味悪く、微笑した。そうして、左の手で、そっと次郎の右の手に、さわりながら、 「あなたのためにしたの。」 「どうして?」  こう言いながら、次郎の心には、恐ろしいあるものが感じられた。まさか―― 「まだわからない? そう言っておいて、太郎さんに、馬を盗む事を頼めば――ね。いくらなんだって、一人じゃかなわないでしょう。いえさ、ほかのものが加勢をしたって、知れたものだわ。そうすれば、あなたもわたしも、いいじゃないの。」  次郎は、全身に水を浴びせられたような心もちがした。 「兄きを殺す!」  沙金は、扇をもてあそびながら、素直にうなずいた。 「殺しちゃ悪い?」 「悪いよりも――兄きを罠にかけて――」 「じゃあなた殺せて?」  次郎は、沙金の目が、野猫のように鋭く、自分を見つめているのを感じた。そうして、その目の中に、恐ろしい力があって、それが次第に自分の意志を、麻痺させようとするのを感じた。 「しかし、それは卑怯だ。」 「卑怯でも、しかたがなくはない?」  沙金は、扇をすてて、静かに両手で、次郎の右の手をとらえながら、追窮した。 「それも、兄き一人やるのならいいが、仲間を皆、あぶない目に会わせてまで――」  こう言いながら、次郎は、しまったと思った。狡猾な女はもちろん、この機会を見のがさない。 「一人やるのならいいの? なぜ?」  次郎は、女の手をはなして、立ち上がった。そうして、顔の色を変えたまま、黙って、沙金の前を、右左に歩き出した。 「太郎さんを殺していいんなら、仲間なんぞ何人殺したって、いいでしょう。」  沙金は、下から次郎の顔を見上げながら、一句を射た。 「おばばはどうする?」 「死んだら、死んだ時の事だわ。」  次郎は、立ち止まって、沙金の顔を見おろした。女の目は、侮蔑と愛欲とに燃えて炭火のように熱を持っている。 「あなたのためなら、わたしたれを殺してもいい。」  このことばの中には、蝎のように、人を刺すものがある。次郎は、再び一種の戦慄を感じた。 「しかし、兄きは――」 「わたしは、親も捨てているのじゃない?」  こう言って、沙金は、目を落とすと、急に張りつめた顔の表情がゆるんで、焼け砂の上へ、日に光りながらはらはらと涙が落ちた。 「もうあいつに話してしまったのに、――今さら取り返しはつきはしない。――そんな事がわかったら、わたしは――わたしは、仲間に――太郎さんに殺されてしまうじゃないの。」  その切れ切れなことばと共に、次郎の心には、おのずから絶望的な勇気が、わいてくる。血の色を失った彼は、黙って、土にひざをつきながら、冷たい両手に堅く、沙金の手をとらえた。  彼らは二人とも、その握りあう手のうちに、恐ろしい承諾の意を感じたのである。        五  白い布をかかげて、家の中に一足ふみこんだ太郎は、意外な光景に驚かされた。――  見ると、広くもない部屋の中には、廚へ通う遣戸が一枚、斜めに網代屏風の上へ、倒れかかって、その拍子にひっくり返ったものであろう、蚊やりをたく土器が、二つになってころがりながら、一面にあたりへ、燃え残った青松葉を、灰といっしょにふりまいている。その灰を頭から浴びて、ちぢれ髪の、色の悪い、肥った、十六七の下衆女が一人、これも酒肥りに肥った、はげ頭の老人に、髪の毛をつかまれながら、怪しげな麻の単衣の、前もあらわに取り乱したまま、足をばたばた動かして、気違いのように、悲鳴を上げる――と、老人は、左手に女の髪をつかんで、右手に口の欠けた瓶子を、空ざまにさし上げながら、その中にすすけた液体を、しいて相手の口へつぎこもうとする。が、液体は、いたずらに女の顔を、目と言わず、鼻と言わず、うす黒く横流れするだけで、口へは、ほとんどはいらないらしい。そこで老人は、いよいよ、気をいらって無理に女の口を、割ろうとする。女は、とられた髪も、ぬけるほど強く、頭を振って、一滴もそれを飲むまいとする。手と手と、足と足とが、互いにもつれたり、はなれたりして、明るい所から、急にうす暗い家の中へはいった、太郎の目には、どちらがどちらのからだとも、わからない。が、二人がたれだという事は、もちろん一目見て、それと知れた。――  太郎は、草履を脱ぐ間ももどかしそうに、あわただしく部屋の中へおどりこむと、とっさに老人の右の手をつかんで、苦もなく瓶子をもぎはなしながら、怒気を帯びて、一喝した。 「何をする?」  太郎の鋭いこのことば、たちまちかみつくような、老人のことばで答えられた。 「おぬしこそ、何をする。」 「おれか。おれならこうするわ。」  太郎は、瓶子を投げすてて、さらに相手の左の手を、女の髪からひき離すと、足をあげて老人を、遣戸の上へ蹴倒した。不意の救いに驚いたのであろう、阿濃はあわてて、一二間這いのいたが、老人の後へ倒れたのを見ると、神仏をおがむように、太郎の前へ手を合わせて、震えながら頭を下げた。と思うと、乱れた髪もつくろわずに、脱兎のごとく身をかわして、はだしのまま、縁を下へ、白い布をひらりとくぐる。――猛然として、追いすがろうとする猪熊の爺を、太郎が再び一蹴して、灰の中に倒した時には、彼女はすでに息を切らせて、枇杷の木の下を北へ、こけつまろびつして、走っていた。……… 「助けてくれ。人殺しじゃ。」  老人は、こうわめきながら、始めの勢いにも似ず、網代屏風をふみ倒して、廚のほうへ逃げようとする。――太郎は、すばやく猿臂をのべて、浅黄の水干の襟上をつかみながら、相手をそこへ引き倒した。 「人殺し。人殺し。助けてくれ。親殺しじゃ。」 「ばかな事を。たれがおぬしなぞ殺すものか。」  太郎は、ひざの下に老人を押し伏せたまま、こう高らかに、あざわらった。が、それと同時に、このおやじを殺したいという欲望が、おさえがたいほど強く、起こって来た。殺すのには、もちろんなんのめんどうもない。ただ、一突き――あの赤く皮のたるんでいる頸を、ただ、一突き突きさえすれば、それでもう万事が終わってしまう。突き通した太刀のきっさきが、畳へはいる手答えと、その太刀の柄へ感じて来る、断末魔の身もだえと、そうして、また、その太刀を押しもどす勢いで、あふれて来る血のにおいと、――そういう想像は、おのずから太郎の手を、葛巻きの太刀の柄へのばさせた。 「うそじゃ。うそじゃ。おぬしは、いつもわしを殺そうと思うている。――やい、たれか助けてくれ。人殺しじゃ。親殺しじゃ。」  猪熊の爺は、相手の心を見通したのか、またひとしきりはね起きようとして、すまいながら、必死になって、わめき立てた。 「おぬしは、なんで阿濃を、あのような目にあわせた。さあそのしさいを言え。言わねば……」 「言う。言う。――言うがな。言ったあとでも、おぬしの事じゃ。殺さないものでも、なかろう。」 「うるさい。言うか、言わぬか。」 「言う。言う。言う。が、まず、そこを放してくれ。これでは、息がつまって、口がきけぬわ。」  太郎は、それを耳にもかけないように、殺気立った声で、いらだたしく繰り返した。 「言うか、言わぬか。」 「言う。」と、猪熊の爺は、声をふりしぼって、まだはね返そうと、もがきながら、「言うともな。あれはただ、わしが薬をのましょうと思うたのじゃ。それを、あの阿濃の阿呆めが、どうしても飲みおらぬ。されば、ついわしも手荒な事をした。それだけじゃ。いや、まだある。薬をこしらえおったのは、おばばじゃ。わしの知った事ではない。」 「薬? では、堕胎薬だな。いくら阿呆でも、いやがる者をつかまえて、非道な事をするおやじだ。」 「それ見い。言えと言うから、言えば、なおおぬしは、わしを殺す気になるわ。人殺し。極道。」 「たれがおぬしを殺すと言った?」 「殺さぬ気なら、なぜおぬしこそ、太刀の柄へ手をかけているのじゃ。」  老人は、汗にぬれたはげ頭を仰向けて、上目に太郎を見上げながら、口角に泡をためて、こう叫んだ。太郎は、はっと思った。殺すなら、今だという気が、心頭をかすめて、一閃する。彼は思わず、ひざに力を入れながら、太刀の柄を握りしめて、老人の頸のあたりをじっと見た。わずかに残った胡麻塩の毛が、後頭部を半ばおおった下に、二筋の腱が、赤い鳥肌の皮膚のしわを、そこだけ目だたないように、のばしている。――太郎は、その頸を見た時に、不思議な憐憫を感じだした。 「人殺し。親殺し。うそつき。親殺し。親殺し。」  猪熊の爺は、つづけさまに絶叫しながら、ようやく、太郎のひざの下からはね起きた。はね起きると、すばやく倒れた遣戸を小盾にとって、きょろきょろ、目を左右にくばりながら、すきさえあれば、逃げようとする。――その一面に赤く地ばれのした、目も鼻もゆがんでいる、狡猾らしい顔を見ると、太郎は、今さらのように、殺さなかったのを後悔した。が、彼はおもむろに太刀の柄から手を離すと、彼自身をあわれむように苦笑をくちびるに浮かべながら、手近の古畳の上へしぶしぶ腰をおろした。 「おぬしを殺すような太刀は、持たぬわ。」 「殺せば、親殺しじゃて。」  彼の様子に安心した、猪熊の爺は、そろそろ遣戸の後ろから、にじり出ながら、太郎のすわったのと、すじかいに敷いた畳の上へ、自分も落ちつかない尻をすえた。 「おぬしを殺して、なんで親殺しになる?」  太郎は、目を窓にやりながら、吐き出すように、こう言った。四角に空を切りぬいた窓の中には、枇杷の木が、葉の裏表に日を受けて、明暗さまざまな緑の色を、ひっそりと風のないこずえにあつめている。 「親殺しじゃよ。――なぜと言えばな。沙金は、わしの義理の子じゃ。されば、つながるおぬしも、子ではないか。」 「じゃ、その子を妻にしているおぬしは、なんだ。畜生かな、それともまた、人間かな。」  老人は、さっきの争いに破れた、水干の袖を気にしながら、うなるような声で言った。 「畜生でも、親殺しはすまいて。」  太郎は、くちびるをゆがめて、あざわらった。 「相変わらず、達者な口だて。」 「何が達者な口じゃ。」  猪熊の爺は、急に鋭く、太郎の顔をにらめたが、やがてまた、鼻で笑いながら、 「されば、おぬしにきくがな、おぬしは、このわしを、親と思うか。いやさ、親と思う事ができるかよ。」 「きくまでもないわ。」 「できまいな」 「おお、できない。」 「それが手前勝手じゃ。よいか。沙金はおばばのつれ子じゃよ。が、わしの子ではない。されば、おばばにつれそうわしが、沙金を子じゃと思わねばならぬなら、沙金につれそうおぬしも、わしを親じゃと思わねばなるまいがな。それをおぬしは、わしを親とも思わぬ。思わぬどころか、場合によっては、打ち打擲もするではないか。そのおぬしが、わしにばかり、沙金を子と思えとは、どういうわけじゃ。妻にして悪いとは、どういうわけじゃ。沙金を妻にするわしが、畜生なら、親を殺そうとするおぬしも、畜生ではないか。」  老人は、勝ち誇った顔色で、しわだらけの人さし指を、相手につきつけるようにしながら、目をかがやかせて、しゃべり立てた。 「どうじゃ。わしが無理か、おぬしが無理か、いかなおぬしにも、このくらいな事はわかるであろう。それもわしとおばばとは、まだわしが、左兵衛府の下人をしておったころからの昔なじみじゃ。おばばが、わしをどう思うたか、それは知らぬ。が、わしはおばばを懸想していた。」  太郎は、こういう場合、この酒飲みの、狡猾な、卑しい老人の口から、こういう昔語りを聞こうとは夢にも思っていなかった。いや、むしろ、この老人に、人並みの感情があるかどうか、それさえ疑わしいと、思っていた。懸想した猪熊の爺と懸想された猪熊のばばと、――太郎は、おのずから自分の顔に、一脈の微笑が浮かんで来るのを感じたのである。 「そのうちに、わしはおばばに情人がある事を知ったがな。」 「そんなら、おぬしはきらわれたのじゃないか。」 「情人があったとて、わしのきらわれたという、証拠にはならぬ。話の腰を折るなら、もうやめじゃ。」  猪熊の爺は、真顔になって、こう言ったが、すぐまた、ひざをすすめて、太郎のほうへにじり寄りながら、つばをのみのみ、話しだした。 「そのうちに、おばばがその情人の子をはらんだて。が、これはなんでもない。ただ、驚いたのは、その子を生むと、まもなく、おばばの行き方が、わからなくなって、しもうた事じゃ。人に聞けば、疫病で死んだの、筑紫へ下ったのと言いおるわ。あとで聞けば、なんの、奈良坂のしるべのもとへ、一時身を寄せておったげじゃ。が、わしは、それからにわかに、この世が味気なくなってしもうた。されば、酒も飲む、賭博も打つ。ついには、人に誘われて、まんまと強盗にさえ身をおとしたがな。綾を盗めば綾につけ、錦を盗めば、錦につけ、思い出すのは、ただ、おばばの事じゃ。それから十年たち、十五年たって、やっとまたおばばに、めぐり会ってみれば――」  今では全く、太郎と一つ畳にすわりこんだ老人は、ここまで話すと、次第に感情がたかぶって来たせいか、しばらくはただ、涙に頬をぬらしながら、口ばかり動かして、黙っている。太郎は、片目をあげて、別人を見るように、相手のべそをかいた顔をながめた。 「めぐり会ってみれば、おばばは、もう昔のおばばではない。わしも、昔のわしでなかったのじゃ。が、つれている子の沙金を見れば、昔のおばばがまた、帰って来たかと思うほど、おもかげがよう似ているて。されば、わしはこう思うた。今、おばばに別れれば、沙金ともまた別れなければならぬ。もし沙金と別れまいと思えば、おばばといっしょになるばかりじゃ。よし、ならば、おばばを妻にしよう――こう思い切って、持ったのが、この猪熊の痩世帯じゃ。………」  猪熊の爺は、泣き顔を、太郎の顔のそばへ持って来ながら、涙声でこう言った。すると、その拍子に、今まで気のつかなかった、酒くさいにおいが、ぷんとする。――太郎は、あっけにとられて、扇のかげに、鼻をかくした。 「されば、昔からきょうの日まで、わしが命にかけて思うたのは、ただ、昔のおばば一人ぎりじゃ。つまりは今の沙金一人ぎりじゃよ。それを、おぬしは、何かにつけて、わしを畜生じゃなどと言う。このおやじがおぬしは、それほど憎いのか。憎ければ、いっそ殺すがよい。今ここで、殺すがよい。おぬしに殺されれば、わしも本望じゃ。が、よいか、親を殺すからは、おぬしも、畜生じゃぞよ。畜生が畜生を殺す――これは、おもしろかろう。」  涙がかわくに従って、老人はまた、元のように、ふて腐れた悪態をつきながら、しわだらけの人さし指をふり立てた。 「畜生が畜生を殺すのじゃ。さあ殺せ。おぬしは、卑怯者じゃな。ははあ、さっき、わしが阿濃に薬をくれようとしたら、おぬしが腹を立てたのを見ると、あの阿呆をはらませたのも、おぬしらしいぞ。そのおぬしが、畜生でのうて、何が畜生じゃ。」  こう言いながら、老人は、いちはやく、倒れた遣戸の向こうへとびのいて、すわと言えば、逃げようとするけはいを示しながら、紫がかった顔じゅうの造作を、憎々しくゆがめて見せる。――太郎は、あまりの雑言に堪えかねて、立ち上がりながら、太刀の柄へ手をかけたが、やめて、くちびるを急に動かすとたちまち相手の顔へ、一塊の痰をはきかけた。 「おぬしのような畜生には、これがちょうど、相当だわ。」 「畜生呼ばわりは、おいてくれ。沙金は、おぬしばかりの妻かよ。次郎殿の妻でもないか。されば、弟の妻をぬすむおぬしもやはり、畜生じゃ。」  太郎は、再びこのおやじを殺さなかった事を後悔した。が、同時にまた、殺そうという気の起こる事を恐れもした。そこで、彼は、片目を火のようにひらめかせながら、黙って、席を蹴って去ろうとする――すると、その後ろから、猪熊の爺はまた、指をふりふり、罵詈を浴びせかけた。 「おぬしは、今の話をほんとうだと思うか。あれは、みんなうそじゃ。ばばが昔なじみじゃというのも、うそなら、沙金がおばばに似ているというのもうそじゃ。よいか。あれは、みんなうそじゃ。が、とがめたくも、おぬしはとがめられまい。わしはうそつきじゃよ。畜生じゃよ。おぬしに殺されそくなった、人でなしじゃよ。………」  老人は、こう唾罵を飛ばしながら、おいおい、呂律がまわらなくなって来た。が、なおも濁った目に懸命の憎悪を集めながら、足を踏み鳴らして、意味のない事を叫びつづける。――太郎は、堪えがたい嫌悪の情に襲われて、耳をおおうようにしながら、匇々、猪熊の家を出た。外には、やや傾きかかった日がさして、相変わらずその中を、燕が軽々と流れている。―― 「どこへ行こう。」  外へ出て、思わずこう小首を傾けた太郎は、ふとさっきまでは、自分が沙金に会うつもりで、猪熊へ来たのに、気がついた。が、どこへ行ったら、沙金に会えるという、当てもない。 「ままよ。羅生門へ行って、日の暮れるのでも待とう。」  彼のこの決心には、もちろん、いくぶん沙金に会えるという望みが、隠れている。沙金は、日ごろから、強盗にはいる夜には、好んで、男装束に身をやつした。その装束や打ち物は、みな羅生門の楼上に、皮子へ入れてしまってある。――彼は、心をきめて、小路を南へ、大またに歩きだした。  それから、三条を西へ折れて、耳敏川の向こう岸を、四条まで下ってゆく――ちょうど、その四条の大路へ出た時の事である。太郎は、一町を隔てて、この大路を北へ、立本寺の築土の下を、話しながら通りかかる、二人の男女の姿を見た。  朽ち葉色の水干とうす紫の衣とが、影を二つ重ねながら、はればれした笑い声をあとに残して、小路から小路へ通りすぎる。めまぐるしい燕の中に、男の黒鞘の太刀が、きらりと日に光ったかと思うと、二人はもう見えなくなった。  太郎は、額を曇らせながら、思わず道ばたに足をとめて、苦しそうにつぶやいた。 「どうせみんな畜生だ。」        六  ふけやすい夏の夜は、早くも亥の上刻に迫って来た。――  月はまだ上らない。見渡す限り、重苦しいやみの中に、声もなく眠っている京の町は、加茂川の水面がかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々にも、今はようやく灯影が絶えて、内裏といい、すすき原といい、町家といい、ことごとく、静かな夜空の下に、色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。それがまた、右京左京の区別なく、どこも森閑と音を絶って、たまに耳にはいるのは、すじかいに声を飛ばすほととぎすのほかに、何もない。もしその中に一点でも、人なつかしい火がゆらめいて、かすかなものの声が聞こえるとすれば、それは、香の煙のたちこめた大寺の内陣で、金泥も緑青も所斑な、孔雀明王の画像を前に、常燈明の光をたのむ参籠の人々か、さもなくば、四条五条の橋の下で、短夜を芥火の影にぬすむ、こじき法師の群れであろう。あるいはまた、夜な夜な、往来の人をおびやかす朱雀門の古狐が、瓦の上、草の間に、ともすともなくともすという、鬼火のたぐいであるかもしれない。が、そのほかは、北は千本、南の鳥羽街道の境を尽くして、蚊やりの煙のにおいのする、夜色の底に埋もれながら、河原よもぎの葉を動かす、微風もまるで知らないように、沈々としてふけている。  その時、王城の北、朱雀大路のはずれにある、羅生門のほとりには、時ならない弦打ちの音が、さながら蝙蝠の羽音のように、互いに呼びつ答えつして、あるいは一人、あるいは三人、あるいは五人、あるいは八人、怪しげないでたちをしたものの姿が、次第にどこからか、つどって来た。おぼつかない星明かりに透かして見れば、太刀をはくもの、矢を負うもの、斧を執るもの、戟を持つもの、皆それぞれ、得物に身を固めて、脛布藁沓の装いもかいがいしく、門の前に渡した石橋へ、むらむらと集まって、列を作る――と、まっさきには、太郎がいた。それにつづいて、さっきの争いも忘れたように、猪熊の爺が、物々しく鉾の先を、きらりと暗にひらめかせる。続いて、次郎、猪熊のばば、少し離れて、阿濃もいる。それにかこまれて、沙金は一人、黒い水干に太刀をはいて、胡簶を背に弓杖をつきながら、一同を見渡して、あでやかな口を開いた。―― 「いいかい。今夜の仕事は、いつもより手ごわい相手なんだからね。みなそのつもりで、いておくれ。さしずめ十五六人は、太郎さんといっしょに、裏から、あとはわたしといっしょに、表からはいってもらおう。中でも目ぼしいのは、裏の厩にいる陸奥出の馬だがね。これは、太郎さん、あなたに頼んでおくわ。よくって。」  太郎は、黙って星を見ていたが、これを聞くと、くちびるをゆがめながら、うなずいた。 「それから断わっておくが、女子供を質になんぞとっては、いけないよ。あとの始末がめんどうだからね。じゃ、人数がそろったら、そろそろ出かけよう。」  こう言って、沙金は弓をあげて、一同をさしまねいたが、しょんぼり、指をかんで立っている、阿濃を顧みると、またやさしくことばを添えた。 「じゃ、お前はここで、待っていておくれ。一刻か二刻で、皆帰ってくるからね。」  阿濃は、子供のように、うっとり沙金の顔を見て、静かに合点した。 「されば、行こう。ぬかるまいぞ、多襄丸。」  猪熊の爺は、戟をたばさみながら、隣にいる仲間をふり返った。蘇芳染の水干を着た相手は、太刀のつばを鳴らして、「ふふん」と言ったまま、答えない。そのかわりに、斧をかついだ、青ひげのさわやかな男が、横あいから、口を出した。 「おぬしこそ、また影法師なぞにおびえまいぞ。」  これと共に、二十三人の盗人どもは、ひとしく忍び笑いをもらしながら、沙金を中に、雨雲のむらがるごとく、一団の殺気をこめて、朱雀大路へ押し出すと、みぞをあふれた泥水が、くぼ地くぼ地へ引かれるようにやみにまぎれて、どこへ行ったか、たちまちのうちに、見えなくなった。……  あとには、ただ、いつか月しろのした、うす明るい空にそむいて、羅生門の高い甍が、寂然と大路を見おろしているばかり、またしてもほととぎすの、声がおちこちに断続して、今まで七丈五級の大石段に、たたずんでいた阿濃の姿も、どこへ行ったか、見えなくなった。――が、まもなく、門上の楼に、おぼつかない灯がともって、窓が一つ、かたりとあくと、その窓から、遠い月の出をながめている、小さな女の顔が出た。阿濃は、こうして、次第に明るくなってゆく京の町を、目の下に見おろしながら、胎児の動くのを感じるごとに、ひとりうれしそうに、ほほえんでいるのである。        七  次郎は、二人の侍と三頭の犬とを相手にして、血にまみれた太刀をふるいながら、小路を南へ二三町、下るともなく下って来た。今は沙金の安否を気づかっている余裕もない。侍は衆をたのんで、すきまもなく切りかける。犬も毛の逆立った背をそびやかして、前後をきらわず、飛びかかった。おりからの月の光に、往来は、ほのかながら、打つ太刀をたがわせないほどに、明るくなっている。――次郎は、その中で、人と犬とに四方を囲まれながら、必死になって、切りむすんだ。  相手を殺すか、相手に殺されるか、二つに一つより生きる道はない。彼の心には、こういう覚悟と共に、ほとんど常軌を逸した、凶猛な勇気が、刻々に力を増して来た。相手の太刀を受け止めて、それを向こうへ切り返しながら、足もとを襲おうとする犬を、とっさに横へかわしてしまう。――彼は、この働きをほとんど同時にした。そればかりではない。どうかするとその拍子に切り返した太刀を、逆にまわして、後ろから来る犬の牙を、防がなければならない事さえある。それでもさすがにいつか傷をうけたのであろう。月明かりにすかして見ると、赤黒いものが一すじ、汗ににじんで、左の小鬢から流れている。が、死に身になった次郎には、その痛みも気にならない。彼は、ただ、色を失った額に、ひいでた眉を一文字にひそめながら、あたかも太刀に使われる人のように、烏帽子も落ち、水干も破れたまま、縦横に刃を交えているのである。  それがどのくらい続いたか、わからない。が、やがて、上段に太刀をふりかざした侍の一人が、急に半身を後ろへそらせて、けたたましい悲鳴をあげたと思うと、次郎の太刀は、早くもその男の脾腹を斜めに、腰のつがいまで切りこんだのであろう。骨を切る音が鈍く響いて、横に薙いだ太刀の光が、うすやみをやぶってきらりとする。――と、その太刀が宙におどって、もう一人の侍の太刀を、ちょうと下から払ったと見る間に、相手は肘をしたたか切られて、やにわに元来たほうへ、敗走した。それを次郎が追いすがりざまに、切ろうとしたのと、狩犬の一頭が鞠のように身をはずませて、彼の手もとへかぶりついたのとが、ほとんど、同時の働きである。彼は、一足あとへとびのきながら、ふりむかった血刀の下に、全身の筋肉が一時にゆるむような気落ちを感じて、月に黒く逃げてゆく相手の後ろ姿を見送った。そうしてそれと共に、悪夢からさめた人のような心もちで、今自分のいる所が、ほかならない立本寺の門前だという事に気がついた。――  これから半刻ばかり以前の事である。藤判官の屋敷を、表から襲った偸盗の一群は、中門の右左、車宿りの内外から、思いもかけず射出した矢に、まず肝を破られた。まっさきに進んだ真木島の十郎が、太腿を箆深く射られて、すべるようにどうと倒れる。それを始めとして、またたく間に二三人、あるいは顔を破り、あるいは臂を傷つけて、あわただしく後ろを見せた。射手の数は、もちろん何人だかわからない。が、染め羽白羽のとがり矢は、中には物々しい鏑の音さえ交えて、またひとしきり飛んで来る。後ろに下がっていた沙金でさえ、ついには黒い水干の袖を斜めに、流れ矢に射通された。 「お頭にけがをさすな。射ろ。射ろ。味方の矢にも、鏃があるぞ。」  交野の平六が、斧の柄をたたいて、こうののしると、「おう」という答えがあって、たちまち盗人の中からも、また矢叫びの声が上がり始める。太刀の柄に手をかけて、やはり後ろに下がっていた次郎は、平六のこのことばに、一種の苛責を感じながら、見ないようにして沙金の顔を横からそっとのぞいて見た。沙金は、この騒ぎのうちにも冷然とたたずみながら、ことさら月の光にそむきいて、弓杖をついたまま、口角の微笑もかくさず、じっと矢の飛びかうのを、ながめている。――すると、平六が、またいら立たしい声を上げて、横あいから、こう叫んだ。 「なぜ十郎を捨てておくのじゃ。おぬしたちは矢玉が恐ろしゅうて、仲間を見殺しにする気かよ。」  太腿を縫われた十郎は、立ちたくも立てないのであろう、太刀を杖にして居ざりながら、ちょうど羽根をぬかれた鴉のように、矢を避け避け、もがいている。次郎は、それを見ると、異様な戦慄を覚えて、思わず腰の太刀をぬき払った。が、平六はそれを知ると、流し目にじろりと彼の顔を見て、 「おぬしは、お頭に付き添うていればよい。十郎の始末は、小盗人でたくさんじゃ。」と、あざけるように言い放った。  次郎は、このことばに皮肉な侮蔑を感じて、くちびるをかみながら、鋭く平六の顔を見返した。――すると、ちょうどそのとたんである。十郎を救おうとして、ばらばらと走り寄った、盗人たちの機先を制して、耳をつんざく一声の角を合図に、粉々として乱れる矢の中を、門の内から耳のとがった、牙の鋭い、狩犬が六七頭すさまじいうなり声を立てながら、夜目にも白くほこりを巻いて、まっしぐらに衝いて出た。続いてそのあとから十人十五人、手に手に打ち物を取った侍が、先を争って屋敷の外へ、ひしめきながらあふれて来る。味方ももちろん、見てはいない。斧をふりかざした平六を先に立てて、太刀や鉾が林のように、きらめきながら並んだ中から、人とも獣ともつかない声を、たれとも知らずわっと上げると、始めのひるんだけしきにも似ず一度に備えを立て直して、猛然として殺到する。沙金も、今は弓にたかうすびょうの矢をつがえて、まだ微笑を絶たない顔に、一脈の殺気を浮かべながら、すばやく道ばたの築土のこわれを小楯にとって、身がまえた。――  やがて敵と味方は、見る見るうちに一つになって、気の違ったようにわめきながら、十郎の倒れている前後をめぐって、無二無三に打ち合い始めた。その中にまた、狩犬がけたたましく、血に飢えた声を響かせて、戦いはいずれが勝つとも、しばらくの間はわからない。そこへ一人、裏へまわった仲間の一人が、汗と埃とにまみれながら、二三か所薄手を負うた様子で、血に染まったままかけつけた。肩にかついだ太刀の刃のこぼれでは、このほうの戦いも、やはり存外手痛かったらしい。 「あっちは皆ひき上げますぜ。」  その男は、月あかりにすかしながら、沙金の前へ来ると、息を切らし切らし、こう言った。 「なにしろ肝腎の太郎さんが、門の中で、やつらに囲まれてしまったという騒ぎでしてな。」  沙金と次郎とは、うす暗い築土の影の中で、思わず目と目を見合わせた。 「囲まれて、どうしたえ。」 「どうしたか、わかりません。が、事によると、――まあそれもあの人の事だから、万々大丈夫だろうと思いますがな。」  次郎は、顔をそむけながら、沙金のそばを離れた。が、小盗人はもちろんそんな事は、気にとめない。 「それにおじじやおばばまで、手を負ったようでした。あのぶんじゃ殺されたやつも、四五人はありましょう。」  沙金はうなずいた。そうして次郎のあとから追いかけるように、険のある声で、 「じゃ、わたしたちもひき上げましょう。次郎さん、口笛を吹いてちょうだい。」と言った。  次郎は、あらゆる表情が、凝り固まったような顔をしながら、左手の指を口へ含んで、鋭く二声、口笛の音を飛ばせた。これが、仲間にだけ知られている、引き揚げの時の合図である。が、盗人たちは、この口笛を聞いても、踵をめぐらす様子がない。(実は、人と犬とにとりかこまれてめぐらすだけの余裕がなかったせいであろう。)口笛の音は、蒸し暑い夜の空気を破って、むなしく小路の向こうに消えた。そうしてそのあとには、人の叫ぶ声と、犬のほえる声と、それから太刀の打ち合う音とが、はるかな空の星を動かして、いっそう騒然と、立ちのぼった。  沙金は、月を仰ぎながら、稲妻のごとく眉を動かした。 「しかたがないわね。じゃ、わたしたちだけ帰りましょう。」  そういう話のまだ終わらないうちに、そうして、次郎がそれを聞かないもののように、再び指を口に含んで相図を吹こうとした時に、盗人たちの何人かが、むらむらと備えを乱して、左右へ分かれた中から、人と犬とが一つになって、二人の近くへ迫って来た。――と思うと、沙金の手に弓返りの音がして、まっさきに進んだ白犬が一頭、たかうすびょうの矢に腹を縫われて、苦鳴と共に、横に倒れる。見る間に、黒血がその腹から、斑々として砂にたれた。が、犬に続いた一人の男は、それにもおじず、太刀をふりかざして、横あいから次郎に切ってかかる。その太刀が、ほとんど無意識に受けとめた、次郎の太刀の刃を打って、鏘然とした響きと共に、またたく間、火花を散らした。――次郎はその時、月あかりに、汗にぬれた赤ひげと切り裂かれた樺桜の直垂とを、相手の男に認めたのである。  彼は直下に、立本寺の門前を、ありありと目に浮かべた。そうして、それと共に、恐ろしい疑惑が、突然として、彼を脅かした。沙金はこの男と腹を合わせて、兄のみならず、自分をも殺そうとするのではあるまいか。一髪の間にこういう疑いをいだいた次郎は、目の前が暗くなるような怒りを感じて、相手の太刀の下を、脱兎のごとく、くぐりぬけると、両手に堅く握った太刀を、奮然として、相手の胸に突き刺した。そうして、ひとたまりもなく倒れる相手の男の顔を、したたか藁沓でふみにじった。  彼は、相手の血が、生暖かく彼の手にかかったのを感じた。太刀の先が肋の骨に触れて、強い抵抗を受けたのを感じた。そうしてまた、断末魔の相手が、ふみつけた彼の藁沓に、下から何度もかみついたのを感じた。それが、彼の復讐心に、快い刺激を与えたのは、もちろんである。が、それにつれて、彼はまた、ある名状しがたい心の疲労に、襲われた。もし周囲が周囲だったら、彼は必ずそこに身を投げ出して、飽くまで休息をむさぼった事であろう。しかし、彼が相手の顔をふみつけて、血のしたたる太刀を向こうの胸から引きぬいているうちに、もう何人かの侍は、四方から彼をとり囲んだ。いや、すでに後ろから、忍びよった男の鉾は、危うく鋒を、彼の背に擬している。が、その男は、不意に前へよろめくと、鉾の先に次郎の水干の袖を裂いて、うつむけにがくりと倒れた。たかうすびょうの矢が一筋、颯然と風を切りながら、ひとゆりゆって後頭部へ、ぐさと箆深く立ったからである。  それからのちの事は、次郎にも、まるで夢のようにしか思われない。彼はただ、前後左右から落ちて来る太刀の中に、獣のようなうなり声を出して、相手を選まず渡り合った。周囲に沸き返っている、声とも音ともつかない物の響きと、その中に出没する、血と汗とにまみれた人の顔と――そのほかのものは、何も目にはいらない。ただ、さすがに、あとにのこして来た沙金の事が、太刀からほとばしる火花のように、時々心にひらめいた。が、ひらめいたと思ううちに、刻々迫ってくる生死の危急が、たちまちそれをかき消してしまう。そうして、そのあとにはまた、太刀音と矢たけびとが、天をおおう蝗の羽音のように、築土にせかれた小路の中で、とめどもなくわき返った。――次郎は、こういう勢いに促されて、いつか二人の侍と三頭の犬とに追われながら、小路を南へ少しずつ切り立てられて来たのである。  が、相手の一人を殺し、一人を追いはらったあとで、犬だけなら、恐れる事もないと思ったのは、結局次郎の空だのみにすぎなかった。犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、子牛もこれにくらべれば、大きい事はあっても、小さい事はない。それが皆、口のまわりを人間の血にぬらして、前に変わらず彼の足もとへ、左右から襲いかかった。一頭の頤を蹴返すと、一頭が肩先へおどりかかる。それと同時に、一頭の牙が、すんでに太刀を持った手を、かもうとした。とまた、三頭とも巴のように、彼の前後に輪を描いて、尾を空ざまに上げながら、砂のにおいをかぐように、頤を前足へすりつけて、びょうびょうとほえ立てる。――相手を殺したのに、気のゆるんだ次郎は、前よりもいっそう、この狩犬の執拗い働きに悩まされた。  しかも、いら立てば立つほど、彼の打つ太刀は皆空を切って、ややともすれば、足場を失わせようとする。犬は、そのすきに乗じて、熱い息を吐きながら、いよいよ休みなく肉薄した。もうこうなっては、ただ、窮余の一策しか残っていない。そこで、彼は、事によったら、犬が追いあぐんで、どこかに逃げ場ができるかもしれないという、一縷の望みにたよりながら、打ちはずした太刀を引いて、おりから足をねらった犬の背を危うく向こうへとび越えると、月の光をたよりにして、ひた走りに走り出した。が、もとよりこの企ても、しょせんはおぼれようとするものが、藁でもつかむのと変わりはない。犬は、彼が逃げるのを見ると、ひとしくきりりと尾を巻いて、あと足に砂を蹴上げながら真一文字に追いすがった。  が、彼のこの企ては、単に失敗したというだけの事ではない。実はそれがために、かえって虎口にはいるような事ができたのである。――次郎は立本寺の辻をきわどく西へ切れて、ものの二町と走るか走らないうちに、たちまち行く手の夜を破って、今自身を追っている犬の声より、より多くの犬の声が、耳を貫ぬいて起こるのを聞いた。それから、月に白んだ小路をふさいで、黒雲に足のはえたような犬の群れが、右往左往に入り乱れて、餌食を争っているさまが見えた。最後に――それはほとんど寸刻のいとまもなかったくらいである。すばやく彼を駆けぬけた狩犬の一頭が、友を集めるように高くほえると、そこに狂っていた犬の群れは、ことごとく相呼び相答えて、一度に狺々の声をあげながら、見る間に彼を、その生きて動く、なまぐさい毛皮の渦巻きの中へ巻きこんだ。深夜、この小路に、こうまで犬の集まっていたのは、もとよりいつもある事ではない。次郎は、この廃都をわが物顔に、十二十と頭をそろえて、血のにおいに飢えて歩く、獰猛な野犬の群れが、ここに捨ててあった疫病の女を、宵のうちから餌食にして、互いに牙をかみながら、そのちぎれちぎれな肉や骨を、奪い合っているところへ、来たのである。  犬は、新しい餌食を見ると、一瞬のいとまもなく、あらしに吹かれて飛ぶ稲穂のように、八方から次郎へ飛びかかった。たくましい黒犬が、太刀の上をおどり越えると、尾のない狐に似た犬が、後ろから来て、肩をかすめる。血にぬれた口ひげが、ひやりと頬にさわったかと思うと、砂だらけな足の毛が、斜めに眉の間をなでた。切ろうにも突こうにも、どれと相手を定める事ができない。前を見ても、後ろを見ても、ただ、青くかがやいている目と、絶えずあえいでいる口とがあるばかり、しかもその目とその口が、数限りもなく、道をうずめて、ひしひしと足もとに迫って来る。――次郎は、太刀を回しながら、急に、猪熊のばばの話を思い出した。「どうせ死ぬのなら一思いに死んだほうがいい。」彼は、そう心に叫んで、いさぎよく目をつぶったが、喉をかもうとする犬の息が、暖かく顔へかかると、思わずまた、目をあいて、横なぐりに太刀をふるった。何度それを繰り返したか、わからない。しかし、そのうちに、腕の力が、次第に衰えて来たのであろう、打つ太刀が、一太刀ごとに重くなった。今では踏む足さえ危うくなった。そこへ、切った犬の数よりも、はるかに多い野犬の群れが、あるいは芒原の向こうから、あるいは築土のこわれをぬけて、続々として、つどって来る。――  次郎は、絶望の目をあげて、天上の小さな月を一瞥しながら、太刀を両手にかまえたまま、兄の事や沙金の事を、一度に石火のごとく、思い浮かべた。兄を殺そうとした自分が、かえって犬に食われて死ぬ。これより至極な天罰はない。――そう思うと、彼の目には、おのずから涙が浮かんだ。が、犬はその間も、用捨はしない。さっきの狩犬の一頭が、ひらりと茶まだらな尾をふるったかと思うと、次郎はたちまち左の太腿に、鋭い牙の立ったのを感じた。  するとその時である。月にほのめいた両京二十七坊の夜の底から、かまびすしい犬の声を圧してはるかに戞々たる馬蹄の音が、風のように空へあがり始めた。……           ―――――――――――――――――  しかしその間も阿濃だけは、安らかな微笑を浮かべながら、羅生門の楼上にたたずんで、遠くの月の出をながめている。東山の上が、うす明るく青んだ中に、ひでりにやせた月は、おもむろにさみしく、中空に上ってゆく。それにつれて、加茂川にかかっている橋が、その白々とした水光りの上に、いつか暗く浮き上がって来た。  ひとり加茂川ばかりではない。さっきまでは、目の下に黒く死人のにおいを蔵していた京の町も、わずかの間に、つめたい光の鍍金をかけられて、今では、越の国の人が見るという蜃気楼のように、塔の九輪や伽藍の屋根を、おぼつかなく光らせながら、ほのかな明るみと影との中に、あらゆる物象を、ぼんやりとつつんでいる。町をめぐる山々も、日中のほとぼりを返しているのであろう、おのずから頂きをおぼろげな月明かりにぼかしながら、どの峰も、じっと物を思ってでもいるように、うすい靄の上から、静かに荒廃した町を見おろしている――と、その中で、かすかに凌霄花のにおいがした。門の左右を埋める藪のところどころから、簇々とつるをのばしたその花が、今では古びた門の柱にまといついて、ずり落ちそうになった瓦の上や、蜘蛛の巣をかけた楹の間へ、はい上がったのがあるからであろう。……  窓によりかかった阿濃は、鼻の穴を大きくして、思い入れ凌霄花のにおいを吸いながら、なつかしい次郎の事を、そうして、早く日の目を見ようとして、動いている胎児の事を、それからそれへと、とめどなく思いつづけた。――彼女は双親を覚えていない。生まれた所の様子さえ、もう全く忘れている。なんでも幼い時に一度、この羅生門のような、大きな丹塗りの門の下を、たれかに抱くか、負われかして、通ったという記憶がある。が、これももちろん、どのくらいほんとうだか、確かな事はわからない。ただ、どうにかこうにか、覚えているのは、物心がついてからのちの事ばかりである。そうして、それがまた、覚えていないほうがよかったと思うような事ばかりである。ある時は、町の子供にいじめられて、五条の橋の上から河原へ、さかさまにつき落とされた。ある時は、飢えにせまってした盗みの咎で、裸のまま、地蔵堂の梁へつり上げられた。それがふと沙金に助けられて、自然とこの盗人の群れにはいったが、それでも苦しい目にあう事は、以前と少しも変わりがない。白痴に近い天性を持って生まれた彼女にも、苦しみを、苦しみとして感じる心はある。阿濃は猪熊のばばの気に逆らっては、よくむごたらしく打擲された。猪熊の爺には、酔った勢いで、よく無理難題を言いかけられた。ふだんは何かといたわってくれる沙金でさえ、癇にさわると、彼女の髪の毛をつかんで、ずるずる引きずりまわす事がある。まして、ほかの盗人たちは、打つにもたたくにも、用捨はない。阿濃は、そのたびにいつもこの羅生門の上へ逃げて来ては、ひとりでしくしく泣いていた。もし次郎が来なかったら、そうして時々、やさしいことばをかけてくれなかったら、おそらくとうにこの門の下へ身を投げて、死んでしまっていた事であろう。  煤のようなものが、ひらひらと月にひるがえって、甍の下から、窓の外をうす青い空へ上がった。言うまでもなく蝙蝠である。阿濃は、その空へ目をやって、まばらな星に、うっとりとながめ入った。――するとまたひとしきり、腹の子が、身動きをする。彼女は急に耳をすますようにして、その身動きに気をつけた。彼女の心が、人間の苦しみをのがれようとして、もがくように、腹の子はまた、人間の苦しみを嘗めに来ようとして、もがいている。が、阿濃は、そんな事は考えない。ただ、母になるという喜びだけが、そうして、また、自分も母になれるという喜びだけが、この凌霄花のにおいのように、さっきから彼女の心をいっぱいにしているからである。  そのうちに、彼女はふと、胎児が動くのは、眠れないからではないかと思いだした。事によると、眠られないあまりに、小さな手や足を動かして、泣いてでもいるのかもしれない。「坊やはいい子だね。おとなしく、ねんねしておいで、今にじき夜が明けるよ。」――彼女は、こう胎児にささやいた。が、腹の中の身動きは、やみそうで、容易にやまない。そのうちに痛みさえ、どうやら少しずつ加わって来る。阿濃は、窓を離れて、その下にうずくまりながら、結び燈台のうす暗い灯にそむいて、腹の中の子を慰めようと、細い声で歌をうたった。 君をおきて あだし心を われ持たばや なよや、末の松山 波も越えなむや 波も越えなむ  うろ覚えに覚えた歌の声は、灯のゆれるのに従って、ふるえふるえ、しんとした楼の中に断続した。歌は、次郎が好んでうたう歌である。酔うと、彼は必ず、扇で拍子をとりながら、目をねむって、何度もこの歌をうたう。沙金はよく、その節回しがおかしいと言って、手を打って笑った。――その歌を、腹の中の子が、喜ばないというはずはない。  しかし、その子が、実際次郎の胤かどうか、それは、たれも知っているものがない。阿濃自身も、この事だけは、全く口をつぐんでいる。たとえ盗人たちが、意地悪く子の親を問いつめても、彼女は両手を胸に組んだまま、はずかしそうに目を伏せて、いよいよ執拗く黙ってしまう。そういう時は、必ず垢じみた彼女の顔に女らしい血の色がさして、いつか睫毛にも、涙がたまって来る。盗人たちは、それを見ると、ますます何かとはやし立てて、腹の子の親さえ知らない、阿呆な彼女をあざわらった。が、阿濃は胎児が次郎の子だという事を、かたく心の中で信じている。そうして、自分の恋している次郎の子が、自分の腹にやどるのは、当然な事だと信じている。この楼の上で、ひとりさびしく寝るごとに、必ず夢に見るあの次郎が、親でなかったとしたならば、たれがこの子の親であろう。――阿濃は、この時、歌をうたいながら、遠い所を見るような目をして、蚊に刺されるのも知らずに、うつつながら夢を見た。人間の苦しみを忘れた、しかもまた人間の苦しみに色づけられた、うつくしく、いたましい夢である。(涙を知らないものの見る事ができる夢ではない。)そこでは、いっさいの悪が、眼底を払って、消えてしまう。が、人間の悲しみだけは、――空をみたしている月の光のように、大きな人間の悲しみだけは、やはりさびしくおごそかに残っている。…… なよや、末の松山 波も越えなむや 波も越えなむ  歌の声は、ともし火の光のように、次第に細りながら消えていった。そうして、それと共に、力のない呻吟の声が、暗を誘うごとく、かすかにもれ始めた。阿濃は、歌の半ばで、突然下腹に、鋭い疼痛を感じ出したのである。           ―――――――――――――――――  相手の用意に裏をかかれた盗人の群れは、裏門を襲った一隊も、防ぎ矢に射しらまされたのを始めとして、中門を打って出た侍たちに、やはり手痛い逆撃ちをくらわせられた。たかが青侍の腕だてと思い侮っていた先手の何人かも、算を乱しながら、背を見せる――中でも、臆病な猪熊の爺は、たれよりも先に逃げかかったが、どうした拍子か、方角を誤って、太刀をぬきつれた侍たちのただ中へ、はいるともなく、はいってしまった。酒肥りした体格と言い、物々しく鉾をひっさげた様子と言い、ひとかど手なみのすぐれたものと、思われでもしたのであろう。侍たちは、彼を見ると、互いに目くばせをかわしながら、二人三人、鋒をそろえたまま、じりじり前後から、つめよせて来た。 「はやるまいぞ。わしはこの殿の家人じゃ。」  猪熊の爺は、苦しまぎれにあわただしくこう叫んだ。 「うそをつけ。――おのれにたばかれるような阿呆と思うか。――往生ぎわの悪いおやじじゃ。」  侍たちは、口々にののしりながら、早くも太刀を打ちかけようとする。もうこうなっては、逃げようとしても逃げられない。猪熊の爺の顔は、とうとう死人のような色になった。 「何がうそじゃ。何がうそじゃよ。」  彼は、目を大きくして、あたりをしきりに見回しながら、逃げ場はないかと気をあせった。額には、つめたい汗がわいて来る。手もふるえが止まらない。が、周囲は、どこを見ても、むごたらしい生死の争いが、盗人と侍との間に戦われているばかり、静かな月の下ではあるが、はげしい太刀音と叫喚の声とが、一塊になった敵味方の中から、ひっきりなしにあがって来る。――しょせん逃げられないとさとった彼は、目を相手の上にすえると、たちまち別人のように、凶悪なけしきになって、上下の齒をむき出しながら、すばやく鉾をかまえて、威丈高にののしった。 「うそをついたがどうしたのじゃ。阿呆。外道。畜生。さあ来い。」  こう言うことばと共に、鉾の先からは、火花が飛んだ。中でも屈竟な、赤あざのある侍が一人、衆に先んじてかたわらから、無二無三に切ってかかったのである。が、もとより年をとった彼が、この侍の相手になるわけはない。まだ十合と刃を合わせないうちに、見る見る、鉾先がしどろになって、次第にあとへ下がってゆく。それがやがて小路のまん中まで、切り立てられて来たかと思うと、相手は、大きな声を出して、彼が持っていた鉾の柄を、みごとに半ばから、切り折った。と、また一太刀、今度は、右の肩先から胸へかけて、袈裟がけに浴びせかける。猪熊の爺は、尻居に倒れて、とび出しそうに大きく目を見ひらいたが、急に恐怖と苦痛とに堪えられなくなったのであろう、あわてて高這いに這いのきながら声をふるわせて、わめき立てた。 「だまし討ちじゃ。だまし討ちを、食らわせおった。助けてくれ。だまし討ちじゃ。」  赤あざの侍は、その後ろからまた、のび上がって、血に染んだ太刀をふりかざした。その時もし、どこからか猿のようなものが、走って来て、帷子の裾を月にひるがえしながら、彼らの中へとびこまなかったとしたならば、猪熊の爺は、すでに、あえない最後を遂げていたのに相違ない。が、その猿のようなものは、彼と相手との間を押しへだてると、とっさに小刀をひらめかして、相手の乳の下へ刺し通した。そうして、それとともに、相手の横に払った太刀をあびて、恐ろしい叫び声を出しながら、焼け火箸でも踏んだように、勢いよくとび上がると、そのまま、向こうの顔へしがみついて、二人いっしょにどうと倒れた。  それから、二人の間には、ほとんど人間とは思われない、猛烈なつかみ合いが、始まった。打つ。噛む。髪をむしる。しばらくは、どちらがどちらともわからなかったが、やがて、猿のようなものが、上になると、再び小刀がきらりと光って、組みしかれた男の顔は、痣だけ元のように赤く残しながら、見ているうちに、色が変わった。すると、相手もそのまま、力が抜けたのか、侍の上へ折り重なって、仰向けにぐたりとなる――その時、始めて月の光にぬれながら、息も絶え絶えにあえいでいる、しわだらけの、蟇に似た、猪熊のばばの顔が見えた。  老婆は、肩で息をしながら、侍の死体の上に横たわって、まだ相手の髻をとらえた、左の手もゆるめずに、しばらくは苦しそうな呻吟の声をつづけていたが、やがて白い目を、ぎょろりと一つ動かすと、干からびたくちびるを、二三度無理に動かして、 「おじいさん。おじいさん。」と、かすかに、しかもなつかしそうに、自分の夫を呼びかけた。が、たれもこれに答えるものはない。猪熊の爺は、老女の救いを得ると共に、打ち物も何も投げすてて、こけつまろびつ、血にすべりながら、いち早くどこかへ逃げてしまった。そのあとにももちろん、何人かの盗人たちは、小路のそこここに、得物をふるって、必死の戦いをつづけている。が、それらは皆、この垂死の老婆にとって、相手の侍と同じような、行路の人に過ぎないのであろう。――猪熊のばばは、次第に細ってゆく声で、何度となく、夫の名を呼んだ。そうして、そのたびに、答えられないさびしさを、負うている傷の痛みよりも、より鋭く味わわされた。しかも、刻々衰えて行く視力には、次第に周囲の光景が、ぼんやりとかすんで来る。ただ、自分の上にひろがっている大きな夜の空と、その中にかかっている小さな白い月と、それよりほかのものは、何一つはっきりとわからない。 「おじいさん。」  老婆は、血の交じった唾を、口の中にためながら、ささやくようにこう言うと、それなり恍惚とした、失神の底に、――おそらくは、さめる時のない眠りの底に、昏々として沈んで行った。  その時である。太郎は、そこを栗毛の裸馬にまたがって、血にまみれた太刀を、口にくわえながら、両の手に手綱をとって、あらしのように通りすぎた。馬は言うまでもなく、沙金が目をつけた、陸奥出の三才駒であろう。すでに、盗人たちがちりぢりに、死人を残して引き揚げた小路は、月に照らされて、さながら霜を置いたようにうす白い。彼は、乱れた髪を微風に吹かせながら、馬上に頭をめぐらして、後にののしり騒ぐ人々の群れを、誇らかにながめやった。  それも無理はない。彼は、味方の破れるのを見ると、よしや何物を得なくとも、この馬だけは奪おうと、かたく心に決したのである。そうして、その決心どおり、葛巻きの太刀をふるいふるい、手に立つ侍を切り払って、単身門の中に踏みこむと、苦もなく厩の戸を蹴破って、この馬の覊綱を切るより早く、背に飛びのる間も惜しいように、さえぎるものをひづめにかけて、いっさんに宙を飛ばした。そのために受けた傷も、もとより数えるいとまはない。水干の袖はちぎれ、烏帽子はむなしく紐をとどめて、ずたずたに裂かれた袴も、なまぐさい血潮に染まっている。が、それも、太刀と鉾との林の中から、一人に会えば一人を切り、二人に会えば二人を切って、出て来た時の事を思えば、うれしくこそあれ、惜しくはない。――彼は、後ろを見返り見返り、晴れ晴れした微笑を、口角に漂わせながら、昂然として、馬を駆った。  彼の念頭には、沙金がある。と同時にまた、次郎もある。彼は、みずから欺く弱さをしかりながら、しかもなお沙金の心が再び彼に傾く日を、夢のように胸に描いた。自分でなかったなら、たれがこの馬をこの場合、奪う事ができるだろう。向こうには、人の和があった。しかも地の利さえ占めている。もし次郎だったとしたならば――彼の想像には、一瞬の間、侍たちの太刀の下に、切り伏せられている弟の姿が、浮かんだ。これは、もちろん、彼にとって、少しも不快な想像ではない。いやむしろ彼の中にあるある物は、その事実である事を、祈りさえした。自分の手を下さずに、次郎を殺す事ができるなら、それはひとり彼の良心を苦しめずにすむばかりではない。結果から言えば、沙金がそのために、自分を憎む恐れもなくなってしまう。そう思いながらも、彼は、さすがに自分の卑怯を恥じた。そうして口にくわえた太刀を、右手にとって、おもむろに血をぬぐった。  そのぬぐった太刀を、ちょうど鞘におさめた時である。おりから辻を曲がった彼は、行く手の月の中に、二十と言わず三十と言わず、群がる犬の数を尽くして、びょうびょうとほえ立てる声を聞いた。しかも、その中にただ一人、太刀をかざした人の姿が、くずれかかった築土を背負って、おぼろげながら黒く見える。と思う間に、馬は、高くいななきながら、長い鬣をさっと振るうと、四つの蹄に砂煙をまき上げて、またたく暇に太郎をそこへ疾風のように持って行った。 「次郎か。」  太郎は、我を忘れて、叫びながら、険しく眉をひそめて、弟を見た。次郎も片手に太刀をかざしながら、項をそらせて、兄を見た。そうして刹那に二人とも、相手の瞳の奥にひそんでいる、恐ろしいものを感じ合った。が、それは、文字どおり刹那である。馬は、吠えたける犬の群れに、脅かされたせいであろう、首を空ざまにつとあげると、前足で大きな輪をかきながら、前よりもすみやかに、空へ跳った。あとには、ただ、濛々としたほこりが、夜空に白く、ひとしきり柱になって、舞い上がる。次郎は、依然として、野犬の群れの中に、傷をこうむったまま、立ちすくんだ。……  太郎は――一時に、色を失った太郎の顔には、もうさっきの微笑の影はない。彼の心の中では、何ものかが、「走れ、走れ」とささやいている。ただ、一時、ただ、半時、走りさえすれば、それで万事が休してしまう。彼のする事を、いつかしなくてはならない事を、犬が代わってしてくれるのである。 「走れ、なぜ走らない?」ささやきは、耳を離れない。そうだ。どうせいつかしなくてはならない事である。おそいと早いとの相違がなんであろう。もし弟と自分の位置を換えたにしても、やはり弟は自分のしようとする事をするに違いない。「走れ。羅生門は遠くはない。」太郎は、片目に熱を病んだような光を帯びて、半ば無意識に、馬の腹を蹴った。馬は、尾と鬣とを、長く風になびかせながら、ひづめに火花を散らして、まっしぐらに狂奔する。一町二町月明かりの小路は、太郎の足の下で、急湍のように後ろへ流れた。  するとたちまちまた、彼のくちびるをついて、なつかしいことばが、あふれて来た。「弟」である。肉身の、忘れる事のできない「弟」である。太郎は、かたく手綱を握ったまま、血相を変えて歯がみをした。このことばの前には、いっさいの分別が眼底を払って、消えてしまう。弟か沙金かの、選択をしいられたわけではない。直下にこのことばが電光のごとく彼の心を打ったのである。彼は空も見なかった。道も見なかった。月はなおさら目にはいらなかった。ただ見たのは、限りない夜である。夜に似た愛憎の深みである。太郎は、狂気のごとく、弟の名を口外に投げると、身をのけざまに翻して、片手の手綱を、ぐいと引いた。見る見る、馬の頭が、向きを変える。と、また雪のような泡が、栗毛の口にあふれて、蹄は、砕けよとばかり、大地を打った。――一瞬ののち、太郎は、惨として暗くなった顔に、片目を火のごとくかがやかせながら、再び、もと来たほうへまっしぐらに汗馬を跳らせていたのである。 「次郎。」  近づくままに、彼はこう叫んだ。心の中に吹きすさぶ感情のあらしが、このことばを機会として、一時に外へあふれたのであろう。その声は、白燃鉄を打つような響きを帯びて、鋭く次郎の耳を貫ぬいた。  次郎は、きっと馬上の兄を見た。それは日ごろ見る兄ではない。いや、今しがた馬を飛ばせて、いっさんに走り去った兄とさえ、変わっている。険しくせまった眉に、かたく、下くちびるをかんだ歯に、そうしてまた、怪しく熱している片目に、次郎は、ほとんど憎悪に近い愛が、――今まで知らなかった、不思議な愛が燃え立っているのを見たのである。 「早く乗れ。次郎。」  太郎は、群がる犬の中に、隕石のような勢いで、馬を乗り入れると、小路を斜めに輪乗りをしながら、叱咤するような声で、こう言った。もとより躊躇に、時を移すべき場合ではない。次郎は、やにわに持っていた太刀を、できるだけ遠くへほうり投げると、そのあとを追って、頭をめぐらす野犬のすきをうかがって、身軽く馬の平首へおどりついた。太郎もまたその刹那に猿臂をのばし、弟の襟上をつかみながら、必死になって引きずり上げる。――馬の頭が、鬣に月の光を払って、三たび向きを変えた時、次郎はすでに馬背にあって、ひしと兄の胸をいだいていた。  と、たちまち一頭、血みどろの口をした黒犬が、すさまじくうなりながら、砂を巻いて鞍壺へ飛びあがった。とがった牙が、危うく次郎のひざへかかる。そのとたんに、太郎は、足をあげて、したたか栗毛の腹を蹴った。馬は、一声いななきながら、早くも尾を宙に振るう。――その尾の先をかすめながら、犬は、むなしく次郎の脛布を食いちぎって、うずまく獣の波の中へ、まっさかさまに落ちて行った。  が、次郎は、それをうつくしい夢のように、うっとりした目でながめていた。彼の目には、天も見えなければ、地も見えない。ただ、彼をいだいている兄の顔が、――半面に月の光をあびて、じっと行く手を見つめている兄の顔が、やさしく、おごそかに映っている。彼は、限りない安息が、おもむろに心を満たして来るのを感じた。母のひざを離れてから、何年にも感じた事のない、静かな、しかも力強い安息である。―― 「にいさん。」  馬上にある事も忘れたように、次郎はその時、しかと兄をいだくと、うれしそうに微笑しながら、頬を紺の水干の胸にあてて、はらはらと涙を落としたのである。  半時ののち、人通りのない朱雀の大路を、二人は静かに馬を進めて行った。兄も黙っていれば、弟も口をきかない。しんとした夜は、ただ馬蹄の響きにこだまをかえして、二人の上の空には涼しい天の川がかかっている。        八  羅生門の夜は、まだ明けない。下から見ると、つめたく露を置いた甍や、丹塗りのはげた欄干に、傾きかかった月の光が、いざよいながら、残っている。が、その門の下は、斜めにつき出した高い檐に、月も風もさえぎられて、むし暑い暗がりが、絶えまなく藪蚊に刺されながら、酸えたようによどんでいる。藤判官の屋敷から、引き揚げてきた偸盗の一群は、そのやみの中にかすかな松明の火をめぐりながら、三々五々、あるいは立ちあるいは伏し、あるいは丸柱の根がたにうずくまって、さっきから、それぞれけがの手当てに忙しい。  中でも、いちばん重手を負ったのは、猪熊の爺である。彼は、沙金の古い袿を敷いた上に、あおむけに横たわって、半ば目をつぶりながら、時々ものにおびえるように、しわがれた声で、うめいている。一時の間、ここにこうしているのか、それとも一年も前から同じように寝ているのか、彼の困憊した心には、それさえ時々はわからない。目の前には、さまざまな幻が、瀕死の彼をあざけるように、ひっきりなく徂来すると、その幻と、現在門の下で起こっている出来事とが、彼にとっては、いつか全く同一な世界になってしまう。彼は、時と所とを分かたない、昏迷の底に、その醜い一生を、正確に、しかも理性を超越したある順序で、まざまざと再び、生活した。 「やい、おばば、おばばはどうした。おばば。」  彼は、暗から生まれて、暗へ消えてゆく恐ろしい幻に脅かされて、身をもだえながら、こううなった。すると、かたわらから額の傷を汗衫の袖で包んだ、交野の平六が顔を出して、 「おばばか。おばばはもう十万億土へ行ってしもうた。おおかた蓮の上でな、おぬしの来るのを、待ち焦がれている事じゃろう。」  言いすてて、自分の冗談を、自分でからからと笑いながら、向こうのすみに、真木島の十郎の腿のけがの手当をしている、沙金のほうをふり返って、声をかけた。 「お頭、おじじはちとむずかしいようじゃ。苦しめるだけ、殺生じゃて。わしがとどめを刺してやろうかと思うがな。」  沙金は、あでやかな声で、笑った。 「冗談じゃないよ。どうせ死ぬものなら、自然に死なしておやりな。」 「なるほどな、それもそうじゃ。」  猪熊の爺は、この問答を聞くと、ある予期と恐怖とに襲われて、からだじゅうが一時に凍るような心もちがした。そうして、また大きな声でうなった。平六と同じような理由で、敵には臆病な彼も、今までに何度、致死期の仲間の者をその鉾の先で、とどめを刺したかわからない。それも多くは、人を殺すという、ただそれだけの興味から、あるいは自分の勇気を人にも自分にも示そうとする、ただそれだけの目的から、進んでこの無残なしわざをあえてした。それが今は――  と、たれか、彼の苦しみも知らないように、灯の陰で一人、鼻歌をうたう者がある。 いたち笛ふき 猿かなず いなごまろは拍子うつ きりぎりす  ぴしゃりと、蚊をたたく音が、それに次いで聞こえる。中には「ほう、やれ」と拍子をとったものもあった。二三人が、肩をゆすったけはいで、息のつまったような笑い声を立てる。――猪熊の爺は、総身をわなわなふるわせながら、まだ生きているという事実を確かめたいために、重い眶を開いて、じっとともし火の光を見た。灯は、その炎のまわりに無数の輪をかけながら、執拗い夜に攻められて、心細い光を放っている。と、小さな黄金虫が一匹ぶうんと音を立てて、飛んで来て、その光の輪にはいったかと思うとたちまち羽根を焼かれて、下へ落ちた。青臭いにおいが、ひとしきり鼻を打つ。  あの虫のように、自分もほどなく死ななければならない。死ねば、どうせ蛆と蝿とに、血も肉も食いつくされるからだである。ああこの自分が死ぬ。それを、仲間のものは、歌をうたったり笑ったりしながら、何事もないように騒いでいる。そう思うと、猪熊の爺は、名状しがたい怒りと苦痛とに、骨髄をかまれるような心もちがした。そうして、それとともに、なんだか轆轤のようにとめどなく回っている物が、火花を飛ばしながら目の前へおりて来るような心もちがした。 「畜生。人でなし。太郎。やい。極道。」  まわらない舌の先から、おのずからこういうことばが、とぎれとぎれに落ちて来る。――真木島の十郎は、腿の傷が痛まないように、そっとねがえりをうちながら、喉のかわいたような声で、沙金にささやいた。 「太郎さんは、よくよく憎まれたものさな。」  沙金は、眉をひそめながら、ちょいと猪熊の爺のほうを見て、うなずいた。すると鼻歌をうたったのと同じ声で、 「太郎さんはどうした。」とたずねたものがある。 「まず助かるまいな。」 「死んだのを見たと言うたのは、たれじゃ。」 「わしは、五六人を相手に切り合うているのを見た。」 「やれやれ、頓生菩提、頓生菩提。」 「次郎さんも、見えないぞ。」 「これも事によると、同じくじゃ。」  太郎も死んだ。おばばも、もう生きてはいない。自分も、すぐに死ぬであろう。死ぬ。死ぬとは、なんだ。なんにしても、自分は死にたくない。が、死ぬ。虫のように、なんの造作もなく死んでしまう。――こんな取りとめのない考えが、暗の中に鳴いている藪蚊のように、四方八方から、意地悪く心を刺して来る。猪熊の爺は、形のない、気味の悪い「死」が、しんぼうづよく、丹塗りの柱の向こうに、じっと自分の息をうかがっているのを感じた。残酷に、しかもまた落ち着いて、自分の苦痛をながめているのを感じた。そうして、それが少しずつ居ざりながら、消えてゆく月の光のように、次第にまくらもとへすりよって来るのを感じた。なんにしても、自分は死にたくない。―― 夜はたれとか寝む 常陸の介と寝む 寝たる肌もよし 男山の峰のもみじ葉 さぞ名はたつや  また、鼻歌の声が、油しめ木の音のような呻吟の声と一つになった。とたれか、猪熊の爺の枕もとで、つばをはきながら、こう言ったものがある。 「阿濃のあほうが見えぬの。」 「なるほど、そうじゃ。」 「おおかた、この上に寝ておろう。」 「や、上で猫が鳴くぞ。」  みな、一時にひっそりとなった。その中を、絶え絶えにつづく猪熊の爺のうなり声と一つになって、かすかに猫の声が聞こえて来る。と流れ風が、始めてなま暖かく、柱の間を吹いて、うす甘い凌霄花のにおいが、どこからかそっと一同の鼻を襲った。 「猫も化けるそうな。」 「阿濃の相手には、猫の化けた、老いぼれが相当じゃよ。」  すると、沙金が、衣ずれの音をさせて、たしなめるように、こう言った。 「猫じゃないよ。ちょっとたれか行って、見て来ておくれ。」  声に応じて、交野の平六が、太刀の鞘を、柱にぶっつけながら、立ち上がった。楼上に通う梯子は、二十いくつの段をきざんで、その柱の向こうにかかっている。――一同は、理由のない不安に襲われて、しばらくはたれも口をとざしてしまった。その間をただ、凌霄花のにおいのする風が、またしてもかすかに、通りぬけると、たちまち楼上で平六の、何か、わめく声がした。そうして、ほどなく急いで梯子をおりて来る足音が、あわただしく、重苦しい暗をかき乱した。――ただ事ではない。 「どうじゃ。阿濃めが、子を産みおったわ。」  平六は、梯子をおりると、古被衣にくるんだ、丸々としたものを、勢いよくともし火の下へ出して見せた。女の臭いのする、うすよごれた布の中には、生まれたばかりの赤ん坊が、人間というよりは、むしろ皮をむいた蛙のように、大きな頭を重そうに動かしながら、醜い顔をしかめて、泣き立てている。うすい産毛といい、細い手の指と言い、何一つ、嫌悪と好奇心とを、同時にそそらないものはない。――平六は、左右を見まわしながら、抱いている赤子を、ふり動かして、得意らしく、しゃべり立てた。 「上へ上がって見ると、阿濃め、窓の下へつっ伏したなり、死んだようになって、うなっていると、阿呆とはいえ、女の部じゃ。癪かと思うて、そばへ行くと、いや驚くまい事か。さかなの腸をぶちまけたようなものが、うす暗い中で、泣いているわ。手をやると、それがぴくりと動いた。毛のないところを見れば、猫でもあるまい。じゃてひっつかんで、月明かりにかざして見ると、このとおり生まれたばかりの赤子じゃ。見い。蚊に食われたと見えて、胸も腹も赤まだらになっているわ。阿濃も、これからはおふくろじゃよ。」  松明の火を前に立った、平六のまわりを囲んで、十五六人の盗人は、立つものは立ち、伏すものは伏して、いずれも皆、首をのばしながら、別人のように、やさしい微笑を含んで、この命が宿ったばかりの、赤い、醜い肉塊を見守った。赤ん坊は、しばらくも、じっとしていない。手を動かす。足を動かす。しまいには、頭を後ろへそらせて、ひとしきりまた、けたたましく泣き立てた。と、齒のない口の中が見える。 「やあ舌がある。」  前に鼻歌をうたった男が、頓狂な声で、こう言った。それにつれて、一同が、傷も忘れたように、どっと笑う。――その笑い声のあとを追いかけるように、この時、突然、猪熊の爺が、どこにそれだけの力が残っていたかと思うような声で、険しく一同の後ろから、声をかけた。 「その子を見せてくれ。よ。その子を。見せないか。やい、極道。」  平六は、足で彼の頭をこづいた。そうして、おどかすような調子で、こう言った。 「見たければ、見るさ。極道とは、おぬしの事じゃ。」  猪熊の爺は、濁った目を大きく見開いて、平六が身をかがめながら、無造作につきつけた赤ん坊を、食いつきそうな様子をして、じっと見た。見ているうちに、顔の色が、次第に蝋のごとく青ざめて、しわだらけの眦に、涙が玉になりながら、たまって来る。と思うと、ふるえるくちびるのほとりには、不思議な微笑の波が漂って、今までにない無邪気な表情が、いつか顔じゅうの筋肉を柔らげた。しかも、饒舌な彼が、そうなったまま、口をきかない。一同は、「死」がついに、この老人を捕えたのを知った。しかし彼の微笑の意味はたれも知っているものがない。  猪熊の爺は、寝たまま、おもむろに手をのべて、そっと赤ん坊の指に触れた。と、赤ん坊は、針にでも刺されたように、たちまちいたいたしい泣き声を上げる。平六は、彼をしかろうとして、そうしてまた、やめた。老人の顔が――血のけを失った、この酒肥りの老人の顔が、その時ばかりは、平生とちがった、犯しがたいいかめしさに、かがやいているような気がしたからである。その前には、沙金でさえ、あたかも何物かを待ち受けるように、息を凝らしながら、養父の顔を、――そうしてまた情人の顔を、目もはなさず見つめている。が、彼はまだ、口を開かない。ただ、彼の顔には、秘密な喜びが、おりから吹きだした明け近い風のように、静かに、ここちよく、あふれて来る。彼は、この時、暗い夜の向こうに、――人間の目のとどかない、遠くの空に、さびしく、冷ややかに明けてゆく、不滅な、黎明を見たのである。 「この子は――この子は、わしの子じゃ。」  彼は、はっきりこう言って、それから、もう一度赤ん坊の指にふれると、その手が力なく、落ちそうになる。――それを、沙金が、かたわらからそっとささえた。十余人の盗人たちは、このことばを聞かないように、いずれも唾をのんで、身動きもしない。と、沙金が顔を上げて、赤子を抱いたまま、立っている交野の平六の顔を見て、うなずいた。 「啖がつまる音じゃ。」  平六は、たれに言うともなく、つぶやいた。――猪熊の爺は、暗におびえて泣く赤子の声の中に、かすかな苦悶をつづけながら、消えかかる松明の火のように、静かに息をひきとったのである。…… 「爺も、とうとう死んだの。」 「さればさ。阿濃を手ごめにした主も、これで知れたと言うものじゃ。」 「死骸は、あの藪中へ埋めずばなるまい。」 「鴉の餌食にするのも、気の毒じゃな。」  盗人たちは、口々にこんな事を、うす寒そうに、話し合った。と、遠くで、かすかに、鶏の声がする。いつか夜の明けるのも、近づいたらしい。 「阿濃は?」と沙金が言った。 「わしが、あり合わせの衣をかけて、寝かせて来た。あのからだじゃて、大事はあるまい。」  平六の答えも、日ごろに似ずものやさしい。  そのうちに、盗人が二人三人、猪熊の爺の死骸を、門の外へ運び出した。外も、まだ暗い。有明の月のうすい光に、蕭条とした藪が、かすかにこずえをそよめかせて、凌霄花のにおいが、いよいよ濃く、甘く漂っている。時々かすかな音のするのは、竹の葉をすべる露であろう。 「生死事大。」 「無常迅速。」 「生き顔より、死に顔のほうがよいようじゃな。」 「どうやら、前よりも真人間らしい顔になった。」  猪熊の爺の死骸は、斑々たる血痕に染まりながら、こういうことばのうちに、竹と凌霄花との茂みを、次第に奥深く舁かれて行った。        九  翌日、猪熊のある家で、むごたらしく殺された女の死骸が発見された。年の若い、肥った、うつくしい女で、傷の様子では、よほどはげしく抵抗したものらしい。証拠ともなるべきものは、その死骸が口にくわえていた、朽ち葉色の水干の袖ばかりである。  また、不思議な事には、その家の婢女をしていた阿濃という女は、同じ所にいながら、薄手一つ負わなかった。この女が、検非違使庁で、調べられたところによると、だいたいこんな事があったらしい。だいたいと言うのは、阿濃が天性白痴に近いところから、それ以上要領を得る事が、むずかしかったからである。――  その夜、阿濃は、夜ふけて、ふと目をさますと、太郎次郎という兄弟のものと、沙金とが、何か声高に争っている。どうしたのかと思っているうちに、次郎が、いきなり太刀をぬいて、沙金を切った。沙金は助けを呼びながら、逃げようとすると、今度は太郎が、刃を加えたらしい。それからしばらくは、ただ、二人のののしる声と、沙金の苦しむ声とがつづいたが、やがて女の息がとまると、兄弟は、急にいだきあって、長い間黙って、泣いていた。阿濃は、これを遣り戸のすきまから、のぞいていたが、主人を救わなかったのは、全く抱いて寝ている子供に、けがをさすまいと思ったからである。―― 「その上、その次郎さんと申しますのが、この子の親なのでございます。」  阿濃は、急に顔を赤らめて、こう言った。 「それから、太郎さんと次郎さんとは、わたしの所へ来て、たっしゃでいろよと申しました。この子を見せましたら、次郎さんは、笑いながら、頭をなでてくれましたが、それでもまだ目には涙がいっぱいたまっておりましたっけ。わたしはもっとそうしていたかったのでござりますが、二人とも、たいへんに急いで、すぐに外へ出ますと、おおかた枇杷の木にでもつないでおいたのでございましょう、馬へとびのって、どこかへ行ってしまいました。馬は二匹ではございません。わたしが、この子を抱いて、窓から見ておりますと、一匹に二人で乗って行くのが、月がございましたから、よく見えました。そのあとで、わたしは、主人の死骸はそのままにして、そっとまた床へはいりました。主人がよく人を殺すのを見ましたから、その死骸もわたしには、こわくもなんともなかったのでございます。」  検非違使には、やっとこれだけの事がわかった。そうして、阿濃は、罪の無いのが明らかになったので、さっそく自由の身にされた。  それから、十年余りのち、尼になって、子供を養育していた阿濃は、丹後守何某の随身に、驍勇の名の高い男の通るのを見て、あれが太郎だと人に教えた事がある。なるほどその男も、うす痘瘡で、しかも片目つぶれていた。 「次郎さんなら、わたしすぐにも駆けて行って、会うのだけれど、あの人はこわいから……」  阿濃は、娘のようなしなをして、こう言った。が、それがほんとうに太郎かどうか、それはたれにも、わからない。ただ、その男にも弟があって、やはり同じ主人に仕えるという事だけ、そののちかすかに風聞された。 (大正六年四月二十日)
底本:「羅生門・鼻・芋粥・偸盗」岩波文庫、岩波書店    1960(昭和35)年11月25日第1刷発行    1993(平成5)年9月20日第46刷発行 底本の親本:「芥川竜之介全集」岩波書店    1954(昭和29)年~1955(昭和30)年 初出:「中央公論」    1917(大正6)年4、7月 入力:福田芽久美 校正:野口英司 1998年10月4日公開 2007年9月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 大雅の画  僕は日頃大雅の画を欲しいと思つてゐる。しかしそれは大雅でさへあれば、金を惜まないと云ふのではない。まあせいぜい五十円位の大雅を一幅得たいのである。  大雅は偉い画描きである。昔、高久靄崖は一文無しの窮境にあつても、一幅の大雅だけは手離さなかつた。ああ云ふ英霊漢の筆に成つた画は、何百円と雖も高い事はない。それを五十円に値切りたいのは、僕に余財のない悲しさである。しかし大雅の画品を思へば、たとへば五百万円を投ずるのも、僕のやうに五十円を投ずるのも、安いと云ふ点では同じかも知れぬ。芸術品の価値も小切手や紙幣に換算出来ると考へるのは、度し難い俗物ばかりだからである。  Samuel Butler の書いた物によると、彼は日頃「出来の好い、ちやんと保存された、四十シリング位のレムブラント」を欲しがつてゐた。処が実際二度までも莫迦に安いレムブラントに遭遇した。一度は一磅と云ふ価の為に買はなかつたが、二度目には友人の Gogin に諮つた上、とうとうそれを手に入れる事が出来た。その画はどう云ふ画だつたか、どの位の金を払つたか、それはどちらも明らかではない。が、買つた時は千八百八十七年、買つた場所はストランド(ロンドン)の或質店の店さきである。  かう云ふ先例もあつて見ると、五十円の大雅を得んとするのは、必しも不可能事ではないかも知れぬ。何処か寂しい町の古道具屋の店に、たつた一幅売り残された、九霞山樵の水墨山水――僕は時時退屈すると弥勒の出世でも待つもののやうに、こんな空想にさへ耽る事がある。      二 にきび  昔「羅生門」と云ふ小説を書いた時、主人公の下人の頬には、大きい面皰のある由を書いた。当時は王朝時代の人間にも、面皰のない事はあるまいと云ふ、謙遜すれば当推量に拠つたのであるが、その後左経記に二君とあり、二君又は二禁なるものは今日の面皰である事を知つた。二君等は勿論当て字である。尤もかう云ふ発見は、僕自身に興味がある程、傍人には面白くも何ともあるまい。      三 将軍  官憲は僕の「将軍」と云ふ小説に、何行も抹殺を施した。処が今日の新聞を見ると生活に窮した廃兵たちは、「隊長殿にだまされた閣下連の踏台」とか、「後顧するなと大うそつかれ」とか、種種のポスタアをぶら下げながら、東京街頭を歩いたさうである。廃兵そのものを抹殺する事は、官憲の力にも覚束ないらしい。  又官憲は今後と雖も、「○○の○○に○○の念を失はしむる」物は、発売禁止を行ふさうである。○○の念は恋愛と同様、虚偽の上に立つ事の出来るものではない。虚偽とは過去の真理であり、今は通用せぬ藩札の類である。官憲は虚偽を強ひながら、○○の念を失ふなと云ふ。それは藩札をつきつけながら、金貨に換へろと云ふのと変りはない。  無邪気なるものは官憲である。      四 毛生え薬  文芸と階級問題との関係は、頭と毛生え薬との関係に似ている。もしちやんと毛が生えてゐれば、必しも塗る事を必要としない。又もし禿げ頭だつたとすれば、恐らくは塗つても利かないであらう。      五 芸術至上主義  芸術至上主義の極致はフロオベルである。彼自身の言葉によれば、「神は万象の創造に現れてゐるが、しかも人間に姿を見せない。芸術家が創作に対する態度も、亦斯くの如くなるべきである。」この故にマダム・ボヴアリイにしても、ミクロコスモスは展開するが、我我の情意には訴へて来ない。  芸術至上主義、――少くとも小説に於ける芸術至上主義は、確かに欠伸の出易いものである。      六 一切不捨  何の某は帽子ばかり上等なのをかぶつてゐる。あの帽子さへなければ好いのだが、――かう云ふ言葉を做す人がある。しかしその帽子を除いたにしても、何の某の服装なるものは、寸分も立派になる次第ではない。唯貧しげな外観が、全体に蔓延するばかりである。  何の某の小説はセンテイメンタルだとか、何の某の戯曲はインテレクチユアルだとか、それらはいづれも帽子の場合と、選ぶ所のない言葉である。帽子ばかり上等なるものは、帽子を除き去る工夫をするより、上着もズボンも外套も、上等ならしむる工夫をせねばならぬ。センテイメンタルな小説の作者は、感情を抑へる工夫をするより、理智を活かすべき工夫をせねばならぬ。  これは独り芸術上の問題のみではない。人生に於ても同じ事である。五欲の克服のみに骨を折つた坊主は、偉い坊主になつた事を聞かない。偉い坊主になつたものは、常に五欲を克服すべき、他の熱情を抱き得た坊主である。雲照さへ坊主の羅切を聞いては、「男根は須く隆隆たるべし」と、弟子共に教へたと云ふではないか?  我等の内にある一切のものはいやが上にも伸ばさねばならぬ。それが我等に与へられた、唯一の成仏の道である。      七 赤西蠣太  或時志賀直哉氏の愛読者と、「赤西蠣太の恋」の話をした事がある。その時僕はこんなことを言つた。「あの小説の中の人物には栄螺とか鱒次郎とか安甲とか、大抵魚貝の名がついてゐる。志賀氏にもヒユウモラス・サイドはないのではない。」すると客は驚いたやうに、「成程さうですね。そんな事には少しも気がつかずにゐました」と云つた。その癖客は僕なぞよりも「赤西蠣太の恋」の筋をはつきり覚えてゐたのである。  客は決して軽薄児ではない。学問も人格も兼備した、寧ろ珍しい文芸通である。しかもこの事実に気づかなかつたのは、志賀氏の作品の型とでも云ふか、兎に角何時か頭の中にさう云ふ物を拵へた上、それに囚はれてゐた為であらう。これは独り客のみではない。我我も気をつけねばならぬ事である。      八 釣名文人  古来作家が本を出した時、その本の好評を計る為に、新聞雑誌に載るべき評論を利用する事は稀ではない。中には手加減を加へるどころか、作者自身然るべき匿名のもとに、手前味噌の評論を書いたのもある。  ド・ラ・ロシユフウコオルは名高い格言集の作家である。処がサント・ブウヴの書いたものによると、この人さへジユルナアル・デ・サヴアンに出た評論には、彼自身修正を施したらしい。しかもジユルナアル・デ・サヴアンは、当時発行された唯一の新聞であり、その評論の載つたのは、千六百六十五年三月九日だと云ふのだから、作家の評論を利用するのも、ずいぶん淵源は古いものである。僕はロシユフウコオルの格言を思ひながら、この記事を読んだ時、実際苦笑せずにはゐられなかつた。それを思へば日本の文壇は、新開地だけに悪風も少い。売笑批評とか仲間褒め批評とか云つても、まづ害毒は知れたものである。  因に云ふ。この評論の筆者はマダム・ド・サブレ、評論されたのは例の格言集である。      九 歴史小説  歴史小説と云ふ以上、一時代の風俗なり人情なりに、多少は忠実でないものはない。しかし一時代の特色のみを、――殊に道徳上の特色のみを主題としたものもあるべきである。たとへば日本の王朝時代は、男女関係の考へ方でも、現代のそれとは大分違ふ。其処を宛然作者自身も、和泉式部の友だちだつたやうに、虚心平気に書き上げるのである。この種の歴史小説は、その現代との対照の間に、自然或暗示を与へ易い。メリメのイザベラもこれである。フランスのピラトもこれである。  しかし日本の歴史小説には、未だこの種の作品を見ない。日本のは大抵古人の心に、今人の心と共通する、云はばヒユマンな閃きを捉へた、手つ取り早い作品ばかりである。誰か年少の天才の中に、上記の新機軸を出すものはゐないか?      十 世人  西洋雑誌の載せる所によると、二十一年の九月巴里にアナトオル・フランスの像の建つた時、彼自身その除幕式に演説を試みたと云ふ事である。この頃それを読んでゐると、かう云ふ一節を発見した。「わたしが人生を知つたのは、人と接触した結果ではない。本と接触した結果である。」しかし世人は書物に親しんでも、人生はわからぬと云ふかも知れない。  ルノアルの言つた言葉に、「画を学ばんとするものは美術館に行け」とか云ふのがある。しかし世人は古名画を見るよりも、自然に学べと云ふかも知れない。  世人とは常にかう云ふものである。      十一 火渡りの行者  社会主義は、理非曲直の問題ではない。単に一つの必然である。僕はこの必然を必然と感じないものは、恰も火渡りの行者を見るが如き、驚嘆の情を禁じ得ない。あの過激思想取締法案とか云ふものの如きは、正にこの好例の一つである。      十二 俊寛  平家物語や源平盛衰記以外に、俊寛の新解釈を試みたものは現代に始まつた事ではない。近松門左衛門の俊寛の如きは、最も著名なものの一つである。  近松の俊寛の島に残るのは、俊寛自身の意志である。丹左衛門尉基康は、俊寛成経康頼等三人の赦免状を携へてゐる。が、成経の妻になつた、島の女千鳥だけは、舟に乗る事を許されない。正使基康には許す気があつても、副使の妹尾が許さぬのである。妻子の死を聞いた俊寛は、千鳥を船に乗せる為に、妹尾太郎を殺してしまふ。「上使を斬りたる咎によつて、改めて今鬼界が島の流人となれば、上の御慈悲の筋も立ち、御上使の落度いささかなし。」この英雄的な俊寛は、成経康頼等の乗船を勧めながら、従容と又かうも云ふのである。「俊寛が乗るは弘誓の船、浮き世の船には望みなし。」  僕は以前久米正雄と、この俊寛の芝居を見た。俊寛は故人段四郎、千鳥は歌右衛門、基康は羽左衛門、――他は記憶に残つてゐない。俊寛が乗るは云云の文句は、当時大いに久米正雄を感心させたものである。  近松の俊寛は源平盛衰記の俊寛よりも、遙かに偉い人になつてゐる。勿論舟出を見送る時には、嘆き悲しむのに相違ない。しかしその後は近松の俊寛も、安らかに余生を送つたかも知れぬ。少くとも盛衰記の俊寛程、悲しい末期には遇はなかつたであらう。――さう云ふ心もちを与へる限り、「苦しまざる俊寛」を書いたものは、夙に近松にあつたと云ふべきである。  しかし近松の目ざしたのは、「苦しまざる俊寛」にのみあつたのではない。彼の俊寛は「平家女護が島」の登場人物の一人である。が、倉田、菊池両氏の俊寛は、俊寛のみを主題としてゐる。鬼界が島に流された俊寛は如何に生活し、又如何に死を迎へたか?――これが両氏の問題である。この問題は殊に菊池氏の場合、かう云ふ形式にも換へられるであらう。――「我等は俊寛と同じやうに、島流しの境遇に陥つた時、どう云ふ生活を営むであらうか?」  近松と両氏との立ち場の相違は、盛衰記の記事の改めぶりにも、窺はれると云ふ事を妨げない。近松はあの俊寛を作る為に、俊寛の悲劇の関鍵たる赦免状の件さへも変更した。両氏も勿論近松に劣らず、盛衰記の記事を無視してゐる。しかし両氏とも近松のやうに、赦免状の件は改めてゐない。与へられた条件の内に、俊寛の解釈を試みる以上、これだけは保存せねばならぬからである。  丁度その場合と同じやうに、倉田氏と菊池氏との立ち場の相違も、やはり盛衰記の記事を変更した、その変更のし方に見えるかも知れぬ。倉田氏が俊寛の娘を死んだ事にしたり、菊池氏が島を豊沃の地にしたり、――それらは皆両氏の俊寛、――「苦しめる俊寛」と「苦しまざる俊寛」とを描出するに便だつた為であらう。僕の俊寛もこの点では、菊池氏の俊寛の蹤を追ふものである。唯菊池氏の俊寛は、寧ろ外部の生活に安住の因を見出してゐるが、僕のは必しもそればかりではない。  しかし謡や浄瑠璃にある通り、不毛の孤島に取り残された儘、しかもなほ悠悠たる、偉い俊寛を考へられぬではない。唯この巨鱗を捉へる事は、現在の僕には出来ぬのである。  附記 盛衰記に現れた俊寛は、機智に富んだ思想家であり、鶴の前を愛する色好みである。僕は特にこの点では、盛衰記の記事に忠実だつた。又俊寛の歌なるものは、康頼や成経より拙いやうである。俊寛は議論には長じてゐても、詩人肌ではなかつたらしい。僕はこの点でも、盛衰記に忠実な態度を改めなかつた。又盛衰記の鬼界が島は、たとひタイテイではないにしても、満更岩ばかりでもなささうである。もしあの盛衰記の島の記事から、辺土に対する都会人の恐怖や嫌悪を除き去れば、存外古風土記にありさうな、愛すべき島になるかも知れない。      十三 漢字と仮名と  漢字なるものの特徴はその漢字の意味以外に漢字そのものの形にも美醜を感じさせることださうである。仮名は勿論使用上、音標文字の一種たるに過ぎない。しかし「か」は「加」と云ふやうに、祖先はいづれも漢字である。のみならず、いつも漢字と共に使用される関係上、自然と漢字と同じやうに仮名そのものの形にも美醜の感じを含み易い。たとへば「い」は落ち着いてゐる、「り」は如何にも鋭いなどと感ぜられるやうになり易いのである。  これは一つの可能性である。しかし事実はどうであらう?  僕は実は平仮名には時時形にこだはることがある。たとへば「て」の字は出来るだけ避けたい。殊に「何何して何何」と次に続けるのは禁物である。その癖「何何してゐる。」と切れる時には苦にならない。「て」の字の次は「く」の字である。これも丁度折れ釘のやうに、上の文章の重量をちやんと受けとめる力に乏しい。片仮名は平仮名に比べると、「ク」の字も「テ」の字も落ち着いてゐる。或は片仮名は平仮名よりも進歩した音標文字なのかも知れない。或は又平仮名に慣れてゐる僕も片仮名には感じが鈍いのかも知れない。      十四 希臘末期の人  この頃エジプトの砂の中から、ヘラクレニウムの熔岩の中から、希臘人の書いたものが発見される。時代は 350 B.C. から 150 B.C. 位のものらしい。つまりアテネ時代からロオマ時代へ移らうとする中間の時代のものである。種類は論文、詩、喜劇、演説の草稿、手紙――まだ外にもあるかも知れない。作者は従来書いたものの少しは知られてゐた人もある。名前だけやつと伝つてゐた人もある。勿論全然名前さへ伝はつてゐなかつた人もある。  しかしそれは兎も角も、さういふ断簡零墨を近代語に訳したものを見ると、どれもこれも我我にはお馴染みの思想ばかりである。たとへば Polystratus と云ふエピクロス派の哲学者は「あらゆる虚偽と心労とを脱し、人生を自由ならしむる為には万物生成の大法を知らなければならぬ」と論じてゐる。さうかと思へば Cercidas と云ふ所謂犬儒派の哲学者は「蕩児と守銭奴とは黄白に富み、予ばかり貧乏するのは不都合である! ……正義は土豚のやうに盲目なのか? Themis(正義の女神)の明は蔽はれてゐるのか?」と大いに憤慨を洩らした後、「遮莫我徒は病弱を救ひ、貧窶を恵むことを任にしたい」と勇ましい信念を披露してゐる。更に又彼に先立つこと三十年余と伝へられる Colophon の Phœnix は「何びとも金持ちには友だちである。金さへあれば神神さへ必ず君を愛するであらう。が、万一貧しければ母親すら君を憎むであらう」と諷刺に満ちた詩を作つてゐる。最後に Œnoande の Diogenes は「予の所見に従へば、人類は百般の無用の事に百般の苦楚を味つてゐる。……予は既に老人である。生命の太陽も沈まうとしてゐる。予は唯予の道を教へるだけである。……天下の人は悉く互に虚偽を移し合つてゐる。丁度一群の病羊のやうに」と救援の道を教へてゐる。  かう云ふ思想はいつの時代、どこの国にもあつたものと見える。どうやら人種の進歩などと云ふのは蛞蝓の歩みに似てゐるらしい。      十五 比喩  メタフオアとかシミリイとかに文章を作る人の苦労するのは遠い西洋のことである。我我は皆せち辛い現代の日本に育つてゐる。さう云ふことに苦労するのは勿論、兎に角意味を正確に伝へる文章を作る余裕さへない。しかしふと目に止まつた西洋人の比喩の美しさを愛する心だけは残つてゐる。 「ツインガレラの顔は脂粉に荒らされてゐる。しかしその皮膚の下には薄氷の下の水のやうに何かがまだかすかに仄めいてゐる。」  これは Wassermann の書いた売笑婦ツインガレラの肖像である。僕の訳文は拙いのに違ひない。けれどもむかし Guys の描いた、優しい売笑婦の面影はありありと原文に見えるやうである。      十六 告白 「もつと己れの生活を書け、もつと大胆に告白しろ」とは屡諸君の勧める言葉である。僕も告白をせぬ訣ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の体験の告白である。けれども諸君は承知しない。諸君の僕に勧めるのは僕自身を主人公にし、僕の身の上に起つた事件を臆面もなしに書けと云ふのである。おまけに巻末の一覧表には主人公たる僕は勿論、作中の人物の本名仮名をずらりと並べろと云ふのである。それだけは御免を蒙らざるを得ない。――  第一に僕はもの見高い諸君に僕の暮しの奥底をお目にかけるのは不快である。第二にさう云ふ告白を種に必要以上の金と名とを着服するのも不快である。たとへば僕も一茶のやうに交合記録を書いたとする。それを又中央公論か何かの新年号に載せたとする。読者は皆面白がる。批評家は一転機を来したなどと褒める。友だちは、愈裸になつたなどと、――考へただけでも鳥肌になる。  ストリンドベルクも金さへあれば、「痴人の告白」は出さなかつたのである。又出さなければならなかつた時にも、自国語の本にする気はなかつたのである。僕も愈食はれぬとなれば、どう云ふ活計を始めるかも知れぬ。その時はおのづからその時である。しかし今は貧乏なりに兎に角露命を繋いでゐる。且又体は多病にもせよ、精神状態はまづノルマアルである。マゾヒスムスなどの徴候は見えない。誰が御苦労にも恥ぢ入りたいことを告白小説などに作るものか。      十七 チヤプリン  社会主義者と名のついたものはボルシエヴイツキたると然らざるとを問はず、悉く危険視されるやうである。殊にこの間の大地震の時にはいろいろその為に祟られたらしい。しかし社会主義者と云へば、あのチヤアリイ・チヤプリンもやはり社会主義者の一人である。もし社会主義者を迫害するとすれば、チヤプリンも亦迫害しなければなるまい。試みに某憲兵大尉の為にチヤプリンが殺されたことを想像して見給へ。家鴨歩きをしてゐるうちに突き殺されたことを想像して見給へ。苟くも一たびフイルムの上に彼の姿を眺めたものは義憤を発せずにはゐられないであらう。この義憤を現実に移しさへすれば、――兎に角諸君もブラツク・リストの一人になることだけは確かである。      十八 あそび  これはサンデイ毎日所載、福田雅之助君の「最近の米国庭球界」の一節である。 「テイルデンは指を切つてから、却つて素晴らしい当りを見せる様になつた。なぜ指を切つてからの方が、以前よりうまくなつたかと云ふに、一つは彼の気が緊張してゐるからだ。彼は非常に芝居気があつて、勝てるマツチにもたやすく勝たうとはせず、或程度まで相手をあしらつて行くらしかつたが、今年度は「指」と云ふハンデイキヤツプの為に、ゲエムの始めから緊張してかかるから、尚更強いのである……」  ラケツトを握る指を切断した後、一層腕を上げたテイルデンはまことに偉大なる選手である。が、指の満足だつた彼も、――同時に又相手を翻弄する「あそび」の精神に富んでゐた彼も必しも偉大でないことはない。いや、僕はテイルデン自身も時時はちよつと心の底に、「あそび」の精神に富んでゐた昔をなつかしがつてゐはしないかと思つてゐる。      十九 塵労  僕も大抵の売文業者のやうに匇忙たる暮しを営んでゐる。勉強も中中思ふやうに出来ない。二三年前に読みたいと思つた本も未だに読まずにゐる始末である。僕は又かう云ふ煩ひは日本にばかりあることと思つてゐた。が、この頃ふとレミ・ド・グルモンのことを書いたものを読んだら、グルモンはその晩年にさへ、毎日ラ・フランスに論文を一篇、二週間目にメルキユウルに対話を一篇書いてゐたらしい。すると芸術を尊重する仏蘭西に生れた文学者も甚だ清閑には乏しい訣である。日本に生れた僕などの不平を云ふのは間違ひかも知れない。      二十 イバネス  イバネス氏も日本へ来たさうである。滞在日数も短かかつたし、まあ通り一ぺんの見物をすませただけであらう。イバネス氏の評伝には Camille Pitollet の V.Blasco-Ibáñez, Ses romans et le roman de sa vie などと云ふ本も流行してゐる。と云つて読んでゐる次第ではない。唯二三年前の横文字の雑誌に紹介してあるのを読んだだけである。 「わたしの小説を作るのは作らずにはゐられない結果である。……わたしは青年時代を監獄に暮した。少くとも三十度は入獄したであらう。わたしは囚人だつたこともある。度たび野蛮な決闘の為に重傷を蒙つたこともある。わたしは又人間の堪へ得る限りの肉体的苦痛を嘗めてゐる。貧乏のどん底に落ちたこともある。が、一方には代議士に選挙されたこともある。土耳古のサルタンの友だちだつたこともある。宮殿に住んでゐたこともある。それからずつと鉅万の金を扱ふ実業家にもなつてゐた。亜米利加では村を一つ建設した。かう云ふことを話すのはわたしは小説を生活の上に実現出来ることを示す為である。紙とインクとに書き上げるよりも更に数等巧妙に実現出来ることを示す為である。」  これはピトオレエの本の中にあるイバネス氏自身の言葉ださうである。しかし僕はこれを読んでも、文豪イバネス氏の云ふやうに、格別小説を生活の上に実現してゐると云ふ気はしない。するのは唯小説の広告を実現してゐると云ふ気だけである。      二十一 船長  僕は上海へ渡る途中、筑後丸の船長と話をした。政友会の横暴とか、ロイド・ジヨオジの「正義」とかそんなことばかり話したのである。その内に船長は僕の名刺を見ながら、感心したやうに小首を傾けた。 「アクタ川と云ふのは珍らしいですね。ははあ、大阪毎日新聞社、――やはり御専門は政治経済ですか?」  僕は好い加減に返事をした。  僕等は又少時の後、ボルシエヴイズムか何かの話をし出した。僕は丁度その月の中央公論に載つてゐた誰かの論文を引用した。が、生憎船長は中央公論の読者ではなかつた。 「どうも中央公論も好いですが、――」  船長は苦にがしさうに話しつづけた。 「小説を余り載せるものですから、つい買ひ渋つてしまふのです。あれだけはやめる訣に行かないものでせうか?」  僕は出来るだけ情けない顔をした。 「さうです。小説には困りますね。あれさへなければと思ふのですが。」  爾来僕は船長に格別の信用を博したやうである。      二十二 相撲 「負けまじき相撲を寝ものがたりかな」とは名高い蕪村の相撲の句である。この「負けまじき」の解釈には思ひの外異説もあるらしい。「蕪村句集講義」によれば虚子、碧梧桐両氏、近頃は又木村架空氏も「負けまじき」を未来の意味としてゐる。「明日の相撲は負けてはならぬ。その負けてはならぬ相撲を寝ものがたりに話してゐる。」――と云ふやうに解釈するのである。僕はずつと以前から過去の意味にばかり解釈してゐた。今もやはり過去の意味に解釈してゐる。「今日は負けてはならぬ相撲を負けた。それをしみじみ寝ものがたりにしてゐる。」――と云ふやうに解釈するものである。もし将来の意味だつたとすれば、蕪村は必ず「負けまじき」と調子を張つた上五の下へ「寝ものがたりかな」と調子の延びた止めを持つて来はしなかつたであらう。これは文法の問題ではない。唯「負けまじき」をどう感ずるかと云ふ芸術的触角の問題である。尤も「蕪村句集講義」の中でも、子規居士と内藤鳴雪氏とはやはり過去の意味に解釈してゐる。      二十三 「とても」 「とても安い」とか「とても寒い」と云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訣ではない。が従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。  肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河の国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄四年に上梓された「猿蓑」の中に残つてゐる。 秋風やとても芒はうごくはず 三河、子尹  すると「とても」は三河の国から江戸へ移住する間に二百年余りかかつた訳である。「とても手間取つた」と云ふ外はない。      二十四 猫  これは「言海」の猫の説明である。 「ねこ、(中略)人家ニ畜フ小サキ獣。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ竊盗ノ性アリ。形虎ニ似テ二尺ニ足ラズ。(下略)」  成程猫は膳の上の刺身を盗んだりするのに違ひはない。が、これをしも「竊盗ノ性アリ」と云ふならば、犬は風俗壊乱の性あり、燕は家宅侵入の性あり、蛇は脅迫の性あり、蝶は浮浪の性あり、鮫は殺人の性ありと云つても差支へない道理であらう。按ずるに「言海」の著者大槻文彦先生は少くとも鳥獣魚貝に対する誹謗の性を具へた老学者である。      二十五 版数  日本の版数は出たらめである。僕の聞いた風説によれば、或相当の出版業者などは内務省への献本二冊を一版に数へてゐるらしい。たとひそれは譃としても、今日のやうに出たらめでは、五十版百版と云ふ広告を目安に本を買つてゐる天下の読者は愚弄されてゐるのも同じことである。  尤も仏蘭西の版数さへ甚だ当てにならぬものださうである。例へばゾラの晩年の小説などは二百部を一版と号してゐたらしい。しかしこれは悪習である。何も香水やオペラ・バツクのやうに輸入する必要はないに違ひない。且又メルキユルは出版した本に一一何冊目と記したこともある。メルキユルを学ぶことは困難にしろ、一版を何部と定めた上、版数も偽らずに広告することは当然日本の出版業組合も厲行して然るべき企てであらう。いや、かう云ふ見易いことは賢明なる出版業組合の諸君のとうに気づいてゐる筈である。するとそれを実行しないのは「もし佳書を得んと欲せば版数の少きを選べ」と云ふ教訓を垂れてゐるのかも知れない。      二十六 家  早川孝太郎氏は「三州横山話」の巻末にまじなひの歌をいくつも揚げてゐる。  盗賊の用心に唱へる歌、――「ねるぞ、ねだ、たのむぞ、たる木、夢の間に何ごとあらば起せ、桁梁」  火の用心の歌、――「霜柱、氷の梁に雪の桁、雨のたる木に露の葺き草」  いづれも「家」に生命を感じた古へびとの面目を見るやうである。かう云ふ感情は我我の中にもとうの昔に死んでしまつた。我我よりも後に生れるものは是等の歌を読んだにしろ、何の感銘も受けないかも知れない。或は又鉄筋コンクリイトの借家住まひをするやうになつても、是等の歌は幻のやうに山かげに散在する茅葺屋根を思ひ出させてくれるかも知れない。  なほ次手に広告すれば、早川氏の「三州横山話」は柳田国男氏の「遠野物語」以来、最も興味のある伝説集であらう。発行所は小石川区茗荷谷町五十二番地郷土研究社、定価は僅かに七十銭である。但し僕は早川氏も知らず、勿論広告も頼まれた訣ではない。  付記 なほ四五十年前の東京にはかう云ふ歌もあつたさうである。「ねるぞ、ねだ、たのむぞ、たる木、梁も聴け、明けの六つには起せ大びき」      二十七 続「とても」  肯定に伴ふ「とても」は東京の言葉ではない。東京人の古来使ふのは「とても及ばない」のやうに否定に伴ふ「とても」である。近来は肯定に伴ふ「とても」も盛んに行はれるやうになつた。たとへば「とても綺麗だ」「とてもうまい」の類である。この肯定に伴ふ「とても」の「猿蓑」の中に出てゐることは「澄江堂雑記」(随筆集「百艸」の中)に辯じて置いた。その後島木赤彦さんに注意されて見ると、この「とても」も「とてもかくても」の「とても」である。 秋風やとても芒はうごくはず 三河、子尹  しかしこの頃又乱読をしてゐると、「続春夏秋冬」の春の部の中にもかう言ふ「とても」を発見した。 市雛やとても数ある顔貌 化羊  元禄の子尹は肩書通り三河の国の人である。明治の化羊は何国の人であらうか。      二十八 丈艸の事  蕉門に龍象の多いことは言ふを待たない。しかし誰が最も的的と芭蕉の衣鉢を伝へたかと言へば恐らくは内藤丈艸であらう。少くとも発句は蕉門中、誰もこの俳諧の新発知ほど芭蕉の寂びを捉へたものはない。近頃野田別天楼氏の編した「丈艸集」を一読し、殊にこの感を深うした。   前書略 木枕の垢や伊吹にのこる雪 大原や蝶の出て舞ふおぼろ月 谷風や青田を廻る庵の客 小屏風に山里涼し腹の上 雷のさそひ出してや火とり虫 草芝を出づる螢の羽音かな 鶏頭の昼をうつすやぬり枕 病人と撞木に寝たる夜寒かな 蜻蛉の来ては蝿とる笠の中 夜明けまで雨吹く中や二つ星 榾の火や暁がたの五六尺  是等の句は啻に寂びを得たと言ふばかりではない。一句一句変化に富んでゐることは作家たる力量を示すものである。几董輩の丈艸を嗤つてゐるのは僣越も亦甚しいと思ふ。      二十九 袈裟と盛遠 「袈裟と盛遠」と云ふ独白体の小説を、四月の中央公論で発表した時、或大阪の人からこんな手紙を貰つた。「袈裟は亘の義理と盛遠の情とに迫られて、操を守る為に死を決した烈女である。それを盛遠との間に情交のあつた如く書くのは、烈女袈裟に対しても気の毒なら、国民教育の上にも面白からん結果を来すだらう。自分は君の為にこれを取らない。」  が、当時すぐにその人へも返事を書いた通り、袈裟と盛遠との間に情交があつた事は、自分の創作でも何でもない。源平盛衰記の文覚発心の条に、「はや来つて女と共に臥し居たり、狭夜も漸更け行きて云云」と、ちやんと書いてある事である。  それを世間一般は、どう云ふ量見か黙殺してしまつて、あの憐む可き女主人公をさも人間ばなれのした烈女であるかの如く広告してゐる。だから史実を勝手に改竄した罪は、あの小説を書いた自分になくして、寧ろあの小説を非難するブルヂヨア自身にあつたと云つて差支へない。改竄するしないは格別大問題だと心得てゐないが、事実としてこの機会にこれだけの事を発表して置く。勿論源平盛衰記の記事は譃だと云ふ考証家が現れたら、自分は甘んじて何時でも、改竄者の焼印を押されようとするものである。      三十 後世  私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。  公衆の批判は、常に正鵠を失しやすいものである。現在の公衆は元より云ふを待たない。歴史は既にペリクレス時代のアゼンスの市民や文芸復興期のフロレンスの市民でさへ、如何に理想の公衆とは縁が遠かつたかを教へてゐる。既に今日及び昨日の公衆にして斯くの如くんば、明日の公衆の批判と雖も亦推して知るべきものがありはしないだらうか。彼等が百代の後よく砂と金とを辨じ得るかどうか、私は遺憾ながら疑ひなきを得ないのである。  よし又理想的な公衆があり得るにした所で、果して絶対美なるものが芸術の世界にあり得るであらうか。今日の私の眼は、唯今日の私の眼であつて、決して明日の私の眼ではない。と同時に又私の眼が結局日本人の眼であつて、西洋人の眼でない事も確である。それならどうして私に、時と処とを超越した美の存在などが信じられよう。成程ダンテの地獄の火は、今も猶東方の豎子をして戦慄せしむるものがあるかも知れない。けれどもその火と我我との間には、十四世紀の伊太利なるものが雲霧の如くにたなびいてゐるではないか。  況んや私は尋常の文人である。後代の批判にして誤らず、普遍の美にして存するとするも、書を名山に蔵する底の事は、私の為すべき限りではない。私が知己を百代の後に待つものでない事は、問ふまでもなく明かであらうと思ふ。  時時私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館にたつた一冊残つた儘、無残な紙魚の餌となつて、文字さへ読めないやうに破れ果ててゐるかも知れない。しかし――  私はしかしと思ふ。  しかし誰かが偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。  私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。  けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。  私は私の愚を嗤笑すべき賢達の士のあるのを心得てゐる。が、私自身と雖も私の愚を笑ふ点にかけては敢て人後に落ちようとは思つてゐない。唯、私は私の愚を笑ひながら、しかもその愚に恋恋たる私自身の意気地なさを憐れまずにはゐられないのである。或は私自身と共に意気地ない一般人間をも憐れまずにはゐられないのである。      三十一 「昔」  僕の作品には昔の事を書いたものが多いから、そこでその昔の事を取扱ふ時の態度を話せと云ふ註文が来た。態度とか何とか云ふと、甚大袈裟に聞えるが、何もそんな大したものを持ち合せてゐる次第では決してない。まあ僕の昔の事を書く時に、どんな眼で昔を見てゐるか、云ひ換れば僕の作品の中で昔がどんな役割を勤めてゐるか、そんな事を話して見ようかと思ふ。元来裃をつけての上の議論ではないのだから、どうかその心算でお聴きを願ひたい。  お伽噺を読むと、日本のなら「昔々」とか「今は昔」とか書いてある。西洋のなら「まだ動物が口を利いてゐた時に」とか「ベルトが糸を紡いでゐた時に」とか書いてある。あれは何故であらう。どうして「今」ではいけないのであらう。それは本文に出て来るあらゆる事件に或可能性を与へる為の前置きにちがひない。何故かと云ふと、お伽噺の中に出て来る事件は、いづれも不思議な事ばかりである。だからお伽噺の作者にとつては、どうも舞台を今にするのは具合が悪い。絶対に今ではならんと云ふ事はないが、それよりも昔の方が便利である。「昔々」と云へば既に太古緬邈の世だから、小指ほどの一寸法師が住んでゐても、竹の中からお姫様が生れて来ても、格別矛盾の感じが起らない。そこで予め前へ「昔々」と食付けたのである。  所でもしこれが「昔々」の由来だとすれば、僕が昔から材料を採るのは大半この「昔々」と同じ必要から起つてゐる。と云ふ意味は、今僕が或テエマを捉へてそれを小説に書くとする。さうしてそのテエマを芸術的に最も力強く表現する為には、或異常な事件が必要になるとする。その場合、その異常な事件なるものは、異常なだけそれだけ、今日この日本に起つた事としては書きこなし悪い、もし強て書けば、多くの場合不自然の感を読者に起させて、その結果折角のテエマまでも犬死をさせる事になってしまふ。所でこの困難を除く手段には「今日この日本に起つた事としては書きこなし悪い」と云ふ語が示してゐるやうに、昔か(未来は稀であろう)日本以外の土地か或は昔日本以外の土地から起つた事とするより外はない。僕の昔から材料を採つた小説は大抵この必要に迫られて、不自然の障碍を避ける為に舞台を昔に求めたのである。  しかしお伽噺と違つて小説は小説と云ふものの要約上、どうも「昔々」だけ書いてすましてゐると云ふ訳には行かない。そこで略時代の制限が出来て来る。従つてその時代の社会状態と云ふやうなものも、自然の感じを満足させる程度に於て幾分とり入れられる事になつて来る。だから所謂歴史小説とはどんな意味に於ても「昔」の再現を目的にしてゐないと云ふ点で区別を立てる事が出来るかも知れない。――まあざつとこんなものである。  序につけ加へて置くが、さう云ふ次第だから僕は昔の事を小説に書いても、その昔なるものに大して憧憬は持つてゐない。僕は平安朝に生れるよりも、江戸時代に生れるよりも、遙に今日のこの日本に生れた事を難有く思つてゐる。  それからもう一つつけ加へて置くが、或テエマの表現に異常なる事件が必要になる事があると云つたが、それには其外にすべて異常なる物に対して僕(我我人間と云ひたいが)の持つてゐる興味も働いてゐるだらうと思ふ。それと同じやうに或異常なる事件を不自然の感じを与へずに書きこなす必要上、昔を選ぶと云ふ事にも、さう云ふ必要以外に昔其ものの美しさが可也影響を与へてゐるのにちがひない。しかし主として僕の作品の中で昔が勤めてゐる役割は、やはり「ベルトが糸を紡いでゐた時に」である、或は「まだ動物が口を利いてゐた時に」である。      三十二 徳川末期の文芸  徳川末期の文芸は不真面目であると言はれてゐる。成程不真面目ではあるかも知れない。しかしそれ等の文芸の作者は果して人生を知らなかつたかどうか、それは僕には疑問である。彼等通人も肚の中では如何に人生の暗澹たるものかは心得てゐたのではないであらうか? しかもその事実を回避する為に(たとひ無意識的ではあつたにもせよ)洒落れのめしてゐたのではないであらうか? 彼等の一人、――たとへば宮武外骨氏の山東京伝を読んで見るが好い。ああ云ふ生涯に住しながら、しかも人生の暗澹たることに気づかなかつたと云ふのは不可解である。  これは何も黄表紙だの洒落本だのの作者ばかりではない。僕は曲亭馬琴さへも彼の勧善懲悪主義を信じてゐなかつたと思つてゐる。馬琴は或は信じようと努力してはゐたかも知れない。が饗庭篁村氏の編した馬琴日記抄等によれば、馬琴自身の矛盾には馬琴も気づかずにはゐなかつた筈であらう。森鴎外先生は確か馬琴日記抄の跋に「馬琴よ、君は幸福だつた。君はまだ先王の道に信頼することが出来た」とか何とか書かれたやうに記憶してゐる。けれども僕は馬琴も亦先王の道などを信じてゐなかつたと思つてゐる。  若し譃と云ふことから言へば、彼等の作品は譃ばかりである。彼等は彼等自身と共に世間を欺いてゐたと言つても好い。しかし善や美に対する欣求は彼等の作品に残つてゐる。殊に彼等の生きてゐた時代は仏蘭西のロココ王朝と共に実生活の隅隅にさへ美意識の行き渡つた時代だつた。従つて美しいと云ふことから言へば、彼等の作品に溢れた空気は如何にも美しい(勿論多少頽廃した)ものであらう。  僕は所謂江戸趣味に余り尊敬を持ってゐない。同時に又彼等の作品にも頭の下らない一人である。しかし単に「浅薄」の名のもとに彼等の作品を一笑し去るのは彼等の為に気の毒であらう。若し彼等の「常談」としたものを「真面目」と考へて見るとすれば、黄表紙や洒落本もその中には幾多の問題を含んでゐる。僕等は彼等の作品に随喜する人人にも賛成出来ない。けれども亦彼等の作品を一笑してしまふ人人にもやはり軽軽に賛成出来ない。 (大正七年―十三年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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前置き  これは三年前支那に遊び、長江を溯った時の紀行である。こう云う目まぐるしい世の中に、三年前の紀行なぞは誰にも興味を与えないかも知れない。が、人生を行旅とすれば、畢竟あらゆる追憶は数年前の紀行である。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この「長江」の一篇にもちらりと目をやってくれないであろうか?  私は長江を溯った時、絶えず日本を懐しがっていた。しかし今は日本に、――炎暑の甚しい東京に汪洋たる長江を懐しがっている。長江を? ――いや、長江ばかりではない、蕪湖を、漢口を、廬山の松を、洞庭の波を懐しがっている。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この私の追憶癖にもちらりと目をやってはくれないであろうか? 一 蕪湖  私は西村貞吉と一しょに蕪湖の往来を歩いていた。往来は此処も例の通り、日さえ当らない敷石道である。両側には銀楼だの酒桟だの、見慣れた看板がぶら下っているが、一月半も支那にいた今では、勿論珍しくも何ともない。おまけに一輪車の通る度に、きいきい心棒を軋ませるのは、頭痛さえしかねない騒々しさである。私は暗澹たる顔をしながら、何と西村に話しかけられても、好い加減な返事をするばかりだった。  西村は私を招く為に、何度も上海へ手紙を出している。殊に蕪湖へ着いた夜なぞはわざわざ迎えの小蒸気を出したり、歓迎の宴を催したり、いろいろ深切を尽してくれた。(しかもわたしの乗った鳳陽丸は浦口を発するのが遅かった為に、こう云う彼の心尽しも悉水泡に帰したのである。)のみならず彼の社宅たる唐家花園に落ち着いた後も、食事とか着物とか寝具とか、万事に気を配ってくれるのには、実際恐れ入るより外はなかった。して見ればこの東道の主人の前へも、二日間の蕪湖滞在は愉快に過さねばならぬ筈である。しかし私の紳士的礼譲も、蝉に似た西村の顔を見ると、忽何処かに消滅してしまう。これは西村の罪ではない。君僕の代りにお前おれを使う、我々の親みの罪である。さもなければ往来の真ん中に、尿をする豚と向い合った時も、あんなに不快を公表する事は、当分差控える気になったかも知れない。 「つまらない所だな、蕪湖と云うのは。――いや一蕪湖ばかりじゃないね。おれはもう支那には飽き厭きしてしまった。」 「お前は一体コシャマクレテいるからな。支那は性に合わないのかも知れない。」  西村は横文字は知っていても、日本語は甚未熟である。「こましゃくれる」を「コシャマクレル」、鶏冠を「トカサ」、懐を「フトロコ」、「がむしゃら」を「ガラムシャ」――その外日本語を間違える事は殆挙げて数えるのに堪えない。私は西村に日本語を教えにわざわざ渡来した次第でもないから、仏頂面をして見せたぎり、何とも答えず歩き続けた。  すると稍幅の広い往来に、女の写真を並べた家があった。その前に閑人が五六人、つらつら写真の顔を見ては、何か静に話している。これは何だと聞いて見たら、済良所だと云う答があった。済良所と云うのは養育院じゃない。自由廃業の女を保護する所である。  一通り町を遍歴した後、西村は私を倚陶軒、一名大花園と云う料理屋へつれて行った。此処は何でも李鴻章の別荘だったとか云う事である。が、園へはいった時の感じは、洪水後の向島あたりと違いはない。花木は少いし、土は荒れているし、「陶塘」の水も濁っているし、家の中はがらんとしているし、殆御茶屋と云う物とは、最も縁の遠い光景である。我々は軒の鸚鵡の籠を見ながら、さすがに味だけはうまい支那料理を食った。が、この御馳走になっている頃から、支那に対する私の嫌悪はだんだん逆上の気味を帯び始めた。  その夜唐家花園のバルコンに、西村と籐椅子を並べていた時、私は莫迦莫迦しい程熱心に現代の支那の悪口を云った。現代の支那に何があるか? 政治、学問、経済、芸術、悉堕落しているではないか? 殊に芸術となった日には、嘉慶道光の間以来、一つでも自慢になる作品があるか? しかも国民は老若を問わず、太平楽ばかり唱えている。成程若い国民の中には、多少の活力も見えるかも知れない。しかし彼等の声と雖も、全国民の胸に響くべき、大いなる情熱のないのは事実である。私は支那を愛さない。愛したいにしても愛し得ない。この国民的腐敗を目撃した後も、なお且支那を愛し得るものは、頽唐を極めたセンジュアリストか、浅薄なる支那趣味の惝怳者であろう。いや、支那人自身にしても、心さえ昏んでいないとすれば、我々一介の旅客よりも、もっと嫌悪に堪えない筈である。……  私は盛に弁じ立てた。バルコンの外の槐の梢は、ひっそりと月光に涵されている。この槐の梢の向う、――幾つかの古池を抱えこんだ、白壁の市街の尽きる所は揚子江の水に違いない。その水の汪々と流れる涯には、ヘルンの夢みた蓬莱のように懐しい日本の島山がある。ああ、日本へ帰りたい。 「お前なんぞは何時でも帰れるじゃないか?」  ノスタルジアに感染した西村は月明りの中に去来する、大きい蛾の姿を眺めながら、殆独語のようにこう云った。私の滞在はどう考えても、西村には為にならなかったらしい。 二 溯江  私は溯江の汽船へ三艘乗った。上海から蕪湖までは鳳陽丸、蕪湖から九江までは南陽丸、九江から漢口までは大安丸である。  鳳陽丸に乗った時は、偉い丁抹人と一しょになった。客の名は盧糸、横文字に書けば Roose である。何でも支那を縦横する事、二十何年と云うのだから、当世のマルコ・ポオロと思えば間違いない。この豪傑が暇さえあると、私だの同船の田中君だのを捉えては、三十何呎の蟒蛇を退治した話や、広東の盗侠ランクワイセン(漢字ではどんな字に当るのだか、ルウズ氏自身も知らなかった。)の話や、河南直隷の飢饉の話や、虎狩豹狩の話なぞを滔々と弁じ来り弁じ去ってくれた。その中でも面白かったのは、食卓を共にした亜米利加人の夫婦と、東西両洋の愛を論じた時である。この亜米利加人の夫婦、――殊に細君に至っては、東洋に対する西洋の侮蔑に踵の高い靴をはかせた如き、甚横柄な女人だった。彼女の見る所に従えば、支那人は勿論日本人も、ラヴと云う事を知っていない。彼等の曚昧は憐むべしである。これを聞いたルウズ氏は、カリイの皿に向いながら、忽異議を唱え出した。いや、愛の何たるかは東洋人と雖も心得ている。たとえば或四川の少女は、――と得意の見聞を吹聴すると、細君はバナナの皮を剥きかけた儘、いや、それは愛ではない、単なる憐憫に過ぎぬと云う。するとルウズ氏は頑強に、では或日本東京の少女は、――と又実例をつきつけ始める。とうとうしまいには相手の細君も、怒火心頭に発したのであろう、突然食卓を離れると、御亭主と一しょに出て行ってしまった。私はその時のルウズ氏の顔を未にはっきり覚えている。先生は我々黄色い仲間へ、人の悪い微笑を送るが早いか、人さし指に額を叩きながら、「ナロウ・マインデット」とか何とか云った。生憎この夫婦の亜米利加人は、南京で船を下りてしまったが、ずっと溯江を続けたとすれば、もっといろいろ面白い波瀾を巻き起していたのに相違ない。  蕪湖から乗った南陽丸では、竹内栖鳳氏の一行と一しょだった。栖鳳氏も九江に下船の上、廬山に登る事になっていたから、私は令息、――どうも可笑しい。令息には正に違いないが、余り懇意に話をしたせいか、令息と呼ぶのは空々しい気がする。が、兎に角その令息の逸氏なぞと愉快に溯江を続ける事が出来た。何しろ長江は大きいと云っても、結局海ではないのだから、ロオリングも来なければピッチングも来ない。船は唯機械のベルトのようにひた流れに流れる水を裂きながら、悠々と西へ進むのである。この点だけでも長江の旅は船に弱い私には愉快だった。  水は前にも云った通り、金鏽に近い代赭である。が、遠い川の涯は青空の反射も加わるから、大体刃金色に見えぬ事はない。其処を名高い大筏が二艘も三艘も下って来る。現に私の実見した中にも、豚を飼っている筏があったから、成程飛び切りの大筏になると、一村落を載せたものもあるかも知れない。又筏とは云うものの、屋根もあるし壁もあるし、実は水に浮んだ家屋である。南陽丸の船長竹下氏の話では、これらの筏に乗っているのは雲南貴州等の土人だと云う。彼等はそう云う山の中から、万里の濁流の押し流す儘に、悠々と江を下って来る。そうして浙江安徽等の町々へ無事に流れついた時、筏に組んで来た木材を金に換える。その道中短きものは五六箇月、長きものは殆一箇年、家を出る時は妻だった女も、家へ帰る時は母になるそうである。しかし長江を去来するのは、勿論この筏のように、原始時代の遺物に限った訣じゃない。一度は亜米利加の砲艦が一艘、小蒸気に標的を牽かせながら、実弾射撃なぞをしていた事もある。  江の広い事も前に書いた。が、これも三角洲があるから、一方の岸には遠い時でも、必一方には草色が見える。いや、草色ばかりじゃない。水田の稲の戦ぎも見える。楊柳の水に生え入ったのも見える。水牛がぼんやり立ったのも見える。青い山は勿論幾つも見える。私は支那へ出かける前、小杉未醒氏と話していたら、氏は旅先の注意の中にこう云う事をつけ加えた。 「長江は水が低くってね、両岸がずっと高いから、船の高い所へ上るんですね。船長のいる、――何と云うかな、あの高い所があるでしょう。あすこへ上らねえと、眺望が利きませんよ。あすこは普通の客はのせねえから、何とか船長を護摩かすんですね。……」  私は先輩の云う事だから、鳳陽丸でも南陽丸でも、江上の眺望を恣にする為に、始終船長を護摩かそうとしていた。処が南陽丸の竹下船長はまだ護摩かしにかからない内からサロンの屋根にある船長室へ、深切にも私を招待してくれた。しかし此処へ上って見ても、格別風景には変りもない。実際又甲板にいても、ちゃんと陸地は見渡せたのである。私は妙に思ったから、護摩かそうとした意志を白状した上、船長にその訣を尋ねて見た。すると船長は笑い出した。 「それは小杉さんの来られた時はまだ水が少かったのでしょう。漢口あたりの水面の高低は、夏冬に四十五六呎も違いますよ。」 三 廬山(上)  若葉を吐いた立ち木の枝に豚の死骸がぶら下っている。それも皮を剥いだ儘、後足を上にぶら下っている。脂肪に蔽われた豚の体は気味の悪い程まっ白である。私はそれを眺めながら、一体豚を逆吊りにして、何が面白いのだろうと考えた。吊下げる支那人も悪趣味なら、吊下げられる豚も間が抜けている。所詮支那程下らない国は何処にもあるまいと考えた。  その間に大勢の苦力どもは我々の駕籠の支度をするのに、腹の立つ程騒いでいる。勿論苦力に碌な人相はない。しかし殊に獰猛なのは苦力の大将の顔である。この大将の麦藁帽は Kuling Estate Head Coolie No* とか横文字を抜いた、黒いリボンを巻きつけている。昔 Marius the Epicurean は、蛇使いが使う蛇の顔に、人間じみた何かを感じたと云う。私は又この苦力の顔に蛇らしい何かを感じたのである。愈支那は気に食わない。  十分の後、我々一行八人は籐椅子の駕籠に揺られながら、石だらけの路を登り出した。一行とは竹内栖鳳氏の一族郎党、並に大元洋行のお上さんである。駕籠の乗り心地は思ったよりも好い。私はその駕籠の棒に長々と両足を伸ばしながら、廬山の風光を楽んで行った。と云うと如何にも体裁が好いが、風光は奇絶でも何でもない。唯雑木の茂った間に、山空木が咲いているだけである。廬山らしい気などは少しもしない。これならば、支那へ渡らずとも、箱根の旧道を登れば沢山である。  前の晩私は九江にとまった。ホテルは即ち大元洋行である。その二階に寝ころびながら、康白情氏の詩を読んでいると、潯陽江に泊した支那の船から、蛇皮線だか何かの音がして来る。それは兎に角風流な気がした。が、翌朝になって見ると、潯陽江に候と威張っていても、やはり赤濁りの溝川だった。楓葉荻花秋瑟瑟などと云う、洒落れた趣は何処にもない。川には木造の軍艦が一艘、西郷征伐に用いたかの如き、怪しげな大砲の口を出しながら、琵琶亭のほとりに繋っている。では猩猩は少時措き、浪裡白跳張順か黒旋風李逵でもいるかと思えば、眼前の船の篷の中からは、醜悪恐るべき尻が出ている。その尻が又大胆にも、――甚尾籠な申し条ながら、悠々と川に糞をしている。……  私はそんな事を考えながら、何時かうとうと眠ってしまった。何十分か過ぎた後、駕籠の止まったのに眼をさますと、我々のつい鼻の先には、出たらめに石段を積み上げた、嶮しい坂が突き立っている。大元洋行のお上さんは、此処は駕籠が上らないから、歩いて頂きたいと説明した。私はやむを得ず竹内逸氏と、胸突き八町を登り出した。風景は不相変平凡である。唯坂の右や左に、炎天の埃を浴びながら、野薔薇の花が見えるのに過ぎない。  駕籠に乗ったり、歩かせられたり、いずれにもせよ骨の折れる、忌々しい目を繰返した後、やっとクウリンの避暑地へ来たのは彼是午後の一時頃だった。この又避暑地の一角なるものが軽井沢の場末と選ぶ所はない。いや、赤禿の山の裾に支那のランプ屋だの酒桟だのがごみごみ店を出した景色は軽井沢よりも一層下等である。西洋人の別荘も見渡した所、気の利いた構えは一軒も見えない。皆烈しい日の光に、赤や青のペンキを塗った、卑しい亜鉛屋根を火照らせている。私は汗を拭いながら、このクウリンの租界を拓いた牧師エドワアド・リットル先生も永年支那にいたものだから、とんと美醜の判断がつかなくなったのだろうと想像した。  しかし其処を通り抜けると、薊や除虫菊の咲いた中に、うつ木も水々しい花をつけた、広い草原が展開した。その草原が尽きるあたりに、石の垣をめぐらせた、小さい赤塗りの家が一軒、岩だらけの山を後にしながら、翩々と日章旗を翻している。私はこの旗を見た時に、祖国を思った、――と云うよりは、祖国の米の飯を思った。なぜと云えばその家こそ、我々の空腹を満たすべき大元洋行の支店だったからである。 四 廬山(下)  飯を食ってしまったら、急に冷気を感じ出したのはさすがに海抜三千尺である。成程廬山はつまらないにもしろ、この五月の寒さだけは珍重に値するのに違いない。私は窓側の長椅子に岩山の松を眺めながら、兎に角廬山の避暑地的価値には敬意を表したいと考えた。  其処へ姿を現したのは大元洋行の主人である。主人はもう五十を越しているのであろう。しかし赤みのさした顔はまだエネルギイに充ち満ちた、逞しい活動家を示している。我々はこの主人を相手にいろいろ廬山の話をした。主人は頗る雄弁である。或は雄弁過ぎるのかも知れない。何しろ一たび興到ると、白楽天と云う名前をハクラクと縮めてしまうのだから、それだけでも豪快や思うべしである。 「香炉峰と云うのも二つありますがね。こっちのは李白の香炉峰、あっちのは白楽天の香炉峰――このハクラクの香炉峰ってやつは松一本ない禿山でがす。……」  大体こう云う調子である。が、それはまだしも好い。いや、香炉峰の二つあるのなどは寧ろ我々には便利である。一つしかないものを二つにするのは特許権を無視した罪悪かも知れない。しかし既に二つあるものは、たとい三つにしたにもせよ、不法行為にはならない筈である。だから私は向うに見える山を忽「私の香炉峰」にした。けれども主人は雄弁以外に、廬山を見ること恋人の如き、熱烈なる愛着を蓄えている。 「この廬山って山はですね。五老峰とか、三畳泉とか、古来名所の多い山でがす。まあ、御見物なさるんなら、いくら短くっても一週間、それから十日って所でがしょう。その先は一月でも半年でも、――尤も冬は虎も出ますが……」  こう云う「第二の愛郷心」はこの主人に限ったことじゃない。支那に在留する日本人は悉ふんだんに持ち合わせている。苟も支那を旅行するのに愉快ならんことを期する士人は土匪に遇う危険は犯すにしても、彼等の「第二の愛郷心」だけは尊重するように努めなければならぬ。上海の大馬路はパリのようである。北京の文華殿にもルウブルのように、贋物の画などは一枚もない。――と云うように感服していなければならぬ。しかし廬山に一週間いるのは単に感服しているのよりも、遥に骨の折れる仕事である。私はまず恐る恐る、主人に私の病弱を訴え、相成るべくは明日の朝下山したいと云う希望を述べた。 「明日もうお帰りですか? じゃ何処も見られませんぜ。」  主人は半ば憐むように、又半ば嘲るようにこう私の言葉に答えた。が、それきりあきらめるかと思うと、今度はもう一層熱心に、「じゃ今の内にこの近所を御見物なさい。」と勧め出した。これも断ってしまうのは虎退治に出かけるよりも危険である。私はやむを得ず竹内氏の一行と、見たくもない風景を見物に出かけた。  主人の言葉に従えば、クウリンの町は此処を距ること、ほんの一跨ぎだと云うことである。しかし実際歩いて見ると、一跨ぎや二跨ぎどころの騒ぎではない。路は山笹の茂った中に何処までもうねうね登っている。私はいつかヘルメットの下に汗の滴るのを感じながら、愈天下の名山に対する憤慨の念を新にし出した。名山、名画、名人、名文――あらゆる「名」の字のついたものは、自我を重んずる我々を、伝統の奴隷にするものである。未来派の画家は大胆にも、古典的作品を破壊せよと云った。古典的作品を破壊する次手に、廬山もダイナマイトの火に吹き飛ばすが好い。……  しかしやっと辿り着いて見ると、山風に鳴っている松の間、岩山を繞らせた目の下の谷に、赤い屋根だの黒い屋根だの、無数の屋根が並んでいるのは、思ったよりも快い眺めである。私は道ばたに腰を下し、大事にポケットに蓄えて来た日本の「敷島」へ火を移した。レエスを下げた窓も見える。草花の鉢を置いたバルコンも見える。青芝を劃ったテニス・コオトも見える。ハクラクの香炉峰は姑く問わず、兎に角避暑地たるクウリンは一夏を消するのに足る処らしい。私は竹内氏の一行のずんずん先へ行った後も、ぼんやり巻煙草を御えた儘、かすかに人影の透いて見える家々の窓を見下していた、いつか東京に残して来た子供の顔などを思い出しながら。
底本:「上海游記・江南游記」講談社文芸文庫、講談社    2001(平成13)年10月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店    1996(平成8)年9月9日発行 ※()内の編者による注記は省略しました。 入力:門田裕志 校正:岡山勝美 2015年2月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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       一  中学の三年の時だった。三学期の試験をすませたあとで、休暇中読む本を買いつけの本屋から、何冊だか取りよせたことがある。夏目先生の虞美人草なども、その時その中に交っていたかと思う。が、中でもいちばん大部だったのは、樗牛全集の五冊だった。  自分はそのころから非常な濫読家だったから、一週間の休暇の間に、それらの本を手に任せて読み飛ばした。もちろん樗牛全集の一巻、二巻、四巻などは、読みは読んでもむずかしくって、よく理窟がのみこめなかったのにちがいない。が、三巻や五巻などは、相当の興味をもって、しまいまで読み通すことができたように記憶する。  その時、はじめて樗牛に接した自分は、あの名文からはなはだよくない印象を受けた。というのは、中学生たる自分にとって、どうも樗牛はうそつきだという気がしたのである。  それにはほかにもいろいろ理由があったろうが、今でも覚えているのは、あの「わが袖の記」や何かの美しい文章が、いかにもそらぞらしく感ぜられたことである。あれには樗牛が月夜か何かに、三保の松原の羽衣の松の下へ行って、大いに感慨悲慟するところがあった。あすこを読むと、どうも樗牛は、いい気になって流せる涙を、ふんだんに持ち合わせていたような心もちがする。あるいは持ち合わせていなくっても、文章の上だけでおくめんもなく滂沱の観を呈しえたような心もちがする。その得意になって、泣き落しているところが、はなはだ自分には感心できなかった。人をあざむくか、己をあざむくか、どこかでうそをつかなければ、とうていああおおげさには、おいおい泣けるわけのものじゃない。――そこで、自分は一も二もなく樗牛をうそつきだときめてしまったのである。だからそれ以来、二度とあの「わが袖の記」や何かを読もうと思ったことはない。  それから大学を卒業するまで、約十年近くの間、自分は全く樗牛を忘れていた。ニイチェを読んだ時も思い出さなかったのは、自分ながら少々不思議な気もするが、事実であって見れば、もちろんどうするというわけにもいかない。ところが卒業後まもなく、赤木桁平君といっしょに飯を食ったら、君が突然自分をつかまえて樗牛論を弁じだした。そうして先覚者だとかなんとか言って、いろいろ樗牛をほめたてた。が、自分は依然として樗牛はうそつきだと確信していたから、先覚者でもなんでも彼はうそつきだからいかんと言って、どうしても赤木君の説に服さなかった。その時はついにそれぎりで、樗牛はえらいともえらくないともつかずにしまったが、ほとんど十年近くも読んだことのない樗牛をまたのぞいてみる気になったのは、全くこの議論のおかげである。  自分はその後まもなく、秋の夜の電灯の下で、書棚のすみから樗牛全集をひっぱり出した。五冊そろえて買った本が、今はたった二冊しかない。あとはおおかた売り飛ばすか、借しなくすかしてしまったのであろう。が、幸いその二冊のうちには、あの「わが袖の記」のはいっている五巻がある。自分はその一冊を紫檀の机の上へ開いて、静かに始めから読んでいた。  むろんそこには、いやみや涙があった。いや、詠歎そのものさえも、すでに時代と交渉がなくなっていたと言ってもさしつかえない。が、それにもかかわらず、あの「わが袖の記」の文章の中にはどこか樗牛という人間を彷彿させるものがあった。そうしてその人間は、迂余曲折をきわめたしちめんどうな辞句の間に、やはり人間らしく苦しんだりもがいたりしていた。だから樗牛は、うそつきだったわけでもなんでもない。ただ中学生だった自分の眼が、この樗牛の裸の姿をつかまえそくなっただけである。自分は樗牛の慟哭には微笑した。が、そのもっともかすかな吐息には、幾度も同情せずにいられなかった。――日は遠く海の上を照している。海は銀泥をたたえたように、広々と凪ぎつくして、息をするほどの波さえ見えない。その日と海とをながめながら、樗牛は砂の上にうずくまって、生ということを考える。死ということを考える。あるいはまた芸術ということを考える。が、樗牛の思索は移っていっても、周囲の景物にはさらに変化らしい変化がない。暖かい砂の上には、やはり船が何艘も眠っている。さっきから倦まずにその下を飛んでいるのは、おおかたこの海に多い鴎であろう。と思うとまた、向こうに日を浴びている漁夫の翁も、あいかわらず網をつくろうのに余念がない。こういう風景をながめていると、病弱な樗牛の心の中には、永遠なるものに対する惝怳が汪然としてわいてくる。日も動かない。砂も動かない。海は――目の前に開いている海も、さながら白昼の寂寞に聞き入ってでもいるかのごとく、雲母よりもまぶしい水面を凝然と平に張りつめている。樗牛の吐息はこんな瞬間に、はじめて彼の胸からあふれて出た。――自分はこういう樗牛を想像しながら、長い秋の夜を、いつまでもその文章に対していた。が、同情は昔とちがって、惜しげもなくその美しい文章に注がれるが、しかも樗牛と自分との間には、まだ何かがはさまっている。それは時代であろうか。いや、それはただ、時代ばかりであろうか。――自分はこう自分に問いかけた時、手もとにない樗牛の本が改めてまた読みたかった。それを今まで読まずにいるのは、したがってこの問に明白な答を与ええないのは、全く自分の怠慢である。そう言えば今年の秋も、もういつか小春になってしまった。        二  ちょうどそれと反対なのは、竜華寺にある樗牛の墓である。  始、竜華寺へ行ったのは中学の四年生の時だった。春の休暇のある日、確、静岡から久能山へ行って、それからあすこへまわったかと思う。あいにくの吹き降りで、不二見村の往還から寺の門まで行く路が、文字通りくつを没するほどぬかっていたが、その春雨にぬれた大覇王樹が、青い杓子をべたべたのばしながら、もの静かな庫裡を後ろにして、夏目先生の「草枕」の一節を思い出させたのは、今でも歴々と覚えている。それから急な石段を墓の所へ登ると、菫がたくさん咲いていた。いや、墓の上にも、誰がやったのだか、その菫を束にしたのが二つ三つ載せてあった。墓はあの通り白い大理石で、「吾人は須く現代を超越せざるべからず」が、「高山林次郎」という名といっしょに、あざやかな鑿の痕を残している。自分はそのなめらかな石の面に、ちらばっている菫の花束をいかにも樗牛にふさわしいたむけの花のようにながめて来た。その後、樗牛の墓というと、必ず自分の記憶には、この雨にぬれている菫の紫が四角な大理石といっしょに髣髴されたものである。これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前を訪うらしい、思わせぶりな感傷に充ち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺に詣ずるの記」くらいは、惻々たる哀怨の辞をつらねて、書いたことがあるかもしれない。  ところがこのごろになって、あの近所を通ったついでに、ふと樗牛のことを思い出して、また竜華寺へ出かけて行った。その日は夏の晴天で、脂臭い蘇鉄のにおいが寺の庭に充満しているころだったが、例の急な石段を登って、山の上へ出てみると、ほとんど意外だったくらい、あの大理石の墓がくだらなく見えた。どうも貧弱で、いやに小さくまとまっていて、その上またはなはだ軽佻浮薄な趣がある。これじゃ頼もしくないと思って、雑木の涼しい影が落ちている下へ、くたびれた尻をすえたまま、ややしばらく見ていたが、やはりくだらないという心もちは取消しようがない。第一、そばに立っている日本風のお堂との対照ばかりでも、悲惨なこっけいの感じが先にたってしまう。その上荒れはてた周囲の風物が、四方からこの墓の威厳を害している。一山の蝉の声の中に埋れながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。と同時にまた、なんだか地下の樗牛に対してきのどくなような心もちがした。不二山と、大蘇鉄と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠さを感じて、匆々竜華寺の門をあとにした。爾来今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。  しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人の信仰を天下に宣伝した関係から、樗牛の銅像なぞを建設しないのは、まだしも彼にとって幸福かもしれない。――自分は今では、時々こんなことさえ考えるようになった。
底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店    1950(昭和25)年10月20日初版発行    1985(昭和60)年11月10日改版38版発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月12日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一 埃  僕の記憶の始まりは数え年の四つの時のことである。と言ってもたいした記憶ではない。ただ広さんという大工が一人、梯子か何かに乗ったまま玄能で天井を叩いている、天井からはぱっぱっと埃が出る――そんな光景を覚えているのである。  これは江戸の昔から祖父や父の住んでいた古家を毀した時のことである。僕は数え年の四つの秋、新しい家に住むようになった。したがって古家を毀したのは遅くもその年の春だったであろう。      二 位牌  僕の家の仏壇には祖父母の位牌や叔父の位牌の前に大きい位牌が一つあった。それは天保何年かに没した曾祖父母の位牌だった。僕はもの心のついた時から、この金箔の黒ずんだ位牌に恐怖に近いものを感じていた。  僕ののちに聞いたところによれば、曾祖父は奥坊主を勤めていたものの、二人の娘を二人とも花魁に売ったという人だった。のみならずまた曾祖母も曾祖父の夜泊まりを重ねるために家に焚きもののない時には鉈で縁側を叩き壊し、それを薪にしたという人だった。      三 庭木  新しい僕の家の庭には冬青、榧、木斛、かくれみの、臘梅、八つ手、五葉の松などが植わっていた。僕はそれらの木の中でも特に一本の臘梅を愛した。が、五葉の松だけは何か無気味でならなかった。      四 「てつ」  僕の家には子守りのほかに「てつ」という女中が一人あった。この女中はのちに「源さん」という大工のお上さんになったために「源てつ」という渾名を貰ったものである。  なんでも一月か二月のある夜、(僕は数え年の五つだった)地震のために目をさました「てつ」は前後の分別を失ったとみえ、枕もとの行灯をぶら下げたなり、茶の間から座敷を走りまわった。僕はその時座敷の畳に油じみのできたのを覚えている。それからまた夜中の庭に雪の積もっていたのを覚えている。      五 猫の魂 「てつ」は源さんへ縁づいたのちも時々僕の家へ遊びに来た。僕はそのころ「てつ」の話した、こういう怪談を覚えている。――ある日の午後、「てつ」は長火鉢に頬杖をつき、半睡半醒の境にさまよっていた。すると小さい火の玉が一つ、「てつ」の顔のまわりを飛びめぐり始めた。「てつ」ははっとして目を醒ました。火の玉はもちろんその時にはもうどこかへ消え失せていた。しかし「てつ」の信ずるところによればそれは四、五日前に死んだ「てつ」の飼い猫の魂がじゃれに来たに違いないというのだった。      六 草双紙  僕の家の本箱には草双紙がいっぱいつまっていた。僕はもの心のついたころからこれらの草双紙を愛していた。ことに「西遊記」を翻案した「金毘羅利生記」を愛していた。「金毘羅利生記」の主人公はあるいは僕の記憶に残った第一の作中人物かもしれない。それは岩裂の神という、兜巾鈴懸けを装った、目なざしの恐ろしい大天狗だった。      七 お狸様  僕の家には祖父の代からお狸様というものを祀っていた。それは赤い布団にのった一対の狸の土偶だった。僕はこのお狸様にも何か恐怖を感じていた。お狸様を祀ることはどういう因縁によったものか、父や母さえも知らないらしい。しかしいまだに僕の家には薄暗い納戸の隅の棚にお狸様の宮を設け、夜は必ずその宮の前に小さい蝋燭をともしている。      八 蘭  僕は時々狭い庭を歩き、父の真似をして雑草を抜いた。実際庭は水場だけにいろいろの草を生じやすかった。僕はある時冬青の木の下に細い一本の草を見つけ、早速それを抜きすててしまった。僕の所業を知った父は「せっかくの蘭を抜かれた」と何度も母にこぼしていた。が、格別、そのために叱られたという記憶は持っていない。蘭はどこでも石の間に特に一、二茎植えたものだった。      九 夢中遊行  僕はそのころも今のように体の弱い子供だった。ことに便秘しさえすれば、必ずひきつける子供だった。僕の記憶に残っているのは僕が最後にひきつけた九歳の時のことである。僕は熱もあったから、床の中に横たわったまま、伯母の髪を結うのを眺めていた。そのうちにいつかひきつけたとみえ、寂しい海辺を歩いていた。そのまた海辺には人間よりも化け物に近い女が一人、腰巻き一つになったなり、身投げをするために合掌していた。それは「妙々車」という草双紙の中の插画だったらしい。この夢うつつの中の景色だけはいまだにはっきりと覚えている。正気になった時のことは覚えていない。      一〇 「つうや」  僕がいちばん親しんだのは「てつ」ののちにいた「つる」である。僕の家はそのころから経済状態が悪くなったとみえ、女中もこの「つる」一人ぎりだった。僕は「つる」のことを「つうや」と呼んだ。「つうや」はあたりまえの女よりもロマンティック趣味に富んでいたのであろう。僕の母の話によれば、法界節が二、三人編み笠をかぶって通るのを見ても「敵討ちでしょうか?」と尋ねたそうである。      一一 郵便箱  僕の家の門の側には郵便箱が一つとりつけてあった。母や伯母は日の暮れになると、かわるがわる門の側へ行き、この小さい郵便箱の口から往来の人通りを眺めたものである。封建時代らしい女の気もちは明治三十二、三年ころにもまだかすかに残っていたであろう。僕はまたこういう時に「さあ、もう雀色時になったから」と母の言ったのを覚えている。雀色時という言葉はそのころの僕にも好きな言葉だった。      一二 灸  僕は何かいたずらをすると、必ず伯母につかまっては足の小指に灸をすえられた。僕に最も怖ろしかったのは灸の熱さそれ自身よりも灸をすえられるということである。僕は手足をばたばたさせながら「かちかち山だよう。ぼうぼう山だよう」と怒鳴ったりした。これはもちろん火がつくところから自然と連想を生じたのであろう。      一三 剥製の雉  僕の家へ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは代地かどこかにいた柳派の「五りん」のお上さんだった。僕はこの「お市さん」にいろいろの画本や玩具などを貰った。その中でも僕を喜ばせたのは大きい剥製の雉である。  僕は小学校を卒業する時、その尾羽根の切れかかった雉を寄附していったように覚えている。が、それは確かではない。ただいまだにおかしいのは雉の剥製を貰った時、父が僕に言った言葉である。 「昔、うちの隣にいた××××(この名前は覚えていない)という人はちょうど元日のしらしら明けの空を白い鳳凰がたった一羽、中洲の方へ飛んで行くのを見たことがあると言っていたよ。もっともでたらめを言う人だったがね」      一四 幽霊  僕は小学校へはいっていたころ、どこの長唄の女師匠は亭主の怨霊にとりつかれているとか、ここの仕事師のお婆さんは嫁の幽霊に責められているとか、いろいろの怪談を聞かせられた。それをまた僕に聞かせたのは僕の祖父の代に女中をしていた「おてつさん」という婆さんである。僕はそんな話のためか、夢とも現ともつかぬ境にいろいろの幽霊に襲われがちだった。しかもそれらの幽霊はたいていは「おてつさん」の顔をしていた。      一五 馬車  僕が小学校へはいらぬ前、小さい馬車を驢馬に牽かせ、そのまた馬車に子供を乗せて、町内をまわる爺さんがあった。僕はこの小さい馬車に乗って、お竹倉や何かを通りたかった。しかし僕の守りをした「つうや」はなぜかそれを許さなかった。あるいは僕だけ馬車へ乗せるのを危険にでも思ったためかもしれない。けれども青い幌を張った、玩具よりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にもハイカラに見えたものである。      一六 水屋  そのころはまた本所も井戸の水を使っていた。が、特に飲用水だけは水屋の水を使っていた。僕はいまだに目に見えるように、顔の赤い水屋の爺さんが水桶の水を水甕の中へぶちまける姿を覚えている。そう言えばこの「水屋さん」も夢現の境に現われてくる幽霊の中の一人だった。      一七 幼稚園  僕は幼稚園へ通いだした。幼稚園は名高い回向院の隣の江東小学校の附属である。この幼稚園の庭の隅には大きい銀杏が一本あった。僕はいつもその落葉を拾い、本の中に挾んだのを覚えている。それからまたある円顔の女生徒が好きになったのも覚えている。ただいかにも不思議なのは今になって考えてみると、なぜ彼女を好きになったか、僕自身にもはっきりしない。しかしその人の顔や名前はいまだに記憶に残っている。僕はつい去年の秋、幼稚園時代の友だちに遇い、そのころのことを話し合った末、「先方でも覚えているかしら」と言った。 「そりゃ覚えていないだろう」  僕はこの言葉を聞いた時、かすかに寂しい心もちがした。その人は少女に似合わない、萩や芒に露の玉を散らした、袖の長い着物を着ていたものである。      一八 相撲  相撲もまた土地がらだけに大勢近所に住まっていた。現に僕の家の裏の向こうは年寄りの峯岸の家だったものである。僕の小学校にいた時代はちょうど常陸山や梅ヶ谷の全盛を極めた時代だった。僕は荒岩亀之助が常陸山を破ったため、大評判になったのを覚えている。いったいひとり荒岩に限らず、国見山でも逆鉾でもどこか錦絵の相撲に近い、男ぶりの人に優れた相撲はことごとく僕の贔屓だった。しかし相撲というものは何か僕にはばくぜんとした反感に近いものを与えやすかった。それは僕が人並みよりも体が弱かったためかもしれない。また平生見かける相撲が――髪を藁束ねにした褌かつぎが相撲膏を貼っていたためかもしれない。      一九 宇治紫山  僕の一家は宇治紫山という人に一中節を習っていた。この人は酒だの遊芸だのにお蔵前の札差しの身上をすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠さん」の酒の上の悪かったのを覚えている。また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。  この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌を買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家へ帰ってくると、「それでもまあ褌だけ新しくってよかった」と言ったそうである。      二〇 学問  僕は小学校へはいった時から、この「お師匠さん」の一人息子に英語と漢文と習字とを習った。が、どれも進歩しなかった。ただ英語はTやDの発音を覚えたくらいである。それでも僕は夜になると、ナショナル・リイダアや日本外史をかかえ、せっせと相生町二丁目の「お師匠さん」の家へ通って行った。It is a dog――ナショナル・リイダアの最初の一行はたぶんこういう文章だったであろう。しかしそれよりはっきりと僕の記憶に残っているのは、何かの拍子に「お師匠さん」の言った「誰とかさんもこのごろじゃ身なりが山水だな」という言葉である。      二一 活動写真  僕がはじめて活動写真を見たのは五つか六つの時だったであろう。僕は確か父といっしょにそういう珍しいものを見物した大川端の二州楼へ行った。活動写真は今のように大きい幕に映るのではない。少なくとも画面の大きさはやっと六尺に四尺くらいである。それから写真の話もまた今のように複雑ではない。僕はその晩の写真のうちに魚を釣っていた男が一人、大きい魚が針にかかったため、水の中へまっさかさまにひき落とされる画面を覚えている。その男はなんでも麦藁帽をかぶり、風立った柳や芦を後ろに長い釣竿を手にしていた。僕は不思議にその男の顔がネルソンに近かったような気がしている。が、それはことによると、僕の記憶の間違いかもしれない。      二二 川開き  やはりこの二州楼の桟敷に川開きを見ていた時である。大川はもちろん鬼灯提灯を吊った無数の船に埋まっていた。するとその大川の上にどっと何かの雪崩れる音がした。僕のまわりにいた客の中には亀清の桟敷が落ちたとか、中村楼の桟敷が落ちたとか、いろいろの噂が伝わりだした。しかし事実は木橋だった両国橋の欄干が折れ、大勢の人々の落ちた音だった。僕はのちにこの椿事を幻灯か何かに映したのを見たこともあるように覚えている。      二三 ダアク一座  僕は当時回向院の境内にいろいろの見世物を見たものである。風船乗り、大蛇、鬼の首、なんとか言う西洋人が非常に高い桿の上からとんぼを切って落ちて見せるもの、――数え立てていれば際限はない。しかしいちばんおもしろかったのはダアク一座の操り人形である。その中でもまたおもしろかったのは道化た西洋の無頼漢が二人、化けもの屋敷に泊まる場面である。彼らの一人は相手の名前をいつもカリフラと称していた。僕はいまだに花キャベツを食うたびに必ずこの「カリフラ」を思い出すのである。      二四 中洲  当時の中洲は言葉どおり、芦の茂ったデルタアだった。僕はその芦の中に流れ灌頂や馬の骨を見、気味悪がったことを覚えている。それから小学校の先輩に「これはアシかヨシか?」と聞かれて当惑したことも覚えている。      二五 寿座  本所の寿座ができたのもやはりそのころのことだった。僕はある日の暮れがた、ある小学校の先輩と元町通りを眺めていた。すると亜鉛の海鼠板を積んだ荷車が何台も通って行った。 「あれはどこへ行く?」  僕の先輩はこう言った。が、僕はどこへ行くか見当も何もつかなかった。 「寿座! じゃあの荷車に積んであるのは?」  僕は今度は勢い好く言った。 「ブリッキ!」  しかしそれはいたずらに先輩の冷笑を買うだけだった。 「ブリッキ? あれはトタンというものだ」  僕はこういう問答のため、妙に悄気たことを覚えている。その先輩は中学を出たのち、たちまち肺を犯されて故人になったとかいうことだった。      二六 いじめっ子  幼稚園にはいっていた僕はほとんど誰にもいじめられなかった。もっとも本間の徳ちゃんにはたびたび泣かされたものである。しかしそれは喧嘩の上だった。したがって僕も三度に一度は徳ちゃんを泣かせた記憶を持っている。徳ちゃんは確か総武鉄道の社長か何かの次男に生まれた、負けぬ気の強い餓鬼大将だった。  しかし小学校へはいるが早いか僕はたちまち世間に多い「いじめっ子」というものにめぐり合った。「いじめっ子」は杉浦誉四郎である。これは僕の隣席にいたから何か口実を拵えてはたびたび僕をつねったりした。おまけに杉浦の家の前を通ると狼に似た犬をけしかけたりもした。(これは今日考えてみれば Greyhound という犬だったであろう)僕はこの犬に追いつめられたあげく、とうとうある畳屋の店へ飛び上がってしまったのを覚えている。  僕は今漫然と「いじめっ子」の心理を考えている。あれは少年に現われたサアド型性欲ではないであろうか? 杉浦は僕のクラスの中でも最も白晳の少年だった。のみならずある名高い富豪の妾腹にできた少年だった。      二七 画  僕は幼稚園にはいっていたころには海軍将校になるつもりだった。が、小学校へはいったころからいつか画家志願に変っていた。僕の叔母は狩野勝玉という芳崖の乙弟子に縁づいていた。僕の叔父もまた裁判官だった雨谷に南画を学んでいた。しかし僕のなりたかったのはナポレオンの肖像だのライオンだのを描く洋画家だった。  僕が当時買い集めた西洋名画の写真版はいまだに何枚か残っている。僕は近ごろ何かのついでにそれらの写真版に目を通した。するとそれらの一枚は、樹下に金髪の美人を立たせたウイスキイの会社の広告画だった。      二八 水泳  僕の水泳を習ったのは日本水泳協会だった。水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風氏や谷崎潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦の茂った中洲から安田の屋敷前へ移っていた。僕はそこへ二、三人の同級の友達と通って行った。清水昌彦もその一人だった。 「僕は誰にもわかるまいと思って水の中でウンコをしたら、すぐに浮いたんでびっくりしてしまった。ウンコは水よりも軽いもんなんだね」  こういうことを話した清水も海軍将校になったのち、一昨年(大正十三年)の春に故人になった。僕はその二、三週間前に転地先の三島からよこした清水の手紙を覚えている。 「これは僕の君に上げる最後の手紙になるだろうと思う。僕は喉頭結核の上に腸結核も併発している。妻は僕と同じ病気に罹り僕よりも先に死んでしまった。あとには今年五つになる女の子が一人残っている。……まずは生前のご挨拶まで」  僕は返事のペンを執りながら、春寒の三島の海を思い、なんとかいう発句を書いたりした。今はもう発句は覚えていない。しかし「喉頭結核でも絶望するには当たらぬ」などという気休めを並べたことだけはいまだにはっきりと覚えている。      二九 体刑  僕の小学校にいたころには体刑も決して珍しくはなかった。それも横顔を張りつけるくらいではない。胸ぐらをとって小突きまわしたり、床の上へ突き倒したりしたものである。僕も一度は擲られた上、習字のお双紙をさし上げたまま、半時間も立たされていたことがあった。こういう時に擲られるのは格別痛みを感ずるものではない。しかし、大勢の生徒の前に立たされているのはせつないものである。僕はいつかイタリアのファッショは社会主義にヒマシユを飲ませ、腹下しを起こさせるという話を聞き、たちまち薄汚いベンチの上に立った僕自身の姿を思い出したりした。のみならずファッショの刑罰もあるいは存外当人には残酷ではないかと考えたりした。      三〇 大水  僕は大水にもたびたび出合った。が、幸いどの大水も床の上へ来たことは一度もなかった。僕は母や伯母などが濁り水の中に二尺指しを立てて、一分殖えたの二分殖えたのと騒いでいたのを覚えている。それから夜は目を覚ますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。      三一 答案  確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙を配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」とを書けと言った。僕は象を「かわいと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした。それは僕には真実だった。が、僕の答案はあいにく先生には気に入らなかった。 「雲などはどこが美しい? 象もただ大きいばかりじゃないか?」  先生はこうたしなめたのち、僕の答案へ×印をつけた。      三二 加藤清正  加藤清正は相生町二丁目の横町に住んでいた。と言ってももちろん鎧武者ではない。ごく小さい桶屋だった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違いなかった。のみならずまだ新しい紺暖簾の紋も蛇の目だった。僕らは時々この店へ主人の清正を覗きに行った。清正は短い顋髯を生やし、金槌や鉋を使っていた。けれども何か僕らには偉そうに思われてしかたがなかった。      三三 七不思議  そのころはどの家もランプだった。したがってどの町も薄暗かった。こういう町は明治とは言い条、まだ「本所の七不思議」とは全然縁のないわけではなかった。現に僕は夜学の帰りに元町通りを歩きながら、お竹倉の藪の向こうの莫迦囃しを聞いたのを覚えている。それは石原か横網かにお祭りのあった囃しだったかもしれない。しかし僕は二百年来の狸の莫迦囃しではないかと思い、一刻も早く家へ帰るようにせっせと足を早めたものだった。      三四 動員令  僕は例の夜学の帰りに本所警察署の前を通った。警察署の前にはいつもと変わり、高張り提灯が一対ともしてあった。僕は妙に思いながら、父や母にそのことを話した。が、誰も驚かなかった。それは僕の留守の間に「動員令発せらる」という号外が家にも来ていたからだった。僕はもちろん日露戦役に関するいろいろの小事件を記憶している。が、この一対の高張り提灯ほど鮮かに覚えているものはない。いや、僕は今日でも高張り提灯を見るたびに婚礼や何かを想像するよりもまず戦争を思い出すのである。      三五 久井田卯之助  久井田という文字は違っているかもしれない。僕はただ彼のことをヒサイダさんと称していた。彼は僕の実家にいる牛乳配達の一人だった。同時にまた今日ほどたくさんいない社会主義者の一人だった。僕はこのヒサイダさんに社会主義の信条を教えてもらった。それは僕の血肉には幸か不幸か滲み入らなかった。が、日露戦争中の非戦論者に悪意を持たなかったのは確かにヒサイダさんの影響だった。  ヒサイダさんは五、六年前に突然僕を訪問した。僕が彼と大人同士の社会主義論をしたのはこの時だけである。(彼はそれから何か月もたたずに天城山の雪中に凍死してしまった)しかし僕は社会主義論よりも彼の獄中生活などに興味を持たずにはいられなかった。 「夏目さんの『行人』の中に和歌の浦へ行った男と女とがとうとう飯を食う気にならずに膳を下げさせるところがあるでしょう。あすこを牢の中で読んだ時にはしみじみもったいないと思いましたよ」  彼は人懐い笑顔をしながら、そんなことも話していったものだった。      三六 火花  やはりそのころの雨上がりの日の暮れ、僕は馬車通りの砂利道を一隊の歩兵の通るのに出合った。歩兵は銃を肩にしたまま、黙って進行をつづけていた。が、その靴は砂利と擦れるたびに時々火花を発していた。僕はこのかすかな火花に何か悲壮な心もちを感じた。  それから何年かたったのち、僕は白柳秀湖氏の「離愁」とかいう小品集を読み、やはり歩兵の靴から出る火花を書いたものを発見した。(僕に白柳秀湖氏や上司小剣氏の名を教えたものもあるいはヒサイダさんだったかもしれない)それはまだ中学生の僕には僕自身同じことを見ていたせいか、感銘の深いものに違いなかった。僕はこの文章から同氏の本を読むようになり、いつかロシヤの文学者の名前を、――ことにトゥルゲネフの名前を覚えるようになった。それらの小品集はどこへ行ったか、今はもう本屋でも見かけたことはない。しかし僕は同氏の文章にいまだに愛惜を感じている。ことに東京の空を罩める「鳶色の靄」などという言葉に。      三七 日本海海戦  僕らは皆日本海海戦の勝敗を日本の一大事と信じていた。が、「今日晴朗なれども浪高し」の号外は出ても、勝敗は容易にわからなかった。するとある日の午飯の時間に僕の組の先生が一人、号外を持って教室へかけこみ、「おい、みんな喜べ。大勝利だぞ」と声をかけた。この時の僕らの感激は確かにまた国民的だったのであろう。僕は中学を卒業しない前に国木田独歩の作品を読み、なんでも「電報」とかいう短篇にやはりこういう感激を描いてあるのを発見した。 「皇国の興廃この一挙にあり」云々の信号を掲げたということはおそらくはいかなる戦争文学よりもいっそう詩的な出来事だったであろう。しかし僕は十年ののち、海軍機関学校の理髪師に頭を刈ってもらいながら、彼もまた日露の戦役に「朝日」の水兵だった関係上、日本海海戦の話をした。すると彼はにこりともせず、きわめてむぞうさにこう言うのだった。 「なに、あの信号は始終でしたよ。それは号外にも出ていたのは日本海海戦の時だけですが」      三八 柔術  僕は中学で柔術を習った。それからまた浜町河岸の大竹という道場へもやはり寒稽古などに通ったものである。中学で習った柔術は何流だったか覚えていない。が、大竹の柔術は確か天真揚心流だった。僕は中学の仕合いへ出た時、相手の稽古着へ手をかけるが早いか、たちまちみごとな巴投げを食い、向こう側に控えた生徒たちの前へ坐っていたことを覚えている。当時の僕の柔道友だちは西川英次郎一人だった。西川は今は鳥取の農林学校か何かの教授をしている。僕はそののちも秀才と呼ばれる何人かの人々に接してきた。が、僕を驚かせた最初の秀才は西川だった。      三九 西川英次郎  西川は渾名をライオンと言った。それは顔がどことなしにライオンに似ていたためである。僕は西川と同級だったために少なからず啓発を受けた。中学の四年か五年の時に英訳の「猟人日記」だの「サッフォオ」だのを読みかじったのは、西川なしにはできなかったであろう。が、僕は西川には何も報いることはできなかった。もし何か報いたとすれば、それはただ足がらをすくって西川を泣かせたことだけであろう。  僕はまた西川といっしょに夏休みなどには旅行した。西川は僕よりも裕福だったらしい。しかし僕らは大旅行をしても、旅費は二十円を越えたことはなかった。僕はやはり西川といっしょに中里介山氏の「大菩薩峠」に近い丹波山という寒村に泊まり、一等三十五銭という宿賃を払ったのを覚えている。しかしその宿は清潔でもあり、食事も玉子焼などを添えてあった。  たぶんまだ残雪の深い赤城山へ登った時であろう。西川はこごみかげんに歩きながら、急に僕にこんなことを言った。 「君は両親に死なれたら、悲しいとかなんとか思うかい?」  僕はちょっと考えたのち、「悲しいと思う」と返事をした。 「僕は悲しいとは思わない。君は創作をやるつもりなんだから、そういう人間もいるということを知っておくほうがいいかもしれない」  しかし僕はその時分にはまだ作家になろうという志望などを持っていたわけではなかった。それをなぜそう言われたかはいまだに僕には不可解である。      四〇 勉強  僕は僕の中学時代はもちろん、復習というものをしたことはなかった。しかし試験勉強はたびたびした。試験の当日にはどの生徒も運動場でも本を読んだりしている。僕はそれを見るたびに「僕ももっと勉強すればよかった」という後悔を伴った不安を感じた。が、試験場を出るが早いか、そんなことはけろりと忘れていた。      四一 金  僕は一円の金を貰い、本屋へ本を買いに出かけると、なぜか一円の本を買ったことはなかった。しかし一円出しさえすれば、僕が欲しいと思う本は手にはいるのに違いなかった。僕はたびたび七十銭か八十銭の本を持ってきたのち、その本を買ったことを後悔していた。それはもちろん本ばかりではなかった。僕はこの心もちの中に中産下層階級を感じている。今日でも中産下層階級の子弟は何か買いものをするたびにやはり一円持っているものの、一円をすっかり使うことに逡巡してはいないであろうか?      四二 虚栄心  ある冬に近い日の暮れ、僕は元町通りを歩きながら、突然往来の人々が全然僕を顧みないのを感じた。同時にまた妙に寂しさを感じた。しかし格別「今に見ろ」という勇気の起こることは感じなかった。薄い藍色に澄み渡った空には幾つかの星も輝いていた。僕はこれらの星を見ながら、できるだけ威張って歩いて行った。      四三 発火演習  僕らの中学は秋になると、発火演習を行なったばかりか、東京のある聯隊の機動演習にも参加したものである。体操の教官――ある陸軍大尉はいつも僕らには厳然としていた。が、実際の機動演習になると、時々命令に間違いを生じ、おお声に上官に叱られたりしていた。僕はいつもこの教官に同情したことを覚えている。      四四 渾名  あらゆる東京の中学生が教師につける渾名ほど刻薄に真実に迫るものはない。僕はあいにく今日ではそれらの渾名を忘れている。が、今から四、五年前、僕の従姉の子供が一人、僕の家へ遊びに来た時、ある中学の先生のことを「マッポンがどうして」などと話していた。僕はもちろん「マッポン」とはなんのことかと質問した。 「どういうことも何もありませんよ。ただその先生の顔を見ると、マッポンという気もちがするだけですよ」  僕はそれからしばらくののち、この中学生と電車に乗り、偶然その先生の風丰に接した。するとそれは、――僕もやはり文章ではとうてい真実を伝えることはできない。つまりそれは渾名どおり、正に「マッポン」という感じだった。 (大正十五年三月―昭和二年一月)
底本:「河童・玄鶴山房」角川文庫、角川書店    1969(昭和44)年11月30日改版初版発行    1979(昭和54)年9月20日改版14版発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:一色伸子 校正:小林繁雄 2001年1月29日公開 2004年3月16日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "001141", "作品名": "追憶", "作品名読み": "ついおく", "ソート用読み": "ついおく", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「文芸春秋」1926(大正15)年4月~1927(昭和2)年2月", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2001-01-29T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card1141.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "河童・玄鶴山房", "底本出版社名1": "角川文庫、角川書店", "底本初版発行年1": "1969(昭和44)年11月30日改版初版", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年9月20日改版14版", "校正に使用した版1": "1979(昭和54)年9月20日改版14版", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "一色伸子", "校正者": "小林繁雄", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1141_ruby_5097.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-16T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/1141_15265.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-16T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "1" }
 恒藤恭は一高時代の親友なり。寄宿舎も同じ中寮の三番室に一年の間居りし事あり。当時の恒藤もまだ法科にはいらず。一部の乙組即ち英文科の生徒なりき。  恒藤は朝六時頃起き、午の休みには昼寝をし、夜は十一時の消灯前に、ちゃんと歯を磨いた後、床にはいるを常としたり。その生活の規則的なる事、エマヌエル・カントの再来か時計の振子かと思う程なりき。当時僕等のクラスには、久米正雄の如き或は菊池寛の如き、天縦の材少なからず、是等の豪傑は恒藤と違い、酒を飲んだりストオムをやったり、天馬の空を行くが如き、或は乗合自動車の町を走るが如き、放縦なる生活を喜びしものなり。故に恒藤の生活は是等の豪傑の生活に対し、規則的なるよりも一層規則的に見えしなるべし。僕は恒藤の親友なりしかど、到底彼の如くに几帳面なる事能わず、人並みに寝坊をし、人並みに夜更かしをし、凡庸に日を送るを常としたり。  恒藤は又秀才なりき。格別勉強するとも見えざれども、成績は常に首席なる上、仏蘭西語だの羅甸語だの、いろいろのものを修業しいたり。それから休日には植物園などへ、水彩画の写生に出かけしものなり。僕もその御伴を仰せつかり、彼の写生する傍らに半日本を読みし事も少からず。恒藤の描きし水彩画中、最も僕の記憶にあるものは冬枯れの躑躅を写せるものなり。但し記憶にある所以は不幸にも画の妙にあらず。躑躅だと説明される迄は牛だとばかり思っていた故なり。  恒藤は又論客なりき。――その前にもう一つ書きたき事は恒藤も詩を作れる事なり。当時僕等のクラスには詩人歌人少からず。「げに天才の心こそカメレオンにも似たりけれ」と歌えるものは当時の久米正雄なり。「教室の机によれば何となく怒鳴つて見たい心地するなり」と歌えるものは当時の菊池寛なり。当時の恒藤に数篇の詩あるも、亦怪しむを要せざるべし。その一篇に云う。 かみはつねにうゑにみてり いのちのみをそのにまきて みのれるときむさぼりくふ かみのうゑのゆゑによりて かみのみなをほめたたふや はかなきみをむすべるもの  もう一度新たに書き出せば、恒藤は又論客なり。僕は爾来十余年、未だ天下に彼の如く恐るべき論客あるを知らず。若し他に一人を数うべしとせば、唯児島喜久雄君あるのみ。僕は現在恒藤と会うも、滅多に議論を上下せず。上下すれば負ける事をちゃんと心得ている故なり。されど一高にいた時分は、飯を食うにも、散歩をするにも、のべつ幕なしに議論をしたり。しかも議論の問題となるものは純粋思惟とか、西田幾太郎とか、自由意志とか、ベルグソンとか、むずかしい事ばかりに限りしを記憶す。僕はこの論戦より僕の論法を発明したり。聞説す、かのガリヴァアの著者は未だ論理学には熟せざるも、議論は難からずと傲語せしと。思うにスヰフトも親友中には、必恒藤恭の如き、辛辣なる論客を有せしなるべし。  恒藤は又謹厳の士なり。酒色を好まず、出たらめを云わず、身を処するに清白なる事、僕などとは雲泥の差なり。同室同級の藤岡蔵六も、やはり謹厳の士なりしが、これは謹厳すぎる憾なきにあらず。「待合のフンクティオネンは何だね?」などと屡僕を困らせしものはこの藤岡蔵六なり。藤岡にはコオエンの学説よりも、待合の方が難解なりしならん。恒藤はそんな事を知らざるに非ず。知って而して謹厳なりしが如し。しかもその謹厳なる事は一言一行の末にも及びたりき。例えば恒藤は寮雨をせず。寮雨とは夜間寄宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流す事なり。僕は時と場合とに応じ、寮雨位辞するものに非ず。僕問う。「君はなぜ寮雨をしない?」恒藤答う。「人にされたら僕が迷惑する。だからしない。君はなぜ寮雨をする?」僕答う。「人にされても僕は迷惑しない、だからする。」恒藤は又賄征伐をせず。皿を破り飯櫃を投ぐるは僕も亦能くせざる所なり。僕問う。「君はなぜ賄征伐をしない?」恒藤答う。「無用に器物を毀すのは悪いと思うから。――君はなぜしない?」僕答う。「しないのじゃない、出来ないのだ。」  今恒藤は京都帝国大学にシュタムラアとかラスクとかを講じ、僕は東京に文を売る。相見る事一年に一両度のみ。昔一高の校庭なる菩提樹下を逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店    1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行 入力:向井樹里 校正:門田裕志 2005年2月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "043385", "作品名": "恒藤恭氏", "作品名読み": "つねとうきょうし", "ソート用読み": "つねとうきようし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-03-11T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card43385.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ", "底本出版社名1": "講談社文芸文庫、講談社", "底本初版発行年1": "1995(平成7)年1月10日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年1月10日第1刷", "校正に使用した版1": "1995(平成7)年1月10日第1刷", "底本の親本名1": "芥川龍之介全集第1~9、12巻", "底本の親本出版社名1": "岩波書店", "底本の親本初版発行年1": "1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "向井樹里", "校正者": "門田裕志", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43385_ruby_17695.zip", "テキストファイル最終更新日": "2005-02-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43385_17882.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-02-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 僕は今この温泉宿に滞在しています。避暑する気もちもないではありません。しかしまだそのほかにゆっくり読んだり書いたりしたい気もちもあることは確かです。ここは旅行案内の広告によれば、神経衰弱に善いとか云うことです。そのせいか狂人も二人ばかりいます。一人は二十七八の女です。この女は何も口を利かずに手風琴ばかり弾いています。が、身なりはちゃんとしていますから、どこか相当な家の奥さんでしょう。のみならず二三度見かけたところではどこかちょっと混血児じみた、輪廓の正しい顔をしています。もう一人の狂人は赤あかと額の禿げ上った四十前後の男です。この男は確か左の腕に松葉の入れ墨をしているところを見ると、まだ狂人にならない前には何か意気な商売でもしていたものかも知れません。僕は勿論この男とは度たび風呂の中でも一しょになります。K君は(これはここに滞在しているある大学の学生です。)この男の入れ墨を指さし、いきなり「君の細君の名はお松さんだね」と言ったものです。するとこの男は湯に浸ったまま、子供のように赤い顔をしました。……  K君は僕よりも十も若い人です。おまけに同じ宿のM子さん親子とかなり懇意にしている人です。M子さんは昔風に言えば、若衆顔をしているとでも言うのでしょう。僕はM子さんの女学校時代にお下げに白い後ろ鉢巻をした上、薙刀を習ったと云うことを聞き、定めしそれは牛若丸か何かに似ていたことだろうと思いました。もっともこのM子さん親子にはS君もやはり交際しています。S君はK君の友だちです。ただK君と違うのは、――僕はいつも小説などを読むと、二人の男性を差別するために一人を肥った男にすれば、一人を瘠せた男にするのをちょっと滑稽に思っています。それからまた一人を豪放な男にすれば、一人を繊弱な男にするのにもやはり微笑まずにはいられません。現にK君やS君は二人とも肥ってはいないのです。のみならず二人とも傷き易い神経を持って生まれているのです。が、K君はS君のように容易に弱みを見せません。実際また弱みを見せない修業を積もうともしているらしいのです。  K君、S君、M子さん親子、――僕のつき合っているのはこれだけです。もっともつき合いと言ったにしろ、ただ一しょに散歩したり話したりするほかはありません。何しろここには温泉宿のほかに(それもたった二軒だけです。)カッフェ一つないのです。僕はこう云う寂しさを少しも不足には思っていません。しかしK君やS君は時々「我等の都会に対する郷愁」と云うものを感じています。M子さん親子も、――M子さん親子の場合は複雑です。M子さん親子は貴族主義者です。従ってこう云う山の中に満足している訣はありません。しかしその不満の中に満足を感じているのです。少くともかれこれ一月だけの満足を感じているのです。  僕の部屋は二階の隅にあります。僕はこの部屋の隅の机に向かい、午前だけはちゃんと勉強します。午後はトタン屋根に日が当るものですから、その烈しい火照りだけでもとうてい本などは読めません。では何をするかと言えば、K君やS君に来て貰ってトランプや将棊に閑をつぶしたり、組み立て細工の木枕をして(これはここの名産です。)昼寝をしたりするだけです。五六日前の午後のことです。僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙」を読んでいました。するとそこへ襖をあけていきなり顔を出したのは下の部屋にいるM子さんです。僕はちょっと狼狽し、莫迦莫迦しいほどちゃんと坐り直しました。 「あら、皆さんはいらっしゃいませんの?」 「ええ。きょうは誰も、……まあ、どうかおはいりなさい。」  M子さんは襖をあけたまま、僕の部屋の縁先に佇みました。 「この部屋はお暑うございますわね。」  逆光線になったM子さんの姿は耳だけ真紅に透いて見えます。僕は何か義務に近いものを感じ、M子さんの隣に立つことにしました。 「あなたのお部屋は涼しいでしょう。」 「ええ、……でも手風琴の音ばかりして。」 「ああ、あの気違いの部屋の向うでしたね。」  僕等はこんな話をしながら、しばらく縁先に佇んでいました。西日を受けたトタン屋根は波がたにぎらぎらかがやいています。そこへ庭の葉桜の枝から毛虫が一匹転げ落ちました。毛虫は薄いトタン屋根の上にかすかな音を立てたと思うと、二三度体をうねらせたぎり、すぐにぐったり死んでしまいました。それは実に呆っ気ない死です。同時にまた実に世話の無い死です。―― 「フライ鍋の中へでも落ちたようですね。」 「あたしは毛虫は大嫌い。」 「僕は手でもつまめますがね。」 「Sさんもそんなことを言っていらっしゃいました。」  M子さんは真面目に僕の顔を見ました。 「S君もね。」  僕の返事はM子さんには気乗りのしないように聞えたのでしょう。(僕は実はM子さんに、――と云うよりもM子さんと云う少女の心理に興味を持っていたのですが。)M子さんは幾分か拗ねたようにこう言って手すりを離れました。 「じゃまた後ほど。」  M子さんの帰って行った後、僕はまた木枕をしながら、「大久保武蔵鐙」を読みつづけました。が、活字を追う間に時々あの毛虫のことを思い出しました。……  僕の散歩に出かけるのはいつも大抵は夕飯前です。こう云う時にはM子さん親子をはじめ、K君やS君も一しょに出るのです。そのまた散歩する場所もこの村の前後二三町の松林よりほかにはありません。これは毛虫の落ちるのを見た時よりもあるいは前の出来事でしょう。僕等はやはりはしゃぎながら、松林の中を歩いていました。僕等は?――もっともM子さんのお母さんだけは例外です。この奥さんは年よりは少くとも十ぐらいはふけて見えるのでしょう。僕はM子さんの一家のことは何も知らないものの一人です。しかしいつか読んだ新聞記事によれば、この奥さんはM子さんやM子さんの兄さんを産んだ人ではないはずです。M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました。僕の記憶を信ずるとすれば、新聞は皆兄さんの自殺したのもこの後妻に来た奥さんに責任のあるように書いていました。この奥さんの年をとっているのもあるいはそんなためではないでしょうか? 僕はまだ五十を越していないのに髪の白い奥さんを見る度にどうもそんなことを考えやすいのです。しかし僕等四人だけはとにかくしゃべりつづけにしゃべっていました。するとM子さんは何を見たのか、「あら、いや」と言ってK君の腕を抑えました。 「何です? 僕は蛇でも出たのかと思った。」  それは実際何でもない。ただ乾いた山砂の上に細かい蟻が何匹も半死半生の赤蜂を引きずって行こうとしていたのです。赤蜂は仰けになったなり、時々裂けかかった翅を鳴らし、蟻の群を逐い払っています。が、蟻の群は蹴散らされたと思うと、すぐにまた赤蜂の翅や脚にすがりついてしまうのです。僕等はそこに立ちどまり、しばらくこの赤蜂のあがいているのを眺めていました。現にM子さんも始めに似合わず、妙に真剣な顔をしたまま、やはりK君の側に立っていたのです。 「時々剣を出しますわね。」 「蜂の剣は鉤のように曲っているものですね。」  僕は誰も黙っているものですから、M子さんとこんな話をしていました。 「さあ、行きましょう。あたしはこんなものを見るのは大嫌い。」  M子さんのお母さんは誰よりも先きに歩き出しました。僕等も歩き出したのは勿論です。松林は路をあましたまま、ひっそりと高い草を伸ばしていました。僕等の話し声はこの松林の中に存外高い反響を起しました。殊にK君の笑い声は――K君はS君やM子さんにK君の妹さんのことを話していました。この田舎にいる妹さんは女学校を卒業したばかりらしいのです。が、何でも夫になる人は煙草ものまなければ酒ものまない、品行方正の紳士でなければならないと言っていると云うことです。 「僕等は皆落第ですね?」  S君は僕にこう言いました。が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。 「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴へ当てつけているんだね。」  K君も咄嗟につけ加えました。僕は善い加減な返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出しました。従って突然M子さんの「もう帰りましょう」と言った時にはほっとひと息ついたものです。M子さんは晴れ晴れした顔をしたまま、僕等の何とも言わないうちにくるりと足を返しました。が、温泉宿へ帰る途中はM子さんのお母さんとばかり話していました。僕等は勿論前と同じ松林の中を歩いて行ったのです。けれどもあの赤蜂はもうどこかへ行っていました。  それから半月ばかりたった後です。僕はどんより曇っているせいか、何をする気もなかったものですから、池のある庭へおりて行きました。するとM子さんのお母さんが一人船底椅子に腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行ったはずです。この奥さんは僕を見ると、老眼鏡をはずして挨拶しました。 「こちらの椅子をさし上げましょうか?」 「いえ、これで結構です。」  僕はちょうどそこにあった、古い籐椅子にかけることにしました。 「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」 「いいえ、……何かあったのですか?」 「あの気の違った男の方がいきなり廊下へ駈け出したりなすったものですから。」 「そんなことがあったんですか?」 「ええ、どこかの銀行の取りつけ騒ぎを新聞でお読みなすったのが始まりなんですって。」  僕はあの松葉の入れ墨をした気違いの一生を想像しました。それから、――笑われても仕かたはありません、僕の弟の持っている株券のことなどを思い出しました。 「Sさんなどはこぼしていらっしゃいましたよ。……」  M子さんのお母さんはいつか僕に婉曲にS君のことを尋ね出しました。が、僕はどう云う返事にも「でしょう」だの「と思います」だのとつけ加えました。(僕はいつも一人の人をその人としてだけしか考えられません。家族とか財産とか社会的地位とか云うことには自然と冷淡になっているのです。おまけに一番悪いことはその人としてだけ考える時でもいつか僕自身に似ている点だけその人の中から引き出した上、勝手に好悪を定めているのです。)のみならずこの奥さんの気もちに、――S君の身もとを調べる気もちにある可笑しさを感じました。 「Sさんは神経質でいらっしゃるでしょう?」 「ええ、まあ神経質と云うのでしょう。」 「人ずれはちっともしていらっしゃいませんね。」 「それは何しろ坊ちゃんですから、……しかしもう一通りのことは心得ていると思いますが。」  僕はこう云う話の中にふと池の水際に沢蟹の這っているのを見つけました。しかもその沢蟹はもう一匹の沢蟹を、――甲羅の半ば砕けかかったもう一匹の沢蟹をじりじり引きずって行くところなのです。僕はいつかクロポトキンの相互扶助論の中にあった蟹の話を思い出しました。クロポトキンの教えるところによれば、いつも蟹は怪我をした仲間を扶けて行ってやると云うことです。しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我をした仲間を食うためにやっていると云うことです。僕はだんだん石菖のかげに二匹の沢蟹の隠れるのを見ながら、M子さんのお母さんと話していました。が、いつか僕等の話に全然興味を失っていました。 「みんなの帰って来るのは夕がたでしょう?」  僕はこう言って立ち上りました。同時にまたM子さんのお母さんの顔にある表情を感じました。それはちょっとした驚きと一しょに何か本能的な憎しみを閃かせている表情です。けれどもこの奥さんはすぐにもの静かに返事をしました。 「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」  僕は僕の部屋へ帰って来ると、また縁先の手すりにつかまり、松林の上に盛り上ったY山の頂を眺めました。山の頂は岩むらの上に薄い日の光をなすっています。僕はこう云う景色を見ながら、ふと僕等人間を憐みたい気もちを感じました。……  M子さん親子はS君と一しょに二三日前に東京へ帰りました。K君は何でもこの温泉宿へ妹さんの来るのを待ち合せた上、(それは多分僕の帰るのよりも一週間ばかり遅れるでしょう。)帰り仕度をするとか云うことです。僕はK君と二人だけになった時に幾分か寛ぎを感じました。もっともK君を劬りたい気もちの反ってK君にこたえることを惧れているのに違いありません。が、とにかくK君と一しょに比較的気楽に暮らしています。現にゆうべも風呂にはいりながら、一時間もセザアル・フランクを論じていました。  僕は今僕の部屋にこの手紙を書いています。ここはもう初秋にはいっています。僕はけさ目を醒ました時、僕の部屋の障子の上に小さいY山や松林の逆さまに映っているのを見つけました。それは勿論戸の節穴からさして来る光のためだったのです。しかし僕は腹ばいになり、一本の巻煙草をふかしながら、この妙に澄み渡った、小さい初秋の風景にいつにない静かさを感じました。………  ではさようなら。東京ももう朝晩は大分凌ぎよくなっているでしょう。どうかお子さんたちにもよろしく言って下さい。 (昭和二年六月七日)
底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年3月24日第1刷発行    1993(平成5)年2月25日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年2月3日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 室生犀星はちゃんと出来上った人である。僕は実は近頃まであの位室生犀星なりに出来上っていようとは思わなかった。出来上った人と云う意味はまあ簡単に埒を明ければ、一家を成した人と思えば好い。或は何も他に待たずに生きられる人と思えば好い。室生は大袈裟に形容すれば、日星河岳前にあり、室生犀星茲にありと傍若無人に尻を据えている。あの尻の据えかたは必しも容易に出来るものではない。ざっと周囲を見渡した所、僕の知っている連中でも大抵は何かを恐れている。勿論外見は恐れてはいない。内見も――内見と言う言葉はないかも知れない。では夫子自身にさえ己は無畏だぞと言い聞かせている。しかしやはり肚の底には多少は何かを恐れている。この恐怖の有無になると、室生犀星は頗る強い。世間に気も使わなければ、気を使われようとも思っていない。庭をいじって、話を書いて、芋がしらの水差しを玩んで――つまり前にも言ったように、日月星辰前にあり、室生犀星茲にありと魚眠洞の洞天に尻を据えている。僕は室生と親んだ後この点に最も感心したのみならずこの点に感心したことを少からず幸福に思っている。先頃「高麗の花」を評した時に詩人室生犀星には言い及んだから、今度は聊か友人――と言うよりも室生の人となりを記すことにした。或はこれも室生の為に「こりゃ」と叱られるものかも知れない。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店    1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行 入力:向井樹里 校正:砂場清隆 2007年2月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 これは孝子伝吉の父の仇を打った話である。  伝吉は信州水内郡笹山村の百姓の一人息子である。伝吉の父は伝三と云い、「酒を好み、博奕を好み、喧嘩口論を好」んだと云うから、まず一村の人々にはならずもの扱いをされていたらしい。(註一)母は伝吉を産んだ翌年、病死してしまったと云うものもある。あるいはまた情夫の出来たために出奔してしまったと云うものもある。(註二)しかし事実はどちらにしろ、この話の始まる頃にはいなくなっていたのに違いない。  この話の始まりは伝吉のやっと十二歳になった(一説によれば十五歳)天保七年の春である。伝吉はある日ふとしたことから、「越後浪人服部平四郎と云えるものの怒を買い、あわや斬りも捨てられん」とした。平四郎は当時文蔵と云う、柏原の博徒のもとに用心棒をしていた剣客である。もっともこの「ふとしたこと」には二つ三つ異説のない訣でもない。  まず田代玄甫の書いた「旅硯」の中の文によれば、伝吉は平四郎の髷ぶしへ凧をひっかけたと云うことである。  なおまた伝吉の墓のある笹山村の慈照寺(浄土宗)は「孝子伝吉物語」と云う木版の小冊子を頒っている。この「伝吉物語」によれば伝吉は何もした訣ではない。ただその釣をしている所へ偶然来かかった平四郎に釣道具を奪われようとしただけである。  最後に小泉孤松の書いた「農家義人伝」の中の一篇によれば、平四郎は伝吉の牽いていた馬に泥田へ蹴落されたと云うことである。(註三)  とにかく平四郎は腹立ちまぎれに伝吉へ斬りかけたのに違いない。伝吉は平四郎に追われながら、父のいる山畠へ逃げのぼった。父の伝三はたった一人山畠の桑の手入れをしていた。が、子供の危急を知ると、芋の穴の中へ伝吉を隠した。芋の穴と云うのは芋を囲う一畳敷ばかりの土室である。伝吉はその穴の中に俵の藁をかぶったまま、じっと息をひそめていた。 「平四郎たちまち追い至り、『老爺、老爺、小僧はどちへ行ったぞ』と尋ねけるに、伝三もとよりしたたかものなりければ、『あの道を走り行き候』とぞ欺きける。平四郎その方へ追い行かんとせしが、ふと伝三の舌を吐きたるを見咎め、『土百姓めが、大胆にも□□□□□□□□□□□(虫食いのために読み難し)とて伝三を足蹴にかけければ、不敵の伝三腹を据え兼ね、あり合う鍬をとるより早く、いざさらば土百姓の腕を見せんとぞ息まきける。 「いずれ劣らぬ曲者ゆえ、しばく(シの誤か)は必死に打ち合いけるが、…… 「平四郎さすがに手だれなりければ、思うままに伝三を疲らせつつ、打ちかくる鍬を引きはずすよと見る間に、伝三の肩さきへ一太刀浴びせ、…… 「逃げんとするを逃がしもやらず、拝み打ちに打ち放し、…… 「伝吉のありかには気づかずありけん、悠々と刀など押し拭い、いずこともなく立ち去りけり。」(旅硯)  脳貧血を起した伝吉のやっと穴の外へ這い出した時には、もうただ芽をふいた桑の根がたに伝三の死骸のあるばかりだった。伝吉は死骸にとりすがったなり、いつまでも一人じっとしていたが、涙は不思議にも全然睫毛を沾さなかった。その代りにある感情の火のように心を焦がすのを感じた。それは父を見殺しにした彼自身に対する怒だった。理が非でも仇を返さなければ消えることを知らない怒だった。  その後の伝吉の一生はほとんどこの怒のために終始したと云ってもよい。伝吉は父を葬った後、長窪にいる叔父のもとに下男同様に住みこむことになった。叔父は枡屋善作(一説によれば善兵衛)と云う、才覚の利いた旅籠屋である。(註四)伝吉は下男部屋に起臥しながら仇打ちの工夫を凝らしつづけた。この仇打の工夫についても、諸説のいずれが正しいかはしばらく疑問に附するほかはない。 (一)「旅硯」、「農家義人伝」等によれば、伝吉は仇の誰であるかを知っていたことになっている。しかし「伝吉物語」によれば、服部平四郎の名を知るまでに「三星霜を閲し」たらしい。なおまた皆川蜩庵の書いた「木の葉」の中の「伝吉がこと」も「数年を経たり」と断っている。 (二)「農家義人伝」、「本朝姑妄聴」(著者不明)等によれば、伝吉の剣法を学んだ師匠は平井左門と云う浪人である。左門は長窪の子供たちに読書や習字を教えながら、請うものには北辰夢想流の剣法も教えていたらしい。けれども「伝吉物語」「旅硯」「木の葉」等によれば、伝吉は剣法を自得したのである。「あるいは立ち木を讐と呼び、あるいは岩を平四郎と名づけ」、一心に練磨を積んだのである。  すると天保十年頃意外にも服部平四郎は突然往くえを晦ましてしまった。もっともこれは伝吉につけ狙われていることを知ったからではない。ただあらゆる浮浪人のようにどこかへ姿を隠してしまったのである。伝吉は勿論落胆した。一時は「神ほとけも讐の上を守らせ給うか」とさえ歎息した。この上仇を返そうとすればまず旅に出なければならない。しかし当てもない旅に出るのは現在の伝吉には不可能である。伝吉は烈しい絶望の余り、だんだん遊蕩に染まり出した。「農家義人伝」はこの変化を「交を博徒に求む、蓋し讐の所在を知らんと欲する也」と説明している。これもまたあるいは一解釈かも知れない。  伝吉はたちまち枡屋を逐われ、唐丸の松と称された博徒松五郎の乾児になった。爾来ほとんど二十年ばかりは無頼の生活を送っていたらしい。(註五)「木の葉」はこの間に伝吉の枡屋の娘を誘拐したり、長窪の本陣何某へ強請に行ったりしたことを伝えている。これも他の諸書に載せてないのを見れば、軽々に真偽を決することは出来ない。現に「農家義人伝」は「伝吉、一郷の悪少と共に屡横逆を行えりと云う。妄誕弁ずるに足らざる也。伝吉は父讐を復せんとするの孝子、豈、這般の無状あらんや」と「木の葉」の記事を否定している。けれども伝吉はこの間も仇打ちの一念は忘れなかったのであろう。比較的伝吉に同情を持たない皆川蜩庵さえこう書いている。「伝吉は朋輩どもには仇あることを云わず、仇あることを知りしものには自らも仇の名など知らざるように装いしとなり。深志あるものの所作なるべし。」が、歳月は徒らに去り、平四郎の往くえは不相変誰の耳にもはいらなかった。  すると安政六年の秋、伝吉はふと平四郎の倉井村にいることを発見した。もっとも今度は昔のように両刀を手挟んでいたのではない。いつか髪を落した後、倉井村の地蔵堂の堂守になっていたのである。伝吉は「冥助のかたじけなさ」を感じた。倉井村と云えば長窪から五里に足りない山村である。その上笹山村に隣り合っているから、小径も知らないのは一つもない。(地図参照)伝吉は現在平四郎の浄観と云っているのも確かめた上、安政六年九月七日、菅笠をかぶり、旅合羽を着、相州無銘の長脇差をさし、たった一人仇打ちの途に上った。父の伝三の打たれた年からやっと二十三年目に本懐を遂げようとするのである。  伝吉の倉井村へはいったのは戌の刻を少し過ぎた頃だった。これは邪魔のはいらないためにわざと夜を選んだからである。伝吉は夜寒の田舎道を山のかげにある地蔵堂へ行った。窓障子の破れから覗いて見ると、榾明りに照された壁の上に大きい影が一つ映っていた。しかし影の持主は覗いている角度の関係上、どうしても見ることは出来なかった。ただその大きい目前の影は疑う余地のない坊主頭だった。のみならずしばらく聞き澄ましていても、この佗しい堂守のほかに人のいるけはいは聞えなかった。伝吉はまず雨落ちの石へそっと菅笠を仰向けに載せた。それから静かに旅合羽を脱ぎ、二つに畳んだのを笠の中に入れた。笠も合羽もいつの間にかしっとりと夜露にしめっていた。すると、――急に便通を感じた。伝吉はやむを得ず藪かげへはいり、漆の木の下へ用を足した。この一条を田代玄甫は「胆の太きこそ恐ろしけれ」と称え、小泉孤松は「伝吉の沈勇、極まれり矣」と嘆じている。  身仕度を整えた伝吉は長脇差を引き抜いた後、がらりと地蔵堂の門障子をあけた。囲炉裡の前には坊主が一人、楽々と足を投げ出していた。坊主はこちらへ背を見せたまま、「誰じゃい?」とただ声をかけた。伝吉はちょいと拍子抜けを感じた。第一にこう云う坊主の態度は仇を持つ人とも思われなかった。第二にその後ろ姿は伝吉の心に描いていたよりもずっと憔悴を極めていた。伝吉はほとんど一瞬間人違いではないかと云う疑いさえ抱いた。しかしもう今となってはためらっていられないのは勿論だった。  伝吉は後ろ手に障子をしめ、「服部平四郎」と声をかけた。坊主はそれでも驚きもせずに、不審そうに客を振り返った。が、白刃の光りを見ると、咄嵯に法衣の膝を起した。榾火に照らされた坊主の顔は骨と皮ばかりになった老人だった。しかし伝吉はその顔のどこかにはっきりと服部平四郎を感じた。 「誰じゃい、おぬしは?」 「伝三の倅の伝吉だ。怨みはおぬしの身に覚えがあるだろう。」  浄観は大きい目をしたまま、黙然とただ伝吉を見上げた。その顔に現れた感情は何とも云われない恐怖だった。伝吉は刀を構えながら、冷やかにこの恐怖を享楽した。 「さあ、その伝三の仇を返しに来たのだ。さっさと立ち上って勝負をしろ。」 「何、立ち上れじゃ?」  浄観は見る見る微笑を浮べた。伝吉はこの微笑の中に何か妙に凄いものを感じた。 「おぬしは己が昔のように立ち上れると思うているのか? 己は居ざりじゃ。腰抜けじゃ。」  伝吉は思わず一足すさった。いつか彼の構えた刀はぶるぶる切先を震わしていた。浄観はその容子を見やったなり、歯の抜けた口をあからさまにもう一度こうつけ加えた。 「立ち居さえ自由にはならぬ体じゃ。」 「嘘をつけ。嘘を……」  伝吉は必死に罵りかけた。が、浄観は反対に少しずつ冷静に返り出した。 「何が嘘じゃ? この村のものにも聞いて見るが好い。己は去年の大患いから腰ぬけになってしもうたのじゃ。じゃが、――」  浄観はちょいと言葉を切ると、まともに伝吉の目の中を見つめた。 「じゃが己は卑怯なことは云わぬ。いかにもおぬしの云う通り、おぬしの父親は己の手にかけた。この腰抜けでも打つと云うなら、立派に己は打たれてやる。」  伝吉は短い沈黙の間にいろいろの感情の群がるのを感じた。嫌悪、憐憫、侮蔑、恐怖、――そう云う感情の高低は徒に彼の太刀先を鈍らせる役に立つばかりだった。伝吉は浄観を睨んだぎり、打とうか打つまいかと逡巡していた。 「さあ、打て。」  浄観はほとんど傲然と斜に伝吉へ肩を示した。その拍子にふと伝吉は酒臭い浄観の息を感じた。と同時に昔の怒のむらむらと心に燃え上るのを感じた。それは父を見殺しにした彼自身に対する怒だった。理が非でも仇を打たなければ消えることを知らない怒だった。伝吉は武者震いをするが早いか、いきなり浄観を袈裟がけに斬った。……  伝吉の見事に仇を打った話はたちまち一郷の評判になった。公儀も勿論この孝子には格別の咎めを加えなかったらしい。もっとも予め仇打ちの願書を奉ることを忘れていたから、褒美の沙汰だけはなかったようである。その後の伝吉を語ることは生憎この話の主題ではない。が、大体を明かにすれば、伝吉は維新後材木商を営み、失敗に失敗を重ねた揚句、とうとう精神に異状を来した。死んだのは明治十年の秋、行年はちょうど五十三である。(註六)しかしこう云う最期のことなどは全然諸書に伝わっていない。現に「孝子伝吉物語」は下のように話を結んでいる。―― 「伝吉はその後家富み栄え、楽しい晩年を送りました。積善の家に余慶ありとは誠にこの事でありましょう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」 (大正十二年十二月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年2月24日第1刷発行    1995(平成7)年4月10日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月8日公開 2004年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を櫛巻きにし、いつも芝の実家にたった一人坐りながら、長煙管ですぱすぱ煙草を吸っている。顔も小さければ体も小さい。その又顔はどう云う訳か、少しも生気のない灰色をしている。僕はいつか西廂記を読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、――痩せ細った横顔を思い出した。  こう云う僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。何でも一度僕の養母とわざわざ二階へ挨拶に行ったら、いきなり頭を長煙管で打たれたことを覚えている。しかし大体僕の母は如何にももの静かな狂人だった。僕や僕の姉などに画を描いてくれと迫られると、四つ折の半紙に画を描いてくれる。画は墨を使うばかりではない。僕の姉の水絵の具を行楽の子女の衣服だの草木の花だのになすってくれる。唯それ等の画中の人物はいずれも狐の顔をしていた。  僕の母の死んだのは僕の十一の秋である。それは病の為よりも衰弱の為に死んだのであろう。その死の前後の記憶だけは割り合にはっきりと残っている。  危篤の電報でも来た為であろう。僕は或風のない深夜、僕の養母と人力車に乗り、本所から芝まで駈けつけて行った。僕はまだ今日でも襟巻と云うものを用いたことはない。が、特にこの夜だけは南画の山水か何かを描いた、薄い絹の手巾をまきつけていたことを覚えている。それからその手巾には「アヤメ香水」と云う香水の匂のしていたことも覚えている。  僕の母は二階の真下の八畳の座敷に横たわっていた。僕は四つ違いの僕の姉と僕の母の枕もとに坐り、二人とも絶えず声を立てて泣いた。殊に誰か僕の後ろで「御臨終御臨終」と言った時には一層切なさのこみ上げるのを感じた。しかし今まで瞑目していた、死人にひとしい僕の母は突然目をあいて何か言った。僕等は皆悲しい中にも小声でくすくす笑い出した。  僕はその次の晩も僕の母の枕もとに夜明近くまで坐っていた。が、なぜかゆうべのように少しも涙は流れなかった。僕は殆ど泣き声を絶たない僕の姉の手前を恥じ、一生懸命に泣く真似をしていた。同時に又僕の泣かれない以上、僕の母の死ぬことは必ずないと信じていた。  僕の母は三日目の晩に殆ど苦しまずに死んで行った。死ぬ前には正気に返ったと見え、僕等の顔を眺めてはとめ度なしにぽろぽろ涙を落した。が、やはりふだんのように何とも口は利かなかった。  僕は納棺を終った後にも時々泣かずにはいられなかった。すると「王子の叔母さん」と云う或遠縁のお婆さんが一人「ほんとうに御感心でございますね」と言った。しかし僕は妙なことに感心する人だと思っただけだった。  僕の母の葬式の出た日、僕の姉は位牌を持ち、僕はその後ろに香炉を持ち二人とも人力車に乗って行った。僕は時々居睡りをし、はっと思って目を醒ます拍子に危く香炉を落しそうにする。けれども谷中へは中々来ない。可也長い葬列はいつも秋晴れの東京の町をしずしずと練っているのである。  僕の母の命日は十一月二十八日である。又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には命日や戒名を覚えることも誇りの一つだった為であろう。 二  僕は一人の姉を持っている。しかしこれは病身ながらも二人の子供の母になっている。僕の「点鬼簿」に加えたいのは勿論この姉のことではない。丁度僕の生まれる前に突然夭折した姉のことである。僕等三人の姉弟の中でも一番賢かったと云う姉のことである。  この姉を初子と云ったのは長女に生まれた為だったであろう。僕の家の仏壇には未だに「初ちゃん」の写真が一枚小さい額縁の中にはいっている。初ちゃんは少しもか弱そうではない。小さい笑窪のある両頬なども熟した杏のようにまるまるしている。………  僕の父や母の愛を一番余計に受けたものは何と云っても「初ちゃん」である。「初ちゃん」は芝の新銭座からわざわざ築地のサンマアズ夫人の幼稚園か何かへ通っていた。が、土曜から日曜へかけては必ず僕の母の家へ――本所の芥川家へ泊りに行った。「初ちゃん」はこう云う外出の時にはまだ明治二十年代でも今めかしい洋服を着ていたのであろう。僕は小学校へ通っていた頃、「初ちゃん」の着物の端巾を貰い、ゴム人形に着せたのを覚えている。その又端巾は言い合せたように細かい花や楽器を散らした舶来のキャラコばかりだった。  或春先の日曜の午後、「初ちゃん」は庭を歩きながら、座敷にいる伯母に声をかけた。(僕は勿論この時の姉も洋服を着ていたように想像している。) 「伯母さん、これは何と云う樹?」 「どの樹?」 「この莟のある樹。」  僕の母の実家の庭には背の低い木瓜の樹が一株、古井戸へ枝を垂らしていた。髪をお下げにした「初ちゃん」は恐らくは大きい目をしたまま、この枝のとげとげしい木瓜の樹を見つめていたことであろう。 「これはお前と同じ名前の樹。」  伯母の洒落は生憎通じなかった。 「じゃ莫迦の樹と云う樹なのね。」  伯母は「初ちゃん」の話さえ出れば、未だにこの問答を繰り返している。実際又「初ちゃん」の話と云ってはその外に何も残っていない。「初ちゃん」はそれから幾日もたたずに柩にはいってしまったのであろう。僕は小さい位牌に彫った「初ちゃん」の戒名は覚えていない。が、「初ちゃん」の命日が四月五日であることだけは妙にはっきりと覚えている。  僕はなぜかこの姉に、――全然僕の見知らない姉に或親しみを感じている。「初ちゃん」は今も存命するとすれば、四十を越していることであろう。四十を越した「初ちゃん」の顔は或は芝の実家の二階に茫然と煙草をふかしていた僕の母の顔に似ているかも知れない。僕は時々幻のように僕の母とも姉ともつかない四十恰好の女人が一人、どこかから僕の一生を見守っているように感じている。これは珈琲や煙草に疲れた僕の神経の仕業であろうか? それとも又何かの機会に実在の世界へも面かげを見せる超自然の力の仕業であろうか? 三  僕は母の発狂した為に生まれるが早いか養家に来たから、(養家は母かたの伯父の家だった。)僕の父にも冷淡だった。僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった。僕に当時新らしかった果物や飲料を教えたのは悉く僕の父である。バナナ、アイスクリイム、パイナアップル、ラム酒、――まだその外にもあったかも知れない。僕は当時新宿にあった牧場の外の槲の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている。ラム酒は非常にアルコオル分の少ない、橙黄色を帯びた飲料だった。  僕の父は幼い僕にこう云う珍らしいものを勧め、養家から僕を取り戻そうとした。僕は一夜大森の魚栄でアイスクリイムを勧められながら、露骨に実家へ逃げて来いと口説かれたことを覚えている。僕の父はこう云う時には頗る巧言令色を弄した。が、生憎その勧誘は一度も効を奏さなかった。それは僕が養家の父母を、――殊に伯母を愛していたからだった。  僕の父は又短気だったから、度々誰とでも喧嘩をした。僕は中学の三年生の時に僕の父と相撲をとり、僕の得意の大外刈りを使って見事に僕の父を投げ倒した。僕の父は起き上ったと思うと、「もう一番」と言って僕に向って来た。僕は又造作もなく投げ倒した。僕の父は三度目には「もう一番」と言いながら、血相を変えて飛びかかって来た。この相撲を見ていた僕の叔母――僕の母の妹であり、僕の父の後妻だった叔母は二三度僕に目くばせをした。僕は僕の父と揉み合った後、わざと仰向けに倒れてしまった。が、もしあの時に負けなかったとすれば、僕の父は必ず僕にも掴みかからずにはいなかったであろう。  僕は二十八になった時、――まだ教師をしていた時に「チチニウイン」の電報を受けとり、倉皇と鎌倉から東京へ向った。僕の父はインフルエンザの為に東京病院にはいっていた。僕は彼是三日ばかり、養家の伯母や実家の叔母と病室の隅に寝泊りしていた。そのうちにそろそろ退屈し出した。そこへ僕の懇意にしていた或愛蘭土の新聞記者が一人、築地の或待合へ飯を食いに来ないかと云う電話をかけた。僕はその新聞記者が近く渡米するのを口実にし、垂死の僕の父を残したまま、築地の或待合へ出かけて行った。  僕等は四五人の芸者と一しょに愉快に日本風の食事をした。食事は確か十時頃に終った。僕はその新聞記者を残したまま、狭い段梯子を下って行った。すると誰か後ろから「ああさん」と僕に声をかけた。僕は中段に足をとめながら、段梯子の上をふり返った。そこには来合せていた芸者が一人、じっと僕を見下ろしていた。僕は黙って段梯子を下り、玄関の外のタクシイに乗った。タクシイはすぐに動き出した。が、僕は僕の父よりも水々しい西洋髪に結った彼女の顔を、――殊に彼女の目を考えていた。  僕が病院へ帰って来ると、僕の父は僕を待ち兼ねていた。のみならず二枚折の屏風の外に悉く余人を引き下らせ、僕の手を握ったり撫でたりしながら、僕の知らない昔のことを、――僕の母と結婚した当時のことを話し出した。それは僕の母と二人で箪笥を買いに出かけたとか、鮨をとって食ったとか云う、瑣末な話に過ぎなかった。しかし僕はその話のうちにいつか眶が熱くなっていた。僕の父も肉の落ちた頬にやはり涙を流していた。  僕の父はその次の朝に余り苦しまずに死んで行った。死ぬ前には頭も狂ったと見え「あんなに旗を立てた軍艦が来た。みんな万歳を唱えろ」などと言った。僕は僕の父の葬式がどんなものだったか覚えていない。唯僕の父の死骸を病院から実家へ運ぶ時、大きい春の月が一つ、僕の父の柩車の上を照らしていたことを覚えている。 四  僕は今年の三月の半ばにまだ懐炉を入れたまま、久しぶりに妻と墓参りをした。久しぶりに、――しかし小さい墓は勿論、墓の上に枝を伸ばした一株の赤松も変らなかった。 「点鬼簿」に加えた三人は皆この谷中の墓地の隅に、――しかも同じ石塔の下に彼等の骨を埋めている。僕はこの墓の下へ静かに僕の母の柩が下された時のことを思い出した。これは又「初ちゃん」も同じだったであろう。唯僕の父だけは、――僕は僕の父の骨が白じらと細かに砕けた中に金歯の交っていたのを覚えている。………  僕は墓参りを好んではいない。若し忘れていられるとすれば、僕の両親や姉のことも忘れていたいと思っている。が、特にその日だけは肉体的に弱っていたせいか、春先の午後の日の光の中に黒ずんだ石塔を眺めながら、一体彼等三人の中では誰が幸福だったろうと考えたりした。 かげろふや塚より外に住むばかり  僕は実際この時ほど、こう云う丈艸の心もちが押し迫って来るのを感じたことはなかった。
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館    1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店    1978(昭和53)年3月22日発行 初出:「改造 第八卷第十一号」    1926(大正15)年10月1日発行 入力:j.utiyama 校正:山本奈津恵 1998年10月5日公開 2016年2月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     御降り  今日は御降りである。尤も歳事記を検べて見たら、二日は御降りと云はぬかも知れぬ。が蓬莱を飾つた二階にゐれば、やはり心もちは御降りである。下では赤ん坊が泣き続けてゐる。舌に腫物が出来たと云ふが、鵞口瘡にでもならねば好い。ぢつと炬燵に当りながら、「つづらふみ」を読んでゐても、心は何時かその泣き声にとられてゐる事が度々ある。私の家は鶉居ではない。娑婆界の苦労は御降りの今日も、遠慮なく私を悩ますのである。昔或御降りの座敷に、姉や姉の友達と、羽根をついて遊んだ事がある。その仲間には私の外にも、私より幾つか年上の、おとなしい少年が交つてゐた。彼は其処にゐた少女たちと、悉仲好しの間がらだつた。だから羽根をつき落したものは、羽子板を譲る規則があつたが、自然と誰でも私より、彼へ羽子板を渡し易かつた。所がその内にどう云ふ拍子か、彼のついた金羽根が、長押しの溝に落ちこんでしまつた。彼は早速勝手から、大きな踏み台を運んで来た。さうしてその上へ乗りながら、長押しの金羽根を取り出さうとした。その時私は背の低い彼が、踏み台の上に爪立つたのを見ると、いきなり彼の足の下から、踏み台を側へ外してしまつた。彼は長押しに手をかけた儘、ぶらりと宙へぶら下つた。姉や姉の友だちは、さう云ふ彼を救ふ為に、私を叱つたり賺したりした。が、私はどうしても、踏み台を人手に渡さなかつた。彼は少時下つてゐた後、両手の痛みに堪へ兼たのか、とうとう大声に泣き始めた。して見れば御降りの記憶の中にも、幼いながら嫉妬なぞと云ふ娑婆界の苦労はあつたのである。私に泣かされた少年は、その後学問の修業はせずに、或会社へ通ふ事になつた。今ではもう四人の子の父親になつてゐるさうである。私の家の御降りは、赤ん坊の泣き声に満たされてゐる。彼の家の御降りはどうであらう。(一月二日) 御降りや竹ふかぶかと町の空      夏雄の事  香取秀真氏の話によると、加納夏雄は生きてゐた時に、百円の月給を取つてゐた由。当時百円の月給取と云へば、勿論人に羨まれる身分だつたのに相違ない。その夏雄が晩年床に就くと、屡枕もとへ一面に小判や大判を並べさせては、しけじけと見入つてゐたさうである。さうしてそれを見た弟子たちは、先生は好い年になつても、まだ貪心が去らないと見える、浅間しい事だと評したさうである。しかし夏雄が黄金を愛したのは、千葉勝が紙幣を愛したやうに、黄金の力を愛したのではあるまい。床を離れるやうになつたら、今度はあの黄金の上に、何を刻んで見ようかなぞと、仕事の工夫をしてゐたのであらう。師匠に貪心があると思つたのは、思つた弟子の方が卑しさうである。香取氏はかう病牀にある夏雄の心理を解釈した。私も恐らくさうだらうと思ふ。所がその後或男に、この逸話を話して聞かせたら、それはさもあるべき事だと、即座に賛成の意を表した。彼の述べる所によると、彼が遊蕩を止めないのも、実は人生を観ずる為の手段に過ぎぬのださうである。さうしてその機微を知らぬ世俗が、すぐに兎や角非難をするのは、夏雄の場合と同じださうである。が、実際さうか知らん。(一月六日)      冥途  この頃内田百間氏の「冥途」(新小説新年号所載)と云ふ小品を読んだ。「冥途」「山東京伝」「花火」「件」「土手」「豹」等、悉夢を書いたものである。漱石先生の「夢十夜」のやうに、夢に仮託した話ではない。見た儘に書いた夢の話である。出来は六篇の小品中、「冥途」が最も見事である。たつた三頁ばかりの小品だが、あの中には西洋じみない、気もちの好い Pathos が流れてゐる。しかし百間氏の小品が面白いのは、さう云ふ中味の為ばかりではない。あの六篇の小品を読むと、文壇離れのした心もちがする。作者が文壇の塵氛の中に、我々同様呼吸してゐたら、到底あんな夢の話は書かなかつたらうと云ふ気がする。書いてもあんな具合には出来なからうと云ふ気がする。つまり僕にはあの小品が、現在の文壇の流行なぞに、囚はれて居らぬ所が面白いのである。これは僕自身の話だが、何かの拍子に以前出した短篇集を開いて見ると、何処か流行に囚はれてゐる。実を云ふと僕にしても、他人の廡下には立たぬ位な、一人前の自惚れは持たぬではない。が、物の考へ方や感じ方の上で見れば、やはり何処か囚はれてゐる。(時代の影響と云ふ意味ではない。もつと膚浅な囚はれ方である。)僕はそれが不愉快でならぬ。だから百間氏の小品のやうに、自由な作物にぶつかると、余計僕には面白いのである。しかし人の話を聞けば、「冥途」の評判は好くないらしい。偶僕の目に触れた或新聞の批評家なぞにも、全然あれがわからぬらしかつた。これは一方現状では、尤ものやうな心もちがする。同時に又一方では、尤もでないやうな心もちもする。(一月十日)      長井代助  我々と前後した年齢の人々には、漱石先生の「それから」に動かされたものが多いらしい。その動かされたと云ふ中でも、自分が此処に書きたいのは、あの小説の主人公長井代助の性格に惚れこんだ人々の事である。その人々の中には惚れこんだ所か、自ら代助を気取つた人も、少くなかつた事と思ふ。しかしあの主人公は、我々の周囲を見廻しても、滅多にゐなさうな人間である。「それから」が発表された当時、世間にはやつてゐた自然派の小説には、我々の周囲にも大勢ゐさうな、その意味では人生に忠実な性格描写が多かつた筈である。しかし自然派の小説中、「それから」のやうに主人公の模倣者さへ生んだものは見えぬ。これは独り「それから」には限らず、ウエルテルでもルネでも同じ事である。彼等はいづれも一代を動揺させた性格である。が、如何に西洋でも、彼等のやうな人間は、滅多にゐぬのに相違ない。滅多にゐぬやうな人間が、反つて模倣者さへ生んだのは、滅多にゐぬからではあるまいか。無論滅多にゐぬと云ふ事は、何処にもゐぬと云ふ意味ではない。何処にもゐるとは云へぬかも知れぬ、が、何処かにゐさうだ位の心もちを含んだ言葉である。人々はその主人公が、手近に住んで居らぬ所に、惝怳の意味を見出すのであらう。さうして又その主人公が、何処かに住んでゐさうな所に、惝怳の可能性を見出すのであらう。だから小説が人生に、人間の意欲に働きかける為には、この手近に住んでゐない、しかも何処かに住んでゐさうな性格を創造せねばならぬ。これが通俗に云ふ意味では、理想主義的な小説家が負はねばならぬ大任である。カラマゾフを書いたドストエフスキイは、立派にこの大任を果してゐる。今後の日本では仰誰が、かう云ふ性格を造り出すであろう。(一月十三日)      嘲魔  一かどの英霊を持つた人々の中には、二つの自己が住む事がある。一つは常に活動的な、情熱のある自己である。他の一つは冷酷な、観察的な自己である。この二つの自己を有する人々は、ややもすると創作力の代りに、唯賢明な批評力を獲得するだけに止まり易い。M. de la Rochefoucauld はこれである。が、モリエエルはさうではない。彼はこの二つの自己の分裂を感じない人間であつた。不思議にもこの二つの自己を同時に生きる人間であつた。彼が古今に独歩する所以は、かう云ふ壮厳な矛盾の中にある。Sainte-Beuve のモリエエル論を読んでゐたら、こんな事を書いた一節があつた。私も私自身の中に、冷酷な自己の住む事を感ずる。この嘲魔を却ける事は、私の顔が変へられないやうに、私自身には如何とも出来ぬ。もし年をとると共に、嘲魔のみが力を加へれば、私も亦メリメエのやうに、「私の友人のなにがしがかう云ふ話をして聞かせた」なぞと、書き始める事にも倦みさうである。殊に虚無の遺伝がある東洋人の私には容易かも知れぬ。L'Avare や École des Femmes を書いたモリエエルは、比類の少い幸福者である。が、奸妻に悩まされ、病肺に苦しまされ、作者と俳優と劇場監督と三役の繁務に追はれながら、しかも猶この嘲魔の毒手に、陥らなかつたモリエエルは、愈羨望に価すべき比類の少い幸福者である。(一月十四日)      池西言水 「言ひ難きを言ふは老練の上の事なれど、そは多く俗事物を詠じて、雅ならしむる者のみ。其事物如何に雅致ある者なりとも、十七字に余りぬべき程の多量の意匠を十七字の中につづめん事は、殆ど為し得べからざる者なれば、古来の俳人も皆之を試みざりしに似たり。然れども一二此種の句なくして可ならんや。池西言水は実に其作者なり。」これは正岡子規の言葉である。(俳諧大要。一五六頁)子規はその後に実例として、言水の句二句を掲げてゐる。それは「姨捨てん湯婆に燗せ星月夜」と「黒塚や局女のわく火鉢」との二句である。自分は言水のこれらの句が、「十七字に余りぬべき程の多量の意匠を十七字の中につづめ」たとするには、何の苦情も持つて居らぬ。しかしこの意味では蕪村や召波も、「十七字に余りぬべき程の多量の意匠を十七字の中につづめ」てはゐないか。「御手打の夫婦なりしを衣更へ」や「いねかしの男うれたき砧かな」も、やはり複雑な内容を十七字の形式につづめてはゐないか。しかも「燗せ」や「わく」と云ふ言葉使ひが耳立たないだけに、一層成功してはゐないか。して見れば子規が評した言葉は、言水にも確に当て嵌まるが、言水の特色を云ひ尽すには、余りに広すぎる憾みはないか。かう自分は思ふのである。では言水の特色は何かと云へば、それは彼が十七字の内に、万人が知らぬ一種の鬼気を盛りこんだ手際にあると思ふ。子規が掲げた二句を見ても、すぐに自分を動かすのは、その中に漂ふ無気味さである。試に言水句集を開けば、この類の句は外にも多い。 御忌の鐘皿割る罪や暁の雲 つま猫の胸の火や行く潦 夜桜に怪しやひとり須磨の蜑 蚊柱の礎となる捨子かな 人魂は消えて梢の燈籠かな あさましや虫鳴く中に尼ひとり 火の影や人にて凄き網代守  句の佳否に関らず、これらの句が与へる感じは、蕪村にもなければ召波にもない。元禄でも言水唯一人である。自分は言水の作品中、必しもかう云ふ鬼趣を得た句が、最も神妙なものだとは云はぬ。が、言水が他の大家と特に趣を異にするのは、此処にあると云はざるを得ないのである。言水通称は八郎兵衛、紫藤軒と号した。享保四年歿。行年は七十三である。(一月十五日)      托氏宗教小説  今日本郷通りを歩いてゐたら、ふと托氏宗教小説と云う本を見つけた。価を尋ねれば十五銭だと云ふ。物質生活のミニマムに生きてゐる僕は、この間渦福の鉢を買はうと思つたら、十八円五十銭と云ふのに辟易した。が、十五銭の本位は、仕合せと買へぬ身分でもない。僕は早速三箇の白銅の代りに、薄つぺらな本を受け取つた。それが今僕の机の上に、古ぼけた表紙を曝してゐる。托氏宗教小説は、西暦千九百有七年、支那では光緒三十三年、香港の礼賢会(Rhenish Missionary Society)が、剞劂に付した本である。訳者は独逸の宣教師 Genähr と云ふ人である。但し翻訳に用ひた本は、Nisbet Bain の英訳だと云ふ、内容は名高い主奴論以下、十二篇の作品を集めてゐる。この本は勿論珍書ではあるまい。文求堂に頼みさへすれば、すぐに取つてくれるかも知れぬ。が、表紙を開けた所に、原著者托爾斯泰の写真があるのは、何となしに愉快である。好い加減に頁を繰つて見れば、牧色、加夫単、沽未士なぞと云ふ、西洋語の音訳が出て来るのも、僕にはやはり物珍しい。こんな翻訳が上梓された事は原著者托氏も知つてゐたであらうか。香港上海の支那人の中には、偶然この本を読んだ為めに、生涯托氏を師と仰いだ、若干の青年があつたかも知れぬ。托氏はさう云ふ南方の青年から、遙に敬愛を表すべき手紙を受け取りはしなかつたであらうか。私は托氏宗教小説を前に、この文章を書きながら、そんな空想を逞しくした。托氏とは伯爵トルストイである。(一月二十八日) 「西洋の民は自由を失つた。恢復の望みは殆ど見えない。東洋の民はこの自由を恢復すべき使命がある。」これは次手に孫引きにしたトルストイの書簡の一節である。(一月三十日)      印税  Jules Sandeau のいとこが Palais Royal のカツフエへ行つてゐると、出版書肆のシヤルパンテイエが、バルザツクと印税の相談をしてゐた。その後彼等が忘れて行つた紙を見たら、無暗に沢山の数字が書いてあつた。サンドオがバルザツクに会つた時、この数字の意味を問ひ訊すと、それは著者が十万部売切れた場合、著者の手に渡るべき印税の額だつたと云ふ。当時バルザツクが定めた印税は、オクタヴオ版三フラン半の本一冊につき、定価の一割を支払ふのだつた。して見ればまづ日本の作家が、現在取つてゐる印税と大差がなかつた訣である。が、これがバルザツクがユウジエニエ・グランデエを書いた時分だから、千八百三十二年か三年頃の話である。まあ印税も日本では、西洋よりざつと百年ばかり遅れてゐると思へば好い。原稿成金なぞと云つても、日本では当分小説家は、貧乏に堪へねばならぬやうである。(一月三十日)      日米関係  日米関係と云つた所が、外交問題を論ずるのではない。文壇のみに存在する日米関係を云ひたいのである。日本に学ばれる外国語の中では、英吉利語程範囲の広いものはない。だから日本の文士たちも、大抵は英吉利語に手依つてゐる。所が英吉利なり亜米利加なり、本来の英吉利語文学は、シヨオとかワイルドとか云ふ以外に、余り日本では流行しない。やはり読まれるのは大陸文学である。然るに英吉利語訳の大陸文学は、亜米利加向きのものが多い。何故と云へばホイツトマン以後、芸術的に荒蕪な亜米利加は、他国に天才を求めるからである。その関係上日本の文壇は、さ程著しくないにしても、近年は亜米利加の流行に、影響される形がないでもない。イバネスの名前が聞え出したのは、この実例の一つである。(僕が高等学校の生徒だつた頃は、あの「大寺院の影」の外に、英吉利語訳のイバネスは何処を探しても見当らなかつた。)向う河岸の火の手が静まつたら、今度はパピニなぞの伊太利文学が、日本にも紹介され出すかも知れぬ。これは大陸文学ではないが、以前文壇の一角に、愛蘭土文学が持て囃されたのも、火の元は亜米利加にあつたやうだ。かう云ふ日米関係は、英吉利語文学が流行しないだけに存外見落され勝ちのやうである。偶丸善へ行つて見たら、イバネス、ブレスト・ガナ、デ・アラルコン、バロハなぞの西班牙小説が沢山並べてあつた為め、こんな事を記して置く気になつた。(二月一日)      Ambroso Bierce  日米関係を論じた次手に、亜米利加の作家を一人挙げよう。アムブロオズ・ビイアスは毛色の変つた作家である。(一)短篇小説を組み立てさせれば、彼程鋭い技巧家は少い。評論がポオの再来と云ふのは、確にこの点でも当つてゐる。その上彼が好んで描くのは、やはりポオと同じやうに、無気味な超自然の世界である。この方面の小説家では、英吉利に Algernon Blackwood があるが、到底ビイアスの敵ではない。(二)彼は又批評や諷刺詩を書くと、辛辣無双な皮肉家である。現にレジンスキイと云ふ、確か波蘭土系の詩人の如きは、彼の毒舌に翻弄された結果自殺を遂げたと云はれてゐる。が、彼の批評を読めば、精到の妙はないにしても、犀利の快には富んでゐると思ふ。(三)彼は同時代の作家の中では、最もコスモポリタンだつた。南北戦争に従軍した事もある。桑港の雑誌の主筆をした事もある。倫敦に文を売つてゐた事もある。しかも彼は生きたか死んだか、未に行方が判然しない。中には彼の悪口が、余りに人を傷けた為め暗殺されたのだと云ふものもある。(四)彼の著書には十二巻の全集がある。短篇小説のみ読みたい人は In the Midst of Life 及び Can Such Things Be ? の二巻に就くが好い。私はこの二巻の中に、特に前者を推したいのである。後者には佳作は一二しか見えぬ。(五)彼の評伝は一冊もない。オウ・ヘンリイ等に比べると、此処でも彼は薄倖である。彼の事を多少知りたい人は、ケムブリツヂ版の History of American Literature 第二版の三八六―七頁、或は Cooper 著 Some American Story Tellers のビイアス論を見るが好い。前に書くのを忘れたが、年代は一八三八―一九一四? である。日本訳は一つも見えない。紹介もこれが最初であらう。(二月二日)      むし  私は「龍」と云ふ小説を書いた時、「虫の垂衣をした女が一人、建札の前に立つてゐる」と書いた。その後或人の注意によると、虫の垂衣が行はれたのは、鎌倉時代以後ださうである。その証拠には源氏の初瀬詣の条にも、虫の垂衣の事は見えぬさうである。私はその人の注意に感謝した。が、私が虫の垂衣云々の事を書いたのは、「信貴山縁起」「粉河寺縁起」なぞの画巻物によつてゐたのである。だからさう云ふ注意を受けても、剛情に自説を改めなかつた。その後何かの次手から、宮本勢助氏にこの事を話すと、虫の垂衣は今昔物語にも出てゐると云ふ事を教へられた。それから早速今昔を見ると、本朝の部巻六、従鎮西上人依観音助遁賊難持命語の中に、「転て思すらむ。然れども昼牟子を風の吹き開きたりつるより見奉るに、更に物不思罪免し給へ云々」とある。私は心の舒びるのを感じた。同時に自説は曲げずにゐても、矢張文献に証拠のないのが、今までは多少寂しかつたのを知つた。(二月三日)      蕗  坂になった路の土が、砥の粉のやうに乾いてゐる。寂しい山間の町だから、路には石塊も少くない。両側には古いこけら葺の家が、ひつそりと日光を浴びてゐる。僕等二人の中学生は、その路をせかせか上つて行つた。すると赤ん坊を背負つた少女が一人、濃い影を足もとに落しながら、静に坂を下つて来た。少女は袖のまくれた手に、茎の長い蕗をかざしてゐる。何の為めかと思つたら、それは真夏の日光が、すやすや寝入つた赤ん坊の顔へ、当らぬ為の蕗であつた。僕等二人はすれ違ふ時に、そつと微笑を交換した。が、少女はそれも知らないやうに、やはり静に通りすぎた。かすかに頬が日に焼けた、大様の顔だちの少女である。その顔が未にどうかすると、はつきり記憶に浮ぶ事がある。里見君の所謂一目惚れとは、こんな心もちを云ふのかも知れない。(二月十日) (大正十年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     鏡  自分は無暗に書物ばかり積んである書斎の中に蹲つて、寂しい春の松の内を甚だらしなく消光してゐた。本をひろげて見たり、好い加減な文章を書いて見たり、それにも飽きると出たらめな俳句を作つて見たり――要するにまあ太平の逸民らしく、のんべんだらりと日を暮してゐたのである。すると或日久しぶりに、よその奥さんが子供をつれて、年始旁々遊びに来た。この奥さんは昔から若くつてゐたいと云ふ事を、口癖のやうにしてゐる人だつた。だからつれてゐる女の子がもう五つになると云ふにも関らず、まだ娘の時分の美しさを昨日のやうに保存してゐた。  その日自分の書斎には、梅の花が活けてあつた。そこで我々は梅の話をした。が、千枝ちやんと云ふその女の子は、この間中書斎の額や掛物を上眼でぢろぢろ眺めながら、退屈さうに側に坐つてゐた。  暫くして自分は千枝ちやんが可哀さうになつたから、奥さんに「もうあつちへ行つて、母とでも話してお出でなさい」と云つた。母なら奥さんと話しながら、しかも子供を退屈させない丈の手腕があると思つたからである。すると奥さんは懐から鏡を出して、それを千枝ちやんに渡しながら「この子はかうやつて置きさへすれば、決して退屈しないんです」と云つた。  何故だらうと思つて聞いて見ると、この奥さんの良人が逗子の別荘に病を養つてゐた時分、奥さんは千枝ちやんをつれて、一週間に二三度宛東京逗子間を往復したが、千枝ちやんは汽車の中でその度に退屈し切つてしまふ。のみならず、その退屈を紛らしたい一心で、勝手な悪戯をして仕方がない。現に或時はよその御隠居様をつかまへて「あなた、仏蘭西語を知つていらつしやる」などととんでもない事を尋ねたりした。そこで奥さんも絵本を渡したり、ハモニカをあてがつたり、いろいろ退屈させない心配をしたが、とうとうしまひに懐鏡を持たせて置くと、意外にも道中おとなしく坐つてゐる事実を発見した。千枝ちやんはその鏡を覗きこんで、白粉を直したり、髪を掻いたり、或は又わざと顔をしかめて見り、鏡の中の自分を相手にして、何時までも遊んでゐるからである。  奥さんはかう鏡を渡した因縁を説明して、「やつぱり子供ですわね。鏡さへ見てゐれば、それでもう何も忘れてゐられるんですから。」とつけ加へた。  自分は刹那の間、この奥さんに軽い悪意を働かせた。さうして思はず笑ひながら、こんな事を云つて冷評した。 「あなただつて鏡さへ見てゐれば、それでもう何も忘れてゐられるんぢやありませんか。千枝ちやんと違ふのは、退屈なのが汽車の中と世の中だけの差別ですよ。」      下足札  これも或松の内の事である。Hと云ふ若い亜米利加人が自分の家へ遊びに来て、いきなりポケツトから下足札を一枚出すと、「何だかわかるか」と自分に問ひかけた。下足札はまだ木の匀がする程新しい板の面に、俗悪な太い字で「雪の十七番」と書いてある。自分はその書体を見ると、何故か両国の橋の袂へ店を出してゐる甘酒屋の赤い荷を思ひ出した。が、元より「雪の十七番」の因縁なぞは心得てゐる筈がなかつた。だからこの蒟蒻問答の雲水めいた相手の顔を眺めながら、「わからないよ」と簡単な返事をした。するとHは鼻眼鏡の後から妙な瞬きを一つ送りながら、急ににやにや笑ひ出して、 「これはね。或芸者の記念品なんだ。」 「へへえ、記念品にしちや又、妙なものを貰つたもんだな。」  自分たちの間には、正月の膳が並んでゐた。Hはちよいと顔をしかめながら、屠蘇の盃へ口をあてて、それから吸物の椀を持つた儘、娓々としてその下足札の因縁を辯じ出した。――  何でもそれによると、Hの教師をしてゐる学校が昨日赤坂の或御茶屋で新年会を催したのださうである。日本に来て間もないHは、まだ芸者に愛嬌を売るだけの修業も積んでゐなかつたから、唯出て来る料理を片つぱしから平げて、差される猪口を片つぱしから飲み干してゐた。するとそこにゐた十人ばかりの芸者の中に、始終彼の方へ秋波を送る女が一人あつた。日本の女は踝から下を除いて悉く美しいと云ふHの事だから、勿論この芸者も彼の眼には美人として映じたのに相違ない。そこで彼も牛飲馬食する傍には時々そつとその女の方を眺めてゐた。  しかし日本語の通じないHにも、日本酒は遠慮なく作用する。彼は一時間ばかりたつ中に、文字通り泥酔した。その結果、殆ど座に堪へられなくなつたから、ふらふらする足を踏みしめてそつと障子の外へ出た。外には閑静な中庭が石燈籠に火を入れて、ひつそりと竹の暗をつくつてゐる。Hは朦朧たる酔眼にこの景色を眺めると、如何にも日本らしい好い心もちに浸る事が出来た。が、この日本情調が彼のエキゾテイシズムを満足させたのは、ほんの一瞬間の事だつたらしい。何故と云ふと彼が廊下へ出るか出ないのに、後を追つてするすると裾を引いて来た芸者の一人が突然彼の頸へ抱きついたからである。さうして彼の酒臭い脣へ潔い接吻をした。勿論それはさつきから、彼に秋波を送つてゐる芸者だつた。彼は大に嬉しかつたから、両手でしつかりその芸者を抱いた。  ここまでは万事が頗る理想的に発展したが、遺憾ながら抱くと同時に、急に胸がむかついて来て、Hはその儘その廊下へ甚だ尾籠ながら嘔吐を吐いてしまつた。しかしその瞬間に彼の鼓膜は「私はX子と云ふのよ。今度御独りでいらしつた時、呼んで頂戴」と云ふ宛転たる嬌声を捕へる事が出来た。さうしてそれを耳にすると共に、彼は恰も天使の楽声を聞いた聖徒のやうに昏々として意識を失つてしまつたのである。  Hは翌日の午前十時頃になつて、やつと正気に返る事が出来た。彼はその御茶屋の一室で厚い絹布の夜具に包まれて、横になつてゐる彼自身を見出した時、すべてが恰も一世紀以前の出来事の如く感ぜられた。が、その中でも自分に接吻した芸者の姿ばかりは歴々として眼底に浮んで来た。今夜にもここへ来て、あの芸者に口をかけたら、きつと何を措いても飛んで来るのに違ひない。彼はさう思つて、勢ひよく床の中から躍り出た。が、酒に洗はれた彼の頭脳には、どうしてもその芸者の名が浮んで来ない。名前もわからない芸者に口がかけられないのは、まだ日本の土を踏んで間もない彼と雖も明白である。彼は床の上に坐つた儘、着換をする元気も失つて、悵然と徒らに長い手足を見廻した。―― 「だから、その晩の下足札を一枚貰つて来たんだ。これだつてあの芸者の記念品にや違ひない。」  Hはかう云つて、吸物椀を下に置くと、松の内にも似合はしくない、寂しさうな顔をしながら、仔細らしく鼻眼鏡をかけ直した。      漱石山房の秋  夜寒の細い往来を爪先上りに上つて行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門には電燈がともつてゐるが、柱に掲げた標札の如きは、殆ど有無さへも判然しない。門をくぐると砂利が敷いてあつて、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々として乱れてゐる。  砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると、これも亦古ぼけた格子戸の外は、壁と云はず壁板と云はず、悉く蔦に蔽はれてゐる。だから案内を請はうと思つたら、まづその蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴の鈕を探さねばならぬ。それでもやつと呼鈴を押すと、明りのさしてゐる障子が開いて、束髪に結つた女中が一人、すぐに格子戸の掛け金を外してくれる。玄関の東側には廊下があり、その廊下の欄干の外には、冬を知らない木賊の色が一面に庭を埋めてゐるが、客間の硝子戸を洩れる電燈の光も、今は其処までは照らしてゐない。いや、その光がさしてゐるだけに、向うの軒先に吊した風鐸の影も、反つて濃くなつた宵闇の中に隠されてゐる位である。  硝子戸から客間を覗いて見ると、雨漏りの痕と鼠の食つた穴とが、白い紙張りの天井に斑々とまだ残つてゐる。が、十畳の座敷には、赤い五羽鶴の毯が敷いてあるから、畳の古びだけは分明でない。この客間の西側(玄関寄り)には、更紗の唐紙が二枚あつて、その一枚の上に古色を帯びた壁懸けが一つ下つてゐる。麻の地に黄色に百合のやうな花を繍つたのは、津田青楓氏か何かの図案らしい。この唐紙の左右の壁際には、余り上等でない硝子戸の本箱があつて、その何段かの棚の上にはぎつしり洋書が詰まつてゐる。それから廊下に接した南側には、殺風景な鉄格子の西洋窓の前に大きな紫檀の机を据ゑて、その上に硯や筆立てが、紙絹の類や法帖と一しよに、存外行儀よく並べてある。その窓を剰した南側の壁と向うの北側の壁とには、殆ど軸の挂かつてゐなかつた事がない。蔵沢の墨竹が黄興の「文章千古事」と挨拶をしてゐる事もある。木庵の「花開万国春」が呉昌蹟の木蓮と鉢合せをしてゐる事もある。が、客間を飾つてゐる書画は独りこれらの軸ばかりではない。西側の壁には安井曾太郎氏の油絵の風景画が、東側の壁には斎藤与里氏の油絵の艸花が、さうして又北側の壁には明月禅師の無絃琴と云ふ艸書の横物が、いづれも額になつて挂かつてゐる。その額の下や軸の前に、或は銅瓶に梅もどきが、或は青磁に菊の花がその時々で投げこんであるのは、無論奥さんの風流に相違あるまい。  もし先客がなかつたなら、この客間を覗いた眼を更に次の間へ転じなければならぬ。次の間と云つても客間の東側には、唐紙も何もないのだから、実は一つ座敷も同じ事である。唯此処は板敷で、中央に拡げた方一間あまりの古絨毯の外には、一枚の畳も敷いてはない。さうして東と北と二方の壁には、新古和漢洋の書物を詰めた、無暗に大きな書棚が並んでゐる。書物はそれでも詰まり切らないのか、ぢかに下の床の上へ積んである数も少くない。その上やはり南側の窓際に置いた机の上にも、軸だの法帖だの画集だのが雑然と堆く盛り上つてゐる。だから中央に敷いた古絨毯も、四方に並べてある書物のおかげで、派手なるべき赤い色が僅ばかりしか見えてゐない。しかもそのまん中には小さい紫檀の机があつて、その又机の向うには座蒲団が二枚重ねてある。銅印が一つ、石印が二つ三つ、ペン皿に代へた竹の茶箕、その中の万年筆、それから玉の文鎮を置いた一綴りの原稿用紙――机の上にはこの外に老眼鏡が載せてある事も珍しくない。その真上には電燈が煌々と光を放つてゐる。傍には瀬戸火鉢の鉄瓶が虫の啼くやうに沸つてゐる。もし夜寒が甚しければ、少し離れた瓦斯煖炉にも赤々と火が動いてゐる。さうしてその机の後、二枚重ねた座蒲団の上には、何処か獅子を想はせる、背の低い半白の老人が、或は手紙の筆を走らせたり、或は唐本の詩集を飜したりしながら、端然と独り坐つてゐる。……  漱石山房の秋の夜は、かう云ふ蕭條たるものであつた。
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 変化の激しい都会  僕に東京の印象を話せといふのは無理である。何故といへば、或る印象を得るためには、印象するものと、印象されるものとの間に、或る新鮮さがなければならない。ところが、僕は東京に生れ、東京に育ち、東京に住んでゐる。だから、東京に対する神経は麻痺し切つてゐるといつてもいゝ。従つて、東京の印象といふやうなことは、殆んど話すことがないのである。  しかし、こゝに幸せなことは、東京は変化の激しい都会である。例へばつい半年ほど前には、石の擬宝珠のあつた京橋も、このごろでは、西洋風の橋に変つてゐる。そのために、東京の印象といふやうなものが、多少は話せないわけでもない。殊に、僕の如き出不精なものは、それだけ変化にも驚き易いから、幾分か話すたねも殖えるわけである。  住み心地のよくないところ  大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいゝところではない。例へば、大川にしても、僕が子供の時分には、まだ百本杭もあつたし、中洲界隈は一面の蘆原だつたが、もう今では如何にも都会の川らしい、ごみ〳〵したものに変つてしまつた。殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいものゝみである。その外、電車、カフエー、並木、自働車、何れもあまり感心するものはない。  しかし、さういふ不愉快な町中でも、一寸した硝子窓の光とか、建物の軒蛇腹の影とかに、美しい感じを見出すことが、まあ、僕などはこんなところにも都会らしい美しさを感じなければ外に安住するところはない。  広重の情趣  尤も、今の東京にも、昔の錦絵にあるやうな景色は全然なくなつてしまつたわけではない。僕は或る夏の暮れ方、本所の一の橋のそばの共同便所へ入つた。その便所を出て見ると、雨がぽつ〳〵降り出してゐた。その時、一の橋とたてがはの川の色とは、そつくり広重だつたといつてもいゝ。しかし、さういふ景色に打突かることは、まあ、非常に稀だらうと思ふ。  郊外の感じ  序でに郊外のことを言へば、概して、郊外は嫌ひである。嫌ひな理由の第一は、妙に宿場じみ、新開地じみた町の感じや、所謂武蔵野が見えたりして、安直なセンチメンタリズムが厭なのである。さういふものゝ僕の住んでゐる田端もやはり東京の郊外である。だから、あんまり愉快ではない。
底本:「心にふるさとがある17 わが町わが村(東日本)」作品社    1998(平成10)年4月25日第1刷発行 ※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。 入力:浦山敦子 校正:門田裕志、小林繁雄 2006年1月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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問 現代の作家に就いて、比較上の問題ですが、東洋種と西洋種とに区別したら如何なものでせうか。 答 それは東洋種と西洋種とに分けられるかも知れない。けれども多少の西洋種を交へて居ないものは殆んどないと云つてもいいだらう。たとへば久保田万太郎君なぞは、純日本種の作家のやうに思はれて居るが、久保田君の小説には、プロロオグと横文字に題を書いたのがある。勿論作品そのものの中にも、多分に三田文学流の西洋種を交へて居る。先づ比較的西洋種を交へない作家と云へば、徳田秋声氏位のものだらうと思ふ。 問 葛西善蔵氏はどうですか。 答 葛西善蔵氏も、西洋種の交りは少いと思ふ。 問 それでは、東洋種の作家の作品の要素をお伺ひしたいのです。 答 それは難問だね。ここに云ふ東洋種と云ふ意味は、西洋種の交つて居ないと云ふ事だ。即ち消極的に云つたものに過ぎない。それを積極的にどう云ふ特色のあるものが、東洋種になるかと云ふ事になると、三考も四考もしなければならない。それはお互ひに面倒だし、まあ見合せる事にしよう。ただ徳田秋声氏や葛西善蔵氏の作品には、官能的にも思想的にも、西洋人にかぶれたと云ふ痕跡が少い。それ丈けは安全に云ひ得られるかと思ふ。      × 問 風流に就いて御意見を。 答 風流と云ふ事をどう解釈するかは、文人墨客の風流は、先づ日永の遊戯である。南画南画と云ふけれど、二三の天才をのぞいた外は、大部分下らないものと云つて差支へない。僕はああ云ふ風流を弄びたくない。僕の尊敬する東洋趣味は、(前の東洋種と混合してはいけない)人麻呂の歌を生み、玉畹の蘭を生み、芭蕉の句を生んだ精神である。煎茶の宗匠や、漢詩人などの東洋趣味と、一緒にされて堪るものではない。 問 佐藤春夫氏は風流を感覚だと云ひ、久米正雄氏はそれを意志だと云つて居ますが、それに就いてのお考は如何でせうか。 答 それは感覚と云ふ言葉の意味や、意志と云ふ言葉の意味を、はつきり制限して貰はないと、僕にはどちらにも左袒出来ない。あらゆる芸術は感覚的である。同時に又あらゆる芸術は、意志的である。だから、風流は意志だと云ふ説も、ある意味では成立つと同時に、風流は感覚だと云ふ説も、矢張りある意味ではなりたつだらう。僕はまだ両氏の議論を読んで居ない。両氏はどの位感覚と意志とを別のものにして、論ずる事が出来たかそれを見る時を楽しみにして居る。 問 行為を主としたものと、心境を主としたものとの差別が文芸上には、ありませんでせうか。 答 主として事件を書いたものと、主として心境を書いたものの差別は、あると思ふ。 問 それで、事件を主としたものが西洋的に、心境を主としたものが東洋的と云へるでせうか。 答 水滸伝でも、槍の権三でも、皆事件を主にして居る。しかし矢張り東洋的である。ゲエテの「さ迷へる人の歌」のやうなものは、心境を主として居る。しかし矢張り西洋的である。心境と事件とか云ふやうなものでは、東洋と西洋の区別を、大ざつぱにさへ出来ないと思ふ。要するにその作者次第だと思ふ。      × 問 将来の日本の文芸はどうなるでせうか。西洋的になるでせうか。又東洋的になるでせうか。 答 それはどつちになるかわからない。しかしこれだけは確実である。若し将来、西洋人が日本の文芸を珍重するとすれば、東洋的の文芸を珍重するだらう。例へば、形容の言葉にしても、「孔雀のやうに傲慢な女」と云ふのは日本人には新しい感じを与へても、西洋人には新しい感じを与へない。逆に「瓜実顔の女」と云ふのは、日本人には珍しくないが、西洋人には珍しいだらう。一つの形容の言葉に就いて云はれる事は、作品全体に就いても云はれる事である。 (大正十五年五月) 〔談話〕
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003788", "作品名": "東西問答", "作品名読み": "とうざいもんどう", "ソート用読み": "とうさいもんとう", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-08-09T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3788.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3788_ruby_27274.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3788_27362.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 天王寺の別当、道命阿闍梨は、ひとりそっと床をぬけ出すと、経机の前へにじりよって、その上に乗っている法華経八の巻を灯の下に繰りひろげた。  切り燈台の火は、花のような丁字をむすびながら、明く螺鈿の経机を照らしている。耳にはいるのは几帳の向うに横になっている和泉式部の寝息であろう。春の夜の曹司はただしんかんと更け渡って、そのほかには鼠の啼く声さえも聞えない。  阿闍梨は、白地の錦の縁をとった円座の上に座をしめながら、式部の眼のさめるのを憚るように、中音で静かに法華経を誦しはじめた。  これが、この男の日頃からの習慣である。身は、傅の大納言藤原道綱の子と生れて、天台座主慈恵大僧正の弟子となったが、三業も修せず、五戒も持した事はない。いや寧ろ「天が下のいろごのみ」と云う、Dandy の階級に属するような、生活さえもつづけている。が、不思議にも、そう云う生活のあい間には、必ずひとり法華経を読誦する。しかも阿闍梨自身は、少しもそれを矛盾だと思っていないらしい。  現に今日、和泉式部を訪れたのも、験者として来たのでは、勿論ない。ただこの好女の数の多い情人の一人として春宵のつれづれを慰めるために忍んで来た。――それが、まだ一番鶏も鳴かないのに、こっそり床をぬけ出して、酒臭い唇に、一切衆生皆成仏道の妙経を読誦しようとするのである。……  阿闍梨は褊袗の襟を正して、専念に経を読んだ。  それが、どのくらいつづいたかわからない。が、暫くすると、切り燈台の火が、いつの間にか、少しずつ暗くなり出したのに気がついた。焔の先が青くなって、光がだんだん薄れて来る。と思うと、丁字のまわりが煤のたまったように黒み出して、追々に火の形が糸ほどに細ってしまう。阿闍梨は、気にして二三度燈心をかき立てた。けれども、暗くなる事は、依然として変りがない。  そればかりか、ふと気がつくと、灯の暗くなるのに従って、切り燈台の向うの空気が一所だけ濃くなって、それが次第に、影のような人の形になって来る。阿闍梨は、思わず読経の声を断った。―― 「誰じゃ。」  すると、声に応じて、その影からぼやけた返事が伝って来た。 「おゆるされ。これは、五条西の洞院のほとりに住む翁でござる。」  阿闍梨は、身を稍後へすべらせながら眸を凝らして、じっとその翁を見た。翁は経机の向うに白の水干の袖を掻き合せて、仔細らしく坐っている。朦朧とはしながらも、烏帽子の紐を長くむすび下げた物ごしは満更狐狸の変化とも思われない。殊に黄色い紙を張った扇を持っているのが、灯の暗いにも関らず気高くはっきりと眺められた。 「翁とは何の翁じゃ。」 「おう、翁とばかりでは御合点まいるまい。ありようは、五条の道祖神でござる。」 「その道祖神が、何としてこれへ見えた。」 「御経を承わり申した嬉しさに、せめて一語なりとも御礼申そうとて、罷り出たのでござる。」  阿闍梨は不審らしく眉をよせた。 「道命が法華経を読み奉るのは、常の事じゃ。今宵に限った事ではない。」 「されば。」  道祖神は、ちょいと語を切って、種々たる黄髪の頭を、懶げに傾けながら不相変呟くような、かすかな声で、 「清くて読み奉らるる時には、上は梵天帝釈より下は恒河沙の諸仏菩薩まで、悉く聴聞せらるるものでござる。よって翁は下賤の悲しさに、御身近うまいる事もかない申さぬ。今宵は――」と云いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、御行水も遊ばされず、且つ女人の肌に触れられての御誦経でござれば、諸々の仏神も不浄を忌んで、このあたりへは現ぜられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得たのでござる。」 「何とな。」  道命阿闍梨は、不機嫌らしく声をとがらせた。道祖神は、それにも気のつかない容子で、 「されば、恵心の御房も、念仏読経四威儀を破る事なかれと仰せられた。翁の果報は、やがて御房の堕獄の悪趣と思召され、向後は……」 「黙れ。」  阿闍梨は、手頸にかけた水晶の念珠をまさぐりながら、鋭く翁の顔を一眄した。 「不肖ながら道命は、あらゆる経文論釈に眼を曝した。凡百の戒行徳目も修せなんだものはない。その方づれの申す事に気がつかぬうつけと思うか。」――が、道祖神は答えない。切り燈台のかげに蹲ったまま、じっと頭を垂れて、阿闍梨の語を、聞きすましているようである。 「よう聞けよ。生死即涅槃と云い、煩悩即菩提と云うは、悉く己が身の仏性を観ずると云う意じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来、煩悩業苦の三道は、法身般若外脱の三徳、娑婆世界は常寂光土にひとしい。道命は無戒の比丘じゃが、既に三観三諦即一心の醍醐味を味得した。よって、和泉式部も、道命が眼には麻耶夫人じゃ。男女の交会も万善の功徳じゃ。われらが寝所には、久遠本地の諸法、無作法身の諸仏等、悉く影顕し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土じゃ。その方づれ如き、小乗臭糞の持戒者が、妄に足を容るべきの仏国でない。」  こう云って阿闍梨は容をあらためると、水晶の念珠を振って、苦々しげに叱りつけた。 「業畜、急々に退き居ろう。」  すると、翁は、黄いろい紙の扇を開いて、顔をさしかくすように思われたが、見る見る、影が薄くなって、蛍ほどになった切り燈台の火と共に、消えるともなく、ふっと消える――と、遠くでかすかながら、勇ましい一番鶏の声がした。 「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく」時が来たのである。 (大正五年十二月十三日)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年9月24日第1刷発行    1995(平成7)年10月5日第13刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:earthian 1998年11月11日公開 2004年3月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     象  象よ。キツプリングは昔お前の先祖が、鰐に鼻を啣へられたものだから、未だにお前まで長い鼻をぶら下げて歩いてゐると云つた。が、おれにはどうしても、あいつの云ふ事が信用出来ない。お前の先祖は仏陀御在世の時分、きつとガンヂス河の燈心草の中で、昼寝か何かしてゐたのだ。すると河の泥に隠れてゐた、途方もなく大きな蛭が、その頃はまだ短かつた、お前の先祖の鼻の先へ、吸ひついてしまつたのに違ひない。さもなければお前の鼻が、これ程大きな蛭のやうに、伸びたり縮んだりはしないだらう。象よ。お前は印度の名門の生れだ。どうかおれの云つた通り、あのキツプリングの説などは口から出放題の大法螺だと、先祖の寃を雪ぐ為に、一度でも好いからその鼻をあげて、喇叭のやうな声を轟かせてくれ。      鸛の鳥  あの頸をさ、襟飾のやうに結んでしまつたら、一体あいつはどうしてほどく気なんだらう。      駱駝  お爺さん。もう万年青の御手入はおすみですか。ではまあ一服おやりなさい。おや、あの菖蒲革の莨入は、どこへ忘れて御出でなすつた?      虎  虎よ。お前はコスモポリタンだ。豊干禅師を乗せたお前。和唐内に搏たれたお前。それからウイルヤム・ブレエクの有名な詩に歌はれたお前。虎よ。お前は最大のコスモポリタンだ。      家鴨  子供が黒板へ白墨で悪戯に書いた算用数字。2、2、2、2、2、2。      白孔雀  これは年とつた貴婦人だ。お眼が少し赤く爛れていらつしやる。鼈甲の柄のついた眼鏡を持つて、一々見物人を御覧になれば好い。      大蝙蝠  お前の翼は仁木弾正の鬢だ。面明りの蝋燭位は、一煽りにも消し兼ねない。さうしたら、鼻の尖つた、眼張りの強い、脣をへの字に曲げてゐる顔が、うす暗い雲母摺を後にして、愈気味悪く浮き上るだらう。落款は東洲斎写楽……      カンガルウ  腹の袋の中には子供が一匹はひつてゐる。あれを出してしまつても、まだ英吉利の国旗か何かが、手品のやうに出て来はしないか。      鸚哥  お前は古い唐画の桃の枝に、ぢつと止つてゐるが好い。うつかり羽搏きでもしようものなら、体の絵の具が剥げてしまふから。      猿  猿よ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも亦笑つてゐるのか。お前の顔は悲劇の面のやうで、同時に又喜劇の面のやうだ。おれの記憶は縁日の猿芝居へおれを連れて行く。桜の釣板、張子の鐘、それからアセチレン瓦斯の神経質な光。お前は金紙の烏帽子をかぶつて、緋鹿子の振袖をひきずりながら、恐るべく皮肉な白拍子花子の役を勤めてゐる。おれの胸に始めて疑団が萠したのは、正にその白拍子たるお前の顔へ、偶然の一瞥を投げた時だ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも亦笑つてゐるのか。猿よ。人間よりもより人間的な猿よ。おれはお前程巧妙なトラジツク・コメデイアンを見た事はない。――おれが心の中でかう呟くと、猿は突然身を躍らせて、おれの前の金網にぶら下りながら、癇高い声で問ひ返した。「ではお前は? え、お前のそのしかめ面は?」      山椒魚  おれがね、お前は一体何物だと、頭に向つて尋ねたら、私は山椒魚ですよと、尻尾がおれに返事をしたぜ。      鶴  県下第一の旅館の玄関、芍薬と松とを生けた花瓶、伊藤博文の大字の額、それからお前たちつがひの剥製……      狐  ふて寝だな。この襟巻め。      鴛鴦  胡粉の雪の積つた柳、銀泥の黒く焼けた水、その上に浮んでゐる極彩色のお前たち夫婦、――お前たちの画工は伊藤若冲だ。      鹿  この見事な刀掛には、葵の御紋散らしの大小でも恭しく掛けて置くが好い。      波斯猫  日の光、茉莉花の匀、黄色い絹のキモノ、Fleurs du Mal, それからお前の手ざはり。……      鸚鵡  鹿鳴館には今日も舞踏がある。提灯の光、白菊の花、お前はロテイと一しよに踊つた、美しい「みやうごにち」令嬢だ。      日本犬  造り物の柳に灯入りの月が出る。お前は唯遠くで啼いてゐれば好い。      南京鼠  上着は白天鵞絨、眼は柘榴石、それから手袋は桃色繻子。――お前たちは皆可愛らしい、支那美人にそつくりだ。後宮の佳麗三千人と云ふと、おれは何時もお前たちが、重なり合つた楼閣の中に、巣を食つた所を想像する。そら、西施が芋の皮を噛じつてゐると、楊貴妃は一生懸命に車をまはしてゐるぢやないか。      猩々  あの猩々の鼻の上には、金縁の Pince-nez がかかつてゐる。あれが君に見えるかい? もし見えなければ、今日限り、詩を作る事はやめにし給へ。      鷺  祥瑞の江村は暮れかかつた。藍色の柳、藍色の橋、藍色の茅屋、藍色の水、藍色の漁人、藍色の芦荻。――すべてが稍黒ずんだ藍色の底に沈んだ時、忽ち白々と舞ひ上るお前たち三羽の翼の色。――皿の外までも飛び出さなければ好いが。      河馬  挙す。梁の武帝、達磨大師に問ふ。如何か是仏法。磨云ふ。水中の河馬。      ぺングイン  お前は落魄した給仕人だ。悲しさうなお前の眼の中には、以前勤めてゐたホテルの大食堂が、今も Aurora australis のやうに、輝かしい過去の幻を浮き上らせる事がありはしないか?      馬  凩の吹く町の角には、青銅のお前に跨つた、やはり青銅の宮殿下が、寒むさうな往来の老若男女を、揚々と見下して御出でになる。さうしてその宮殿下の、軍服を召した御胸には、恐れながら白い鴉の糞が、……      梟  Brocken 山へ! 箒に跨つた婆さんが、赤い月のかかつた空へ、煙突から一文字に舞ひ上る。と、その後から一羽の梟が――いや、これは婆さんの飼ひ猫が何時の間にか翼を生やしたのかも知れない。      金魚  うす日の光がさして来ると、藻に立つた秋も目立つやうになつた。おれは、――所々鱗の剥げた金魚は、やがてはこの冷たい水の上に、屍を曝す事になるのかも知れない。しかしさう云ふ最後の日までは、やはり先の切れた尾を振りながら、あの洒落者のブラムメルのやうに、悠々と泳いでゐようと思ふ。      兎  今昔物語巻五、三獣行菩薩道兎焼身語と云ふ Jātaka の中に、こんなお前の肖像画がある。――「兎は励みの心を発して、……耳は高く𤹪せにして、目は大きく前の足短く、尻の穴は大きく開いて、東西南北求め歩けども、更に求め得たるものなし……」      雀  これは南画だ。蕭々と靡いた竹の上に、消えさうなお前が揚つてゐる。黒ずんだ印の字を読んだら、大明方外之人としてあつた。      麝香獣  梅紅羅の軟簾の中に、今夜も独り眠つてゐる、淫婦潘金蓮の妖しい夢。      獺  毎晩廊下へ出して置く、台の物の残りがなくなるんですよ。獺が引いて行くんですつて。昨夜も舟で帰る御客が、提灯の火を消されました。      黒豹  お前は歯の美しい Black Mary だ。南京玉の首飾りや毛糸の肩掛を持つて行つてやつたら、さぞ喉をならして喜ぶだらう。      蒼鷺  何でも雨上りの葉柳の匀が、川面を蒸してゐる時だつた。お前はその柳の梢に、たつた一羽止まつてゐたが、「夕焼け、小焼け、あした天気になあれ。」――そんな唄を謡つて通つた、子供の時のおれを覚えてゐるかい?      栗鼠  亜欧堂田善の銅版画の森が、時代のついた薄明りの中に、太い枝と枝とを交はしてゐる。その枝の上に蹲つた、可笑しい程悲しいお前の眼つき……      鴉 「今晩は。」「今晩は。この竹藪は風が吹くと、騒々しいのに閉口します。」「ええ、その上月のある晩は、余計何だか落着きませんよ。――時に隠亡堀は如何でした?」「隠亡堀ですか? あすこには今日も不相変、戸板に打ちつけた死骸がありました。」「ああ、あの女の死骸ですか。おや、あなたの嘴には、髪の毛が何本も下つてゐますよ。」      ジラフ  これは玩具だ。黄色い絵の具と黒い絵の具とが、まだ乾かずにべたべたしてゐる。尤も人間の子供の玩具には、ちつと大きすぎるかも知れない。さしづめあの小ましやくれた、幼児基督の玩具には持つて来いだ。      金糸雀  理髪店の店さきには、朝日の光がさわやかに、万年青の鉢を洗つてゐる。鋏の音、水の音、新聞紙を拡げる音、――その音の中に交じるのは、籠一ぱいに飛びまはる、お前たちの囀り声、――誰だい、今親方に挨拶した新造は?      羊  或日おれは檻の羊に、いろいろな本を食はせてやつた。聖書、Une Vie, 唐詩選、――何でも羊は食つてしまふ。が、その中にたつた一つ、いくら鼻の先へ出してやつても、食はない本があると思つたら、それはおれの小説集だつた。覚えてゐろよ。綿細工め。 (大正九年九月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "003810", "作品名": "動物園", "作品名読み": "どうぶつえん", "ソート用読み": "とうふつえん", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2007-07-25T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-21T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3810.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻", "底本出版社名1": "筑摩書房", "底本初版発行年1": "1971(昭和46)年6月5日", "入力に使用した版1": "1979(昭和54)年4月10日初版第11刷", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "土屋隆", "校正者": "松永正敏", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3810_ruby_27233.zip", "テキストファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3810_27321.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-06-27T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 おれは日比谷公園を歩いてゐた。  空には薄雲が重なり合つて、地平に近い樹々の上だけ、僅にほの青い色を残してゐる。そのせゐか秋の木の間の路は、まだ夕暮が来ない内に、砂も、石も、枯草も、しつとりと濡れてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはせた篠懸にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚毎にかすかな陰影を交へながら、懶げに漂つてゐるのである。  おれは籐の杖を小脇にして、火の消えた葉巻を啣へながら、別に何処へ行かうと云ふ当もなく、寂しい散歩を続けてゐた。  そのうそ寒い路の上には、おれ以外に誰も歩いてゐない。路をさし挾んだ篠懸も、ひつそりと黄色い葉を垂らしてゐる。仄かに霧の懸つてゐる行く手の樹々の間からは、唯、噴水のしぶく音が、百年の昔も変らないやうに、小止みないさざめきを送つて来る。その上今日はどう云ふ訳か、公園の外の町の音も、まるで風の落ちた海の如く、蕭条とした木立の向うに静まり返つてしまつたらしい。――と思ふと鋭い鶴の声が、しめやかな噴水の響を圧して、遠い林の奥の池から、一二度高く空へ挙つた。  おれは散歩を続けながらも、云ひやうのない疲労と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかつてゐるのを感じてゐた。寸刻も休みない売文生活! おれはこの儘たつた一人、悩ましいおれの創作力の空に、空しく黄昏の近づくのを待つてゐなければならないのであらうか。  さう云ふ内にこの公園にも、次第に黄昏が近づいて来た。おれの行く路の右左には、苔の匀や落葉の匀が、混つた土の匀と一しよに、しつとりと冷たく動いてゐる。その中にうす甘い匀のするのは、人知れず木の間に腐つて行く花や果物の香りかも知れない。と思へば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇の花が一つ、土にもまみれずに匀つてゐた。もしこの秋の匀の中に、困憊を重ねたおれ自身を名残りなく浸す事が出来たら――  おれは思はず足を止めた。  おれの行く手には二人の男が、静に竹箒を動かしながら、路上に明く散り乱れた篠懸の落葉を掃いてゐる。その鳥の巣のやうな髪と云ひ、殆ど肌も蔽はない薄墨色の破れ衣と云ひ、或は又獣にも紛ひさうな手足の爪の長さと云ひ、云ふまでもなく二人とも、この公園の掃除をする人夫の類とは思はれない。のみならず更に不思議な事には、おれが立つて見てゐる間に、何処からか飛んで来た鴉が二三羽、さつと大きな輪を描くと、黙然と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、先を争つて舞ひ下つた。が、二人は依然として、砂上に秋を撒き散らした篠懸の落葉を掃いてゐる。  おれは徐に踵を返して、火の消えた葉巻を啣へながら、寂しい篠懸の間の路を元来た方へ歩き出した。  が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な悦びがしつとりと薄明く溢れてゐた。あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。寒山拾得は生きてゐる。永劫の流転を閲しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる。あの二人が生きてゐる限り、懐しい古東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。  おれは籐の杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出た。「寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟きながら。 (大正九年三月)
底本:「芥川龍之介作品集第二巻」昭和出版社    1965(昭和40)年12月20日発行 ※平仮名の繰り返し記号に「ヾ」を用いる扱いは、底本通りとしました。 ※底本の「ほの青い色を残してゐ。」「灰」《ほの》かに」「殆《ほとんど》ど」はそれぞれ、「ほの青い色を残してゐる。」「仄《ほの》かに」「殆《ほとん》ど」にあらためました。 ※疑問点の確認にあたっては、「芥川龍之介全集 第六巻」岩波書店、1996(平成8)年4月8日発行を参照しました。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月27日公開 2003年10月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "002369", "作品名": "東洋の秋", "作品名読み": "とうようのあき", "ソート用読み": "とうようのあき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「改造」1920(大正9)年4月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-01-27T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card2369.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介作品集 第四巻", "底本出版社名1": "昭和出版社", "底本初版発行年1": "1965(昭和40)年12月20日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2369_ruby_1406.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2369_13457.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
     一  風に靡いたマツチの炎ほど無気味にも美しい青いろはない。      二  如何に都会を愛するか?――過去の多い女を愛するやうに。      三  雪の降つた公園の枯芝は何よりも砂糖漬にそつくりである。      四  僕に中世紀を思ひ出させるのは厳めしい赤煉瓦の監獄である。若し看守さへゐなければ、馬に乗つたジアン・ダアクの飛び出すのに遇つても驚かないかも知れない。      五  或女給の言葉。――いやだわ。今夜はナイホクなんですもの。  註。ナイホクはナイフだのフオオクだのを洗ふ番に当ることである。      六  並み木に多いのは篠懸である。橡も三角楓も極めて少ない。しかし勿論派出所の巡査はこの木の古典的趣味を知らずにゐる。      七  令嬢に近い芸者が一人、僕の五六歩前に立ち止まると、いきなり挙手の礼をした。僕はちよつと狼狽した。が、後ろを振り返つたら、同じ年頃の芸者が一人、やはりちやんと挙手の礼をしてゐた。      八  最も僕を憂鬱にするもの。――カアキイ色に塗つた煙突。電車の通らない線路の錆び。屋上庭園に飼はれてゐる猿。……      九  僕は午前一時頃或町裏を通りかかつた。すると泥だらけの土工が二人、瓦斯か何かの工事をしてゐた。狭い路は泥の山だつた。のみならずその又泥の山の上にはカンテラの火が一つ靡いてゐた。僕はこのカンテラの為にそこを通ることも困難だつた。すると若い土工が一人、穴の中から半身を露したまま、カンテラを側へのけてくれた。僕は小声に「ありがたう」と言つた。が、何か僕自身を憐みたい気もちもない訣ではなかつた。      十     夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を越えることは出来ない。――「羊羹のやうに流れてゐる。」      十一 「××さん、遊びませう」と云う子供の声、――あれは音の高低を示せば、×× San Asobi-ma show である。あの音はいつまで残つてゐるかしら。      十二  火事はどこか祭礼に似てゐる。      十三  東京の冬は何よりも漬け菜の茎の色に現れてゐる。殊に場末の町々では。      十四  何かものを考へるのに善いのはカツフエの一番隅の卓子、それから孤独を感じるのに善いのは人通りの多い往来のまん中、最後に静かさを味ふのに善いのは開幕中の劇場の廊下、…… (昭和二年二月)
底本:「芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1971(昭和46)年10月5日初版第5刷発行 入力校正:j.utiyama 1999年2月15日公開 2003年10月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 婦人に何ういふ書物を讀ませたらいゝかといふ事を話す前に、一體、婦人のみに讀ませるといふやうな書物があるかどうか、それを考へて見なければならない。  すると、先づ裁縫の本とか、料理の本とか、或は又育兒に關する本とかいふものがある。成る程これは、大抵の場合、婦人のみに用のある書物である。併し、婦人に何ういふ本を讀ませたらいゝかといふのは、料理とか裁縫とか育兒といふものよりも、もつと婦人の精神的要求を充たすべき書物を尋ねるのであらう。だから、この種の書物以外に、婦人向きの書物を考へて見る必要がある。  第二には、偉い婦人の傳記である。從來、婦人の讀物といへば、ジヤン・ダーク傳とか、ナイチンゲール傳とか、さういふものを推薦する人も少くない。併し、さういふ偉い婦人の傳記は、料理や裁縫と同じやうに、果たして婦人のみに役立つものであらうか、言ひ換へれば、その傳記の主人公が婦人だといふ事が、それ程讀者たる婦人の上に、重大な影響を持つであらうか。成る程婦人といふ限りでは、ジヤン・ダークも、ナイチンゲールも、良婦之友の愛讀者も、共通なのには違ひない。併し、性の上の共通といふ事が、果たして、思想や感情の共通といふ事よりも、重大な影響があるかどうか疑問である。僕は、ジヤン・ダークが如何に生きたかを知るよりも、少くとも現代の婦人にとつては、如何にトルストイが生きたかを知る方が、興味があるだらうと思ふ。  偉い婦人の傳記以外に、屡々婦人の讀物として推奬されるのは、婦人の書いた書物である。これも、偉い婦人の傳記の通り、著者も讀者も婦人だといふ事は、必ずしも、他の書物よりも推奬すべき理由にはなりさうもない。  つまり、料理とか裁縫とか、育兒とかといふ書物以外に――婦人が實生活の中に勤める役割に關した書物以外に、婦人にのみ用のある書物があるかどうかといふ事は疑問である。婦人も、婦人たるより先きに、人間なのだから、書物の選擇などに拘泥せず、何んな書物でも、よく讀んでみるがよい。又、實際、現代では、どんな書物でも、讀みつゝあるのだらうと思ふ。  どんな書物でもといふ事は、甚だボンヤリしてゐるやうであるが、實際、一體書物なり、書物の選擇といふものは、各人の自由に任せる外はない。どういふ本がいゝといつても、讀者が其處まで進んで居なければ、どんな傑作を讀んでも、役には立たない。  その證據には、婦人雜誌に出て居る女學校の校長の説などを讀むと、色々の本の名前を擧げてゐても、ことごとく尤もらしい出鱈目である。あゝいふ先生に教育されるのだと思ふと、いよいよ我々は、婦人のために、讀書の必要を思はざるを得ない。  併し、今も言つた通り、どういふ書物と云つたところが、誰でも夫れを讀みさへすれば、必ず爲めになるといふ書物は、出版書肆の廣告以外に存在する筈はないのだから、甚だ頼りのないものである。  既に萬人向きの書物がないとすれば、問題は、讀者自身の工夫に移らなければならぬ。僕は、如何なる本を讀むかといふ事よりも、寧ろ大事なのは、如何に本を讀むかといふ事では無いかと思ふ。  では、如何に讀んだらいゝかと言へば、これも、多少人に依つて違ふかも知れないが、兎に角、何者にも累らはされずに、正直な態度で讀むがいゝ。何者にもと云ふ意味は世評とか、先輩の説とか、女學校の校長の意見とか、さういふ他人の批判を云ふのである。  讀者自身、面白いと思へば面白い。詰まらないと思へば詰まらない。――さういふ態度を、無遠慮に、押し進めて行くのである。さうすると、その讀者の能力次第に、必ず進歩があると思ふ。  これは、獨り讀書の上ばかりではない。何んでも、自己に腰を据ゑて掛らなければ、男でも女でも、一生、精神上の奴隷となつて死んで行く他は無いのだ。
底本:「芥川龍之介全集 第五卷」岩波書店    1977(昭和52)年12月22日発行 底本の親本:「良婦之友 第一卷第九號」良婦之友社    1922(大正11)年9月1日発行 初出:「良婦之友 第一卷第九號」良婦之友社    1922(大正11)年9月1日発行 ※表題は底本では、「讀書《どくしよ》の態度《たいど》」となっています。 入力:友理 校正:きりんの手紙 2022年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "060859", "作品名": "読書の態度", "作品名読み": "どくしょのたいど", "ソート用読み": "とくしよのたいと", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「良婦之友 第一卷第九號」良婦之友社、1922(大正11)年9月1日", "分類番号": "", "文字遣い種別": "旧字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2022-07-24T00:00:00", "最終更新日": "2022-06-26T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card60859.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集 第五卷", "底本出版社名1": "岩波書店", "底本初版発行年1": "1977(昭和52)年12月22日", "入力に使用した版1": "1977(昭和52)年12月22日", "校正に使用した版1": "1977(昭和52)年12月22日", "底本の親本名1": "良婦之友 第一卷第九號", "底本の親本出版社名1": "良婦之友社", "底本の親本初版発行年1": "1922(大正11)年9月1日", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "友理", "校正者": "きりんの手紙", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/60859_ruby_75877.zip", "テキストファイル最終更新日": "2022-06-26T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/60859_75912.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2022-06-26T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
       一  或春の日暮です。  唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。  若者は名は杜子春といつて、元は金持の息子でしたが、今は財産を費ひ尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になつてゐるのです。  何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中に、老人のかぶつた紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾つた色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子は、まるで画のやうな美しさです。  しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めてゐました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思ふ程、かすかに白く浮んでゐるのです。 「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行つても、泊めてくれる所はなささうだし――こんな思ひをして生きてゐる位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまつた方がましかも知れない。」  杜子春はひとりさつきから、こんな取りとめもないことを思ひめぐらしてゐたのです。  するとどこからやつて来たか、突然彼の前へ足を止めた、片目眇の老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、ぢつと杜子春の顔を見ながら、 「お前は何を考へてゐるのだ。」と、横柄に言葉をかけました。 「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考へてゐるのです。」  老人の尋ね方が急でしたから、杜子春はさすがに眼を伏せて、思はず正直な答をしました。 「さうか。それは可哀さうだな。」  老人は暫く何事か考へてゐるやうでしたが、やがて、往来にさしてゐる夕日の光を指さしながら、 「ではおれが好いことを一つ教へてやらう。今この夕日の中に立つて、お前の影が地に映つたら、その頭に当る所を夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいの黄金が埋まつてゐる筈だから。」 「ほんたうですか。」  杜子春は驚いて、伏せてゐた眼を挙げました。所が更に不思議なことには、あの老人はどこへ行つたか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。その代り空の月の色は前よりも猶白くなつて、休みない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠が二三匹ひらひら舞つてゐました。        二  杜子春は一日の内に、洛陽の都でも唯一人といふ大金持になりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそつと掘つて見たら、大きな車にも余る位、黄金が一山出て来たのです。  大金持になつた杜子春は、すぐに立派な家を買つて、玄宗皇帝にも負けない位、贅沢な暮しをし始めました。蘭陵の酒を買はせるやら、桂州の竜眼肉をとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹を庭に植ゑさせるやら、白孔雀を何羽も放し飼ひにするやら、玉を集めるやら、錦を縫はせるやら、香木の車を造らせるやら、象牙の椅子を誂へるやら、その贅沢を一々書いてゐては、いつになつてもこの話がおしまひにならない位です。  するとかういふ噂を聞いて、今までは路で行き合つても、挨拶さへしなかつた友だちなどが、朝夕遊びにやつて来ました。それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になつてしまつたのです。杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。極かいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生れの魔法使が刀を呑んで見せる芸に見とれてゐると、そのまはりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いづれも髪に飾りながら、笛や琴を節面白く奏してゐるといふ景色なのです。  しかしいくら大金持でも、御金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、一年二年と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。さうすると人間は薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、今日は門の前を通つてさへ、挨拶一つして行きません。ましてとうとう三年目の春、又杜子春が以前の通り、一文無しになつて見ると、広い洛陽の都の中にも、彼に宿を貸さうといふ家は、一軒もなくなつてしまひました。いや、宿を貸す所か、今では椀に一杯の水も、恵んでくれるものはないのです。  そこで彼は或日の夕方、もう一度あの洛陽の西の門の下へ行つて、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立つてゐました。するとやはり昔のやうに、片目眇の老人が、どこからか姿を現して、 「お前は何を考へてゐるのだ。」と、声をかけるではありませんか。  杜子春は老人の顔を見ると、恥しさうに下を向いた儘、暫くは返事もしませんでした。が、老人はその日も親切さうに、同じ言葉を繰返しますから、こちらも前と同じやうに、 「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考へてゐるのです。」と、恐る恐る返事をしました。 「さうか。それは可哀さうだな、ではおれが好いことを一つ教へてやらう。今この夕日の中へ立つて、お前の影が地に映つたら、その胸に当る所を、夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいの黄金が埋まつてゐる筈だから。」   老人はかう言つたと思ふと、今度も亦人ごみの中へ、掻き消すやうに隠れてしまひました。  杜子春はその翌日から、忽ち天下第一の大金持に返りました。と同時に相変らず、仕放題な贅沢をし始めました。庭に咲いてゐる牡丹の花、その中に眠つてゐる白孔雀、それから刀を呑んで見せる、天竺から来た魔法使――すべてが昔の通りなのです。  ですから車に一ぱいあつた、あの夥しい黄金も、又三年ばかり経つ内には、すつかりなくなつてしまひました。        三 「お前は何を考へてゐるのだ。」  片目眇の老人は、三度杜子春の前へ来て、同じことを問ひかけました。勿論彼はその時も、洛陽の西の門の下に、ほそぼそと霞を破つてゐる三日月の光を眺めながら、ぼんやり佇んでゐたのです。 「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思つてゐるのです。」 「さうか。それは可哀さうだな。ではおれが好いことを教へてやらう。今この夕日の中へ立つて、お前の影が地に映つたら、その腹に当る所を、夜中に掘つて見るが好い。きつと車に一ぱいの――」  老人がここまで言ひかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。 「いや、お金はもう入らないのです。」 「金はもう入らない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまつたと見えるな。」  老人は審しさうな眼つきをしながら、ぢつと杜子春の顔を見つめました。 「何、贅沢に飽きたのぢやありません。人間といふものに愛想がつきたのです。」  杜子春は不平さうな顔をしながら、突慳貪にかう言ひました。 「それは面白いな。どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」 「人間は皆薄情です。私が大金持になつた時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になつて御覧なさい。柔しい顔さへもして見せはしません。そんなことを考へると、たとひもう一度大金持になつた所が、何にもならないやうな気がするのです。」  老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑ひ出しました。 「さうか。いや、お前は若い者に似合はず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか。」  杜子春はちよいとためらひました。が、すぐに思ひ切つた眼を挙げると、訴へるやうに老人の顔を見ながら、 「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になつて、仙術の修業をしたいと思ふのです。いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でせう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出来ない筈です。どうか私の先生になつて、不思議な仙術を教へて下さい。」  老人は眉をひそめた儘、暫くは黙つて、何事か考へてゐるやうでしたが、やがて又につこり笑ひながら、 「いかにもおれは峨眉山に棲んでゐる、鉄冠子といふ仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好ささうだつたから、二度まで大金持にしてやつたのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやらう。」と、快く願を容れてくれました。  杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜をしました。 「いや、さう御礼などは言つて貰ふまい。いくらおれの弟子にした所で、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第できまることだからな。――が、兎も角もまづおれと一しよに、峨眉山の奥へ来て見るが好い。おお、幸、ここに竹杖が一本落ちてゐる。では早速これへ乗つて、一飛びに空を渡るとしよう。」  鉄冠子はそこにあつた青竹を一本拾ひ上げると、口の中に呪文を唱へながら、杜子春と一しよにその竹へ、馬にでも乗るやうに跨りました。すると不思議ではありませんか。竹杖は忽ち竜のやうに、勢よく大空へ舞ひ上つて、晴れ渡つた春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。  杜子春は胆をつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯青い山々が夕明りの底に見えるばかりで、あの洛陽の都の西の門は、(とうに霞に紛れたのでせう。)どこを探しても見当りません。その内に鉄冠子は、白い鬢の毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱ひ出しました。 朝に北海に遊び、暮には蒼梧。 袖裏の青蛇、胆気粗なり。 三たび嶽陽に入れども、人識らず。 朗吟して、飛過す洞庭湖。        四  二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞ひ下りました。  そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光つてゐました。元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返つて、やつと耳にはひるものは、後の絶壁に生えてゐる、曲りくねつた一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。  二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせて、 「おれはこれから天上へ行つて、西王母に御眼にかかつて来るから、お前はその間ここに坐つて、おれの帰るのを待つてゐるが好い。多分おれがゐなくなると、いろいろな魔性が現れて、お前をたぶらかさうとするだらうが、たとひどんなことが起らうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙つてゐるのだぞ。」と言ひました。 「大丈夫です。決して声なぞは出しはしません。命がなくなつても、黙つてゐます。」 「さうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行つて来るから。」  老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨つて、夜目にも削つたやうな山々の空へ、一文字に消えてしまひました。  杜子春はたつた一人、岩の上に坐つた儘、静に星を眺めてゐました。すると彼是半時ばかり経つて、深山の夜気が肌寒く薄い着物に透り出した頃、突然空中に声があつて、 「そこにゐるのは何者だ。」と叱りつけるではありませんか。  しかし杜子春は仙人の教通り、何とも返事をしずにゐました。  所が又暫くすると、やはり同じ声が響いて、 「返事をしないと立ち所に、命はないものと覚悟しろ。」と、いかめしく嚇しつけるのです。  杜子春は勿論黙つてゐました。  と、どこから登つて来たか、爛々と眼を光らせた虎が一匹、忽然と岩の上に躍り上つて、杜子春の姿を睨みながら、一声高く哮りました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思ふと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の白蛇が一匹、炎のやうな舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。  杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐つてゐました。  虎と蛇とは、一つ餌食を狙つて、互に隙でも窺ふのか、暫くは睨合ひの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が、虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、杜子春の命は瞬く内に、なくなつてしまふと思つた時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失せて、後には唯、絶壁の松が、さつきの通りこうこうと枝を鳴らしてゐるばかりなのです。杜子春はほつと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待つてゐました。  すると一陣の風が吹き起つて、墨のやうな黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにはに闇を二つに裂いて、凄じく雷が鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しよに瀑のやうな雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。杜子春はこの天変の中に、恐れ気もなく坐つてゐました。風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山も、覆るかと思ふ位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟いたと思ふと、空に渦巻いた黒雲の中から、まつ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。  杜子春は思はず耳を抑へて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡つて、向うに聳えた山山の上にも、茶碗程の北斗の星が、やはりきらきら輝いてゐます。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じやうに、鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の悪戯に違ひありません。杜子春は漸く安心して、額の冷汗を拭ひながら、又岩の上に坐り直しました。  が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐つてゐる前へ、金の鎧を着下した、身の丈三丈もあらうといふ、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉の戟を持つてゐましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼を嗔らせて叱りつけるのを聞けば、 「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山といふ山は、天地開闢の昔から、おれが住居をしてゐる所だぞ。それも憚らずたつた一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかつたら、一刻も早く返答しろ。」と言ふのです。  しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然と口を噤んでゐました。 「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代りおれの眷属たちが、その方をずたずたに斬つてしまふぞ。」  神将は戟を高く挙げて、向うの山の空を招きました。その途端に闇がさつと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充満ちて、それが皆槍や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしてゐるのです。  この景色を見た杜子春は、思はずあつと叫びさうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思ひ出して、一生懸命に黙つてゐました。神将は彼が恐れないのを見ると、怒つたの怒らないのではありません。 「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとつてやるぞ。」  神将はかう喚くが早いか、三叉の戟を閃かせて、一突きに杜子春を突き殺しました。さうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑ひながら、どこともなく消えてしまひました。勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一しよに、夢のやうに消え失せた後だつたのです。  北斗の星は又寒さうに、一枚岩の上を照らし始めました。絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせてゐます。が、杜子春はとうに息が絶えて、仰向けにそこへ倒れてゐました。        五  杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れてゐましたが、杜子春の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。  この世と地獄との間には、闇穴道といふ道があつて、そこは年中暗い空に、氷のやうな冷たい風がぴゆうぴゆう吹き荒んでゐるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くは唯木の葉のやうに、空を漂つて行きましたが、やがて森羅殿といふ額の懸つた立派な御殿の前へ出ました。  御殿の前にゐた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまはりを取り捲いて、階の前へ引き据ゑました。階の上には一人の王様が、まつ黒な袍に金の冠をかぶつて、いかめしくあたりを睨んでゐます。これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王に違ひありません。杜子春はどうなることかと思ひながら、恐る恐るそこへ跪いてゐました。 「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐つてゐた?」  閻魔大王の声は雷のやうに、階の上から響きました。杜子春は早速その問に答へようとしましたが、ふと又思ひ出したのは、「決して口を利くな。」といふ鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れた儘、唖のやうに黙つてゐました。すると閻魔大王は、持つてゐた鉄の笏を挙げて、顔中の鬚を逆立てながら、 「その方はここをどこだと思ふ? 速に返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責に遇はせてくれるぞ。」と、威丈高に罵りました。  が、杜子春は相変らず唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言ひつけると、鬼どもは一度に畏つて、忽ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞ひ上りました。  地獄には誰でも知つてゐる通り、剣の山や血の池の外にも、焦熱地獄といふ焔の谷や極寒地獄といふ氷の海が、真暗な空の下に並んでゐます。鬼どもはさういふ地獄の中へ、代る代る杜子春を抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の杵に撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸はれるやら、熊鷹に眼を食はれるやら、――その苦しみを数へ立ててゐては、到底際限がない位、あらゆる責苦に遇はされたのです。それでも杜子春は我慢強く、ぢつと歯を食ひしばつた儘、一言も口を利きませんでした。  これにはさすがの鬼どもも、呆れ返つてしまつたのでせう。もう一度夜のやうな空を飛んで、森羅殿の前へ帰つて来ると、さつきの通り杜子春を階の下に引き据ゑながら、御殿の上の閻魔大王に、 「この罪人はどうしても、ものを言ふ気色がございません。」と、口を揃へて言上しました。  閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れてゐましたが、やがて何か思ひついたと見えて、 「この男の父母は、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云ひつけました。  鬼は忽ち風に乗つて、地獄の空へ舞ひ上りました。と思ふと、又星が流れるやうに、二匹の獣を駆り立てながら、さつと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。 「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐つてゐたか、まつすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思ひをさせてやるぞ。」  杜子春はかう嚇されても、やはり返答をしずにゐました。 「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さへ都合が好ければ、好いと思つてゐるのだな。」  閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。 「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまへ。」  鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄の鞭をとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。鞭はりうりうと風を切つて、所嫌はず雨のやうに、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になつた父母は、苦しさうに身を悶えて、眼には血の涙を浮べた儘、見てもゐられない程嘶き立てました。 「どうだ。まだその方は白状しないか。」  閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏してゐたのです。  杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、緊く眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、殆声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。 「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰つても、言ひたくないことは黙つて御出で。」  それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……        六  その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでゐるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。 「どうだな。おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」 片目眇の老人は微笑を含みながら言ひました。 「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、反つて嬉しい気がするのです。」  杜子春はまだ眼に涙を浮べた儘、思はず老人の手を握りました。 「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けてゐる父母を見ては、黙つてゐる訳には行きません。」 「もしお前が黙つてゐたら――」と鉄冠子は急に厳な顔になつて、ぢつと杜子春を見つめました。 「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐたのだ。――お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」 「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」  杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩つてゐました。 「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇はないから。」  鉄冠子はかう言ふ内に、もう歩き出してゐましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、 「おお、幸、今思ひ出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持つてゐる。その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、さも愉快さうにつけ加へました。 (大正九年六月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:野口英司 1998年5月20日公開 2004年3月12日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  或春の日暮です。  唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。  若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。  何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった紗の帽子や、土耳古の女の金の耳環や、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子は、まるで画のような美しさです。  しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。 「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行っても、泊めてくれる所はなさそうだし――こんな思いをして生きている位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない」  杜子春はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらしていたのです。  するとどこからやって来たか、突然彼の前へ足を止めた、片目眇の老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと杜子春の顔を見ながら、 「お前は何を考えているのだ」と、横柄に声をかけました。 「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」  老人の尋ね方が急でしたから、杜子春はさすがに眼を伏せて、思わず正直な答をしました。 「そうか。それは可哀そうだな」  老人は暫く何事か考えているようでしたが、やがて、往来にさしている夕日の光を指さしながら、 「ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの黄金が埋まっている筈だから」 「ほんとうですか」  杜子春は驚いて、伏せていた眼を挙げました。ところが更に不思議なことには、あの老人はどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。その代り空の月の色は前よりも猶白くなって、休みない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠が二三匹ひらひら舞っていました。 二  杜子春は一日の内に、洛陽の都でも唯一人という大金持になりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位、黄金が一山出て来たのです。  大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買って、玄宗皇帝にも負けない位、贅沢な暮しをし始めました。蘭陵の酒を買わせるやら、桂州の竜眼肉をとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹を庭に植えさせるやら、白孔雀を何羽も放し飼いにするやら、玉を集めるやら、錦を縫わせるやら、香木の車を造らせるやら、象牙の椅子を誂えるやら、その贅沢を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。  するとこういう噂を聞いて、今までは路で行き合っても、挨拶さえしなかった友だちなどが、朝夕遊びにやって来ました。それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になってしまったのです。杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。極かいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生れの魔法使が刀を呑んで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節面白く奏しているという景色なのです。  しかしいくら大金持でも、御金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、一年二年と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。そうすると人間は薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、今日は門の前を通ってさえ、挨拶一つして行きません。ましてとうとう三年目の春、又杜子春が以前の通り、一文無しになって見ると、広い洛陽の都の中にも、彼に宿を貸そうという家は、一軒もなくなってしまいました。いや、宿を貸すどころか、今では椀に一杯の水も、恵んでくれるものはないのです。  そこで彼は或日の夕方、もう一度あの洛陽の西の門の下へ行って、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。するとやはり昔のように、片目眇の老人が、どこからか姿を現して、 「お前は何を考えているのだ」と、声をかけるではありませんか。  杜子春は老人の顔を見ると、恥しそうに下を向いたまま、暫くは返事もしませんでした。が、老人はその日も親切そうに、同じ言葉を繰返しますから、こちらも前と同じように、 「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」と、恐る恐る返事をしました。 「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その胸に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの黄金が埋まっている筈だから」  老人はこう言ったと思うと、今度もまた人ごみの中へ、掻き消すように隠れてしまいました。  杜子春はその翌日から、忽ち天下第一の大金持に返りました。と同時に相変らず、仕放題な贅沢をし始めました。庭に咲いている牡丹の花、その中に眠っている白孔雀、それから刀を呑んで見せる、天竺から来た魔法使――すべてが昔の通りなのです。  ですから車に一ぱいにあった、あの夥しい黄金も、又三年ばかり経つ内には、すっかりなくなってしまいました。 三 「お前は何を考えているのだ」  片目眇の老人は、三度杜子春の前へ来て、同じことを問いかけました。勿論彼はその時も、洛陽の西の門の下に、ほそぼそと霞を破っている三日月の光を眺めながら、ぼんやり佇んでいたのです。 「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思っているのです」 「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その腹に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの――」  老人がここまで言いかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。 「いや、お金はもういらないのです」 「金はもういらない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまったと見えるな」  老人は審しそうな眼つきをしながら、じっと杜子春の顔を見つめました。 「何、贅沢に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです」  杜子春は不平そうな顔をしながら、突慳貪にこう言いました。 「それは面白いな。どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」 「人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。柔しい顔さえもして見せはしません。そんなことを考えると、たといもう一度大金持になったところが、何にもならないような気がするのです」  老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑い出しました。 「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか」  杜子春はちょいとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、 「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になって、仙術の修業をしたいと思うのです。いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でしょう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることは出来ない筈です。どうか私の先生になって、不思議な仙術を教えて下さい」  老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、 「いかにもおれは峨眉山に棲んでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで大金持にしてやったのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやろう」と、快く願を容れてくれました。  杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜をしました。 「いや、そう御礼などは言って貰うまい。いくらおれの弟子にしたところが、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第で決まることだからな。――が、ともかくもまずおれと一しょに、峨眉山の奥へ来て見るが好い。おお、幸、ここに竹杖が一本落ちている。では早速これへ乗って、一飛びに空を渡るとしよう」  鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中に咒文を唱えながら、杜子春と一しょにその竹へ、馬にでも乗るように跨りました。すると不思議ではありませんか。竹杖は忽ち竜のように、勢よく大空へ舞い上って、晴れ渡った春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。  杜子春は胆をつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯青い山々が夕明りの底に見えるばかりで、あの洛陽の都の西の門は、(とうに霞に紛れたのでしょう)どこを探しても見当りません。その内に鉄冠子は、白い鬢の毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱い出しました。 朝に北海に遊び、暮には蒼梧。 袖裏の青蛇、胆気粗なり。 三たび岳陽に入れども、人識らず。 朗吟して、飛過す洞庭湖。 四  二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞い下りました。  そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光っていました。元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返って、やっと耳にはいるものは、後の絶壁に生えている、曲りくねった一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。  二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせて、 「おれはこれから天上へ行って、西王母に御眼にかかって来るから、お前はその間ここに坐って、おれの帰るのを待っているが好い。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性が現れて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが起ろうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、黙っているのだぞ」と言いました。 「大丈夫です。決して声なぞは出しません。命がなくなっても、黙っています」 「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」  老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、夜目にも削ったような山々の空へ、一文字に消えてしまいました。  杜子春はたった一人、岩の上に坐ったまま、静に星を眺めていました。するとかれこれ半時ばかり経って、深山の夜気が肌寒く薄い着物に透り出した頃、突然空中に声があって、 「そこにいるのは何者だ」と、叱りつけるではありませんか。  しかし杜子春は仙人の教通り、何とも返事をしずにいました。  ところが又暫くすると、やはり同じ声が響いて、 「返事をしないと立ちどころに、命はないものと覚悟しろ」と、いかめしく嚇しつけるのです。  杜子春は勿論黙っていました。  と、どこから登って来たか、爛々と眼を光らせた虎が一匹、忽然と岩の上に躍り上って、杜子春の姿を睨みながら、一声高く哮りました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思うと、後の絶壁の頂からは、四斗樽程の白蛇が一匹、炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。  杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。  虎と蛇とは、一つ餌食を狙って、互に隙でも窺うのか、暫くは睨合いの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、杜子春の命は瞬く内に、なくなってしまうと思った時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失せて、後には唯、絶壁の松が、さっきの通りこうこうと枝を鳴らしているばかりなのです。杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待っていました。  すると一陣の風が吹き起って、墨のような黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、凄じく雷が鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しょに瀑のような雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。杜子春はこの天変の中に、恐れ気もなく坐っていました。風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山も、覆るかと思う位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟いたと思うと、空に渦巻いた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。  杜子春は思わず耳を抑えて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡って、向うに聳えた山々の上にも、茶碗ほどの北斗の星が、やはりきらきら輝いています。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じように、鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の悪戯に違いありません。杜子春は漸く安心して、額の冷汗を拭いながら、又岩の上に坐り直しました。  が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐っている前へ、金の鎧を着下した、身の丈三丈もあろうという、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉の戟を持っていましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼を嗔らせて叱りつけるのを聞けば、 「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山という山は、天地開闢の昔から、おれが住居をしている所だぞ。それも憚らずたった一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかったら、一刻も早く返答しろ」と言うのです。  しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然と口を噤んでいました。 「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代りおれの眷属たちが、その方をずたずたに斬ってしまうぞ」  神将は戟を高く挙げて、向うの山の空を招きました。その途端に闇がさっと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充満ちて、それが皆槍や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしているのです。  この景色を見た杜子春は、思わずあっと叫びそうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思い出して、一生懸命に黙っていました。神将は彼が恐れないのを見ると、怒ったの怒らないのではありません。 「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとってやるぞ」  神将はこう喚くが早いか、三叉の戟を閃かせて、一突きに杜子春を突き殺しました。そうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑いながら、どこともなく消えてしまいました。勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一しょに、夢のように消え失せた後だったのです。  北斗の星は又寒そうに、一枚岩の上を照らし始めました。絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせています。が、杜子春はとうに息が絶えて、仰向けにそこへ倒れていました。 五  杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。  この世と地獄との間には、闇穴道という道があって、そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き荒んでいるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くは唯木の葉のように、空を漂って行きましたが、やがて森羅殿という額の懸った立派な御殿の前へ出ました。  御殿の前にいた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを取り捲いて、階の前へ引き据えました。階の上には一人の王様が、まっ黒な袍に金の冠をかぶって、いかめしくあたりを睨んでいます。これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王に違いありません。杜子春はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ跪いていました。 「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐っていた?」  閻魔大王の声は雷のように、階の上から響きました。杜子春は早速その問に答えようとしましたが、ふと又思い出したのは、「決して口を利くな」という鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れたまま、唖のように黙っていました。すると閻魔大王は、持っていた鉄の笏を挙げて、顔中の鬚を逆立てながら、 「その方はここをどこだと思う? 速に返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責に遇わせてくれるぞ」と、威丈高に罵りました。  が、杜子春は相変らず唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言いつけると、鬼どもは一度に畏って、忽ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞い上りました。  地獄には誰でも知っている通り、剣の山や血の池の外にも、焦熱地獄という焔の谷や極寒地獄という氷の海が、真暗な空の下に並んでいます。鬼どもはそういう地獄の中へ、代る代る杜子春を抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の杵に撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸われるやら、熊鷹に眼を食われるやら、――その苦しみを数え立てていては、到底際限がない位、あらゆる責苦に遇わされたのです。それでも杜子春は我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言も口を利きませんでした。  これにはさすがの鬼どもも、呆れ返ってしまったのでしょう。もう一度夜のような空を飛んで、森羅殿の前へ帰って来ると、さっきの通り杜子春を階の下に引き据えながら、御殿の上の閻魔大王に、 「この罪人はどうしても、ものを言う気色がございません」と、口を揃えて言上しました。  閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、 「この男の父母は、畜生道に落ちている筈だから、早速ここへ引き立てて来い」と、一匹の鬼に言いつけました。  鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上りました。と思うと、又星が流れるように、二匹の獣を駆り立てながら、さっと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといえばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。 「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐っていたか、まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ」  杜子春はこう嚇されても、やはり返答をしずにいました。 「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな」  閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。 「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」  鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。鞭はりゅうりゅうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身を悶えて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程嘶き立てました。 「どうだ。まだその方は白状しないか」  閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。  杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、殆声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。 「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っても、言いたくないことは黙って御出で」  それは確に懐しい、母親の声に違いありません。杜子春は思わず、眼をあきました。そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。大金持になれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん」と一声を叫びました。………… 六  その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。 「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい」  片目眇の老人は微笑を含みながら言いました。 「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反って嬉しい気がするのです」  杜子春はまだ眼に涙を浮べたまま、思わず老人の手を握りました。 「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません」 「もしお前が黙っていたら――」と鉄冠子は急に厳な顔になって、じっと杜子春を見つめました。 「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。――お前はもう仙人になりたいという望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな」 「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」  杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩っていました。 「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから」  鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、 「おお、幸、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。
底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社    1968(昭和43)年11月15日発行    1989(平成元)年5月30日46刷 初出:「赤い鳥」    1920(大正9)年7月号 入力:蒋龍 校正:noriko saito 2005年1月7日作成 2013年10月29日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 豊島は僕より一年前に仏文を出た先輩だから、親しく話しをするようになったのは、寧ろ最近の事である。僕が始めて豊島与志雄と云う名を知ったのは、一高の校友会雑誌に、「褪紅色の珠」と云う小品が出た時だろう。それがどう云う訳か、僕の記憶には「登志雄」として残った。その登志雄が与志雄と校正されたのは、豊島に会ってからの事だったと思う。  初めて会ったのは、第三次の新思潮を出す時に、本郷の豊国の二階で、出版元の啓成社の人たちと同人との会があった、その時の事である。一番隅の方へひっこんでいた僕の前へ、紺絣の着物を着た、大柄な、色の白い、若い人が来て坐った。眼鏡はその頃はまだかけていなかったと思うが、確には覚えていない。僕はその人と小説の話をした。それが豊島だった事は、云うまでもなかろう。何でもその時は、大へんおとなしい、無口な人と云う印象を受けた。それから、いゝ男だとも思ったらしい。らしいと云うのは、その後鴻の巣か何かで会があった時に、豊島の男ぶりを問題にした覚えがあるからである。  それから豊島とは、始終或程度の間隔を置いて、つき合っていた。何かの用で内へ来た時に、ムンクの画が好きだと云いながら、持っている本を出して見せた事がある。多分好きだろうと思って、ギイの素描を見せたら、これは嫌いだと云ったのもその時ではないかと思う。それからどこかの芝居の二階で遇った事がある。その時は糸織の羽織か何か著て、髪を油で光らせて、甚大家らしい風格を備えていた。それから新思潮が発刊して一年たった年の秋、どこかで皆が集まって、飯を食った時にも会ったと云う記憶がある。「玉突場の一隅」を褒めたら、あれは左程自信がないと云ったのも恐らく其時だったろう。それから――後はみんな、忘れてしまった。が、兎に角、世間並の友人づき合いしかしなかった事は確である。それでいて、始終豊島の作品を注意して読んでいた所を見ると、やはり僕の興味は豊島の書く物に可成強く動かされていたのかも知れない。  それが今日ではだん〳〵お互に下らない事もしゃべり合うような仲になった。尤もそれは何時からだかはっきり分らない。三土会などが出来る以前からだったような気もするし、以後からだったような気もしない事はない。  豊島は作品から受ける感じとよく似た男である。誰かゞそれを洒落れて、「豊島は何時でも秋の中にいる」と形容した、そう云う性格の一面は世間でもよく知っているだろう。が、豊島の人間にある愛す可き悪党味は、その芸術からは得られない。親しくしていると、ちょいと人の好い公卿悪と云うような所がある。そうしてそれが豊島の人間に、或「動き」をつけている。そう云う所を知って見ると、豊島が比較的多方面な生活上の趣味を持っているのも不思議はない。  だから何も豊島は「何時でも秋の中にいる」訳ではない。反って実は秋が豊島の中にいるのである。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店    1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行 入力:向井樹里 校正:門田裕志 2005年2月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "043387", "作品名": "豊島与志雄氏の事", "作品名読み": "とよしまよしおしのこと", "ソート用読み": "とよしまよしおしのこと", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "", "分類番号": "NDC 914", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "2005-03-11T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-18T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card43387.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ", "底本出版社名1": "講談社文芸文庫、講談社", "底本初版発行年1": "1995(平成7)年1月10日", "入力に使用した版1": "1995(平成7)年1月10日第1刷", "校正に使用した版1": "1995(平成7)年1月10日第1刷", "底本の親本名1": "芥川龍之介全集第1~9、12巻", "底本の親本出版社名1": "岩波書店", "底本の親本初版発行年1": "1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "向井樹里", "校正者": "門田裕志", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43387_ruby_17694.zip", "テキストファイル最終更新日": "2005-02-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "0", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43387_17881.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-02-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 師走の或夜、父は五歳になる男の子を抱き、一しよに炬燵へはひつてゐる。  子 お父さん何かお話しをして!  父 何の話?  子 何でも。……うん、虎のお話が好いや。  父 虎の話? 虎の話は困つたな。  子 よう、虎の話をさあ。  父 虎の話と。……ぢや虎の話をして上げよう。昔、朝鮮のらつぱ卒がね、すつかりお酒に酔つ払らつて、山路にぐうぐう寝てゐたとさ。すると顔が濡れるもんだから、何かと思つて目をさますと、いつの間にか大きい虎が一匹、尻つ尾の先に水をつけてはらつぱ卒の顔を撫でてゐたとさ。  子 どうして?  父 そりやらつぱ卒が酔つぱらつてゐたから、お酒つ臭い臭ひをなくした上、食べることにしようと思つたのさ。  子 それから?  父 それかららつぱ卒は覚悟をきめて、力一ぱい持つてゐたらつぱを虎のお尻へ突き立てたとさ。虎は痛いのにびつくりして、どんどん町の方へ逃げ出したとさ。  子 死ななかつたの?  父 そのうちに町のまん中へ来ると、とうとうお尻の傷の為に倒れて死んでしまつたとさ。けれどもお尻に立つてゐたらつぱは虎の死んでしまふまで、ぶうぶう鳴りつづけに鳴つてゐたとさ。  子 (笑ふ)らつぱ卒は?  父 らつぱ卒は大へん褒められて虎退治の御褒美を貰つたつて……さあ、それでおしまひだよ。  子 いやだ。何かもう一つ。  父 今度は虎の話ぢやないよ。  子 ううん、今度も虎のお話をして。  父 そんなに虎の話ばかりありやしない。ええと、何かなかつたかな?……ああ、ぢやもう一つして上げよう。これも朝鮮の猟師がね、或山奥へ狩をしに行つたら、丁度目の下の谷底に虎が一匹歩いてゐたとさ。  子 大きい虎?  父 うん、大きい虎がね。猟師は好い獲物だと思つて早速鉄砲へ玉をこめたとさ。  子 打つたの?  父 ところが打たうとした時にね、虎はいきなり身をちぢめたと思ふと、向うの大岩に飛びあがつたとさ。けれども宙へ躍り上つたぎり、生憎大岩へとどかないうちに地びたへ落ちてしまつたとさ。  子 それから?  父 それから虎はもう一度もとの処へ帰つて来た上、又大岩へ飛びかかつたとさ。  子 今度はうまく飛びついた?  父 今度もまた落ちてしまつたとさ。すると如何にも羞しさうに長い尻つ尾を垂らしたなり、何処かへ行つてしまつたとさ。  子 ぢや虎は打たなかつたの?  父 うん、あんまりその容子が人間のやうに見えたもんだから、可哀さうになつてよしてしまつたつて。  子 つまらないなあ、そんなお話。何かもう一つ虎のお話をして。  父 もう一つ? 今度は猫の話をしよう。長靴をはいた猫の話を。  子 ううん、もう一つ虎のお話をして。  父 仕かたがないな。……ぢや昔大きい虎がね。子虎を三匹持つてゐたとさ。虎はいつも日暮になると三匹の子虎と遊んでゐたとさ。それから夜は洞穴へはひつて三匹の子虎と一しよに寝たとさ。……おい、寝ちまつちやいけないよ。  子 (眠むさうに)うん。  父 ところが或秋の日の暮、虎は猟師の矢を受けて、死なないばかりになつて帰つて来たとさ。何にも知らない三匹の子虎は直に虎にじやれついたとさ。すると虎はいつものやうに躍つたり跳たりして遊んだとさ。それから又夜もいつものやうに洞穴へはひつて一しよに寝たとさ。けれども夜明けになつて見ると、虎は、いつか三匹の子虎のまん中へはひつて死んでゐたとさ。子虎は皆驚いて、……おい、おきてゐるかい?  子 (寝入つて答へをしない)……  父 おい、誰かゐないか? こいつはもう寝てしまつたよ。  遠くで「はい、唯今」といふ返事が聞える。 (大正十四年十二月)
底本:「芥川龍之介作品集第四巻」昭和出版社    1965(昭和40)年12月20日発行 ※底本の「護物」「子 それから/父 それから虎は…」「何処《どこ》かへ行つてしまつたとさ」はそれぞれ、「獲物」「子 それから?/父 それから虎は…」「何処《どこ》かへ行つてしまつたとさ。」にあらためました。 ※疑問点の確認にあたっては、「芥川龍之介全集 第十三巻」岩波書店、1996(平成8)年11月8日発行を参照しました。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月27日公開 2003年10月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000168", "作品名": "虎の話", "作品名読み": "とらのはなし", "ソート用読み": "とらのはなし", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「大阪毎日新聞」1926(大正15)年1月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字旧仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1999-01-27T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card168.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介作品集 第四巻", "底本出版社名1": "昭和出版社", "底本初版発行年1": "1965(昭和40)年12月20日", "入力に使用した版1": "", "校正に使用した版1": "", "底本の親本名1": "", "底本の親本出版社名1": "", "底本の親本初版発行年1": "", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/168_ruby_1390.zip", "テキストファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "2", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/168_13453.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-10-20T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まつたのは、良平の八つの年だつた。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行つた。工事を――といつた所が、唯トロツコで土を運搬する――それが面白さに見に行つたのである。  トロツコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでゐる。トロツコは山を下るのだから、人手を借りずに走つて来る。煽るやうに車台が動いたり、土工の袢纏の裾がひらついたり、細い線路がしなつたり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思ふ事がある。せめては一度でも土工と一しよに、トロツコへ乗りたいと思ふ事もある。トロツコは村外れの平地へ来ると、自然と某処に止まつてしまふ。と同時に土工たちは、身軽にトロツコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロツコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さへ出来たらと思ふのである。  或夕方、――それは二月の初旬だつた。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロツコの置いてある村外れへ行つた。トロツコは泥だらけになつた儘、薄明るい中に並んでゐる。が、その外は何処を見ても、土工たちの姿は見えなかつた。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロツコを押した。トロツコは三人の力が揃ふと、突然ごろりと車輪をまはした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかつた。ごろり、ごろり、――トロツコはさう云ふ音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登つて行つた。  その内に彼是十間程来ると、線路の勾配が急になり出した。トロツコも三人の力では、いくら押しても動かなくなつた。どうかすれば車と一しよに、押し戻されさうにもなる事がある。良平はもう好いと思つたから、年下の二人に合図をした。 「さあ、乗らう?」  彼等は一度に手をはなすと、トロツコの上へ飛び乗つた。トロツコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるやうに、ずんずん目の前へ展開して来る。――良平は顔に吹きつける日の暮の風を感じながら殆ど有頂天になつてしまつた。  しかしトロツコは二三分の後、もうもとの終点に止まつてゐた。 「さあ、もう一度押すぢやあ。」  良平は年下の二人と一しよに、又トロツコを押し上げにかかつた。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等の後には、誰かの足音が聞え出した。のみならずそれは聞え出したと思ふと、急にかう云ふ怒鳴り声に変つた。 「この野郎! 誰に断つてトロに触つた?」  其処には古い印袢纏に、季節外れの麦藁帽をかぶつた、背の高い土工が佇んでゐる。――さう云ふ姿が目にはひつた時、良平は年下の二人と一しよに、もう五六間逃げ出してゐた。――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロツコを見ても、二度と乗つて見ようと思つた事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はつきりした記憶を残してゐる。薄明りの中に仄めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さへも、年毎に色彩は薄れるらしい。  その後十日余りたつてから、良平は又たつた一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロツコの来るのを眺めてゐた。すると土を積んだトロツコの外に、枕木を積んだトロツコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登つて来た。このトロツコを押してゐるのは、二人とも若い男だつた。良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易いやうな気がした。「この人たちならば叱られない。」――彼はさう思ひながら、トロツコの側へ駈けて行つた。 「をぢさん。押してやらうか?」  その中の一人、――縞のシヤツを着てゐる男は、俯向きにトロツコを押した儘、思つた通り快い返事をした。 「おお、押してくよう。」  良平は二人の間にはひると、力一杯押し始めた。 「われは中々力があるな。」  他の一人、――耳に巻煙草を挾んだ男も、かう良平を褒めてくれた。  その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも好い。」――良平は今にも云はれるかと内心気がかりでならなかつた。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙々と車を押し続けてゐた。良平はとうとうこらへ切れずに、怯づ怯づこんな事を尋ねて見た。 「何時までも押してゐて好い?」 「好いとも」  二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思つた。  五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になつた。其処には両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けてゐる。 「登り路の方が好い、何時までも押させてくれるから。」――良平はそんな事を考へながら、全身でトロツコを押すやうにした。  蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになつた。縞のシヤツを着てゐる男は、良平に「やい、乗れ」と云つた。良平は直に飛び乗つた。トロツコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の匂を煽りながら、ひた辷りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずつと好い。」――良平は羽織に風を孕ませながら、当り前の事を考へた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い。」――さうも亦考へたりした。  竹藪のある所へ来ると、トロツコは静かに走るのを止めた。三人はまた前のやうに、重いトロツコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になつた。爪先上りの所々には、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまつてゐる場所もあつた。その路をやつと登り切つたら、今度は高い崖の向うに、広々と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはつきりと感じられた。  三人は又トロツコへ乗つた。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走つて行つた。しかし良平はさつきのやうに、面白い気もちにはなれなかつた。「もう帰つてくれれば好い。」――彼はさうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロツコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切つてゐた。  その次に車の止まつたのは、切崩した山を背負つてゐる、藁屋根の茶店の前だつた。二人の土工はその店へはひると、乳呑児をおぶつた上さんを相手に、悠々と茶などを飲み始めた。良平は独りいらいらしながら、トロツコのまはりをまはつて見た。トロツコには頑丈な車台の板に、跳ねかへつた泥が乾いてゐた。  少時の後茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挾んだ男は、(その時はもう挾んでゐなかつたが)トロツコの側にゐる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有う」と云つた。が、直に冷淡にしては、相手にすまないと思ひ直した。彼はその冷淡さを取り繕ふやうに、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあつたらしい、石油の匂がしみついてゐた。  三人はトロツコを押しながら緩い傾斜を登つて行つた。良平は車に手をかけてゐても、心は外の事を考へてゐた。  その坂を向うへ下り切ると、又同じやうな茶店があつた。土工たちがその中へはひつた後、良平はトロツコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしてゐた。茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかつてゐる。「もう日が暮れる。」――彼はさう考へると、ぼんやり腰かけてもゐられなかつた。トロツコの車輪を蹴つて見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせてゐた。  所が土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にかう云つた。 「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから。」 「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら。」  良平は一瞬間呆気にとられた。もう彼是暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたつた一人、歩いて帰らなければならない事、――さう云ふ事が一時にわかつたのである。良平は殆ど泣きさうになつた。が、泣いても仕方がないと思つた。泣いてゐる場合ではないとも思つた。彼は若い二人の土工に、取つて附けたやうな御時宜をすると、どんどん線路伝ひに走り出した。  良平は少時無我夢中に線路の側を走り続けた。その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出す次手に、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまつた。すると薄い足袋の裏へぢかに小石が食ひこんだが、足だけは遥かに軽くなつた。彼は左に海を感じながら、急な坂路を駈け登つた。時々涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴つた。  竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかつてゐた。良平は愈気が気でなかつた。往きと返りと変るせゐか、景色の違ふのも不安だつた。すると今度は着物までも、汗の濡れ通つたのが気になつたから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。  蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だつた。「命さへ助かれば――」良平はさう思ひながら、辷つてもつまづいても走つて行つた。  やつと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思ひに泣きたくなつた。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。  彼の村へはひつて見ると、もう両側の家々には、電燈の光がさし合つてゐた。良平はその電燈の光に頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはつきりわかつた。井戸端に水を汲んでゐる女衆や、畑から帰つて来る男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言の儘、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。  彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わつと泣き出さずにはゐられなかつた。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云ひながら、良平の体を抱へるやうにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。その声が余り激しかつたせゐか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集つて来た。父母は勿論その人たちは、口々に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云はれても泣き立てるより外に仕方がなかつた。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、……  良平は二十六の年、妻子と一しよに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握つてゐる。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思ひ出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すぢ断続してゐる。…… (大正十一年二月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:野口英司 1998年3月23日公開 2004年3月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。  トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後に佇んでいる。トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。煽るように車台が動いたり、土工の袢天の裾がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処に止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。それから今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押す事さえ出来たらと思うのである。  或夕方、――それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロッコの置いてある村外れへ行った。トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、その外は何処を見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力が揃うと、突然ごろりと車輪をまわした。良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかった。ごろり、ごろり、――トロッコはそう云う音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登って行った。  その内にかれこれ十間程来ると、線路の勾配が急になり出した。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうかすれば車と一しょに、押し戻されそうにもなる事がある。良平はもう好いと思ったから、年下の二人に合図をした。 「さあ、乗ろう!」  彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、――良平は殆ど有頂天になった。  しかしトロッコは二三分の後、もうもとの終点に止まっていた。 「さあ、もう一度押すじゃあ」  良平は年下の二人と一しょに、又トロッコを押し上げにかかった。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等の後には、誰かの足音が聞え出した。のみならずそれは聞え出したと思うと、急にこう云う怒鳴り声に変った。 「この野郎! 誰に断ってトロに触った?」  其処には古い印袢天に、季節外れの麦藁帽をかぶった、背の高い土工が佇んでいる。――そう云う姿が目にはいった時、良平は年下の二人と一しょに、もう五六間逃げ出していた。――それぎり良平は使の帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はっきりした記憶を残している。薄明りの中に仄めいた、小さい黄色の麦藁帽、――しかしその記憶さえも、年毎に色彩は薄れるらしい。  その後十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコの外に、枕木を積んだトロッコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼等を見た時から、何だか親しみ易いような気がした。「この人たちならば叱られない」――彼はそう思いながら、トロッコの側へ駈けて行った。 「おじさん。押してやろうか?」  その中の一人、――縞のシャツを着ている男は、俯向きにトロッコを押したまま、思った通り快い返事をした。 「おお、押してくよう」  良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。 「われは中中力があるな」  他の一人、――耳に巻煙草を挟んだ男も、こう良平を褒めてくれた。  その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも好い」――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯ず怯ずこんな事を尋ねて見た。 「何時までも押していて好い?」 「好いとも」  二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。  五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。其処には両側の蜜柑畑に、黄色い実がいくつも日を受けている。 「登り路の方が好い、何時までも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。  蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下りになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と云った。良平は直に飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の匀を煽りながら、ひた辷りに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと好い」――良平は羽織に風を孕ませながら、当り前の事を考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」――そうもまた考えたりした。  竹藪のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止めた。三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になった。爪先上りの所所には、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。  三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好い」――彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。  その次に車の止まったのは、切崩した山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。二人の土工はその店へはいると、乳呑児をおぶった上さんを相手に、悠悠と茶などを飲み始めた。良平は独りいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。トロッコには頑丈な車台の板に、跳ねかえった泥が乾いていた。  少時の後茶店を出て来しなに、巻煙草を耳に挟んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平は冷淡に「難有う」と云った。が、直に冷淡にしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油の匀がしみついていた。  三人はトロッコを押しながら緩い傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心は外の事を考えていた。  その坂を向うへ下り切ると、又同じような茶店があった。土工たちがその中へはいった後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」――彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴って見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、――そんな事に気もちを紛らせていた。  ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にこう云った。 「われはもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」 「あんまり帰りが遅くなるとわれの家でも心配するずら」  良平は一瞬間呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ど泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取って附けたような御時宜をすると、どんどん線路伝いに走り出した。  良平は少時無我夢中に線路の側を走り続けた。その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それを路側へ抛り出す次手に、板草履も其処へ脱ぎ捨ててしまった。すると薄い足袋の裏へじかに小石が食いこんだが、足だけは遙かに軽くなった。彼は左に海を感じながら、急な坂路を駈け登った。時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。――それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。  竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかっていた。良平は、愈気が気でなかった。往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった。すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けたなり、羽織を路側へ脱いで捨てた。  蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷ってもつまずいても走って行った。  やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。  彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気の立つのが、彼自身にもはっきりわかった。井戸端に水を汲んでいる女衆や、畑から帰って来る男衆は、良平が喘ぎ喘ぎ走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。  彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。殊に母は何とか云いながら、良平の体を抱えるようにした。が、良平は手足をもがきながら、啜り上げ啜り上げ泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三四人、薄暗い門口へ集って来た。父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………  良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………
底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社    1968(昭和43)年11月15日発行    1984(昭和59)年12月25日38刷改版    1989(平成元)年5月30日46刷 入力:蒋龍 校正:鈴木厚司 2004年10月31日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 菱形の凧。サント・モンタニの空に揚つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。  路ばたに商ふ夏蜜柑やバナナ。敷石の日ざしに火照るけはひ。町一ぱいに飛ぶ燕。  丸山の廓の見返り柳。  運河には石の眼鏡橋。橋には往来の麦稈帽子。――忽ち泳いで来る家鴨の一むれ。白白と日に照つた家鴨の一むれ。  南京寺の石段の蜥蜴。  中華民国の旗。煙を揚げる英吉利の船。『港をよろふ山の若葉に光さし……』顱頂の禿げそめた斎藤茂吉。ロティ。沈南蘋。永井荷風。  最後に『日本の聖母の寺』その内陣のおん母マリア。穂麦に交じつた矢車の花。光のない真昼の蝋燭の火。窓の外には遠いサント・モンタニ。  山の空にはやはり菱形の凧。北原白秋の歌つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。
底本:「芥川龍之介全集 第九巻」岩波書店    1996(平成8)年7月8日発行 入力:もりみつじゅんじ 校正:松永正敏 2002年5月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 薄暗き硝子戸棚の中。絵画、陶器、唐皮、更緲、牙彫、鋳金等種々の異国関係史料、処狭きまでに置き並べたるを見る。初夏の午後。遙にちやるめらの音聞ゆ。  久しき沈黙の後、司馬江漢筆の蘭人、突然悲しげに歎息す。  古伊万里の茶碗に描かれたる甲比丹、(蘭人を顧みつつ)どうしたね? 顔の色も大へん悪いやうだが――  蘭人、いえ、何でもありませんよ。唯ちつと頭痛がするものですから――  甲比丹、今日は妙に蒸暑いからね。  唐皮の花の間に止まれる鸚鵡、(横あひより甲比丹に)譃ですよ。甲比丹! あの人のは頭痛ではないのです。  甲比丹、頭痛ではないと云ふと?  鸚鵡、恋愛ですよ。  蘭人、(鸚鵡を嚇しつつ)余計な事を云ふな!  甲比丹(蘭人に)まあ黙つてゐ給へ。(鸚鵡に)さうして誰に惚れてゐるのだい?  鸚鵡、あの女ですよ。ほら、あの阿蘭陀出来の皿の中にある。――  甲比丹、何時も扇を持つてゐる女か?  鸚鵡、ええ、あれです。あの女は顔こそ綺麗ですが、中々気位が高いものですからね。  蘭人、(再び鸚鵡を嚇しつつ)こら、失礼な事を云ふな!  甲比丹、さうか? それは気の毒だな。(金象嵌の小柄の伴天連に)どうしたものでせう? パアドレ!  伴天連、さあ、婚礼はわたしがさせても好いが、――何しろ阿蘭陀生れだけに、あの女の横柄なのは評判だからね。  蘭人、どうかもう御心配なさらずに下さい。(やけ気味に)いざとなればあの種が島に、心臓を射抜いて貰ひますから。  種が島、(残念さうに)駄目だよ。僕は錆びついてゐるから、――サアベル式の日本刀にでも頼み給へ。  牙彫の基督、(紫壇の十字架上に腕をひろげつつ)無分別な事をしてはいけない。ふだん云つて聞かせる通り、自殺などをしたものは波群葦増の門にはひられないからね。(麻利耶観音に)お母様! どうかしてやる訳には参りませんか?  麻利耶観音、さうだね。ではわたしが頼んで見て上げようか?  伴天連、さう願へれば仕合せでございます。  甲比丹、どうか御尽力を願ひたいと存じますが、――(蘭人に)君からもおん母に御頼みし給へ。  蘭人、(恥しげに)何分よろしく御願ひ申します。  鸚鵡、御恵深い麻利耶様! わたしからもひとへに御願ひ致します。  麻利耶観音、(阿蘭陀の皿に描かれたる女に)あなた!  阿蘭陀の女、何か御用ですか?  麻利耶観音、はい、実はこの若い方があなたを御慕ひ申してゐるのださうですが、――  阿蘭陀の女、まあ嫌です事。わたしはあの方は大嫌ひでございます。  麻利耶観音、それでも体さへ窶れる程、思ひ悩んでゐるやうですから、――  阿蘭陀の女、それはあの方の御勝手ではありませんか? 一体わたしは日本出来や支那出来の方は虫が好かないのです。  麻利耶観音、そんな事を云ふものではありません。あの方もあなたと同じやうに、西洋文明の命の火を胸の中に宿してゐるのですもの。云はば兄弟のやうなものではありませんか? どうかわたしたち親子も願ひますから、少しは可哀さうだと思つてやつて下さい。  阿蘭陀の女、(腹立たしげに)余計な事は仰有らずに下さい。第一あなたさへ平戸あたりの田舎生れではありませんか? 硝子絵の窓だの噴水だの薔薇の花だの、壁にかける氈だの、――そんな物は見た事もありますまい。顔もあなたはわたしの国のおん母麻利耶とは大違ひです。ましてあの方を御覧なさい。成程あの方もこの国では、阿蘭陀人と云ふかも知れません。しかしほんたうは阿蘭陀人どころか、日本人とも西洋人ともつかない、つまりこの国の画描きの拵へた、黒ん坊よりも気味の悪い人です。  蘭人、ああ、何と云ふ情ない言葉だ!(涕泣す)  阿蘭陀の女、(なほ怒の静まらざる如く)それがわたしを慕つてゐる、――よくまあそんな事が云はれたものです。おまけにあの方の一家一族――長崎画に出て来る紅毛人も皆同じ事ではありませんか? あたしはあの人たちの顔を見てさへ胸が悪くなつて来る位です。  長崎画の英吉利人、法朗西人、露西亜人等、(驚きし如く)おお! おお!  麻利耶観音、ではどうしてもあの方とは仲好く出来ないと云ふのですか?  阿蘭陀の女、当り前です。わたしはもう今日限り、あなたとも御つきあひは御免蒙りませう。古伊万里の甲比丹、小柄の伴天連、亀山焼の南蛮女、――いえ、いえ、それどころではありません。刀の鍔にゐる天使でさへ、二度と口を利いて貰ひますまい。あの人たちとわたしとは生れも育ちも違ふのですから、――  麻利耶観音、(蘭人に)聞いてゐたらうね? わたしの言葉さへ通らないのだから、所詮お前の願ひはかなはないよ。  蘭人、(涕泣しつつ)はい、もう仕方はございません。  甲比丹、男らしくあきらめるさ。(亀山焼の南蛮女に)しかし憎い女だね。  南蛮女、ほんたうに高慢な人です事。――ようございますよ。これからはわたしがあの女の代りにこの方の世話をして上げますから。  伴天連、お前さんは何時もやさしい人だ。  基督、静かに! 静かに! 誰か人間が来たやうだから、――  鸚鵡、しつ! しつ!  この家の主人、数人の客と共に戸棚の外に立つ。  主人、これがわたしのコレクションです。  客の一人、大分沢山ありますね。この江漢の蘭人は面白い。  主人、其処にあるのは亀山焼です。これはわたしの自慢の品ですが、――  客の一人、南蛮女ですね。阿蘭陀出来の皿の女より、余程美人ではありませんか?  主人、これですか?(阿蘭陀の女のゐる皿を取り出す)おや、何か濡れてゐるが、――  客の一人、まさか阿蘭陀の女が泣いたと云ふ訳でもありますまい。  客の他の一人、いや、悪口を云はれたから、口惜し泣きに泣いたのかも知れません。(笑ふ)  客の一人、一体日本出来の南蛮物には西洋出来の物にない、独得な味がありますね。  主人、其処が日本なのでせう。  客の一人、さうです。其処から今日の文明も生れて来た。将来はもつと偉大なものが生れるでせう。  客の他の一人、この蘭人や南蛮女も亦以て瞑すべしですか。――おや!  主人、どうしたのですか?  客の他の一人、何だかあの基督が笑つたやうな気がしたのです。  客の一人、わたしは麻利耶観音が笑つたやうに見えた。  主人、気のせゐでせう。  主客静かに硝子戸棚の前を去る。再びかすかにちやるめらの音。 (大正十一年五月)
底本:「芥川龍之介作品集第三巻」昭和出版社    1965(昭和40)年12月20日発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月26日公開 2004年3月6日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 私がまだ赤門を出て間もなく、久米正雄君と一ノ宮へ行った時でした。夏目先生が手紙で「毎木曜日にワルモノグイが来て、何んでも字を書かせて取って行く」という意味のことを云って寄越されたので、その手紙を後に滝田さんに見せると、之はひどいと云って夏目先生に詰問したので、先生が滝田さんに詫びの手紙を出された話があります。当時夏目先生の面会日は木曜だったので、私達は昼遊びに行きましたが、滝田さんは夜行って玉版箋などに色々のものを書いて貰われたらしいんです。だから夏目先生のものは随分沢山持っていられました。書画骨董を買うことが熱心で、滝田さん自身話されたことですが、何も買う気がなくて日本橋の中通りをぶらついていた時、埴輪などを見附けて一時間とたたない中に千円か千五百円分を買ったことがあるそうです。まあすべてがその調子でした。震災以来は身体の弱い為もあったでしょうが蒐集癖は大分薄らいだようです。最後に会ったのはたしか四五月頃でしたか、新橋演舞場の廊下で誰か後から僕の名を呼ぶのでふり返って見ても暫く誰だか分らなかった。あの大きな身体の人が非常に痩せて小さくなって顔にかすかな赤味がある位でした。私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、徳富蘇峰、三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通じて交渉があって、色々の作家の逸話を知っていられるので、もし今後中央公論の編輯を誰かに譲って閑な時が来るとしたら、それらの追憶録を書かれると非常に面白いと思っていました。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社    1995(平成7)年1月10日第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店    1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月発行 入力:向井樹里 校正:砂場清隆 2007年2月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一  或秋の夜半であつた。南京奇望街の或家の一間には、色の蒼ざめた支那の少女が一人、古びた卓の上に頬杖をついて、盆に入れた西瓜の種を退屈さうに噛み破つてゐた。  卓の上には置きランプが、うす暗い光を放つてゐた。その光は部屋の中を明くすると云ふよりも、寧ろ一層陰欝な効果を与へるのに力があつた。壁紙の剥げかかつた部屋の隅には、毛布のはみ出した籐の寝台が、埃臭さうな帷を垂らしてゐた。それから卓の向うには、これも古びた椅子が一脚、まるで忘れられたやうに置き捨ててあつた。が、その外は何処を見ても、装飾らしい家具の類なぞは何一つ見当らなかつた。  少女はそれにも関らず、西瓜の種を噛みやめては、時々涼しい眼を挙げて、卓の一方に面した壁をぢつと眺めやる事があつた。見ると成程その壁には、すぐ鼻の先の折れ釘に、小さな真鍮の十字架がつつましやかに懸つてゐた。さうしてその十字架の上には、稚拙な受難の基督が、高々と両腕をひろげながら、手ずれた浮き彫の輪廓を影のやうにぼんやり浮べてゐた。少女の眼はこの耶蘇を見る毎に、長い睫毛の後の寂しい色が、一瞬間何処かへ見えなくなつて、その代りに無邪気な希望の光が、生き生きとよみ返つてゐるらしかつた。が、すぐに又視線が移ると、彼女は必吐息を洩らして、光沢のない黒繻子の上衣の肩を所在なささうに落しながら、もう一度盆の西瓜の種をぽつりぽつり噛み出すのであつた。  少女は名を宋金花と云つて、貧しい家計を助ける為に、夜々その部屋に客を迎へる、当年十五歳の私窩子であつた。秦淮に多い私窩子の中には、金花程の容貌の持ち主なら、何人でもゐるのに違ひなかつた。が、金花程気立ての優しい少女が、二人とこの土地にゐるかどうか、それは少くとも疑問であつた。彼女は朋輩の売笑婦と違つて、嘘もつかなければ我儘も張らず、夜毎に愉快さうな微笑を浮べて、この陰欝な部屋を訪れる、さまざまな客と戯れてゐた。さうして彼等の払つて行く金が、稀に約束の額より多かつた時は、たつた一人の父親を、一杯でも余計好きな酒に飽かせてやる事を楽しみにしてゐた。  かう云ふ金花の行状は、勿論彼女が生れつきにも、拠つてゐるのに違ひなかつた。しかしまだその外に何か理由があるとしたら、それは金花が子供の時から、壁の上の十字架が示す通り、歿くなつた母親に教へられた、羅馬加特力教の信仰をずつと持ち続けてゐるからであつた。  ――さう云へば今年の春、上海の競馬を見物かたがた、南部支那の風光を探りに来た、若い日本の旅行家が、金花の部屋に物好きな一夜を明かした事があつた。その時彼は葉巻を啣へて、洋服の膝に軽々と小さな金花を抱いてゐたが、ふと壁の上の十字架を見ると、不審らしい顔をしながら、 「お前は耶蘇教徒かい。」と、覚束ない支那語で話しかけた。 「ええ、五つの時に洗礼を受けました。」 「さうしてこんな商売をしてゐるのかい。」  彼の声にはこの瞬間、皮肉な調子が交つたやうであつた。が、金花は彼の腕に、鴉髻の頭を凭せながら、何時もの通り晴れ晴れと、糸切歯の見える笑を洩らした。 「この商売をしなければ、阿父様も私も餓ゑ死をしてしまひますから。」 「お前の父親は老人なのかい。」 「ええ――もう腰も立たないのです。」 「しかしだね、――しかしこんな稼業をしてゐたのでは、天国に行かれないと思やしないか。」 「いいえ。」  金花はちよいと十字架を眺めながら、考深さうな眼つきになつた。 「天国にいらつしやる基督様は、きつと私の心もちを汲みとつて下さると思ひますから。――それでなければ基督様は姚家巷の警察署の御役人も同じ事ですもの。」  若い日本の旅行家は微笑した。さうして上衣の隠しを探ると、翡翠の耳環を一双出して、手づから彼女の耳へ下げてやつた。 「これはさつき日本へ土産に買つた耳環だが、今夜の記念にお前にやるよ。」――  金花は始めて客をとつた夜から、実際かう云ふ確信に自ら安んじてゐたのであつた。  所が彼是一月ばかり前から、この敬虔な私窩子は不幸にも、悪性の楊梅瘡を病む体になつた。これを聞いた朋輩の陳山茶は、痛みを止めるのに好いと云つて、鴉片酒を飲む事を教へてくれた。その後又やはり朋輩の毛迎春は、彼女自身が服用した汞藍丸や迦路米の残りを、親切にもわざわざ持つて来てくれた。が、金花の病はどうしたものか、客をとらずに引き籠つてゐても、一向快方には向はなかつた。  すると或日陳山茶が、金花の部屋へ遊びに来た時に、こんな迷信じみた療法を尤もらしく話して聞かせた。 「あなたの病気は御客から移つたのだから、早く誰かに移し返しておしまひなさいよ。さうすればきつと二三日中に、よくなつてしまふのに違ひないわ。」  金花は頬杖をついた儘、浮かない顔色を改めなかつた。が、山茶の言葉には多少の好奇心を動かしたと見えて、 「ほんたう?」と、軽く聞き返した。 「ええ、ほんたうだわ。私の姉さんもあなたのやうに、どうしても病気が癒らなかつたのよ。それでも御客に移し返したら、ぢきによくなつてしまつたわ。」 「その御客はどうして?」 「御客はそれは可哀さうよ。おかげで目までつぶれたつて云ふわ。」  山茶が部屋を去つた後、金花は独り壁に懸けた十字架の前に跪いて、受難の基督を仰ぎ見ながら、熱心にかう云ふ祈祷を捧げた。 「天国にいらつしやる基督様。私は阿父様を養ふ為に、賤しい商売を致して居ります。しかし私の商売は、私一人を汚す外には、誰にも迷惑はかけて居りません。ですから私はこの儘死んでも、必天国に行かれると思つて居りました。けれども唯今の私は、御客にこの病を移さない限り、今までのやうな商売を致して参る事は出来ません。して見ればたとひ餓ゑ死をしても、――さうすればこの病も、癒るさうでございますが、――御客と一つ寝台に寝ないやうに、心がけねばなるまいと存じます。さもなければ私は、私どもの仕合せの為に、怨みもない他人を不仕合せに致す事になりますから。しかし何と申しても、私は女でございます。いつ何時どんな誘惑に陥らないものでもございません。天国にいらつしやる基督様。どうか私を御守り下さいまし。私はあなた御一人の外に、たよるもののない女でございますから。」  かう決心した宋金花は、その後山茶や迎春にいくら商売を勧められても、剛情に客をとらずにゐた。又時々彼女の部屋へ、なじみの客が遊びに来ても、一しよに煙草でも吸ひ合ふ外に、決して客の意に従はなかつた。 「私は恐しい病気を持つてゐるのです。側へいらつしやると、あなたにも移りますよ。」  それでも客が酔つてでもゐて、無理に彼女を自由にしようとすると、金花は何時もかう云つて、実際彼女の病んでゐる証拠を示す事さへ憚らなかつた。だから客は彼女の部屋には、おひおひ遊びに来ないやうになつた。と同時に又彼女の家計も、一日毎に苦しくなつて行つた。……  今夜も彼女はこの卓に倚つて、長い間ぼんやり坐つてゐた。が、不相変彼女の部屋へは、客の来るけはひも見えなかつた。その内に夜は遠慮なく更け渡つて、彼女の耳にはひる音と云つては、唯何処かで鳴いてゐる蟋蟀の声ばかりになつた。のみならず火の気のない部屋の寒さは、床に敷きつめた石の上から、次第に彼女の鼠繻子の靴を、その靴の中の華奢な足を、水のやうに襲つて来るのであつた。  金花はうす暗いランプの火に、さつきからうつとり見入つてゐたが、やがて身震ひを一つすると翡翠の輪の下つた耳を掻いて、小さな欠伸を噛み殺した。すると殆その途端に、ペンキ塗りの戸が勢よく開いて、見慣れない一人の外国人が、よろめくやうに外からはひつて来た。その勢が烈しかつたからであらう。卓の上のランプの火は、一しきりぱつと燃え上つて、妙に赤々と煤けた光を狭い部屋の中に漲らせた。客はその光をまともに浴びて、一度は卓の方へのめりかかつたが、すぐに又立ち直ると、今度は後へたじろいで、今し方しまつたペンキ塗りの戸へ、どしりと背を凭せてしまつた。  金花は思はず立ち上つて、この見慣れない外国人の姿へ、呆気にとられた視線を投げた。客の年頃は三十五六でもあらうか。縞目のあるらしい茶の背広に、同じ巾地の鳥打帽をかぶつた、眼の大きい、顋髯のある、頬の日に焼けた男であつた。が、唯一つ合点の行かない事には、外国人には違ひないにしても、西洋人か東洋人か、奇体にその見分けがつかなかつた。それが黒い髪の毛を帽の下からはみ出させて、火の消えたパイプを啣へながら、戸口に立ち塞つてゐる有様は、どう見ても泥酔した通行人が戸まどひでもしたらしく思はれるのであつた。 「何か御用ですか。」  金花は稍無気味な感じに襲はれながら、やはり卓の前に立ちすくんだ儘、詰るやうにかう尋ねて見た。すると相手は首を振つて、支那語はわからないと云ふ相図をした。それから横啣へにしたパイプを離して、何やら意味のわからない滑かな外国語を一言洩らした。が、今度は金花の方が、卓の上のランプの光に、耳環の翡翠をちらつかせながら、首を振つて見せるより外に仕方がなかつた。  客は彼女が当惑らしく、美しい眉をひそめたのを見ると、突然大声に笑ひながら、無造作に鳥打帽を脱ぎ離して、よろよろこちらへ歩み寄つた。さうして卓の向うの椅子へ、腰が抜けたやうに尻を下した。金花はこの時この外国人の顔が、何時何処と云ふ記憶はないにしても、確に見覚えがあるやうな、一種の親しみを感じ出した。客は無遠慮に盆の上の西瓜の種をつまみながら、と云つてそれを噛むでもなく、じろじろ金花を眺めてゐたが、やがて又妙な手真似まじりに、何か外国語をしやべり出した。その意味も彼女にはわからなかつたが、唯この外国人が彼女の商売に、多少の理解を持つてゐる事は、朧げながらも推測がついた。  支那語を知らない外国人と、長い一夜を明す事も、金花には珍しい事ではなかつた。そこで彼女は椅子にかけると、殆習慣になつてゐる、愛想の好い微笑を見せながら、相手には全然通じない冗談などを云ひ始めた。が、客はその冗談がわかるのではないかと疑はれる程、一言二言しやべつては、上機嫌の笑ひ声を挙げながら、前よりも更に目まぐるしく、いろいろな手真似を使ひ出した。  客の吐く息は酒臭かつた。しかしその陶然と赤くなつた顔は、この索寞とした部屋の空気が、明くなるかと思ふ程、男らしい活力に溢れてゐた。少くともそれは金花にとつては、日頃見慣れてゐる南京の同国人は云ふまでもなく、今まで彼女が見た事のある、どんな東洋西洋の外国人よりも立派であつた。が、それにも関らず、前にも一度この顔を見た覚えのあると云ふ、さつきの感じだけはどうしても、打ち消す事が出来なかつた。金花は客の額に懸つた、黒い捲き毛を眺めながら、気軽さうに愛嬌を振り撒く内にも、この顔に始めて遇つた時の記憶を、一生懸命に喚び起さうとした。 「この間肥つた奥さんと一しよに、画舫に乗つてゐた人かしら。いやいや、あの人は髪の色が、もつとずつと赤かつた。では秦淮の孔子様の廟へ、写真機を向けてゐた人かも知れない。しかしあの人はこの御客より、年をとつてゐたやうな心もちがする。さうさう、何時か利渉橋の側の飯館の前に、人だかりがしてゐると思つたら、丁度この御客によく似た人が、太い籐の杖を振り上げて、人力車夫の背中を打つてゐたつけ。事によると、――が、どうもあの人の眼は、もつと瞳が青かつたやうだ。……」  金花がこんな事を考へてゐる内に、不相変愉快さうな外国人は、何時かパイプに煙草をつめて、匂の好い煙を吐き出してゐた。それが急に又何とか云つて、今度はおとなしくにやにや笑ふと、片手の指を二本延べて、金花の眼の前へ突き出しながら、?と云ふ意味の身ぶりをした。指二本が二弗と云ふ金額を示してゐることは、勿論誰の眼にも明かであつた。が、客を泊めない金花は、器用に西瓜の種を鳴らして、否と云ふ印に二度ばかり、これも笑ひ顔を振つて見せた。すると客は卓の上に横柄な両肘を凭せた儘、うす暗いランプの光の中に、近々と酔顔をさし延ばして、ぢつと彼女を見守つたが、やがて又指を三本出して、答を待つやうな眼つきをした。  金花はちよいと椅子をずらせて、西瓜の種を含んだ儘、当惑らしい顔になつた。客は確に二弗の金では、彼女が体を任せないと云つたやうに思つてゐるらしかつた。と云つて言葉の通じない彼に、立ち入つた仔細をのみこませる事は、到底出来さうにも思はれなかつた。そこで金花は今更のやうに、彼女の軽率を後悔しながら、涼しい視線を外へ転じて、仕方なく更にきつぱりと、もう一度頭を振つて見せた。  所が相手の外国人は、暫くうす笑ひを浮べながら、ためらふやうな気色を示した後、四本の指をさし延ばして、何か又外国語をしやべつて聞かせた。途方に暮れた金花は頬を抑へて、微笑する気力もなくなつてゐたが、咄嗟にもうかうなつた上は、何時までも首を振り続けて、相手が思ひ切る時を待つ外はないと決心した。が、さう思ふ内にも客の手は、何か眼に見えないものでも捉へるやうに、とうとう五指とも開いてしまつた。  それから二人は長い間、手真似と身ぶりとの入り交つた押し問答を続けてゐた。その間に客は根気よく、一本づつ指の数を増した揚句、しまひには十弗の金を出しても、惜しくないと云ふ意気ごみを示すやうになつた。が、私窩子には大金の十弗も、金花の決心は動かせなかつた。彼女はさつきから椅子を離れて、斜に卓の前へ佇んでゐたが、相手が両手の指を見せると、苛立たしさうに足踏みして、何度も続けさまに頭を振つた。その途端にどう云ふ拍子か、釘に懸つてゐた十字架がはづれて、かすかな金属の音を立てながら、足もとの敷石の上に落ちた。  彼女は慌しい手を延べて、大切な十字架を拾ひ上げた。その時何気なく十字架に彫られた、受難の基督の顔を見ると、不思議にもそれが卓の向うの、外国人の顔と生き写しであつた。 「何でも何処かで見たやうだと思つたのは、この基督様の御顔だつたのだ。」  金花は黒繻子の上衣の胸に、真鍮の十字架を押し当てた儘、卓を隔てた客の顔へ、思はず驚きの視線を投げた。客はやはりランプの光に、酒気を帯びた顔を火照らせながら、時々パイプの煙を吐いては、意味ありげな微笑を浮べてゐた。しかもその眼は彼女の姿へ、――恐らくは白い頸すぢから、翡翠の環を下げた耳のあたりへ、絶えずさまよつてゐるらしかつた。しかしかう云ふ客の容子も、金花には優しい一種の威厳に、充ち満ちてゐるかのやうな心もちがした。  やがて客はパイプを止めると、わざとらしく小首を傾けて、何やら笑ひ声の言葉をかけた。それが金花の心には、殆巧妙な催眠術師が、被術者の耳に囁き聞かせる、暗示のやうな作用を起した。彼女はあの健気な決心も、全く忘れてしまつたのか、そつとほほ笑んだ眼を伏せて、真鍮の十字架を手まさぐりながら、この怪しい外国人の側へ、羞しさうに歩み寄つた。  客はズボンの隠しを探つて、じやらじやら銀の音をさせながら、依然とうす笑ひを浮べた眼に、暫くは金花の立ち姿を好ましさうに眺めてゐた。が、その眼の中のうす笑ひが、熱のあるやうな光に変つたと思ふと、いきなり椅子から飛び上つて、酒の匂のする背広の腕に、力一ぱい金花を抱きすくめた。金花はまるで喪心したやうに、翡翠の耳環の下がつた頭をぐつたりと後へ仰向けた儘、しかし蒼白い頬の底には、鮮な血の色を仄めかせて、鼻の先に迫つた彼の顔へ、恍惚としたうす眼を注いでゐた。この不思議な外国人に、彼女の体を自由にさせるか、それとも病を移さない為に、彼の接吻を刎ねつけるか、そんな思慮をめぐらす余裕は、勿論何処にも見当らなかつた。金花は髯だらけな客の口に、彼女の口を任せながら、唯燃えるやうな恋愛の歓喜が、始めて知つた恋愛の歓喜が、激しく彼女の胸もとへ、突き上げて来るのを知るばかりであつた。…… 二  数時間の後、ランプの消えた部屋の中には、唯かすかな蟋蟀の声が、寝台を洩れる二人の寝息に、寂しい秋意を加へてゐた。しかしその間に金花の夢は、埃じみた寝台の帷から、屋根の上にある星月夜へ、煙のやうに高々と昇つて行つた。         *      *      *  ――金花は紫檀の椅子に坐つて、卓の上に並んでゐる、さまざまな料理に箸をつけてゐた。燕の巣、鮫の鰭、蒸した卵、燻した鯉、豚の丸煮、海参の羹、――料理はいくら数へても、到底数へ尽されなかつた。しかもその食器が悉、べた一面に青い蓮華や金の鳳凰を描き立てた、立派な皿小鉢ばかりであつた。  彼女の椅子の後には、絳紗の帷を垂れた窓があつて、その又窓の外には川があるのか、静な水の音や櫂の音が、絶えず此処まで聞えて来た。それがどうも彼女には、幼少の時から見慣れてゐる、秦淮らしい心もちがした。しかし彼女が今ゐる所は、確に天国の町にある、基督の家に違ひなかつた。  金花は時々箸を止めて、卓の周囲を眺めまはした。が、広い部屋の中には、竜の彫刻のある柱だの、大輪の菊の鉢植ゑだのが、料理の湯気に仄めいてゐる外は、一人も人影は見えなかつた。  それにも関らず卓の上には、食器が一つからになると、忽ち何処からか新しい料理が、暖な香気を漲らせて、彼女の眼の前へ運ばれて来た。と思ふと又箸をつけない内に、丸焼きの雉なぞが羽搏きをして紹興酒の瓶を倒しながら、部屋の天井へばたばたと、舞ひ上つてしまふ事もあつた。  その内に金花は誰か一人、音もなく彼女の椅子の後へ、歩み寄つたのに心づいた。そこで箸を持つた儘、そつと後を振り返つて見た。すると其処にはどう云ふ訳か、あると思つた窓がなくて、緞子の蒲団を敷いた紫檀の椅子に、見慣れない一人の外国人が、真鍮の水煙管を啣へながら、悠々と腰を下してゐた。  金花はその男を一目見ると、それが今夜彼女の部屋へ、泊りに来た男だと云ふ事がわかつた。が、唯一つ彼と違ふ事には、丁度三日月のやうな光の環が、この外国人の頭の上、一尺ばかりの空に懸つてゐた。その時又金花の眼の前には、何だか湯気の立つ大皿が一つ、まるで卓から湧いたやうに、突然旨さうな料理を運んで来た。彼女はすぐに箸を挙げて、皿の中の珍味を挾まうとしたが、ふと彼女の後にゐる外国人の事を思ひ出して、肩越しに彼を見返りながら、 「あなたも此処へいらつしやいませんか。」と、遠慮がましい声をかけた。 「まあ、お前だけお食べ。それを食べるとお前の病気が、今夜の内によくなるから。」  円光を頂いた外国人は、やはり水煙管を啣へた儘、無限の愛を含んだ微笑を洩らした。 「ではあなたは召上らないのでございますか。」 「私かい。私は支那料理は嫌ひだよ。お前はまだ私を知らないのかい。耶蘇基督はまだ一度も、支那料理を食べた事はないのだよ。」  南京の基督はかう云つたと思ふと、徐に紫檀の椅子を離れて、呆気にとられた金花の頬へ、後から優しい接吻を与へた。         *      *      *  天国の夢がさめたのは、既に秋の明け方の光が、狭い部屋中にうすら寒く拡がり出した頃であつた。が、埃臭い帷を垂れた、小舸のやうな寝台の中には、さすがにまだ生暖い仄かな闇が残つてゐた。そのうす暗がりに浮んでゐる、半ば仰向いた金花の顔は、色もわからない古毛布に、円い括り顋を隠した儘、未に眠い眼を開かなかつた。しかし血色の悪い頬には、昨夜の汗にくつついたのか、べつたり油じみた髪が乱れて、心もち明いた唇の隙にも、糯米のやうに細い歯が、かすかに白々と覗いてゐた。  金花は眠りがさめた今でも、菊の花や、水の音や、雉の丸焼きや、耶蘇基督や、その外いろいろな夢の記憶に、うとうと心をさまよはせてゐた。が、その内に寝台の中が、だんだん明くなつて来ると、彼女の快い夢見心にも、傍若無人な現実が、昨夜不思議な外国人と一しよに、この籐の寝台へ上つた事が、はつきりと意識に踏みこんで来た。 「もしあの人に病気でも移したら、――」  金花はさう考へると、急に心が暗くなつて、今朝は再彼の顔を見るに堪へないやうな心もちがした。が、一度眼がさめた以上、なつかしい彼の日に焼けた顔を何時までも見ずにゐる事は、猶更彼女には堪へられなかつた。そこで暫くためらつた後、彼女は怯づ怯づ眼を開いて、今はもう明くなつた寝台の中を見まはした。しかし其処には思ひもよらず、毛布に蔽はれた彼女の外は、十字架の耶蘇に似た彼は勿論、人の影さへも見えなかつた。 「ではあれも夢だつたかしら。」  垢じみた毛布を刎ねのけるが早いか、金花は寝台の上に起き直つた。さうして両手に眼を擦つてから、重さうに下つた帷を掲げて、まだ渋い視線を部屋の中へ投げた。  部屋は冷かな朝の空気に、残酷な位歴々と、あらゆる物の輪廓を描いてゐた。古びた卓、火の消えたランプ、それから一脚は床に倒れ、一脚は壁に向つてゐる椅子、――すべてが昨夜の儘であつた。そればかりか現に卓の上には、西瓜の種が散らばつた中に、小さな真鍮の十字架さへ、鈍い光を放つてゐた。金花は眩い眼をしばたたいて、茫然とあたりを見まはしながら、暫くは取り乱した寝台の上に、寒さうな横坐りを改めなかつた。 「やつぱり夢ではなかつたのだ。」  金花はかう呟きながら、さまざまにあの外国人の不可解な行く方を思ひやつた。勿論考へるまでもなく、彼は彼女が眠つてゐる暇に、そつと部屋を抜け出して、帰つたかも知れないと云ふ気はあつた。しかしあれ程彼女を愛撫した彼が、一言も別れを惜まずに、行つてしまつたと云ふ事は、信じられないと云ふよりも、寧ろ信じるに忍びなかつた。その上彼女はあの怪しい外国人から、まだ約束の十弗の金さへ、貰ふ事を忘れてゐたのであつた。 「それとも本当に帰つたのかしら。」  彼女は重い胸を抱きながら、毛布の上に脱ぎ捨てた、黒繻子の上衣をひつかけようとした。が、突然その手を止めると、彼女の顔には見る見る内に、生き生きした血の色が拡がり始めた。それはペンキ塗りの戸の向うに、あの怪しい外国人の足音でも聞えた為であらうか。或は又枕や毛布にしみた、酒臭い彼の移り香が、偶然恥しい昨夜の記憶を喚びさました為であらうか。いや、金花はこの瞬間、彼女の体に起つた奇蹟が、一夜の中に跡方もなく、悪性を極めた楊梅瘡を癒した事に気づいたのであつた。 「ではあの人が基督様だつたのだ。」  彼女は思はず襯衣の儘、転ぶやうに寝台を這ひ下りると、冷たい敷き石の上に跪いて、再生の主と言葉を交した、美しいマグダラのマリアのやうに、熱心な祈祷を捧げ出した。…… 三  翌年の春の或夜、宋金花を訪れた、若い日本の旅行家は再うす暗いランプの下に、彼女と卓を挾んでゐた。 「まだ十字架がかけてあるぢやないか。」  その夜彼が何かの拍子に、ひやかすやうにかういふと、金花は急に真面目になつて、一夜南京に降つた基督が、彼女の病を癒したと云ふ、不思議な話を聞かせ始めた。  その話を聞きながら、若い日本の旅行家は、こんな事を独り考へてゐた。―― 「おれはその外国人を知つてゐる。あいつは日本人と亜米利加人との混血児だ。名前は確か George Murry とか云つたつけ。あいつはおれの知り合ひの路透電報局の通信員に、基督教を信じてゐる、南京の私窩子を一晩買つて、その女がすやすや眠つてゐる間に、そつと逃げて来たと云ふ話を得意らしく話したさうだ。おれがこの前に来た時には、丁度あいつもおれと同じ上海のホテルに泊つてゐたから、顔だけは今でも覚えてゐる。何でもやはり英字新聞の通信員だと称してゐたが、男振りに似合はない、人の悪るさうな人間だつた。あいつがその後悪性な梅毒から、とうとう発狂してしまつたのは、事によるとこの女の病気が伝染したのかも知れない。しかしこの女は今になつても、ああ云ふ無頼な混血児を耶蘇基督だと思つてゐる。おれは一体この女の為に、蒙を啓いてやるべきであらうか。それとも黙つて永久に、昔の西洋の伝説のやうな夢を見させて置くべきだらうか……」  金花の話が終つた時、彼は思ひ出したやうに燐寸を擦つて、匂の高い葉巻をふかし出した。さうしてわざと熱心さうに、こんな窮した質問をした。 「さうかい。それは不思議だな。だが、――だがお前は、その後一度も煩はないかい。」 「ええ、一度も。」  金花は西瓜の種を噛りながら、晴れ晴れと顔を輝かせて、少しもためらはずに返事をした。 本篇を草するに当り、谷崎潤一郎氏作「秦淮の一夜」に負ふ所尠からず。附記して感謝の意を表す。 (大正九年六月)
底本:「現代日本文學大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 初出:「中央公論」中央公論社    1920(大正9)年7月 入力:j.utiyama 校正:柳沢成雄 1998年11月12日公開 2020年2月2日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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一 霹靂一声 一九二六年四月二十日水曜日の朝端しなくも東京に発表せられしロイテル電報は政治社会及商業社会に少なからぬ畏懼と激動とを与へぬ 報は火曜日の夜日本領瓜哇発にて其文左の如し 今午後の事也昨朝当港に碇泊せる仏国東洋艦隊に属せる一水兵は我太平洋艦隊なる香取の一水兵と珈琲店に於て争論を引き起し其場に居合せたる日仏両国の水兵は各々其味方をなし果は双方打擲に及び剰へ其処に掲げられし御神影は微塵にうち毀たれ簷頭に樹立せられし日本国旗は散々に寸断されぬ 仏国の水兵は遂に街路に押出され後には端艇迄追ひやられたり 聞くところによれば仏兵は小銃を発射せし由にて仏国方には二三名の死者さへ出せし趣なりされど当地の人心の激昂せると警官の非常なる沈黙を守れると四辺に厳重なる非常線の張られたるとによりて毫も信ずべき確報に接せず 我香取艦長は直に仏国の旗艦ジヤンヌ号を訪へり 其の目的は事の説明を求めん為なるべく或は説明を与ふる為なりとも云ふ 其再び上陸したる後も一の公報を発せざれば精確なる事情は更に知れず 事の形勢は重大と云ふ程には非るも何時重大に変ずるや知る可からず 仏国東洋艦隊司令官は今やサイゴンと電信の往復頻繁なり(四月十九日瓜哇ホノルヽ港発電) 此の驚くべき飛電に次で更に更に驚くべき事件は吾人の最信頼せる時事日報に依て伝へられたり 曰く ホノルヽ発 昨朝五時を過る頃戦闘艦三隻装甲巡洋艦十一隻及其他若干の水雷艇並に水雷駆逐艇よりなる仏国東洋艦隊は急に当港を抜錨せり之と同時に我太平洋艦隊も又港外に進めり 是等の運動の目的は更に知れざるを以て驚くべき流言百出し当地は今混乱を極めをれり ホノルヽ騒擾の報伝ると共に東京又騒擾の巷となれり 号外電信は乱雲の如く東西南北に飛び市民は都下各所の新聞社前に群集して数分毎に張出さるべき掲示を見んとひしめきあへり 一日過ぎ二日過ぎぬ 新聞紙上の声は益〻高まりて果は此為に発行停止の災を蒙りしものさへ出来ぬ 市民は比較的穏にして只二三の暴漢の仏国公使館外に暴言放ち瓦礫を飛して其玻璃窓を破りしのみ然れども政談演説会は殆絶間なく開かれ愛国的演説の大道に行はるゝもの亦多数を極めたり 突如にして中央新報号外を放て曰く ○仏国装甲巡洋艦モンカルム号上海に入り台湾附近を測量しつゝあり(上海電報) ○仏国地中海艦隊亜丁附近にあり(同上) ○仏国陸兵三万サイゴンに輸送さる(同上) ○サイゴン。アンピン。間の海底電線は全く切断せられたり(サイゴン特派員発) 此三四日来飛電の驚くべきもの続々として来れり其重大なるものを上れば 水曜日午後オステンド発 仏国駐箚日本公使は急に当地に着したり 彼は昨夜睡眠中二時間内に巴里を引払ふべき訓令に接し守兵に擁せられてベルギーの国境をこへそれより特派の汽船にて英国に向て発したり 風説によれば仏国東洋艦隊は昨日争闘中日本水兵の為に殺傷せられし被害に対し十分の要償を得る迄は日本太平洋艦隊の出発を防圧すべき訓令を受けて日本艦隊の解纜と共に港外に出でたりと云ふ 危機正に迫れり 日本公使の引払は明に平和の破れしを証するもの也 キールン発 今朝旅客船太平号は例の如くサイゴン向けて出発せしに仏領海岸を去る四浬の所にて仏艦スチツクス号に捕へられ船長につぐるに日仏間平和の破れたるを以てす依て不得止太平号は当地に引還せり其他二三の汽船も同じ取扱をうけたり アントワープ発 仏国政府は昨日ホノルヽなる東洋艦隊司令に訓令を与へたり この訓令は昨日の争闘に関し必日本艦隊の出港を防圧せよと云ふにあり仏国にては既に非常の戦争熱を生ぜりと云ふ ブラツセル発 仏国北海艦隊は緊急出港の命をうけて其根拠地を出発せり 目的地点は知るを得ず 同上発 仏国にては同国製造の新造巡洋艦五隻及八隻の潜航水雷艇を今月下旬迄に進水せしむべき由猶其他建造中の巡洋艦六隻あり ボルドー発 仏国大西洋艦隊入港せり 潜航艇五隻附随 アントワープ発 ベルギーは仕義によりて兵を出し仏国との国境を守るべし ブラツセル発 一大変報は東より来れり 曰く日仏艦隊ホノルヽ港外に於て衝突を始めたり其詳報は接する由なし 開戦の宣告は疑なく東京に向て発せられたる也 そは午後なるものゝ如し仏京に於ける人心の激昂は非常也 一九二六年四月二十三日宣戦の大詔下り(日本は)自由行動をとる旨を各国に発表せり 太平洋艦隊本国政府の命をうけて正に帰航せんとす仏国東洋艦隊亦本国政府の訓令をうけて其出港を防圧しこゝに於て日仏両国の海戦は開かれたる也 情報屡至れども確報未不至 東京の市民ひとしく疑念を以て之を待ちしが程なく疑念は変じて悲痛となりしこそ口惜しけれ 二 一九二六年四月二十四日東京に達せし日本太平洋艦隊司令官の報告に曰く        一 午前五時四十分我艦隊は当港を抜錨す 我は二列縦陣をとり三時間程は十八節の速力を持続せり此日朝来霧深く波荒し 九時五十分遙か右方の海上に仏国東洋艦隊をのぞむその追尾の目的なるや疑なし        二 十時二十分彼我の距離漸に近く両艦隊相並行して進めり十時三十分敵艦隊は突然進路を左に転じ我中腹をさして進むと共に俄然猛撃を開始せり 敵艦隊の右舷速射砲は悉々発砲せられ我は多大の損害を被りたり        三 我艦隊は進路を右に転じ敵の後に向て進み彼相反対の方向に向て進みぬ 此時我艦隊は一斉に右舷砲を以て砲撃せしもさしたる損害を能ふる事不能 此間敵は終始砲撃を加へしかば我「夕張」は吃水線下に一弾を蒙りて遂に轟沈せり 続て桜山も敵の潜航艇の襲ふところとなり「夕張」と運命を同じくせり        四 砲撃正に酣にして「石狩」大破をうけて沈む 両艦隊は転じて同方向に向て走り彼我相並行して進みつゝ互に砲丸を交ゆ 此時「淡水」の放ちし巨丸ジヤンバールに命中し火災を起し遂に沈めり 砲撃は五時(午後)二十分を以て漸くに完り我艦隊は全力を挙げて敵の重囲を破り西北に向て逃走せり 敵艦隊の追撃頗急なりしも殿艦「天草」よく戦ひ之を撃退せり右不敢取報告す 一九二六年四月二十二日 日本太平洋艦隊司令官報告 悲むべき哉 開戦劈頭の一戦見事我大敗に期せり如何に仏国艦隊の優勢なりしにせよ我は正しく彼の為に一大汚辱を蒙りしもの也 此一大汚辱は何を以てか之を晴すべき 他なし只戦捷の二字あるのみ 今や我海軍は彼の為に一大打撃を加へられたり此一大打撃何を以てか之にかへん他なし只「復讐」の二字あるのみ 時事日報に掲載せられし海戦の実験談てふもの比較的明細にして海戦の詳説とも見るべければ茲に下に掲ぐ 『自分は今米国の郵船バダゴニヤ号に救れて今このバンクーバーに上陸した之は深く同船長に謝するところである 自分は今日の早朝 我太平洋艦隊の奮闘を貴社に打電しようと思ふ 之は自分の深く悲むところである 自分は帝国一等装甲巡洋艦石狩の乗員であつたが四月二十二日の朝五時四十分至急の出艦でこのホノルヽを出た 我艦隊は旗艦「立山」を先鋒として二列縦陣を作り殿艦は桜山と弥彦とであつた 此日は非常に霧が深く其上昨夜来の大風は未静まらないで波は三十呎程も高く艦の進行には頗困難であつた 強風荒濤を犯して艦隊は約十八節の速力を以て進行したが何分前に云た様な仕義で進行がはかどらない 兎こうしてゐる中に遙か右側の海上に艦影が二つ三つ見へ出した見ると仏国東洋艦隊それである三色旗の片々として翻へるのも見へる 艦員一同の肩は昂た血は沸た肉は躍た骨は鳴た しかし此処で戦ふ訳には行かぬ我艦隊は至急帰航と云ふ任命をうけてゐる避けるだけ避けねばならぬ 否々決して逃れるのではない任務の為に避けるのである 我艦隊は全速力を以て○○○の方面に進だが敵も又全速力で我艦隊と同方向に進みⅡ形をなして進だ 敵は早くも陣形を変じて我中腹に向て進行して来たので彼我正に一大コムパス形になつた続て一大コムパス形は一大T字形となつた我は横に走り敵は縦に進む我軍にとつては非常な不利である 我司令官もそれを見て急に右折して又一大コンパス形になつてこゝで最激烈な砲火が開かれた 敵はT形になつた時もうこの機に乗じて右舷速射砲を乱射したので我軍の損害は非常であつて自分の乗艦「石狩」抔はハツチを微塵にうちくだかれ檣楼も破られる甲板もうちぬかれると云ふ仕末である 此時最も大多数の死傷者を出した 見ると端艇も只一艘をのこす外は悉うち砕かれ甲板は一面の碧血で傷者の呻吟の声が砲声の絶間絶間に聞へるのである 彼我共に無煙火薬ではあるし且石炭も純良な英炭を使用するから硝煙煤煙は左のみ烈しくはないがその爆声の凄じい事天地振動する様な響である 程なく夕張が沈み続て桜山が沈だ 砲丸は雨よりもはげしい 自分は前部十二吋砲の掛りであつたが敵弾はひし〳〵と我艦に命中する見る間に後部甲板が打ぬかれた 次で巨弾はブリツヂに命中してその上に立てゐた艦長始二三の士官をいづこへか奪ひさつた 更に次で一弾は機関室をつらぬいた 最後に一発の巨弾は前部甲板をうち竜骨を貫て深く水に入たからたまらない艦は艦首の方から徐に沈みはじめた 弾は漸くに尽きんとし士卒は一人として傷かぬはない今や我石狩の最後である 自分の艦に最接してゐるジヤンバールは信号を以て降参せよとせまる もし降参しなければ一撃の下に撃沈される事は必常であるしさは云へ降参抔とは男子として忍ぶべからざる屈辱でもある 自分は応ずるに「否」なる信号を以てした その信号の完るか完らぬに敵の水雷は半沈みかゝつてゐる石狩の左舷舷側に爆発した もう多く云ふに忍びぬ 艦の運命はそこで完た云々』 時事日報は此識者は石狩分隊長少佐清水昌彦氏なる旨附記せり 三 一九二六年四月二十九日の時事日報は吾人に喜ぶべき報道を与へたり 曰く 如何な砲弾にをも堪へ得べき一種の金属を発明せる人あり 之は先年上滝式無煙火薬を製造して其名海内に嘖々たる上滝嵬氏にして之を上滝式防弾鉄と名づけたり 夫と同時に又驚くべき強力の巨砲を発明せる軍人あり 之先に海外に留学し来りし陸軍少将斎藤秀郷君なり この巨砲はよく五里以上十里以下のものを粉砕する事を得べく斎藤砲の名あり云々 兎に角喜ぶべき報知ならずや吾人は刮目して其将来を眺めん哉         *      *      * 中央新報号外を出して曰く 仏艦瓜哇を占領す 仏艦隊海戦に勝利を得たるより横暴日に甚しく 遂に瓜哇を占領して大惨殺をホノルヽ市民に与へたり 加之東洋トラストの巨人野口真造氏の所有船小松丸を撃沈し 西尾ライス商会主の持船を奪ふ抔 不法の振舞多し 日仏戦史 近代の大文豪其名海内に轟ける芥川龍之介(エヘン)氏は早稲田の別邸に引こもり大日仏戦史著作中なり 挿画は一切棚橋弟丸画伯に一任すると 憎むべき仏探 憎むべき仏探杉浦与四郎昨日捕縛咄人非人 空前の大発明 大軍医吉田春夫氏 あらゆる病患を癒すべき薬品を発見す原名ヨークオツコルと云ふ由空前の大発明也 「をゝをゝ快哉」我と我声に驚て見れば之南柯の一夢春風面を撫でゝ庭前の梅花のちる事雪の如し(おはり) 是非 御批評を乞 実四頁迄は真面目にかいたのだがちと訳があつて以下なぐり筆にして書きをくる 君の従順なる Mr. S. Noguchi           R. Akutagawa 一九〇六年四月三十日発行 発行人 野口真造 編輯人 芥川龍之介 印刷人 大島敏夫 発行所 流星社 (非売品) 大売さばき 大彦屋書店 (中学生時代)
底本:「現代日本文學大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 ※表題は底本では、「廿年後之戦争(中学時代)[#「(中学時代)」は1段階小さな文字]」となっています。 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月17日公開 2020年9月23日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 この夏僕のところへ、山形県から手紙が来た。手紙を出した人は、山崎操と云ふ人だつた。これが今迄、手紙を貰つたこともなければ逢つたこともない人だつた。  ところが、手紙をあけてみると、あなたに貸した百円の金を至急返してくれ、もし返してくれなければ告訴すると云ふのだから吃驚した。何でもその文面によると、僕が仙台の針久旅館とかに泊つてゐて、電報為替で金を取り寄せたと云ふのであつた。しかし僕は、山形県は勿論、仙台へ行つたこともなければ、況んや針久旅館などに泊つたこともない。  その山崎と云ふ人の手紙は、内容証明になつてゐたから、僕も早速内容証明で、あなたには逢つたこともなければ、金を借りた憶えは猶更ないと云つてやつた。それから僕は軽井沢に行つた。  すると又、その山崎と云ふ人の手紙が、東京から軽井沢へ転送して来た。今度は内容証明ではなかつたけれども、中をあけてみると、やはりあなたに貸した百円を返して下さいと書いてあつた。のみならず、わたしも病身ではあり女のことだからと書いてあつた。僕は、山崎操なるものの女だと云ふことを発見して気の毒にも感じたが、借りた憶えのない借金を返せ返せと云はれるのは不愉快に違ひなかつた。それからも一度、あなたに金を借りた憶えはない。あなたも借金の催促をする前に、あなたの知つてゐる芥川龍之介は本ものかどうか、確かめたらよいだらうと云つてやつた。  それぎり今日まで何とも云つて来ない。二度目の手紙は飯坂温泉から出したものだが、誰か僕の名前を騙つて、金を借りたやつがあるに違ひない。  さうかと思ふと、その前に長野県から何とか云ふ人が、盗難見舞の手紙をよこした。これも未知の人だつた。それにも係らず、手紙の末に、あなたに序文を書いて頂いて洵に難有いと書いてあつた。  勿論僕はその人の本に――第一どんな本を出したのかさへ不明である――序文など書いた憶えはなかつた。しかしその手紙には、生憎住所が書いてなかつたから、未だに、長野県の人には返事を出すことが出来ずにゐる。  これは一人僕ばかりではない。文壇の諸家の名を騙るものが、この頃は時々ゐるやうである。  画家や俳人の偽者は、実際絵なり句なりを作らせてみれば看破するのも容易だが、小説家の偽者は、眼の前で小説を作るなどと云ふ御座敷芸のない為に看破しにくいのに違ひない。地方の文芸愛好家は、かう云ふ偽者の毒手にかからないやうに注意して貰ひたいと思つてゐる。  一体僕に云はせれば、動物園の象でも見たがるやうに小説家などを見たがるのが間違ひなんだが。 (大正十四年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 舎衛城は人口の多い都である。が、城の面積は人口の多い割に広くはない。従ってまた厠溷も多くはない。城中の人々はそのためにたいていはわざわざ城外へ出、大小便をすることに定めている。ただ波羅門や刹帝利だけは便器の中に用を足し、特に足を労することをしない。しかしこの便器の中の糞尿もどうにか始末をつけなければならぬ。その始末をつけるのが除糞人と呼ばれる人々である。  もう髪の黄ばみかけた尼提はこう言う除糞人の一人である。舎衛城の中でも最も貧しい、同時に最も心身の清浄に縁の遠い人々の一人である。  ある日の午後、尼提はいつものように諸家の糞尿を大きい瓦器の中に集め、そのまた瓦器を背に負ったまま、いろいろの店の軒を並べた、狭苦しい路を歩いていた。すると向うから歩いて来たのは鉢を持った一人の沙門である。尼提はこの沙門を見るが早いか、これは大変な人に出会ったと思った。沙門はちょっと見たところでは当り前の人と変りはない。が、その眉間の白毫や青紺色の目を知っているものには確かに祇園精舎にいる釈迦如来に違いなかったからである。  釈迦如来は勿論三界六道の教主、十方最勝、光明無礙、億々衆生平等引導の能化である。けれどもその何ものたるかは尼提の知っているところではない。ただ彼の知っているのはこの舎衛国の波斯匿王さえ如来の前には臣下のように礼拝すると言うことだけである。あるいはまた名高い給孤独長者も祇園精舎を造るために祇陀童子の園苑を買った時には黄金を地に布いたと言うことだけである。尼提はこう言う如来の前に糞器を背負った彼自身を羞じ、万が一にも無礼のないように倉皇と他の路へ曲ってしまった。  しかし如来はその前に尼提の姿を見つけていた。のみならず彼が他の路へ曲って行った動機をも見つけていた。その動機が思わず如来の頬に微笑を漂わさせたのは勿論である。微笑を?――いや、必ずしも「微笑を」ではない。無智愚昧の衆生に対する、海よりも深い憐憫の情はその青紺色の目の中にも一滴の涙さえ浮べさせたのである。こう言う大慈悲心を動かした如来はたちまち平生の神通力により、この年をとった除糞人をも弟子の数に加えようと決心した。  尼提の今度曲ったのもやはり前のように狭い路である。彼は後を振り返って如来の来ないのを確かめた上、始めてほっと一息した。如来は摩迦陀国の王子であり、如来の弟子たちもたいていは身分の高い人々である。罪業の深い彼などは妄りに咫尺することを避けなければならぬ。しかし今は幸いにも無事に如来の目を晦ませ、――尼提ははっとして立ちどまった。如来はいつか彼の向うに威厳のある微笑を浮べたまま、安庠とこちらへ歩いている。  尼提は糞器の重いのを厭わず、もう一度他の路へ曲って行った。如来が彼の面前へ姿を現したのは不可思議である。が、あるいは一刻も早く祇園精舎へ帰るためにぬけ道か何かしたのかも知れない。彼は今度も咄嗟の間に如来の金身に近づかずにすんだ。それだけはせめてもの仕合せである。けれども尼提はこう思った時、また如来の向うから歩いて来るのに喫驚した。  三度目に尼提の曲った路にも如来は悠々と歩いている。  四たび目に尼提の曲った道にも如来は獅子王のように歩いている。  五たび目に尼提の曲った路にも、――尼提は狭い路を七たび曲り、七たびとも如来の歩いて来るのに出会った。殊に七たび目に曲ったのはもう逃げ道のない袋路である。如来は彼の狼狽するのを見ると、路のまん中に佇んだなり、徐ろに彼をさし招いた。「その指繊長にして、爪は赤銅のごとく、掌は蓮華に似たる」手を挙げて「恐れるな」と言う意味を示したのである。が、尼提はいよいよ驚き、とうとう瓦器をとり落した。 「まことに恐れ入りますが、どうかここをお通し下さいまし。」  進退共に窮まった尼提は糞汁の中に跪いたまま、こう如来に歎願した。しかし如来は不相変威厳のある微笑を湛えながら、静かに彼の顔を見下している。 「尼提よ、お前もわたしのように出家せぬか!」  如来が雷音に呼びかけた時、尼提は途方に暮れた余り、合掌して如来を見上げていた。 「わたくしは賤しいものでございまする。とうていあなた様のお弟子たちなどと御一しょにおることは出来ませぬ。」 「いやいや、仏法の貴賤を分たぬのはたとえば猛火の大小好悪を焼き尽してしまうのと変りはない。……」  それから、――それから如来の偈を説いたことは経文に書いてある通りである。  半月ばかりたった後、祇園精舎に参った給孤独長者は竹や芭蕉の中の路を尼提が一人歩いて来るのに出会った。彼の姿は仏弟子になっても、余り除糞人だった時と変っていない。が、彼の頭だけはとうに髪の毛を落している。尼提は長者の来るのを見ると、路ばたに立ちどまって合掌した。 「尼提よ。お前は仕合せものだ。一たび如来のお弟子となれば、永久に生死を躍り越えて常寂光土に遊ぶことが出来るぞ。」  尼提はこう言う長者の言葉にいよいよ慇懃に返事をした。 「長者よ。それはわたくしが悪かった訣ではございませぬ。ただどの路へ曲っても、必ずその路へお出になった如来がお悪かったのでございまする。」  しかし尼提は経文によれば、一心に聴法をつづけた後、ついに初果を得たと言うことである。 (大正十四年八月十三日)
底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1987(昭和62)年3月24日第1刷発行    1993(平成5)年2月25日第6刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年2月1日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     大谷川  馬返しをすぎて少し行くと大谷川の見える所へ出た。落葉に埋もれた石の上に腰をおろして川を見る。川はずうっと下の谷底を流れているので幅がやっと五、六尺に見える。川をはさんだ山は紅葉と黄葉とにすきまなくおおわれて、その間をほとんど純粋に近い藍色の水が白い泡を噴いて流れてゆく。  そうしてその紅葉と黄葉との間をもれてくる光がなんとも言えない暖かさをもらして、見上げると山は私の頭の上にもそびえて、青空の画室のスカイライトのように狭く限られているのが、ちょうど岩の間から深い淵をのぞいたような気を起させる。  対岸の山は半ばは同じ紅葉につつまれて、その上はさすがに冬枯れた草山だが、そのゆったりした肩には紅い光のある靄がかかって、かっ色の毛きらずビロードをたたんだような山の肌がいかにも優しい感じを起させる。その上に白い炭焼の煙が低く山腹をはっていたのはさらに私をゆかしい思いにふけらせた。  石をはなれてふたたび山道にかかった時、私は「谷水のつきてこがるる紅葉かな」という蕪村の句を思い出した。      戦場が原  枯草の間を沼のほとりへ出る。  黄泥の岸には、薄氷が残っている。枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲の影が静かに動いてゆくのが見える。  対岸には接骨木めいた樹がすがれかかった黄葉を低れて力なさそうに水にうつむいた。それをめぐって黄ばんだ葭がかなしそうに戦いて、その間からさびしい高原のけしきがながめられる。  ほおけた尾花のつづいた大野には、北国めいた、黄葉した落葉松が所々に腕だるそうにそびえて、その間をさまよう放牧の馬の群れはそぞろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔をおもい出させる。原をめぐった山々はいずれもわびしい灰色の霧につつまれて、薄い夕日の光がわずかにその頂をぬらしている。  私は荒涼とした思いをいだきながら、この水のじくじくした沼の岸にたたずんでひとりでツルゲーネフの森の旅を考えた。そうして枯草の間に竜胆の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみじみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。      巫女  年をとった巫女が白い衣に緋の袴をはいて御簾の陰にさびしそうにひとりですわっているのを見た。そうして私もなんとなくさびしくなった。  時雨もよいの夕に春日の森で若い二人の巫女にあったことがある。二人とも十二、三でやはり緋の袴に白い衣をきて白粉をつけていた。小暗い杉の下かげには落葉をたく煙がほの白く上って、しっとりと湿った森の大気は木精のささやきも聞えそうな言いがたいしずけさを漂せた。そのもの静かな森の路をもの静かにゆきちがった、若い、いや幼い巫女の後ろ姿はどんなにか私にめずらしく覚えたろう。私はほほえみながら何度も後ろをふりかえった。けれども今、冷やかな山懐の気が肌寒く迫ってくる社の片かげに寂然とすわっている老年の巫女を見ては、そぞろにかなしさを覚えずにはいられない。  私は、一生を神にささげた巫女の生涯のさびしさが、なんとなく私の心をひきつけるような気がした。      高原  裏見が滝へ行った帰りに、ひとりで、高原を貫いた、日光街道に出る小さな路をたどって行った。  武蔵野ではまだ百舌鳥がなき、鵯がなき、畑の玉蜀黍の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている白樺の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを起させる。この日は風のない暖かなひよりで、樺林の間からは、菫色の光を帯びた野州の山々の姿が何か来るのを待っているように、冷え冷えする高原の大気を透してなごりなく望まれた。  いつだったかこんな話をきいたことがある。雪国の野には冬の夜なぞによくものの声がするという。その声が遠い国に多くの人がいて口々に哀歌をうたうともきければ、森かげの梟の十羽二十羽が夜霧のほのかな中から心細そうになきあわすとも聞える。ただ、野の末から野の末へ風にのって響くそうだ。なにものの声かはしらない。ただ、この原も日がくれから、そんな声が起りそうに思われる。  こんなことを考えながら半里もある野路を飽かずにあるいた。なんのかわったところもないこの原のながめが、どうして私の感興を引いたかはしらないが、私にはこの高原の、ことに薄曇りのした静寂がなんとなくうれしかった。      工場(以下足尾所見)  黄色い硫化水素の煙が霧のようにもやもやしている。その中に職工の姿が黒く見える。すすびたシャツの胸のはだけたのや、しみだらけの手ぐいで頬かぶりをしたのや、中には裸体で濡菰を袈裟のように肩からかけたのが、反射炉のまっかな光をたたえたかたわらに動いている。機械の運転する響き、職工の大きな掛声、薄暗い工場の中に雑然として聞えるこれらの音が、気のよわい私には一つ一つ強く胸を圧するように思われる――裸体の一人が炉のかたわらに近づいた。汗でぬれた肌が露を置いたように光って見える。細長い鉄の棒で小さな炉の口をがたりとあける。紅に輝いた空の日を溶かしたような、火の流れがずーうっとまっすぐに流れ出す。流れ出すと、炉の下の大きなバケツのようなものの中へぼとぼとと重い響きをさせて落ちて行く。バケツの中がいっぱいになるに従って、火の流れがはいるたびにはらはらと火の粉がちる。火の粉は職工のぬれ菰にもかかる。それでも平気で何か歌をうたっている。  和田さんの「煒燻」を見たことがある。けれども時代の陰影とでもいうような、鋭い感興は浮かばなかった。その後にマロニックの「不漁」を見た時もやはり暗い切実な感じを覚えなかった。が今、この工場の中に立って、あの煙を見、あの火を見、そうしてあの響きをきくと、労働者の真生活というような悲壮な思いがおさえがたいまでに起ってくる。彼らの銅のような筋肉を見給え。彼らの勇ましい歌をきき給え。私たちの生活は彼らを思うたびにイラショナルなような気がしてくる。あるいは真に空虚な生活なのかもしれない。      寺と墓  路ばたに寺があった。  丹も見るかげがなくはげて、抜けかかった屋根がわらの上に擬宝珠の金がさみしそうに光っていた。縁には烏の糞が白く見えて、鰐口のほつれた紅白のひものもう色がさめたのにぶらりと長くさがったのがなんとなくうらがなしい。寺の内はしんとして人がいそうにも思われぬ。その右に墓場がある。墓場は石ばかりの山の腹にそうて開いたので、灰色をした石の間に灰色をした石塔が何本となく立っているのが、わびしい感じを起させる。草の青いのもない。立花さえもほとんど見えぬ。ただ灰色の石と灰色の墓である。その中に線香の紙がきわだって赤い。これでも人を埋めるのだ。私はこの石ばかりの墓場が何かのシンボルのような気がした。今でもあの荒涼とした石山とその上の曇った濁色の空とがまざまざと目にのこっている。      温かき心  中禅寺から足尾の町へ行く路がまだ古河橋の所へ来ない所に、川に沿うた、あばら家の一ならびがある。石をのせた屋根、こまいのあらわな壁、たおれかかったかき根とかき根には竿を渡しておしめやらよごれた青い毛布やらが、薄い日の光に干してある。そのかき根について、ここらには珍しいコスモスが紅や白の花をつけたのに、片目のつぶれた黒犬がものうそうにその下に寝ころんでいた。その中で一軒門口の往来へむいた家があった。外の光になれた私の眼には家の中は暗くて何も見えなかったが、その明るい縁さきには、猫背のおばあさんが、古びたちゃんちゃんを着てすわっていた。おばあさんのいる所の前がすぐ往来で、往来には髪ののびた、手も足も塵と垢がうす黒くたまったはだしの男の児が三人で土いじりをしていたが、私たちの通るのを見て「やア」と言いながら手をあげた。そうしてただ笑った。小供たちの声に驚かされたとみえておばあさんも私たちの方を見た。けれどもおばあさんは盲だった。  私はこのよごれた小供の顔と盲のおばあさんを見ると、急にピーター・クロポトキンの「青年よ、温かき心をもって現実を見よ」という言が思い出された。なぜ思い出されたかはしらない。ただ、漂浪の晩年をロンドンの孤客となって送っている、迫害と圧迫とを絶えずこうむったあのクロポトキンが温かき心をもってせよと教える心もちを思うと我知らず胸が迫ってきた。そうだ温かき心をもってするのは私たちの務めだ。  私たちはあくまで態度をヒューマナイズして人生を見なければならぬ。それが私たちの努力である。真を描くという、それもけっこうだ。しかし、「形ばかりの世界」を破ってその中の真を捕えようとする時にも必ず私たちは温かき心をもってしなければならない。「形ばかりの世界」にとらわれた人々はこのあばら家に楽しそうに遊んでいる小児のような、それでなければ盲目の顔を私たちの方にむけて私たちを見ようとするおばあさんのような人ばかりではあるまいか。  この「形ばかりの世界」を破るのに、あくまでも温かき心をもってするのは当然私たちのつとめである。文壇の人々が排技巧と言い無結構と言う、ただ真を描くと言う。冷やかな眼ですべてを描いたいわゆる公平無私にいくばくの価値があるかは私の久しい前からの疑問である。単に著者の個人性が明らかに印象せられたというに止まりはしないだろうか。  私は年長の人と語るごとにその人のなつかしい世なれた風に少からず酔わされる。文芸の上ばかりでなく温かき心をもってすべてを見るのはやがて人格の上の試錬であろう。世なれた人の態度はまさしくこれだ。私は世なれた人のやさしさを慕う。  私はこんなことを考えながら古河橋のほとりへ来た。そうして皆といっしょに笑いながら足尾の町を歩いた。  雑誌の編輯に急がれて思うようにかけません。宿屋のランプの下で書いた日記の抄録に止めます。 (明治四十四年ごろ)
底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店    1950(昭和25)年10月20日初版発行    1985(昭和60)年11月10日改版38版発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月11日公開 2004年3月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 上海の商務印書館から世界叢書と云ふものが出てゐる。その一つが「現代日本小説集」である。これに輯めてあるのは国木田独歩、夏目漱石、森鴎外、鈴木三重吉、武者小路実篤、有島武郎、長与善郎、志賀直哉、千家元麿、江馬修、江口渙、菊池寛、佐藤春夫、加藤武雄、僕、この十五人、三十篇である。このうち、夏目漱石、森鴎外、有島武郎、江口渙、菊池寛の五人のは、魯迅君の訳で、その外は皆、周作人君の訳である。そして、胡適校としてある。  千九百二十二年五月於北京、――と云ふ周作人君の序文によれば、「日本の小説は、二十世紀に於て驚異すべき発達をし、国民的文学の精華となつたばかりでなく、幾多の有名な著作は又、世界的価値を持つやうになつた。その点は欧洲現代の文学と比較するに足る位であるが、唯文字の関係によつて、日本の小説を翻訳することは、欧洲人には甚だ容易でない。その為めにあまり世界に知られずにゐる。しかし支那は日本と種々の関係があり、支那人は日本を知る必要もあれば、亦、日本を知る便利もある。そこでこの翻訳集を出した」と云ふことである。猶又「これ等の小説を選択した標準は、日本の現代の小説を紹介すると云ふ点にあるけれども、十五人の作家を選んだのは、大半個人的趣味によつた」とも云つてゐる。も一つ次手に紹介すれば「この外にもまだ、島崎藤村、里見弴、谷崎潤一郎、加能作次郎、佐藤俊子等の如き幾多の作家があつて、本来選に入るべきであるけれども、時間と能力との関係によつてこの集に収めることの出来なかつたのは甚だ遺憾である」とも云つてゐる。  翻訳は、僕自身の作品に徴すれば、中々正確に訳してある。その上、地名、官名、道具の名等には、ちやんと註釈をほどこしてある。  例へば、「羅生門」の中では、  帯刀――古時的官、司追捕、糾弾、裁判、訴訟等事。  平安朝――西暦七九四年以後約四百年。 等の類である。尤もこの註には、多少妥当を欠いたものもないではない。  例へば、加藤武雄君の「郷愁」のうちに、デコ坊(凸哥児)を註して、  Dekkobō――原意是前額凸出的小児、後来只当作一種親愛的諢名。 と云ふのは好い。しかし「山の手」を註して、  山手――原意是近山的地方、此処却専指東京本郷一帯高地、……云々 と云ふのは少し大雑把である。牛込の矢来は、本郷一帯の高地にははひらない筈である。けれどもこれは、白壁の微瑕を数へる為めにあげたのではない。たとひ妥当を欠いたとしても、これ程僅かしか欠かないと言ふことを示す為めにあげたのである。  巻頭に周作人君の序文のあることは既に述べたが、巻末には各作家に関する短かい紹介を附録として添へてある。これも先づ要領を得てゐると言はなければならぬ。  例へば、武者小路実篤は――千八百八十五年に生れ、「白樺派」の中心人物となり、近来日向に「新しき村」を建設し、耕読主義を実行す。彼の著作は単純真率、技巧を施さず、自ら清新の気を具ふ。極めて人を感動せしむる力量あり。彼は「彼が三十の時」(千九百十五年)の序の中に、嘗つてかう言つてゐる。下略。等の類である。  これを現代の日本に行はれる西洋文芸の翻訳書に比べてもあまり遜色はないのに違ひない。もつと詳しく紹介すれば面白いかも知れないが、少し面倒くさくなつたからこれだけに止めることにする。 (大正十四年三月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     一  ここに面白い本がある。本の名は「ジヤパン」で、発行されたのは一八五二年である。著者はチヤアレス・マツクフアレエンといひ、日本に来たことはないが、頗る日本に興味をもつた人である。少くとも、興味をもつたと称する人である。「ジヤパン」は、この人が、ラテン、ポルトガル、スペイン、イタリイ、フランス、オランダ、ドイツ、イギリス等の文献から、日本に関する記事をあつめ、それを集大成したものである。それ等の文献は、一五六〇年から一八五〇年の間のものをあつめたものであるが、著者がかういふ題目、即ち、日本に興味をもち出したのは、兵站総監ジエエムス・ドラマンドといふ人のおかげだつたらしい。なんでも、このドラマンドなるものは、若い時に実業に従事して、イギリス人であるにも拘らず、オランダ人といふ名前の下に日本にも数年住んでゐた。著者マツクフアレエンは、ブライトンで、このドラマンドに会ひ、その、日本に関する書物の蒐集を見せて貰つた。ドラマンドは、著者にそれ等を貸したばかりでなく、いろいろ、日本の事情などを話して聞かした。著者はそれ等の談話をも参照して、この「ジヤパン」といふ本を書きあげたのである。猶、ついでにつけ加へれば、このドラマンドといふ人は、名高い小説家スモレツトの曾姪を細君にしてゐて、そのまた細君は、甚だ文学好きだつたといふことである。  この本はかういふ因縁の下に出来あがつたものであるから到底実際日本の土を踏んだ旅行家の紀行ほど正確ではない。現に銅板の揷絵なども朝鮮の風俗を日本の風俗として、すまして入れてゐるくらゐである。しかしそれだけに今日のわれわれから見ると一種の興味のない訣ではない。例へば日本の皇帝は煙管を沢山もつてゐて、毎日違つた煙管で煙草をのむなどといふことを真面目に記載してゐるのは頗る御愛嬌といはなければならぬ。この本の中に日本の女を紹介し且つ論じた一章がある。それを今ざつと紹介して見ようと思ふ。  女が社会的にどういふ地位を占めてゐるかといふことは、著者マツクフアレエンによれば、文明の高低をはかる真の尺度であるが、日本の女の社会的地位は、如何なる他の東洋諸国よりも、数等高い。日本の女は、他の東洋諸国の女のやうに、幽閉同様の憂き目を見てゐない。相当の社会的待遇を受けてゐるのみならず、その父や夫の遊楽にあづかることも出来るものである。  妻の貞操や処女の童貞の如きは、全然、彼等の名誉の観念に一任されてゐるが、不貞の妻などといふものは、殆んど一人もゐないといつてもいい。尤もこれは、貞操を破つたが最後、直ちに死を受けるといふ事実のために、一層厳守されてゐることは事実である。  日本では、一番身分の高いものから、一番身分の低いものに至るまで、誰でも必ず学校教育を受ける。伝ふるところによれば、日本国中の学校の数は、世界中のどの国の学校の数よりも多いといふことである。且つまた、農夫並びに貧民さへ、少くとも読むことは出来るといふことである。従つて、女の教育も男の教育と同じやうに完備してゐる。現に、日本で非常に有名な詩人、歴史家、その他の著述家等のうちには、女も非常に多いくらゐである。  金持ちや貴族の間では、男は概して、女ほど貞操を守らない。しかし、母や妻である女が、純潔に生涯を送ることは最も確実である。それは、日本に伝へられる種々の物語に徴しても、また、大勢の旅行家の見聞した事実に徴しても、疑ふ余地はないといはなければならぬ。  日本の女は、何よりも、不名誉を恥ぢるものである。屈辱を被つたために自殺した女の話は、枚挙し難いといつてもよい。下の物語は、かういふ事実を立証するに足るものである。――  或る身分のある男が、旅行に出た。その留守にまた、或貴族が、彼の(即ち、身分のある男の)妻に横恋慕をした。が、彼れの妻は、その貴族の誘惑に陥らなかつたばかりでなく、さんざん侮辱を加へさへした。しかし、その貴族は暴力を用ひたか、或ひはまた、謀略を用ひたかして、とにかく、その女の貞操を破つてしまつた。そこへ夫が帰つて来た。彼れの妻はいつものやうに、愛情をもつて夫を迎へた。しかし、その態度の中には、何か、厳として犯すべからざるところがあつた。夫はその態度を不思議に思つて、いろいろ問ひただして見たけれども、彼れの妻は、どういふ訣か、かう答へるばかりだつた、――「どうか明日まで、何事もおたづね下さいますな。明日になれば私は私の親戚やこの町の重な方々に来て頂いて、その前で、一切の事情を申し上げます。」  さて翌日になると、客は続々として、夫の家へ集まつて来た。その客の中には、彼れの妻をはづかしめた貴族もまた、混つてゐた。客は皆、その家の屋根にある露台で、饗応を受けた。そのうちに御馳走がすむと、彼れの妻は立ちあがつて、彼女の被つた屈辱を公にした。のみならず、熱烈に、夫にかう云つた。――「私はあなたの妻となる資格を失つたものでございます。どうか私を殺して下さいまし。」  夫をはじめ、そこにゐた客は皆、彼れの妻をなだめ、彼女には何も罪はない、彼女はただその貴族の犠牲になつたばかりである、といつた。彼れの妻は、彼等一同に深い感謝の意を示した。それから、夫の肩にすがつて、胸もさけるほど慟哭した。しかし、突然夫に接吻したと思ふと、その次の瞬間には、夫の手を振りはらひながら露台の端へ駆けて行くが早いか、遙か下へ身を投げてしまつた。  けれども、彼の妻は凌辱を被つたことは公にしても、誰が凌辱を加へたかといふことは、公にしなかつた。そのために、凌辱を加へた貴族は、夫や客の騒いでゐる間にそつと露台の階段を下つた。そして自殺した彼女の死骸のそばで、武士らしく、立派に切腹した。この切腹といふのは、日本の国民的自殺法であつて、腹の上を、彼れ自身十文字に切つて往生するのである。 「ジヤパン」の著者マツクフアレエンによれば、これは、ランドオルの追憶記といふものにある話だといふことである。実際、日本にかういふ話があるかどうかは、私にはわからない。ちよつと考へて見たところは、徳川時代の小説や戯曲の中にも、同じ話は見当らないやうである。或ひは、九州かどこかの田舎に、ほんたうにあつた話かも知れない。けれども、屋根の上の露台で宴会を開いたり、日本の武士の女房が、御亭主に接吻したりするのは、いかにも西洋人らしくて面白い。尤も、面白いといつて笑つてしまへば簡単であるが、昔の日本人の西洋を伝へたのも、やはり同じくらゐ間違つてゐることを思へばあまりいい気になつて、西洋人ばかり笑つてゐられぬことは事実である。いや、西洋どころではない。隣国の支那のことを伝へたのでも、このくらゐの間違ひは家常茶飯である。早い話が、近松門左衛門の「国姓爺」の中に描かれてゐる人物や風景を読んで見れば、やはり、日本とも支那ともつかぬ、甚だ奇妙な代物である。  マツクフアレエンは、この外にもう一つ、如何に日本の女が偉いかを示す話を挙げてゐる。――「チユウヤといふ偉い武士が、彼れの友達のジオシツといふものと共に、皇帝に対する陰謀を企てたことがある、このチユウヤの妻は、才色兼備の女だつた。チユウヤの陰謀は五十年間秘密に計画された後、とうとう、チユウヤの失策のために、露顕することになつた。そして政府は、チユウヤ並びにジオシツを逮捕せよといふ命令を出した。当時の事情に従へば、少くとも、チユヤを生捕にすることは、絶対に、政府には必要だつた。そのためには、どうしても、不意打ちを喰はせなければならなかつた。そこで、捕手はチユウヤの門の前で『火事だ、火事だ』といふ声をあげた。チユウヤは火事を見届けるために、門の外へ走り出した。捕手はそれを襲撃した。しかしチユウヤは、勇敢に戦つて、捕手を二人斬り殺した。けれども、とうとう多勢に無勢で、捕手のために逮捕されてしまつた。チユウヤの妻は、その間に、格闘の音を聞いて、早くも捕手の向つたことをさとり、夫の重要書類を火の中に投げ込んだ。その書類には、陰謀の一味たる貴族などの名前も載つてゐたのである。チユウヤの妻のおちついてゐたことは、今日でも、日本中の驚嘆の的になつてゐる。そのために女の判断力並びに決断力をほめる場合には、チユウヤの妻のやうだといふくらゐである。」  このチユウヤは、勿論、丸橋忠弥であり、ジオシツは由井正雪である。これもマツクフアレエンに従へば、やはり、ランドオルの追憶記に出てゐる話らしい。 「ジヤパン」の著者マツクフアレエンの伝へた日本の女は、殆んどユウトピアの女である。如何に一八六〇年代の日本の女でも、処女や妻の貞操がそれほど立派に保たれたといふことは、信用出来ないのに違ひない。これも、マツクフアレエンの馬鹿正直を笑つてしまへばそれだけであるが、外国の風俗人情を伝へる場合には、今日でも多少かういふ喜劇の行はれやすいのは事実である。この間も何かの新聞に何んとか女史が、アメリカの女学生の生活を天使の生活のやうに吹聴してゐたが、あの記事なども、半世紀後のアメリカ人の目に触れたらば、やはり、マツクフアレエンの「ジヤパン」と同じやうに、一笑に附せられるに相違ない。      二  サア・ラザフオオド・オルコツクの「日本における三年間」は、マツクフアレエンの本とくらべると、余程、日本の真相を正確に伝へるものである。  これは上下二巻で、千八百六十三年、ニユウヨオクのハアバア書肆から出てゐる。揷絵も沢山あり、その中にはまた、蕙斎の漫画などを複製したものも沢山ある。  第一に著者サア・ラザフオオド・オルコツクは、マツクフアレエンのやうに、机の上で日本を想像したのではない。この本の標題の示すとほり、三年間日本に住んでゐる。  第二は、サア・オルコツクは、マツクフアレエンのやうに無学ではない。相当に学問もあり、殊に、当時流行のミルの哲学などにも通じてゐる。そのために、日本で見聞した種々の事件に対しても、それぞれ、彼れ自身の見解を下してゐる。その見解の中には、今日はわれわれを微笑せしめるものもあるけれども、傾聴すべきものもないわけではない。これがまた、マツクフアレエンの本などには、全然見られぬ特色である。  サア・オルコツクは、徳川幕府の末年に日本に駐剳した、イギリスの特命全権公使である。その日本駐剳中には、井伊大老も桜田門外で刺客の手に斃れてゐる。西洋人も何人か浪人のために殺されてゐる。  といふと人事のやうに聞えるが、サア・オルコツクの住んでゐた品川の東禅寺にも浪士が斬り込んで、何人かの死傷を生じた事件もある。その上、サア・オルコツクは、富士山へ登つたり、熱海の温泉へはひつたり、可なり旅行も試みてゐる。かういふ風に、内外共多事の幕末の日本に住み、且つまた、江戸にばかりゐずに方々歩き廻つたのであるから、サア・オルコツクの日本紀行の興味の多いのは偶然ではない。  尤も、サア・オルコツクの日本紀行は、ロテイやキプリングのそれのやうに、芸術的色彩には富んでゐない。例へば浅草を描くにしても、ロテイの「日本の秋」の中の浅草のやうに、目のあたりに、黄ばんだ銀杏だの、赤い伽藍だのが浮んで来ないことは事実である。しかし前にもいつたやうに、その見聞した事件に対する見解は、なかなかおもしろい。  例へば、サア・オルコツクは、或る田舎家の縁先で、ばあさんが子供に灸をすゑてゐるのを見て、「われわれ人間は、古今を問はず、東西を問はず、架空の幸福を得るために、自ら肉体を苦しめることを好むものである」と嘆息してゐる。また、或る山を越える時に、ふと鶯の声を聴いて、「鶯の声はナイチンゲエルの声に似てゐる。日本の伝説によれば、日本人は鶯に音楽を教へたといふことである。これはもし事実とすれば驚くべきことに違ひない。なぜと云へば、日本人は自ら音楽を解しないのだから。」と嘲つてゐる。  これ等は微笑せずにはゐられぬ見解であるが、桜田門外の変に際して日本人の復讐崇拝を論じ、忠臣蔵の芝居などの民衆に与へる影響を論じたあたりは、なかなかおもしろい議論である。が、あまり横道にはいると、本題にはいるに手間取るから、その紹介は後の機会に譲ることにしたい。  しかし、その前に「日本における三年間」の大体を紹介するために、サア・オルコツクのはじめて長崎へはいつた時の印象を披露すれば、ざつと下のとほりである。―― 「雨の降つてゐる中に長崎の港へ船のはいつたのは、六月の四日(千八百五十九年)である。この港は、もう何度も、日本へ来た旅行家の筆に残つてゐる。しかし、曇つた空の下に見ても、全然美しさのないわけではない。港へはいるのに従つて、いくつもの島が目の前に浮んで来る。その島にはまた、絵のやうに美しいのも多い。 「船がずつと湾の中へはいると、長崎の街がむかうに横たはつてゐるのが見える。長崎の街は、幾つも連つた小山の裾にある。そして、木の茂つた小山の原へ、可なり高く匐ひあがつてゐる。右に見えるのは出島である。出島は扇の形をした、低い土地である。それが陸の方へ扇の柄を向けて、海の中へ突き出してゐる。出島には長い、広い一条の街路が通り、両側には、ヨオロツパ風の二階家がならんでゐる。見たところは、いかにも小じんまりしてゐる。(中略) 「湾そのものの、第一印象は、頗る、ノオルウエイの峡湾に似てゐる。殊に、ノオルウエイの首府クリスチヤニアにはいるところに似てゐる。尤も峡湾は、長崎の湾より美しい。長崎の湾も小山は水際からすぐに聳え立つて、そのまた小山には、鬱々と松が茂つてゐる、しかし上陸して見ると、植物はノオルウエイよりも遙かに熱帯的である。柘榴だの、柿だの、椰子だの、竹だのもある。がまた、くちなしだの、椿だのも茂つてゐる。あたりまへの歯朶も到る所にある。木蔦も壁にからんでゐる。道ばたには薊も沢山ある。」  まあかういふ調子である。さて、その日本の女を論ずるのを見ると、サア・オルコツクによれば、日本の女の社会的地位とか、男子との関係とかいふものは、古来常に賞讃されてゐる。しかし、実際、その賞讃に値するかどうか、疑はしいといはなければならぬ。私は(サア・オルコツク)ここで、日本人が国民として、他の国民よりも不道徳かどうかといふ問題にはいるつもりはない。けれども日本では、父が、売淫のために娘を売つたり、或ひは雇はせたりしても、法律はこれを罰しないのである。のみならず、それを認可するのである。且つまた、彼等の隣人さへも、全然、彼等を批難しない。かういふ国に健全なる道徳的感情が存在するといふことは、私の信じられぬところである。  なるほど、日本には奴隷の制度はない。農奴や奴隷や家畜のやうに売買される事はない。(尤も、ないといふのは半面の真理にとどまつてゐる。なぜといへば、日本の娘は一定の年限内といふものの、とにかく法律の定めるところにより、人身売買を行ふからである。して見ると男や少年も多分売買されるのに相違ない。)しかし、妾を蓄へる制度が存在する以上、家庭の神聖が保たれぬことは、何人にも見易い道理である。  かういふ国民的罪悪の害毒は、何によつて緩和されるか、それは差当り発見出来ない。しかしその緩和剤の一部は、たしかに支那におけるやうに、子に対する母の権威が非常に強いことにあるやうである。  日本の女は商品同様に扱はれ、彼等の意志も顧みられず、彼等の女としての権利も顧みられず、夫に売られるものである。且つまた夫の在世中は、家畜或は奴隷のやうに扱はれるものである。  しかし子供に対する絶対の権威は、いやしくも子供に関する限り、母としての日本の女を、男よりも高い位地に据ゑるために、幾分この害毒が緩和されるのである。恐らくはミカドの位にさへ、女が上ることの出来るといふのは、かういふ例の一つであらう。  実際また、女のミカドといふものは、古今に少くはないのである。たしかに日本の女の位置は、家畜や奴隷のやうに売買されるにも拘らず、存外辛抱の出来る点もないではないらしい。しかしこの点に関しては、まだいろいろ調べて見なければ、はつきりした判断を下すことは出来ない。また、親子の間の情愛も相当にあるやうである。とにかく日本人には、愛児的器官も発達してゐるのに違ひない。  サア・オルコツクの日本婦人は、とにかく、マツクフアレエンのそれよりも、正鵠を得てゐる。日本の女の社会的地位は、サア・オルコツクの日本に駐剳した時代、即ち嘉永万延以来あまり進歩してはゐないらしい。  しかし、サア・オツコツク以前の西洋人が、日本の女を讃美したのは、客観的に日本の女の社会的地位や何かを観察した上讃美したのかどうか、疑問である。それよりはむしろ、日本の女を実際ラシヤメンにして見た結果、正直だつたり、忠実だつたりしたために、大いに感謝の意を生じたのかも知れない。  これは徳川幕府の初年の話であるが、肥前平戸をイギリス人の引揚げる時にも、彼れ等は日本人の女房に、大いに依々恋々としたといふことである。すると、サア・オルコツクもラシヤメンを一人もつてゐたらば、必ずしも、日本の女を軽蔑すること、かくの如きには至らなかつたかも知れない。けれどもそのために、日本の女に対する正当に近い見解を得ることの出来たのは、少くとも後代の読書子には幸福であるといはなければならぬ。  私は先年支那へ遊んだ時、揚子江を溯る船の中で、或るノオルウエイ人と一緒になつた。彼れは、支那の女の社会的地位の低いのに憤慨してゐた。  何んでも彼れの話によれば、直隷河南の大饑饉の際には、支那人は牛を売るよりも先に女房を売りに来たといふことである。それにも拘らず、このノオルウエイ人は、妻としての支那人乃至日本人を雲の上までほめ上げてゐた。現に彼れは、同船のアメリカ人の夫婦と、そのためにはげしい論戦を開いたくらゐである。すると男といふものは、理窟の如何に拘らず、とにかく、内心では妻として――サア・オルコツクの言葉を用ゐれば、家畜或ひは奴隷としての女に、讃嘆の情を禁じ得ないものらしい。即ち、婦人運動が婦人自身の手を俟つほかに、成功する見込みがない所以である。 (大正十四年五月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 予は過去二年間、海軍機関学校で英語を教へた。この二年間は、予にとつて、決して不快な二年間ではない。何故と云へば予は従来、公務の余暇を以て創作に従事し得る――或は創作の余暇を以て公務に従事し得る恩典に浴してゐたからである。  予の寡聞を以てしても、甲教師は超人哲学の紹介を試みたが為に、文部当局の忌諱に触れたとか聞いた。乙教師は恋愛問題の創作に耽つたが為に、陸軍当局の譴責を蒙つたさうである。それらの諸先生に比べれば、従来予が官立学校教師として小説家を兼業する事が出来たのは、確に比類稀なる御上の御待遇として、難有く感銘すべきものであらう。尤もこれは甲先生や乙先生が堂々たる本官教授だつたのに反して、予は一介の嘱託教授に過ぎなかつたから、予の呼吸し得た自由の空気の如きも、実は海軍当局が予に厚かつた結果と云ふよりも、或は単に予の存在があれどもなきが如くだつた為かも知れない。が、さう解釈する事は独り礼を昨日の上官に失するばかりでなく、予に教師の口を世話してくれた諸先生に対しても甚だ御気の毒の至だと思ふ。だから予は外に差支へのない限り、正に海軍当局の海の如き大度量に感泣して、あの横須賀工廠の恐る可き煤煙を肺の底まで吸ひこみながら、永久に「それは犬である」の講釈を繰返して行つてもよかつたのである。  が、不幸にして二年間の経験によれば、予は教育家として、殊に未来の海軍将校を陶鋳すべき教育家として、いくら己惚れて見た所が、到底然るべき人物ではない。少くとも現代日本の官許教育方針を丸薬の如く服膺出来ない点だけでも、明に即刻放逐さるべき不良教師である。勿論これだけの自覚があつたにしても、一家眷属の口が乾上る惧がある以上、予は怪しげな語学の資本を運転させて、どこまでも教育家らしい店構へを張りつづける覚悟でゐた。いや、たとへ米塩の資に窮さないにしても、下手は下手なりに創作で押して行かうと云ふ気が出なかつたなら、予は何時までも名誉ある海軍教授の看板を謹んでぶら下げてゐたかも知れない。しかし現在の予は、既に過去の予と違つて、全精力を創作に費さない限り人生に対しても又予自身に対しても、済まないやうな気がしてゐるのである。それには単に時間の上から云つても、一週五日間、午前八時から午後三時まで機械の如く学校に出頭してゐる訣に行くものではない。そこで予は遺憾ながら、当局並びに同僚たる文武教官各位の愛顧に反いて、とうとう大阪毎日新聞へ入社する事になつた。  新聞は予に人並の給料をくれる。のみならず毎日出社すべき義務さへも強ひようとはしない。これは官等の高下をも明かにしない予にとつて、白頭と共に勅任官を賜るよりは遙に居心の好い位置である。この意味に於て、予は予自身の為に心から予の入社を祝したいと思ふ。と同時に又我帝国海軍の為にも、予の如き不良教師が部内に跡を絶つた事を同じく心から祝したいと思ふ。  昔の支那人は「帰らなんいざ、田園将に蕪せんとす」とか謡つた。予はまだそれほど道情を得た人間だとは思はない。が、昨の非を悔い今の是を悟つてゐる上から云へば、予も亦同じ帰去来の人である。春風は既に予が草堂の簷を吹いた。これから予も軽燕と共に、そろそろ征途へ上らうと思つてゐる。 (大正八年三月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 昔、支那の或田舎に書生が一人住んでいました。何しろ支那のことですから、桃の花の咲いた窓の下に本ばかり読んでいたのでしょう。すると、この書生の家の隣に年の若い女が一人、――それも美しい女が一人、誰も使わずに住んでいました。書生はこの若い女を不思議に思っていたのはもちろんです。実際また彼女の身の上をはじめ、彼女が何をして暮らしているかは誰一人知るものもなかったのですから。  或風のない春の日の暮、書生はふと外へ出て見ると、何かこの若い女の罵っている声が聞えました。それはまたどこかの庭鳥がのんびりと鬨を作っている中に、如何にも物ものしく聞えるのです。書生はどうしたのかと思いながら、彼女の家の前へ行って見ました。すると眉を吊り上げた彼女は、年をとった木樵りの爺さんを引き据え、ぽかぽか白髪頭を擲っているのです。しかも木樵りの爺さんは顔中に涙を流したまま、平あやまりにあやまっているではありませんか! 「これは一体どうしたのです? 何もこういう年よりを、擲らないでも善いじゃありませんか!――」  書生は彼女の手を抑え、熱心にたしなめにかかりました。 「第一年上のものを擲るということは、修身の道にもはずれている訣です。」 「年上のものを? この木樵りはわたしよりも年下です。」 「冗談を言ってはいけません。」 「いえ、冗談ではありません。わたしはこの木樵りの母親ですから。」  書生は呆気にとられたなり、思わず彼女の顔を見つめました。やっと木樵りを突き離した彼女は美しい、――というよりも凜々しい顔に血の色を通わせ、目じろぎもせずにこう言うのです。 「わたしはこの倅のために、どの位苦労をしたかわかりません。けれども倅はわたしの言葉を聞かずに、我儘ばかりしていましたから、とうとう年をとってしまったのです。」 「では、……この木樵りはもう七十位でしょう。そのまた木樵りの母親だというあなたは、一体いくつになっているのです?」 「わたしですか? わたしは三千六百歳です。」  書生はこういう言葉と一しょに、この美しい隣の女が仙人だったことに気づきました。しかしもうその時には、何か神々しい彼女の姿は忽ちどこかへ消えてしまいました。うらうらと春の日の照り渡った中に木樵りの爺さんを残したまま。…… ――昭和二年二月――
底本:「蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇」岩波文庫、岩波書店    1990(平成2)年8月16日第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:もりみつじゅんじ 1999年5月15日公開 2004年1月13日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 楊某と云う支那人が、ある夏の夜、あまり蒸暑いのに眼がさめて、頬杖をつきながら腹んばいになって、とりとめのない妄想に耽っていると、ふと一匹の虱が寝床の縁を這っているのに気がついた。部屋の中にともした、うす暗い灯の光で、虱は小さな背中を銀の粉のように光らせながら、隣に寝ている細君の肩を目がけて、もずもず這って行くらしい。細君は、裸のまま、さっきから楊の方へ顔を向けて、安らかな寝息を立てているのである。  楊は、その虱ののろくさい歩みを眺めながら、こんな虫の世界はどんなだろうと思った。自分が二足か三足で行ける所も、虱には一時間もかからなければ、歩けない。しかもその歩きまわる所が、せいぜい寝床の上だけである。自分も虱に生れたら、さぞ退屈だった事であろう。……  そんな事を漫然と考えている中に、楊の意識は次第に朧げになって来た。勿論夢ではない。そうかと云ってまた、現でもない。ただ、妙に恍惚たる心もちの底へ、沈むともなく沈んで行くのである。それがやがて、はっと眼がさめたような気に帰ったと思うと、いつか楊の魂はあの虱の体へはいって、汗臭い寝床の上を、蠕々然として歩いている。楊は余りに事が意外なので、思わず茫然と立ちすくんだ。が、彼を驚かしたのは、独りそればかりではない。――  彼の行く手には、一座の高い山があった。それがまた自らな円みを暖く抱いて、眼のとどかない上の方から、眼の先の寝床の上まで、大きな鍾乳石のように垂れ下っている。その寝床についている部分は、中に火気を蔵しているかと思うほど、うす赤い柘榴の実の形を造っているが、そこを除いては、山一円、どこを見ても白くない所はない。その白さがまた、凝脂のような柔らかみのある、滑な色の白さで、山腹のなだらかなくぼみでさえ、丁度雪にさす月の光のような、かすかに青い影を湛えているだけである。まして光をうけている部分は、融けるような鼈甲色の光沢を帯びて、どこの山脈にも見られない、美しい弓なりの曲線を、遥な天際に描いている。……  楊は驚嘆の眼を見開いて、この美しい山の姿を眺めた。が、その山が彼の細君の乳の一つだと云う事を知った時に、彼の驚きは果してどれくらいだった事であろう。彼は、愛も憎みも、乃至また性欲も忘れて、この象牙の山のような、巨大な乳房を見守った。そうして、驚嘆の余り、寝床の汗臭い匂も忘れたのか、いつまでも凝固まったように動かなかった。――楊は、虱になって始めて、細君の肉体の美しさを、如実に観ずる事が出来たのである。  しかし、芸術の士にとって、虱の如く見る可きものは、独り女体の美しさばかりではない。 (大正六年九月)
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年10月28日第1刷発行    1996(平成8)年7月15日第11刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:earthian 1998年12月28日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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     上  それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。  庭は御維新後十年ばかりの間は、どうにか旧態を保つてゐた。瓢箪なりの池も澄んでゐれば、築山の松の枝もしだれてゐた。栖鶴軒、洗心亭、――さう云ふ四阿も残つてゐた。池の窮まる裏山の崖には、白々と滝も落ち続けてゐた。和の宮様御下向の時、名を賜はつたと云ふ石燈籠も、やはり年々に拡がり勝ちな山吹の中に立つてゐた。しかしその何処かにある荒廃の感じは隠せなかつた。殊に春さき、――庭の内外の木々の梢に、一度に若芽の萌え立つ頃には、この明媚な人工の景色の背後に、何か人間を不安にする、野蛮な力の迫つて来た事が、一層露骨に感ぜられるのだつた。  中村家の隠居、――伝法肌の老人は、その庭に面した母屋の炬燵に、頭瘡を病んだ老妻と、碁を打つたり花合せをしたり、屈託のない日を暮してゐた。それでも時々は立て続けに、五六番老妻に勝ち越されると、むきになつて怒り出す事もあつた。家督を継いだ長男は、従兄妹同志の新妻と、廊下続きになつてゐる、手狭い離れに住んでゐた。長男は表徳を文室と云ふ、癇癖の強い男だつた。病身な妻や弟たちは勿論、隠居さへ彼には憚かつてゐた。唯その頃この宿にゐた、乞食宗匠の井月ばかりは、度々彼の所へ遊びに来た。長男も不思議に井月にだけは、酒を飲ませたり字を書かせたり、機嫌の好い顔を見せてゐた。「山はまだ花の香もあり時鳥、井月。ところどころに滝のほのめく、文室」――そんな附合も残つてゐる。その外にまだ弟が二人、――次男は縁家の穀屋へ養子に行き、三男は五六里離れた町の、大きい造り酒屋に勤めてゐた。彼等は二人とも云ひ合せたやうに、滅多に本家には近づかなかつた。三男は居どころが遠い上に、もともと当主とは気が合はなかつたから。次男は放蕩に身を持ち崩した結果、養家にも殆帰らなかつたから。  庭は二年三年と、だんだん荒廃を加へて行つた。池には南京藻が浮び始め、植込みには枯木が交るやうになつた。その内に隠居の老人は、或旱りの烈しい夏、脳溢血の為に頓死した。頓死する四五日前、彼が焼酎を飲んでゐると、池の向うにある洗心亭へ、白い装束をした公卿が一人、何度も出たりはひつたりしてゐた。少くとも彼には昼日なか、そんな幻が見えたのだつた。翌年は次男が春の末に、養家の金をさらつたなり、酌婦と一しよに駈落ちをした。その又秋には長男の妻が、月足らずの男子を産み落した。  長男は父の死んだ後、母と母屋に住まつてゐた。その跡の離れを借りたのは、土地の小学校の校長だつた。校長は福沢諭吉翁の実利の説を奉じてゐたから、庭にも果樹を植ゑるやうに、何時か長男を説き伏せてゐた。爾来庭は春になると、見慣れた松や柳の間に、桃だの杏だの李だの、雑色の花を盛るやうになつた。校長は時々長男と、新しい果樹園を歩きながら、「この通り立派に花見も出来る。一挙両得ですね」と批評したりした。しかし築山や池や四阿は、それだけに又以前よりは、一層影が薄れ出した。云はば自然の荒廃の外に、人工の荒廃も加はつたのだつた。  その秋は又裏の山に、近年にない山火事があつた。それ以来池に落ちてゐた滝は、ぱつたり水が絶えてしまつた。と思ふと雪の降る頃から、今度は当主が煩ひ出した。医者の見立てでは昔の癆症、今の肺病とか云ふ事だつた。彼は寝たり起きたりしながら、だんだん癇ばかり昂らせて行つた。現に翌年の正月には、年始に来た三男と激論の末、手炙りを投げつけた事さへあつた。三男はその時帰つたぎり、兄の死に目にも会はずにしまつた。当主はそれから一年余り後、夜伽の妻に守られながら、蚊帳の中に息をひきとつた。「蛙が啼いてゐるな。井月はどうしつら?」――これが最期の言葉だつた。が、もう井月はとうの昔、この辺の風景にも飽きたのか、さつぱり乞食にも来なくなつてゐた。  三男は当主の一週忌をすますと、主人の末娘と結婚した。さうして離れを借りてゐた小学校長の転任を幸ひ、新妻と其処へ移つて来た。離れには黒塗の箪笥が来たり、紅白の綿が飾られたりした。しかし母屋ではその間に、当主の妻が煩ひ出した。病名は夫と同じだつた。父に別れた一粒種の子供、――廉一も母が血を吐いてからは、毎晩祖母と寝かせられた。祖母は床へはひる前に、必頭に手拭をかぶつた。それでも頭瘡の臭気をたよりに、夜更には鼠が近寄つて来た。勿論手拭を忘れでもすれば、鼠に頭を噛まれる事もあつた。同じ年の暮に当主の妻は、油火の消えるやうに死んで行つた。その又野辺送りの翌日には、築山の陰の栖鶴軒が、大雪の為につぶされてしまつた。  もう一度春がめぐつて来た時、庭は唯濁つた池のほとりに、洗心亭の茅屋根を残した、雑木原の木の芽に変つたのである。      中  或雪曇りの日の暮方、駈落ちをしてから十年目に、次男は父の家へ帰つて来た。父の家――と云つてもそれは事実上、三男の家と同様だつた。三男は格別嫌な顔もせず、しかし又格別喜びもせず、云はば何事もなかつたやうに、道楽者の兄を迎へ入れた。  爾来次男は母屋の仏間に、悪疾のある体を横たへたなり、ぢつと炬燵を守つてゐた。仏間には大きい仏壇に、父や兄の位牌が並んでゐた。彼はその位牌の見えないやうに、仏壇の障子をしめ切つて置いた。まして母や弟夫婦とは、三度の食事を共にする外は、殆顔も合せなかつた。唯みなし児の廉一だけは、時々彼の居間へ遊びに行つた。彼は廉一の紙石板へ、山や船を描いてやつた。「向島花ざかり、お茶屋の姐さんちよいとお出で。」――どうかするとそんな昔の唄が、覚束ない筆蹟を見せる事もあつた。  その内に又春になつた。庭には生ひ伸びた草木の中に、乏しい桃や杏が花咲き、どんより水光りをさせた池にも、洗心亭の影が映り出した。しかし次男は不相変、たつた一人仏間に閉ぢこもつたぎり、昼でも大抵はうとうとしてゐた。すると或日彼の耳には、かすかな三味線の音が伝はつて来た。と同時に唄の声も、とぎれとぎれに聞え始めた。「この度諏訪の戦ひに、松本身内の吉江様、大砲固めにおはします。……」次男は横になつた儘、心もち首を擡げて見た。と、唄も三味線も、茶の間にゐる母に違ひなかつた。「その日の出で立ち花やかに、勇み進みし働きは、天つ晴勇士と見えにける。……」母は孫にでも聞かせてゐるのか、大津絵の替へ唄を唄ひ続けた。しかしそれは伝法肌の隠居が、何処かの花魁に習つたと云ふ、二三十年以前の流行唄だつた。「敵の大玉身に受けて、是非もなや、惜しき命を豊橋に、草葉の露と消えぬとも、末世末代名は残る。……」次男は無精髭の伸びた顔に、何時か妙な眼を輝かせてゐた。  それから二三日たつた後、三男は蕗の多い築山の陰に、土を掘つてゐる兄を発見した。次男は息を切らせながら、不自由さうに鍬を揮つてゐた。その姿は何処か滑稽な中に、真剣な意気組みもあるものだつた。「あに様、何をしてゐるだ?」――三男は巻煙草を啣へたなり、後から兄へ声をかけた。「おれか?」――次男は眩しさうに弟を見上げた。「こけへ今せんげ(小流れ)を造らうと思ふ。」「せんげを造つて何しるだ?」「庭をもとのやうにしつと思ふだ。」――三男はにやにや笑つたぎり、何ともその先は尋ねなかつた。  次男は毎日鍬を持つては、熱心にせんげを造り続けた。が、病に弱つた彼には、それだけでも容易な仕事ではなかつた。彼は第一に疲れ易かつた。その上慣れない仕事だけに、豆を拵へたり、生爪を剥いだり、何かと不自由も起り勝ちだつた。彼は時々鍬を捨てると、死んだやうに其処へ横になつた。彼のまはりには何時になつても、庭をこめた陽炎の中に、花や若葉が煙つてゐた。しかし静かな何分かの後、彼は又蹌踉と立ち上ると、執拗に鍬を使ひ出すのだつた。  しかし庭は幾日たつても、捗々しい変化を示さなかつた。池には不相変草が茂り、植込みにも雑木が枝を張つてゐた。殊に果樹の花の散つた後は、前よりも荒れたかと思ふ位だつた。のみならず一家の老若も、次男の仕事には同情がなかつた。山気に富んだ三男は、米相場や蚕に没頭してゐた。三男の妻は次男の病に、女らしい嫌悪を感じてゐた。母も、――母は彼の体の為に、土いぢりの過ぎるのを惧れてゐた。次男はそれでも剛情に、人間と自然とへ背を向けながら、少しづつ庭を造り変へて行つた。  その内に或雨上りの朝、彼は庭へ出かけて見ると、蕗の垂れかかつたせんげの縁に、石を並べてゐる廉一を見つけた。「叔父さん。」――廉一は嬉しさうに彼を見上げた。「おれにも今日から手伝はせておくりや。」「うん、手伝つてくりや。」次男もこの時は久しぶりに、晴れ晴れした微笑を浮べてゐた。それ以来廉一は、外へも出ずにせつせと叔父の手伝ひをし出した。――次男は又甥を慰める為に、木かげに息を入れる時には、海とか東京とか鉄道とか、廉一の知らない話をして聞かせた。廉一は青梅を噛じりながら、まるで催眠術にでもかかつたやうに、ぢつとその話に聞き入つてゐた。  その年の梅雨は空梅雨だつた。彼等、――年とつた癈人と童子とは、烈しい日光や草いきれにもめげず、池を掘つたり木を伐つたり、だんだん仕事を拡げて行つた。が、外界の障害にはどうにかかうにか打ち克つて行つても、内面の障害だけは仕方がなかつた。次男は殆幻のやうに昔の庭を見る事が出来た。しかし庭木の配りとか、或は径のつけ方とか、細かい部分の記憶になると、はつきりした事はわからなかつた。彼は時々仕事の最中、突然鍬を杖にした儘、ぼんやりあたりを見廻す事があつた。「何しただい?」――廉一は必叔父の顔へ、不安らしい目付きを挙げるのだつた。「此処はもとどうなつてゐつらなあ?」――汗になつた叔父はうろうろしながら、何時も亦独り語しか云はなかつた。「この楓は此処になかつらと思ふがなあ。」廉一は唯泥まみれの手に、蟻でも殺すより外はなかつた。  内面の障害はそればかりではなかつた。次第に夏も深まつて来ると、次男は絶え間ない過労の為か頭も何時か混乱して来た。一度掘つた池を埋めたり、松を抜いた跡へ松を植ゑたり、――さう云ふ事も度々あつた。殊に廉一を怒らせたのは、池の杭を造る為めに、水際の柳を伐つた事だつた。「この柳はこの間植ゑたばつかだに。」――廉一は叔父を睨みつけた。「さうだつたかなあ。おれには何だかわからなくなつてしまつた。」――叔父は憂欝な目をしながら、日盛りの池を見つめてゐた。  それでも秋が来た時には、草や木の簇がつた中から、朧げに庭も浮き上つて来た。勿論昔に比べれば、栖鶴軒も見えなかつたし、滝の水も落ちてはゐなかつた。いや、名高い庭師の造つた、優美な昔の趣は、殆何処にも見えなかつた。しかし「庭」は其処にあつた。池はもう一度澄んだ水に、円い築山を映してゐた。松ももう一度洗心亭の前に、悠々と枝をさしのべてゐた。が、庭が出来ると同時に、次男は床につき切りになつた。熱も毎日下らなければ、体の節々も痛むのだつた。「あんまり無理ばつかしるせゐぢや。」――枕もとに坐つた母は、何時も同じ愚痴を繰り返した。しかし次男は幸福だつた。庭には勿論何箇所でも、直したい所が残つてゐた。が、それは仕方がなかつた。兎に角骨を折つた甲斐だけはある。――其処に彼は満足してゐた。十年の苦労は詮めを教へ、詮めは彼を救つたのだつた。  その秋の末、次男は誰も気づかない内に、何時か息を引きとつてゐた。それを見つけたのは廉一だつた。彼は大声を挙げながら、縁続きの離れへ走つて行つた。一家は直に死人のまはりへ、驚いた顔を集めてゐた。「見ましよ。兄様は笑つてゐるやうだに。」――三男は母をふり返つた。「おや、今日は仏様の障子が明いてゐる。」――三男の妻は死人を見ずに、大きい仏壇を気にしてゐた。  次男の野辺送りをすませた後、廉一はひとり洗心亭に、坐つてゐる事が多くなつた。何時も途方に暮れたやうに、晩秋の水や木を見ながら、……      下  それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。それが旧に復した後、まだ十年とたたない内に、今度は家ぐるみ破壊された。破壊された跡には停車場が建ち、停車場の前には小料理屋が出来た。  中村の本家はもうその頃、誰も残つてゐなかつた。母は勿論とうの昔、亡い人の数にはひつてゐた。三男も事業に失敗した揚句、大阪へ行つたとか云ふ事だつた。  汽車は毎日停車場へ来ては、又停車場を去つて行つた。停車場には若い駅長が一人、大きい机に向つてゐた。彼は閑散な事務の合ひ間に、青い山々を眺めやつたり、土地ものの駅員と話したりした。しかしその話の中にも、中村家の噂は上らなかつた。況や彼等のゐる所に、築山や四阿のあつた事は、誰一人考へもしないのだつた。  が、その間に廉一は、東京赤坂の或洋画研究所に、油画の画架に向つてゐた。天窓の光、油絵の具の匂、桃割に結つたモデルの娘、――研究所の空気は故郷の家庭と、何の連絡もないものだつた。しかしブラツシユを動かしてゐると、時々彼の心に浮ぶ、寂しい老人の顔があつた。その顔は又微笑しながら、不断の制作に疲れた彼へ、きつとかう声をかけるのだつた。「お前はまだ子供の時に、おれの仕事を手伝つてくれた。今度はおれに手伝はせてくれ。」……  廉一は今でも貧しい中に、毎日油画を描き続けてゐる。三男の噂は誰も聞かない。 (大正十一年六月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:もりみつじゅんじ 1999年3月1日公開 2004年3月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 おれは沼のほとりを歩いてゐる。  昼か、夜か、それもおれにはわからない。唯、どこかで蒼鷺の啼く声がしたと思つたら、蔦葛に掩はれた木々の梢に、薄明りの仄めく空が見えた。  沼にはおれの丈よりも高い芦が、ひつそりと水面をとざしてゐる。水も動かない。藻も動かない。水の底に棲んでゐる魚も――魚がこの沼に棲んでゐるであらうか。  昼か、夜か、それもおれにはわからない。おれはこの五六日、この沼のほとりばかり歩いてゐた。寒い朝日の光と一しよに、水の匀や芦の匀ひがおれの体を包んだ事もある。と思ふと又枝蛙の声が、蔦葛に蔽はれた木々の梢から、一つ一つかすかな星を呼びさました覚えもあつた。  おれは沼のほとりを歩いてゐる。  沼にはおれの丈よりも高い芦が、ひつそりと水面をとざしてゐる。おれは遠い昔から、その芦の茂つた向うに、不思議な世界のある事を知つてゐた。いや、今でもおれの耳には、Invitation au Voyage の曲が、絶え絶えに其処から漂つて来る。さう云へば水の匀や芦の匀と一しよに、あの「スマトラの忘れな艸の花」も、蜜のやうな甘い匀を送つて来はしないであらうか。  昼か、夜か、それもおれにはわからない。おれはこの五六日、その不思議な世界に憧がれて、蔦葛に掩はれた木々の間を、夢現のやうに歩いてゐた。が、此処に待つてゐても、唯芦と水とばかりがひつそりと拡がつてゐる以上、おれは進んで沼の中へ、あの「スマトラの忘れな艸の花」を探しに行かなければならぬ。見れば幸、芦の中から半ば沼へさし出てゐる、年経た柳が一株ある。あすこから沼へ飛びこみさへすれば、造作なく水の底にある世界へ行かれるのに違ひない。  おれはとうとうその柳の上から、思ひ切つて沼へ身を投げた。  おれの丈より高い芦が、その拍子に何かしやべり立てた。水が呟く。藻が身ぶるひをする。あの蔦葛に掩はれた、枝蛙の鳴くあたりの木々さへ、一時はさも心配さうに吐息を洩らし合つたらしい。おれは石のやうに水底へ沈みながら、数限りもない青い焔が、目まぐるしくおれの身のまはりに飛びちがふやうな心もちがした。  昼か、夜か、それもおれにはわからない。  おれの死骸は沼の底の滑な泥に横はつてゐる。死骸の周囲にはどこを見ても、まつ青な水があるばかりであつた。この水の下にこそ不思議な世界があると思つたのは、やはりおれの迷だつたのであらうか。事によると Invitation au Voyage の曲も、この沼の精が悪戯に、おれの耳を欺してゐたのかも知れない。が、さう思つてゐる内に、何やら細い茎が一すぢ、おれの死骸の口の中から、すらすらと長く伸び始めた。さうしてそれが頭の上の水面へやつと届いたと思ふと、忽ち白い睡蓮の花が、丈の高い芦に囲まれた、藻の匀のする沼の中に、的皪と鮮な莟を破つた。  これがおれの憧れてゐた、不思議な世界だつたのだな。――おれの死骸はかう思ひながら、その玉のやうな睡蓮の花を何時までもぢつと仰ぎ見てゐた。 (大正九年三月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ある雨の降る日の午後であった。私はある絵画展覧会場の一室で、小さな油絵を一枚発見した。発見――と云うと大袈裟だが、実際そう云っても差支えないほど、この画だけは思い切って彩光の悪い片隅に、それも恐しく貧弱な縁へはいって、忘れられたように懸かっていたのである。画は確か、「沼地」とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった。また画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂する草木とを描いただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。  その上不思議な事にこの画家は、蓊鬱たる草木を描きながら、一刷毛も緑の色を使っていない。蘆や白楊や無花果を彩るものは、どこを見ても濁った黄色である。まるで濡れた壁土のような、重苦しい黄色である。この画家には草木の色が実際そう見えたのであろうか。それとも別に好む所があって、故意こんな誇張を加えたのであろうか。――私はこの画の前に立って、それから受ける感じを味うと共に、こう云う疑問もまた挟まずにはいられなかったのである。  しかしその画の中に恐しい力が潜んでいる事は、見ているに従って分って来た。殊に前景の土のごときは、そこを踏む時の足の心もちまでもまざまざと感じさせるほど、それほど的確に描いてあった。踏むとぶすりと音をさせて踝が隠れるような、滑な淤泥の心もちである。私はこの小さな油画の中に、鋭く自然を掴もうとしている、傷しい芸術家の姿を見出した。そうしてあらゆる優れた芸術品から受ける様に、この黄いろい沼地の草木からも恍惚たる悲壮の感激を受けた。実際同じ会場に懸かっている大小さまざまな画の中で、この一枚に拮抗し得るほど力強い画は、どこにも見出す事が出来なかったのである。 「大へんに感心していますね。」  こう云う言と共に肩を叩かれた私は、あたかも何かが心から振い落されたような気もちがして、卒然と後をふり返った。 「どうです、これは。」  相手は無頓着にこう云いながら、剃刀を当てたばかりの顋で、沼地の画をさし示した。流行の茶の背広を着た、恰幅の好い、消息通を以て自ら任じている、――新聞の美術記者である。私はこの記者から前にも一二度不快な印象を受けた覚えがあるので、不承不承に返事をした。 「傑作です。」 「傑作――ですか。これは面白い。」  記者は腹を揺って笑った。その声に驚かされたのであろう。近くで画を見ていた二三人の見物が皆云い合せたようにこちらを見た。私はいよいよ不快になった。 「これは面白い。元来この画はね、会員の画じゃないのです。が、何しろ当人が口癖のようにここへ出す出すと云っていたものですから、遺族が審査員へ頼んで、やっとこの隅へ懸ける事になったのです。」 「遺族? じゃこの画を描いた人は死んでいるのですか。」 「死んでいるのです。もっとも生きている中から、死んだようなものでしたが。」  私の好奇心はいつか私の不快な感情より強くなっていた。 「どうして?」 「この画描きは余程前から気が違っていたのです。」 「この画を描いた時もですか。」 「勿論です。気違いででもなければ、誰がこんな色の画を描くものですか。それをあなたは傑作だと云って感心してお出でなさる。そこが大に面白いですね。」  記者はまた得意そうに、声を挙げて笑った。彼は私が私の不明を恥じるだろうと予測していたのであろう。あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無駄になった。彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛にも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。私は悚然として再びこの沼地の画を凝視した。そうして再びこの小さなカンヴァスの中に、恐しい焦躁と不安とに虐まれている傷しい芸術家の姿を見出した。 「もっとも画が思うように描けないと云うので、気が違ったらしいですがね。その点だけはまあ買えば買ってやれるのです。」  記者は晴々した顔をして、ほとんど嬉しそうに微笑した。これが無名の芸術家が――我々の一人が、その生命を犠牲にして僅に世間から購い得た唯一の報酬だったのである。私は全身に異様な戦慄を感じて、三度この憂鬱な油画を覗いて見た。そこにはうす暗い空と水との間に、濡れた黄土の色をした蘆が、白楊が、無花果が、自然それ自身を見るような凄じい勢いで生きている。……… 「傑作です。」  私は記者の顔をまともに見つめながら、昂然としてこう繰返した。 (大正八年四月)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:earthian 1998年12月28日公開 2004年3月9日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 おれは締切日を明日に控えた今夜、一気呵成にこの小説を書こうと思う。いや、書こうと思うのではない。書かなければならなくなってしまったのである。では何を書くかと云うと、――それは次の本文を読んで頂くよりほかに仕方はない。        ―――――――――――――――――――――――――  神田神保町辺のあるカッフェに、お君さんと云う女給仕がいる。年は十五とか十六とか云うが、見た所はもっと大人らしい。何しろ色が白くって、眼が涼しいから、鼻の先が少し上を向いていても、とにかく一通りの美人である。それが髪をまん中から割って、忘れな草の簪をさして、白いエプロンをかけて、自働ピアノの前に立っている所は、とんと竹久夢二君の画中の人物が抜け出したようだ。――とか何とか云う理由から、このカッフェの定連の間には、夙に通俗小説と云う渾名が出来ているらしい。もっとも渾名にはまだいろいろある。簪の花が花だから、わすれな草。活動写真に出る亜米利加の女優に似ているから、ミス・メリイ・ピックフォオド。このカッフェに欠くべからざるものだから、角砂糖。ETC. 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二階は天井の低い六畳で、西日のさす窓から外を見ても、瓦屋根のほかは何も見えない。その窓際の壁へよせて、更紗の布をかけた机がある。もっともこれは便宜上、仮に机と呼んで置くが、実は古色を帯びた茶ぶ台に過ぎない。その茶ぶ――机の上には、これも余り新しくない西洋綴の書物が並んでいる。「不如帰」「藤村詩集」「松井須磨子の一生」「新朝顔日記」「カルメン」「高い山から谷底見れば」――あとは婦人雑誌が七八冊あるばかりで、残念ながらおれの小説集などは、唯一の一冊も見当らない。それからその机の側にある、とうにニスの剥げた茶箪笥の上には、頸の細い硝子の花立てがあって、花びらの一つとれた造花の百合が、手際よくその中にさしてある。察する所この百合は、花びらさえまだ無事でいたら、今でもあのカッフェの卓子に飾られていたのに相違あるまい。最後にその茶箪笥の上の壁には、いずれも雑誌の口絵らしいのが、ピンで三四枚とめてある。一番まん中なのは、鏑木清方君の元禄女で、その下に小さくなっているのは、ラファエルのマドンナか何からしい。と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたベエトオフェンへ滴るごとき秋波を送っている。但しこのベエトオフェンは、ただお君さんがベエトオフェンだと思っているだけで、実は亜米利加の大統領ウッドロオ・ウイルソンなのだから、北村四海君に対しても、何とも御気の毒の至に堪えない。――  こう云えばお君さんの趣味生活が、いかに芸術的色彩に富んでいるか、問わずしてすでに明かであろうと思う。また実際お君さんは、毎晩遅くカッフェから帰って来ると、必ずこのベエトオフェン alias ウイルソンの肖像の下に、「不如帰」を読んだり、造花の百合を眺めたりしながら、新派悲劇の活動写真の月夜の場面よりもサンティマンタアルな、芸術的感激に耽るのである。  桜頃のある夜、お君さんはひとり机に向って、ほとんど一番鶏が啼く頃まで、桃色をしたレタア・ペエパアにせっせとペンを走らせ続けた。が、その書き上げた手紙の一枚が、机の下に落ちていた事は、朝になってカッフェへ出て行った後も、ついにお君さんには気がつかなかったらしい。すると窓から流れこんだ春風が、その一枚のレタア・ペエパアを飜して、鬱金木綿の蔽いをかけた鏡が二つ並んでいる梯子段の下まで吹き落してしまった。下にいる女髪結は、頻々としてお君さんの手に落ちる艶書のある事を心得ている。だからこの桃色をした紙も、恐らくはその一枚だろうと思って、好奇心からわざわざ眼を通して見た。すると意外にもこれは、お君さんの手蹟らしい。ではお君さんが誰かの艶書に返事を認めたのかと思うと、「武男さんに御別れなすった時の事を考えると、私は涙で胸が張り裂けるようでございます」と書いてある。果然お君さんはほとんど徹夜をして、浪子夫人に与うべき慰問の手紙を作ったのであった。――  おれはこの挿話を書きながら、お君さんのサンティマンタリスムに微笑を禁じ得ないのは事実である。が、おれの微笑の中には、寸毫も悪意は含まれていない。お君さんのいる二階には、造花の百合や、「藤村詩集」や、ラファエルのマドンナの写真のほかにも、自炊生活に必要な、台所道具が並んでいる。その台所道具の象徴する、世智辛い東京の実生活は、何度今日までにお君さんへ迫害を加えたか知れなかった。が、落莫たる人生も、涙の靄を透して見る時は、美しい世界を展開する。お君さんはその実生活の迫害を逃れるために、この芸術的感激の涙の中へ身を隠した。そこには一月六円の間代もなければ、一升七十銭の米代もない。カルメンは電燈代の心配もなく、気楽にカスタネットを鳴らしている。浪子夫人も苦労はするが、薬代の工面が出来ない次第ではない。一言にして云えばこの涙は、人間苦の黄昏のおぼろめく中に、人間愛の燈火をつつましやかにともしてくれる。ああ、東京の町の音も全くどこかへ消えてしまう真夜中、涙に濡れた眼を挙げながら、うす暗い十燭の電燈の下に、たった一人逗子の海風とコルドヴァの杏竹桃とを夢みている、お君さんの姿を想像――畜生、悪意がない所か、うっかりしているとおれまでも、サンティマンタアルになり兼ねないぞ。元来世間の批評家には情味がないと言われている、すこぶる理智的なおれなのだが。  そのお君さんがある冬の夜、遅くなってカッフェから帰って来ると、始は例のごとく机に向って、「松井須磨子の一生」か何か読んでいたが、まだ一頁と行かない内に、どう云う訳かその書物にたちまち愛想をつかしたごとく、邪慳に畳の上へ抛り出してしまった。と思うと今度は横坐りに坐ったまま、机の上に頬杖をついて、壁の上のウイル――べエトオフェンの肖像を冷淡にぼんやり眺め出した。これは勿論唯事ではない。お君さんはあのカッフェを解傭される事になったのであろうか。さもなければお松さんのいじめ方が一層悪辣になったのであろうか。あるいはまたさもなければ齲歯でも痛み出して来たのであろうか。いや、お君さんの心を支配しているのは、そう云う俗臭を帯びた事件ではない。お君さんは浪子夫人のごとく、あるいはまた松井須磨子のごとく、恋愛に苦しんでいるのである。ではお君さんは誰に心を寄せているかと云うと――幸お君さんは壁の上のベエトオフェンを眺めたまま、しばらくは身動きもしそうはないから、その間におれは大急ぎで、ちょいとこの光栄ある恋愛の相手を紹介しよう。  お君さんの相手は田中君と云って、無名の――まあ芸術家である。何故かと云うと田中君は、詩も作る、ヴァイオリンも弾く、油絵の具も使う、役者も勤める、歌骨牌も巧い、薩摩琵琶も出来ると云う才人だから、どれが本職でどれが道楽だか、鑑定の出来るものは一人もいない。従ってまた人物も、顔は役者のごとくのっぺりしていて、髪は油絵の具のごとくてらてらしていて、声はヴァイオリンのごとく優しくって、言葉は詩のごとく気が利いていて、女を口説く事は歌骨牌をとるごとく敏捷で、金を借り倒す事は薩摩琵琶をうたうごとく勇壮活溌を極めている。それが黒い鍔広の帽子をかぶって、安物らしい猟服を着用して、葡萄色のボヘミアン・ネクタイを結んで――と云えば大抵わかりそうなものだ。思うにこの田中君のごときはすでに一種のタイプなのだから、神田本郷辺のバアやカッフェ、青年会館や音楽学校の音楽会(但し一番の安い切符の席に限るが)兜屋や三会堂の展覧会などへ行くと、必ず二三人はこの連中が、傲然と俗衆を睥睨している。だからこの上明瞭な田中君の肖像が欲しければ、そう云う場所へ行って見るが好い。おれが書くのはもう真平御免だ。第一おれが田中君の紹介の労を執っている間に、お君さんはいつか立上って、障子を開けた窓の外の寒い月夜を眺めているのだから。  瓦屋根の上の月の光は、頸の細い硝子の花立てにさした造花の百合を照らしている。壁に貼ったラファエルの小さなマドンナを照らしている。そうしてまたお君さんの上を向いた鼻を照らしている。が、お君さんの涼しい眼には、月の光も映っていない。霜の下りたらしい瓦屋根も、存在しないのと同じ事である。田中君は今夜カッフェから、お君さんをここまで送って来た。そうして明日の晩は二人で、楽しく暮そうと云う約束までした。明日はちょうど一月に一度あるお君さんの休日だから、午後六時に小川町の電車停留場で落合って、それから芝浦にかかっている伊太利人のサアカスを見に行こうと云うのである。お君さんは今日までに、未嘗男と二人で遊びに出かけた覚えなどはない。だから明日の晩田中君と、世間の恋人同士のように、つれ立って夜の曲馬を見に行く事を考えると、今更のように心臓の鼓動が高くなって来る。お君さんにとって田中君は、宝窟の扉を開くべき秘密の呪文を心得ているアリ・ババとさらに違いはない。その呪文が唱えられた時、いかなる未知の歓楽境がお君さんの前に出現するか。――さっきから月を眺めて月を眺めないお君さんが、風に煽られた海のごとく、あるいはまた将に走らんとする乗合自動車のモオタアのごとく、轟く胸の中に描いているのは、実にこの来るべき不可思議の世界の幻であった。そこには薔薇の花の咲き乱れた路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが、数限りもなく散乱している。夜鶯の優しい声も、すでに三越の旗の上から、蜜を滴すように聞え始めた。橄欖の花の匀いの中に大理石を畳んだ宮殿では、今やミスタア・ダグラス・フェアバンクスと森律子嬢との舞踏が、いよいよ佳境に入ろうとしているらしい。……  が、おれはお君さんの名誉のためにつけ加える。その時お君さんの描いた幻の中には、時々暗い雲の影が、一切の幸福を脅すように、底気味悪く去来していた。成程お君さんは田中君を恋しているのに違いない。しかしその田中君は、実はお君さんの芸術的感激が円光を頂かせた田中君である。詩も作る、ヴァイオリンも弾く、油絵の具も使う、役者も勤める、歌骨牌も巧い、薩摩琵琶も出来るサア・ランスロットである。だからお君さんの中にある処女の新鮮な直観性は、どうかするとこのランスロットのすこぶる怪しげな正体を感ずる事がないでもない。暗い不安の雲の影は、こう云う時にお君さんの幻の中を通りすぎる。が、遺憾ながらその雲の影は、現れるが早いか消えてしまう。お君さんはいくら大人じみていても、十六とか十七とか云う少女である。しかも芸術的感激に充ち満ちている少女である。着物を雨で濡らす心配があるか、ライン河の入日の画端書に感嘆の声を洩らす時のほかは、滅多に雲の影などへ心を止めないのも不思議ではない。いわんや今は薔薇の花の咲き乱れている路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが――以下は前に書いた通りだから、そこを読み返して頂きたい。  お君さんは長い間、シャヴァンヌの聖・ジュヌヴィエヴのごとく、月の光に照らされた瓦屋根を眺めて立っていたが、やがて嚏を一つすると、窓の障子をばたりとしめて、また元の机の際へ横坐りに坐ってしまった。それから翌日の午後六時までお君さんが何をしていたか、その間の詳しい消息は、残念ながらおれも知っていない。何故作者たるおれが知っていないのかと云うと――正直に云ってしまえ。おれは今夜中にこの小説を書き上げなければならないからである。  翌日の午後六時、お君さんは怪しげな紫紺の御召のコオトの上にクリイム色の肩掛をして、いつもよりはそわそわと、もう夕暗に包まれた小川町の電車停留場へ行った。行くとすでに田中君は、例のごとく鍔広の黒い帽子を目深くかぶって、洋銀の握りのついた細い杖をかいこみながら、縞の荒い半オオヴァの襟を立てて、赤い電燈のともった下に、ちゃんと佇んで待っている。色の白い顔がいつもより一層また磨きがかかって、かすかに香水の匀までさせている容子では、今夜は格別身じまいに注意を払っているらしい。 「御待たせして?」  お君さんは田中君の顔を見上げると、息のはずんでいるような声を出した。 「なあに。」  田中君は大様な返事をしながら、何とも判然しない微笑を含んだ眼で、じっとお君さんの顔を眺めた。それから急に身ぶるいを一つして、 「歩こう、少し。」 とつけ加えた。いや、つけ加えたばかりではない。田中君はもうその時には、アアク燈に照らされた人通りの多い往来を、須田町の方へ向って歩き出した。サアカスがあるのは芝浦である。歩くにしてもここからは、神田橋の方へ向って行かなければならない。お君さんはまだ立止ったまま、埃風に飜るクリイム色の肩掛へ手をやって、 「そっち?」 と不思議そうに声をかけた。が、田中君は肩越しに、 「ああ。」 と軽く答えたぎり、依然として須田町の方へ歩いて行く。そこでお君さんもほかに仕方がないから、すぐに田中君へ追いつくと、葉を振った柳の並樹の下を一しょにいそいそと歩き出した。するとまた田中君は、あの何とも判然しない微笑を眼の中に漂わせて、お君さんの横顔を窺いながら、 「お君さんには御気の毒だけれどもね、芝浦のサアカスは、もう昨夜でおしまいなんだそうだ。だから今夜は僕の知っている家へ行って、一しょに御飯でも食べようじゃないか。」 「そう、私どっちでも好いわ。」  お君さんは田中君の手が、そっと自分の手を捕えたのを感じながら、希望と恐怖とにふるえている、かすかな声でこう云った。と同時にまたお君さんの眼にはまるで「不如帰」を読んだ時のような、感動の涙が浮んできた。この感動の涙を透して見た、小川町、淡路町、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。歳暮大売出しの楽隊の音、目まぐるしい仁丹の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾、蜘蛛手に張った万国国旗、飾窓の中のサンタ・クロス、露店に並んだ絵葉書や日暦――すべてのものがお君さんの眼には、壮大な恋愛の歓喜をうたいながら、世界のはてまでも燦びやかに続いているかと思われる。今夜に限って天上の星の光も冷たくない。時々吹きつける埃風も、コオトの裾を巻くかと思うと、たちまち春が返ったような暖い空気に変ってしまう。幸福、幸福、幸福……  その内にふとお君さんが気がつくと、二人はいつか横町を曲ったと見えて、路幅の狭い町を歩いている。そうしてその町の右側に、一軒の小さな八百屋があって、明く瓦斯の燃えた下に、大根、人参、漬け菜、葱、小蕪、慈姑、牛蒡、八つ頭、小松菜、独活、蓮根、里芋、林檎、蜜柑の類が堆く店に積み上げてある。その八百屋の前を通った時、お君さんの視線は何かの拍子に、葱の山の中に立っている、竹に燭奴を挟んだ札の上へ落ちた。札には墨黒々と下手な字で、「一束四銭」と書いてある。あらゆる物価が暴騰した今日、一束四銭と云う葱は滅多にない。この至廉な札を眺めると共に、今まで恋愛と芸術とに酔っていた、お君さんの幸福な心の中には、そこに潜んでいた実生活が、突如としてその惰眠から覚めた。間髪を入れずとは正にこの謂である。薔薇と指環と夜鶯と三越の旗とは、刹那に眼底を払って消えてしまった。その代り間代、米代、電燈代、炭代、肴代、醤油代、新聞代、化粧代、電車賃――そのほかありとあらゆる生活費が、過去の苦しい経験と一しょに、恰も火取虫の火に集るごとく、お君さんの小さな胸の中に、四方八方から群って来る。お君さんは思わずその八百屋の前へ足を止めた。それから呆気にとられている田中君を一人後に残して、鮮な瓦斯の光を浴びた青物の中へ足を入れた。しかもついにはその華奢な指を伸べて、一束四銭の札が立っている葱の山を指さすと、「さすらい」の歌でもうたうような声で、 「あれを二束下さいな。」と云った。  埃風の吹く往来には、黒い鍔広の帽子をかぶって、縞の荒い半オオヴァの襟を立てた田中君が、洋銀の握りのある細い杖をかいこみながら、孤影悄然として立っている。田中君の想像には、さっきからこの町のはずれにある、格子戸造の家が浮んでいた。軒に松の家と云う電燈の出た、沓脱ぎの石が濡れている、安普請らしい二階家である、が、こうした往来に立っていると、その小ぢんまりした二階家の影が、妙にだんだん薄くなってしまう。そうしてその後には徐に一束四銭の札を打った葱の山が浮んで来る。と思うとたちまち想像が破れて、一陣の埃風が過ぎると共に、実生活のごとく辛辣な、眼に滲むごとき葱の匀が実際田中君の鼻を打った。 「御待ち遠さま。」  憐むべき田中君は、世にも情無い眼つきをして、まるで別人でも見るように、じろじろお君さんの顔を眺めた。髪を綺麗にまん中から割って、忘れな草の簪をさした、鼻の少し上を向いているお君さんは、クリイム色の肩掛をちょいと顋でおさえたまま、片手に二束八銭の葱を下げて立っている。あの涼しい眼の中に嬉しそうな微笑を躍らせながら。        ―――――――――――――――――――――――――  とうとうどうにか書き上げたぞ。もう夜が明けるのも間はあるまい。外では寒そうな鶏の声がしているが、折角これを書き上げても、いやに気のふさぐのはどうしたものだ。お君さんはその晩何事もなく、またあの女髪結の二階へ帰って来たが、カッフェの女給仕をやめない限り、その後も田中君と二人で遊びに出る事がないとは云えまい。その時の事を考えると、――いや、その時はまたその時の事だ。おれが今いくら心配した所で、どうにもなる訳のものではない。まあこのままでペンを擱こう。左様なら。お君さん。では今夜もあの晩のように、ここからいそいそ出て行って、勇ましく――批評家に退治されて来給え。 (大正八年十二月十一日)
底本:「芥川龍之介全集3」ちくま文庫、筑摩書房    1986(昭和61)年12月1日第1刷発行    1996(平成8)年4月1日第8刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房    1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年12月8日公開 2004年3月12日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
{ "作品ID": "000106", "作品名": "葱", "作品名読み": "ねぎ", "ソート用読み": "ねき", "副題": "", "副題読み": "", "原題": "", "初出": "「新小説」1920(大正9)年1月", "分類番号": "NDC 913", "文字遣い種別": "新字新仮名", "作品著作権フラグ": "なし", "公開日": "1998-12-08T00:00:00", "最終更新日": "2014-09-17T00:00:00", "図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card106.html", "人物ID": "000879", "姓": "芥川", "名": "竜之介", "姓読み": "あくたがわ", "名読み": "りゅうのすけ", "姓読みソート用": "あくたかわ", "名読みソート用": "りゆうのすけ", "姓ローマ字": "Akutagawa", "名ローマ字": "Ryunosuke", "役割フラグ": "著者", "生年月日": "1892-03-01", "没年月日": "1927-07-24", "人物著作権フラグ": "なし", "底本名1": "芥川龍之介全集3", "底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房", "底本初版発行年1": "1986(昭和61)年12月1日", "入力に使用した版1": "1996(平成8)年4月1日第8刷", "校正に使用した版1": "1997(平成9)年4月15日第9刷", "底本の親本名1": "筑摩全集類聚版芥川龍之介全集", "底本の親本出版社名1": "筑摩書房", "底本の親本初版発行年1": "1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月", "底本名2": "", "底本出版社名2": "", "底本初版発行年2": "", "入力に使用した版2": "", "校正に使用した版2": "", "底本の親本名2": "", "底本の親本出版社名2": "", "底本の親本初版発行年2": "", "入力者": "j.utiyama", "校正者": "かとうかおり", "テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/106_ruby_889.zip", "テキストファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS", "テキストファイル文字集合": "JIS X 0208", "テキストファイル修正回数": "3", "XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/106_15226.html", "XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-15T00:00:00", "XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS", "XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208", "XHTML/HTMLファイル修正回数": "0" }
       一  或初秋の日暮であつた。  汐留の船宿、伊豆屋の表二階には、遊び人らしい二人の男が、さつきから差し向ひで、頻に献酬を重ねてゐた。  一人は色の浅黒い、小肥りに肥つた男で、形の如く結城の単衣物に、八反の平ぐけを締めたのが、上に羽織つた古渡り唐桟の半天と一しよに、その苦みばしつた男ぶりを、一層いなせに見せてゐる趣があつた。もう一人は色の白い、どちらかと云へば小柄な男だが、手首まで彫つてある剳青が目立つせゐか、糊の落ちた小弁慶の単衣物に算盤珠の三尺をぐるぐる巻きつけたのも、意気と云ふよりは寧ろ凄味のある、自堕落な心もちしか起させなかつた。のみならずこの男は、役者が二三枚落ちると見えて、相手の男を呼びかける時にも、始終親分と云ふ名を用ひてゐた。が、年輩は彼是同じ位らしく、それだけ又世間の親分子分よりも、打ち融けた交情が通つてゐる事は、互に差しつ抑へつする盃の間にも明らかだつた。  初秋の日暮とは云ひながら、向うに見える唐津様の海鼠壁には、まだ赤々と入日がさして、その日を浴びた一株の柳が、こんもりと葉かげを蒸してゐるのも、去つて間がない残暑の思ひ出を新しくするのに十分だつた。だからこの船宿の表二階にも、葭戸こそもう唐紙に変つてゐたが、江戸に未練の残つてゐる夏は、手すりに下つてゐる伊予簾や、何時からか床に掛け残された墨絵の滝の掛物や、或は又二人の間に並べてある膳の水貝や洗ひなどに、まざまざと尽きない名残りを示してゐた。実際往来を一つ隔ててゐる掘割の明るい水の上から、時たま此処に流れて来るそよ風も、微醺を帯びた二人の男には、刷毛先を少し左へ曲げた水髪の鬢を吹かれる度に、涼しいとは感じられるにした所が、毛頭秋らしいうそ寒さを覚えさせるやうな事はないのである。殊に色の白い男の方になると、こればかりは冷たさうな掛守りの銀鎖もちらつく程、思入れ小弁慶の胸をひろげてゐた。  二人は女中まで遠ざけて、暫くは何やら密談に耽つてゐたが、やがてそれも一段落ついたと見えて、色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、無造作に猪口を相手に返すと、膝の下の煙草入をとり上げながら、 「と云ふ訳での、おれもやつと三年ぶりに、又江戸へ帰つて来たのよ。」 「道理でちつと御帰りが、遅すぎると思つてゐやしたよ。だがまあ、かうして帰つて来ておくんなさりや、子分子方のものばかりぢや無え、江戸つ子一統が喜びやすぜ。」 「さう云つてくれるのは、手前だけよ。」 「へへ、仰有つたものだぜ。」  色の白い、小柄な男は、わざと相手を睨めると、人が悪るさうににやりと笑つて、 「小花姐さんにも聞いて御覧なせえまし。」 「そりや無え。」  親分と呼ばれた男は、如心形の煙管を啣へた儘、僅に苦笑の色を漂はせたが、すぐに又真面目な調子になつて、 「だがの、おれが三年見無え間に、江戸もめつきり変つたやうだ。」 「いや、変つたの、変ら無えの。岡場所なんぞの寂れ方と来ちや、まるで嘘のやうでごぜえますぜ。」 「かうなると、年よりの云ひぐさぢや無えが、やつぱり昔が恋しいの。」 「変ら無えのは私ばかりさ。へへ、何時になつてもひつてんだ。」  小弁慶の浴衣を着た男は、受けた盃をぐいとやると、その手ですぐに口の端の滴を払つて、自ら嘲るやうに眉を動かしたが、 「今から見りや、三年前は、まるでこの世の極楽さね。ねえ、親分、お前さんが江戸を御売んなすつた時分にや、盗つ人にせえあの鼠小僧のやうな、石川五右衛門とは行かねえまでも、ちつとは睨みの利いた野郎があつたものぢやごぜえませんか。」 「飛んだ事を云ふぜ。何処の国におれと盗つ人とを一つ扱ひにする奴があるものだ。」  唐桟の半天をひつかけた男は、煙草の煙にむせながら、思はず又苦笑を洩らしたが、鉄火な相手はそんな事に頓着する気色もなく、手酌でもう一杯ひつかけると、 「そいつがこの頃は御覧なせえ。けちな稼ぎをする奴は、箒で掃く程ゐやすけれど、あの位な大泥坊は、つひぞ聞か無えぢやごぜえませんか。」 「聞か無えだつて、好いぢや無えか。国に盗賊、家に鼠だ。大泥坊なんぞはゐ無え方が好い。」 「そりや居無え方が好い。居無え方が好いにや違えごぜえませんがね。」  色の白い、小柄な男は、剳青のある臂を延べて、親分へ猪口を差しながら、 「あの時分の事を考へると、へへ、妙なもので盗つ人せえ、懐しくなつて来やすのさ。先刻御承知にや違え無えが、あの鼠小僧と云ふ野郎は、心意気が第一嬉しいや。ねえ、親分。」 「嘘は無え。盗つ人の尻押しにや、こりや博奕打が持つて来いだ。」 「へへ、こいつは一番おそれべか。」  と云つて、ちよいと小弁慶の肩を落したが、こちらは忽ち又元気な声になつて、 「私だつて何も盗つ人の肩を持つにや当ら無えけれど、あいつは懐の暖え大名屋敷へ忍びこんぢや、御手許金と云ふやつを掻攫つて、その日に追はれる貧乏人へ恵んでやるのだと云ひやすぜ。成程善悪にや二つは無えが、どうせ盗みをするからにや、悪党冥利にこの位な陰徳は積んで置き度えとね、まあ、私なんぞは思つてゐやすのさ。」 「さうか。さう聞きや無理は無えの。いや、鼠小僧と云ふ野郎も、改代町の裸松が贔屓になつてくれようとは、夢にも思つちや居無えだらう。思へば冥加な盗つ人だ。」  色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、相手に猪口を返しながら、思ひの外しんみりとかう云つたが、やがて何か思ひついたらしく、大様に膝を進めると、急に晴々した微笑を浮べて、 「ぢや聞きねえ。おれもその鼠小僧ぢや、とんだ御茶番を見た事があつての、今でも思ひ出すたんびに、腹の皮がよれてなら無えのよ。」  親分と呼ばれた男は、かう云ふ前置きを聞かせてから、又悠々と煙管を啣へて、夕日の中に消えて行く煙草の煙の輪と一しよに、次のやうな話をし始めた。        二  丁度今から三年前、おれが盆茣蓙の上の達て引きから、江戸を売つた時の事だ。  東海道にやちつと差しがあつて、路は悪いが甲州街道を身延まで出にやなら無えから、忘れもし無え、極月の十一日、四谷の荒木町を振り出しに、とうとう旅鴉に身をやつしたが、なりは手前も知つてた通り、結城紬の二枚重ねに一本独銛の博多の帯、道中差をぶつこんでの、革色の半合羽に菅笠をかぶつてゐたと思ひねえ。元より振分けの行李の外にや、道づれも無え独り旅だ。脚絆草鞋の足拵へは、見てくればかり軽さうだが、当分は御膝許の日の目せえ、拝まれ無え事を考へりや、実は気も滅入つての、古風ぢやあるが一足毎に、後髪を引かれるやうな心もちよ。  その日が又意地悪く、底冷えのする雪曇りでの、まして甲州街道は、何処の山だか知ら無えが、一面の雲のかかつたやつが、枯つ葉一つがさつか無え桑畑の上に屏風を立てよ、その桑の枝を掴んだ鶸も、寒さに咽喉を痛めたのか、声も立て無えやうな凍て方だ。おまけに時々身を切るやうな、小仏颪のからつ風がやけにざつと吹きまくつて、横なぐれに合羽を煽りやがる。かうなつちやいくら威張つても、旅慣れ無え江戸つ子は形無しよ。おれは菅笠の縁に手をかけちや、今朝四谷から新宿と踏み出して来た江戸の方を、何度振り返つて見たか知れやし無え。  するとおれの旅慣れ無えのが、通りがかりの人目にも、気の毒たらしかつたのに違え無え。府中の宿をはづれると、堅気らしい若え男が、後からおれに追ひついて、口まめに話しかけやがる。見りや紺の合羽に菅笠は、こりや御定りの旅仕度だが、色の褪めた唐桟の風呂敷包を頸へかけの、洗ひざらした木綿縞に剥げつちよろけの小倉の帯、右の小鬢に禿があつて、顋の悪くしやくれたのせえ、よしんば風にや吹かれ無えでも、懐の寒むさうな御人体だ。だがの、見かけよりや人は好いと見えて、親切さうに道中の名所古蹟なんぞを教へてくれる。こつちは元より相手欲しやだ。 「御前さんは何処まで行きなさる。」 「私は甲府まで参りやす。旦那は又どちらへ。」 「私は何、身延詣りさ。」 「時に旦那は江戸でござりやせう。江戸はどの辺へ御住ひなせえます。」 「茅場町の植木店さ。お前さんも江戸かい。」 「へえ、私は深川の六間堀で、これでも越後屋重吉と云ふ小間物渡世でござりやす。」  とまあ、云つた調子での。同じ江戸懐しい話をしながら、互に好い道づれを見つけた気でよ、一しよに路を急いで行くと、追つけ日野宿へかからうと云ふ時分に、ちらちら白い物が降り出しやがつた。独り旅であつて見ねえ。時刻も彼是七つ下りぢやあるし、この雪空を見上げちや、川千鳥の声も身に滲みるやうで、今夜はどうでも日野泊りと、出かけ無けりやなら無え所だが、いくら懐は寒むさうでも、其処は越後屋重吉と云ふ道づれのある御かげ様だ。 「旦那え、この雪ぢや明日の路は、とても捗が参りやせんから、今日の中に八王子までのして置かうぢやござりやせんか。」  と云はれて見りや、その気になつての、雪の中を八王子まで、辿りついたと思ひねえ。もう空はまつ暗で、とうに白くなつた両側の屋根が、夜目にも跡の見える街道へ、押つかぶさるやうに重なり合つた、――その下に所々、掛行燈が赤く火を入れて、帰り遅れた馬の鈴が、だんだん近くなつて来るなんぞは、手もなく浮世画の雪景色よ。するとその越後屋重吉と云ふ野郎が、先に立つて雪を踏みながら、 「旦那え、今夜はどうか御一しよに願ひたうござりやす。」  と何度もうるさく頼みやがるから、おれも異存がある訳ぢやなし、 「そりやさう願へれば、私も寂しくなくつて好い。だが私は生憎と、始めて来た八王子だ。何処も旅籠を知ら無えが。」 「何に、あすこの山甚と云ふのが、私の定宿でござりやす。」  と云つておれをつれこんだのは、やつぱり掛行燈のともつてゐる、新見世だとか云ふ旅籠屋だがの、入口の土間を広くとつて、その奥はすぐに台所へ続くやうな構へだつたらしい。おれたち二人が中へ這入ると、帳場の前の獅噛火鉢へ噛りついてゐた番頭が、まだ「御濯ぎを」とも云は無え内に、意地のきたねえやうだけれど、飯の匂と汁の匂とが、湯気や火つ気と一つになつて、むんと鼻へ来やがつた。それから早速草鞋を脱ぎの、行燈を下げた婢と一しよに、二階座敷へせり上つたが、まづ一風呂暖まつて、何はともあれ寒さ凌ぎと、熱燗で二三杯きめ出すと、その越後屋重吉と云ふ野郎が、始末に了へ無え機嫌上戸での、唯でせえ口のまめなやつが、大方饒舌る事ぢや無え。 「旦那え、この酒なら御口に合ひやせう。これから甲州路へかかつて御覧なさいやし。とてもかう云ふ酒は飲めませんや。へへ、古い洒落だが与右衛門の女房で、私ばかりかさねがさね――」  などと云つてゐる内は、まだ好かつたが、銚子が二三本も並ぶやうになると、目尻を下げて、鼻の脂を光らせて、しやくんだ顋を乙に振つて、 「酒に恨が数々ござるつてね、私なんぞも旦那の前だが、茶屋酒のちいつとまはり過ぎたのが、飛んだ身の仇になりやした。あ、あだな潮来で迷はせるつ。」  とふるへ声で唄ひ始めやがる。おれは実に持て余しての、何でもこいつは寝かすより外に仕方が無えと思つたから、潮さきを見て飯にすると、 「さあ、明日が早えから、寝なせえ。寝なせえ。」  とせき立てての、まだ徳利に未練のあるやつを、やつと横にならせたが、御方便なものぢや無えか、あれ程はしやいでゐた野郎が、枕へ頭をつけたとなると、酒臭え欠伸を一つして、 「あああつ、あだな潮来で迷はせるつ。」  ともう一度、気味の悪い声を出しやがつたが、それつきり後は鼾になつて、いくら鼠が騒がうが、寝返り一つ打ちやがら無え。  が、こつちや災難だ。何を云ふにも江戸を立つて、今夜が始めての泊りぢやあるし、その鼾が耳へついて、あたりが静になりやなる程、反つて妙に寝つかれ無え。外はまだ雪が止ま無えと見えて、時々雨戸へさらさらと吹つかける音もするやうだ。隣に寝てゐる極道人は、夢の中でも鼻唄を唄つてゐるかも知ら無えが、江戸にやおれがゐ無えばかりに、一人や二人は夜の目も寝無えで、案じてゐてくれるものがあるだらうと、――これさ、のろけぢや無えと云ふ事に、――つまら無え事を考へると、猶の事おれは眼が冴えての、早く夜明けになりや好いと、そればつかり思つてゐた。  そんなこんなで九つも聞きの、八つを打つたのも知つてゐたが、その内に眠む気がさしたと見えて、何時かうとうとしたやうだつた。が、やがてふと眼がさめると、鼠が燈心でも引きやがつたか、枕もとの行燈が消えてゐる。その上隣に寝てゐる野郎が、さつきまでは鼾をかいてゐた癖に、今はまるで死んだやうに寝息一つさせやがら無え。はてな、何だか可笑しな容子だぞと、かう思ふか思は無え内に、今度はおれの夜具の中へ、人間の手が這入つて来やがつた。それもがたがたふるへながら、胴巻の結び目を探しやがるのよ。成程。人は見かけにやよら無えものだ。あのでれ助が胡麻の蠅とは、こいつはちいつと出来すぎたわい。――と思つたら、すんでの事に、おれは吹き出す所だつたが、その胡麻の蠅と今が今まで、一しよに酒を飲んでゐたと思や、忌々しくもなつて来ての、あの野郎の手が胴巻の結び目をほどきにかかりやがると、いきなり逆にひつ掴めえて、捻り上げたと思ひねえ。胡麻の蠅の奴め、驚きやがるめえ事か、慌てて振り放さうとする所を、夜具を頭から押つかぶせての、まんまとおれがその上へ馬乗りになつてしまつたのよ。するとあの意気地なしめ、無理無体に夜具の下から、面だけ外へ出したと思ふと、「ひ、ひ、人殺し」と、烏骨鶏が時でもつくりやしめえし、奇体な声を立てやがつた。手前が盗みをして置きながら、手前で人を呼びや世話は無え、唐変木とは始めから知つちやゐるが、さりとは男らしくも無え野郎だと、おれは急に腹が立つたから、其処にあつた枕をひつ掴んで、ぽかぽかその面をぶちのめしたぢや無えか。  さあ、その騒ぎが聞えての、隣近所の客も眼をさましや、宿の亭主や奉公人も、何事が起つたと云ふ顔色で、手燭の火を先立ちに、どかどか二階へ上つて来やがつた。来て見りやおれの股ぐらから、あの野郎がもう片息になつて、面妖な面を出してゐやがる始末よ。こりや誰が見ても大笑ひだ。 「おい、御亭主、飛んだ蚤にたかられての、人騒がせをして済まなかつた。外の客人にやお前から、よく詑びを云つておくんなせえ。」  それつきりよ。もう後は訳を話すも話さ無えも無え。奉公人がすぐにあの野郎を、ぐるぐる巻にふん縛つて、まるで生捕りました河童のやうに、寄つてたかつて二階から、引きずり下してしまやがつた。  さてその後で山甚の亭主が、おれの前へ手をついての、 「いや、どうも以ての外の御災難で、さぞまあ、御驚きでございましたらう。が、御路用その外別に御紛失物もなかつたのは、せめてもの御仕合せでございます。追つてはあの野郎も夜の明け次第、早速役所へ引渡す事に致しますから、どうか手前どもの届きません所は、幾重にも御勘弁下さいますやうに。」  と何度も頭を下げるから、 「何、胡麻の蠅とも知ら無えで、道づれになつたのが私の落度だ。それを何も御前さんが、あやまんなさる事は無えのさ。こりやほんの僅ばかりだが、世話になつた若え衆たちに、暖え蕎麦の一杯も振舞つてやつておくんなせえ。」  と祝儀をやつて返したが、つくづく一人になつて考へりや、宿場女郎にでも振られやしめえし、何時までも床に倚つかかつて、腕組みをしてゐるのも智慧が無え。と云つてこれから寝られやせず、何かと云ふ中にや六つだらうから、こりや一そ今の内に、ちつとは路が暗くつても、早立ちをするのが上分別だと、かう思案がきまつたから、早速身仕度にとりかかりの、勘定は帳場で払つて行かうと、外の客の邪魔になら無えやうに、そつと梯子口まで来て見ると、下ぢやまだ奉公人たちが、皆起きてゐると見えて、何やら話し声も聞えてゐる。するとその中にどう云ふ訳か、度々さつき手前の話した、鼠小僧と云ふ名が出るぢや無えか。おれは妙だと思つての、両掛の行李を下げた儘、梯子口から下を覗いて見ると、広い土間のまん中にや、あの越後屋重吉と云ふ木念人が、繩尻は柱に括られながら、大あぐらをかいてゐやがる。そのまはりにや又若え者が、番頭も一しよに三人ばかり、八間の明りに照らされながら、腕まくりをしてゐるぢや無えか。中でもその番頭が、片手に算盤をひつ掴みの、薬罐頭から湯気を立てて、忌々しさうに何か云ふのを聞きや、 「ほんによ、こんな胡麻の蠅も、今に劫羅を経て見さつし、鼠小僧なんぞはそこのけの大泥坊になるかも知れ無え。ほんによ、さうなつた日にやこいつの御蔭で、街道筋の旅籠屋が、みんな暖簾に瑕がつくわな。その事を思や今の内に、ぶつ殺した方が人助けよ。」  と云ふ側から、ぢぢむさく髭の伸びた馬子半天が、じろじろ胡麻の蠅の面を覗きこんで、 「番頭どんともあらうものが、いやはや又当て事も無え事を云つたものだ。何でこんな間抜野郎に、鼠小僧の役が勤るべい。大方胡麻の蠅も気が強えと云つたら、面を見たばかりでも知れべいわさ。」 「違え無え。高々鼬小僧位な所だらう。」  こりや火吹竹を得物にした、宿の若え者が云つた事だ。 「ほんによ。さう云やこの野猿坊は、人の胴巻もまだ盗ま無え内に、うぬが褌を先へ盗まれさうな面だ。」 「下手な道中稼ぎなんぞするよりや、棒つ切の先へ黏をつけの、子供と一しよに賽銭箱のびた銭でもくすねてゐりや好い。」 「何、それよりや案山子代りに、おらが後の粟畑へ、突つ立つてゐるが好かんべい。」  かう皆がなぶり物にすると、あの越後屋重吉め、ちつとの間は口惜しさうに眼ばかりぱちつかせてゐやがつたが、やがて宿の若え者が、火吹竹を顋の下へやつて、ぐいと面を擡げさせると、急に巻き舌になりやがつて、 「やい、やい、やい、こいつらは飛んだ奴ぢやねえかえ。誰だと思つて囈言をつきやがる。かう見えても、この御兄さんはな、日本中を股にかけた、ちつとは面の売れてゐる胡麻の蠅だ。不面目にも程があらあ。うぬが土百姓の分在で、利いた風な御託を並べやがる。」  これにや皆驚いたのに違え無え。実は梯子を下りかけたおれも、あんまりあの野郎の権幕が御大さうなものだから、又中段に足を止めて、もう少し下の成行きを眺めてゐる気になつたのよ。まして人の好ささうな番頭なんぞは、算盤まで持ち出したのも忘れたやうに、呆れてあの野郎を見つめやがつた。が、気の強えのは馬子半天での、こいつだけはまだ髭を撫でながら、何処を風が吹くと云ふ面で、 「何が胡麻の蠅がえらかんべい。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太とはおらが事だ。おらが身もんでえを一つすりや、うぬがやうな胡麻の蠅は、踏み殺されると云ふ事を知ん無えか。」  と嵩にかかつて嚇したが、胡麻の蠅の奴はせせら笑つて、 「へん、こけが六十六部に立山の話でも聞きやしめえし、頭からおどかしを食つてたまるものかえ。これやい、眠む気ざましにや勿体無えが、おれの素性を洗つてやるから、耳の穴を掻つぽじつて聞きやがれ。」  と声色にしちや語呂の悪い、啖呵を切り出した所は豪勢だがの、面を見りや寒いと見えて、水つ洟が鼻の下に光つてゐる。おまけにおれのなぐつた所が、小鬢の禿から顋へかけて、まるで面が歪んだやうに、脹れ上つてゐようと云ふものだ。が、それでも田舎者にや、あの野郎のぽんぽん云ふ事が、ちつとは効き目があつたのだらう。あいつが乙に反り身になつて、餓鬼の時から悪事を覚えた行き立てを饒舌つてゐる内にや、雷獣を手捕りにしたとか云ふ、髭のぢぢむせえ馬子半天も、追々あの胡麻の蠅を胴突かなくなつて来たぢや無えか。それを見るとあの野郎め、愈しやくんだ顋を振りの、三人の奴らをねめまはして、 「へん、このごつぽう人めら、手前たちを怖はがるやうな、よいよいだとでも思やがつたか。いんにやさ。唯の胡麻の蠅だと思ふと、相手が違ふぞ。手前たちも覚えてゐるだらうが、去年の秋の嵐の晩に、この宿の庄屋へ忍びこみの、有り金を残らず掻つ攫つたのは、誰でも無えこのおれだ。」 「うぬが、あの庄屋様へ、――」  かう云つたのは、番頭ばかりぢや無え。火吹竹を持つた若え者も、さすがに肝をつぶしたと見えて、思はず大きな声を出しながら、二足三足後へ下りやがつた。 「さうよ。そんな仕事に驚くやうぢや、手前たちはまだ甘えものだ。かう、よく聞けよ。ついこの中も小仏峠で、金飛脚が二人殺されたのは、誰の仕業だと思やがる。」  あの野郎は水つ洟をすすりこんぢや、やれ府中で土蔵を破つたの、やれ日野宿でつけ火をしたの、やれ厚木街道の山の中で巡礼の女をなぐさんだの、だんだん途方も無え悪事を饒舌り立てたが、妙な事にやそれにつれて、番頭始め二人の野郎が、何時の間にかあの木念人へ慇懃になつて来やがつた。中でも図体の大きな馬子半天が、莫迦力のありさうな腕を組んで、まじまじあの野郎の面を眺めながら、 「お前さんと云ふ人は、何たる又悪党だんべい。」  と唸るやうな声を出した時にや、おれは可笑しさがこみ上げての、あぶなく吹き出す所だつた。ましてあの胡麻の蠅が、もう酔もさめたのだらう、如何にも寒さうな顔色で、歯の根も合は無え程ふるへながら、口先ばかりや勢よく、 「何と、ちつとは性根がついたか。だがおれの官禄は、まだまだそんな事ぢや無え。今度江戸をずらかつたのは、臍繰金が欲しいばかりに二人と無え御袋を、おれの手にかけて絞め殺した、その化の皮が剥げたからよ。」  と大きな見得を切つた時にや、三人ともあつと息を引いての、千両役者でも出て来はしめえし、小鬢から脹れ上つたあいつの面を、難有さうに見つめやがつた。おれはあんまり莫迦らしいから、もう見てゐるがものは無えと思つて、二三段梯子を下りかけたが、その途端に番頭の薬罐頭め、何と思やがつたか横手を打つて、 「や、読めたぞ。読めたぞ。あの鼠小僧と云ふのは、さてはおぬしの渾名だな。」  と頓狂な声を出しやがつたから、おれはふと又気が変つて、あいつが何とぬかしやがるか、それが聞きたさにもう一度、うすつ暗え梯子の中段へ足を止めたと思ひねえ。するとあの胡麻の蠅め、じろりと番頭を睨みながら、 「図星を指されちや仕方が無え。如何にも江戸で噂の高え、鼠小僧とはおれの事だ。」  と横柄にせせら笑やがつた。が、さう云ふか云は無え内に、胴震ひを一つしたと思ふと、二つ三つ続けさまに色気の無え嚏をしやがつたから、折角の睨みも台無しよ。それでも三人の野郎たちは、勝角力の名乗りでも聞きやしめえし、あの重吉の間抜野郎を煽ぎ立て無えばかりにして、 「おらもさうだらうと思つてゐた。三年前の大夕立に雷獣様を手捕りにした、横山宿の勘太と云つちや、泣く児も黙るおらだんべい。それをおらの前へ出て、びくともする容子が見え無えだ。」 「違え無え。さう云やどこか眼の中に、すすどい所があるやうだ。」 「ほんによ、だからおれは始めから、何でもこの人は一つぱしの大泥坊になると云つてゐたわな。ほんによ。今夜は弘法にも筆の誤り、上手の手からも水が漏るす。漏つたが、これが漏ら無えで見ねえ。二階中の客は裸にされるぜ。」  と繩こそ解かうとはし無えけれど、口々にちやほやしやがるのよ。すると又あの胡麻の蠅め、大方威張る事ぢや無え。 「かう、番頭さん、鼠小僧の御宿をしたのは、御前の家の旦那が運が好いのだ。さう云ふおれの口を干しちや、旅籠屋冥利が尽きるだらうぜ。桝で好いから五合ばかり、酒をつけてくんねえな。」  かう云ふ野郎も図々しいが、それを又正直に聞いてやる番頭も間抜けぢや無えか。おれは八間の明りの下で、薬罐頭の番頭が、あの飲んだくれの胡麻の蠅に、桝の酒を飲ませてゐるのを見たら、何もこの山甚の奉公人ばかりとは限ら無え、世間の奴等の莫迦莫迦しさが、可笑しくつて、可笑しくつて、こてえられ無かつた。何故と云ひねえ。同じ悪党とは云ひながら、押込みよりや掻払ひ、火つけよりや巾着切が、まだしも罪は軽いぢや無えか。それなら世間もそのやうに、大盗つ人よりや、小盗つ人に憐みをかけてくれさうなものだ。所が人はさうぢや無え。三下野郎にやむごくつても、金箔つきの悪党にや向うから頭を下げやがる。鼠小僧と云や酒も飲ますが、唯の胡麻の蠅と云や張り倒すのだ。思やおれも盗つ人だつたら、小盗つ人にやなりたく無え。――とまあ、おれは考へたが、さて何時までも便々と、こんな茶番も見ちやゐられ無えから、わざと音をさせて梯子を下りの、上り口へ荷物を抛り出して、 「おい、番頭さん、私は早立ちと出かけるから、ちよいと勘定をしておくんなせえ。」  と声をかけると、いや、番頭の薬罐頭め、てれまい事か、慌てて桝を馬子半天に渡しながら、何度も小鬢へ手をやつて、 「これは又御早い御立ちで――ええ、何とぞ御腹立ちになりやせんやうに――又先程は、ええ、手前どもにもわざわざ御心づけを頂きまして――尤も好い塩梅に雪も晴れたやうでげすが――」  などと訳のわからねえ事を並べやがるから、おれは可笑しさも可笑しくなつて、 「今下りしなに小耳に挾んだが、この胡麻の蠅は、評判の鼠小僧とか云ふ野郎ださうだの。」 「へい、さやうださうで、――おい、早く御草鞋を持つて来さつし。御笠に御合羽は此処にありと――どうも大した盗つ人ださうでげすな。――へい、唯今御勘定を致しやす。」  番頭のやつはてれ隠しに、若え者を叱りながら、そこそこ帳場の格子の中へ這入ると、仔細らしく啣へ筆で算盤をぱちぱちやり出しやがつた。おれはその間に草鞋をはいて、さて一服吸ひつけたが、見りやあの胡麻の蠅は、もう御神酒がまはつたと見えて、小鬢の禿まで赤くしながら、さすがにちつとは恥しいのか、なるべくおれの方を見無えやうに、側眼ばかり使つてゐやがる。その見すぼらしい容子を見ると、おれは今更のやうにあの野郎が可哀さうにもなつて来たから、 「おい、越後屋さん。いやさ、重吉さん。つまら無え冗談は云は無えものだ。御前が鼠小僧だなどと云ふと、人の好い田舎者は本当にするぜ。それぢや割が悪からうが。」  と親切づくに云つてやりや、あの阿呆の合天井め、まだ芝居がし足り無えのか、 「何だと。おれが鼠小僧ぢや無え? 飛んだ御前は物知りだの。かう、旦那旦那と立ててゐりや――」 「これさ。そんな啖呵が切りたけりや、此処にゐる馬子や若え衆が、丁度御前にや好い相手だ。だがそれもさつきからぢや、もう大抵切り飽きたらう。第一御前が紛れも無え日本一の大泥坊なら、何もすき好んでべらべらと、為にもなら無え旧悪を並べ立てる筈が無えわな。これさ、まあ黙つて聞きねえと云ふ事に。そりや御前が何でも彼でも、鼠小僧だと剛情を張りや、役人始め真実御前が鼠小僧だと思ふかも知れ無え。が、その時にや軽くて獄門、重くて磔は逃れ無えぜ。それでも御前は鼠小僧か、――と云はれたら、どうする気だ。」  とかう一本突つこむと、あの意気地なしめ、見る見る内に唇の色まで変へやがつて、 「へい、何とも申し訳はござりやせん。実は鼠小僧でも何でも無え、唯の胡麻の蠅でござりやす。」 「さうだらう。さうなくつちや、なら無え筈だ。だが火つけや押込みまでさんざんしたと云ふからにや、御前も好い悪党だ。どうせ笠の台は飛ぶだらうぜ。」  と框で煙管をはたきながら、大真面目におれがひやかすと、あいつは酔もさめたと見えて、又水つ洟をすすりこみの、泣かねえばかりの声を出して、 「何、あれもみんな嘘でござりやす。私は旦那に申し上げた通り、越後屋重吉と云ふ小間物渡世で、年にきつと一二度はこの街道を上下しやすから、善かれ悪しかれいろいろな噂を知つて居りやすので、つい口から出まかせに、何でも彼でもぼんぽんと――」 「おい、おい、御前は今胡麻の蠅だと云つたぢや無えか。胡麻の蠅が小間物を売るとは、御入国以来聞か無え事だの。」 「いえ、人様の物に手をかけたのは、今夜がまだ始めてでござりやす。この秋女房に逃げられやして、それから引き続き不手まはりな事ばかり多うござりやしたから、貧すりや鈍すると申す通り、ふとした一時の出来心から、飛んだ失礼な真似を致しやした。」  おれはいくらとんちきでも、兎に角胡麻の蠅だとは思つてゐたから、かう云ふ話を聞かされた時にや、煙管へ煙草をつめかけた儘、呆れて物も云へなかつた。が、おれは呆れただけだつたが、馬子半天と若え者とは、腹を立てたの立て無えのぢやねえ。おれが止めようと思ふ内に、いきなりあの野郎を引きずり倒しの、 「うぬ、よくも人を莫迦にしやがつたな。」 「その頬桁を張りのめしてくれべい。」  と喚き立てる声の下から、火吹竹が飛ぶ、桝が降るよ。可哀さうに越後屋重吉は、あんなに横つ面を脹らした上へ、頭まで瘤だらけになりやがつた。……        三 「話と云ふのはこれつきりよ。」  色の浅黒い、小肥りに肥つた男は、かう一部始終を語り終ると、今まで閑却されてゐた、膳の上の猪口を取り上げた。  向うに見える唐津様の海鼠壁には、何時か入日の光がささなくなつて、掘割に臨んだ一株の葉柳にも、そろそろ暮色が濃くなつて来た。と思ふと三縁山増上寺の鐘の音が、静に潮の匂のする欄外の空気を揺りながら、今更のやうに暦の秋を二人の客の胸にしみ渡らせた。風に動いてゐる伊予簾、御浜御殿の森の鴉の声、それから二人の間にある盃洗の水の冷たい光――女中の運ぶ燭台の火が、赤く火先を靡かせながら、梯子段の下から現はれるのも、もう程がないのに相違あるまい。  小弁慶の単衣を着た男は、相手が猪口をとり上げたのを見ると、早速徳利の尻をおさへながら、 「いや、はや、飛んでも無えたはけがあるものだ。日本の盗人の守り本尊、私の贔屓の鼠小僧を何だと思つてゐやがる。親分なら知ら無え事、私だつたらその野郎をきつと張り倒してゐやしたぜ。」 「何もそれ程に業を煮やす事は無え。あんな間抜な野郎でも、鼠小僧と名乗つたばかりに、大きな面が出来たことを思や、鼠小僧もさぞ本望だらう。」 「だつとつて御前さん、そんな駈け出しの胡麻の蠅に鼠小僧の名をかたられちや――」  剳青のある、小柄な男は、まだ云ひ争ひたい気色を見せたが、色の浅黒い、唐桟の半天を羽織つた男は、悠々と微笑を含みながら、 「はて、このおれが云ふのだから、本望に違え無えぢや無えか。手前にやまだ明さなかつたが、三年前に鼠小僧と江戸で噂が高かつたのは――」  と云ふと、猪口を控へた儘、鋭くあたりへ眼をくばつて、 「この和泉屋の次郎吉の事だ。」 (大正八年十二月)
底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1999年1月17日公開 2004年3月14日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 燕雀生といふ人、「文芸春秋」三月号に泥古残念帖と言ふものを寄せたり。この帖を見るに我等の首肯し難き事二三あれば、左にその二三を記し、燕雀生の下問を仰がん。 (一)春台の語、老子に出でたりとは聞えたり。老子に「衆人熙々。如享太牢。如登春台」とあるは疑ひなし。然れども春台を「天子が侍姫に戯るる処」とするは何の出典に依るか。愚考によれば春台は礼部の異名なり。礼部は春台の外にも容台とも言ひ、南省とも言ひ、礼闈とも言ふ。春の字がついたとて、いつも女に関係ありとは限らず。宋の画苑に春宮秘戯図ある故、枕草紙を春宮とも言へど、春宮は元来東宮のことなり。 (二)才人を女官の名とするも聞えたり。才人の官、晉の武帝に創り、宋時に至つて尚之を沿用す。然れども才子を才人と称しても差支へなきは勿論なり。辞源にも「有才之人曰才人。猶言才子」とあるを見て知るべし。燕雀生は必しも才人と言つてはならぬと言はず、しかしならぬと言はぬうちにもならぬらしき口吻あれば、下問を仰ぐこと上の如し。 (三)佐藤春夫、「キイツの艶書の競売に附せらるる日」と題する詩を賦したりとは聞えず。賦すとは其事を陳ずるなり。転じて只詩を作るに用ふ。然れども、キイツ云々の詩はオスカア・ワイルドの作なれば、佐藤春夫の賦す筈なし。それを賦したと言はれては、佐藤春夫も迷惑ならん。賦すに訳すの意ありや否や、あらば叩頭百拝すべし。 (四)門下を食客の意とは聞えたり。平原君に食客門下多かりし事、史記にあるは言ふを待たず。然れども後漢書承宮伝に「過徐盛慮聴経遂請留門下」とあり。門弟子の意なるは勿論なり。然らば誰それの門下を以て居るも差支へなき筈にあらずや。「青雲の志ある者の軽々しく口にすべき語にあらず」とは燕雀生の独り合点なり。  文芸春秋の読者には少年の人も多かるべし。斯る読者は泥古残念帖にも誤られ易きものなれば、斯て念には念を入れて「念仁波念遠入礼帖」を艸すること然り。 大鵬生 (大正十四年四月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:松永正敏 2007年6月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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 ………僕は何でも雑木の生えた、寂しい崖の上を歩いて行った。崖の下はすぐに沼になっていた。その又沼の岸寄りには水鳥が二羽泳いでいた。どちらも薄い苔の生えた石の色に近い水鳥だった。僕は格別その水鳥に珍しい感じは持たなかった。が、余り翼などの鮮かに見えるのは無気味だった。――  ――僕はこう言う夢の中からがたがた言う音に目をさました。それは書斎と鍵の手になった座敷の硝子戸の音らしかった。僕は新年号の仕事中、書斎に寝床をとらせていた。三軒の雑誌社に約束した仕事は三篇とも僕には不満足だった。しかし兎に角最後の仕事はきょうの夜明け前に片づいていた。  寝床の裾の障子には竹の影もちらちら映っていた。僕は思い切って起き上り、一まず後架へ小便をしに行った。近頃この位小便から水蒸気の盛んに立ったことはなかった。僕は便器に向いながら、今日はふだんよりも寒いぞと思った。  伯母や妻は座敷の縁側にせっせと硝子戸を磨いていた。がたがた言うのはこの音だった。袖無しの上へ襷をかけた伯母はバケツの雑巾を絞りながら、多少僕にからかうように「お前、もう十二時ですよ」と言った。成程十二時に違いなかった。廊下を抜けた茶の間にはいつか古い長火鉢の前に昼飯の支度も出来上っていた。のみならず母は次男の多加志に牛乳やトオストを養っていた。しかし僕は習慣上朝らしい気もちを持ったまま、人気のない台所へ顔を洗いに行った。  朝飯兼昼飯をすませた後、僕は書斎の置き炬燵へはいり、二三種の新聞を読みはじめた。新聞の記事は諸会社のボオナスや羽子板の売れ行きで持ち切っていた。けれども僕の心もちは少しも陽気にはならなかった。僕は仕事をすませる度に妙に弱るのを常としていた。それは房後の疲労のようにどうすることも出来ないものだった。………  K君の来たのは二時前だった。僕はK君を置き炬燵に請じ、差し当りの用談をすませることにした。縞の背広を着たK君はもとは奉天の特派員、――今は本社詰めの新聞記者だった。 「どうです? 暇ならば出ませんか?」  僕は用談をすませた頃、じっと家にとじこもっているのはやり切れない気もちになっていた。 「ええ、四時頃までならば。………どこかお出かけになる先はおきまりになっているんですか?」  K君は遠慮勝ちに問い返した。 「いいえ、どこでも好いんです。」 「お墓はきょうは駄目でしょうか?」  K君のお墓と言ったのは夏目先生のお墓だった。僕はもう半年ほど前に先生の愛読者のK君にお墓を教える約束をしていた。年の暮にお墓参りをする、――それは僕の心もちに必ずしもぴったりしないものではなかった。 「じゃお墓へ行きましょう。」  僕は早速外套をひっかけ、K君と一しょに家を出ることにした。  天気は寒いなりに晴れ上っていた。狭苦しい動坂の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所とか言う板葺きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこう言う町を見た時、幾分か僕の少年時代に抱いた師走の心もちのよみ返るのを感じた。  僕等は少時待った後、護国寺前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。K君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。  すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちてこなごなになった。そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、――少くとも人々の注意だけは惹こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合せたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑しさよりも寧ろはかなさを感じた。  僕等は終点で電車を下り、注連飾りの店など出来た町を雑司ヶ谷の墓地へ歩いて行った。  大銀杏の葉の落ち尽した墓地は不相変きょうもひっそりしていた。幅の広い中央の砂利道にも墓参りの人さえ見えなかった。僕はK君の先に立ったまま、右側の小みちへ曲って行った。小みちは要冬青の生け垣や赤鏽のふいた鉄柵の中に大小の墓を並べていた。が、いくら先へ行っても、先生のお墓は見当らなかった。 「もう一つ先の道じゃありませんか?」 「そうだったかも知れませんね。」  僕はその小みちを引き返しながら、毎年十二月九日には新年号の仕事に追われる為、滅多に先生のお墓参りをしなかったことを思い出した。しかし何度か来ないにしても、お墓の所在のわからないことは僕自身にも信じられなかった。  その次の稍広い小みちもお墓のないことは同じだった。僕等は今度は引き返す代りに生け垣の間を左へ曲った。けれどもお墓は見当らなかった。のみならず僕の見覚えていた幾つかの空き地さえ見当らなかった。 「聞いて見る人もなし、………困りましたね。」  僕はこう言うK君の言葉にはっきり冷笑に近いものを感じた。しかし教えると言った手前、腹を立てる訣にも行かなかった。  僕等はやむを得ず大銀杏を目当てにもう一度横みちへはいって行った。が、そこにもお墓はなかった。僕は勿論苛ら苛らして来た。しかしその底に潜んでいるのは妙に侘しい心もちだった。僕はいつか外套の下に僕自身の体温を感じながら、前にもこう言う心もちを知っていたことを思い出した。それは僕の少年時代に或餓鬼大将にいじめられ、しかも泣かずに我慢して家へ帰った時の心もちだった。  何度も同じ小みちに出入した後、僕は古樒を焚いていた墓地掃除の女に途を教わり、大きい先生のお墓の前へやっとK君をつれて行った。  お墓はこの前に見た時よりもずっと古びを加えていた。おまけにお墓のまわりの土もずっと霜に荒されていた。それは九日に手向けたらしい寒菊や南天の束の外に何か親しみの持てないものだった。K君はわざわざ外套を脱ぎ、丁寧にお墓へお時宜をした。しかし僕はどう考えても、今更恬然とK君と一しょにお時宜をする勇気は出悪かった。 「もう何年になりますかね?」 「丁度九年になる訣です。」  僕等はそんな話をしながら、護国寺前の終点へ引き返して行った。  僕はK君と一しょに電車に乗り、僕だけ一人富士前で下りた。それから東洋文庫にいる或友だちを尋ねた後、日の暮に動坂へ帰り着いた。  動坂の往来は時刻がらだけに前よりも一層混雑していた。が、庚申堂を通り過ぎると、人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いて行った。  すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、楫棒に手をかけて休んでいた。箱車はちょっと眺めた所、肉屋の車に近いものだった。が、側へ寄って見ると、横に広いあと口に東京胞衣会社と書いたものだった。僕は後から声をかけた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。  北風は長い坂の上から時々まっ直に吹き下ろして来た。墓地の樹木もその度にさあっと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。………
底本:「昭和文学全集 第1巻」小学館    1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行 底本の親本:「芥川龍之介全集 第八卷」岩波書店    1978(昭和53)年3月22日発行 初出:「新潮 第二十三年第一号」    1926(大正15)年1月1日発行 入力:j.utiyama 校正:野口英司 1998年10月6日公開 2016年2月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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